SATIE日誌

■序章
『面接へ行きましょう』

“JOURNAL de SATIE”
SATIE
BRANCHE


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1999年01月25日(月) 本日は


なんて書き出してみて、ひどく文才のない書き出しだな、などと考えてみたりして。
私、SATIE・BLANCHEは本日、このデトロイト出張所なる旅行会社(※1)に就職面接に来て、
そのまま所長から、
「採用だから日誌を書け」
と命令されスーツ姿で(しかもロビーのお茶のみテーブルでに腰を曲げて!)これを書いているわけです。
何とも言えないですわね、これって。

はてさて、どうしてこんなことをするハメになったのかと言えば、
それはもちろん私が留学先のこの日本で就職しようかなどと大それたことを考えたからであり、
また、今の時期(フキョーって言うんでしたっけ?)に就職というと、
もはや新興企業しか行く手が無かったわけなのです。
それでまあ、できたての会社ならば嫌な先輩−そうとは限らないですが−もおらず(※2)
一から全て始められるのではないかと思ったのですが。
何と言うべきか!?
新入希望者が今のところ私だけ!!
道理で書類を提出して三日で返事が来るわけです。
まず私を出迎えたのは副所長のグスタフ(名前からするに独逸方面の方かと思いますが、
どうでしょう?)という方で、言葉少なに色々と教えていただきました。
無口な方ですけれども悪い方ではないようです。事務職員は制服着用とのことでしたが、
私の服のサイズを聞くときなど口ごもってられましたし、
本当、かつては私の故郷を占領した国の方かしら?
さて、気になったのは所長さんのことです。
副所長の話ではいつもデトロイト式の電詞変換を行ってご自分を高機能化(※3)
しているとのことでしたが……、
まさか所長室の机の上にある服着たカブみたいな物体がご本人とは、
つくづく高機能化の際の姿形変化には恐れ入ります。
ここに勤めることになったら私も高機能化する機会が増えるでしょうから、
くれぐれも姿形変化にはこだわらないと。
専門の方に作っていただこうかしら?

でも、
そこで面接をして、今、こういう風に日誌を書いているというのはひどく現実感がないように思えます。
面接の内容は基本的に確認のようなもので閉鎖都市が故郷である私の事務性能を信頼しているとのこと。
つまり、資料を提出した時点で私のここへの就職は決まっていたわけです。
まだ余裕もあるし数社を回るべきかしら?
そんな思いもありましたが、やめにします。
一番に選んで一番に資料を送り、一番に私を信頼してくれた場所ですから。
ええ、性能以上のものをお見せしましょうとも。
これでも母は英国人でお茶の入れ方には自信があるんですもの。
でも、こんなに楽な面接ならわざわざスーツを実家から送ってもらうことも無かったかしら?
制服を着る作業って、自分のファッションにこだわれるのは通勤と帰宅しかないんですもの。
学生の時、パン屋でバイトしてつくづくそう思いました。
でもパン屋と違って帽子はかぶらないから、髪型の点では気楽ですね。

で、何ですか? グスタフさん? 今、すれ違いざまに、
「明後日から来てね」
などと可愛い口調で言いませんでしたか!?
まだ大学はテスト期間中なんです!
とりあえずペンの動きを阻害する流れが出たのでこれまでにします。
でもこれ、閉鎖都市の書面理論とは違って、表紙を伏せたら誰にも見えないんですよね。
……それもあって好き勝手書いたけど、誰か見るのでしょうか?
はてさて。


※1 ……正確には各地方情報案内所と旅行手続き代行業である。
※2 ……何かかなり都合のいい考え方な気もする。
※3 ……「アイコン化」と言う。



1999年01月27日(水) 制服が

キツイです。ええ。
日本でのサイズ基準は欧州式と違う(※1)から、一つ間違えたようですね。
私が。(笑)
シャツの方は余裕がありますが、ベストの方は胸がキツく(※2)て、
しかし開襟なんてみっともない(※3)ので、グスタフ氏のスペアをお借りしました。
(彼は相変わらず無言で応対してくれますが、やはり、悪い人ではないようです)
今日はそれを着てまず社内と社外の清掃です。グスタフ氏が二階と屋上そして窓。
私は一階の受付を中心に水回りの点検や社外の水撒き−日本は冬にとても乾燥(※4)
しますから−を行い、掃除、と。すると来ました来ました水道屋さんに電気屋さんにガス屋さん(※5)
他にも本社から色々な機材が届きました。
なるほど、今日から来てくれと言われるわけです。
色々と手配して機材は運んできてくれた専門家に任せて、一段落したところでお茶。
と思ったらカップはもちろんお茶の葉も無い。
しまった!
というわけで外に出て駅前の商店街(会社は駅前商店街の並びにあるのです)を走り回りました。
地元の人たちばかりの中、
だぶだぶのベストを来て買い物に奔走する異人娘の姿はさぞかし目立ったことでしょうに!!
でも、やや遅れはしたもののお茶は間に合い、
(ガスと水道が通っていればお茶は作れるので、こういう場合は楽ですね。
コーヒーは豆をひかねばなりませんから)
皆で紙コップをもって一服。その間にグスタフ氏から色々と聞きました。
とりわけ興味深かったのは副所長である彼でさえ、
高機能化を切った所長の本来の姿を見たことがない、と、そういうことです。
何となく、不思議ですね、それって。

さて、皆さんはまだまだ作業を続けるようですが、私はグスタフ氏の言によって強制退去です。何やら、
「まだバイト扱いなのだから規定以上働く必要は無い」
のだそうで。
本日最後の仕事はこの日誌を午後五時まで書くこと、でしょうか?
あ、お茶の片づけがありましたね。
ならばことのついでに皆さんの夕食ぐらいは作り置きしておきましょうか。
まだ五時まで二十分(※6)はありますし、商店街はすぐそこですし、
ついでにこの格好と自分が異人だということに対するコンプレックスもさっきの騒動でかき消えた、と。
では、そのようにしましょうか。


※1 ……これが少しというのではなく、基準値が全く違うので、勘違いするとインチ単位で間違える。
※2 ……女性用のベストはダーツなどで身体の形に合わせてあるので、サイズ違いはかなり厳しい。
      なお、デトロイト出張所ではほぼオーダーメイドに近い作りのようである。
※3 ……女性にとっては”みっともない”が男性にとっては”うわ艶っぽい”なので注意。
※4 ……欧州などは冬においても乾燥する場所が少なく、湿度は一定もしくは夏に乾燥する。
※5 ……ガス屋さんと言っているが、間違いなく都市ガスの業者。
※6 ……このわずかな時間で料理をするのだから、
腕が良いと言うよりもそういうレパートリーが豊富なのだろう。




1999年01月29日(金) 新入社員


の方と、朝、すれ違いました。ドアのところで。
ですから所長さんがてくてく歩いてきて言ったことは、大体、解るつもりです。
一見しただけですが、変わった方のように思えました。
独逸製自動人形。Airam式(※1)で精霊燃料を動力(※2)に動き、
人間へ進化していくタイプですね。
Aileppoc式(※3)、クラウゼル型に着想を得たというもので古い歴史のある自動人形ですが、
まだあまり進化していないようでした。
グスタフ氏の話によると、彼女が二階にある独逸方面案内所の受付を担当するとのことです。
年齢など、教えてもらえませんでした−私も聞かなかったのです−が、きっと私より年上でしょうね。
何はともあれ女性が一人増えたのは心強いです。


さて、会社の中に視線を移すと、二日前とは様変わりしていました。
特に驚いたのは入り口受付のカウンターに私専用の端末と椅子があることです!
しかも、私が手配しておいたコピー機や高機能化変換器の位置が大きくズレてなおかつ、
「私が手配したよりも、私にとって使いやすい位置に置かれていた」
これはちょっとショックですね。
自分の仕事内容について自分があまり理解していなかったのか、
向こうは専門家だから素人の小娘が言うことよりも多くのことを知っていたのか、もしくその両方か。
何分手間をかけてしまったことは申し訳なく思うのですが、
謝ろうにも、おそらく再会は二度と無い気がします。
やはり先日は無理を言っても残るべきでしたか。
でも、作り置きしていた夕食は皆さんきれいに片づけていましたし、食器はやはり洗いもせずに流しの中。
こんなこともあろうかと通勤途中、商店街の雑貨屋で洗剤とかを買って来たのでした。
これで貸し借り無しかしら?(※4)
そして洗い物をしつつ感じたのは、ああ、ここで仕事をするのだな、
という思いと早く替えの制服が届かないものかという気分的な焦りだったりして。
(未だに私はグスタフ氏のスペアを着ていて、私は内心、彼を”お父さん”呼ばわりしています)
何やら話によるとシャツは色が白なら何でも良いといいますから、
実家に頼んで高校生時代のものを送ってもらおうかしら?
でも母に頼むと母型の実家である倫敦から
−私に先ほどの自動人形に関する知識があるのは、
無論私が幾度か母に連れられて母のその都市訪れたからにほかなりません−
高級品を送ってきそうで怖いですわね。

でも、仕事場の環境はかなり整いました。
午後に一度買い物に出て、商店街から少し離れた量販店で色々と揃えましたから。
あと、そう、昨日のレポート提出で学生時代最後−おそらくはですけど−のテストはどうにか終了です。
これからはここでの日常がメインになるでしょう。
よく考えたら旅行会社って土日出勤なんですよね。
早い内にこちらの近くに引っ越しをしないとなりません。さて、どうしたものか、と。
まあ、悩んでも始まりませんし、バイト社員はそろそろ帰る時間です。
明日はもう一人面接があると耳に挟みましたけど、また私の出社前かしら?
お茶くらいは出したいものです。


※1 ……アイラム式。聖母をモチーフに作られたもので、欧州最古のタイプ。
       一世を風靡したが現在は旧式。
※2 ……心臓などの諸器官が人間のものに進化すると、この燃料も臓器の一種に進化して消える。
※3 ……アレイポーク式。
       完全進化を行うことを前提に作られたもので、今なおオーバースペックとされる。
※4 ……義理堅いと言うよりも怖い性格かもしれない。

 




1999年01月30日(土) 遅刻

をしました。
ええ、土日だということを忘れていつも通りに家を出てしまい、列車の時刻を間違えた(※1)ためです。
寝坊ではないだけに何とも悔しいものですね。
早めに引っ越しの段取りをつけてしまわないと。
今日は一日中、自分の端末に必要なソフトをインストールしたり、事務用品の買い付けを行っていました。
ネットとマシンをつないだり、LANの設定で四苦八苦しておりましたところ、
昼頃に作業服姿の男性が数名やってこられ、それらの設備を代行。
聞くところによると−彼らに直接聞いたのですが−彼らは本日付けで社内の設備バックアップ班として
配属された方達で、人数は三名、二十四時間態勢で奥のマシンルームに籠もるそうです。
ひどく大変なことだと思います。ですけれども、
デトロイトと直結する大型サーバや各都市の情報をリアルタイムで引き抜くための端末など、
私やグスタフ氏だけでは手に負えないものがここには多く、
彼らの助けがあって始めて仕事が成り立つのです。感謝しなければ。
私がそのことを彼らに伝えると、彼らは三人とも皆、照れくさそうに笑って、
「仕事っすよ仕事! ウケケ!」
と何となくダークに(※2)言うのです。
よく見ると彼らは一様に背が低く、色白。
ひょっとしたら英国か欧州の山からやってきたブラウニーなのかもしれません。
だとしたら、お食事やお茶は差し上げないといけませんが、
作業着など洗濯すると怒られる(※3)のかもしれませんね。
一応、用心のために名前は聞かないでおきました。
妖精達のほとんどは名前を知られると現世にいられなくなるからです。
(これって一般常識(※4)ですよね?)


また、今日は変わった方が来られました。
昼頃に会社の前を掃除しようと表に出ると、自動ドアのすぐ前に一匹の雌猫がいたのです。
うちの−まだ来て四度目の会社なのに”うちの”というのは慣れ慣れしかもしれませんね−
愛車の自動ドアは感圧式−これだと霊体の客が入って来れないからいずれ交換すると
グスタフ氏がもうしております。どうでもいいけど注釈が多すぎる(※5)かしら?−であり、
猫が乗った程度では開くことがないのですが、何とまあ、その猫は私を待っていたかのように、
ドアが開くなり社内に飛び込んでいこうとするではないですか。
 これでも私、実家に猫を飼っておりますから足下をくぐろうとする彼女を背中から抱き上げました。
するとひどく暴れるので−グスタフ氏に未だ借りてるベストに引っ掻き傷をつけられても困りますので−
喉を撫でておとなしくさせたんです。
猫はしばらく喉を鳴らしてましたが何やら疲れていたらしく、すぐに寝てしまいました。
私は彼女を入り口際の日当たりの良い位置に置き、掃除を続行。
数分掃除に熱中して、ふと猫にはあとでミルクをやろうかなどと思いついたときです。
後ろを見ますと、何故かそこには猫ではなくて全裸の少女が。
一瞬、生まれて初めて頭の中が真っ白になりました。
反射的な動きで自分のベストを脱いで彼女に掛けて隠蔽工作の後、周囲を確認、目撃者は無し、
そのまま勢いで彼女を抱えて社内へ。
これで完全犯罪成立です。私、ひょっとしたら遺伝詞的に悪の才能があるのかもしれませんわ。
グスタフ氏が彼女を見て妙にあわてて何事かと問われたとき、私は全ての答えを叫んでいました。
「服を持ってきなさいっ!!」
グスタフ氏が俊速で奥のロッカーに飛んでいく姿は、
もうおそらく今世紀中に拝むことはできないでしょう。
彼のそういう献身的犠牲もあって、彼女は眠そうな顔で目を開けて、いそいそと服を着替え。
私のいれたお茶を飲む頃にはハキハキとした普段(おそらく)の態度を見せてくれました。
 名前はEstima・Glace、字名はティーマだそうで、
肝心の種族はウェア・キャットとのことでした。
で、彼女が実は本日の面接者で、二階の英国方面案内所を担当するのだ、と。
なるほど。道理で綺麗な猫目をしているわけです。
今日はここに来る途中で犬に追いかけられて獣詞変(※6)してしまい、
荷物や着替えなど置いて逃げてきたとのことです。予定された面接時間はとうに過ぎているらしく、
また、今日は所長が急用で不在なことから面接は明日の午前となりました。
今日は私の小さい制服を来て帰り、途中で落として逃げた荷物を拾って帰るとのことですが、
はて、見つかるといいのですけど……。
何はともあれ、これで会社には常駐社員が所長や私も含めて七人ということです。
段々と動き出す準備が整いつつあるのでしょう。

今、カウンターの上ではグスタフ氏が”二月三日開店!!”という文字を白い紙に書いています。
彼が言うにはその日からこの会社−というよりも旅行会社という”店”なのですけど−が開かれるそうで、
明日から色々と技術的なことを教えてくださるとのことです。
しかしグスタフ氏は気づいてませんが、どうもその文字をマジックで書いているのに、
下紙を敷いていないような……。本日最後の仕事はカウンターの拭き掃除で終わりそうです。
シンナー塗料を落とすために私のマニキュア落としが使えたかしら?


※1 ……このことから察するに、土日に電車を使う遊び人ではないようである。
※2 ……ある意味明るいのかもしれない。
※3 ……欧州の妖精達は一貫して食事を喜ぶが、
       洗濯や新しい服を与えられると仕事をしなくなり、いなくなる。
※4 ……欧州の学校ではこういうことを教えてくれるのだろうか。
※5 ……それを言ったらこのツッコミの方が多い。
※6 ……オルタード。獣人が獣化することの他、遺伝詞崩壊で変形することも指す。
 




1999年01月31日(日) 今日は


遅刻しませんでしたとも、ええ。とまあ、こう書いてしまうとまるで遅刻日誌みたいですわね。
細かいこと(※1)にこだわるのはやめましょう。
午前中、端末を立ち上げてインストールされたソフトがどういうものかを確かめようとしたところ、
昨日の子猫さんがやってきました。
今日は所長も−相変わらずカブですが−いらっしゃるので面接です。
お茶を運びに行ったところ、随分と小気味よい話し方で所長と話してらっしゃるのが印象的でした。
まだ十六歳−ウェアキャットの精神年齢は人よりも遙かに高いらしいですから
実年齢はさほど意味を為しません−とのことでしたが、あの年頃の自分は、彼女ほど積極的だったかしら?
 私は遅生まれだから五年前は彼女と同じなハズなんですが。
(こういうことを考えているのはフケてる証拠かも(※2)
彼女は午後から二階の英国案内所に入り、中の片づけなどを行っており、今も作業中です。
英国案内所の制服−案内所の制服は、向こう側の旅行会社のものに準じる(※3)のです−
が似合うこと似合うこと。元気のいいこともあり、ティーマという字名の彼女は既に私のお気に入りです。

さて、こうやって私の好みの領域にいる人ばかりが集まらないのは世の定めといえましょう。
やはり来ました、私の苦手なタイプの人が。
本日より二階の香港案内所に入っていただくことになった匪天の方です。
香港支社からの出向らしく、面接もなく、所長とわずかな言をかわしただけで二階に籠もってしまいました。
黒い長髪と、金と黒に色分けされた三枚翼(※4)を持つ女性。
紫色の匪天用スーツを着込んでいましたが、あれが向こうの制服とは思えませんし……、
ええ、ハッキリ言わせてもらうと、タバコ臭かった(※5)です。
私とは一言も口をききませんでしたし、お茶の時間になったので呼びに行ったら、
香港案内所のソファで寝てるんです!!
大丈夫かしら、あの方は。どうもソリが合わないですわね。
今度所長に彼女のことをハッキリと聞いておきましょう。
と、陰口じみたことを言ったら疲れました。
よく考えたら向こうの方が先輩なんですよね。出向(※6)してきた社員なわけですし、
それにこの会社は私の居場所かもしれませんが、私だけの縄張りでもありませんし。
ソリが合わなくとも頑張って共同生活を続けねば。

さて、今日もバイト事務員は五時上がりです。二階のティーマ嬢も誘って一緒に帰ろうかしら?
でも今日は帰りに駅前の不動産屋に寄って物件を見なければいけないし……。
ああそうでした。グスタフ氏に私の新しい制服が届いたかどうかを確認しないと!!
そんなわけで今日はここまでです。明日は疲れるようなことがなければいいのですが。


※1 ……細かくない気がする。
※2 ……こういうことを言うようになったら危険である。
※3 ……よって案内所ごとに制服が違うため、三面図が起こしにくい。どーしたものか。
※4 ……奇数枚数は匪天と思われがちだが、
       正式天使であるパワーも11枚という正式記述があるため一概には言えない。
※5 ……女性の煙草については何とも言えないが、男女構わず、
       調理と食事の際はやめて欲しいものである。
※6 ……香港は1996の香港洞復興以降、外貨を稼ぐのに熱心なようだ。




1999年02月01日(月) さてさて


ひどく大騒ぎです。
何が騒ぎかと言えば高機能化変換器の調整に手間取っていて昼食もとっているヒマがない、
そんな状態ですわ。理由は簡単で、今年からPCのOSが一気に新しくなったというのに、
変換器を動作制御するために使うドライバが旧OS仕様(※1)だったためです。
変換失敗はかなりまずい事態(※2)を引き起こしますし、何しろ開業をあと二日後に控えているわけで、
とにかく対処せよというのがやはり高機能化後の所長でした
(所長自身はどこで御自分を変換なさっているのでしょう?)
そんなわけでまずは高機能化変換器を作成した会社に新ドライバのMD(※3)
郵送していただくよう頼んだのですが、発送に時間がかかる上に今は日本語マニュアルが無いとのこと
−当社社員はかなり国籍豊かですが、実は統一言語として使えるのは英語ではなく日本語なのです。
これは所長が英語を話せないためでいやはや、何と言うことでしょう−
で結局ドライバソフトはデトロイト経由でDL。
マニュアルに関してもデータをDLして会社のプリンターでプリントアウトです。
今はマニュアルの370ページ前後を出力中で、と、いけません、新しい社員の方の面接?
まだ内容チェックも終わってな、

   13:00面接・14:30再起動・15:00お茶(できれば)
   どこかで一度DLのお礼状。←忘れずに。

「本日二信」
そろそろ定時なので帰ります。
今日は本当に大騒ぎでした。まさか一息つくための御茶の最中に私の新しい制服が届こうとは!!
さすがに今日は着れませんが、明日からは本当に本当の自分の服です!!
ちゃんとベストの襟の裏には自分の名前が、と思ったら、
「ああ、幸江って入ってるから」
とは所長の弁! 一体いつから私は日本人になったんですの!?
何やらアルファベットを手書きではなくてプリントアウトして送ったら、
仕立屋さんが気を利かせたようです。そういう好意の空回り(※4)なら怒っても仕方がないですわね。
でも、嫌な顔はしません、さっきも香港案内所の−相変わらず名前を知りません−彼女に、
「胸を今よりデカくすりゃあ(※5)、またベスト替えれるから、
その時に名前をちゃんとしてもらったら?」
などと……! どうにもやはりソリが合わない気がします。
どうなんでしょうね?
さて、今日はクリーニング屋に寄って、借りっぱなしのグスタフ氏のベストを出して帰らないと。

追伸
今日の面接は日本人の子でした。
名前は富田林・讃華と言う子で左腕につけた義腕がチャームポイントでしょうか。私を見ての第一声が、
「私の先輩になる方やね!?」
と、ひどく明るい声だったもので、何故か思わず照れました。
なお、高機能化変換器は今夜中に三人組の彼らが、
「どうにかするさあハハハー」
だそうです。奥のマシンルームの前にケーキでも置いておこうかしら。


※1 ……よくあることである。
※2 ……ヘタをすると字我崩壊。飛行機と同じで、万が一の事故は発生する。
※3 ……MDロムが主流だが、いずれDVDやMP3式になるのかもしれない。
※4 ……意外と誰かが裏で手を回している可能性は高い。
※5 ……あまり高望みは宜しくないと思う。




1999年02月02日(火) 引き続き大騒ぎ


というわけで新しい制服を着込んで早朝から高機能化変換器の調整です。
この機械のウリは高機能化状態を現実世界でも行えると言うことで
−実は所長が日常において高機能化状態を保っているのはかなり特殊な事例であって、
相当に高価な機材を所有しているに違いありません−
普段ならデトロイトの電詞世界上でのみ可能なインストール作業を
依代言語の代行体を用いて現実世界でも行える、ということです。
これが可能になると現実世界でも一度に数十の処理が行える上に、
電詞アクセスが機械を介さずに可能になるため、私たちのような事務関係の者や、
各地にアクセスすることが必要な案内役は大いに助かります。
だけどこれを扱うのは、どうも私だけになりそうな気配。
操作を間違えると大事になるだけに、免許制度が必要とか騒がれていなかったかしら、去年あたりに。
でもまあ、預かったからにはきっちりと使いこなして見せましょう。
コピー用紙のマニュアルも昨夜の内に自宅で読破しましたし、根性も寝グセもバッチリです。
明日までに一度、自分で実験してみるべきかしら?

