*本文の著作権は1013、c・カーター氏及び 20thFoxに帰属します。 〜〜〜〜〜〜ATTENTION〜〜〜〜〜〜〜 *この作品は、以下の条件を満たしている方にのみ読んでいただけます。     ・18歳以上である。     ・モルスカの物理的ロマンスに耐えられる。      *この作品は、本編「ミラグロ」において「スカリーとパジェットに既成事実ができていた」  ことを前提とした上で、本編の一部との”差し替え”を目的として書かれています。従って  作中にはスカリー/パジェットの絡みもあります。それを了解いただいた上でお読みになる  よう、お願い申し上げます。  ・・・これらのうちひとつでも満たさない方は、即刻”戻る”をクリック  してください。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜   <Miragro(another)>   Spoiler:「Miragro」     by akko 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  (以降は本編「ミラグロ」より続きます。)  「事前告知だろ?」  「当たり前でしょ。」  彼女は重い溜め息と共にこう言った。  彼はそんな彼女を見下ろした。  彼女が言うのならそうなのだろう――――そう思っては見たものの、自分と全く目を合わせよう としない彼女への疑惑を、頭から否定することができない。  彼女への、そして自分自身への、やり場のない憤り。  読んでみろよ。モルダーはそう言って原稿の束を押しつけると、彼女を避けるようにその場を立 ち去った。  スカリーは押しつけられた原稿を手に、愕然とした。  周りの風景が目に入らないほど頭の中が真っ白になり、膝ががくがくと震え始める。  彼女は自分を恐れ、そしておののいた。  自分のしたこと、言ったことを。  私は嘘をついた――――何のためらいもなく、ほとんど反射的に――――。  一体いつから、自分はこんなに簡単に嘘をつける人間に成り下がったのか。一体何が、自分に嘘 をつかせたのか・・・  自問するまでもなかった。彼女に判っていた。その罪の意識の出所が。  彼女の身体がぐらっと揺らいだ。ほんの数時間前に身体中に刻まれた“罪の意識”が疼き始める。  あの男の手、指、唇――――それらが触れたあちこちが、まるで自分のものではなくなってしま ったかのような気がするほど熱く火照っている。  彼女は大きく首を振り、それらを必死に否定した。  あれはきっと私じゃない、誰か別の女だったのだ――――。  しかしそう言い聞かせるには、身体の中に残るあの時の情熱は強すぎた。  あの男の指の感触、触れられたときの、電気が走ったような刺激。気がつくと、無意識のうちに それらを反芻している自分がいる――――。  なんてことなの・・・  その場に立ちすくんだまま、彼女は頬を紅潮させた。  あの男に導かれ、自らの覆いを消し去った後の欲情、悦び――――それらが再び、全身からこみ 上げてくる。息が苦しい・・・  彼女は酸素を求めて大きな溜め息を一つすると、熱い記憶に腰を抜かしそうになる自分を、激し く鞭打った。  そしてそれらを押し止めるために、両の腕に抱えた原稿用紙をぐっと胸に押しつけて、自分自身 を抱きしめた。 =============================================  彼が彼女を突き刺すと、あらゆる感情が彼女から這い出て行った。  恥じらい、戸惑い、罪悪感、羞恥心、そして「相棒にどう思われるか」という不安――――。  彼を求めながらも、どうしても拭いきれなかったそれらが今、裸足で彼女から逃げ去って行く。  そしてその後に残るのは、刹那的な欲求――――。  女が、女として愛されるのを望むのは当然のこと――――そんな開き直りは、彼女を徹底的に 快楽の海に突き落とす。  彼は彼女を全身で味わいながら、その開き直りを歓迎した。  ずっと、愛したいと思ってた。  彼女を一目見たその時から。  一体どんな結末が待っているのか――――その疑問さえ、無にしてしまえるほど――――。  自分の下で素直に喘ぎ、悶える彼女に、彼は愛おしさを募らせた。  ”スカリー捜査官”の仮面を剥ぎ取った無防備な女の顔が、そこにはある――――。  「・・・ねえ・・・」  彼が与えるその感覚に耐えながら、彼女は言葉を投げかけた。  「・・・ん?」  「あなたを・・・何て呼べば・・・?」  その問いに、彼は狂喜した。  「フィリップ・・・フィリップと・・・」  「フィリップ・・・」  「ダナ・・・!」   ============================================  そこまで読んで、スカリーは原稿から顔をそむけた。  自分の台詞が出てきたとたん、恐ろしさに身体が震え始める。  そこには、あの時二人が交わした会話が、まるまる再現されていた。  一言一句、間違えることなく。  それらが出てくるまでは、原稿に何が書かれていようとも、その文章が、自分の体験とどんなに 重なろうとも、デ・ジャヴで片付けることができた。読む度に蘇るあの時の感覚や疼きだけが、彼 女の敵だった。  しかしこうして具体的な台詞を目の当たりにすることによって、確信を持ってしまったのだ。  これは私の経験そのものだ。  やはり彼は犯人ではないようだ。彼女は思った。これほどまでに具体的な証拠が出てきた以上、 この小説は、行為の後に書かれたものだと思わざる得ない。しかしそうなると、彼がいつこれを書 いたかという疑問が残る。モルダーに手錠を掛けられる数分前までベッドの上にいた彼に、そんな 余裕があったとは思えない。とすれば、彼はやはり天才なのか? 確かにこの台詞は実際のものと 全く同じだが、冷静になって考えれば、この類の会話は、恋人たちのことの最中にありがちなやり とりでしかない。いづれにしても・・・  ・・・彼女の思考は、そこで止まった。  必死になって捜査官としての頭を働かせ、この自分の情事が赤裸々に語られてる小説を、今行わ なければならない仕事に結びつけようとするが、こうして読むことで、あのときのことをもう一度 体験してしまった今、それには限界があった。  頭が痛い、胸が苦しい・・・  捜査官としての義務感が、彼女に続きを読むことを強要する。  が、それはできない。  これから先、一体何が書かれているか、彼女は知っている。それを読むことで、もう一度パジェ ットと交わる度胸など、あるわけはない。  彼女は原稿用紙に手をかけると、一度に三、四枚ほどつまんで、それらをめくった。 ============================================  咥えていた煙草をもみ消すと、彼は再びベッドに身を横たえた。  彼女がその隣でまどろんでいる。  彼はその黄金色の髪に、そっと接吻した。  彼女はそれに軽くうめいて反応すると、目を覚ました。  彼女の視界に、彼の顔が入りこむ。  「やあ。」  彼が声をかけると、彼女は明らかに驚き、戸惑った。  「気分はどう?」  彼女は慌てて身体を起すと、既に服を着てしまってる彼の姿と、薄いシーツだけに覆われている 自分の姿を見比べた。  そして再び、失望もあらわにベッドに身を横たえると、片手で自分の視界を覆った。  「・・・夢、かと思ったのに・・・」  夢であって欲しかった・・・暗にそう語る彼女の唇を見て、彼は彼女をそっと抱きしめた。  彼女の身が、丸太のように固くなる。さっきまで、艶めかしいほど背中をよじっていた女とは、 まるで別のもののように思えるほど。  「よくなかったの?」  その問いに、彼女は小さく首を振る。  「よかったわ。すごく。だからこそ・・・」  ・・・夢でなければならなかった・・・  「ダナ、自分を責めてるね。」  彼の胸の中で、彼女は小さく頷いた。  「自分のことを、軽はずみな女だと・・・?」  「だって私・・・」  彼女は小さく口を開いた。  「・・・抱かれるまで、あなたの名前すら知らなかった・・・」  「でも、今は知っている。」  彼はすかさず切り返す。  「名前を知ってるかどうかなんて、そんなに重要なことじゃないはずだよ。」  「私が言ってるのはそういうことじゃ――――」  「ああ、判ってるよ。」  彼女の言葉を遮ると、彼は彼女の髪に頬を寄せた。  何の香料を使ってるのだろう、ほのかな甘い香りが彼の鼻腔をくすぐった。  