__________________________________________________________________________________  DISCLAIMER // The characters and situations of the television program   "The X-Files" are the creations and property of Chris Carter,   Fox Broadcasting, and Ten-Thirteen Productions.    No copyright infringement is intended. __________________________________________________________________________________   Notes  :この作品中のモルダーとスカリーは性的関係に及びます。        そういうのは嫌だという方は、お読みにならないようにお願いします。   Spoiler : Milagro  _________________________________________    " Emotions gap " by Rose   銃声を聞いてパジェットを放り出し、慌てて自分の部屋に戻って見ると、彼女が白いブ  ラウスを血塗れにして倒れているのが目に入った。それこそ僕は心臓を掴まれたような激  しい痛みを感じた。頭が真っ白になり、彼女の側に膝間づく。と、彼女はいきなりその何  処までも碧い瞳を目一杯開げて恐怖に満ちた表情を見せた。僕だと気付くまでに恐ろしい  一瞬の間があってから、こちらに腕を伸ばしてしがみ付き、声を上げて泣き出した。   こんな彼女を見た事がない。   僕は驚いた。彼女はいつも凛として誇り高く微笑んでいた。病魔に襲われ死を目前にし  ても、決して崩れ落ちたりはしなかった。何があったのか、いや、何があっても僕の相棒  はこんなふうに男に取りすがって泣く女ではなかったはずだ。スカリーは普段女の部分を  意識させない。僕がどんなにそれを望んでも、相棒の域を出る事は決してなかった。   だから、こうして泣きじゃくる彼女を僕はとても愛おしいと思った。どんな事をしても  彼女を守ると誓った。僕は黙って彼女を抱きとめていた。   やがてすすり泣く声が小さくなりしゃくりあげる様も落ち着いてきた頃、ようやく我に  帰ったかのように、彼女は僕から身体を外そうとしてその身をよじった。  「ごめんなさい」   形良い口が動いた。放れようとした彼女を、しかし僕は放そうとはしなかった。彼女の  ぬくもりが心地良かった。抱きしめた手の感触が柔らかさを謳っていた。  「ごめんなさい。もう、大丈夫だから」   彼の腕の中で、ともすれば身を預ける心地良さに酔いながら、やっとの思いで言葉を口  にした。   いきなり襲ってきたフードを被った男に対して、私はこれまでにない恐怖を感じた。仕  事を通じて何度となく危険な目に合った事もあるし、実際病魔に襲われ死にかけたことも  ある。だが、これほどの恐怖感を感じたことは今までになかった。いつでも闘う姿勢を崩  さずにいることが出来たからだろうか。今回ばかりは、とてつもない恐怖感だった。何も  なす術もなく、生きながらにして手を胸に差し入れられて、死に至る過程をまざまざと見  せつけられた気がした。   怖かった。そう、本当に怖かったのだ。   彼の瞳は安堵と心配に満ちていた。驚きと好奇心も浮かんでいたかも知れない。こんな  ふうに相棒に弱みを見せたことはなかった気がする。当たり前だ。私は彼に対して弱い女  の部分を見せるわけには行かなかったからだ。そんな事をすればきっと、私を全力で守ろ  うとするに違いない。そういう人なのだ。だからこそ彼の負担になることは、私自身が許  せない事であったし、危険と隣り合わせの仕事だ、自分の身は自分で守らなければどこか  で無理が出て二人とも既に死んでいたかも知れないのだ。  「スカリー、無理をしなくていい。泣きたい時には泣いても良いんだ」  「もう、大丈夫だから、…」   彼女はこういう時、いつでも大きな嘘を用意している。