さて、今日は昼から各案内所の人たちが全員集まり、
所長から色々な−営業マニュアル的(※1)な−ことの説明を受けていました。
香港案内所の彼女は相変わらず所長の説明などどこ吹く風という雰囲気でしたが、
既に業務経験者ゆえに仕方のないことなのかもしれません。
独逸案内所の自動人形さんは、今日、久しぶりの出社です。
相変わらずの無表情ですが、独逸案内所の制服を着た姿はひどくぞくりとする美しさ(※2)
を持っています。また、今日、初めて彼女の名前を聞きました。
ヴァイベルクと名乗っていましたが、独逸語では何と書く(※3)のでしょう。
多分、私の故郷で使うアルファベットの並びとは違うでしょうね。
大阪案内所の富田林さんには所長からキーボード型の義腕が贈られました。
かなり大きめですが、アクセントとして可愛いと思います。
また、ティーマ嬢はどことなく警察調の英国案内所の制服を着てます。
獣詞変することを考えてストッキングをはかないのだとか。異族(※4)も大変ですわね。
何はともあれ当分はこの四人が主力。私はグスタフ氏とともに一階で受付の処理や経理、
または彼女達の補佐です。頑張らないと。

余談。
言ってもないのに実家からシャツが届きました。
それもサイズが一回り大きいものが。
困ったものですね。ダーツでも入れてサイズを合わせて使おうかしら?
でなければ全部寝間着用になります。まさか、食べれませんし。


※1 ……できればマニュアルではなく本心的に応対していただきたいものである。
※2 ……精緻な人形を美しいと思うのは西洋的な感覚であって、
       東洋的では無いのは美術の教科書で言われるとおり。
※3 ……Wybergと書く。
※4 ……グラソラリアン。架空と思われるような存在のこと。
       広く見ればヴァイベルグも神も異族である。



■二章
『疲れてませんか?』

“JOURNAL de SATIE”
SATIE
BRANCHE




1999年02月03日(水) 本日開店!!


などといさましく言っては見たもののひどく多忙(※1)です!!
本日はもう既に30人近くのー、また後で続きを!!

そういうわけでお昼です。
今日は家でお弁当を作ってきて正解でした。
気づいてみると学生服姿の子(子、とか言って、私は何歳なんでしょう)が多く、
そう、日本ではこの時期にもう春休み(※2)状態になっているのでしたっけ。
今、中に入って来た高校三年生の子達はこれから卒業旅行だと言ってますけれども、
ここは主に海外中心の旅行社だと解ってるのでしょうか。
ひょっとして、こういうことが普通で、私が時代遅れなだけなのかしら?(※3)
そりゃあ私は巴里にいたくせに海外はこの日本留学が初めてー、
ええ、はいはい、どうやら休憩中という札が見えないお客さんがいるようです。
私もお弁当を広げずにこうやってペンを取って
−仕事中に見えるのではないでしょうか−いるのが悪いんですけどね。
お昼はまだ先になりそうです。

さて三時のお茶です。
内線電話で全ての案内所に連絡を取ったところ、何とまあ誰もかれも,
「動けない」
とのこと。上は大騒ぎみたいですわね。下も、です。
とりあえず近くにいるグスタフ氏やマシンルームの三人組にはお茶を出しましょう。
そして戻ってきたらまた仕事でしょうね。今、お客さんの
数は50人を越えました。予想以上です。
しかし、いつになったらお昼を食べれるんでしょう?

現在午後四時。
結論。
昼御飯は家で食べます。

そろそろ終業時間です。
有線を日本の曲、何やらもの哀しい曲に合わせて床掃除。
すると−閉店の−事態を悟った女の子達が、
「またねー、オバサン」
などとにこやかに帰っていきました。ええ、悪気なさそうに。
はい、悪気は無いのだと思いますよ、ええ、天地神妙の神に誓って。
だけど、
「また、っていうのと、オバサン、ってのは何事!?」
神よ彼女たちに悪気のない天罰を!!(※4)
とにかく疲れました。
二階のティーマ嬢が降りてきて、御茶を所望しているので慰めてあげましょう。
彼女もかなり参っているようです。
今日は一緒に帰りたいのですが、
彼女、グスタフ氏のベストをとりにクリーニング屋に寄るのを我慢してくれるかしら?
今日は風が強いですし。


※1 ……開始当初は日に10人でも来れば恩の字とか言ってたことが懐かしい。
※2 ……欧米では学生の年度は九月開始の八月締めであり、夏休み休暇が日本の春休みにあたる。
※3 ……不況というのは嘘ではないだろうか。
※4 ……意外と年齢を気にするようである。二十歳越えるとそうなうのだろうか。(失礼)




1999年02月04日(木) 先日の


お客様は130人前後だったという噂です。
今日も朝からあわただしく、日誌を上手くつけられそうにありません。
どうにかして方法を考えないといけませんね。
ああ、よく考えたら私ってまだバイト学生なのに
−給料は時給ではなくて社員給と同じ支払いになるらしいですが−
何故にこんなあわただしい日常に突入してるんでしょう。
昨夜、友人とのいつもの長電話を途中でやめた理由が、
「御免なさい、明日、朝が早いから」
ですって。
上手く嘘でもついて、
「今、彼からキャッチホン入ったから」(※1)
とでも言えないものなのでしょうか、と、
これは日誌であって愚痴の固まりをこさえる紙面ではありませんね(※2)
はいはい、今、向こうのロビーで恰幅の良いおじさんが灰皿を床に落としました。
昼前だというのに掃除です。

さて、昼頃からまた学生さん達の数が増えてきました。
今も隙をうかがってこれを書いているのですが、すぐに激戦になりそうな気配です。
しかし、今の学生さんは私服で、随分と大人っぽい、とか思っていたらそれもその筈、
私と同じ大学生(※3)もいたのです。
そう、学生というイメージから高校生ばかり目についていたのですが、
今の私もまだ大学生で、普通の大学生ならば、
今は−私のように仕事にかからず−お金のかかる旅行などと一つ洒落込むのでしたっけ。
何となく、自分は損をしているのかもしれないな、などと思います。
私服の彼らから見たら、制服を着てここで仕事をこなす私は同年代に見えず、
制服という記号論から導き出される、
「受付の店員」
でしかありません。私にとって彼らが、
「学生でも大人でもない人達」
に見えたのとは逆に。
とか考えていると気分がめっぽう暗くなって手が遅くなりますね。(※4)
愚痴は述べたし現状は目の前にしかありません。
私が制服を脱いだところでカウンターの仕事は消えもしませんし、
事務のトナーやインクの汚れで私服を汚す気もありませんもの。
シャキっとしましょう。
ああ、制服と言えばグスタフ氏にベストを返さないと。
今日はまだ来ておられませんけど、何かあったのかしら?

グスタフ氏は今日、お休みでした。所長も。
社内掲示板を探ってみるとメールがどこかに引っかかっていたらしく、
本日休みを知らせる約六時間遅れのメールが私に届きました。
開業二日目で休むとは良い度胸ですこと。
でも、メールによると何やら会わねばならない人がいらっしゃる(※5)そうで、急な用件らしいです。
そういうわけで、
実は本日においてこの会社の最高責任者は私、と、かなり危険なことになっているようですわね。
でも御安心を、昨日と同じようにお客様は”丁重に叩き出しました”し、従業員の方達も大体帰りました。
今、社内にいるのは陽気な唄を詠いつつマシンルームに籠もるあの三人組と、私、
そしてロビーのテーブルに御自分の腕を置いて整備なさっているヴァイベルクさんです。
無口な彼女がほの暗いロビーで綺麗な右腕を
−まるで映画に出てくる刀工のように−ながめすがめつしているのは、妙に絵になります。
話によると、気づいたときには−まだ痛覚を完全に得られていないそうなのです−
右の中指と人差し指が動かなくなっていたらしく、
どうもここ二日にわたる書類めくりなどのハードワークがたたったものと思われます。
ご自宅で修理(※6)されたらと問うと、
「利き手が右だから、いつもの重いバッグを持って帰られない」
とおっしゃいました。左手で、と思いましたが、厳格な理律を持った独逸の方のようですし、言いません。
それよりも驚いたのは、自動人形であるのに利き腕を理解されてる細やかさです。
自動人形というと欧州ではそれほどでもありませんが米国では差別用の玩具扱いなどもされており、
ええ、ハッキリ言えば私も彼女ほど常に自分の近くにそういう存在を置くのは初めてです。
でも、偏見は今回でやめましょう。
私がサイズの合わない制服を嫌がったように、彼女の荷物を持つ手は右手なのです。
今日は彼女の修理が終わるまでつきあってから帰ります。
鍵? 施錠はあの三人組が連日泊まり込みなのでいらないそうです。
夜に唄を詠いながらコンビニに向かうのでしょう。
一応、昼に激戦を抜け出して買ってきたケーキ−商店街に可愛い店があるのです−を
マシンルームの前に置いておきましょう。
ロビン・グッドフェローに宜しく、と。

どうやら修理が終わったようです。
ヴァイベルクさんが乗る列車は上りと下りのどちらでしょうか?


※1 ……こういう才覚は男性よりも女性にあるような気がする。
※2 ……ついでに言うとウケを狙う場所でもないのだが。
※3 ……なお、SATIEの通う大学は神奈川県にあるという設定。
※4 ……しかも、あとで読んで恥ずかしくなったり意味が解らなかったりする
※5 ……後々の展開から、エータ女史と遭っていたのだと思われる。
※6 ……このことからヴァイベルクの腕はまだコッペリア効果で
       人と同様のものになっていない機械腕だと解る。




1999年02月05日(金) 所長と


グスタフ氏が朝から社屋の掃除などしていました。
昨日の私の仕事に対する無言の感謝でしょうか。こう言っては何ですけど、
男の方がゴマをするように働く姿は少々みっともないと思うのと同時に
可愛くておかしい(※1)気もします。

さて、本日もまた盛況です。
どうやら一日にいらっしゃるお客様の数は約130人前後ではないかという数字が割り出せました。
その数が多いか否かは他との比較がないので解りませんが、
就業時間の9時から5時までの8時間で割ると、一時間あたり約16人。
無論、その人達の皆がカウンターに席を求めるわけではなく、
広告を持って帰るだけの人もいれば友人づきあいで同道する人もいます。
と、どうやら激務三日目にしてようやく戦場を観察する余裕が私の中に生まれて来たのかもしれませんね。
あとはいかにしてちゃんと昼に御飯を食べるか、です。
また、朝一番でやってきたヴァイベルクさんが私に初めて挨拶をしてくれました。
というよりも、あの方が誰かに挨拶をするのを初めて見ました、私は。
何かあったのでしょうか?(※2)
たまたま昨夜は列車が同じ方向で
(彼女は東京大断層北部に住んでいるらしく、
空の見える丘の上に制作者の御家族と住まわれているのだそうです)
色々な雑談をしたのですが、
笑っているのは私ばかりで彼女には詰まらない思いをさせたと感じてるのですが。
でも、挨拶がいただけたことに甘えず、つきあっていこうと思います。

午後、大阪方面の富田林さんが、
「そろそろこっちが忙しくなるかもしれへんなあ」
などと言ってカウンターの椅子の追加を発注されていきました。
所長に申請しないと。

そろそろ終業時間ですが、ちょっと気に入らないというか、眉をひそめるようなことがありました。
詳細は明日。今日書くとひどいコトを言ってしまいそう(※3)です。
ではまた明日。


※1 ……こういうことを平気で言うから男性は女性にかなわない。
※2 ……考えすぎ。やや神経質なのだろうか。
※3 ……そう言うときに抑えるのは良いことだが、今までに結構言いまくっていたような気もする。




1999年02月06日(土) 今日は


などと冴えない書き出しで始まってしまいました。
今、午前中、就業時間直前です。でも、どうしましょう。
実は私、二階にある香港案内所の彼女−ソウ、という字名らしいです−の
休暇願いを預かった(※1)ままなのです。
ええ、昨日終業間際にあったいざこざがこれで、彼女の言い分にしてみれば、
「連続六日勤務してっから、そろそろ休みが欲しくてね」
とのことです。
言い分は解ります。
ですがそれでも今は開業して四日目という時期で、私だって今日で、えーと、連続九日目です!!
(何だかこういうマークを二つもつなげるとひどく威圧的に見えますわね)
他の皆も働いてますし、グスタフ氏などは私が面接した以前よりここに詰めてる筈です。
私はそういう理由をちゃんと−子供に言い聞かせるように−彼女に話したのですが、
彼女は聞く耳を持たずに帰ってしまいました。
念のため、彼女の良心のことも思って休暇届は私の預かりとしておいたのですが、
このままでは来ませんわね、彼女。
一応、就業時間まで待ちます。
それでも来なかったならば所長にこれを提出して、
二階の案内所にCLOSEDのプラカードを下げましょう。
一体、どういう神経をしているんでしょうか。

午前中、どうも不機嫌だったようでカブの所長に注意されました。
不機嫌の原因は、出社してきません。
でも、不機嫌ですと御客様にも悪印象を与えます(※2)
会社にとっては今が大切な時期ですし、笑顔を心がけないと。
しかし、お昼になってこれを書いているのですが、今日はお客さんが非常に少ない気もします。
「受験シーズンに入ったので、学生という世代の間に流れる空気が変わったのだ」
とはグスタフ氏の意見です。一瞬、
「この会社に皆が興味を失ったのかも」
と考えました−それは科学的に述べて私の就職先消失の可能性が高くなると言うことです。
って全然科学的じゃないですが−が、忘れましょう。
午前中の段階で御客様は40人、午後も同じ程度でしょうか。
だとすると、ソウ女史は運が良かったのですね。
これが忙しいときでしたならば多数の御客様を逃すことにつながり、私は噴火していたかもしれません。

そろそろ終業です。今日は落ち着いた日でした。
毎日がこうだと良いのですが、激務である方が会社にとっては良いのですよね?
何だかモヤモヤしたものが胃のあたりにつかえてる気分です。
私達は普通の感情と行動として一つのことを望むのが普通なのに、何故かそれのできない人がいるのです。
巴里の駅では見かけませんが、
日本の駅では”禁煙”と書かれた看板の下で平気な顔して喫煙する方がいらっしゃいますね?(※3)
これは何が悪いと言えるのでしょうか?
私が細かいのかしら? よく解りません。そして私には注意するだけの気概もありませんし。

さて、私が不機嫌だったせいか。
今日はカブの所長が線路向こうの商店街でフライドチキンなど買ってきました。
今、私の足下、脚を冷やさないための電熱ストーブの前に24ピース入りの箱が樽よろしくおいてあります。
終業して表にCLOSEDの看板を出し次第、皆でパクつく−なんて行儀の悪い表現でしょうかね−としましょう。
でも所長、これでご機嫌をとったつもりでしょうけど、
これのための御皿や御茶を用意したり、後片付けをするのって私の仕事なんですわ。
やれやれ、どうして男の人ってのは考えが甘い(※4)のでしょうか。
そう甘いから食い物にされるんですよ、と。


※1 ……色々言いつつ結局破り捨てもしないで預かっているのをみると、お人好しな傾向大。
※2 ……接客業はこれが大変なのである。
※3 ……巴里では法律によってゴミのポイ捨ては罰金である。
       が、それは街角にゴミ箱など用意されてる国だからこそ。
※4 ……甘いというか、単純なのか。
 




1999年02月07日(日) ひどく


憂鬱な朝です。
ええ、理由はというとまあ、女ですので、ええ、そういうことで。(※1)
いつもなら日曜日と言うことで家で寝続けるものですが、仕事と あればそうもいかないものですね。
社会人のつらさというものを文字通り”身をもって痛感”してます。
でも、憂鬱の原因はそれだけじゃありません。
何しろ朝、遅刻寸前でやってきたソウ女史の陽気なことといったら、
ええ、こちらが毒気を完全に抜かれてしまうほどでした。
私が、
「昨日は大変でしたのよ」
と言うと、
「アレ、おっかっしいなあ、悪い悪い」
などと気軽なものです。あの罪悪感のなさと身軽さはやはり背中の翼(※2)から来るのでしょうか。
よく理解できませんし、今日はその気力もありません。
しかし、今日も御客様は午前中だけで40人前後です。
午後も入れると80人前後ではないでしょうか。段々と流れが落ち着いてきたように見えます。

参りました。
昼で客足もひいたのでちょっと外に出ます。
十分ほど、線路向こうの薬局です。

一丁向こうの商店街にも薬局。午後五時まで。

相変わらず下腹が重いというか、落ちていく感覚があります。
しかし困ったことに、グスタフ氏が落ちていく私を引き上げもせず(※3)
そのまま新設備の掲示板(※4)の管理法を説明するものですから非常に困りました。
とにかく向こうのおっしゃることをメモにとり、あとはそれを明日にでも読んで確認する事にしました。
自分自身に対して非常に嫌になりますね。ここまでひどいのは久しぶりです。
その説明を終えた後でこの出張所のパンフレット用の写真撮影ですって!!
もう少し先に言ってもらえれば−どうしようもないですわね、体調ですから。
撮ってもらった写真(※4)はすぐに加工されここを押してこのようになった後、
減色したのをうまく縮小して使うそうで、しかし、無理に笑ったのがバレますわね、これ。

また、夕方に今度はヴァイベルクさんが休暇願を出してきました。
ですがさすがに今日は愚痴を言う気力もないです。そのまま直接所長に渡すように言い、私は帰り支度です。
メモした薬局が5時ジャストに店じまいしなければ良いんですが。
地元は駅の近くに薬局が無いんですよね。困ったものです。


※1 ……詮索は無しということで。なお、結構各所からツッコミがあった。
※2 ……ソウの翼は三枚。一本は両肩胛骨の間の背骨から生えている奇形のため、
       ソウはやや猫背である。
※3 ……引き上げるという行為は結構男女間のアレな気もするが、疲れているがゆえの発言としよう。
※4 ……今は違う写真が使われている。




1999年02月08日(月) 何でしょうか


ひどい二日目です。
どのくらいひどいかと言えば、今がもう終業時間を過ぎてることと、
いつの間にか目の前のカウンターに富田林さんとティーマさんの休暇願い
−富田林さんが、明日で、ティーマさんが明後日です−が提出されてることでしょうか。滅入ります。
言いたくないことですが−弱気ですね−疲れが溜まってるのだと思います。
情けないことに緩やかな大学生活ゆえに休日は必ず来るというルールが体にしみこんでる(※1)ようです。
今日は昨日のことも考えて会社に来る途中で−商店街の雑貨屋(※2)で−膝掛けなど買ってきました。
昨日は薬局が既に閉まっており、薬も買えなかったのですが、
昼まで堪えれば向こうの商店街まで脚を伸ばせるし、少しは楽になる筈、ええ、その筈でした。
迂闊だったのはカウンターで仕事をしているために立つ動作が多く、膝掛けが役に立たなかったことと、
今日は午後からひどく寒かったということです。
午前中の間から、気づくと立ったまま数分が経過していることがあって危険な兆候があったのですが、
午後になってふと椅子に座ってから動けなくなりました。
所長さんが声をかけてくれたのに対し、上手く事情を説明することもできず、
「ちょっと立ちくらみで、何でもありませんから」
と言うあたり、私って間違いなく母親譲りの強がり女です。
気づいたときには、軽く肩を叩かれてました。
やってきたのは私服のヴァイベルクさん。
何事かと思いつつも何も言えない私に、彼女は、
「奥様に用意してもらいました」
と、薬の入った薬包を三日分、紙袋に入れて手渡してくれたのです!
何たることでしょう!!
彼女が今日休んだのは、この薬を用意してもらうためであって
−何やら夜間のみという時間制限付きの儀式や、昼過ぎにしか咲かない花などが必要(※3)なのだそうで。
だとしたら彼女のいう奥様とは神術師か魔女の家系なのでしょう−
昨日の私の様子を見て、こうせねばと思ったらしいのです。
ありがたい、しかしお人好しな話ですね。
よく考えたら休暇を一日潰して他人の生理現象につきあっているわけですもの。
でも、正直、助かりました。
彼女はすぐに帰り、私は今、こうして文章を書いてます。
ペンを動かしていると、
ありがたかったことが本当にありがたく説得力をもって自分に刻まれ、残る気がします。

少し気分的に余裕が出てきました。
終業したために座りっぱなしで膝掛けが正しく機能してるからでしょうか。
少し家のことも書きます。
実家に、引っ越すかもしれないと言うと、すぐに大騒ぎの手紙が返ってきました。
でも、第一番の話題が今私の使っている部屋の壁街を剥がす方法についてだなんて、
巴里っ子の母らしい手紙だと思います。まだ引っ越すかどうか決めておりませんのに。
では、明日も滅入るかもしれませんが、できるだけしっかりしたいと思います。
ええ、しっかりしますとも!!