「売れない小説を書いていること以外、素性も何も知らない男と、ほとんど成り行きで寝たこと   を君は悔やんでいる。自分はいつからそんな自堕落な女になったのか、いつもの冷静な判断力   はどこへ行ったのか。なんでこんなに刹那的になってしまったのか――――自分自身への不信   感で、君の心は一杯なんだ。」  彼女の自嘲が、彼の耳に届いた。  「――――やっぱり、私の心がわかるのね。」  「君は僕の小説の主人公の一人だから。」  それからしばらく抱き合ったまま、二人は何も語らなかった。  彼女の背中に回した腕から胸にかかる吐息から、彼女の揺らぐ心が直に伝わってくる。  彼は腕に力を込め、彼女を強く抱きしめた。  彼女の全てを知った今、そんな葛藤すら愛おしかった。    私はどうしてここにいるのだろう・・・  ついさっき口に出してしまった疑問を、彼女は再び頭の中にめぐらせる。  できることなら、今すぐシーツを跳ね除けて、荒々しくドアを蹴破り、ここから出て行ってしま いたい。  FBIのエージェントである彼女にとって、それはたやすいことだった。  しかし彼女はここにいる。  彼のベッドの上に、彼の腕の中に。  身体を固くしながらも、彼が与えるぬくもりから逃れることが出来ない――――  ――――この人は、誰?  彼女は彼の心からの抱擁を、身体で受け入れ、心で拒みながら思い始めた。  私の心にものの見事に隙間を作り、ついさっき、その腕で唇で、舐めるようにそこに入りこみ、 くすぐり、それを埋めていったこの人は一体・・・?  この人は、作家。私のためにここに越してきた、売れない小説を書く作家。私に密かに思いを 寄せ、私の物語を書く男。  私の心に土足で踏み込み、私の心にそのまま居座り、私の心を代弁する者――――。  僕たちは似ている――――孤独だよ。  それは彼の言葉だった。そして今まで彼女が無視し続け、否定しつづけてきた現実だった。  多忙な日々と仕事へのプライドを盾にして、他人はおろか、自分自身にすら認めなかった事実。 孤独――――。  ――――そうだ、私は孤独なのだ――――。  今まで、自分の孤独を嘆いたことなど、ただの一度もなかった。彼女には、自分にそれらを気付 かせないだけの――――自分を騙せるだけの――――信念、そして自尊心がある。それらによって、 心に大きな壁を立てて隔たりを作ってしまえば、他人に孤独を気づかれろ事はない。そして他人に 心を開かなければ、自分の孤独に気付くこともない。彼女はそうやって今まで他人を、そして自分 を欺き続けてきたのだ。  選んだ結果よ――――この台詞を口にする瞬間まで。  それを口にすることで孤独である現実を認めてしまったその時まで。  どうして認めてしまったのだろう。  自分に・・・そしてこの男に・・・  「ねえ、」  不意に、彼が声をかけてきた。  「もしかして、怒ってる?」  純朴とも言える彼の問いに、彼女は一瞬戸惑った。  「いいえ・・・どうして?」  「だって気になるんだ。」  彼の安堵の溜め息が、抱擁に表れた。  彼はいっそう強く彼女を抱きしめ、その頬に自分の頬を寄せてくる。痛いくらいに温かい、恋す る男の両腕が、彼女の心を息苦しくした。  「僕はとてもよかったのに、そして君もよかったって言ってくれたのに、それできみを怒らせる   ようなことになったら、と思うと・・・」  彼の腕が、かすかに震えた。  「・・・君に嫌われるのが怖いんだ・・・」  嫌われるのが怖い・・・  純粋な言葉。  初恋を知ったばかりの少年のような、無垢で素直で恐れを知らない言葉――――  それは彼女の心に直に突き刺さった。今まで彼が与えてきたどの言葉よりも、それはむきだしで 無防備だった。  純粋で一途。  でも大胆不敵な男――――  エレベーターで始めて一緒になったあの時から、一本気なまでに私に入りこもうとした人。  「君に惹かれるんだ。」――――何にもはばからず、そう言い放った男。  なんでこんなにピュアな男が、あんなに大胆になれたのだろう・・・彼女の中に、新たな疑問が 生れた。  プレゼントの封筒に名前を書くことも出来ず、小説に私を登場させることで、はかなくも想いを 満たそうとしていたこの男がどうして・・・?  