ぼくの事を怖がらないで。

誰よりも優しい笑顔で笑うよ。

絶対に傷つけたりしないから。

僕の傍に居て・・・。

 

Come kiss me sweet and twenty.    1

 

 

時は19世紀末。

果ての見えない暗い空。

その空に浮かぶ細い三日月の光に照らされて、建物の陰で何かが動いた。

照らされた建物の陰、粗い息遣いが聞こえる。

「ハァ、はぁ・・・っ・ダ・・。もう歩けない。」

どうやら人らしい生き物は、呟きを漏らす。

「・・・ッ」

そしてそのまま壁に背を凭せ掛けた。

どうやら余程衰弱しているらしい。

しかし、今の世に在ってこれほどまでに衰弱するとは、なんとも珍しいこと。

「・・・・誰かぁ・・」

弱々しい声で誰にとも無く呼びかける。

空気中にぼんやり出て、霞んで消えていくような声で。

普通なら聞こえないこんな声に、しかし気付いた者が一人居た。

「・・・誰?」

微かな声を捕らえた耳がピクリと動く。

辺りをキョロキョロ見回して、淡色で肩ほどまでの長さの髪が揺れた。

そして壁に寄りかかって、もはや動けなくなった黒い塊を見つける。

「!?・・・大丈夫?」

駆け寄って顎をゆっくり上げさせる。

頭は自らの膝の上に。

今まで閉じていた目が開き、碧い瞳が月の光に煌いた。

「・・・ニゲ・・ナィデ・・」

掠れた声が届く。

悲しげに眉を顰めて発された言葉に、淡色の髪に縁取られた顔が膝の上の顔を覗き込んだ。

「・・逃げないよ。・・・」

言って、今はもう閉じられた碧眼の持ち主を見下ろし。

碧眼の持ち主が、強く腰の辺りを抱き締めてくる。

心地良い温もり。

だが、このままでは動きにくそうだ。

「困ったな・・・。」

しがみ付かれたままの人物は、空を仰ぎ見て呟いた。

 

 

*   *   *   *   *

 

 

あったかい・・・。

ここはどこかな?

『チョコ。』

誰が呼んでるの?

『チョコ。』

あなたは誰?

 

「誰・・・?」

 

呟いて目を開けると、いきなり開けた目にもきつくないくらいの、優しい光が目に映った。

頭に柔らかい枕の感触があって。

さっきまで夢の世界を彷徨っていたらしい自分の記憶をうつろな頭で思い出そうとする。

(力が出なくなって、動けなくて壁のところに力尽きて・・・。

!・・そう言えば、あの時誰かに助けてもらった。・・・すごくきれいな髪の人・・。)

そこまで思い出して、いきなり声が掛けられた。

「・・おはよう御座います。

掠れ気味の声。

声がしたほうに顔を向ける。

「ぅわ・・・」

そして思わず驚いた。

目の前10cm足らずの所に在る顔。

あのきれいな髪の持ち主。

おまけに相手はそんな事は気にせず。

「こんにちは。バニラはバニラ。」

きれいな顔の、美しい唇から、意味の分からない言葉が発せられた。

「・・ぁ・ぇ・・バニラはバニラ?・・・それはどう言う意味・・?」

意味が理解できない一方は、混乱する。

しかし、そんな疑問は簡単に解消された。

『バニラはバニラ』と言った方が、自分を指差して言う。

「ごめんなさい。自分の名前がバニラって言うの。

バニラには男の子も女の子も無いから、バニラって呼んでる。」

薄く笑って、ついでに質問を返す。

「君のお名前は?」

キラキラと髪が光を優しく包む。

寝転がったまま間近で見たバニラの顔は、言われてみれば中性の様に感じられて、

なおかつ美しかった。

「僕は、チョコ。ありがとう、助けてくれて。・・・すぐ傍に居てくれてありがとう。」

多少近すぎる気もするが・・・。

ベッドに横たわったままのバニラが、笑顔を浮かべる。

「どういたしまして。もう少し寝よう・・。」

 

 

ぼくの事を怖がらないで。

誰よりも優しい笑顔で笑うよ。

絶対に傷つけたりしないから。

僕の傍に居て・・・。

 

 

 

 

 

 

 

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