※1 ……定期的に休めないと言うルールも間違っている。
※2 ……籐の座布団とか、そういうものを扱う雑貨屋で、
       グラスなどは豪奢なものや派手なものしか手に入らない。
※3 ……ヴァイベルクの屋敷の婦人は英国育ちなのかもしれない。




1999年02月9日(火) 朝起きたとき


真剣に休もうかと思いました。
それをしなかったのは昨日の決意と、ベッドのサイドテーブルの上に置かれた薬包と、
そして朝の刺すような冷気です。
さすがに三日目となると体がだるい程度ですし、一度、シャワーを浴びてから(※1)出社してきました。

午前中の一休み。
本日は富田林さんが休みです。
朝、会社に来た時、私の机の上のファックスに彼女からのメッセージが届いてました。
内容は−おそらく−本人が今更になって照れるようなものだったので、書き記すわけには参りません。
午前中の御客様は約60人。
また客足が増えてきたのでしょうか。
いえいえ、午後の様子を見てからその疑問を持つことにしましょう。油断は禁物です。

午後。気づくと寝てました。
椅子に座った姿勢でカウンターに肩を寄せると−骨格上の問題でしょうか?
よく解らないのですが−ひどくハマる(※2)ようなのです。
新しい発見、などと軽口を叩けるのはようやく体調がもとに戻りつつあるという証拠です。
そう決めました。
しかし、後ろを見るとグスタフ氏がわざとらしく咳払いなぞして見せますし、
結構な時間を寝てしまったようです。
そうそう、気分が少しずつ上り調子であると自分で思えるならば、
今の内に掲示板システムについて色々と試して見ましょう。
と、マニュアルを読破してると(変な日本語ですね)変わった御客様(※3)がいらっしゃいました。
若い男の方ですが、何やら私達の仕事に興味があるようで−何らかの調査員の方でしょうか−
色々とご質問をされて、どうやら二階の案内所も回ったようです。ですけど彼ってば私の名札を見て、
「幸江さんですか……」
ですって。久しぶりにおかしく笑いそうな気分になりましたが、
やはり一階受け付けという顔役である以上、威厳を持って接しました。
でも彼、今日はどこの案内所に向かったのでしょう。
大阪方面は今日お休みですから、ひょっとしたらまた来るのかもしれませんね。
さてさて、今日はこんなところで。
帰りには久しぶりに深夜スーパーに寄って食料品などを買わないと。
近頃はあまり歩きませんでしたし、疲れが溜まっている今、食べないと尚更体の調子を悪くしますからね。


※1 ……風呂でないのは、色々と疲れているからである。
※2 ……こういう場所との運命的な出会いというのは確かにある。
※3 ……各案内所の描写に出てくる”彼”が、その人である。




1999年02月10日(水) 掲示板が


もう大騒ぎです。
学校が早く終わった学生さん達が、掲示板の端末を見て色々と書き込んでいるようです。
掲示板の良いところは、私達が直接的に何かしなくても皆が自分たちで端末を操作してくれるところですね。
「オバさーん、日本語どうやって打ち込むのー?」(※1)
はいはい、私はおそらく貴女達と5歳も違わないし日本語変換のやりかたも知りません!!
今日は所長がいるのでー、
「俺が表に出てどうする?」
ですか? じゃあグスタフ氏にお任せしましょう。
「なるほど、では、君にやりかたを教えよう」
って私が憶えて対処しろ、と?
うちの男性陣は若い女の子がお嫌いなんでしょうか?(※2)
などと意地悪は言わないで了解しましょう。
いずれ、御客様も憶えられて質問などなさらなくなると思います。

と、思っていたら質問が多くてお昼が食べられません。
えーと、額に寄せた皺って痕が残りやすいんですよね。
しかし今日は受付が非常に混んでます。
二階ではティーマさんがお休みでしたけど、これならさほど支障はないかと思います。

さて、そろそろ終業です。
御客様の数は史上最高(というのも変ですわね)の210人となりました。
悪夢? いえいえ、快夢というべきでしょう。
しかし、色々な人が書き込んでいきます。
たとえばー

     あ 
           父さんが    んと
    しかし田舎の     雰囲気が         言うべきで
 泣  仕方ない

寝てました。
何やら妙な書き込みしてますね。夢でも見てたのでしょうか。
今、七時です。二時間も寝ていた(※3)ことになります。情けない。
でも、今日は体調も良かったので幸いでした。いつもより遙かに御客様と接する機会が多かったので。
と、何やら奥の部屋の方からソウさんがやって来ました。
ええ、よく寝てましたとも、言われなくても(※4)解ってます。
まだまだ未熟ですから。

さて、今日は帰りが遅くなりそうです。
もうスーパーに寄ってられる時間ではありませんね。
夕食が心配ですが−自宅は相模原にあるので夜遅くまでレストランがやってます−
快気祝いも兼ねて豪勢にいきましょうか。
では出発、……ってこう書くとこの会社が自宅みたいですわね。
それでは。

※1 ……未だにこのあたりがコンピュータの関門のようである。
※2 ……嫌いではなく苦手という人間は多い。
※3 ……結構、無防備な娘である。
※4 ……何か言われたらしい。おそらく、ソウ自身にとっては些細なからかいだと思われる。



1999年02月11日(木) 大阪応援?


何だか所長が妙なことを始めました。
ええ、カブ−それ以外に造形的表現(※1)ができません−の所長が、です。
よく考えてみますと所長と真面目に話すのは面接以来のような気もします。
今日はそのお仕事を間近で見れるのですから、何となく好奇心がうずきますわね。

はい、その後の経過は入り口の大阪応援部署(※2)に書き込みました。
何やら富田林さんの担当するOSAKA方面が旅行フェア(※3)らしく、
その加速のためにポスターやら何やらを色々なところに張り付けて回ってるのだそうです。
受付で統括事務の私にはあまり解らないことですが、各案内所は各案内所で色々と仕事があるのですね。
しかしうちの所長は……、と、言うのはやめましょう。
バイトの身ですし、それに今回叫ぶだけ叫んだら−なんとまあ野蛮なことでしょうか!−
何となくお近づきになれた気もします。

お昼です。御客様が少なくなったと思ったら雪なのですね。
グスタフ氏がどこからか持ってきたスコップで店前の道路の雪かきを軽快に
−今、転びました−やっております。私も手伝おうかと言ったのですが、
「これは大人の男の仕事だ(※4)」
ですって。やや考え方が古いような気もしますが、確かに月に三日も体調不良になってみたり、
実家からシャツを送ってもらってるようではそう言われても仕方ないかもしれませんね。
グスタフ氏が戻られたらすぐにコーヒーをいれられるようにしておきましょう。

午後がヒマだなんて珍しい日です。やはり雪の影響でしょうか。
こういう時、仕事があればいいのですが、
とりわけ何もないので日誌を書いて時間を潰すこと−これも仕事なのですが−にします。
昨夜は相模原の深夜スーパー(マルショーでしたっけ? マークは憶えていても名前を憶えてません)で
何とか買い物をし、そのまま家に帰らず、グリル料理が自慢のレストランで夕食をとりました。
近頃、家であまりものを食べていなかったせいか、
お肉や脂物が食前酒の導きだけですんなり体に入っていきました。
そういえば実家では母がよく分厚いステーキを焼いたものでした。
母のような古い人の言うところによれば、
「多くの観光客がフランス料理と思ってるのは宮廷料理で、
本来のフランス料理とはアメリカにも負けない肉とかパンの豪快料理のことなのよね」
だそうです。宮廷料理に対する郷土料理と言ったところでしょうか。
ええ、よく考えればフランス料理に欠かせないとされるワインも、もともとは郷土酒なんですよね。
宮廷料理にワインが組み込まれたのは、
やはりフランスの人間は宮廷の人間ではなく、フランスに住む人だということでしょう。
しかし気になったのは、私が食事をしている最中、後ろの席にいた若い男性三人組が何やら、
こそこそと会議を行っていたことでしょうか。
「ドウジンシ(※5)」
などという暗号のような単語が飛び交っており、
会議がずっと真剣な雰囲気を漂わせてるところから見るに、犯罪の匂いがします。
と、昨夜はそんなところでしょうか。
細かいことがあったとすれば、ベッドのシーツをスーパーで買ってきた新しい白いシーツと取り替えました。
取り替えた原因は、とまあ婦女子が書くべきものではなりませんね、自分用の日誌であっても。

さてさて、グスタフ氏が戻ってきました。
今日はこのまま帰宅になだれ込みそうです。
列車が雪で乱れてなければいいのですが。


※1 ……アヒルという意見もあった。
※2 ……当時はOSAKAの宣伝広告を貼り付けていた。
       超極小バナーと超大型バナーがウリだった気がする。
※3 ……OSAKAゲームを見ていると解るが、そろそろ最終戦大詰めである。
       旅行フェアはBABEL観戦ツアーだろう。
※4 ……グスタフは真面目なので、着替えもろくに用意してない婦女子にこういう仕事はさせないらしい。
※5 ……エッセイの同人戦線第二撃を参照。




1999年02月12日(金) 今日もまた


静かな日です。午前中からこうやって落ち着いて日誌を書いてられるのは久しぶり。
そろそろ学生さん達が受験やテストに入るからでしょうか。
朝、列車(※1)の中は混雑してたのですけどね。
しかし、昨日の雪も朝の段階でほとんど残らず、路面は水びたしです。
迂闊にも雪用のトレッキングシューズを履いたため−それがまた丈の短く動きやすいものなので−
かなり水が跳ねました。
ストッキングに水がしみると、なかなか抜けないし蒸れるしで大変なんですよね。
今、御客様がいないことをいいことにカウンターの下でシューズを脱ぎ、
脚をストーブに向けてます。(※2)
前にもやったようにカウンターの角に肩をはめて脚を伸ばすと、
カウンターと一体化したような気分が味わえます。
グスタフ氏がそんな私を見て、たびたび何かを言おうとして、
それでも言うのをやめてしまうのは何故でしょう?
まだお昼でもないし……。

と思ったらグスタフ氏の机の方からでは、
私がそうやってストーブに当たっているとスカートの中が覗けるとのことでした。
そういうことはわざわざメールで送らなくてもいいんですのよ!!(※3)

さしてすることもなく終業時間です。
何かあったとすれば、午後にまた三十分ほど寝てしまったことでしょうか。
御客様が少ないので気が抜けたようですね。あまり良いことではありません。気を引き締めないと。
さて、今日から商店街はバレンタインセールです。
そういえば近くのケーキ屋が特売をしていたようですから、
買ってきて奥のマシンルームの三人組に差し上げるのが吉でしょうか
(何だか変な言い回しですわね、私が使うと)では、帰り支度をしてから出てみましょうか、外に。

追伸
ケーキを買ってきたのですが、
マシンルームのドアの前にはも既に一つ、小さなケーキの箱が置いてありました。一体誰が?
私が寝てた30分の間でしょうか? 何となく妙な話です。
???


※1 ……都市世界では”電車”と言わない。
       蒸気機関や言詞関係の機関の方も並列存在しているからである。
※2 ……いつもは結構歩き回る仕事のようだ。
※3 ……しかし、口に出して言われるとまた別の怒り方をすると思う。




1999年02月13日(土) 寝ました


あ、いえ、変な意味じゃ無いです、
と書いておかないとあとで自分で見直して仰天しますわね、このタイトル。
午後−これ、終業後に書いてるのです−御客様が少ないな、
と思っていた頃に、二階へ上がる階段から猫が慌てて降りてきたのです。
それがティーマさんであることは解ったのですが、何故に獣詞変をされたのか。
その理由は二階に上がってみてすぐに解りました。
私が昼に二階の皆に持ってあがったコーヒー、それが倫敦案内所の床にぶちまけられていましたから。
コーヒーをカウンターから脚にこぼしてしまい、びっくりした(※1)のでしょう。
カウンターをグスタフ氏に任せてモップとバケツを持って掃除です。
倫敦案内所には幾人かの人が来ており、今回の騒ぎにややどよめいていましたそう、
日本では異族ってあまりいないのでしたよね。
私が日本語で何がどうして起きたのかを説明すると、
皆さん、何となくではありましたがわずかな苦笑とともに理解されたようです。
「可愛いね」
という女の子の声もしましたから、今回のことは悪印象ではなかった(※2)ようです。
で、問題はそのあとに起こりました。
掃除の片づけを行い、消臭用の府を床に貼り、
そして倫敦案内所のドアにCLOSEDの看板をかけたまではよかったのです。
獣詞変したティーマ嬢を膝に乗せて喉を撫でてる間に、つい、寝てしまいました。三時間も。(※3)
何てことでしょうね。まだバイトの身分だというのに。(※4)
起きたのはティーマ嬢の獣詞変が私の膝の上で解けたからで
−それがなければもっと長い時間、寝ていたかもしれません−
今度はカウンターのあたりが大騒ぎになりました。彼女、裸ですから。
とりあえず眠くてふにふに言ってる彼女を慌ててカウンターの下に隠してから
−彼女に比べて即座に動ける私は高血圧(※5)なのでしょうか−
着替えを持ってきたりとまあ、高校生の頃、私の母は毎朝私を起こすときに、
「手が掛かる子ねえ」
と言っていましたが、成程、言いたいことが解ります。
ええ、よく解りましたとも。今度高校生になったら早起きしますわ私。
このドタバタで私が寝てたことはうやむやになってしまいました。
誰も起こさなかったのも悪いと言えばそれまでですが、しかし、それだけではなような気もしますし、
そうであった原因はやはり私がバイトの身分だからでしょうか。みそっかす? どうなのでしょう。
とりあえず今日は残業です。
でも、受付嬢には残業しても基本的にすることがありませんので残ってる人達の御夕食やお茶くみです。
そうそう。先ほどは外で果物を買ってきてマシンルームのドアの前に置いて来ましたが、
今日は先に誰も供え物をしていませんでした。
昨日は一体誰がしたんでしょう?

さて、奥で何やら唸っていた所長が出てきました。
御茶をいれたらそろそろ帰ろうかと思います。もう九時ですし、今日は少し感情が疲れました。


※1 ……ティーマが獣詞変する理由は、やはり驚きのようである。
       なお、落ち着くと獣詞変するタイプもいるのかは謎。
※2 ……ほとんど見せ物扱いな気もするが、ファンはつくかもしれない。
※3 ……本当によく寝る娘である。
※4 ……正社員だから寝て良いというわけでもないが。
※5 ……瞬間的沸騰型なのだろうか、だとしたら喧嘩はしたくないものである。




1999年02月14日(日) バレンタインの日本的風習


というわけで、やはり日本では男尊女卑の象徴(※1)として
2/14日には女性から男性に貢ぎ物をしなければならないようです。
しかし、それがまあ、日本円にして¥100。
フランで言えば5フランと少々の貢ぎ物で満足されるのですから、
日本人の殿方は少しばかり御自分を安めに設定されてる気もします。
とはいえ、私も一応は見栄と芸術の街である閉鎖都市−巴里の人間ですから、
何も渡さないとか、ちっぽけなものを渡してその場を良しとするのは納得が
−母は倫敦の者ですが、彼女に染み込んだ巴里気質が見事に私に遺伝したようです−いきません。
うちの男性陣は所長とグスタフ氏。
その御二人に敬意を持って貢ぐ−何だか嫌な言い回しですわね−ならばということで、
既に用意万端、昨日ケーキ屋に赴いた折り、チョコレートケーキを丸で一つ注文してたのです。
今はそれが冷蔵庫に冷やしてありますが、午後の御茶の時間に切りましょう。
これならば皆がチョコレートを買ってきても品としてかぶりませんし、処理は楽な筈ですね。
と、業務報告。
本日はお客様の動きがあまりありません。
やはり受験シーズン到来ですか。

失敗しました。
グスタフ氏は御医者様から酒と甘いものを停められている(※2)そうです。
しかも他の皆が買ってきたものと言ったら、
・ティーマ嬢
「チョコクッキー」=皆で食べた方が良いから。
・富田林さん
「ホットチョコ」=安かったし皆で飲めると思って。
・ヴァイベルクさん
「チョコレートアソート」=皆がつまめると思ったので。
・ソウさん
「なし」=当社に渡せるような男性無し故(※3)
とのことで、皆、なんてまあ他人思いなんでしょうか。
そのくせに、皆さんホットチョコだけ持って二階へ戻られるとは!!
所長が呼んでます。
「食うの手伝え」
はいはい解りました。私も責任がありますからね。
でもこのクッキーとアソートの封を切ったのは誰です!?(※4)
開けなければ何日かは置いておける−冷蔵庫に入れると脂が浮くので入れられません−ものを!!
とりあえず自分で買ってきたものの責務は果たすと言うことで、
今夜は夕食分もここで食べていくことになりそうです。
でも所長がおどかします。幸江さんはまだニキビの年齢だっけ? とか
言って。
ええ、まだ”吹き出物”とか言うような年齢じゃないですよ、と。(※5)
しかしまあ、男性一人にケーキを全て片づけろとは言えませんし、皆は二階へ逃げてしまった
−ヴァイベルクさんは”味覚がまだ発達してないので勿体ない”と冷静な表情で言いましたが、
それはどこまで本当でしょうか−わけですし、ここは一人で頑張らないと。
これで体調崩したらどうしましょう?


※1 ……言われてみると確かにそうう儀式である。
※2 ……普段、ろくなものを食っていないらしい。
       なお、グスタフ氏が未婚かどうかについては女性陣の間でよく論議される。
※3 ……良い度胸である。
※4 ……ティーマのように思えるが、ヴァイベルクが淡々と開けてしまった可能性の方が高い。
※5 ……言っている時点でそうではないだろうか。




1999年02月15日(月) 体の調子が


何となくというか、かなり深刻に危険な状況です。
やはり昨日の暴飲暴食がいけなかったのでしょうか。
肌は重いし胃はもたれたままだし、気のせいか髪質もよろしくない(※1)ようです。
午前中からこのような気分ではいけませんね。
今日は朝から掲示板をご使用される方が多く、にぎわっています。
とりあえず笑顔を作る心構えをしないと。

昼です。食欲がありません。
ティーマさんがお昼御飯を食べに行く時、
ついでに、ペットボトルの紅茶(※2)と胃薬を買ってきていただきました。
これが今日の昼食だなんて、おかしいですわね。昨日はあれだけ食べたのに。バランスが崩れてるみたい。
そうそう、今日は所長がお休みです。
何やら会わねばならない人がいるのだとか、
女性、という話をグスタフ氏から聞きましたが色っぽい話−何てえ言い方でしょうかね−ではなく、
デトロイトの本社から見聞役が来ているのだそうです。
どんな方でしょうか。
でもまあ、みそっかすのバイトには関係ないことかもしれません。
いけないですわね、昨日とは打って変わって暗いですわ私。
とにかく薬を飲んで一息つきたいところです。

薬を飲んだら、また寝てしまいました。
ええ、怒られました、今回は。(※3)
それだけです。(※4)


※1 ……食生活として慣れないものを食べると、すぐ身体の外に出るそうである。
※2 ……日本人が烏龍茶を飲むのと似た感覚か。
※3 ……誰に怒られたかを書いていないところを見ると、
       グスタフ氏ではなく、ソウに怒られた可能性が高い。
※4 ……こういう書き方をするのは、それだけだとは思っていない証拠ではないだろうか?




