−前書き− 本作品は筆者の個人的な想像の産物である事をおことわりしますと同時に、お読み下さる 皆様には、登場人物の設定に対しての寛大なご理解をお願い申し上げます。 ------------------------------------------------------------------------------------------ 「お兄ちゃん、今日も来てくれたのね」 「そうだよ、僕の大事な友達が病気なんだから」 「お兄ちゃん」と呼ばれた男は、ベッドで休む少女にスイと近寄り、片膝を立てて床にかかんだ。 少女に柔らかく微笑みかけると、彼は少女の左手を手に取り、手の甲にそっと口づけた。 「早く良くなるんだよ、いいね?」 「うん」 「じゃあ、ゆっくりお休み」 安堵の表情で眠りにつく少女を見つめながら、男は真っ白な少女の手の甲を親指でゆっくりと なでた。少女を見つめるその目が次第に爛々と輝き始め、頭の中が冴え渡ってくるのが 自分でもはっきりと感じられる。 「そうだ、眠るんだ....深く......もっと深く......」 少女の規則正しい穏やかな寝息が聞こえてくると、男は少女の首筋に顔を近づけた。 鼻でスーッと大きな息を吸い込んで少女の甘い香りをかぐ。その香しさに一つため息を つくと、彼はニヤリと笑って大きく口を開け、少女の首筋に牙を突き立てた。 ------------------------------------------------------------------------------------------ DISCLAIMER// The characters and situations of the television program "The X-Files" are the creations and property of Chris Carter, Fox Broadcasting, and Ten-Thirteen Productions. No copyright infringement is intended. ------------------------------------------------------------------------------------------ Title: Proof (1/4) Category: Crime Case Spoiler: None Date: 08/15/01 By Amanda ------------------------------------------------------------------------------------------ 「おはようスカリー、今日も爽やかな朝だ」 スカリーがオフィスのドアを開けると、相棒であるフォックス・モルダーのノンビリした声に 出迎えられた。 「おはよう。早いじゃない、珍しいわね」 「『早起きは三文の得』を実践中なんだ」 「それで、何かいい事あった?」 「ああ、君にそのドリンクをおごってもらえそうな気がする」 モルダーは、スカリーが手にしているカップを見つめてそう言った。 「あなた向きじゃないわよ、きっと」 「コーヒーじゃないのか?」 「トマトジュース」 「はぁ?」 意外な答えを聞き、モルダーはデスクに身を乗り出した。 「そんなもん、前から飲んでたっけ?」 「いいえ、最近なんとなく飲んでるの。なかなかおいしいわよ」 スカリーはデスクに近づいて「ほら」とカップを差し出すが、その毒々しい赤の色 ──少なくとも モルダーにはそう見えた── を見て彼は大袈裟に体をのけぞらせた。 「いや、遠慮しとく」 いらないという答えが返ってくるのを予測していたスカリーは、大して驚く様子もなく、向かいの 椅子に腰掛けてトマトジュースを飲み始めた。モルダーは、おいしそうな音を立てて飲むスカリーの 喉からしばらく目が離せなかったが、気を取り直してデスクに視線を移した。 「僕達向きの事件だ、スカリー」 そう言ってモルダーはバサッとケースファイルを放り投げた。