偽りの一夜
月の光に照らされて、ベッドの上で激しくもつれ合う男女のシルエットが浮かび上がる。
「香っ……愛してるっ」
締め付ける香の中を味わいながら、男は囁いた。
「わ、わたしもっ……!」
息をとぎらせ、快楽を露わにした声が、愛を訴える。
たわわに揺れる乳房にめまいを覚え、激しく揉みしだく。
「あぁん!」
さらに甲高く上がる声。
悦びに満ちたその声音に、男の心に暗い闇がうずく。
そこには、互いの想いが通じ合った喜びはなかった。
ただ、さらに濃くなる闇が存在するのみだった。
それを手に入れたのは、ただの偶然だった。
香に内緒で引き受けた依頼(もちろん、女性がらみだ)の場に、なぜかミックも居合わせた。
共同戦線を余儀なくされたわけだが、依頼はあっさりと解決。
報酬として、お得意のもっこりを!と意気込んだものの、相手が悪かった。
象牙の塔と呼ばれる世界でも有数の某研究所に所属する女性。
彼女が常日頃サポートする博士は、偏屈な学者の中でもさらに異彩を放つ。
常に我が道を行く彼を見事に軌道修正する手腕を、撩相手にも思う存分発揮した。
結局、適切な金額でいなされてしまいがっくりとうなだれる撩。
その傍らで、ミックは目的のものを手に入れてほくほくとしていた。
たった1個の錠剤。
一見、どこにでもある代物だ。
だが、それが何であるかはこの依頼を引き受けた撩にはわかっていた。
それを服用した12時間の間に起こった出来事は記憶に残らない、という特殊な薬。
薬の作用が働いている間は、自分のしたこと、見たこと、出来事をしっかり覚えていても、
12時間後には、きっちりと記憶を失ってしまうのだ。
それ以外には、人体への影響はない。
自分の上司が、暇つぶしに開発して盗まれてしまったそれを取り戻して欲しい。
薬の悪用を防ぐために、彼女は秘密裏にシティ・ハンターに依頼したのだった。
報酬はその錠剤――たった一錠だけでいいから――、と頼み込んだミックの思惑は、すぐさま彼の口から語られた。
「これで、カオリをモノにする♪」
――速攻簀巻きにして、取り上げた。
部屋に戻ると、まだ彼女は帰ってきていなかった。
行方をくらましていた撩を探しにでかけたままなのか。
椅子に腰を下ろすと、内ポケットからそっと包みを取り出す。
中身は、先ほどの錠剤だ。
「半日もたてば忘れられるんなら、何でもできるよな〜〜〜」
あれは、ミックの悪趣味なジョークだったのかもしれない。
しかし、本気だったのかもしれない。
だが、今となってはミックの真意などどうでもよかった。
――半日たてば、すべて忘れてしまう。
かっとなって取り上げただけのものだったが、その言葉が頭からこびりついて離れない。
この上もない魅力的な誘惑だった。
これを手に入れたのは、偶然ではなく、必然だったのか。
意を決してしまえば、あとはためらいなどなかった。
夕方の食事に忍ばせたそれをあっさり口にする彼女。
これから半日の出来事を、明日の朝にはすっかり忘れ去っているのだ。
念のために消化の時間を考え、夜も更けた頃に訪れる。
こんな夜更けに何の用なのよ、不機嫌そうに問いかける彼女に告げた。
「愛してる、香」
「はぁ? あんた寝ぼけているの」
「寝ぼけてなんかいない」
「ちょ、ちょっと待ってよ、なによ、その真剣な顔。
あ、さては、また女の依頼を引き受けたわね!
そんなのでごまかそうったっってそうは行かないわよ!」
狼狽えた彼女だったが、撩が今日行方をくらましていたことに思い当たり、
「女の依頼」と結びつける。
それが、彼の思いも寄らない言動の理由だと推測する。
すかさず取り出したハンマー。握った手に、力がこもる。
「ごまかしているわけじゃない」
強く抱きしめると、さきほど使ったと思われるシャンプーの香が鼻をくすぐった。
「なっ」
「今まで、ずっと言い出せなかった」
頬に手を寄せ、愛おしげに見つめる。
「危険な道を歩ませたくなかった」
香を見つめるその瞳に強い光がともっていた。
彼女は、目をそらせないでいた。
「本気、なの?」
「ああ」
信じられない思いで見つめていた彼女の表情に、歓喜がわき上がる。
「わたしも……ずっと好きだった!」
それは、ずっと前から知っていた。
だが、決して言わせなかった台詞。
思いを交わし抱き合った二人は、そのままベッドへとなだれ込んだ。
夢中で口づけを交わす。
服を脱がす、その手つきももどかしく、布越しに感じる弾力に酔いしれた。
ずっと欲しかった身体。
「愛している」
何度繰り返し、囁いたことか。その都度、震える肢体。
なめらかなその首筋を軽く噛む。
初めての感覚にうちひしがれる様を思う存分堪能する。
あらゆる箇所に愛撫を施し、彼女を狂わせる。
胸の突部に口づけ、刺激を与える。
喘えやかな声を上げ、もっとと懇願する彼女の痴態に更に煽られる。
俺の女。
今だけは、俺のものだ。
胸の中に強く生じる独占欲。
足を大きく開き、手を差し込んだ。
大切な部分を晒したその格好に、強い抵抗を示したが、
強い意志を持った瞳の前に、あっけなく破れる。