1999年02月16日(火) 昨日同様


 昨日と同じように体調が悪いです。
でも、昨日のようなけだるさではなくて、息苦しいというか、胃の上のあたりに何かがつかえているような、そんな気分です。
今日は朝から所長とグスタフ氏が出てしまってます。何やら昨日所長と会った方に話が−色々と複雑なようです−あるらしいのです。
そういうことは近頃またとみに増えてきている御客様の対応は私が行わねばならず、ひどく多忙です。
ええ、受付を担当する私が多忙なのは会社にとっていいことです(※1)。
でもソウさんがまた休暇届けを出されたときに、私がとった表情は、それで正解だったのでしょうか?
よく解りません。
これで三週間近く無欠勤で働いてます(※2)。
でも、今日のようにグスタフ氏や所長のいない日−この御二人は本社の急な呼び出しで外に出るため、休日の予測がたてられない立場なのです−には私は絶対にここにいなければならず、それを果たすためには休めないのです。
どういうことなのでしょう?
倫敦のビッグベンの最上階にいる時計人形(※3)は、こういう気分を抱いて時報の音楽を鳴らしているのでしょうか?
よくわかりません。
ただ、解るのは、この体調不良を早めに治してしまいたいということだけです。

お昼です。
幾つか

終業時間になりました。お昼過ぎから一気に御客様が増えてとても良い日だったと思います。
以上。



※1 ……結構日本人的発想だと思うのは自分だけだろうか。
※2 ……要領が悪いというか真面目というか、他者に期待する性格な気もする。
※3 ……BENDAUGHTER、倫敦にいるのは三姉妹バージョン。




1999年02月17日(水) 気づいたときには


抱きかかえられてました。
朝、出社してきて、まだ所長もグスタフ氏もおらず、奥のマシンルームから陽気な歌声が聞こえてるだけ、と、そういう状況だったのは憶えてます。
感覚としては何だか眠いな、という気分と何だか胃が痛いな、という痛覚とそして気が重いな、という思いでした。
気づくと一人の人に抱きしめられていました。
女性だと言うことはすぐに解りました。シャツの匂いが心地よかった(※1)ですから。
色あせた金髪で、私と同じくらいの背の高さの年老いた御婦人−変な言い方ですが、母よりも年上の方なので−が、しっかりと、椅子の上で貧血を起こした私を支えてくれたのです。
話によるとその方と所長達が来るまで十分ほど、私は気を失っていたことになります。
何だか話が前後してまとまっていませんね。
その方のことをまず書きましょう。
デトロイトの本社からいらっしゃった、イータ・テクストさんという方で、仕事は主に外部の監査などを行っているそうです。
ここは興したばかりの会社なので、様子を見に来たそうで。
でもその監査の折りに私が倒れてたなんて、これは会社にとってあまり宜しいことじゃありません。
しかも情けないことに、抱きしめられていると言うことが自覚できた瞬間、泣いてしまいました(※2)から。
安心したのと同時に、護られてしまったことに対する、つまりは自分に対しての怒りのようなものがあったのです。
イータ女史−この言い方の方が良いですわね−は、私の頭を撫でつつ、
「そろそろこうなるんじゃないかと思ってたよ」
と、ひどく強い調子で言って−おそらく本社には私のデータがきっちりと送られているのだと思います−私の背を優しく叩いてくれました。
今は私も泣きやみ、カウンターをグスタフ氏に任せてます(※3)。
私自身はカウンターの奥で座って、帰り支度です。
イータ女史は所長と二人で所長室に入り、何やら会議中です。
私はどうすべきなのでしょう。
イータ女史から強制的に三日分の休暇をいただきました。
それは望んでいたよりもひどく重い休暇です。
みっともないところと−自分でも理解していなかった−弱いところを他人に見つかってしまい、それが会社のイメージを悪くしてしまった。
就業時間中で無かったのが幸いですが、所長に対するイータ女史の目が厳しくなったのは事実でしょう。
「こうなるんじゃないかと思ってた」
その一言はやはり、私がバイトだということをイータ女史が知っていたから言えたセリフでしょうし、それはまた、私が私の思うよりも遙かに力がないと言うことです。

とりあえず、色々と考える三日間の休養になりそうです。
一応、日誌は家でもつけようかと思います(※4)。
では、今日はこれで早退です。



※1 ……男性に抱きしめられた経験があるのだろうか。意味深ではあるが、単に強気な見栄かもしれない。
※2 ……情けないとは言っているが羞恥心は無いようだ。よく泣くのかもしれない。
※3 ……この人に接客させるのも間違いな気もするのだが。
※4 ……家にコンピュータが無いようなので、日誌は手書きで、持ち帰り管理可能なものらしい。




1999年02月18日(木) 初休暇


起きたら時計が八時をさしていて、
「遅刻した!」
と思いました。でもよく考えてみたら今日は休暇です(※1)。
休みなんだと思ってふと外を見たら暗いので、日本の冬はひどく朝が遅いな、とつぶやきテレビを着けたら何故かクイズ番組が。
「夜!?」
そう、気づいたら十五時間ほど寝てたのです(※2)。
参りました。
これから三連休、初日はゆっくりと洗濯などして残り二日を優雅に凄そうと思っていたのですが、世の中ままならないようですわね。
とりあえずおなかが減っています。テレビを消して十二時間遅れの朝食と参りましょう。

えーと。

食料品がありません(※3)。
戸棚の中にクッキーがあったのでかじりつつ、これからどうしようかを考えつつ、そしてテレビを見つつ、この日誌を書いてます。
起きてから少し目が覚めてくるとどうも不安のようなものが胸の中にあります。その最大要因は、
「私はこれからどうしようか」
ということです。
あんなことになってしまったバイトの人間を会社が正式採用する筈は無いですわね。やはり今後のことを考えようかしら、と。
何だかとても一人でいたくはない気分です。
友人のところに電話しました(※4)が、平日のこの時間はどこかで遊んでいるのでしょう。誰も出ません。
仕方ないのでテレビを見続けます。早口の日本語は何を言っているのかよく解りませんが、人の声が聞こえるのは安心できます。
こういうとき、そばに誰かがいて欲しいと思うのは単なるワガママなのでしょうか。神様に頼み事が出来るならば(※5)寄り添って話をしてくれる、頼れる肩−方ではないです、寄り添うためのものですから−があればいいのですけど。
でも、私の中にある小さな声のようなものが、
「こんなのはきっと一時期のものさ」
と言っています。それを信じて願い事はしません。
明日になれば、朝の太陽でも見れば、この胸の中から何かがすっぽ抜けてしまったような感覚を無くせると信じましょう。
今日は自分で自分を抱きしめて、また、寝ることにします。
でも本当に、これからどうしましょうか。

寝ます。



※1 ……社会人になるとよくやることである。
※2 ……これもよくやる。が、複合技になるのは希有だと思う。
※3 ……大雑把な性格らしい。食料品は無くなったら買い込む習慣なのだろうか。
※4 ……誰かと話したくてすぐ”友人”というのは、結構色気の無い話だと思う。
※5 ……倫敦あたりではデキてしまうのだが、そーいう意味ではない。 



1999年02月19日(金) じっと


色々と考えました。
結局、掃除もせず、洗濯もせず(※1)、ただテレビから寂しさをまぎらわす雑音を流しつつ、自分が今後どうすべきかを考えていました。
その結果は簡単です。
「まず、外に出よう」
これしかありません。
今は午後八時。寒い雨がやんだ頃合いです。
外は冷たいことでしょう。
ですが、私の中には私自身を抱きしめたくなるような疑問があります。
誰かに問いかけたい疑問です。でも、誰にも言えません(※2)。
だから外に出ます。
疑問を問うことなく、持ち歩き、私は私を抱きしめようと思うのですが、はてさて、駅前(※3)にでも行きましょうか、とりあえずは。
ライトアップされた光を見て、外に出たことを実感しましょう。
そう。
私自身は間違いなく、一人で悩むことよりも、外気の中、外を意識して悩むことを望みたいです。
こんなときに誰か知っている男性に会えたら運命的な伴侶と錯覚(※4)してしまうかもしれませんね。それほど私が弱っているということなのでしょう。
ええ、弱っている自覚があります。
自覚があり、そして、昨夜に感じた、
「一時期のものさ」
という思いがあります。
自覚とその思いがあるならば、この鬱屈した気分を晴らさなければなりません。自分を抱えて外へ。
目を覚ますために、部屋の暖房を切って、着替え、冷たい外へ。
行きましょう。
夕食はどこで摂りましょうか?
ここは一つ自分の冒険心に応えるためにも未だかつて入ったことのない”牛丼屋”(※5)などに入るのもいいかもしれません。
まあ、それも何も、ともかく駅前まで歩いてから。
何て無目的で非生産的なんでしょうか。
でも、私には必要なことです。

では、外に行って来ます。



※1 ……食料品を買いに行きなさいってば。
※2 ……誰彼と悩みを相談できる人間は、ストレスがたまっているだけで悩んでいないのだと思うこともしばしばある。
※3 ……相模原の駅かと思われる。
※4 ……錯覚と言い切るあたり、妙に現実思考だ。
※5 ……だから久しぶりの食事でそういうキツイの食わないように。




1999年02月20日(土) 朝帰り


してしまいました。
いえ、別に運命的な伴侶に出会ってしまったというわけではなく、ちょっと街を歩いていただけです。帰宅は午前四時でしたから、夜帰りと言えない(※1)こともありません。
駅前を歩いたり、夜の暗い町中を眺めたり、通りを単車の−暴走族というものでしょうか−集団が走っていくのを見ていたら、いつの間にかそういう時間になってました。
本当は朝日が出るまで外にいたかったのですが、三時頃から急激に冷え(※2)はじめ、根性無しの小娘は部屋に逃げ帰ったのでした。
しかし、面白いものですね、夜の街というものは。
「私のものではない」
のですから。
人が生活して、動きや光があるから街は人々のものだと思っていたのです。
しかし、誰もおらず、動きもなく、光もない街はそれこそ、
「だれのものでもなかった」
のでした。
これには困りました。何しろ、私が街の中で一人になっている責任を誰かのせい−街の所有者が街を所有しているので私は何もできないと言いたかったのです−にできないのですから。
でもそのおかげで一つ助かりました。
ひどく冷えたのです。身体も頭も、そして考えも。
今まで引きずっていた、言葉に上手くできないものが急速に消えました。
そのキーワードは、
「自分はまだ何もかもを知らない」
ということです。
いつもの町並みも、帰宅途中に寄るスーパーも、豪勢な食事−と私が思っている−レストランも、道路も、朝に子供達が駈けていく学校も、冬枯れした並木の色も、無人の夜の中では全てが私の知らないものでした。
私が多くの人と熱気に囲まれるべき場所が、全てにおいて私を私一人だけで置こうとします。
どこまで行っても私は一人でした。
初めはそれが怖くて、走ったりして、色々なところを回ったのです。
しかし駅前のホテルの窓明かりを見つけたとき、自分がその中には入れないと思ったとき、不意に力が抜けました。上記のようなことを思ったからです。
あとは、苦笑さえ出しても構わないくらいの気分がいい、散歩でした。
歩行者用の信号が点滅してても急ぎません(※3)。
歩道橋に昇り、辺りを見回すと、夜景が見えました。
民家の白い明かりが幾つか見えました。
そこにいる人達は、おそらく、私と同じなのではないかと、そう思います。そう、おそらくは、一人でいるということは夜の街を歩くときも部屋に一人でいるときも同じであって、ただ単に普段はそれに気づいていない−気づかされていない−だけなのだ、と。
高校の時に美術の先生が似たようなことを言っていました。
その人は高齢のご老人で、言うことがうまく聞こえないのでしたけど、あるとき、白い石膏玉と黒いビロードを持ってきて、こうおっしゃったのです。まずは白い玉を窓際の明るい方に掲げ(※4)て、
「ここに真っ白い玉がある。これを描くとき、我々は真っ白な玉をわずかな陰影で描くしかない」
そして、その玉を黒布の上に置き、
「しかしこうすると、陰影は強くなり、我々は黒の影を持ってこの白い玉を描くことになる。
しかし、気をつけねばならん。
どのように陰影があろうとも、この玉は常に白いのだ。
それを忘れて、灰色の影が着いた玉を描いてはならん」
友達達は皆、彼のことを”何を言ってるか解らないオヤジ”として無視した−課題は出せばいいという方でしたし、私も皆と同様の扱いをしていた−のですが、私はその言葉を憶えています。
不思議な感覚です。
どうして偶然に憶えていた言葉が、今の私が感じる私なりの考えと合一するのでしょう? 私は昔からそれを感じていたからその言葉を覚えていたのか? それともその言葉を覚えていたから考えることが出来たのか?
どうなのでしょう?
でもまあ、構わないでしょうね、私はそのときそう思って、必要なのはこれからだと考え直したのですから。
空はひどく綺麗に晴れて寒いくらいでした。
路面が凍り始めた時間に帰り、シャワーを浴びたとき、御風呂場の中で笑ってしまいました。
「どうして今まで悩んでいたのだろう」
歩きすぎでハイになっていたのかもしれません。
でも、寒さで目が覚めて、心を入れ替えて、空に浮かぶ月を見たあとでは、それらを知る前にここで縮こまっていた自分がひどく滑稽にしか見えなかったのです。
シャワーを浴びながらそのままお湯をためて(※5)お風呂に浸かり、出た後は身体を冷やさないようにお酒を少々。
本当の意味で疲れをとるために寝ました。
起きたのは午後四時です。
結局、洗濯も掃除も無し(※6)。
なんて堕落した三連休なんでしょうか?
夜は友人から電話がかかってきました。お昼に電話をかけてきたらしいのですが、私は起きなかったようですね。
色々と話しました。
そしたら彼女ったら、
「最近、仕事はどう?」
などと、まるで社会人のようなことを言うのです。
私はつい、答えてました。
「私がいなくても何とかなるみたい」
そして、
「でも、私がいた方がいいみたい」
うぬぼれなのか何なのか、よくわかりません。でも、昨夜まで落ち込んでいた小娘の意見としては上出来でしょう。
とにかく明日は出社です。
そしておそらく、3月に入った時点で私が採用か否かの判決が下るはずです。
それまでは頑張ろうと思います。あれだけの失態を連続しておいてまだ勤めたいと思うのは傲慢ですが、こう思うのです。
「あの会社は私に陰影を与えてくれるのではないか」
と。
私が白い玉−要所は丸いですが実際には太ってないつもりです−だとすれば、あの場所の忙しさと人々の個性は、私が私を発見する”鏡”になるのではないかと思うのです。
だって、家庭でも学校でも得られなかったくらいに私は落ち込まされて、それだからこそ昨夜のようなことを感じたのですから。
良いことも悪いことも社会には最大限で存在するのでしょうね。
私は所長さんもグスタフさんも、陽気な三人組もティーマ嬢もヴァイベルクさんも富田林さんも、えーと、ソウさんの翼の色も好きです。
逆に言えば好きなものに圧倒されて自分が嫌いになっていたのでしょう。
そういうことだと思います。
いえ、そういうことだと思いましょう。
考え込むには時間が必要ですし、今のところ、昨夜の月の美しさと街の厳しさに勝てる思考は作れそうにありません。
月と寒さの印象。
これは私が半分だけ倫敦の血を引いてるせいかもしれません。
でも、本当にいい夜でした。
明日からはいい昼を作りたいです。

では、寝ます。



※1 ……言わない言わない。
※2 ……1999年の冬は暖冬だったが、朝方の冷え込みは当然キツかったりする。
※3 ……いつもは急いでいるらしい。
※4 ……デッサン練習の基礎だったりする。ちなみに光と影による形の把握が重要なのであって、外形線のみにこだわるのは悪いとされる。
※5 ……贅沢な話ではあるが、お湯が溜まるまでハダカでシャワーなのだから悠長でもある。
※6 ……だから食料品を買いにいきなさいって。




1999年02月21日(日) 出社!


これからはあまり暇でない限り、もしくは重大時ではない限り、終業後に書こうと思います。
今日は朝から意外なほどに普通でした。
誰も私に気を遣うことなく−実はそれこそが気を遣っていた(※1)ということかもしれません−通常業務のまま。所長には一応、謝罪をしておきましたが、
「イータ女史が上には何事もなかったと言っておくと」
とのことです。あの方、見た目は怖そうに見えましたが、やはり私を支えてくれた手の感触といい、親切な方なのでしょう。
そうそう、ティーマ嬢から聞きましたが、この付近の御婦人達がここ数日、ここに遊びに来ては私がいないことを気にしていたようです。
今度来られたら御茶(※2)でも差し上げましょう。
また、ヴァイベルク女史も私が朝からいることに気づき、一礼して上に向かわれました−意外と珍しいことなのです−富田林さんは前と代わらず関西訛の挨拶、ソウさんにいたっては、まず私を見て、
「ほほう」
という顔をしてからの無視です。こりゃあ嫌われてますわねきっと。

今日は意外と忙しかったですね。
何よりも三日も休んでいたために戸棚の食料品や冷蔵庫の中がほとんど空っぽの壊滅(※3)です。お昼過ぎに時間ができたので色々と買ってきました。そしてこの付近の商店街を見て思うのはやはり先夜の街の印象。
ここも夜には街だけの街となるのでしょう。
そういう機会があればいいなとは思いますが、そうなったらそうなったで大変でしょうね。御化粧直しや髪のしつけ直しとか−と、何を本気で考えているんでしょう。きっとおそらく、今月でここをやめさせられるかもしれませんのに。

とにかく頑張りましょう。
所長は週休二日で、日曜は出て欲しいが金土で休めないか否かと言っていましたが、はてさて、受付嬢が週休二日で大丈夫なものなんでしょうか? 女に甘いとロクなことになりませんわよ(※4)。
と、そろそろ書くことが無くなってきました。
明日は商店街で本格的なお買い物です。
今日は先ほど買っておいたケーキを奥のマシンルームの前に置いてそれから帰りましょう。

追記
そういえば、以前、私より先に奥のマシンルームにケーキを置いて行ったのは誰なんでしょう?



