K.

kiss and coin





































































































弾かれたコインが空中でくるくると回転する。
鈍い光を纏った古ぼけたコインを、俺は手の甲で捕まえるとすぐさまもう片方の掌で覆った。
「────表」
澄んだバリトンが躊躇いなく告げた。手を開くとまさにその通り、こちらを向いた硬貨の面はジョージ・ワシントンの惚けた横顔だった。
「悪いな」
悪いなどとは一かけらも思っていないような口ぶりで、にこりともせず、男は脱いだ黒い上着をこの宿の一室、唯一のベッドの上に放り投げた。
ため息を吐きながらソファに寝転がった俺の腹に、畳まれたブランケットが投げられた。
今夜もベッドを使う権利を勝ち得た男からの、せめてものお恵みというわけだ。
「へえへえ、ありがてえこって」
シャワールームに消える男の背に、俺は精いっぱいの負け惜しみを投げた。










キスとコイン









黒のスーツと黒のボルサリーノ、ついでに襟足まで掛かる長い黒髪と、顎を覆う真っ黒な髭。
年中葬式帰りみたいなこの男の名は次元大介。
今回のヤマでの俺────このルパン三世の相棒だ。
無口で陰気なこの男、良く言えば寡黙で余計な振る舞いのないこの男は、じっさい手練で経歴もものすごい。元殺し屋だの元傭兵だの物騒な肩書きが付き纏ってはいたが、振る舞いにどこか生真面目なところがあって、それを俺は気に入っていた。
裏切りと紙一重の世界だ。
少なくとも組んでいるこのひと仕事の間くらいは、背中から撃たれるような始末は願い下げだ。
その点ではこの次元大介は合格点だった。
もっともこいつも所詮、暗黒街で生きる男だ。それがいつまで続くかは知れたものではないわけだが。
組んでみて、もうひとつ合格点をやってもいいと思うことがあった。
────この男は「引き」が強いのだ。
今日みたいなひとつきりのベッドをどちらが使用するかだの、長距離移動での車の運転はどちらがするかだの、そうしたことを賭けてのコイントスにはたいていの場合、次元が勝利している。
投げたコインが、とにかく奴の言うが儘の面を向くのだ。
俺の持つコインを、俺が投げているのだ。イカサマということは有り得ない。
いちいち律儀に勝負する俺も俺だが、ここまで負けが込むと、こちらとしても、もう後には引けない。
いまさら頭を下げて、権利を譲ってもらうなどということも癪に障るというものだ。
こんな稼業だ。組んだ相手の運が強いに越したことはない。
「にしても、俺も負け過ぎだぜ・・・」
この宿にはもうしばらく逗留しなければならない。
俺が次元に勝つのが先か、満員御礼のこの安宿にもう一部屋空きが出るのが先か。
情けない気分になりながら、俺は恵んでもらった一枚の毛布を頭から引っかぶった。










翌日は散々だった。
仕事を仕掛ける前の情報収集段階だ。そうそう気の空くようなことばかりでないのは百も承知だが、行く先々での空振りの繰り返しに、さすがの俺もげっそりと、重い足取りで宿へと戻った。
先に帰っていた次元は、ベッドに腰を下ろし、ぼんやりと窓の外を眺めていた。
だが振り返って戸口に佇む俺の顔を見ると、一瞬表情を曇らせた。
すぐにいつもの無表情に戻ったものの、その素振りにいまの自分がどれだけ情けない様子なのかを改めて感じて、俺の気分はまた下降した。
だが、男相手に早々弱みをみせているわけにもいかない。
「さあて、今夜も恒例のベッド決めといきますか」
次元は静かに頷くと、俺にコインを出すよう促しかけて、すぐに、いや、と今度は首を横に振った。
「ああ、今日はまあいいか。俺が投げる」
「────今日は?」
ふとこぼれた俺のつぶやきに、次元が「あっ」と小さく声を上げた。
この男にしては珍しく微かな動揺を示すその仕草。
俺の脳裏に、これまでのもやもやが疑念として雲を為す。
俺たちの間で事を決めるときには、たいていコイントスで決めていた。それがいちばん、手っ取り早い方法だったから。
そして二人での間で行なわれるコイントスは、公正を期すために、まずコールするのはコインを投げなかった方だ。
だが思い返せば、俺がコインを放ったときの次元はすべて勝ちを手に入れていた。
もしかしてそれは────先にコールすることが出来ていたから?
「なあ次元、ひとつ聞きたいんだけどもな」
「何だ」
「お前さん、もしかして・・・見えてるんじゃないのか?」
「・・・見える? 何がだ」
次元はすっかりと元の無表情に立ち返っていた。だが、俺の考えはすでに確信に近かった。
「コインの動きが、だよ」
無口なガンマンはしばらく黙り込んだ。それからにやーっと人の悪い笑みを浮かべた。
「何だ、気づいちまったか。もうしばらくこれでイケるかと思ったのに」
「────!」
「拳銃稼業の動体視力を舐めるんじゃねえよ」
そういって次元はけらけらと笑い出す。まるで悪戯が成功した子供みたいに。
────やられた。
次の瞬間、俺は勢い良く次元に飛び掛っていた。
その勢いに、次元のボルサリーノが吹き飛んだ。
やはり黒い色をした瞳がまんまるく見開かれ、そして俺と目が合うと笑み崩れた。
二人、声を上げて笑いながら、揉み合ったままベッドの上を転げまわる。
「卑怯だぞ、てめえ」
「気づかないお前が悪いんじゃねえか」
次元が舌を出して笑う。本当にどこの悪ガキだ、コイツは!
俺は腹立ち紛れに、その舌をぺろりと舐めた。
途端に次元は、猫が毛を逆立てるみたいにびくんと震えると俺を威嚇した。
「な、何しやがる!」
「俺様をからかったバツだ」
「バ、バカかお前は」
「フランス人にとっちゃ、キスなんて挨拶代わりだぜ。なんなら毎朝キスで起こしてやろうか、次元ちゃん」
次元は、面白いほどにじたばたと慌て始めた。
「じょっ、冗談はよせ」
「おーお、赤くなっちゃってカーワイイの」
からかい含みに頬をつつくと、すぐさま次元がぶんむくれる。
「疲れた顔をしてるから、こっちがちょっと仏心を出せば・・・」
「へーえ、俺のこと心配してくれたりなんかしたんだあ? 」
「バ・・・ッ、そんなんじゃねえや!」
口とは裏腹に、真っ赤な顔のまま狼狽している。
それにしても、まー、喋ること喋ること。
何だ、これまで無口だったのはもしかして、単にちょいとばかし人見知りだったってだけのことかよ。
癇癪を起こした子供のように、次元が怒鳴った。
「てめえみたいな根性曲がりは一生ソファで寝とけ!」
「あ、ずりーの。男が一度口にしたことを取り下げるのかよ」
「先にコールする権利を譲っただけだ。お前さんのこった、どうせ俺の温情もあっさり取りこぼして、今夜もソファで寝る羽目になってただろうぜ」
「このルパン様に対してそーゆーこと言う?」
俺たちのじゃれあうような言い合いは、けっきょく夜半過ぎまで続いた。