クルリと半回転してデスクの上を 滑ったそれは、ちょうど彼女の前でピタリと止まった。 「『僕達向き』? 一人称複数形で表現されてるのはどうして?」 「君だって立派なXファイル課のメンバーだろ?一人称複数形にするのは当然だ」 「なんだか素直に喜べないのは気のせいかしらね」 やれやれといういつもの表情を浮かべながら、スカリーは飲み終わったカップをデスクの端に置き、 ファイルを取り上げて表紙をめくる。モルダーは椅子から立ち上がってオフィスを歩き回りながら、 お得意の事件解説を始めた。 「エリザベス・ウィンストン。アルフレッド・ヴァン・ウィンストンと、その妻エメットとの 間に生まれた一人娘だ。ここ数週間、彼女は原因不明の病気にかかっている。ありとあらゆる 手を尽くしてみたが、回復するどころか衰弱する一方らしい」 真剣な表情でファイルを読むパートナーを、彼は横目でチラチラと見ながら話を進める。 「過度の倦怠感、頭痛、めまい、突発的な発作....ヘマトの数値が異常に少ないわね。 重度の貧血なんじゃない? ここには添付されてないけど、詳しい血液検査の結果はないの?」 「いや、今のところ手元にあるのはそれだけだ」 「モルダー、これって医者の専門分野じゃないの。どこが『私達向き』の事件なわけ?」 「最後まで読めば分かる」 パラパラと読み進め、最後のページの上半分あたりにたどり着いたスカリーは、オーバーに顔を しかめて大声を上げた。 「『もの憑き』ですって!?」 モルダーは、彼女が座っている椅子に手をかけて顔を覗き込んだ。 「ヴァンパイアだぜ、スカリー。まさに『僕達向け』だろ?」 「貧血の疑いがあるからって、どうしてそんな結論が出るのよ。飛躍し過ぎだと思わないの?」 「いや、この結論にはちゃんとした理由がある」 得意そうになおも話を続けるモルダーの表情はなぜか明るい。若い娘が苦しんでいるというのに、 ヴァンパイア話で盛り上がっているのだ。久々に純粋なXファイルのケースにありつけて幸せだ、 と言わんばかりの話しぶりである。 「第一に、エリザベスの首に2つの刺し傷が見つかっている。写真で見る限りでは、まさに牙で 噛み付いたような傷跡だ。第二に、ウィンストン一家はどこに住んでいる?」 「ええと....」 スカリーはファイルの一枚目に戻った。マサチューセッツ州コンコード、『若草物語』で有名な土地だ。 「そこはしばしばヴァンパイア伝説の舞台として、いくつかの言い伝えにも登場するんだ。 トランシルヴァニアと比べれば驚くほどマイナーだけどね。それに」 「それに?」 「実際にウィンストン一家が住む地域では、ヴァンパイア伝説が古くから言い伝えられてる」 スカリーは、とうとう開いた口が塞がらなくなってしまった。 「モルダー、水を差すようで申し訳ないんだけど、たまには現実的に物事を考えようって気には ならないの?」 「いいかいスカリー、コンコードでは確かにヴァンパイア伝説が存在している。これがXファイル じゃなくて何だって言うんだい? 僕達には調査に協力する義務があるってもんだよ」 嬉々とした表情で、モルダーは相棒の肩をポンと叩いた。 「飛行機はもう予約してある。明日早速現地へ行ってみよう」 「....どうせ私が反対しても行くんでしょ」 スカリーはそう言って、大きくため息をついた。 「前向きに考えてごらんよスカリー。少なくとも『エクソシスト』よりは上品だ」 「どういう意味よ」 「緑の液体を吐き出すよりも、赤い血を吸い取る方がずっと絵になるって事さ」 ------------------------------------------------------------------------------------------ ボストンのローガン空港は、ワシントン・ナショナル空港から約一時間半ほどの距離だ。 モルダーは、いかにも迷惑だと言わんばかりに機嫌の悪そうな表情を作るスカリーにニッコリと 微笑みながら空港の自動ドアを潜り抜けた。 