※1 ……本当に忘れていた者も数名いると思う。
※2 ……紅茶である。
※3 ……自宅とあまり変わらない管理態勢のようだが、彼女が休みの間に他の連中が貪ったのだろう。
※4 ……こういうことを自分で言う人が一番甘い。




1999年02月22日(月) 大忙し


いやはや大騒ぎですわね。
週明けは学生さん達が立ち寄る(※1)ので一気に混みました。二階の方も大忙しだったようで、何度か二階から内線でコーヒーの”出前”(※2)がありました。
受付の方は掲示板がまた賑わっており、なかなか熱が冷めません。
いいことだと思います。

なお、今日は通勤途中にパンプスの足がとれてしまってひどい目に遭いました。それが起きたのは列車の中で−私が乗る時間帯はラッシュが空く頃合いだということもあり−いきなり片足のかかとが崩れ、そのまま誰からも支えてもらえず、尻餅を着いてしまいました。
何ともまあ、異人の小娘が列車内で転ぶというのはひどく目立つ見せ物らしく、皆がじろじろと注目して−スカートは押さえてましたとも(※3)−とても恥ずかしい思いをしました。
会社に着いてからは来客用−所長室用の−スリッパを借りてましたが、昼過ぎに外の商店街で色々と買い物をするついで、靴屋でパンプスの修理をお願いしました。明日には修理出来るそうです(※4)。
また、商店街で自分の家用の食料も密かに買い込みました。
ここから相模原まで、大断層を越えて果物や野菜が運ばれていく、そう考えると私もなかなかの輸送役です。今日は早く帰って自宅の冷蔵庫の中を賑やかにしてあげたいものですね。

では、今日はこんなところで。
先ほどから、ヴァイベルクさんがまたロビーで腕の修理をしています。
それを待って、帰りましょう。


※1 ……逆に日曜日は空いていたりする。
※2 ……コーヒーなので、ヴァイベルクかソウではないだろうか。
※3 ……押さえているから尻餅で転んだ可能性が高い。
※4 ……修理に行ったというよりも、代わりの靴を買いに行ったついでだと思われる。




1999年02月23日(火) 商店街


今日は色々と商店街を回ってきました。
食器屋のおばさんは私のことを知っていたようで、カウンターに商品を並べるなり、
「あら、仕事に戻ったのかい?」
などと問われ、思わず慌てたのか、私、仏蘭西語で(※1)答えてしまいました。
面白いことが色々とあります。文具を買い、最後に寄ったお店が靴屋。
昨日、かかとの取れたパンプスの修理を頼んだお店です。
修理は終了してました。
店主のおじいさんから直った白いパンプスを預かり、お金を払おうとした時、おじいさんが私の姿を見るのです。
「どうなさいました?」
「いや、アンタ……」
「?」
「向こうの旅行会社の人かい?」
「ええ、そうです」
「じゃあいいや、タダ、タダで構わねえ」
「は?」
どういうことかを尋ねれば、ここのところ夜になると私と似た格好の小さな三人組が現れ、陽気な唄を謳いながら壊れた靴などを修理して去っていくのだそうです。これは靴屋だけではありません。
奥の小物屋でも裁縫途中だった衣服が一晩で誰かの手によってきちんと完成されたり、はす向かいのパン屋でも、主人が朝、自分の店にやってくると、棚にパンが全て焼かれて並んでいたりするそうです。
その折りに聞くうわさは、そういうことが起きた前の晩、仕事場から陽気な歌声が三人分響いたことと、今、私が着てるのと似た服を着た三人組が町中を歩いてるのを見かけた人がいるという、そのことです。
間違いなく、例の三人組(※2)です、ええ、そうに違いありませんとも。
でも、罪でも何でもないのが快いですわね。
これが地元密着型企業というもので−……はありません、そんな気がします(※3)。
さてさて、三人のおかげで私はタダで靴を直してもらえました。
ひょっとして、パン屋にこの格好で入ったら、パンをただでもらえるのでしょうか?
と、甘い考えですコト(※4)。

さて、今日はまたソウさんが休暇届けを二日分出していきました。
私は動じません、といよりも動じなくなりました。
不感症?
いえいえ、不干渉。
色々と疑問はありますが、悩んで答えが出るならば悩みます。
悩む以外の方法で答えが出る疑問もあり、これはおそらくそっち側にある疑問です。
ならば、気楽に待ちます。そういうものです。

では、そろそろ帰ります。
ティーマ嬢が何やら美味しい店を見つけたとかで、ついていきます。


※1 ……難しい単語など、自国語でつい会話に混ぜてしまうことはある。
※2 ……ブラウニーはもともと穀物倉や靴屋の手伝いをする妖精。好きでやっているのだと思われる。
※3 ……確かにそう思う。
※4 ……とはいえ、結局もらえた可能性が高い。




1999年02月24日(水) 胃がもたれ気味


雨のせいか御客様の数が少ない日でした。
おかげで書くこともあまりございません。
就業中にあったことと言えば、富田林さんが大阪に今の一時期だけでも帰ろうか否かを悩んでいたことです。お昼をカウンターの内側で皆で−ここのところ、ミーティングを兼ねてこういうことが行われるようになりました。今日は所長の御馳走で天ザル蕎麦(※1)でした。御馳走様です−話し合っていた時に出た話題です。
大阪では先年からBABELという名の広報塔が建てられ、色々な騒ぎとなっていましたが−私の記憶では昨年12月に放送権をめぐるゲームが終了した筈でしたけど−何やらまた問題(※2)が起きて大阪は大騒ぎになっているのだそうです。
富田林さんの妹さん(※3)は大阪圏の総長連合にいるらしく、その仕事が大わらわで家事−父子家庭だそうで−が何にもできないそうです。
「私が戻らんと、お父んが飢え死にするかもしれんわなあ」
と富田林さんは言っていましたが、相変わらず休暇は取りません。
御父様は大丈夫なのでしょうか?
まあ、何かあったら会社に直接連絡があるでしょう。
って、他人事ですわね、私。

と、タイトルに書いたことの原因にも触れましょう。
昨夜、ティーマ嬢につれていっていただいたのは東京大断層東側、船を空に飛ばすことのできる大空港を有する調布でした。
駅近くにあるラーメン屋に美味しいものがあると聞いたのです。
で、それは何かというと、
「ロースカツラーメン」
中華蕎麦の上に六つ切りのロースカツが無造作に乗っているという代物で、何というべきでしょうか。冗談?(※4) そういった趣です。
ついティーマ嬢につられて餃子まで頼んでしまった私は、敵の圧倒的な質量−焼豚なら解りますが、ロースカツって大きいんですのよ−を前に思わずひるんでしまいました。
横を見るとティーマ嬢は既に食事中。こちらのことなど気にしておりません。
おそるおそる食べて見ますと、カツに見えたのは唐揚げ(タツタ揚げと言うのでしたかしら? 濃い味付きの皮なしフライは)にされたカツで、スープ内でも衣が分離しないようになってます。
が、その油の重さと来たら。
私、体育会系ではないのですけど。(あとでティーマ嬢に聞いたところ、ミカンとイカ以外は何でも食べれるのだそうです。ただ、塩系の味が好きなのですが、ウェアキャットは心臓病で死ぬ方が多く−多分、ネコの時に人間達が焼き魚などをそのままあげるからだと思います。話によるとネコの身体にしてみれば人間と同量の塩分摂取は危険なのだそうで。野良猫が飼い猫より長生きする理由は大半がそれだそうです−普段はこういうものを食べないそうです)
しかしまあ、自分でお金を払う、そのお金自体に対する義理やティーマ嬢への義理もありますし、ええ、食べましたとも、全部。勢いにのってスープまで全部飲みましたとも。
その途中で気づいたのですが、
「私、脂物がここまでダメだったかしら?」
という妙な事実です。
そして気づいたのは、
「おそらく、ワインが無いせい?」
ということでした(※5)。
実家や自宅、良く行くレストランでは、ステーキなどとともに赤を頼みます。
脂物や臭いのきつい場合にはHermitage・Margaux(※6)などを用意するのですが、この中華蕎麦も同じですわね。
日本人は本当に色々なものを礼儀や体の調子を考えずに食べると思います。
ともあれはてさて、そのおかげで今日は髪と肌が重く、石鹸にでもなった気分です。
ティーマ嬢は、
「また行こーね」
などと言って下さいますが、そのときはワイン持参です。ええ、ポットに
入れて持っていきますとも!!



※1 ……蕎麦好きらしい。
※2 ……BABELの閉鎖問題。SATIEは12月に終了したと思っていたようだが、実際は2月半ばまで最終戦があった。
※3 ……富田林育華。総長連合の特務であるため、この時期は三年生最後の仕事として大人達との折衝で多忙だったと思われる。
※4 ……実在する。
※5 ……というか、単に最近が粗食だったからリバウンドが起きたのでは。
※6 ……ヘルミタージュとマルゴー、ワインは産地名が名称となる。どちらも有名な赤。




1999年02月25日(木) 明日はお休み


昨日が少なかったせいか、今日はたくさんの御客様がいらっしゃいました。
中には私がまだ休んでいると思った方もおられたようで、ロビーの方からこそこそと噂話が聞こえたりします。気分的に有名人ですわね。
今日のお昼のミーティングでは、本社からの要請で就業時間帯が色々と変更になることが伝えられました。
今、私は9:00〜17:00までの八時間勤務ですが、三月以降−三月以降もここにいられればですが−は9:00〜18:00の九時間勤務で中に一時間休憩、もしくは13:00〜22:00で中に一時間休憩かの、どちらかを選択していく、という形(※1)になるそうです。
これはつまり、この旅行会社が10:00〜21:00の間、開いているようになるということです。(開店前と閉店後、それぞれ一時間ずつ準備や後片付けがあるのですね)
いやはや、夜にここに来る方はいらっしゃるんでしょうか?
細かい事件としましてはタイトルに書いたとおり、所長がそうするように言ってくれたことです。
いやはや、前回のことで随分とご迷惑をおかけしたのですが。扱いづらいバイト(※2)でしょうね、私って。
でも、休みをいただけるならば、ええ頑張って休ませていただきますとも。

追記1
明日が休みだということは、明後日出社して、さらに次の日、判決が下るわけですわね。私がここにいていいか。
判断の近い今、休みをとるように言われるなんて、これはかなり望みが薄いのでしょう。いやはや。

追記2
実家からハンガーが多数送られてきました。
一緒についてた手紙によると、前に送ったシャツ用らしいです。
でも御免なさい母さん、近所の100円セールでハンガーは買い揃えました。幾本か、会社用に持って来た方が良さそうですね。



※1 ……要するに早番と遅番の概念である。結構フレキシブルなようだ。
※2 ……言っているのは本人だけなのは周知の事実。




1999年02月26日(金) 掃除!!


今日はお休みということで、この前の三連休にはできなかった念願の掃除を慣行しました。
いやはや、ゴミが出るわ埃が出るわで大騒ぎですわねホント。
しかもそろそろ花粉の季節ですし、布団を干すなら今の内(※1)。一人で寝るには広いベッド−深い意味があっての発言じゃございません−から毛布やら何やら一気に剥がしてベランダへ。
そして部屋のゴミなどをまとめてみました。
気づいたのは、意外と食材関係のゴミがないことです。これはつまり私が落ち込むと食べなくなるタイプ(※2)だということですね、きっと。
ゴミがかなり多く出たので、ゴミ袋などが足りなくなりました。
お昼御飯を食べる−昼で外食だなんて大きくでましたわね私−のと一緒に色々な買い物と、そしてそう、昨日付けで御給料が銀行に振り込まれていたのでした。14万円。バイトでこんなにいただいていいのでしょうか。
よく考えたら久しぶりの労働の成果でした。
昔はパン屋でバイトをしつつ、やはり毎月こうやって働いた分のお金をいただいていたのですけど。その感覚を忘れていました。
そうやって得たお金を持って何か食べようと思ったのですが、何故か外食をする気が無くなっていました。
何というべきか。

私は意外と家庭的な上で叙情的(※3)なのかもしれません。

そのお金を持ってスーパーに行き、ゴミ袋などと一緒にお肉やパスタにワインなどを買い込み帰宅。自分のお金で買ったものを自分で調理して自分で食べて自分で片づける。それが一番に感じるのは地味なんでしょうね、芯の部分が。
気づいたらマットだけのベッドの上で寝て(※4)ました。ワインがきいたものと見えます。
起きたのは午後八時。寒い空気が部屋を洗っていることを感じつつ、寝ぼけ眼で冷えてしまった布団などを取り込みました。
と、ふと気づいたのは台所のゴミ袋のことです。
視界に入った袋は三つ。
しかも今日は日曜日ではなくて金曜日。
しまった。と思ってももう遅いです。回収日は来週の月曜日。
休暇と言うことで休みの日と勘違い(※5)してたのです。
参りました。
まとめたゴミの袋三つと三日間過ごせと神は仰ってるようです。
いや、でも、しかし、自分が生んだゴミです。三日間ぐらいはつきあってみせましょう。ええ、大丈夫ですとも!!


※1 ……花粉症?
※2 ……というか単に買いに行かなくなるだけなのは今までの記録通りである。意外と内向的なのかも知れない。
※3 ……貧乏性で思いこみが激しい、という気もするが、ものごとは良い方に考えるべきである。
※4 ……部屋の鍵は開けっぱなしなのだから、ひどく無防備な娘である。
※5 ……社会人特有のミス。この分だとビデオ録画の予約なども間違えるタイプだと思われる。



1999年02月27日(土) 静かな土曜日


御客様が少な目で静かな日でした。
今日はヴァイベルクさんがお休みです。何か理由があったわけではなく、正統な意味での休暇とのことでした。私と同じですわね。
近頃は段々と暖かくなってきており、会社の前を掃除していると薄着の方が多く通り過ぎていきました。ふと気づいたので、うちの会社の制服にも夏服(※1)があるのか否かをグスタフ氏に聞いてみました。
「当然ある」
とのことです。ですがその後に氏はひどくおごそかに、
「だが着るのは自由であり、個人的に言えばキミが着ることはあまり感心できない(※2)」
んだそうです。はあ、何事でしょうか一体。
ミーティング時の話だったのですが、ソウさん−彼女は香港支社で制服を着てた経験がおありですから、夏服がいかなるものかを知っておられる筈です−はその話題をハッキリ無視し、
「その前に社員になれたらねー」
と、一番気にしてることを軽い口調で言いました。
ええ、そうできればいいと思ってますとも。それも心から!!

就業時間が過ぎ、先ほどグスタフ氏が帰られました。
この社内にいるのは私と、奥のマシンルームにいる三人組だけです。
明かりを消して自動ドアの電源を落とし、軽く施錠して裏口から出ていくだけなのですが、ひょっとして、変な思い無しでここから帰るのは今日が最後になるかもしれません。
明日はひょっとすると負け犬気分で帰ることになるかもしれませんから。
でも、まだ負けたわけではないので気楽に行きましょう。
帰りに明日の夜に食べるものを豪勢に買っていかないと(※3)。もし正社員になれていたらウカれて騒ぐ(※4)でしょうし、なれていなかったら沈んで買い物に行く気も失せてしまうでしょうしね。
しかし、履歴書とかはまだ買いません。
敗北宣言を今からするようなことを、どうしてできましょうか!?


※1 ……デザイン画は存在しているが、まだ未発表。
※2 ……また、サイズ的に問題がある服だったりするようだ。(ログ1参照)
※3 ……このことから、この日は早番で入っていたものと思われる。
※4 ……彼女がウカれて騒ぐというのも、一度見てみたい気がするが、何となく悪い予感もする。




1999年02月28日(日) 今日


何だか色々とあった気がします。
本当はあまり大したことではなく、一つのことで、それがどういったわけか私の中で広く派生してしまったために一つのことがたくさんに感じられて色々と−何を書いてるのか自分でも良く解らなくなってしまいました−改めて思考を整理しましょう。

今日はいつも通りに御客様が見えられました。午前中だけで60人です。
その際、所長は何やら奥の方で仕事をなさってました(※1)。
私はいつ、所長から正式な辞令(と言うんでしょうか、この場合)として、この会社に採用されたか否かの通知が来るかを待っていました。
昼になって、ミーティングの際も、私はそれを待っていました。
午後になって、御客様が入れ替わる中、やはり私はそれを待っていました。
三時になって軽い休憩のときも、私はそれを待っていました。
休憩の後の最後の勤務時間も、ずっとずっと、待っていました。
私は待っていたのです。ええ、本当に(※2)。
でも、それはやってきませんでした。
就業後に声がかかるのかと思い、着替えるのを控えていたのですが、やはり所長は声を掛けてきません。
どうしたものでしょうか。
そう思い、でも、長くここに留まるわけにもいけませんから、私は自分から所長室のドアを叩きました。
中には所長はおらず、グスタフ氏がおられました。
本当は、遠回しに探ろうと思ったのですが、うまくいかないものですね。
率直に問いかけたのは、私がそれを気にかけてたまらなかったということでしょう。
「私は明日からもここに来ていいんでしょうか?」
私の問いに彼は振り向きもせず、
「? 明日、初日からいきなり休暇が必要かね?」
と言いました。
その瞬間、全てを私は悟りました。
何故か、全てが私にとって幸いな方向に動いていたことを。
私は−本当は喜びというか興奮というか、まあ、そういったもので−声も出せないほどでしたが、何とか吐息三つで喉に言葉を通しました。
「いえ、休みは必要ありません」
「ああ、では良かった。キミがいると助かることが多い」
「……助かる?」
「無理に働かせて倒れたもので、ここで働くのを拒否されたらどうすべきかと思っていたが」
「まさか」
何とか小さな笑いが作れました。そして、
「できましたら早急に採用通知をいただきたいです。実家の方に送って、母を安心させたい(※3)ですから」
「了解した」
そういうグスタフ氏は一度もこちらを振り返りません。
私はそのまま受付に戻り、職員用のトイレに駆け込みました。
個室に入って蓋を閉めた便座を椅子代わりに座り込み、そして一息。
すると身体から力が一気に抜けて、笑いがこぼれてきました。
「なあんだ」
と、つぶやく余裕がありました。
何しろ、ここ数日ずっと気に掛けていたことが、単に私の思いこみであったというそのことが解ったからです。
何てことでしょうね。
あれほど疲れて倒れたことや、一人で何も考えずに悩んだ(矛盾してますわね、この言い方)ことや、夜の街に感じたことも、全て私の空回りであったなんて!!
「なんてバカなんでしょう」
つぶやき、小さく笑いました。
そこから先はよく解りません。
笑みが段々と身体のふるえに変わって、気づいたら泣いてました(※3)。
笑って済ませて元気に終わるはずが、何故か涙がこぼれて止まりませんでした。
近頃、泣いてばかりです。
しかし、前とは違う涙です。それは解ります。
「良かった」
それだけが口から紡がれる言葉でした。
本当に、それだけだったのでしょう。
泣くときのコツが涙がこぼれても目元をこすらないことー目元をこするから目元が赤くなるのだそうです−と知っていたので、涙に全てを任せました。
胸ポケットの懐中時計(※4)にして三分、私の感覚にして数月分、泣きました。
そして軽く涙を拭って洗面所の鏡を見たら、化粧が淡く崩れた自分(※5)が当然のようにそこにいます。
顔を洗って出直しです。
胸のつかえもございません。ええ、ありませんとも!!

明日からは一ヶ月の研修期間としてこの会社に来ることとなります。
バイトではなくなり、研修社員という、やや不確かな身分になるわけですね。
でも構いません。
今日はすぐに帰って自宅や皆に電話です。
その後、一人で、昨日買っておいたものを食べるとしましょう。
こういう時は、一人の方が都合がいいんです。
また泣くかもしれませんからね。
ではまた明日!!

追記
どうして人は嬉しい感情というものを誰にも習わず書けるんでしょうね!?


