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chapter 1







































































































────俺の人生は、奇蹟のようなものだと思う。










奇蹟









chapter1. 地下室










花の都、フィレンツェ。
古都の下町の古びた一軒家、その地下室、真っ暗な中にルパン三世とその相棒の次元大介がいた。ソファに腰を下ろし壁一面のスクリーンを見つめる相棒に、傍らに立った怪盗が 次の仕事について説明をしている────それはいつもの光景だった。
「こいつが次に狙うお宝だ」
スクリーンに映し出されたその絵を見て、次元はくすりと笑った。
「なるほど、“ルパン三世のお気に入り”か」
「まったく面倒なことになっちまったぜ」
ルパンは渋面をつくった。プロジェクターの光が相貌に陰影を作る。
次元は居住まいを正すと、スクリーンに向き直った。





ロレンツォ・ペリッリ。
このバロック期の画家は、現在のルパンのお気に入りだ。
ごく最近まで名の埋もれていたこの画家を有名にしたのは、皮肉なことにこのルパン三世だった。ルパンが好んで盗んでいたことで、美術界も愛好家も興味を持ち出し、結果、学術会でも美術品市場でも再評価が進んだのだ。先だってもパリで展覧会が行なわれ、世はちょっとしたペリッリ・ブームだ。
先日のパリでの展覧会、その際にさまざまな雑誌でペリッリの特集が組まれたが、その記事の大半のキャッチコピーが「ルパン三世のお気に入り」だった。
中にはルパンのペリッリ・コレクションを綿密に調べ上げたものもあって、その正確さにはルパンも舌を巻き、次元は作品管理のためのコレクション・カタログとしてちょうどいいと笑って、その記事を丁寧に切り抜いた。ルパンの身辺の雑事は次元が手配することが多かったからだ。
次元があまりに暢気だと、ルパンはしばらく子供のように怒っていた。





「世間も現金なもんだぜ」
ルパンは珍しく苦笑した。
「ちーっと前までは崩れかけの廃墟みてえな教会にちょっと足を運んで、ひょいっと掻っ攫ってこれたものを、今じゃ厳重な警戒網を潜り抜けて盗み出さなくちゃならねえ。絵はこれっぽっちも変わってねえってのによ」
「むしろ望むところなんじゃねえのか、天下のルパン三世様からしてみりゃよ」
解けないはずの謎を解き、盗めないはずのものを盗む。それがルパン三世なのだから。
次元の揶揄めいた本音に、プロジェクターの光を遮る大泥棒の影がそれもそうだと肩をすくめた。
「それに世間の動向で俺様が俺様のしたいことを諦めるって道理はねえわな。ということで、今回はこいつをいただきに上がるってことだ」
次元はプロジェクターに映し出される宗教画をじっと見つめた。





ルパンがこの画家を愛する理由がよくわかる。
ルパンは不遜なものが好きだ、物でも、人でも。
それはもう、年端も行かないガキの頃からそうだった。





ある夜、一人の美しい天使が男の夢に訪れる。彼の身に降りかかったことは、神の導きであることを告げるために。





有名な宗教的場面を描いたこの絵だったが、問題はその描きぶりだろう。
神の意を受けた天使はあまりにも傲岸であり、神の意に翻弄される男はあくまでも卑俗だった。
神も信じず悪魔も怖れず、そして人の愚劣さを見据える、残酷なほど怜悧な芸術家。
そうした人を超えた不遜さがこの「宗教画」には満ち満ちている。
それこそがルパンの愛するもの────