「僕が運転するよ」 「当たり前でしょ、あなたが撒いた種よ」 レンタカーにしては小奇麗に洗浄された車に乗り込むと、モルダーは意気揚揚とした顔つきで アクセルを踏み込んだ。 「弁護士の街」との異名を持つボストンの中心地から北西へ約30km。車を走らせるにつれ、 車窓から見える景色は、次第にヨーロッパ調の背の高い建物がそびえ立つ躍動的な市街地から、 草木が生い茂る、落ち着いた雰囲気の町並みへと変わっていく。その昔、アメリカの独立を かけて戦いが繰り広げられたこの土地は、他の土地とはまた趣が異なっているように見える。 威厳、とでも言うのだろうか。モルダーはある種の感動を胸に抱いて、後ろへと流れていく 景色に目を細めた。 「毎度やってくれるわね、あなたって」 彼の横で今回のケースファイルを読んでいたスカリーは、突然バサッとファイルを閉じて 顔を上げた。 「スカリー、せっかくのいい景色だ。暗い事件に取り掛かる前のひとときを楽しむ事も一考だよ」 「現場に着くまでに内容を把握しておきたいの。昨日の今日よ、落ち着いてファイルを読む時間も なかったのに、いきなりここに連れてきたのは誰?」 「優秀な君なら大丈夫さ。ほら、ちょっとしたドライブだと思ってリラックスしてみろよ」 コンコードの自然を楽しみながら機嫌良く運転するモルダーを見て、スカリーは呆れ顔で フッと息を吐いた。 「ねえモルダー、あなた一体どこからこんな事件を器用に見つけてくるの?」 「僕は鼻が利くんだ」 「利き過ぎよ、まるで犬みたい」 「飼ってみる?」 「いえ結構」 モルダーのくだらないジョークを見事なまでにあっさり無視したスカリーは再びファイルを開け、 今回の被害者であるエリザベス・ウィンストンの写真をしげしげと見つめた。 「この子....」 「ん?」 「かわいいわね」 「そうだな。まだほんの14歳だっていうのに、とんだ事件に巻き込まれたもんだよ」 「もしも、もしもの話だけど、もし本当に彼女がヴァンパイアに取り憑かれたのだとすれば、 ヴァンパイアの気持ちもわからないではないわ」 スカリーの意外な言葉に驚いたモルダーは、チラリと彼女の方を見やった。 「何だい、突然?」 「だってこんなにかわいいのよ」 そう言ったきり、彼女はエリザベスの写真から目を離せないでいる。 色白で小柄なエリザベス・ウィンストンは、人形のように整った顔立ちをしていた。 愛らしいふっくらとした頬がまだあどけなさを残してはいるが、その写真は、ちょうど 大人へと成長を始める少女が時折見せる美しさを奇麗に写し出していた。はっきりした 目鼻立ち、そして形の良い唇がスカリーに向かってわずかに微笑んでいる。 「そんなに見つめたら写真が焦げるぞ、スカリー」 彼らを乗せた車は国道の出口にさしかかった。 ウィンストン家は、モルダーとスカリーが車で走ってきた国道から少し外れたところにあった。 小さな道に入り、その両脇に立ち並ぶ大きな木々を見ながらスピードを緩めて進んでいく。 その道が切れると、二人の目の前に大きな白い家が現れた。真っ白な壁に濃紺の三角屋根、 そしてたくさんの窓。それはニューイングランド地方によくある典型的な造りの家だった。 コンコードの秋はとてもロマンティックだ。少し肌寒い風が枝を揺らし、程よい紅に色づいた葉が 枝から離れて舞い下り始めると、木々は次にやって来る冬に向けて支度を始める。こんな素敵な所に 住めたらいいわね、と心の中でつぶやくスカリーの隣では、これから捜査する事件の真相の行方を 想像してやや興奮気味なモルダーが車を私道に止め、エンジンを切った。 「さあ、行こうか」 車を降りると、ひんやりとした空気が二人の顔を軽くはらった。玄関に向かって歩を進める度に、 土の上に落ちた葉がサクサクと音を立てる。車から見るのとは違い、ウィンストン家は予想以上に 大きかった。スカリーはポカンと口を開け、そのどっしりと構える家の屋根を見上げた。 「大型ドールハウスって感じだわね」 「確かに」 彼らは互いに目配せをすると、モルダーが玄関のインターホンを押した。 「どちら様?」 「FBIの者です。