※1 ……仕事に見せかけて寝ているだけの可能性が非常に高い。
※2 ……度胸が無いのかもしれない。
※3 ……母子家庭であるのは前述の通りだが、本人は全く苦に思っていないようである。
※4 ……事務作業をしていると、わずらわしい腕時計などをつける習慣が薄れていくことが多い。
※5 ……いつの間にやらそういう芸当も出来るようになっていたようだ。




1999年03月02日(火) 小旅行気分


  今日は出社するなり所長から一つの小包を預けられました。
「それを持って調布に行くように」
話によるとイータ女史が今日でまず香港支社へ査察に行くのだそうです。
それでどうやら、以前ここに来たときに忘れ物をしたらしく、
それを早急に届けねばならないとのことでした。
調布まで急行列車で十五分。近いです。
すぐに私は調布方面行きの列車に乗っていきました。
待ち合わせの場所は調布の中央にある大空白のそば、船を空に飛ばすための空港のエントランスです。
この調布の大空白は東京オリンピック時に作られたもので
地上東京唯一の地上式水港”大空港”の基地でもあります。
調布近郊の空間をごっそり”大空白襲”と同じ要領でくりぬき、
蒼円空間を人為的に作り出したのだそうで。
空と海の同一観念によって、この空間を通せば空にでも海にでも船を送ることができるとのことです。
イータ女史はここから船に乗って香港行きの空の旅をするのでしょう。
私がエントランスにたどり着いたとき、既に次の船が出ようとするところでした。
イータ女史はブラウンの地味なコートに赤い唾広の帽子をかぶって私を待っていました。
笑顔が印象的でした。
イータ女史は私から荷物を受け取り、時計を見て、礼を言うと、更にはこのようなことを言いました。
「今度会うときには、色々と話すことがあるでしょうね」
そのセリフに意味があるのか否か、私には解りません。
ただ、しっかりとした返事だけはしました。
「今でも話したいことがあります」
と。
しかし、その願いはかなえられませんでした。
イータ女史はまた小さく笑って軽く手を挙げ、さよならです。
私は空港から外に出て、大空白の青い闇に船が出航するのを見届けました。
遠くに星空さえ見えそうな不思議な空間。青空の下に一部だけ広がった海と言うべきでしょうか。
くりぬかれた空白は自分が空なのか何なのか
解らずに、自分に似たものの特性を含んだ蒼円空間となるのです。
空でも海でもない空間。
気づくと手の届くところに稚魚の群が泳いでいました。
手を伸ばすと逃げ、ひっこめると寄ってくる。そんなことをしている間に船が出ていきました。
帰社してみるとすでに午後。
所長にイータ女史と会った胸を告げると、所長のそばにいたグスタフ氏が、
「彼女は何か言ったかね?」
と問うてきました。
私が先ほどの短い会話を伝えるとグスタフ氏は何も言わずにうなづき、そのままです。
何かがあるべきだったのでしょうか? よく解りません。
何かがあるべきだったのでしょうか? よく解りません。

今日はそういう流れで午後まで仕事をしなかったので、自主的に残業をしてみました。
夜九時までのコースです。
八時には店を閉めるのですが、
やはり、仕事の後に片づけをする作業があると一日の仕事を終えた気になります。
今日は色々とありました。
でも一つ気になるのは、イータ女史のことです。
あの荷物は何だったのか、どうしてグスタフ氏が彼女を気にするのか。
そして何やら私が少し関係している気もするのですが。どういうことでしょう?
まあ、考えていても解る筈がございません。
今度イータ女史に会ったら色々と聞くことにしましょうか。

さて、今夜は友人の家に電話しなければなりません。
そろそろ学校の卒業式が近いのです。





1999年03月03日(水) 受験らしいです


学生さん達が一気に減りました。
テストや受験と言った話題が備え付けの掲示板システムに多く書き込まれ、皆の忙しさを証明してます。
御客様が忙しいと私達は暇になるようで、今日は昼前に事務用品の買い出しにいくこともできました。
他も色々と買い込みましたが、今回最大の買い物はスリッパでしょう。
カウンターの内側というものはつい掃除を怠ってしまう場所で、
雨の日などは足跡が残ってひどいことになります。
各案内所はどうなさるか知りませんが、一階ではきちんと靴棚も用意し、準備万端です。
ちなみに私は城でグスタフ氏は青、所長は黒を選びました。
ティーマ嬢は赤を選び、富田林さんは緑、ヴァイベルク女史とソウさんは取りませんでした。
スリッパを履いていると足音がいつもと違って不思議な気分です。
この音はそう自宅で仕事−自宅でもスリッパを履くのです、私−をしているような錯覚を起こすのでしょう。
一階で私とグスタフ氏と所長が同時に歩くと、なかなか騒がしくて妙な感じです。

追記
昨夜は友人から電話がありませんでした。
ひょっとすると私が寝た後にかかってきたのかもしれません。
昨夜はひどく寝付きが良い日だったので。
今夜、こちらから掛けてみるとしましょうか。





1999年03月04日(木) 友人から


会社に電話がありました。私用はやめろと言っておいたのですが、緊急だったようです。
明日、卒業式に着る和服(何て言うんですか? ハカマ? それ)を仕立てに行くとかで、
私に着いてきて欲しいと。
その理由がなかなかふるっていて、
「御給料出たんでしょ?」
タカりかあ!? などと叫んでも仕方ありません。
こういうわがままもきいてあげられるのはもう最後かもしれませんし、
保護者的友人としてはなるべくつきあってあげる所存ですわ。
いや、別に嫌気があるわけじゃあ、……ええ、ありませんとも。

今日はやはり御客様が少ないです。
私のように卒業式を待つ人達もいれば、悔い無き卒業のために頑張っている人もいるのでしょう。
後悔。
そういうものは自分の学生生活の中にあったのでしょうか、
などとひどく重たいことを午後の暇な時間に考えてみました。
この日本に留学する際は、かなりそれを言われた気もします。
何しろ一学年というまだ甘ちゃん−変な表現ですね−の時点で留学してしまったのですから。
「基礎を学んでからでなければ何の役にもたたないよ」
そう言われた事実は自分にすぐにふりかかりました。
何しろ大学生活をほとんど過ごさず留学したために、慣れがない。
ゼロから全て仕切らねばなりません。
色々と苦労したな、と思います。
結局、留学前に言われた、
「基礎」
をこちらの大学で学び直し、一年時でとりきれなかった単位を全て終えたのは三年の前期終了時でした。
そのとき、留学生は、
「二年間以上当地にいるならば、当学校に編入できる」
というので迷わずそうしました。このときも色々と言われた気がします。
ですが、その結果として私は今ここにいますし、後悔をしてません。
何事も、やればできてしまう。それを私はこの留学で学びました。
基礎がなければ得ればいい。
簡単なことです。
もし後悔があるとするならば、
やらないでも良いという生活をもはや選択できなくなってしまったという、そのことでしょうか。
女ですからね。
慣習に則ってしまえば、大学という執行猶予をおさめたあとは家庭に入るという道もあった筈です。
しかし私はここにいます。
色々とありましたが、ここにいますし、ここは−おそらくですが−私を受け入れてくれている気もします。
その意味で言えば学生時代の後悔というものは、少なくとも、大学においてはございません。
ここではどうなっていくのでしょう?
もしかすると、学生時代よりも長い時間を過ごす場所です。
答えは出ています。
やればどうにかなるのでしょう。そういうことです。
そんなことを今日は考えていました。

明日は休みをとろうと思います。
そして、明後日も。
ひょっとすると三日後も休みになってしまうかもしれません。
ええ、女ですので。なるべくどうにかしますけど、ね。




1999年03月05日(金) 和服を買いに


友人と八王子に出ました。
友人の話によると八王子は昔から絹の生産地なのだそうで、
黄八丈や黒八丈という布が作られているのだそうです。
友人と二人でデパートなどを回り、呉服屋に入って品定め。
気づいたら自分の分まで注文させられていました。
私の場合は髪が金髪なので
−日本人でもたまに染めてる方がいますが、和服を着るときには皆、染め直すそうです−
それを引き立たせ、なおかつ色を沈ませないようにオレンジの上と朱色の袴となりました。
かなり派手だと思います。いいんでしょうか?
なお、この注文で御給料の三分の一が飛びました。今月は早くも節制です。

相模原の駅で友人と別れ−彼女は横浜方面です−スーパーに寄って見ましたが、
飛んでいったお金のことが気になってあまり大きな買い物ができません。
しばらく考えながらうろついていると、大熊座の星団が賑やかにやってきて、
鍋物セットなどを買っていきました。
夜空の星達が矛盾都市−東京ではなく神奈川で買い物するのを見るのは初めてです。
立ち寄った際に軌道計算を少し誤ったのでしょうか。
彼らが去ったあと、やや消毒アルコールじみた匂いの残るスーパー内を歩き回って
幾つかの安価で強力なものを手に入れました。
地元の農家−ハテ、このあたりでそれを見たことがありませんが、
商品を納めているからにはどこかに存在してるのでしょう−の方が作った生蕎麦。
蕎麦粉が五割入って二人前で¥140。
蕎麦つゆと一緒に買って、家で茹でました。調子に乗って水に通し、ザル蕎麦です。
味は良好、茹でる時間をもっと研究すれば、もっといい味になると思われます。ええ、研究しますとも。
つけあわせはやはり湯通ししたほうれん草。マヨネーズでいただきました。
で、蕎麦は一人前が茹でられずに残ったので、それは蔵庫にしまって、また今度。
いやはや出費と倹約の重なった日でした。これからも気はぬけませんね。
明日も休みです。色々と今後のことを考えてみましょう。




1999年03月06日(土) 明日も


休んでしまいそうです。
理由は先月と同じですが、やや軽めだと言えましょう。
昨夜に冷たいものを食べたせいか、お腹のあたりに憂鬱が固まっているような感覚があります。
噂では、高機能化してしまえばこういうことがなくなるので、
月に三日ぐらいずっと高機能化している人がいるとも聞きます。
ですが、私なりに言えばこれはやっぱり自分の身体が自分にとって必要だからしていることなので、
それを拒否するのはいけません
−こういうことを言うから陰で”真面目すぎる”などと言われるのでしょうね−
とはいえ、会社つとめも始まるわけですし、少しは”寝る”以外の対策を考えたいところです。
腹筋運動とか、意味があるのでしょうか?
あ、別にやせたいとかそういうわけではなくて。
いやはや。

午後になってから小包が届きました。
配達員の方が受け取りに出た私を見て何やらあたふたしていたのですが、
よく考えたら寝るときは実家から送ってきたシャツ一枚とショーツのみなんですよね。
とはいえシャツが大きいから中身は見えてないはずなんですが、殿方とは不思議なところがあります。
さて、荷物は実家から送ってきた、今日のような日のための薬です。
何やら実家の方で販売されたらしく
−薬品物は規制が強いので検閲をうけはずですが、よくまあここまで来たものです−
母が拙い娘に送ってきたというわけですね。
中身は二種類。
母親の弁に寄れば、
「あまりきかないけど、死ぬほど眠くなる」
「かなりきくけど、幻覚を見る」
どうも欠陥商品にしか見えないのは気のせいでしょうか。
飲んだら寝ろ、そう言っているようにしか見えません。
とはいえお風呂も入れないわけですし、早めに寝た方がいいかもしれません。
夕食に昨日の蕎麦を茹で−今日は暖かいものにして−食べたら、飲んで即寝てみましょう。
では、今日はこれで終わりです。

追記
よく考えたら配達員さんが来たときはお腹を押さえていたので前が全開でした。
殿方には不思議なことはありませんでしたと言うことで御容赦を。




        い、何かラリリ
 困ったことに        指が八本に見え  いやこれは

父の       骸           ケ
       頭         薬がきいて
                        外は     朝日

 血が
        獣詞変              。





1999年03月07日(日) やはりお休み


朝目覚めたら5:00でした。
ボーっとしたまま四時間そのまま動けませんでした。理由は簡単。昨夜の薬のリバウンドです。
かなりラリっていたらしく、なぜかベッド脇のサイドテーブルに水を浸した中華鍋がおいてありました。
何をやってたんでしょうか昨夜は。
9:00くらいになってようやく意識が戻ってきたのですが、今度は身体がうまく動きません。
どーしたものでしょうか、などとボウっと考えていると、
何故か手が勝手に動いてベッド脇の電話をつかみ会社へ直通。
「ええ、そういうわけで休みます」
って一体どういうわけなんでしょうか。たまたま所長が、
「あーはいはい、休みね」
などと適当に相槌うって下さったから良いものの、他の人だったら何が何だか解らなかったでしょうね。
しかも困ったことに、電話の受話器を置くところまで手が動かず、
受話器を私の額の上に落としてそれっきりなんですけど。
どうしたものでしょうか。
二度寝をして、起きたらもう14:00です。
身体がダルいなりにも動いたので、台所の片づけをしました。やはりかなりラリっていたようです。
冷凍庫は空きっぱなしだし、レンジには溶けるチーズの山が溶けて固まってます。
何がしたかったのでしょうか?
午後は半ば作業的に掃除をしました。
特にまあ、色々あるわけで、床掃除は大変です。途中、シャワーも浴びてさっぱりして、更に作業。
夕刻から買い物に出ようかと思いましたが、食欲もあまりないので洗濯に入りました。
精燃の配達さんが来たので買おうとして、つい寝間着で外に出そうになって慌てて戻り、
着替えようと思ったらすぐに着れる服が全て洗濯中であることを思い出してアウト。
どうもまだ頭がまともに働いてないようです。
精燃は明日、近くのスタンドに買いに行くとして、今日はコタツに脚を突っ込んでじっとしてます。
下腹の調子もよくなりつつあるようですし、明日には元気に通勤できるでしょう。
しかしまあ、本当によく効く薬でしたこと。
捨ててしまおうかと思いましたが、どこでどうこぼれて大騒ぎになるか解りません。
危険物過ぎて一生保管して、私だけの秘密にすることになりそうです。

夜にいきなり思考が冴えてきて夜食をとりたくなりました。
いきなり−午前1:00だというのに−コタツのテーブルから顔をあげたとき、
部屋の冷たさを肌に感じ、自分の集中力に気づきました。
回復したのでしょう。それもいきなり。
これが薬の効力でしょうか?
とにかくレンジの中にあったチーズ−結局冷蔵庫にしまいなおしておいたのです−を
ブロック上に切って鍋へ。そして同時にパンを焼きつつ、チーズを焼き、ミルクとワインを注ぎます。
これで簡単なフォンデュの出来上がり。
冷蔵庫の中にあった野菜はバターで焼き、余ったチーズに投入して食べれる
ようにします。あとはオレンジジュースを用意して終了。
かなりの高カロリー食品ですが、ここ数日の回復を考えると丁度よいでしょう。
食べつつお風呂も沸かしておきましょう。
久しぶりに気分が良好です。ええ、大丈夫ですとも!!




1999年03月08日(月) 三日ぶりの


会社でした。
昨日も休んでしまった−以前に日曜日は出勤してくれと言われていましたので−ことを所長にお詫びです。
早速ソウさんに嫌味を一ついただきましたが、今日は絶好調なので気にもとめません。
随分と剛胆になったものですね、私も。
なお、今日は富田林さんが休みです。
話によると6日に大阪で騒動があったらしく
−私が寝ている間です−
富田林さんは早退して大阪に向かったそうです。話では明後日まで帰らないとか。
色々と世界は動いているようです。

今日はミーティングを終えてから女連中が集まって昨日の私のような問題を話し合いました。
ソウさんは適当に相槌をうつ役で、私はティーマ嬢の質問に答える役、
そしてヴァイベルクさんはじっと話を聞く役です。
色々と、ああいう時にどうするかという話をして、
まあ、殿方には聞かせられないようなことを言い合ったのですが、
よく考えるとこのメンバーでこういうことを話すのは、ええ、皆で集まって話すのは初めてな気がします。
富田林さんも戻ってこられたらすぐに会話に加われるでしょう。
色々と話して、皆が驚いたのは、ヴァイベルクさんにまだその機能が無いということでした。
確かにそれって自動人形の方から見たら、
「子供を生みたいと真に願う」
ことが必要な状況にならねばいけません。
まだ視覚もない彼女にして見れば、もしかすると、こういう知識を得たのも初めてだったかもしれません。
その割にはかなりスゴイことを言ってましたね、私。言葉を選べば良かったのですが。いやはや。
しかし、何となく、良い日でした。良い日でしたとも。
明日からは暇なときに皆が集まって私の御茶を飲んでくれそうな、そんな気がします。





1999年03月09日(火) 花を


商店街のご婦人方からいただきました。
話によるとこの会社が出来たことに対する一月遅れのお祝いと、
私が休んだ後の全快祝い−やはり解っていたのですね、あの頃疲れてたことが−とのことです。
花は今、ロビーのテーブルの花瓶に活けてあります。
不思議なものですね。
自分が知らないところで自分は誰かに自分以上の視点で自分をみられているのだと思います。
気が抜けないと同時に、また、それはとても快く気を落ち着かせてくれることではないでしょうか。
ええ、そうですとも、きっと。

さて、今日は大家さんから会社に電話がありました。
桐箱に入った大きな荷物が届いたので、忘れずに帰りに管理人室へ寄って欲しいとのことでした。
和服が届いたのでしょう。
そう、卒業式は18日です。
早いものです。19日から4月の1日まで、私は学生でも社会人でもない一人の人間になるわけですね。
友人は皆、卒業旅行とか言ってますが、
私はまあ、自費で家賃などを捻出することもあり、贅沢はしません。
大体今月は和服のせいでいきなりピンチですしね。
いやはや。
さて、ティーマ嬢が帰ろうと言っています。
それではまた明日。




1999年03月10日(水) 大忙し


と思ったら、どうも午前中だけのようです。
午後はゆっくりと会社の事務の整理をしました。
近頃、日にいらっしゃる御客様は130人前後で安定してます。
どうやらこのあたりが平均数値、といったところでしょうか。
多いのか少ないのかはよく解りません。
ですが、時折私が忙しくなったり、暇になったりするのは、
上下のバランスがとれているということですわね。

さて、今日は御茶の時間に近くの八百屋で買ってきたグレープフルーツを剥いて出しました。
実家の方では割って出すのではなく、房から出してお皿に並べるのですが、
こういうやり方でグレープフルーツを食べるのは珍しいようです。
今日はそんな話題から皆に質問を受けました。
よく考えてみると、西欧系の異邦人で、
なおかつ料理などに詳しそうなのといえばこの会社では私だけなんですよね
−グスタフ氏が詳しいとは思えませんし、
ティーマ嬢はそういうことにあまり興味がないようですし、
ソウさんは香港の方ですし、
ヴァイベルクさんはこちらに来てから意識が得られたそうですし−
そういうわけで話は近頃話題のワインのことに移りました。
もともとワイン自体は単なる果実酒なのですが、
「誰に尊ばれたかで食品の運命とは変わる」
ものです。
広大かつ手間のかかるブドウ園を持ってこその貴族。
そしてまたブドウはそれのみでお酒のもとになる水分を容易に(他の果物と比べて、ですが)
絞り出すことができますし、濁りが少ない。
そういった要素から葡萄酒が果実酒として優れている、ということになり、
貴族達のおのとなったのでしょう。
麦飯と白米の違いはまず見た目と言いますが、それと似たようなことかもしれません。
皆が驚いていたのは仏蘭西にはワイン以外のお酒も多く存在するということでした。
当然のように、地中海沿岸は果物の宝庫ですから、
仏蘭西は南部を中心に果実酒が多く存在するわけです。
ちょっと酒屋を覗けば苺やオレンジといった、ちょっと日本では見受けられないお酒もあります。
逆に、ビールなどは少な目です。
「仏蘭西人は苦みに旨さを認めない子供のようなものだ」
と言ったのは独逸の誰でしたっけ?

そんなことを色々と話していられるのも、やはり女連中だからだろうなあ、と思います。
今日は珍しくソウさんと言葉を良く交わしました。
彼女、結構飲むみたいです。ええ、そうでしょうとも。
でなければ今朝、二日酔い醒ましの仁丹を噛んでの出勤などしないでしょうに!!





1999年03月11日(木) 雨です


今日はひどく寒いです。昨日は雨の中に少しは晴れ間が見えたのですが、
今日は容赦のない天気でした。
ただ、それにしては御客様の多い日です。おそらく受験シーズンが終わるのではないでしょうか。
そしてまた、新しい季節が始まるのですね
忙しい中、今日は変わったものを見ました。
お昼過ぎにいきなり区役所の方から第二警報が鳴り響いたかと思うと、
環八の方に出る道路をアーミーの駐屯軍が駆け抜けていきました。
商店街の皆さんも雨の中、八百屋さんやパン屋さんのショップルーフの下に集まって大騒ぎをしています。
御客様も皆が外に出て行くので、私も−所長から許可を得まして−傘をさして外に出ました。
空。
厚い雲のかかる空が異様に暗いです。
何事かと思っていると、雨の中を走ってきたティーマ嬢が空を指さして教えて下さいました。
「はいがるど!!」
視界に広がる空一面の黒さは、雲だけではなく、それの影だったのです。
そう。第二次世界大戦で建造された「ガルド級」の飛行戦艦。
独逸にて六艦建造されたそれは、
そのほとんどが威力を発揮せずに連合軍の化学兵器で内部の乗員がいなくなりました。
が、化学兵器を用いて倒した最大の理由は、
「攻撃力故に近づくことさえかなわなかった」
からと言われています。
ティーマ嬢は、
「お爺さんが戦ったことあるんだ、あれと」
と教えて下さいました。ガルド級飛行戦艦の最大の特徴は自立航行と戦闘が行えることで、
乗員を全て失った六艦は、
「あてもなくただ戦うために空をさまよう」
のです。
以下はティーマ嬢からのお話です。
ガルド級飛行戦艦には幾度も米軍を筆頭とする列強軍隊が戦闘を挑みましたが、
全て完膚無きまでに叩きのめされています。
タチの悪いことに装甲に喪失技巧である強回復型紋章を使用しているらしいことと、
わずかながらも重力制御がつかえるために格爆弾の直撃さえものともしなかったとか。
十二年前に太平洋上で「みっどがるど」と「あーすがるど」が激突して、
両方とも海に沈んだと聞きます(その折りには近くの島が根こそぎ消えたそうです)
今や誰もガルド級飛行戦艦に喧嘩を売るものはおらず、
たまにトレジャーハンターが中の喪失技巧を求めて火傷をするそうです。
おれら、現在動いている四艦は少しずつですがその軌道を上にあげつつあるそうです。
噂ではあと3000年もしたら大気圏外に出るとか。
きっと、独逸軍が大天蓋の向こうに置いた第三の月に行きたいのでしょうね。

なお、はいがるどは三十分ほどで東京上空を通過しました。
グスタフ氏の話によればスケール速度的に見て異常な速度なのだそうです。
氏は子供の頃にガルド級飛行戦艦のプラモデルを作った話などを
−珍しく−楽しそうに話して下さいました。
殿方はいつになっても子供ですわねホントに。

しかし、かつてはああいうものを作る技術が存在したのですね。
私はその存在を生で見るのは初めてでした。ひどく驚きました。
人は今、進化してるんでしょうか?
はてさて、夜に蕎麦を茹でようとか考えている人間の思うことではないですわね。