しかしそれは、彼女の身体が知っていることだった。  私を心から愛してるからだ。  数十分前までこのベッドの上で続けられてきたのは、本当の愛の行為だった。彼は自分の欲求を 満たすことはほとんど考えず、彼女を悦ばせることに専念していた。彼女の悦ぶ顔こそ、彼の最大 の欲求だったのだ。卑猥な言葉を甘く囁き、彼女のあちこちを優しく、調べるようにまさぐる。そ して彼女を悦ばせるのに一番効果的な場所を徐々に絞り込み、愛しみ、時に焦らし、彼女が本当に 欲しいと感じるまで決して与えず――――  彼女の身体が、再び火照り始めた。  今まで、幾人かと男と情事を重ねてきた中で、これほど、もっと欲しいと思えるほど優しくされ たことはない。  そんな、心からの愛撫をできる人。  愛される優越感を持たせてくれる人。  きっと、そんな人にだから認めてしまえたのだ。  自分が孤独であることを・・・・  「・・・何を、考えてるの?」  今度の彼の質問に、彼女は嘲笑した。  「随分、陳腐なことを言うのね。」  それは、会話に詰まった若い恋人たちの常用する台詞だ。  「小説家でしょ? あなた。」  「もっと気の利いたことが言えれば、僕の小説ももう少しは売れてると思うよ。」  彼は彼女の憎まれ口にひるむことなく言った。  「でも知りたいんだ。」  そして彼女の顎に指を添えると、自分の方に向けさせる。  彼女は彼のまなざしに心を奪われた。彼はあまりにも心配そうに、そして愛おしそうに、彼女の 顔を覗きこむ。  そのダークブルーの瞳を、悲しそうに歪ませて。  「どうして君が、泣いているのかを――――」  「――――え?」  言われて彼女は、自分が涙を流していることに始めて気がついた。  ・・・泣いている。私は、泣いている・・・  彼女は頬を伝う自分の涙に愕然とした。  なぜ? どうして? 愛されることが切なくて?  いや違う。あまりにも自分が情けなくて泣いているのだ。  彼が私を抱いたのは、私を愛してるから。  では、私が彼に抱かれた理由は何?  私は一体何をした?  彼の愛情の上に、胡座をかいて座っていただけではないか。  愛されてることを口実に、快楽に溺れていただけではないか。  自分の孤独を、身体を悦ばせることで埋め合わせようとしただけではないか・・・  「どうして泣いてるの?」  繰り返し聞きながら、彼は頬を伝う涙をそっと指で拭ってくる。その心からの慈しみに、彼女は いっそう涙をあふれさせた。  お願いやめて。  これ以上、私を情けない女にしないで。  もう、私の壁を壊さないで・・・  「僕としたのは、そんなに悲しいことなの?」  切なく歪む彼の表情に、彼女は心を痛めた。  いいえ違うわ。彼女は心の中で否定した。  だってあなたは、本当に私を感じさせてくれたもの。その指も唇も、悲しくなるほど私に尽くし てくれたもの。  ただ、それをあなたに許した自分に、失望してるだけ・・・  「泣かないでダナ、謝るよ。君が嫌ならもうしない。だから・・・」  彼の懇願は、彼女をなお苦しめた。  「違うの、そうじゃなの・・・」  「泣きやんで・・・」  そう呟くように言いながら涙を拭う彼の指が、かすかに震えているのを彼女は感じた。  それから伝わるのは――――絶望。  彼女の涙を止めることのできない悲しみと不甲斐なさ、掌で彼女の頬を包みながらも、彼女の心 を自分に止めておくことのできない屈辱。そしてそれらを抱えながらもなお、彼女に尽くさずには いられない、絶望的なまでの想い・・・  「・・・いて・・・」  「・・・え?」  「もう一度、抱いて・・・」  自分のうめいた言葉に、彼女は驚いた。  それは彼女にとっても、誰か別の女が言っているように聞こえるほど、突拍子もない言葉だった。  しかしそれは紛れもなく、彼女自身の台詞だった。  「ダナ・・・?」  「お願いよ・・・」  知らずの内に苦しみが、甘い疼きに変わっている。  自分の情けなさを嘆く気持ちが、熱い興奮に変わっている。  彼の絶望を、この目で直に見たからだ。  この人なら、更なる堕落を許してくれる――――そんな歪んだ確信を、持ってしまったからだ。  彼女は涙で歪む視線を、絶望から驚愕の色に変わった彼の瞳に向けた。  彼が驚きながらも問いかけるように見つめてくる。