ご依頼いただいた件で伺ったのですが」 ほどなくして玄関のドアが開くと、中から女性が顔を覗かせた。 「FBIのモルダー捜査官です。こちらはパートナーのスカリー捜査官。お嬢さんの件を聞いて....」 「ええ、わざわざすみません。どうぞ中に」 色白の女性は、ドアを大きく開けると二人を中に通した。 「遠い所からお越しいだたいて感謝します。エリザベスの母、エメットです。それから....あなた」 彼女が部屋の方に顔を向けると、ちょうどいいタイミングで一人の男性が奥から出てきた。 「どうも、アルフレッド・ヴァン・ウィンストンです。ご足労をかけましたね」 「いえ、お気になさらないでください。FBIのモルダーとスカリーです、よろしく」 四人は、差し出された右手を取り合って互いに握手を交わした。 「FBIではこういった事件も扱っておられると聞いたものですから」 「ええまあ....」 一体誰に聞いたのだろう、スカリーはその考えを無理やり頭から追い払った。 「それじゃあ早速、お嬢さんとお会いしたいのですが」 ------------------------------------------------------------------------------------------ 「あの子、ここ一週間で一段と痩せてしまって」 エメットはそう言いながら、アルフレッドと共にモルダーとスカリーをエリザベスの部屋が ある二階へ案内した。 家の外観もなかなかのものだが、内装もまた非常に上品な仕上がりだった。木目がきれいに そろった調度品や、古くに描かれたものと思われる絵画がバランス良く配置されている。 目に余るような派手さはなく、その適度な装飾が彼らのセンスの良さを物語っていた。 「お医者様にもいろいろと検査をしていただいたんですが、これといった治療が見つからなくて。 娘が日に日に弱っていく姿を見るのはもう耐えられないんです」 「それで私達に?」 「ええ、少しでも可能性があれば賭けてみたいので」 エメットは、一番奥にある部屋のドアの前でモルダーとスカリーに体を向けた。 「ここが娘の部屋です」 「お願いします」 スカリーがそう言うと、エメットは一つ間を置いてドアをノックした。 「リズ、ママよ」 ドアを開けると、ベッドのヘッドボードに体をもたせかけていた少女の顔がこちらを向いた。 「具合はどう?」 「だいぶんいいわよ、ママ....誰か来たの?」 両親の隣に見知らぬ人間が立っているのを見て、青白い顔をしたエリザベスの顔に緊張が走る。 怖がるような表情を浮かべて、両手でシーツをギュッと固く握り締めた。 「心配しなくてもいいんだよ、こちらはモルダーさんとスカリーさん。リズの体を心配して 診に来てくださったんだ。さあ、ご挨拶して」 「......こんにちは」 浮かない顔をしているエリザベスを落ち着かせようと、スカリーは部屋に入ると彼女にニッコリ 微笑みかけた。ベッドの横にあった椅子を引き寄せて座り、視線の位置を少女と同じ高さに揃える。 エリザベスはスカリーの想像どおりに愛らしかったが、写真と比べると頬の張りもなく、痩せた と言うよりはむしろ、やつれて疲れたような表情をしていた。顔色も冴えず、目も少し落ち窪んでいる。 「初めまして、エリザベス。私はダナ・スカリーって言うの。あの人は、私のお友達の  フォックス・モルダー。あなたに会いに来たのよ、よろしくね」 どうやら彼女の柔らかな表情は、幾分かこの少女の不安を取り除いたようだ。エリザベスは スカリーにわずかながら微笑みを返した。 「スカリーさんはお医者様なの?」 「そうよ、あなたのご両親が心配なさってね、私達に連絡してこられたのよ」 「私の体、治しに来てくれたの?」 「ええ。早く良くなるように、一緒に頑張りましょうね」 スカリーが、内気で人見知りの激しいエリザベスの警戒心を簡単に取り払った事に驚いたのは ウィンストン夫妻だけではなかった。モルダーもまた、少女に見せる相棒の優しい顔を感心した 表情で見つめていた。 「じゃあ、今からいくつか質問をするから答えてくれるかしら?」 