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chocolate





































































































穏やかな午後だった。
次元大介はアジトの居間、ソファにだらしなく寝転びながら、冬の偶さかの暖かな日差しを存分に享受していた。
いまアジトには誰もいない。男所帯、気持ちばかりの家事も済ませた。しばらく仕事の予定も無い。この上ない平和なひととき。
上着もネクタイも帽子も放ったまま、のんびりしていた次元は、だから闖入者が訪れたそのときも、寝ぼけまなこの片目を開けて、ちらりと視線を投げただけだった。
「五ェ門か」
次元はソファに半身を起こすと、大きく伸びをした。
もう少し寝ていたかったが仕方がない。何せ五ェ門と来たら、玄関のドアが開いた大きな物音がしたかと思ったら、途端に居間に飛び込んできて、しかも髪を振り乱した決死の形相だ。そんな様子の弟分を無碍にあしらうことは、次元にとって難しかったのだ。
五ェ門は身じまいを直す素振りすら見せず、次元の前に駆け込んできた。
「次元、ルパンはいるのか」
「いや、いま出かけているが・・・・・・呼ぶか?」
糸の切れた凧のように行方の知れない男だが、古いつき合いの次元だ、その気になれば幾らでも連絡の付けようはある。それと知っての五ェ門の言葉と合点した次元だったが、五ェ門の方は慌てて首をぶんぶんと横に振った。
「いや、そういう意味ではない」
思いのほかの強い語調に、次元は思わず身を竦めた。だが五ェ門は構う様子もなく、却って好都合なのだだとかもごもごと言っている。
(好都合・・・?)
いぶかる次元の手を五ェ門は伸し掛かる勢いでがばりと掴み、そして手の中のそれを押し付けた。
「ごえも・・・・・・」
「何も聞くな!」
五ェ門は一声叫び、きつく唇を噛んだ。ふだんの五ェ門らしからぬ興奮を隠さぬ様子に次元は何も言えず、ただ首を縦に振った。
「・・・わかった、何も聞かねえ」
ようやく五ェ門はほっと安堵の息を吐いた。
いったい何が起きたのか。疑問符ばかりを顔に貼り付けた次元に、五ェ門は口早に言葉を継いだ。
「・・・拙者のためにこれを作ってくれないか」
「おい、五ェ門・・・」
そして次元の顔を見ようともせず、脱兎のごとく居間を出て行く。次元は首をかしげながら、手に押し込まれたそれを見た。
それは一冊の本だった。パラパラとページを繰ると、途中、丁寧に紙の端切れが栞代わりに差し挟まれている。
「んー?」
次元はそのページに目を留め、次にはまじまじと目を見張り、そして本を鼻先に押し付けてじっくりと読んだ。
やがて次元は顔を上げた。
「五ェ門のやつ・・・」
口元には知らず緩み、頬は上気し喜色に溢れた。
そして次元は大事そうにその本を小脇に抱えると、意気揚々とキッチンへと向かったのだった。