1999年03月12日(金) 新聞を


読む一日でした。
気になったのは昨日の”はいがるど”のことです。
何故それが気になったのかと言えば、欧州にはやはりラグナロク伝説が伝わっていることと、
そして何よりもその存在感に興味を得たからです。
会社で取っている新聞にははいがるどの進行コースが地図上で示されていました。
はいがるどは東京南部側、神奈川沖からゆっくりと群馬、新潟方面へ抜け
今日の昼には日本海を北上するとのことです。
昨夜は群馬の山に戦車隊やVTOLが構えて大騒ぎだったそうで
−はいがるどは自分に接近するものを無差別攻撃するので、
標高の高い場所を敵とみなして砲撃する恐れがあるのです−
新聞では山裾に布陣する戦車隊の写真が載っていました。
不思議ですわね。
あのガルド級飛行戦艦は、もはや私達の世界では作れないものです。
書簡都市−プラハ(漢字では”符等”でしたっけ?)の最下層、
地下6000キロの位置に喪失技巧の設計図群が隠されたと聞きますが、
溶岩を越えてそれを取りに行くワード・ロケッティアもおりますまい。
あの飛行戦艦は、おそらく、山や雲と同じように、もはや私達が作り得ない自然環境の一種なのです。
不思議な感覚ですわね。
人が作ることが可能だったものが、もはやかなわず、まるで神のように扱われる。
一昨年は香港で竜が生まれて大騒ぎになりましたが、あの竜もやはり喪失技巧です。
難しいことを考えているというのは、解ります。
旅行会社の社員が何を考えているのかと、身分不相応な思考だというのも解ります。
ですが、思うのは、
「この世界はどういう形をしているのでしょう?」
そのことです。
私は自分自身を夜の街と比較して見つめ直しました。
同じように、この世界は、夜の街なのではないでしょうか。
そんなことを思います。
空より広い飛行戦艦は私達を無視して動きます。
彼−と言って良いかは解りませんが−と自分を比較するのは馬鹿なことなのでしょうか。
そして考えます。
私は旅行会社の社員です。
世界を調べる必要が、あるのかもしれません。
いつか。いつでもいいですから。
この世界の多くを知り、自分がそこでどうあるべきなのかを考えたいと、
そう、社会人になってない人間は思います。
ええ、思いますとも。
かつて美術の先生は、ものの見方を教えて下さいました。
昨日のはいがるどは、私にとっての”球”の一面であった気がします。
これからもそういうものを、どれだけ見つけていけるでしょうか。
はてさて。





1999年03月13日(土) 13日の土曜日


タイトルに意味はございません。
今日は会社の近所の惣菜屋さんでコロッケが美味しそうだったので大量に買い込み、
ミーティング時のおかずにしました。商店街が近くにあると便利ですわね、こういう時って。
変わった惣菜屋さんで、毎週毎週新しい揚げ物を一つ作って試したり、
今までの商品と入れ替えたりするのだそうです。
家の近所でしたならば、揚げ物だけではなく、
一緒に並んでる鮭のマリネやらヒジキなどを買って楽しむのですけどね。ええ、家庭的ですのよ、私。
今日、アーケードに並んだのは”マヨ玉子コロッケ”でした。
中には荒く練った卵サラダとハムが入っており、意外と軽く食べられます。
食べ方も人それぞれで、ヴァイベルクさんが箸を使えたことに驚きました。
前にも蕎麦を食べるのを見ていたのですが、今回のように皿にとった上で割って食べるなど、
ええ、かなり驚きです。
なお、ティーマ嬢は手づかみ
−英国では路上にこういうフライやチップスを売る商売がかなりあるんだそうで−
でサクサク食べますし、ソウさんは箸で普通に食されます。

なお、明日は休みを取ることになりました。
これは私のミスで、ついうっかり今日お休みを取るはずが、忘れていたのです。
明日には富田林さんが戻ってくるとのことで、それと入れ替わりです。
このミスでソウさんから嫌味を言われ、つい言い返してしまいました。
ホントは自分が悪いのですが。いやはや、あの方には何故か強くあたってしまいますわね、
どうしたものでしょうか。
やはり第一印象なのでしょうかね……。





1999年03月14日(日) 友人と


買い物に出ました。
先日のはいがるど事件などを話題にしていたら、友人が一言。
「今日、会社の方が良かったんじゃない?」
「何故?」
「ホワイトデー。……私みたいなのと一緒にいていーのかアンタ」
しまった。
確かに今日は町中にアベックが多いと思ったら、すっかり日本的慣習を忘却して休日に酔ってました。
「社会人ねー」
と友人はからかいますが、確かにそうかもしれません。会社の感覚でいると
「会社の日常」
に捕まって、
「世間の日常」
とはずれてしまうんですよね。気をつけておかないとトシをどんどんとっていってしまいそうです。
しかしまあ、街はよく見ると本当にホワイトデーで
−嘘のホワイトデーがあるとは思えませんが−賑わっています。
買い物でデパートを覗けば欲しい色の帽子などが安いのですが、友人曰く、
「オトコが買うために安くなってんのよ」だそうです。世の中ルールが複雑ですわね。
昼食をとらずに午後半ばまで街を歩き回りました。
友人に夜の街を歩いたことがあるかと問うと、無いと素直に言われて言葉を継げなくなったり、
月を見上げた歩道橋を渡っては足を止めたりと、私はどうやら過去に生きる女のようです。いやはや。
そのまま彼女を家に招いて近頃凝ってる蕎麦を茹でて食べました。
友人は私が箸を自由に使えることに驚いていましたが、
ヴァイベルクさんのことを告げると更に驚いていました。
日本の人にとっては異人が箸を使えることは驚きに……というか、私も昨日はそうでしたね。
それから友人を駅まで置くって、
実はひそかに一人でさっきのデパートに行って欲しかった帽子を買いました。
ええ、安く買いましたとも。
こういうところが段々と実家の母に似てきたと思います。
そうそう、実家の方に蕎麦を買って送りました。
パスタがゆでれる環境ですから、蕎麦も何とかなるでしょう。
麺ツユは保存を考えて粉末タイプにしました。
母のことですからアパルトメントの隣室の方達を招いて蕎麦湯までちゃんと作るでしょう。

今日はこれからお風呂に入って寝ます。いつもは疲れているせいか、
お風呂は”浸かる”という気分ですが、今日は心地よい疲労だけです。
一人暮らしですし、子供のように飛び込んで見るとしましょうか。



1999年03月15日(月) 逆バレンタイン


なかなか圧巻です。
会社に来たら机の上にマシュマロの箱が五つ。しかも大箱。
何事かと思いましたところ、昨日のホワイトデーで、
所長とグスタフ氏と三人組の方々が皆で同じようなものを買ってきたと、そういうことのようです。
はてさて、これはどうしたものか。

大阪から帰ってきた富田林さんにお土産の通天閣置物をいただき、
それをカウンターに飾っていたら、御客様の何人かが大阪フェアか何かと思ったようです。
午後から大阪方面行きが混雑しました。
ミーティング終了時に女連中で額を寄せて話あったところ、
皆のところにもマシュマロが死ぬほど−ひどい表現ですこと−届いているようです。
どうして殿方はこういう場合、フォーマットに準じたがるのでしょうか。よく解りませんわね。
さて、結局、マシュマロの処理は私がすることとなりました。
富田林さんは一箱持ち帰り。ティーマ嬢は二箱くらいなら摘めると言うことです。
ソウさんは全ダメ、ヴァイベルクさんも同じく。
よって私のも入れて二重二箱のマシュマロが余りました。
しょうがないので戸棚を漁ってバレンタインの残りであったホットチョコの缶を発掘しました。
そして午後の暇な時に傘を差し、雨の中を近所のパン屋さんへ。
そこで同様のホットチョコの缶を三つほど、ミルクを5パック買いました。
あとは流し横のコンロで鍋一杯に牛乳を沸かし、ホットチョコを投入。
そしてカップの中にマシュマロを仕込んでホットチョコを上から注ぐだけ。
洋風のやり方ですわね。熱でマシュマロが溶けてチョコの粉っぽい感覚がなくなります。
ホットチョコは砂糖が入っていないものを買うのがコツです。
甘さは控えめに作り、マシュマロに大部分を任せましょう。
無論、これらは私達だけで対処出来ないので、その場にいらっしゃった御客様達にも給仕しました。
反応は好評です。雨で気温が高くなっているものの、濡れる冷たさがあったせいでしょうか。
紙コップはすぐに無くなって、暇そうにしていた所長に追加分を買ってきていただくことになりました。
いやはや。
結局、午後はずっと御客様相手にそれを振る舞い、
ミルクは12パック、ホットチョコは合計4缶を消費しました。
マシュマロは残り四箱です。
冷蔵庫に入れておきましょう。いずれ余裕がありましたらプディングの材料にしようと思います。
そんなこんなで今日は甘い匂いが体中に染みついた気がします。
甘い女でしょうかね? いえいえ、現実的な女のつもりです。
ええ、そのつもりですとも。

終業間際に不動産屋さんから電話がありました。
良い物件が見つかったのでFAXで送るとのことです。色々検討したいですね。





1999年03月16日(火) さて


今日は暖かい日でした。
新聞では春一番の南風が渋谷方面に舞い降りたらしく、おかげで東京圏は完全な小春日和となりました。
私も一昨年に南風が中央線と併走して飛ぶのを見たことがあります。
青いコートは南国の風の象徴なのだとか。逆に北風は黒。東風は白。
そしてゼピュロスの名前を持つ西風は女性らしくブラウンのさっぱりしたコートだそうです。
母方の田舎である倫敦では彼らの予備軍達が多くいるそうですが、
やはり現実世界ではそうも行きません。
でも、昼に商店街に出たら、区役所の職員の方達が白のペンキを持って通りを駆けていきました。
そろそろ桜が咲くのでしょうね。
春が近づいています。
明後日は卒業式です。
段々と、社会人になる被害か付いてきたのだなあ、と、そう思います。

今日は短いですが、これにて。
色々と考えていることがあるのです。
ええ、考え込んでいますとも。本当に本当に。





1999年03月17日(水) 明日は


卒業式です。
昨日からそのことを考えていました。ええ、考えていましたとも。
昨日、この日誌に卒業のことを書く前から、考えていました。
昨夜は何故か眠れなくなりました。
今日はうつらうつらしながらの就業です。
一体どうしたことでしょうね。
高校の折りにはさほど悩みもせずに次へと進んだ気がするのですが、大学卒業を思うと、
「もう二度とこういう時間は来ないのでしょうね」
と、そういうセリフばかりが心に浮かびます。
前にも後悔しないことをこの日誌に書いたばかりですのに。弱いですわね、私。
とにかく色々と思い出したり考えたり。
やはり、
「これで一つの世代的終わり」
だからでしょうか?
学生ではなくなるのですね。
学ぶことが終わって実践へ。そう考えたときに、本当に自分は大丈夫なのかどうかを考え、
また、今までの学んで遊んできたことを思い出すのです。
不思議な感覚です。
でも、無理に答えを出そうとは思いません。いつか、この疑問は解けることでしょう。
これを書いてる間に解けるかもしれませんし、死ぬ直前に解けるかもしれません。
気長に参りましょう。ええ、気長に待ちますとも。
この不思議さをもって明日は式に望みます。

ええと、全く今日の仕事について書いておりませんね。
今日の仕事の大半は、花瓶を買うことに費やされました。
商店街の御婦人が、会社に一つ、梅の枝を持ってきて下さったのです。
昨日に区役所の職員さんが塗って下さったに違いありません。
白い花びらは艶やかにまだ露濡れしており、ひどく色気を感じさせます。
これを流しで洗ったグラスに活けるわけにもいかず、
今日は所長の許可を得て色々と見ることにしました。
スーパーでは形のいい花瓶があったのですが、白ばかりで花が冴えません。
商店街の小物屋では首の細いものばかりで、枝を差すには向いていません。
結局、商店街の裏、もう一つの商店街にある骨董品屋さんで買いました。
店の中にはやはり骨董らしい電車の模型が走っており、何やら変わった雰囲気です。
本や戸棚や扇風機と並んで幾つもの花瓶やカップやお皿があります。
古い店だといっぺんで解りましたが、何となく、違和感がありました。
その違和感の中で見つけたのは黒い花瓶でした。
お値段は結構したのですが、店主さん−亀のように老いたご老人です−は、私の顔を見て、
「2000でいいから買っていきな」
と言うのです。私はお言葉に甘えてその通りにしました。
花瓶を包みつつ、店主さんは色々と話して下さいました。
花瓶は中国の古いもの−本当かどうかは店主さんも知らないそうですが−だが
ちょっと口が欠けているせいでほとんど価値がない
−そのとき見た時点では傷などありませんでしたが−こと。
それを売りに来たのはつい最近、異人の女性であったこと。
そして自分は昔から空襲にも負けずにこの付近で骨董品屋をやっていること。
「数年前まで敵の空襲に怯えてたもんだがねえ」
なるほど。
新聞紙にくるんでいただいた花瓶を受け取り、御礼を言って会社に戻りました。
そして気づいたのが、お金を払っていなかったということです。
所長にそのことを告げて出ようとしたとき、
ロビーで御茶を飲んでいたソウさんが首をひねってこう言いました。
「あのあたりに骨董品屋なんてあったっけ?」
所長も首をひねり、私も考えました。
グスタフ氏が言うには、
「向こうの商店街には、食料品屋と薬局しかないはずだが」
一体これはどういうことでしょう?
慌てて広げた包みの中から出てきた花瓶は、確かに口が少し欠けていました。
訳が分かりません。しかし、ここは矛盾都市です。
おそらくあの骨董品屋はこの商店街に何らかの条件で存在するのでしょう。
もはや行って確かめたところであの店は見つかりますまい。私が店内で気づいた違和感は、
「古そうなものが、新しいままで存在している」
という違和感に相違ありません。
不思議な感覚です。
花瓶を包んでいる新聞紙は1946年11月3日、トップ記事は、
「GHQにより真・日本国憲法公布」
です。新聞は新しいものでした。
不思議な感覚です。
今日は午後の間中、この花瓶を見て、卒業のことを思っていました。
そういう日です。今日はその新聞を持って帰って読むつもりです。




1999年03月18日(木) ではこれから


卒業式に行って参ります。
今夜はどうなるか解りませんが、おそらく、帰宅は深夜になるでしょう。
それは確実です。
では行って参ります。

一時帰還です。
表に友人の車が待っていますので和服から平服に着替えたらすぐ出ます。
はてさて。
今夜はかなり飲みそうな気配。




1999年03月19日(金) 飲んだ飲んだ


二日酔いでベッドから起きようとした瞬間に悶絶しました。
会社に昼出社と電話して一度ダウンです。
が、昼になっても頭痛がなかなか治まりません。
仕方がないのでもう一度会社に電話をして本格的休暇をとることにしました。
所長の勧めで大事をとって明日もお休みと言うことにしたのですが、まあ、確かにそれが正解です。
ようやく起きあがれるようになったのは夕方過ぎです。
妙にしなびた髪をかきあげながらベッドから体を起こすと、
自分が土足でスーツを着たまま寝ていたことに気づきました。
ついでに横に誰かがいる気配がしたので見てみれば、薬局のカエル人形がベッドに寝ています。
どうしましょう。
とにかくそれは深夜にお帰りいただくとして、まずは部屋の片づけです。
何やらひどく荒れています。
きっと友人達と酔っぱらって何かしたのでしょうけども、いやはや。書かない方が身のためです。
とにかくベランダに飾ってあるスタンドライトとコタツは急いでしまいました。
しかしまあ、私が前後不覚になるとはとんでもない状態です。
これでも実家は仏蘭西ですし、子供の頃からワインで鍛えていたのですけど。
掃除には時間がかかりました。
体を動かしていると、アルコールが抜けていくのが解ります。
酔いを醒ますためにほどよく冷たいシャワーを浴びて、買い物へ。
スーツもクリ−ニングに出したかったですし、身体が動きを欲しがっていました。
夜九時でしたので深夜営業のスーパーに行ってスーツを出し、ネギや白身魚を買って帰宅。
そのままブーリッドのお米版ともいえるものを作って夕食です。
日本では雑炊と言うのでしょうね、これ。
仏蘭西には無いタイプの料理です。
仏蘭西には料理が星の数ほどありますが、それでもやはり世界にはもっと多くのものが存在します。
たとえば仏蘭西では料理のほとんどが、
この”雑炊”にしてもパンを用いるものばかりで、お米の文化とはほど遠い食事ばかりです。
しかし、それらとお米を合成して新しい料理を作ったならば?私の好きなお蕎麦とかもそうです。
また、仏蘭西料理には醤油も味噌もございません。
こうやって考えると二つの国にまたがる生活というものは
非常に多くの可能性を含んでいると言えましょう。
と、何やら近頃は難しいことを言いたがるクセがついてるようです。
食事も終えてとりあえず人心地。
そして今、寝間着に着替えてからこの日誌を書いているわけです。
しかし、ベッドを占領している緑色の先客をどうしようか悩んでおります。
先に寝間着に着替えたのは失敗だったかもしれませんね。
いやはや。





1999年03月20日(土) 参りました


一昨日の夜にいきなり現れた同居者が帰ってくれません。
昨夜、車を持っている友人を呼び−その人から一昨日の夜の大騒ぎの話を聞きました。
実は皆が私が酔うか否かを確かめるために私に集中して飲酒させたようなのです。
話ではガロン単位で飲んだなどと言っておりますから、相当なものだったのでしょうね
−同居者を”積んで”、私の記憶にある薬局へ向かいました。
駅の近くの薬局には確かに彼がいたハズです。
深夜四時、泥棒気分で現場に到着して何とか一息ついた私達を待っていたのは、
「薬局の前に既にいる同居者」
でした。
友人と顔を見合わせて車の中を見ると、私の部屋の同居者は後部座席に寝たまま微笑を浮かべています。
前を見れば、薬局の前にいる彼はやや色が違います。
何となく、後部座席の彼よりも年期が入っているようです。
「別人!?」
じゃあ私は後部座席の彼を一体どこから連れてきたのでしょう?
「あー、監獄行きかあ」
友人が煙草−女性なのにタールの強いのが好きな人です−を吸いつつ、つぶやきました。
しかし参りました。
それから帰宅して、彼をベッド脇に立たせたままなのですが、どうしたものか。
私の記憶にある範囲では、彼がいるような薬局はもうありません。
昼に色々と歩き回りましたが、該当するような場所も無いです。
そしてまた気がかりなのが、彼、どうやってこの部屋に来たのでしょう。
友人は、飲んで酔っぱらって脱ぎだした私を皆で押さえ込み、スーツを着せて
寝かせたと言いましたが、その時には彼の姿はなかったそうです。
だとすれば私は酔っぱらったままに外へでて、
どこからか彼を一人で抱えてさらってきたことになります……。
やっかいなことになりました。色々と理由は考えられますが、考えたくもない理由もあります。
とりあえず、酔ったままどこからか苦労してひきずってきたか、
別の友人を呼んで一緒にさらってきたか。
どちらかということにしておきましょう。
何しろひどく重いのですよね、彼。
私一人では、普通、抱えることもできないのです。
どうしたものでしょうか。
今夜は街を歩いて彼がいそうなところを当てもなく開拓してみましょう。
多分に、夜の街をまた歩きたいという、そんな甘い感情もあります。
ええ、好きですもの、夜が。

そういうわけで、シャツにジーンズ、上にダウンコートという格好でこれから外にでます。
懐中電灯は一応持っていきますが、つけないでしょうね。
明日は会社なのでほどほどにしたいところですが、どうなることやら。




1999年03月21日(日) いやはや


同居者は自宅に置いたまま出勤です。
結局、昨夜は街に出たものの途中で雨に降られて帰宅せざるを得ませんでした。
身体も冷えて御風呂を二度沸かすことになりましたし、参ったものです。
何となくきがかりではありますが、本日も無事に職務を果たしました。
段々と仕事になれてきたのか、それとも休み明けだからか。その両方だと思いますけれども。
そしてまた、皆さんから卒業祝いと言うことで一本、万年筆をいただきました。
所長がティーマ嬢に頼み、英国から取り寄せておいたのだそうで。
パーカー製のもので、母が持っていたものとよく似ています。
中を見てみましたがインクも同社製でした。高級品ですね。ありがたいものです。
不思議なもので、いつもはコンピュータに向かってタイピングをしているだけ
で仕事が済むのに、万年筆などいただきますと無性に使ってみたくなります。
とはえメモ帳に落書きしていても仕方がありません。
当分、これはカウンターの下における番人として役だってくれるでしょう。

今日は雨でひどく寒いです。
ティーマ嬢が帰りにラーメン屋に行こうと誘ってくれました。
またロースカツラーメンかと問えば、今度は違うのだとか。
どうやってそんなに新しいネタを仕入れてこれるのでしょうか? 不思議な娘です。
とりあえず今日は彼女についていって新しい味覚に触れてきます。
ワインが無いのでやや不安ではありますが。いやはや、頑張ってみます。
ではまた明日。