「わかったわ」 「スカリー」 問診を始めようとしたスカリーにモルダーが声をかけた。互いに目が合うと、彼は自分の首元を 指でトントンと叩いてスカリーに示した。 『噛まれた跡を確認してくれ』 あなたの一番知りたい事ぐらいわかってるわ、と、スカリーは簡単に相棒の心を読み取った。 「気分がすぐれなくなったのはいつ頃から?」 「半月ぐらい前よ。立っていられないし、ちょっと動いただけですぐに息が切れちゃうの」 「食欲は?」 「あんまりないわ。ココアとか果物だけ」 「よく眠れる?」 「ううん、変な夢ばかり見ちゃって」 「もし良かったら話してくれるかな、夢の事」 エリザベスは、チラリと母親の顔を見て、再びスカリーに視線を戻した。 「あのね、毎晩同じ夢なの」 「恐い夢?」 「ロバートお兄ちゃんが出てくるの」 モルダーは、ロバートという名前を聞いたエメットの顔からみるみる血の気が引いていくのが わかった。 「ロバートお兄ちゃんって誰?」 「近所に住んでるお兄ちゃんよ。リズ、お兄ちゃんととっても仲良しなの」 「そうなの、きっと優しいお兄さんなんでしょうね」 エリザベスはニッコリして答えた。 「そうよ、夢の中でも優しいの。毎晩私のそばに来て、楽しいお話を聞かせてくれるわ。 そして私が眠くなったら、私にキスをしていなくなるの。そしたら....」 そう言うと、少女は再び表情を曇らせて顔をうつむけた。 「どうしたの?」 「そしたらね、なぜかいつも苦しくなるの。首が絞められるような感じで息ができなくて、  『助けて』って言おうとしても声が出ないし、体がベッドに痛いぐらい押さえつけられて  動けないの。私、恐くて。でもギュッと目をつぶって、声を出そうとするのよ」 娘の言葉に耐えきれなくなったのか、とうとうエメットは部屋から出ていってしまった。 青い顔で逃げるように階段を降りていく彼女の様子が気になったが、モルダーはエリザベスの 話に再び耳を傾けた。恐らく娘の不安を和らげるためだろう、アルフレッドもまたその場に 残った。 「やっと声が出たと思ったら、体がフッと軽くなるわ。何もなかったみたいに」 「そうなの。それは毎晩?」 「今はそう」 まるで悪夢から身を守るように、エリザベスはシーツを引っ張りあげて、体にしっかりと 巻きつけた。夢の中で苦しめられている自分の姿を思い出しているのだろうか、すっかり恐怖に おびえたような顔をしている。スカリーは少女の顔にかかった栗色の髪をゆっくりと 払いのけ、彼女の頬に優しく手を置いた。 「ごめんなさいね、嫌な事思い出させて。大丈夫?」 「ええ、ちょっと寒いけど」 「じゃあ少し休みましょうか。その前に、簡単に検査をさせてちょうだいね。 まず喉を見たいから、大きく口を開けてくれるかな....そう。はい、ありがとう」 喉も少し赤く腫れている。リンパ腺に沿って触診を始めると、ザラッとした感触がスカリーの 右の指に当たった。 「どうしたの、この傷?」 「知らない」 直径1センチほどの丸い傷痕が二つ、エリザベスの首筋についていた。 ------------------------------------------------------------------------------------------ 「貧血と風邪ね。悪夢はきっと不安定な精神状態からきてるんじゃないかしら」 「じゃああの傷はどう説明する?」 「あんな傷、いろんな理由が考えられるわよ。ただの虫刺されかもしれないじゃない」 「虫があんなに大きな刺し跡を残すかい?」 「人間を刺すのは、蚊みたいな小さな虫だけじゃないのよ、モルダー」 エリザベスの部屋を後にすると、二人は毎度恒例の言い合いを始めた。 客間へ向かうために階段を降りる間、アルフレッドは二人の前をとろとろと歩いていた。 心ここにあらずといった感じで、何か考え事をしているような雰囲気だ。 「ミスター・ウィンストン、ご気分でも?」 「あ、ああ。いや、何でもありません、ちょっと考え事をしていたもので」 彼がもぞもぞと話すので最後の方はあまり聞こえなかったが、モルダーには彼が何を考えて いたのかというおおよその見当はついていた。