ショコラ ─2月13日─









あまい匂いに溢れるキッチン。
そこには真っ赤なエプロン姿の髭男、鼻歌を歌いながらいそいそと立ち働いている。
ボールの中身を絞り袋に移し、皿の上に棒状に絞り出している。
「・・・何やってんだ、お前」
その背中にルパンは呆然と声を掛けた。何をやっているかなど一目瞭然だったが、自分の目にしたものがまるで信じられなかった。
次元はくるり振り返った。その顔はだらしないほど笑み崩れ、まるで幸福そのものの笑顔だった。
「何ってお前、見りゃわかんだろうが。チョコレートだよ、チョコレート」
そりゃ見ればわかる。見ればわかるのだが・・・
「何でまた」
次元は料理の腕はそれなりだが、自分の好きなもの以外はまず作らない。その手料理をおそらく世界で一番食べているルパンはうんざりするほどだったが、次元は文句すら受け付けずに同じ料理を作り続ける。いい加減、諦めの境地に達しているルパンだった。
その次元のレシピのバリエーションに、菓子など含まれているはずもないのだが。
「五ェ門さ」
「五ェ門?」
「ああ」
まるで今日の日差しのように次元は笑った。
「五ェ門のやつがよ・・・こいつを作って欲しいって、俺に頼み込んできたのさ」
「頼み込んできたって、お前」
頷く次元の方が、微かに赤らんでいる。それはまるで含羞の色。ルパンは慌てた。
(この時期にチョコレートって、聖バレンタインデーじゃねえか)
言わずと知れた、恋人同士の祝いの日。
(まさかそのために────ということは・・・)
大っぴらにこそしてはいないが、幼馴染の次元との仲がそういうことになってから随分と経つ。五ェ門が次元にほのかな思いを寄せているのは知らないでもなかったが、よもやいまさらどうこうなるような関係ではないと思っていた。
それが────
「お前まさか・・・それで」
「ああ」
愕然とするルパンの目の前で、次元はきっぱりと頷く。そして次の瞬間絞り袋を放り投げ、ルパンに抱きついた。
「じ、次元」
「いやあ、俺ァこんなに嬉しいことはねえよ」
ばんばんとルパンの背中を叩きながら、次元は尚も笑う。
「まさかあの五ェ門になあ・・・女の出来る日が来るとはなあ」
「────はあ?」
「いやな、五ェ門のやつが血相変えて飛び込んで来るなんざ、穏やかじゃねえ。しかも菓子を作ってくれと来たもんだ。そこで俺は考えた。すぐにピンときた────バレンタインじゃねえか」
「はあ・・・」
「これまで女の気配もなかったのになあ」
「だろうな・・・」
「まあ、あの女にゃうぶな小僧っ子のことだ、おそらくまだ手も握ったこともないような相手に違ェねえ。そしたら俺としちゃあ一肌脱ぐほかねえだろうが」
そうだろう、と次元はルパンの顔を覗き込んでくる。そうだねえ、とルパンはため息を吐いた。だが次元は気にする様子もない。
「女なんてのは単純なもんだからな。菓子に花、ついでに上物のワインの一本でもつけてやりゃコロリとなびくもんだ。たいていの女は、お前の恋人ほど強欲じゃねえしな」
(単純なのはお前だよ・・・)
呵呵と高笑う次元に、ルパンは頭を抱えた。
五ェ門がこんな風習を知っていたというのも驚きだが、実際、この次元の頓着のなさ、わかっていたがつくづくだ。
五ェ門としても、これを機に気持ちを伝えてしまおうとしたのか、それとも恋人同士の行事の真似事をして自分の気持ちを慰めようとしたのか、それは知らない。
(けどなあ・・・)
ルパンは大事な弟分のために、次元に何がしかの言葉を掛けてやろうかと思いかけ、思いとどまった。
次元に対して、具体的な言葉にせずに情緒の襞を察してもらおうというのがそもそもあまいのだ。自分だってどれほど苦労したことか。
そもそも一言一句違えようも無い言葉で気持ちを伝えたところで、あくまでも言葉を直訳そのままに解し、そして時として思いもかけぬとんでもない解釈をする男だ。自分がこうした関係に持ち込むのだって言葉と態度でどれだけ明確に、そして慎重に事を運ばなければならなかったことか────そんな話はまあいい。
(五ェ門よ)
ルパンは胸の内で独りごちる。
(言っておくが悪いのは俺じゃない。こいつの致命的なまでの鈍さの方だ)
そしてふと思いついてにっかりと笑った。その笑顔を目にした次元が、びくんと身を竦める。
かまわずルパンは、腕の中の次元に笑いかけた。
「そんで、俺にはくれないの?」
一瞬声を詰まらせた次元は、すぐに真っ赤になってうつむいた。
「・・・女にでも頼めよ、たくさんいるんだろ」
「そりゃ俺様もてもてだけっどもよ。やっぱりここは次元ちゃんから貰うってのに価値があるんだって」
「馬鹿か、お前」
言下に吐き捨てる。だがその頬はまだ赤い。まあ、いつまで経ってもうぶなことだ。ルパンは恋人にひとつウインクを投げた。
「じゃ、チョコクリームでも用意してよ」
「はあ?」
「んで、当日次元ちゃんが首にリボンを巻いてさ。自分自身が俺へのバレンタインの贈り物ってことで」
「・・・クリームはどこ行ったんだよ」
「だからあ、ローション・プレイならぬチョコクリーム・プレイ・・・うぐっ」
「馬鹿か、お前は!」
いきなりネクタイを締め上げられる。次元は額まで赤くして睨めつけてきた。
「いいじゃん、年に一度のお祭りごとなんだしさあ」
「だいたい、そんな真似したらシーツが汚れるじゃねえか」
お、引っかかるのはそこなのか。ルパンは調子に乗って言葉を畳み掛けた。
「洗えばいいだろ」
「落ちにくいんだよ」
「何枚だって買ってやるさ」
次元は深く深くため息を吐いた。
「・・・本気かよ」
「俺はいつだって本気だ」
「何でそこで胸を張るのかさっぱりわからねえ」
「次元」
声音を改めて囁いた。静かな声に、次元も振り返る。腕の中の身体を、ルパンはきつく抱きしめた。





何の約束をしたわけでもない。
やさしくしてやったためしもない。
でも必ず隣にいると、何故か当たり前のようにそう思う。
恋とは違うのかもしれない。
だが決して失えないもの────





「ま、いいじゃねえか。たまには阿呆な────恋人同士みたいな真似事をしてみるのもよ」
いつもの硝煙の匂いではなく、あまい菓子の香りをまとう恋人の頬に口づける。
次元はくすぐったげに首をすくめながら、ひとこと「馬鹿」とつぶやいて、ルパンの背中にきつく腕を回した。










その夜、五ェ門は次元の役に立つんだかどうだかさっぱりな女性の口説き方についての心得を延々聞かされたとか、得々と語る次元に口を挟むことも出来ず黙って拝聴している五ェ門、その二人の傍らで茶々を入れていたルパンの些細な言葉がきっかけで、ルパンと次元の間で異様に白熱したワイン談義が巻き起こりそれが夜半まで続いてしまったとか。
そして明けて十四日、朝も早よからキッチンで、エプロン姿の次元が何故か真っ赤な顔をしてチョコレートクリームを作っていたとか。










そんな諸々は、また別の話。










end










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