1999年03月22日(月) 風がひどく強い日です


今日は午前中から夕方にかけて突風が吹く日でした。
気温は暖かいのですが、体感温度はひどく寒かったです。
話では群馬や長野方面に残っていた北風の旅団が一気に吹き降りたのだそうで。
町中では風をはためかせた黒いコートの男性方が多く見えたはずです。
彼らの多くは箱根を経由して海に出て、そのまま一気に空へと上昇します。
北風の遺伝詞はそのまま空気中に溶け、寒くなる頃にまた凍結凝固してもとの北風に戻る……、
不思議な話ではありますね。
風が強いので表の足拭きマットを片づけに表に出たところ、ものの見事に風に吹かれて転びました。
近所の八百屋の店員さん達が慌てて駆けつけてきてくれましたが、
彼の店の商品も風に煽られて道路にこぼれっぱなしです。
参った参ったと道路に座って空を眺めれば、
蒼い空には北風達の通り道が引っ掻き傷のように白く残っています。
グスタフ氏の話によれば、この雲の流れは神罰都市−横浜から南、
海上で一気に上に拭き上がる白い断層となるのだとか。
季節ものなので、今日を逃したら見れないのでしょうね。
何となく惜しいことです。

さて、今日はそのようなことがニュースですが、昨日のラーメン屋についても語らねばなりますまい。
ティーマ嬢に引っ張られていったのは、まあ何と会社の近くの、
いつも目の前に見えている−ゆえに利用しないのですが−ラーメン屋でして。
「ホントは焼豚麺が一番だけど、今日はこれ」
と彼女に勧められたのは、”冷・和風麺”。
一見するとただのラーメンのようですが、ツユは鰹出汁の蕎麦ツユに似たもので、冷麺仕立てです。
量も味もなかなか宜しいのではないでしょうか?
欠点は三つ。
焼豚が入っているのですが、これの油が時間とともにどんどん固まっていってしまうこと。
薬味としてワサビが小さくお椀の縁にもられているのですが、
これがふとしたはずみで−その気もないのに−中に落ち、
個人的に大騒ぎになる味覚を生んでしまうこと。
とにかく冷たいので昨夜のような寒いときに食べるものではないこと。
いやはや、とにかく身が冷えました。ええ、冷えましたとも。
よく見てるとティーマ嬢は餃子を頼んでいたりして、防寒態勢を整えていました。
今回もまた甘かったようです。ラーメンを食べに行った帰りに暖をとるため缶コーヒーとは、情けない。
やはりワインは必須ですね。
次は負けません。
何に勝つのかいささか解りませんが。はてさて。




1999年03月23日(火) 今日もまた


ティーマ嬢が猫になって出社されました。
あとあとになて話を聞くと、混雑した列車の中で足を踏まれたのが原因だそうで、
慌てて鉄道会社に電話しましたところ、脱ぎ捨てられた女性ものの衣服が三組発見されたそうです。
衣服の特徴からその内の一つがティーマ嬢のものと解りました。
はて、他の二組は?
やはり同じような方がいらっしゃるのでしょう。私達が使う鉄道は私鉄ですから、国鉄や、日本中、
いえ、世界中という観点で見たらティーマ嬢のような方はもっと多くいらっしゃるはずです。
そしてまた、彼女を助けて電話したり、
膝の上に乗せて人に戻るまでの時間を過ごす方も、それと同数はいるのでしょう。
世の中持ちつ持たれつです。
今日は彼女が人に戻る前に毛布でくるんでおけたので、大騒ぎにはなりません
でした。所要時間は推定ですが四時間ほど。
今度はその時間になったら更衣室まで運んであげようと思います。
なお、明日はとうとう高機能化を使用する仕事が生まれました。
伯林方面の旅行者の方−留学生の親御さんらしいのです−で必要なデータを
とにかく集めておきたいというのが理由です。
明日のお昼からの二時間ほどを予約を取られまして、
ヴァイベルクさんが高機能化して電詞空間に飛ぶこととなります。
DT、つまりはデトロイトからの共鳴都市データから色々と引き出して
早急にまとめあげねばなりません。
大事ですわね。ええ、私が機械を扱うわけですし、気合いを入れませんと。
そんなわけでミーティングにおいて私は今日、
早く帰ってマニュアルとシミュレートソフトの再確認だそうで。
家にコンピュータ無いんですけど……。
まあ、なんとかしましょう。
ヴァイベルクさんは所長やソウさんと残って色々と勉強だそうです。
所長はいつもご実家の方からそれですし、ソウさんは香港支社で幾度か高機能化を行ったことがあり、
その後の対処などに詳しいです。
ヴァイベルクさんの方はお二人に任せておきましょう。
はてさて、明日は大仕事ですわね。ええ、頑張りますとも!!




1999年03月24日(水) 三等身?


今日は会社に行くと、いきなり妙なものを見ました。
何やら小さな翼の生えた丸っこいものが私の椅子の上にいるのです。
何事かと思って近寄り、椅子からそれをどかそうとしたら、
翼が緩やかに動いて私の手をはじき返しました。
猫が近寄る手を払いのけようとする、あの仕草に似ています。
しかしそれをどかさないことには仕事になりません。
意を決して一気に持ち上げてみると、それはまあ何と、高機能化したソウさんでした。
彼女は私の腕の中で子供のように暴れて−いきなり抱え上げられてびっくりしたのでしょう−
カウンターの下に隠れてしまいました。
見事な三等身です。
カウンターの下に隠れても突きだして見えている三枚翼がひどく可愛らしいのですが、
これでもやはり仕事になりません。
とりあえず冷蔵庫に入れてあったオレンジジュースを餌に何とか表に引き出しました。
しかし、何事でしょう?
その原因は自分のコンピュータを立ち上げて分かりました。
私のコンピュータにインストールされていた高機能化変換装置の制御ソフトが、
もはや完全に使用できるスタンバイ状態になっていたのです。
おそらくソウさんが昨夜、泊まり込みでずっと作業したのでしょう。
それだけではありません。
ジュースを怯えた調子で飲むソウさんとは別に、
まだ誰もいないハズのロビーの方で小さな人影が立ち上がりました。
眠そうな顔の−高機能化した−ヴァイベルクさんです。
彼女はゆっくりと通路の方にでてきて、そのまま倒れてまた寝てしまいました。
どうも妙なことになりつつあるようです。気になって制御ソフトを調べてみましたところ。
お二人が高機能化をなさったのはどちらも午前三時前後。
ちなみに高機能化の継続時間は12時間という超尺を選んでいました。おそらく、
「そのまま今日の仕事をするつもり」
だったのでしょう。調べたところ、変換器の変換トナーが二本、きれいになくなっています。
いやはや、大事ですわね。このトナー一本で会社のいる土地が買えるくらいだと言うのに。
しかもお二人を見ていると、どうも変換時の、
「自分の高機能化」
において残した個性がいつもの人格とは別なようです。
ややクールにハキハキ動くヴァイベルクさんは、気づくと寝ている人形並ですし、
ソウさんは子猫のように表に出るのを怖がっています。
不思議なものです。
所長とグスタフ氏が来られてから、新しくなったお二人を紹介し、今日の仕事に備えました。
問題はソウさんで、ずっとグスタフ氏にしがみついたまま離れないという状態で、
外界を恐れているようでした。
香港案内所は今日のところ閉めまして、
二階の伯林案内所にヴァイベルクさんを連れていってからが大仕事。
二階の伯林案内所から学生さん達の嬌声が聞こえてくるたびに出陣です。
ぬいぐるみじゃないんですのよ……。
さて、予約のあった御客様が見えられました。
私は紳士的な老御夫妻をロビーにお待たせしてからヴァイベルクさんを連れてきて、
高機能化変換器の第二ポッドに冷凍食品的に叩き込みます。
起動はコンピュータから一発です。
すぐにカウンター側のコンピュータにヴァイベルクさんのアイコンが表示されました。
これが高機能化。個人の遺伝詞情報をデトロイト経由で
完全にデータ化してプログラムと同列存在させます。
ヴァイベルクさんは己の個性の定義付けに置いて
自動人形らしく機械的なASB系一族を選択なさいました。
高速で−マルチタスクはできませんが−情報を処理できます。
あとは映像変換プログラムを起動させればコンピュータ内の情報空間が
3Dの都市となって表現されていきます。
あとのことはグスタフ氏に任せ、私は事務処理です。
ヴァイベルクさんの仕事が終わったのは10分後と早かったですが、
私が今日行った事務の仕事よりも遙かに多量のデータを持って帰られました。
なお、ソウさんとヴァイベルクさんは見事、三時になると同時に普段のお二人に戻られました。
お二人とも高機能化していた時の記憶があるので、ソウさんなどは私の方を困った顔して見ています。
「ジュースは美味しかったですか?」
いつもの嫌味に負けない口調で言って差し上げました。
いやはや。
それから私はグスタフ氏を筆頭に皆をまじえて
高機能化の行い方と問題点などを入念に話し合いました。
これが簡単にできるようになればうちのウリが一つ確定できることとなります。
これから経験を積んでいかねばな、と思いました。
今日はそんなところでしょうか?
何やらソウさんとヴァイベルクさんがロビーの方で考え込んでいるようですが、
気にしないで放っておきましょう。
あれがお二人の本心だとすれば、なかなか可愛らしいものだと思います。





1999年03月25日(木) 昨夜は


雨が降っていたのですが。
今日は晴れです。
そういえば自宅で不思議なことがありました。
いつもベッド脇に立っている同居人が、朝起きたらなぜかドアの前にねていました。
どーいうことでしょうか。

さて今日の業務はひどく平和でした。
ソウさんをからかうことができるようなって気分はなかなか爽快です。
至高と言っても、
いえ、究極とか、極上とか、甘露とか(これは違いますね)言っても良いかも知れません。
何しろ昨日、怯えてカウンターの下から出てこなかったソウさんを救い出してあげたのは私ですし、
ええ、気分は良好ですとも。
ソウさんはミーティングなどが終わるとそそくさと自分の案内所に戻ってしまいました。
逆にヴァイベルクさんはいつも通りですし、私に昨日の自分がどうだったのかを問いかけてきます。
よく寝ていたことなどを伝えるとヴァイベルクさんは、
「まだまだ自分は人形でありたいのかもしれませんね」
と静かに言いました。
そうかもしれません。
高機能化によって本性が出たとするならば、
ヴァイベルクさんは眠り、つまりは動かぬことを望んでいます。
それは動くものである人とはまた違うものでしょう。
ですが、それが本当にそうなのかは解りません。
人に進化しつつあるヴァイベルクさんの本性がただ単に居眠り屋さんで、
今、彼女がテキパキしているのは人を模そうとしているだけなのではないかー……。
そのようなことも考えられます。
なかなか難しい問題です。
答えのでない問題でもあります。
そんなことを考えていたら、
カウンターの上に以前いただいた梅の花弁が散り落ちているのを見つけました。
掃除するのが惜しいですが、仕方ありません。
そろそろ桜の季節です。





1999年03月26日(金) 雨です


御客様も少ないので仕事中に一息つけます。
今日は会社で皆が使っていた半纏やベストなどをクリーニングに出そうと思ったのですが、
雨で断念しました。
また、昨日の梅の枝ですが、花瓶から出してみたところ、下に小さな根が出てることに気づきました。
どうしようか考えています。
これが腐って死んでいたならば生ゴミ行きですが、元気に生きているとなると別です。
問題なのは、今後、どうやって育てて良いのかが解らないことですね。
植木鉢を買ってきて差す、というのでいいのでしょうか?
今のところはまた花瓶に活けています。
ただ、花が完全に散ってしまったらカウンターから降ろして、下の机の上に置こうと思います。
と、まあ、そんなところでしょうか?
たまにはこういう何事も平均的な日もいいものです。





1999年03月27日(土) 今日は昼から


一気に雨が降ってきました。
私は土曜日をお休みにしておりますので、昼前に外に出ようとした、その直前でした。
目の前、アパートの踊り場の前を一瞬で雨が通り過ぎました。
そしてそれと同時に湿った暖かい風。
春の雨の風でしょう。
今日はそのまま外に出るのをやめて家の中で本を読んでいました。
社会人の真似事−まだ本採用ではありませんから−をしていて気づくのは
自分の時間を持つことが難しいことです。
今までは自分をどうしようもなくなってしまうくらいに時間の余るときがあったのですが、
今は違います。
本を読む時間さえ捻出しなければならない生活。
考えてみると怖い生活ですね。
でもそれでいいと思います。
もし今の生活からいきなり暇な昔の生活に戻ったならば、
私は前以上に自分をどうしていいのか解らなくなってしまうでしょう。
もはや仕事というものは私の生活というよりも、呼吸や鼓動と同じようなものなのです。
それが無ければ生きていけない。
そうです。ええ、そうですとも。
私は仕事でお金を戴いてー……、と、これを書いて気づきました。
今日、外に出ようとしたのは御給料をおろすつもりだったからです。
行って参ります。

行ってきました。
で、話の続きですね。
でもその前に御夕食として買ってきました牛丼を戴きます。

戴きました。
で、話の続きですね。
そう。
私は仕事をして食べています。食べることは生活の一部です。
やはりこれも呼吸や鼓動と同じことです。
それならば仕事をすることも、そうあるべきです。
仕事を自分の中の自然としてやっていきたいものだと、そう思います。
無論、私は美味しい食事が好きです。
同じように楽しい仕事が好きです。
そういうことだと思います。

では、お風呂に入ってからまた本を読むとしましょう。
今日は仕事がございませんが、こうやって仕事ではない自分の時間を作ることが、
ある意味、私の今の仕事です。
ええ、そうですとも。




1999年03月28日(日) 休日出勤


とはいってもうちのような会社では当然のことなのですが。
でも日曜日の朝の列車は非常にすいています。
何となく、得したような、存したような気分ですわね。

さて、今日は全体的に肌寒い一日でした。
雨のあとが至る所に残っており、道を歩くのが大変です。
今日はお昼の休憩時間を使って不動産屋を訪ねました。前にも何度か来たのですけれども、
良い物件が無く、迷っていたのです。
今回もほぼ同様でした。ただ立地のいいところがあったので考えています。
さてどうしたものかな、と。
今の住んでいるところと比較して、今の場所への慣れを良しとするか否とするか。
また通勤時間というある意味、
「自分のための時間」
をどう考えるか。
なかなか難しいものだと思います。
そしてまたよく考えていると、私の部屋には今、妙な同居人がいるのです。
とりあえず私の新しい部屋を見つける前に彼の家を見つけなければなりません。
参った参った。
引っ越しをするのはいつになるのでしょうか。
また本当に引っ越す気があるのでしょうか。
自分でも良く解らなくなってきました。

今日はヴァイベルクさんがお休みでした。
何やら家族−今、彼女がいる家の方です−が熱を出されたそうで。
色々と大変そうです。




1999年03月29日(月) 引っ越す


ことに決めました。ええ、決めましたとも。本気ですとも。
理由はしごく簡単で、自分の今の部屋には出窓があるのですね。
そして、そこには着替えの時のことなど考えてブラインドがかかっている、と。
そういうわけなのですが、出窓というものはよく見てみると、
正面だけではなく、サイド部分にも窓があるわけです。
つまり、
「そこから中が見える」
今日、いつものように壁に掛けた姿見を見ながら着替えていたところ、
姿見がいきなり下に落ちて割れまして−不吉なことですね−そのかけらを拾いつつ
ふと後ろを見たら通りの方からこちらを見ている数人の人達と目が合ってしまったわけです。
いやはや。
大家の御婆さんに問うてみたところ、
「あら、アンタ有名人だねえ。もう二年前から朝は人が溜まってたよ」
などとノンキ調子です。
しまった。
二年前にブラインドを取り付けて喜んでいたのは何だったのでしょう?
よく考えたらいつもの不精でブラインドを開け閉めするのは昼に起きたときくらいでしたからね。
まぶしいとすぐ目が覚めるので夜からずっと閉めっぱなしの習慣があったのですが……。
参ったものです。
朝、通り過ぎる人達の数人は私の着替えを見ていた−というか、見えます、角度的にアレは−わけで、
何とも気まずい感覚ですわね、これは。
ああ、しかし、参ったものです。私の背中とかお尻はどのように見えるのでしょうか?
単に無料だったから見られていたのか、見る価値があったから見られていたのか、
仏蘭西生粋のパリジェンヌとしては誇りにかけて問いたいところです。
個人的には結構自信が……、ええ、自信ありますとも、大丈夫です。
さて、そういうわけで引っ越しを決意しました。
問題は山積みです。
出窓の無い部屋にしようとか、
変な同居人を早い内に叩き出そうとか。
蕎麦の美味しい場所にしようとか。
難しいものですわね引っ越しは(私だけかも知れませんが、こんな話題)。

今日はお昼休みを使ってまた物件探しでした。
富田林さんが自分の部屋の方はどうかと勧めて下さいましたが、
都心部は御家賃が高くてとてもとても。
どこかにいい場所はないものでしょうか。





1999年03月30日(火) 今日


  というよりも昨夜、変わったことがありました。
帰宅してみると、同居者がいなくなっていたのです。
前にも勝手に歩いてどこかに行ってしまったことがありましたが、今回は失踪です。
ドアが開きっぱなしだったので、鍵を持って出たわけではないようです。
慌てて友人を呼んで車を出してもらい、電話帳片手に相模原の薬局を回りました。
深夜二時。
とある薬局の前で彼を見つけました。
それだけではありません。薬局の店主らしい御婆さんが彼と立って待ってます。
私たちは車を止めて対面しました。御婆さんは笑って、
「待ってたよ。お世話になったらしいねえ」
と仰いました。
どうしたことなのか問うてみたところ、どうやら彼が一人でここに戻ってきたと、
そのようなことをお婆さんは仰るのです。
そんなバカなことが、と思ったのですが、お婆さんの話ではこの薬局、
もともとは東京にあったのを戦時の大空白襲を避けるためにこの地へ移したのだとか。
彼自身はその折りのものではなく、十五年ほど昔にお婆さんと生活を始めてここにいるそうですが、
おそらくはこの薬局自身が持つ東京の力を受けているのではなかろうか、と。
にわかには信じがたい話です。
しかし、彼がふとここに帰り着き、道に背を向けている日は、必ず彼の伺った家の人が訪れるのだとか。
私でもう二十三人目だそうです。
いやはや。
色々とお話を聞いて深夜の緑茶をいただき、友人と帰宅する頃には雨がぽつぽつと降り出しました。

そういうわけで今日は雨です。
御客様の数もやや少な目ですね。
で、昨日から続く引っ越し熱ですが、全く醒めません。
今日は出窓を避けて着替えたのですが、やはり通りを歩く人はこちらを窺っているようで
−私の勘違いなのでしょうけど、自分で自分が嫌になります−
やはりどうもいづらくなりつつあるようです。
なお、ソウさんも近い内に引っ越しを考えているそうで、数言、
会社の近所の不動産屋のことについて情報を交わしました。
さて、どうなることでしょうか。
今日は帰りに馴染みの不動産屋を見て、それから新しい場所を開拓します。
では。





1999年03月31日(水) 引っ越しの前に


さて、一つ気がかりだったことがあったので今日は絵を早めに出ました。
会社にいつもより二十分早く到着すると、所長がいました。
で、聞きました。
質問にはすぐ答えがありました。
簡単にいうと、つまり、本採用です。
ええ、今までの試用期間を無事に終えて就職できた、というわけです。
良かったです。
何だか以前に比べて感動が薄い気もしますが、安堵感はやはりあります。
話を聞いてからとりあえず一息ついて、カウンターの上の掃除などをてきぱきとやってしまいました。
ええ、落ち着くんですもの、それをすると。
それを終えてから所長と引っ越しの話を煮詰めました。
今まではクビになることも前提としていたのですが、住宅手当や身分証明などの手配がいります。
色々とそういうことを窺っている内に他の方もいらっしゃって
−既に出向社員扱いのソウさんを除いて−私達は正式な辞令をいただきました。
これで、社会人です。
就職祝いの食会などの予定も決まっているようで、
どうやら私達の試用期間というのはほとんど飾りだったようです。
良かったですわね、と、これは皆さんの分。
私には私の問題がありました。
今日はグスタフ氏が都内の本社に出張だとかで、背中が空いてる気分がありました。
朝の間は雨が降っていたので客足がひくのかと思いましたが、
昼過ぎからは晴れて一気に人が増えました。
そろそろ学校が始まる時期です。
受付で応対をしていると、近場の良い旅行場所を探す方が多いので、
おそらく、短い期間で始業式や就職前の休暇を楽しむつもりなのでしょう。

さて、就業後は皆で祝賀会とやらをしようということで、
先ほど、会社の近くの鉄板焼き屋さんに予約を取りました。
また、昼の間に不動産屋さんを回ったのですが、なかなか良い物件を見つけました。
調布の物件で、端部屋と、その隣が空いているそうです。端部屋をお願いするつもりです。
はてさて、どうなりますやら。
とにかく明日から社会人です。ええ、いっぱしの大人ですとも!!



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