必ずと言って言い程、“私は大  丈夫”と言い放つ。そして、そう言われると僕に出来ることと言えば、彼女の意思を尊重  して手を放してやることしかなかった。彼女が何処かで僕に隠れて泣いていようと、それ  を詮索することは出来ない。それはプライドの高い相棒に対する僕の最大限の礼儀のつも  りでいた。 しかし今回ばかりは、彼女の平静を保つ努力は無駄に等しかった。顔色は青さを通り越  して白くも見えていた。瞳は恐怖の色を湛えたまま、自身を暖めるように硬く自らを抱き  しめていた。   そんな強がっている彼女を放り出すわけに行かない。一旦解いた手を伸ばして僕は、彼  女を引き寄せて片手に抱え、もう一方の手で携帯を取り出しスキナーに連絡を入れた。   彼女は言葉とは裏腹に僕の腕の中で大人しくしていた。ぐったりともたれ掛かる彼女の  重みが嬉しかった。この小さなひとを支えていこう、そう思っていた。いや、これからは  ずっとこの手を放しはしないとまで天に誓う僕がいた。   何かが狂い出していた。僕の求め続けていた彼女が今、この腕の中にある。恐怖に負け  て怖くて泣いていた女だ。この世の中で自分自身よりも大事な相棒に僕は、“女”を見て  取っていた。   しかし、僕は冷静に電話をしている振りを装った。こんな状態の彼女を一人で帰すわけ  には行かない。スキナー達が来たら、すぐに引き継いで貰って家まで送っていこう。   彼の広い胸に顔を埋めた状態でどれほどの時間が経ったのかは定かではない。やがて、  スキナーが同僚の捜査官数人を引き連れて駆けつけてきた時にもそのままだった。大柄な  上司はちょっと意外そうな顔をちらりと見せはしたが、何も言わずに所轄の警官たちに次々  と指示を与え始めた。   モルダーはまるで壊れ物を扱うように、私を抱きかかえたままでいた。そして、スキナー  と事務的なことを二言三言話すと当然のように訴え出た。  「スカリーはかなりのショックを受けています。ですから事情聴取は後日という事にして、  今日のところは家に返したいのですが」   少しの間を置いて上司は答えた。「いいだろう。マイヤーズ捜査官に送らせるから、代  わりにお前がここに残れ」   唇を噛みしめるような仕草を見せたモルダーを見上げて私は言った。「私は大丈夫。  ……ありがとう、モルダー」  「スカリー、後で電話する」   こうした事件があった時の活き活きとした捜査官の顔ではない、違った表情を彼は見せ  ていた。   同僚の捜査官が彼女を労わりながら部屋から出て行ったのを見送って、僕はスキナーに  向かって今ここで何が起きたのかを説明し始めた。彼は黙って聞いてはくれていたが、い  つものごとく信じてはいないようだった。  「すると、何かね、小説が一人歩きしていたとでも言いたいのか」  「そのとおりです、サー。パジェットの書いた小説は、これから現実に起こることをその  まま予見していたということになります。彼はスカリーが自分の思い通りにならないと知っ  て、死を与える結末を書き、現実にスカリーはここである男に襲われ…」  「彼女に振られた腹いせか?ずいぶん子供っぽい発想だな。そのスカリーを襲った男だが、  行き先は判っているのか」  「サー、彼は既に過去の人です。小説の中で生き返らされた言わば亡霊のようなもので…」  「モルダー捜査官、亡霊が殺人を犯したとでも?」  「信じて下さらなくても結構です。が、事実、スカリーは2年前に死亡した霊媒師に殺さ  れかけたんだ」   スキナーはしばらく黙って僕を見つめていた。  「亡霊相手に立件は出来んな。とにかく今の話をレポートにしてくれ。話しはそれからだ。  それよりもモルダー、スカリーにもっと気を配ってやれ」   僕には上司が何を言いたいのかが理解出来なかった。彼女のことを考えていないとでも  言いたいのか。胸が痛くなるほど、彼女を気に懸けているというのに。   部屋を出て、地下のボイラー室へと上司を案内しながら、彼の言った言葉の意味を考え  続けた。      シャワーを浴びて倒れこむようにベッドに身体を投げ出した。ブラウスに血は着いてい  たが、不思議なことに私の身体にはどこにも傷はなかった。