
(前編)
〜 旅立ちの時 〜
「それじゃあ、行って来ます!」
これでしばらくネット生活とはお別れ。
委員会へと見送りに来てくださった方に、別れを告げてPCの電源を切り、
弟の運転する車へと飛び込みました。
友達を拾い、一路空港へ・・・
友達は早朝ということもあってか、後ろでぐったりしています。
私は運転している愚弟ともしばらくお別れかーと思いつつ、話をしていました。
普段は小憎たらしい弟でも、旅行前になると妙に優しく、「この本、飛行機の中で
読んだら?わりとおすすめ。」なんて、気を使ってくれるのを見ると、姉としても
「よしよし。じゃあ、なにかおみやげと・・・空港まで送ってくれるんだからおこづかい
のひとつもやろうかなー?」なんて、まんまと奴の作戦にはまってしまいます。
ちょっとだけ、そんな優しい気持ちになっていると、運転していた弟が思い出したように
聞いてきました。
弟 「姉ちゃん、アラビア語とかわかるの?」
私 「アラビア語?ああ、『地球の歩き方』に書いてあったよ。とりあえず、“こんにちは”と
“はい”“いいえ”はチェックした。あとは、“高い”と“まけてよ”かな・・・ばっちりじゃない♪」
私が自信満々で答えると、弟はあきれたような顔で冷たく言いました。
弟 「姉ちゃん・・・頼むから日本人として恥をさらさないように、“ありがとう”とか
“すみません”くらいは覚えていってくれよ・・・“まけてよ”とか覚える前にさ・・・」
・・・返す言葉なし・・・。(苦笑)
〜 カイロ空港 〜
到着するまでの道のりは疲れました。
名古屋から成田へ・・・そして、KLMでアムステルダムへ行き、カイロ空港へと
降り立ったのは、真夜中・・・合計25時間くらいの旅でした。
ぼーっとしていた私達ツアーを待ち構えていたのは、背の低い小太りの少し頭がさみしく
なりかけたエジプシャン・・・現地ツアーガイドです。
「私の名前、シリフと言います・・・日本のみなさんに名前を覚えやすくしてもらうために、
漢字を当ててみました。」
声はとても優しげで、1度も日本の土を踏んだ事がないというのに、とても流暢に
日本語を操ります。
なんでもカイロ大学の日本語学科卒とか・・・
最初はドイツ語を勉強していたのですが、あまりにドイツ語ガイドが多かったため(2000人
いたとか)日本語に転向したそうです。(こっちは200人くらい)
そのうえ、これからは韓国人も入ってくるからということで、韓国語を勉強し、エジプトの中で
初めて韓国語ガイドの資格をとり、新聞にも載ったという優秀な人でした。
「シリフのシは歴史の史。エジプトを知るには、まずこの国の歴史の勉強をしてもらいたいです。」
なるほど・・・私達は頷きます。その歴史の足跡をこの目で確かめる為にはるばるここまで
きたんだもんねー・・・と・・・
「シリフの理は、理論の理・・・エジプトの遺跡には神秘がいっぱいです。たとえばピラミッドの
4つ角はきちんと東西南北を指していますね。そして、王家の墓の壁画からは、当時のエジプト人は
すでに地球が丸いという事を知っていたということがわかります・・・そのような事をなぜ、
知っていたのか・・・それを検証する為には理論が必要です。」
ほぉぉぉ・・・ツアー参加者、総勢20人は、またもや大きく頷きます。
エジプト・・・その歴史と共に、ミステリアスな事がいっぱい・・・
私達の期待はいやがうえにでも高まります。
「そして、シリフのフは・・・・」
フは・・・・?
いままで、眠かった私達も期待に満ち溢れて彼を見ます。
すると・・・
「フは夫・・・つまり日本の男の意味ね。日本のみなさん、よろしくー!」
シリフ・・・史理夫はそう言って、ニッコリと笑いました。
・・・これは、いわゆる「オチ」なんだろうか・・・?
まあ、なにはともあれエジプト旅行は、こんなふうに幕が開いたのでした・・・
それにしても、「フ」ってもっとなんとかならなかったのだろうか・・・?