起きあがろうとするのをやめ、諦めたかのようにふいと横を向く。
恥ずかしさと不安を残した表情で、固く震えていた。
「綺麗だ……。香のここ」
頬にうっすらと赤みがさす。
委ねられたその身体を、余すところなく自分のものにしたいという欲求が高まっていく。
誰にも触れられたことのない、淡い茂みをなで上げる。
ひっとびくついたその大腿を舐め上げた。
どこを触れても敏感になっていた身体は、それだけでも快楽を呼び覚ます。
突起に触れると、さらに強く身体を震わせた。
すでに濡れそぼっていたそこは、撩をいやらしく招き入れる。
粘着音に、はっと我に返るが、たちまち快楽の虜となった彼女になすすべはない。
中へ指を潜り込ませ、抜き差しをする。
溢れる蜜がさらに激しく音をたてる。
その柔らかな中を思う存分味わった。
激しく中を突き立てると、きゅっとしまり、逆にむさぼり食われるような錯覚を覚える。
「初めてなのに、いやらしいな、香」
淫乱だとも言いたげに、囁いた。
意地悪なそのもの言いに、思わずかっとにらみつける。
「だっ……てっ!」
翻弄されてばかりいて普段の彼女からは想像もできない妖艶な姿から、
彼女らしい強気の反応が返ってくる。
だが、それもほんの少しの間だった。
ふっと笑い、足の付け根をすっとなで上げると、訪れた快楽に顔を歪める。
堪えるように唇を噛みしめるが、すぐさま指で小刻みにかきまわされ、啼かされる。
さらに足を開き、すでに高く持ち上がっていた己を、あてがった。
さすがに初めてともあれば、どんなにほぐしても痛みを伴う。
小さく悲鳴を上げた彼女の身体を気遣いながら、ゆっくりと動かす。
痛みに顔をしかめていた彼女も、少しずつ慣れ、その動きに馴染んでいく。
じきに自ら快感を拾い上げ、夢中になっていった。
中を強く突くと、背をのけぞらせて喘ぐ。
月の光でさらに白く映えた肌に吸い寄せられる。
――痕を残してはいけない。
わずかばかり残っていた理性で、暴走する本能を制御するのは、並大抵のことではなかった。
小刻みに揺らし、中から香を煽る。
次第に耐えきれなくなった彼女は、ただがくがくとなすがままにゆさぶられていた。
「愛している」
まるで贖罪するかのように、繰り返す。
本当に、愛しているんだ、香。
今日この時だけ、思う存分、愛を囁かせてくれ。
その願いを聞き遂げるかのように、従順に撩のものを飲み入れたそこは、
優しく、彼を包み込む。そして、妖しく誘う。
目のくらむような快楽に、撩もまた我を忘れて突き進んだ。
ゴム越しとはいえ、彼の射精をその内に受けた香は感電したように震える。
絶頂が収まって呆然とする香の髪をそっと撫でた。
初めての行為で、身体を動かせずにいる彼女を抱き寄せる。
「好きよ、撩……」
譫言のように繰り返す、その華奢な身体が愛おしい。
やがて、その声が途切れ、安らかな寝息が胸元から聞こえてきた。
軽くそのこめかみにキスをした。
彼女が目覚めないのを確認した後、ベッドから静かに降り立つ。
放り投げたシャツを拾い、身にまとう。
「すまない……」
誰にともなく告げた。
我を忘れてむさぼった後に残ったものは、罪悪感。
この部屋に入る前から覚悟はとうに決めていたものの、己の欲望に振り回された彼女が哀れだった。
彼女が起きたときには、この行為はすべて忘れ去られるだろう。
それを知っての告白。
明日には――日付はかわったので、すでに今日なのだが――、以前と同じ関係に戻っているのだ。
恋人でもない、ただのパートナーに。
本当は、手元に置くことすら許されない女。
常に、危険と隣り合わせの自分だから。
それを無視していたのは、自分のエゴ。
手放せなかった。
ましてや、他の者に奪われることなど、考えるだけでぞっとした。
それぐらいなら、この俺が――。
だが、彼女の身を案じる気持ちが、彼を中途半端な行動に追いやる。
そして、手に入れた薬で、自分のものにしてしまった。
簀巻きにしたミックよりタチが悪い。
「卑怯なのは俺じゃないか」
香が起きないように気を配りながら夜着を着せ、毛布を掛けた。
「お休み」
静かにドアを開き、出て行った。
後に残るは窓から差し込む月の光と静寂。
ドアの向こうの気配が去っていくのを感じ取った彼女は、閉じていた瞳を開いた。
彼女は、眠ってなどはいなかった。
今はいない、数分前まで自分を抱いていた男に話しかける。
「馬鹿ね、卑怯なのは私の方なのよ……」
ただ1度だけでいいから、抱かれてみたかった。
それを貴方はかなえてくれた。
明日、彼と会ったら、彼の望み通り、今夜の出来事をすべて忘れてしまったかのように
いつもの自分を演じてみせるつもりだ。
でも、この日を私は一生忘れない。あなたが私を愛してくれたことを。
愛しているわ、撩。
彼女の部屋のダストボックスの中には、シュレッダーにかけられた紙切れが収まっていた。
元の形がわからないほど刻まれた紙の山。
それは、ある特殊な薬の存在と偽の錠剤を知らせるミックからの手紙だった。
<終>