これは本当に私の血なのか、  血液鑑定が必要だ。ぼんやりしかけた頭の隅で考える。と、次の瞬間、フラッシュバック  のようにあのフードを被った男の残像が浮かんだ。はっとなって胸に手をやると、血だら  けの心臓が宙に浮かんで消えた。夢かと起き上がると、またもやあの男が見える。どうや  ら自分が思っているよりも相当なダメージを受けているようだ。   幾度かの不安な夢を繰り返しても、眠りかけると昼間の映像が浮かんできた。そして恐  怖がじわじわと大きくなって襲ってきた。   とうとう、私はベッドから飛び起きると、慌てて電話を取り上げて無意識のうちに彼の  番号をプッシュしていた。  「モルダー」聞きなれた声が響いた。  「私よ。……」   後の言葉が続かない。私は彼に一体何を望んでいるのだろう。  「今からそっちへ行く」   彼は何も聞こうとはせずに、それだけ言って電話を切った。   大きな安堵が私を包んだ。彼の声を聞いただけでこんなにも安心出来る。   私の中で何かが途切れていた。それは誇り高き理性だったのか、自制の精神だったのか、  そんなことはもう、どうでも良くなっていた。今、自分が生きているという確証を得たか  った。否、それは言い訳に過ぎない、ただ誰かの温もりが欲しくなったのだ。夢か幻か、  見知らぬ男にいきなり襲われて自分は非力な女である事を思い知らされてしまった。そう  だ。私はいつだってモルダーに守られてきたのだ。それは気付きたくない事実だった。今  まで何度彼に命を救われてきた事か。   そう思った途端、ひんやりとした感情に襲われた。あのとてつもない恐怖、命を奪われ  そうになって恐怖心に負けてしまっていた。生きながらに胸に手を差し入れられて心臓を  抜き取られそうになったのだ。   いつも私の目の前にいる男を私自身、愛しているのかどうかは定かではなかった。それ  でも、この冷たくなった身体に命の炎を灯して欲しくなった。ただ、確かなことは、他の  誰でもなく彼でなくてはならない。それだけは真実であった。       売れない小説家の後始末をスキナーと共にし終えると僕は、彼女のアパートの前に車を  停めた。自分の部屋には帰らずにそこで見守ることにしたのだ。   案の定、携帯が鳴った。電話の向うに怯えた彼女を見て取った。  「スカリー、入るよ」   鍵を開ける音が暗い廊下に響く。青白い月明かりの中で彼女の顔がいまだ恐怖に縁取ら  れているのがはっきりとわかった。しかし、僕を見ると少し笑顔を作ろうと無理をした。  歪んだ顔が痛々しい。  「随分早かったのね」  「ちょっと気になってね、実は近くに車を停めていたんだ」   そう、と彼女は呟いた。自分の身体を抱きかかえるように回していた腕を解いて、髪を  掻き揚げる仕草を見せた。いつもの相棒の姿とは少し違って何やら艶めかしさが漂ってい  た。淡い色の付いたローブを羽織り、中には光沢のあるパジャマを着ていた。彼女の美し  さを隠すには薄過ぎたようだ。少しぼんやりした状態の相棒は、本当に美しく見えた。  「モルダー、……」  「何だい?」  「ありがとう」  「僕は何もしていないよ。そうだとしても、礼なんかいらない。君は大事なパートナーだ  からね」   勤めて朗らかに聞こえるように話す。  「でも、いつもそうね。私は結局のところ貴方に助けられてばかりだわ」  「スカリー、そんなことは無いよ」  「今日だって私が油断したばかりに……」   彼女は視線を逸らして眉を顰め、悔しそうに唇を噛んだ。  「あれはパジェットの書いた小説の筋書きどおり進んだんだ。いつもの君ならあんな男く  らい容易く倒せるさ。」  「……そうかしら?」  「そうだよ。もう、大丈夫かい?」   僕は彼女に笑いかけた。いつもなら上目遣いに口の端を少し上げて微笑んでくれるはず  だった。しかし、今はいつもと違った瞳の色を見せた。一体彼女はどうしたんだろう。     彼が何やら察して戸惑っている様は可笑しくもあった。立場が逆転して今日は私が彼を  からかっているかのようだ。  「彼はね、私を自分と同じ孤独な人間だと言っていたわ」  「君には優しいお母さんやいつも心配してくれているお兄さん、友達だって沢山いるじゃ  ないか。