そう思いつつ、隣を何気に見ると熟年の夫婦はしっかりと持参のノートに
「史理夫―ガイド」とメモってありました。(笑)
2000年2月5日 (エジプト1日目)
〜 ギザ地区にて 〜
エジプトツアーの強行軍は容赦ありません。
やまのように観光スポットがあるので、前日に何時に眠ろうがこの日は
朝の6時に起こされて、もうろうとしながらもカイロ市内へと繰り出します。
けれど・・・やがて見えてきたピラミッドにはやはり感動!
最初に見たのは、ギザの三大ピラミッドと呼ばれる、クフ王、カフラー王、メンカウラー王
のピラミッドです。
ただ、イメージと違ったなーと思ったのが、街のど真ん中にあるということ。
やはり、砂漠の真中に立っていて欲しかった・・・そうシリフに言うと彼は答えました。
「エジプト人、家からピラミッドが見える所に住むのがあこがれね。だから、ピラミッドを
中心にどんどん街ができました。マンションも『ピラミッドビュー』と呼ばれる方が、見えない
ところよりも断然高いです・・・ちなみに、僕の家からはピラミッドが見えますねー♪」
なるほど・・・道理で、街の中心に建っているという感じがするわけです。
みんながピラミッドが見える様に、どんどんまわりにマンションを建てているのだから・・・
一番の人気は、最も大きい「クフ王」のピラミッドです。
これは、人気がある上に、入場制限があって1日120人までとか・・・
朝の5時からチケットを売り出すらしいのですが、すぐに完売。
そして、入場もあっという間に終わるので、朝の7時半にはすでに扉が閉められています。
入り口は中央付近にあり、そこまでは登ってもよいとの事だったので、さっそく登ってみました。
10年前までは外壁(?)も登れたらしいのですが、人が落ちて亡くなったために、それは
だめということになったそうです。
ひとつひとつの石は、場所によっては人の背丈ほどの大きさがありました。
そして、閉められた入り口を覗き込んでみると・・・見えました!
まっすぐと続く回廊です。
まるで、ミラーハウスによくある「どこまでも奥へと続く廊下」を思い出させるくらい
きれいにまっすぐと伸びていたのが印象的でした。
そんなこんなで、クフ王のピラミッドを後にして、私達がはじめてピラミッドへと入場できたのは
一番小さい「メンカウラー王」のピラミッド。
「中はとても暑いです。薄着になって覚悟して入ってください。」とシリフ。
ピラミッドの内部は・・・本当に暑かったです。
たくさんの人が行き来する上、狭い回廊はしゃがまないでは進めません。
においは・・・カビ臭いというよりも、人がたくさん入るわりには換気が悪いので、空気の逃げ場
がないこもった感じのにおいでした。
そして、中にはなんにもありません。
当然玄室の中は空だし・・・
みどころはというと、どうやって古代の人がこんなものを作ったのだろう?と考え込んでしまうような
整然と並べられた巨大な石の積み重ねです。
この下のPicは、「EGYPT:THEN AND NOW」という本からスキャンしました。
そのタイトル通り、遺跡の現在の姿と、昔の姿の想像図が載っているものです。
現在の写真に透明なセロファンに描かれた絵を重ねるとあら不思議。
昔の姿に・・・って感じですね。
おもしろかったのでつい買ってしまいました。
これは、ガイドのシリフが常に携帯していた本なのです。

← エジプトの有名なギザの3大ピラミッド。
現在の姿です。

←これが建設された当初、こんなふうに
彩色されていただろうという想像図。
実際、ピラミッドのてっぺんにある
キャップストーン部分には、赤紫色が
うっすらと残っていました。
それにしても・・・派手?(笑)
〜 ツアーの名は・・・? 〜
次に向かったスフィンクスはかなり風化しているように思えました。
そして・・・溢れんばかりの、人、人、人・・・
各国入り乱れての大混乱です。
その時、シリフが懐から鮮やかな青い旗を取り出しました。
「みなさん!これを見失わないでついて来て下さいね!」
砂漠の風に翻った旗には、白抜きの文字ででかでかと「健康旅行」の文字が・・・
「健康旅行ぉ〜?」
まるで、じじばばの団体のような名前ではないですか!