その夜、俺たちはどちらも引くに引けず、狭苦しいベッドに背中合わせで眠る羽目になった。正確には沈黙と、思い出したように始まる言い争いを交互に繰り返して、寝るに寝られない一夜を過ごしたのだったが。
朝になって、ベッドの上に起き上がって二人、顔を見合わせて。
「・・・ひでえ面だな」
いつもよりさらに顔色の悪い髭面にそう声を掛ければ、
「・・・お前こそな」
次元は下着姿で胡坐をかきながら俺の顔を顎しゃくってみせた。
これまでの澄ましたたたずまいはどこへやら。すっかりむさ苦しい風情だ。
暗黒街で一、ニを争う凄腕の殺し屋。
世界でも数少ない、本物のガンマン。
そうこいつを呼んでいる他の誰も、この男のこんな間抜けな姿を見てやしないんだろう。
思わず吹き出すと、次元もつられて笑い出した。
そのままおたがいに肩を叩きあいながら脚をばたつかせ、子供のように笑い転げた。
こいつとは、そこそこ続くかも知れねえな。
止む気配もない笑いの発作に身を任せながら、俺はふとそんなことを思った。










そして10年後のいま、俺たちはロスにいる。





昨夜、俺と次元はひと仕事を終え、奪った800万ドルのダイヤモンドのネックレスを肴に祝杯を上げた。
豪邸に眠っていた、見事な宝石。
だが事はそれでは終わらなかった。
今朝、俺たちのアジトを重火器で武装した一団が襲った。
人目も損得も何も構わず、ただひたすらこちらに対して害意を向けてくる連中。
相手の察しはすぐについた────マフィアだ。
おそらくこのネックレスに絡んでのことだろう。連中の息の掛かった代物だったらしい。
俺たちは辛くも脱出に成功したが、マフィア連中がなりふり構わずともなると、先の見通しが明るいとは言えない。
とりあえず路地裏に逃げ込んだものの、見つかるのも時間の問題だろう。
唇を噛んだ俺に、次元は事も無げに言った。
自分が囮になる、と。
俺は反射的に首を横に振った。すると、次元は笑った。
「じゃあコインで決めようじゃねえか」
そう言うと、不意に思い出したかのように付け加えた。
「ああそうだ。そういやあ俺はいま小銭の持ち合わせがないんだった。ルパン、お前が投げてくれ」
「次元・・・」
俺はもしかしたら、酷く情けない顔をしていたのかもしれない。次元は、なだめるような穏やかな笑顔を見せた。
「そんな顔するんじゃねえよ。要は俺が連中を引きつけている間に、この事態を何とかしろって言ってんだ。むしろ厄介事を押し付けられたのはお前の方なんだぜ」
「・・・馬鹿野郎」
俺は目の前の相棒を抱きしめた。
あれから、ずっと一緒にやって来た。こいつと、これまで。
そしてこれからも────ずっとだ。
俺は両手で次元の頬を覆った。
微かに息を呑んで薄く開いた男の唇に、俺は自分のそれを重ね合わせた。
唇を、舌を、深く合わせる。
長い時間をかけた口づけに呆然とする次元、その額に額をつけ、ごく間近で目を合わせると、俺は笑ってみせた。
「お守りだ」
俺の匂いがついているうちに、戻っておいで。
「・・・バカか、お前は」
次元はくしゃりと泣き笑いのような表情を見せると、俺の肩に顔をうずめた。
そしてすぐに顔を上げる。
その顔はもうすでにいつもの次元大介、飄々として不敵な、世界一のガンマンの顔つきだった。
その目で見つめ返されて、俺もいつもの表情を取り戻す。
「くたばるんじゃねえぞ、次元」
「てめえこそな」
そういって笑うと、次元は路地裏を飛び出した。
その姿は、すぐに俺の視界から掻き消えた。そして銃声。
やがてその音が遠のくと、俺は周囲を慎重に窺い、そして駆け出した。










俺のこの世でただ一人の相棒を、この手に取り戻すために。










end










小説「戦場は、フリーウェイ」の捏造前日譚。本編は超カッコいいです。




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