あいつは何も分かってない」  「でも、…そうかも知れないと思ったの。ママやビルに、私がFBIで何をしているのか、  どんな事件を扱っているのか、全てを話せるわけじゃないもの。友達にもね。自分で思っ  ていたよりも私は孤独なのかも。でも、」そう言って私は彼を見上げた。  「でも、私には貴方がいる」   彼の目付きが変わった。それは一人の男としての目だった。今日まで私が女であること  を忘れていたに違いない。私自身、彼を男として見ないようにしていたのだから、お互い  様だ。   自制心を無くして怖くてしがみついた彼の胸の中は私に温かみを与えてくれた。自分は  生きているという確証を与えてもくれた。あの心地良い温もりをもっと欲しい。そしてそ  れは今ここで求めなければ一生手に入らないだろう。普段の私はこんなことを考える女で  はない。でも、今は。   彼が欲しかった。   これは愛なのだろうか。  「スカリー、…落ち着いたようだね、僕は帰るよ」   彼女を見ていると汗が背中を伝った。視線を合わせられずに、僕は慌てて忘れ物を探す  かのように目を泳がせた。そしてそそくさと扉の前に歩いていき、振り返ってみると彼女  はゆっくりとこちらへ歩み寄ってきていた。その様に何故か僕は緊張した。  「モルダー、何故?」彼女の声の響きに驚いた。それは明らかに誘いをかける女の声だっ  たからだ。  「何故ってスカリー、もう遅いよ」  「ここにいてはくれないの?」  「お許しが出たのなら、君を抱き上げてベッドまで直行してもいいよ」   そう、おどけて言った先から後悔した。こんな状態の彼女に言う言葉ではなかった。つ  い、いつもの調子でからかうように言ってしまった。そしていつものごとく冷たいお言葉  が返ってくるのを期待しながら。  「じゃ、そうして」   彼女の睫毛が揺らめいた。   彼のジョークを待っていたのかもしれない。これがいつもの私なら即座に冷たく切り返  していただろう。でも今は、待ちかねたように容認する言葉を吐き出した。   すると彼は明らかにうろたえ出した。やはり、いつもただ、私をからかっていただけな  のかしら。もしかすると、と考える事も無くは無かったけれど、彼には私という存在はた  だのパートナーだったとみえる。でも、だからこそ、ここまでやってこれたのだ、彼には  そう、感謝すべきなのよ。   私は黙って次の言葉を待った。  「スカリー、君は忘れているようだけど、僕は男なんだぜ?」   動揺している彼がなんだか可笑しい。  「そうよ。そして私は女だわ」   こんな誘うような声を出せるなんて、私もやはり、何処かがおかしいのだろう。  「添い寝だけで済ます自信がないから、やっぱり帰るよ」   彼の笑顔は完全に引きつっていた。  「だったら、尚更、帰さない」   彼は私をようやく真っ直ぐに見つめた。  「…自分が何を言っているのか分かっているのか?」     それは僕自身への問いかけの言葉だった。彼女ははっきりと意思表示をしているという  のになんて臆病なんだ。彼女のこの言葉を待っていたのは僕ではなかったのか。  「いいのか、スカリー」   もう一度問いただす。すると彼女は小さく頷いて、僕の背中に腕を回してきた。多少の  ぎこちなさを見せながらもぴたりと顔を胸に埋める。やがて彼女は僕を見上げて柔らかに  微笑んだ。それは滅多に見ることの出来ない、いや、僕には初めて見せる素顔だったのか  もしれない。  「…ダナ、…」   僕は普段滅多に口にしない彼女の名前を舌の上に転がしてみた。それはほろ苦さを含ん  だ甘い味のする響きだった。      それは私の名前だった。奇妙な事に気付くのにしばらくの時間が掛かった。一体それは  誰のことを差しているのだろうか。今日、こうして彼を男として求めている自分の名前だ。  今夜だけは"ダナ"でいよう、"スカリー"ではなく。   背の高い彼に釣り合うように精一杯の背伸びをした。ゆっくりと降りてくる柔らかそう  な唇を見ながら早くも私の中では心臓の鼓動が大きく響き始めた。良かった、まだちゃん  とそこにあって動いている。そんなつまらない事をあらためて思った時、彼の唇が私のそ  れと触れ合った。