参加者は、ほとんどが若者で、お年を召した方は老夫婦一組と母娘で来ていた2組
のご母堂だけなのに・・・
「これからたくさん歩きますね。だからみなさん、健康になれます!」
翻った「健康旅行」の文字は、よそのツアーの日本人の目を惹きます。
「ねえ、健康旅行ですって・・・ぷっ!」
「いったいどんな旅行なのかしらねー。どこを歩いてきたのかしら?」
どこに行っても、必ずいる日本人。
そして、私達よりゆうに20以上は上だろうと思われる叔母様方は、指を差して
笑います。
恥ずかしさに耐えながら(いや、実際はそれほどでもなかったのですが)
歩いていた私達には、まだその時には「健康旅行」を後で実感する事になろうとは
誰も思っていませんでした。
〜 ピラミッドの呪い 〜
「なぜ山に登るのか?」と聞かれて「そこに山があるから」と答えた登山家のごとく、私達は
次に連れて行かれた「赤のピラミッド」でも、当然中に入ろうとしました。
ここは、軍事施設がそばにあった関係で、わりと最近になってから公開されるようになった
ところであり、あまり観光地化されていなくて、まわりになにもない砂漠の中にあるので、
とてもピラミッドらしいピラミッドです。
「一応、入場券がありますので入れますけど、中にはなにもないですよ。ここはかなり長い
廊下なので、なめて入ると次の日から3日間はひどい筋肉痛になります。」
でも、「せっかくここまできたのだから!」という私達の気持ちは止められません。
高い外壁を登り入ってみると・・・いったいどこまで続くの?と口々に出さずにはいられない
ほどの長さ。
今まで登ってきた分の倍の長さはあるかんじです。
先頭をきったのは女性・・・20代中盤かな?ってくらいの元気いっぱいの愛ちゃん《仮名》。
言いたいことははっきりという、勝気な女性です。
そんな愛ちゃんでも、その深さに心細そうに振り返りはしました。
でも、やはり「途中で引き返すなんてくやしい!」という気持ちの方が勝ったのか
何度も「このまま進んでも大丈夫かなー?」と言いつつ、歩き続けたので、
私達もそれにならって結局、最深部まで行きました。
そこからちょっとの廊下を進んで、今度はまた木組の階段4階分くらいを登らないといけないと
気づいたときにはクラクラ・・・
震えそうになる足に鞭打って、玄室に入ってみれば・・・やはりなにもなし。
次の日からは、シリフのいうとおり3日間、ひどい筋肉痛に悩まされました。
バスに乗る時の急な階段の上り下りのつらいことといったら・・・
老いも若きも、しばらくは妙に不自然な動きでバスに乗り込んでいました。
同じツアーの参加者の男性(龍ちゃん《仮名》 大学生)はぼそっといいます・・・
「このツアーって『ヨーロッパ夢紀行』のはずだよね?でも、いったいこれのどこが
夢紀行なんだ?やはり『健康旅行』の方がぴったりだよな・・・」
・・・その言葉に、一同は大きく頷きました。
あんなに苦しめられるなんて・・・これが「王家の呪い」・・・ではなくて
「ピラミッドの呪い」なのね・・・と。
〜 GOGO!エジプシャンも嫌がる砂漠のオアシスツアー! 〜
数あるピラミッドの中で、私が一番気に入ったのはサッカーラにある「階段ピラミッド」と
呼ばれるものです。
これは世界最古のピラミッドと言われています。
広大なピラミッドコンプレックスといい、わきに広がっているリビア砂漠といい、その場に
立っているだけで
「ああ、エジプトなんだー!」
と気分は盛り上がります。
「うーん。ここで野宿したい!これを眺めながら眠りたいよぉ!」
私達は口々に感動を伝え合います。
すると、シリフがにんまりと笑って言いました。
「ここから、オアシスまでのツアーがあります。10日間かかります。ずっとらくだに乗って
行きます。その間、ずっと暑い砂漠を進みます。シャワーはありません。トイレはそのあたり。
それでもあなたは行きたいですか?」
「行きたい!」
満場一致の答えでした。
シリフは、予想外の答えにびっくり。
私達は、ばっちり「♪つぅきのぉ〜の〜砂漠を〜はぁる〜ばぁると〜」の
妄想をしていたのは言うまでもありません。
そんな私達を見て、シリフはぼそっと言いました。
「私は絶対に添乗したくないね。あなたたち、変わってるよ。」
あなたは先祖の血をきちんとうけついでいるのか?