「どうした」
黙り込んだ次元を、ルパンが振り返る。次元は軽く首を振ると、ふと思いついたことを口にした。
「何だか不二子に似てるな」
この天使は────だがルパンは次元の言葉を、彼の恋人に対するまるきりの賛辞として受け取ったようだった。
「そりゃあそうだ。不二子ちゃんはまさに天使! マイ・スウィート・エンジェル、なんちゃって〜」
ルパンが大はしゃぎでやに下がる。
たしかに不二子は天使なのかもしれない。次元はルパンに笑いかけた。
「俺がガキのころ通っていた教会にはな、ルパン、入り口の傍に天使の絵が掛けてあった。それはそれは恐ろしい形相で、手にした槍で不埒な性根の人間を成敗すべく襲い掛かってくる大天使ミカエルの絵だ。俺は天使に目をつけられるようなヘマだけはしねえと、幼心に誓ったもんさ」
次元はルパンに片目を閉じて見せた。
「ああ、たしかに不二子は天使そのものだ」
「てめーってヤツはよォ」
暗闇の中、拳骨で小突かれた。ボルサリーノで覆われた頭を次元は大袈裟な仕草で抱えた。
「痛ぇなあ」
「いいから続けるぞ。これが所蔵されている美術館から銀行の地下金庫へと輸送されるルート図だ」
「銀行へ」
「そ、俺様が今度この絵を狙ってるって専らの噂だからな、次の展覧会までここで大事にしまっておこうって腹らしいぜ」
イタリア屈指の由緒ある銀行だ。歴史に名を残す財閥が創始者ということもあって、ブランドが売りでもある。それだけにこのラテン気質の国には珍しく、ガードの堅さも折り紙つきだった。
次元はふむとひとつ頷くと言葉を続けた。
「輸送車を狙うのか」
「地下金庫に仕舞い込まれちまうと厄介だからな、その前にさっさと戴こうってこと。それに」
「それに?」
「ん、ああ。この計画だったらクリスマス前に片がつくしな」
次元は首を傾げた。
「お前がクリスマスを気にかけるとはな。そこまで信心深かったか?」
「あー、今年はな」
表情でピンときた。
「不二子か」
「まあな。クリスマスから新年に掛けて二人でマイアミで過ごそうって計画があんだよ」
ビンゴだ。伊達に付き合いが長いわけではない。
「けっ、やめとけやめとけ。どうせまた良い様にあしらわれるのがオチだぜ。ケツの毛まで毟られたって知らねえぞ」
「何言ってんだ、不二子は天使のように清らかな女だぜ」
「それ、本気で言ってんのか?」
「まさか」
ルパンは真顔であっさり返す。次元は吹き出した。
「お前、仮にも恋人だろうがよ」
「仮たァ失礼だな。峰不二子ちゃんの恋人は世界で俺ただ一人よ」
「ま、あの女狐の相手が務まる男ってのも早々いないだろうぜ」
胸を張るルパンに、そこは次元も納得する。
女の豪胆さと男の緻密さ。
その両方を併せ持つ女に対峙する、そんな度胸も器量もある男というのはなかなかいないだろう。
そもそも、誰が何を言ったところでルパンが自分のやりたいことを諦めるはずがないのだから、次元とてそんな時間の無駄をするつもりなぞあるはずもない。
だから次元はせいぜい厭味たらしく口をひん曲げた。
「まったく名にし負う栄光のルパン帝国の後継者がたかが女ひとりに鼻面引き回されているなんて大したざまだぜ」
やれやれと次元は芝居掛かった身振りで肩をすくめた。
「一世はお前があんな女に入れあげてると知ったら・・・」
「喜ぶんじゃね?」
通りいっぺんの次元の言葉に、ルパンは楽しげに笑うばかりだ。そう言われてしまえば、じっさい次元も頷かざるを得ない。
確かに次元の会ったのは晩年の一世でしかないが、それでも粋で洒落のわかる────そんでもってとんでもない女好きだった。
「喜びそうだなあ・・・うーん、でも孫のお前のことはずいぶん大切にしていたし、ちょっとは心配を・・・」
「すると思うか?」
「いや、思わねえ」
「だろ」
ついに次元も笑い出す。そしてようやくルパンを心配しそうな男の面影を思い出した。
「むしろジュール爺さんだろうな、お前を心配するのは」
「ああ、ジュール。あの爺さんはな」
ルパンも苦笑いする。
ルパン家の家令、鶏がらのように痩せた長身の硬骨漢。
アルセーヌ・ルパン一世に誰よりも近く、誰よりも長く仕えたルパン家の生き字引。
ルパンはもとより幼馴染の次元も、あの「爺さん」には一向に頭が上がらなかった。
「ジュール爺さんに不二子を引き合わせてみろ、壮絶なハルマゲドンが繰り広げられることだろうぜ」
「結婚なんぞしようものなら、あの恐ろしい目つきで『若様、あのようなことをどうして思いつかれましたか、私にはとんと見当がつきかねます』────なんてな」
ふたり顔を見合わせ吹き出した。懐かしい思い出。





幼馴染みのふたりは、幼少期をまるで兄弟のように過ごした。そしてその兄弟のしでかす、今にして思えば子供離れしたタチの悪い悪戯を、冷静な様子でことごとく返り討ちにしたジュール爺さん。
ジュールは一世の右腕とも呼ばれ、天才と名高い二世の教育、そして二世が築き上げた組織、ルパン帝国の確立にも深く関わっていたと知ったのは、ずいぶん後になってのこと。





「あの爺さんこそ、くたばりっこないと思ってたんだがなあ」
次元はほろ苦く笑った。
一世が亡くなり、葬儀を済ませ、一通りの片付けのついたあと。
後を追うように、ジュールは死んだ。澄み切った、秋の日の朝。
そんなところまで忠義者だったと、ルパンはずいぶんあとになって次元に語った。
その頃の次元はルパン家とは音信不通の状態だった。
それは次元がまだ十代も半ば、南米の辺りを放浪していた頃のことだった。
ルパン家とは何の連絡も取らず、ただひたすら銃の腕を磨いた。
まるで何かに憑かれたかのように。





「なあ、次元」
ルパンが呼んだ。静かな声だった。
「なんだ」
かすかな違和感を飲み下し、次元は返す。
「覚えているか・・・?」
「何をだ」
暗いままの地下室で、ルパンの双眸が光る。一の相棒の次元にすら、感情を気取らせないほどの無機質な光。
まるで輝石のようなその色に、次元は知らず見入っていた。
不意にルパンが首を横に振った。
「────覚えてないなら別にいい」
ルパンの声は、もう平素に戻っていた。奇妙な焦りに、つい声が鋭くなる。
「どういう意味だ」
「言葉通りの意味さ」
ルパンの影が肩をすくめた。
「お前、自分の都合の悪いことや、自分の手に余ることはすーぐ忘れっちまうからなあ」
「なんだそりゃ」
ルパンは記憶力の王様のようなものだ。だが、そんな言い方をされるとさすがに腹が立つ。
だから次元は無理矢理声を上げて笑った。
「記憶力には自信があるぜ。ルパン、一昨日貸した500ユーロをとっとと返しやがれ」
「いけね。とんだ藪蛇だ」
ルパンも笑った。その中にある諦めたような響きは不可解で、次元は敢えて気付かない振りをした。










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