そして目を閉じて彼が差し入れて来た舌を満たされた思いで受け止めた。   身体というものはとても正直なものだ。頭の中では理性が邪魔をしていても、こうして  はっきりと彼に男を感じている。一生懸命彼と対等に振舞っていても、結局は私は女であ  る事に代わりはない。多分、街角に夜な夜な立つ街娼と見かけはどうでも中身は同じなの  だ。 彼の接吻けはとても心地良いものだった。身体の芯が徐々に熱くなってくる。今さらの  ように彼へ向かう想いを感じていたが、それに反して理性の残る意識には醒めた私がいて、  こちらを見つめていた。   誘われるがままに深く口付けて、夢中になって彼女を強く抱きしめた。思っていた以上  に細く華奢な身体つきに僕はすっかり理性が吹っ飛んでしまっていた。強く、折れてしま  いそうに強く、早くひとつになりたいと願った。   が、一息入れる為に唇を放して見ると彼女が小さく震えている事に気が付いた。  「どうしたんだ?」   やはり、彼女は僕を受け入れてはくれないのか。しかし、誘ったのは君だ、これは単な  る詭弁だろうと。  「震えているじゃないか。やはり僕はこのまま帰ったほうが良さそうだな」   途端にショックを受けたかのように彼女の瞳の色が変わった。ここまで来て帰れるわけ  がない。これは僕自身の為の逃げ道だ。   すると彼女は電球の光を受けて綺麗に輝く髪を振って答えた。  「こういう時の常套文句は、何だったかしら?」   身体の震えとは裏腹な挑発するような言葉を受けて、僕は彼女を抱き上げた。  「寒いから温めて、とでも言うつもりかい?」   その掠れ気味の声までも小さく震えていた。しかし、彼女は僕の首に腕を巻きつけてこ  う囁いたのだった。  「貴方が、欲しいの」     何故、こうして震えているのだろう?   自問自答を試みてみたが、答えは見つからなかった。そんな考えを思い描きながら彼に  しがみ付いていた。ベッドに横たえられてあらためて彼を見る。今までこんなに優しい柔  らかな彼の表情を見た事があっただろうか。それとも、単に私が気付かなかっただけなの  だろうか。多分、見て見ぬ振りをしていたに違いない。   先程まで感じていた死に対する恐怖は殆ど消え去っていた。なのに、震えは止まらなかっ  た。彼は私の瞳の奥を覗き込むように顔を近づけてきた。今にも触れ合いそうな頬はすっ  かり逆上せたように熱くなり、理解出来ない感情の昂ぶりに涙さえ溢れそうになった。見  慣れた筈の彼が、私の知らない人に見えた。泣くまいと唇を噛み締める。それが返って高  揚を引き起こし、ますます混乱の海へと投げ出された。    ひんやりとした大きな掌で頬を包み込まれて、瞼にキスされた。一時の昂ぶりは少し押  さえられて今度は穏やかな心地が私を包んだ。  「君が、…」   頬へキスを何度も落とす間に彼は話し掛けてきた。  「奴と…パジェットと、こうしてベッドシーンを展開していた……」   呼吸が大きくなって返答をするのには努力が要る。  「…それは、あの男の勝手な…妄想よ」  「だとしても、僕は耐えられなかった……。君が他の男のものになるなんて……」   既に死に絶えた哀れな隣人の書いた小説のことだ。私が終ぞ読まなかった、彼の言う  ”濃厚な”ベッドシーンのことだろう。  「どんなことが…書いてあったの?」   性急にも感じられた彼の唇が不意に動きを止めた。そして首筋にあったそれが耳元まで  来ると「これから、教えてやるよ」と囁いた。胸の奥でざわついていたある感情は、ます  ます大きく膨らみ始めた。   君の素足を指先で触れた。足首を通り膝から腿へとそっと触れて辿る。パジャマの上か  らでも君の身体のラインは魅惑的だ。   ただの妄想の産物だったとしても、他の男と寝ている君を読むのは本当は辛かった。で  も、目が離せなかった。このいつも完璧な相棒が崩れていく様を描いたパジェットの文章  に惹き付けられていたのだ。そして無償に腹立たしくなり、捜査の手順から離れた事をやっ  てしまった。   あの小説は確かに威力があった。今こうして僕らはベッドの上で肌を合わせている。   君の表情に恍惚とした艶やかさが加わった。