・・・でも、その先祖が「もう、2度とごめんだ。」と思った因子が
彼の中で成長を遂げたのかも?とも思いましたけど。
〜旅する人への注意 その1〜
「ワンダラー!ワンダラー!」
「10枚千円!10枚千円!」
どこの観光地に行っても、必ず響いてくるのがこの声。
でも、「いやーん、1ドル???安いわ〜」と、うかつに信用してはいけません。
すべてがとは言いませんが、大抵の人は最初に安い値段を提示しておきながら
いざという時には、「あと3ドルよこせ。」だのなんだのと言ってくる可能性が
大きいです。
個人で行ったのなら、そのあたりは気をつけてください。
そして、もしツアーで行っていて、現地添乗員がついているのなら、その人を通して
買ったほうが確実でしょう。
2000年2月6日 (エジプト2日目)
〜 ルクソールの街、カルナック神殿 〜
二日目は、ルクソール。
ここはナイルの東岸にあたります。
東と言うのは、日が昇る側で生者の世界。
反対の西岸は、日が沈む死者の世界と言われています
だから、ホテルや街、様々な施設は圧倒的に東側の方が近代的でひらけています。
車も走れば、ロバも走る!馬も走る!そして・・・横断中のヤギで止まる!(笑)
・・・そう、エジプトの道路ではカイロ市内でも、車と一緒にロバや馬が走ったりしてます。
すごい勢いの車に怯えたりしないのかな?と思うけど、大丈夫みたい。
ただ、信号が驚くほど少ないので、十字路を曲がる時には、タイミングをうまくはから
なければ、なりません。
それでも事故はわりと少ないそうです。
さて、ここでのメインはやはり、カルナック神殿とルクソール神殿。
スフィンクスが立ち並んでいる参道や、パリのコンコルド広場にもあるオベリスクは
とても有名でしょう。

←カルナック神殿の入り口。
大きな柱が奥へと並んでいます。

上の神殿へ入る手前には、このように →
スフィンクスがずらっと並んでいます。
この姿に見覚えのある方も多いの
では?
そこに遺跡が埋まっていると知る前に神殿の上にたてられた教会は
そのまま・・・そういったものを壊すのはご法度なのです。
だから遺跡の上にイスラムの寺院もキリスト教の教会ものっかっています。
この神殿のすばらしさは、私がここで文章で書くよりも、実際に写真やビデオ、
できれば現地へ飛んでもらうのが一番早い理解をする近道でしょう。
興味を持たれたら、ぜひそういった文献を読んでみてください!
また、こちらでは、夜に「音と光のショー」というものがやっています。
ちょっとしたアトラクションっぽくて、神殿内の中を響く声に従って、順に奥へと
進んでいきます。
ナレーションの声に、はるか昔の王朝絵巻を思い、さまざまな攻防を感じる
事が出来るので、歴史が好きな人にはとてもお薦めなショーです。

←ルクソール神殿への入場券。
だいたい、どこへ行ってもこの色、こんな雰囲気
の入場券でした。
写真と文字が違うだけ。(笑)
〜 名物!鳩料理 〜
エジプト名物・・・というと、なにが浮かびます?
ターメイヤ:そら豆のコロッケ。
アエーシ:エジプト風のパン。ナンを薄くして、丸く焼いたようなもの。
コシャリ:米とパスタを混ぜたものの上にトマトソースがかかっている軽食。
それらの味、すべてに出会いたかった私達だったのですが、それは叶いませんでした。
「エジプトの料理は、外国人にはあまりあわないようです。ホテルでの食事である
ツーリスト向けのものが無難です。」
シリフは、きっぱりと言いました。
せっかくここまで来たのに、ホテルでの食事だけなの?と少し落胆している私達に
さらに追い討ちをかけました。
「それから、ホテルの中でも生野菜は食べないでください。お腹を壊しやすいです。
必ず火が通してあるものだけを食べてください。」
ふぅ・・・しばらく、サラダは食べられないのかー。
ちょっと淋しい思いをしていると、シリフの台詞はまだまだ続きました。
「ホテルの食事でも、トマトソースがたくさん使ってあります。トマトも外国人は
お腹を壊しやすいですね。だから、そういったものは少しだけ食べてください。」
・・・いろいろな料理に使ってあるトマト・ソース。
それも食べられないなんて一体何を食べたらいいの?