教会で始めて意識した、あの真っ直ぐなまな ざしもそのままに。  「・・・抱いて・・・」  彼女の言葉は、哀願になっていた。  それを口にすることで、彼女の中に再び欲求が膨れ上がる。  もう一度この人に愛されたい。まさぐられたい。焦らされたい。卑猥なことを囁かれたい。淫ら なまなざしで見つめられたい。尽くされたい。感じたい。  そしてもっと、情けなくなりたい。  自分への失望を、埋め合わせるために・・・ ============================================  自分の経験の再現。  それがこんなに恥辱にまみれた、見苦しいものだったなんて・・・  スカリーは原稿用紙の束を前に呆然とした。  いっそうのこと、今この場で気絶してしまえればいいのに。そうすれば、この先を読まなくても 済む。  一体これはいつ書かれたものなのか?  これが事前告知のわけはない。互いの台詞はおろか、心の揺らぎまでご丁寧に表現されているこ れを、パジェットが全て想像で書いたとでも言うのか? あまりにも滑稽だ!  ・・・がそれと同時に、これは事後告白であってもならなかった。  これが事後告白であるという事は、ここに書かれている自分の感情が、全て本物であったことを 認めることにもなりかねない。  あの時感じた疼き、快楽、葛藤、苦しみ――――  彼に抱かれたことは事実として認めなくてはならなくとも、それらだけは認めるわけにはいかな い。  認めたら二度と取り戻せない。彼に抱かれる前の自分を、孤独を知らない自分を。  でも・・・身体が熱い。  落ちつけ、落ちつきなさい。彼女は全身を震わせて情事を反芻しそうになる自分を叱咤した。ほ んのちょっと自分の言葉が文字になったからって、こんなに動揺するのはおかしいわ。身体の火照 りだって、セックスの後にはよくあること。ましてやそれが始めての相手で、しかも上手であれば なおのこと・・・・きっと、もうしばらくはこんな疼きを感じることもあるかも知れないけど、じ きに忘れ去ってしまうわ。あの男のことも、あの男との情事も、あの男の腕で流した涙も、苦しみ も――――。だって私はあの後、彼を拒むことができたもの。あれ以上の堕落を、自分に禁じるこ とができたもの。ほら、その証拠だってここに――――  ――――原稿を一枚めくった彼女の手が、途中で止まった。  ずらりと文字が並んでいたであろう原稿用紙が、黒一色に塗りつぶされている――――  スカリーは自分の体温が、今度は一気に低下するのを感じた。  頭から血の気が失せ、喉の奥に嫌な渇きが生れる。  彼女は唾液を飲み込むと、一枚、また一枚とページをめくった。  が、その様はどれも同じだった。  綺麗にタイプされてたはずの文章は、例外なく黒いインクにまみれ、読むことはおろか、それが どんな文字だったのかもわからないほど徹底的に塗りつぶされている。  スカリーはただ漠然と、その黒を見つめた。  突然、言葉もないままに冷たく突き放されたような喪失感が、彼女を襲った。  君のことが頭から離れない。君に惹かれるんだ――――そう語りかけ、溺れそうなほどの悦びを 与えていった男が突然、私を書くのを止めた。  これから起こり得る情事に妄想を膨らませるのを放棄した。私を求めることを放棄した。  私を見捨てた。  今でもなお、彼との交わりに身体をうっとりさせているこの私を・・・  ――――何て身勝手な女だ――――彼女は心の中で自分を罵倒した。彼の欲求を先に見捨てたの はこっちなのに、そんな自分は許せても、彼が自分を見捨てることは許せないなんて・・・  でも・・・彼女は塗りつぶされた原稿を再び見据えた。  それらは、彼女のプライドを大きくえぐるのに充分過ぎた。「君のことはもう抱きたくない」そ う言っているかのようなそれらに、彼女は怒りにも似た屈辱を覚えた。  ねえ、求められたいの――――?  ふと浮かんだ、自分への疑問。  彼女は目を閉じると、ためらいながらそれに答えた。    ―――――ええ、そうよ。  そしてその上で、彼を拒みたいの。  そんな存在であるべきなのよ、私は・・・・    その答えは彼女の中に、新たなる渇望を生んだ。  この話には、続きがならなくてはならない――――。