半開きになった色溢れた唇が艶かしく光っ  ていた。僕は自分をコントロールしてゆっくりとボタンを外していく。やがて露わになっ  たミルクの肌に吸い込まれるように唇を這わせていた。  こうして僕に対して全くの無防備に、それどころか自らの意思で体を開いてみせる君を  見ているだけで、総毛立つような感覚に襲われた。君もまた、あの小説に影響されている  のだろうか。焼けてしまったはずの夢物語に。あそこに描かれていた心臓を求めて歩く男  は、実は僕だったのだろうか。君の姉さんを奪い、誘拐を許し、挙句に病気にしてしまっ  た僕だったのか。最終的に僕は、君の心臓を奪ってしまう事になるのかもしれない。もし  もそうなったとしたら、僕は気が狂ってしまうだろう。そして僕の命も終わるのだ。君と  共に。   彼の柔らかな愛撫を受けて、今まで押さえつけていた感情が開放されようとしていた。  自分は女であるということ。女としての歓び、そして、愛されるということ。多分に他の  女性には単純明快なことなのだろう。しかし、私にとっては大きな壁に立ちはだかれてい  たのも同然だった。彼にとって最良のパートナーであろうとした私は女であってはいけな  かったのだ。   ゆっくりとしかし確実に身に付けていたものを剥ぎ取られていく。それはパジャマだけ  ではなかった。優等生であった私、医学博士としての私、捜査官として完璧を期してきた  私、身に纏っていた理性という服を一枚一枚、優雅に時には無理やりに脱がされていった。   生まれたままの姿になったときには私はただの女になっていた。ねっとりとした彼の視  線を受けて、身体が硬直する。  「ダナ、綺麗だ」   これまで幾度となく囁かれてきたこのなんでもない言葉に反応にして、私の身体は早く  も彼を受け入れたがっていた。   僕は君を責め立てた。苛立ちや嫉妬やそんな目を背けたくなるような感情を抑えられず  に激しさを増していった。彼女はそれでも僕を受けとめてくれた。君だけは僕がどんなに  かけ離れた意見を言っても最後まで聞いてくれた。僕の仕事に対する取り付かれたように  突き進む気持ちを理解してくれた。君は相棒として当然のことをしたまでだと言うように。   そんな風にいつものごとく、僕に組み敷かれた状態においても同じだった。僕の動きに  彼女が呼応する。まるで互いを互いの為に誂えたかのように。   パジェットが描いた小説の彼女とのベッドシーンが頭をよぎる。それは彼女を悦ばせる  ことのみ考えられたものだった。あんなやり方は本当に彼女を愛しているのなら出来る訳  がない、と僕は思う。あれでは単なる奉仕だ。本気で欲しているのなら、対等でなくては。  無論僕も彼女に歓びを与えてやりたい、しかし同時に僕自身も満足したいではないか。彼  女を愛するだけでなく、愛されたいではないか。   僕はパジェットの妄想を振り切ろうと、我を忘れて彼女の全てを奪うように手足を絡ま  せ唇を這わせ続けた。   彼の愛撫が激しくなっていく。今まで肌を合わせた事のない彼の動きに敏感に反応する  自分が怖かった。そして彼も私の全てを知り尽くしているかのような振舞いを見せていた。  互いが互いの為に存在していたかのように。そんな事はあり得ない、と思っていた。しか  し、どうだろう。私の心は、嫌などころか歓びに打ち震えていた。彼に愛されている、そ  の事がとても嬉しかった。   押し寄せる悦楽の波にさらわれて身体の震えはどうやら収まったようだ。しかし、この  怖さは何だろう。彼が優しい顔を見せた事に戸惑っていたのか、それとも激しさを増す彼  の行為が怖くなってきたのか。時には痛みさえ伴うような愛撫は、それでも痛みの分だけ  彼の想いが伝わってくるようだ。   私はどうなのだろう?    彼の優しくも激しい重みを感じながらふと思った。こうまで素直に彼の動きに反応する  自分は、ここまで愛を表現している男をどう思っているのだろう。私にとってこの世で一  番簡単な、けれども一番難しい設問だった。   だが頭の中で答えが出る前に、既に身体が応えていた。溢れんばかりに潤った身体を彼  が貫いたとき、我が身を持って知ることになったのだった。        