「そして、デザートは日本の物と比べると、すごく甘いです。きっとたくさんは
食べられません。これも少しだけにしてください。」
・・・じゃあ、一体何を食べたらいいのっ?!
そんな私達の前には、毎食ただ焼いただけの肉、焼いただけの魚が
必ず出ました。
・・・とは言っても、そればかりではないのですが、メインはどうしてもそれに
なってしまいます。
お肉は、しばらく見たくなくなりました。(苦笑)
でも、そんな中、観光途中でのお昼の食事だけは、いろいろと新鮮でした。
その日のメインは、エジプト名物鳩料理でした。
「食べられるかな?でも、せっかくの名物なんだから絶対に食べるわ!」
そんな意気込みで待つ私達の前に、おもむろにそれは運ばれてきました。
それを見たみんなの第一声。
「・・・頭ついてるんだね・・・」
まさに、丸焼き!
しかも、一人1羽!
羽がないだけで、その生前の姿はぱっちりと想像ができてしまいます。
でも、まだ「鳥」と思えば、それほど不気味さは感じられず、好奇心の方が勝りました。
お肉は柔らかいのですが、全身を皮が覆っているためか、かなり油っぽい。
全身手羽先って感じです。
味付けは薄い塩がかかっているのかかかっていないのかわからない程度。
素材の味を楽しむ料理です。
肉付きはそれほどいいというわけではないので、食事をするというより
解体作業をするという感じ。
なかなか苦労しました。
「エジプト人はお祝いの時にこの料理を食べます。そしてこれは、日本の
スッポンのような効果があります。」とシリフ。
スッポン・・・栄養があると言うことなのか、それとも強壮剤としての意味なのか・・・?
チャットでその事をちらっとお話をしたら、
「食べた後、どんな気持ちになりましたか?体とか熱くなりましたか?」と、聞かれました。
私の答え。
「・・・強いて言うなら、『吐き気』が・・・」(笑)
〜 激走!エジプシャン・キャデラック 〜
ルクソールの街では、エジプシャン・キャデラックと呼ばれる乗り物に乗りました。
キャデラックと言っても、あの超高級車のキャデラックではなく、馬車の事です。
これに乗って、街の中を疾走しました。
広い公道はもちろん、スークと呼ばれる市場の狭い路地をも「どけどけっ!」とばかり
に駆けぬけます。
・・・でも、実際に邪魔だったのは私達の方だったと思いますけど。(苦笑)
でも、その街の人の生活のベースとなっている場所をいろいろと見られたのは
遺跡巡りとはまた、一味違ってとても興味深いものでした。
馬車の数は全部で5台。
私は3台目に乗りこみました。
最初は御者のおじちゃんはとても愛想良く、機嫌良く私達とおしゃべりをしていたのですが、
ふと急に真面目な顔つきになったかと思うと速度を上げ、2台目を抜かして一台目に
接近しはじめたのです。
・・・そして、なんと一台目の人と激しい口論を始めました。
「なんでおまえ抜かすんだよ!きちんと順番通り走れよ!」
「うるさい!俺の勝手だろう!!!」
「なにを?!」
なんて会話が繰り広げられているような鋭い声で、拳を振り上げ
ながら怒鳴るのです。
しかも、一台目の人はずっと後ろにいる私達の方を見ていて・・・前を見ていない・・・(汗)
きっと、1台目に乗っていた人は冷や汗ものだったと思います。
そんな口論が2、3度繰り返されながらも、なんとか終点に着きました。
そして、さっそく1台目に乗っていたシリフに
「さっきは、なにをお互いに怒っていたの?」と聞きました。
「うん?あれは
『久しぶり!なにしてたんだよ!』
『ちょっと他の場所で仕事をしててさぁ』
『心配したよ!会えてうれしいよ!』
・・・って、ずっと繰り返しそんなような事を言ってたんですよ」との事。
・・・エジプト人って・・・よくわからない。(笑)
絶対にケンカだと、日本人の私達は信じていただけに、「あれで怒っていないのなら
実際怒った時にはどんなふうになるんだろう?ケンカは絶対にしたくないよなぁ。」と
しみじみ思ってしまったのでした。
(もうちょっと続く)