大きく喘ぎながら、白い喉を露わに身体を仰け反らせるこのひとは、もう僕のものだ。  柔らかな膨らみも、ミルクのような肌も、輝ける褐色の髪も、碧く澄み渡る瞳も。彼女は  全てをさらけ出し、僕は全てを受け入れた。この世のものとは思えない甘美な響きを耳に、  彼女の中で新たに生を受ける。そして、ゆるりと動き始めた。   彼女の陶然とした表情に僕は完全に呑み込まれていた。僕を狂わせるには十分過ぎるほ  どの魅力を放っていた。その時にはもう、パジェットの書いた妄想は忘れ切り、夢中になっ  て彼女の腰を強く引き寄せた。半開きになった濡れた唇を微かに震わせて、潤んだ瞳が僕  を捉え、まるで助けを求めるかのごとく、白い腕をこちらに伸ばす。僕はその小さな手を  取って指を絡ませた。  「ダナ、」   僕は、ここにいる。   そして、自らを解放した。      その時意識が僅かに遠のいた。暖かな海の水面にたゆたっているような感触に浸る。こ  れほどまでに愛されては幸せを感じない女などいるはずもない。今までの記憶など吹っ飛  んでしまいそうなくらいの充足感に幸福さえ感じていた。日常のしがらみを切り取られ、  自分を守る為に纏っていた冷静にして理知的な時には冷たい仮面を剥ぎ取られて、ありの  ままの自分を見られた屈辱が快感に変わっていく。彼を夢中にさせるものを私が持ってい  たという事に驚きもし、実際に肌を合わせるまで気付かずにいた自分に腹も立てた。   私は彼を愛していたらしい。彼を求めていたらしい。   彼といることに奇妙な閉塞感を感じていたのは確かだが、それが自分の感情を無視して  いたからだとは分からずにいた。そう、認めてしまった今、楽に呼吸が出来るようになっ  た。新しい新鮮な空気を吸い込み、澱んでいたものを吐き出す。普通の人なら当たり前に  出来る事が、自分には簡単な事ではなかった。どれほどの時間を無駄にしてきたのか。そ  う思うと自然と顔が綻び、笑みを浮かべていた。   彼女は実に晴れやかな笑顔を見せてくれた。それは幸せに満ち溢れた女の顔だった。僕  は彼女をそんなふうに笑わせられた事を一人の男として誇りに思うと同時に、今、彼女を  抱いたのは僕の意思だったのか、それともパジェットがそうさせたのか、自信が持てなく  なっていた。彼女の見せた反応もあの小説に描かれたもので、結局僕たちはパジェットの  手の内で踊っていたのかもしれない。そう考えると無性に苛立たしく感じ、この上もない  笑顔を見せる彼女さえ、虚偽の世界の中にいるように見えた。   こんな幸せそうな彼女を見たくはなかった。   そのことに気付いて僕は、愕然となった。    私はこのとき全く油断をしていた。一人の女として幸せな気分に浸りきっていた。愛す  るものをいとおしむ気持ちで彼を見上げた。そして、見せてはならない顔を彼に見せてし  まったことに気が付いた。彼は私に女を求めていたのではなかったらしい。そして私は彼  を求めてはいけなかったのか。認めてしまったこの想いはどうすればいいのだろう。彼の  端正な顔付きがまるで蝋細工の人形のように無表情に立ち凍っていた。   こんな彼を見たくはなかった。   一人の女としての幸せを打ち砕かれて、私は愕然となった。    The End  (いいのか?これで終わって)  _________________________________________       Milagroのスカリーは本当に綺麗でした。    あの舐めるようなカメラワークにも耐え得る美しさ、    ドアップになっても損なわれずに輝いていました。    しかし、ラスト、スカリーはモルダーにしがみつき    声をあげて泣いていました。    あの、スカリーが? よほどのことがあったのか。    その点を追求することなく(ラクをした・笑)    唐突にモルダーを求めるスカリーです。    読みにくく仕立てた観のある本作品を    最後まで放り出さずに読んで下さった方に感謝します。    御意見、御感想、御批評なぞ御座いましたら、掲示板    もしくは下記アドレスまでお願い申し上げます。     Rose拝  / 13th 7 2000     rote_rose@anet.ne.jp