モルダーは歩を進めてアルフレッドの前に立ち、 彼の行く手を阻むように立ちふさがった。 「ミスター・ウィンストン、お嬢さんの夢の話ですが、何か心当たりはありませんか?」 「その、心当たりと言っても....」 「言いづらい気持ちはわかります。ですが我々としては、あなたのお考えを是非参考として  お聞きしたいんです。それがたとえどんな情報であっても」 モルダーの読みは当たっていた。三人が一階に降りると、アルフレッドは言いにくそうに ボソボソと話し始めた。 「実はですね、隣の家、とは言ってもここから100メートルほど離れているんですが、  娘の話にもあったロバート・フリードマンという男が住んでいるんです」 「エリザベスは彼と親しいんですか?」 「ええ。二ヶ月ほど前に私達がここに引っ越してきましてね、その時に挨拶に伺ったのですが、  その時から度々娘の相手をしてくれるようになったんですよ。あの子はもともと病弱で 引っ込み思案な子でしたから、外出はほとんどしませんし、勉強は家庭教師に来てもらって いたんです。友達ができたと言って、あの子は大喜びでした。それが....」 アルフレッドは小さくため息をついた。 「それからしばらくしてですよ、リズの具合が悪くなったのは」 その言葉にモルダーの勘がピンと反応した。間違いない、彼はフリードマンを疑っている。 そう確信すると、モルダーはここぞとばかりにズバリと切り込んだ。 「あなたのおっしゃる事から推測すると、ミスター・ウィンストン、フリードマンがお嬢さんの 体調と何か関係している可能性があるとお思いなんですか?」 「え....い、いやその....」 「例えば、フリードマンが普通では考えられないような方法でお嬢さんを襲ったとか」 「.........」 「モルダー、ちょっと落ち着きなさいよ」 たまらずスカリーが助け船を出したが、アルフレッドは意を決したように右手を彼女の前に 差し出した。 「いいんですよ、スカリーさん。もしかしたら、あなたのパートナーにはわかっていただける かもしれません」 彼は一つ咳払いをして、モルダーの方に顔を向けた。 「バカバカしいと思われるかもしれませんが、この辺りではロバート・フリードマンに関する 噂があるんです」 「夜な夜な棺桶から抜け出して美女の血をすするという、あれですか」 「まあそんなところです」 「なるほど。それなら一つの選択肢として考えてもおかしくはないですね」 大笑いされるか、そうでなければ呆れて帰ってしまうのではと思っていたアルフレッドだったが、 モルダーが顔色一つ変えずに吸血鬼の存在を肯定したのを見て、彼は呆れたような驚いたような 複雑な表情を浮かべた。 「もっともまだ推測の域ですがね。お嬢さんの首にも傷がありますし、特にこの ニューイングランド地方には、そういった怪物の伝説が多く語り継がれていますから.... どうしたんですか?」 「いや、まさか真剣に取り合ってもらえるとは思っていなかったもので」 「FBIはサービス満点ですよ。それじゃあ、フリードマンについて少しお伺いできますか」 ------------------------------------------------------------------------------------------ 「ねえモルダー、好奇心丸出しで話を聞くのはやめてちょうだい」 「僕は超常現象に対して真剣かつ寛大な心の持ち主なんだよ。君ももう少し興味を持ってみたら どうだい?」 「仮にも私は科学者よ、悪いけどこの世に存在しないヴァンパイアに恋焦がれる事はできないわ」 「まあまあ、とにかく聞き込みだ」 モルダーとスカリーは、落ち葉で敷き詰められた道を歩いて横切った。時折巻き起こる小さな風に、 スカリーの赤い髪がフワリとなびく。 大きな木に隠れ、その身をひそめるようにして建っているフリードマンの家は、グレーが基調の 石造りだった。周りにどっしりと立つ木の幹からむき出しに伸びる枝が、何か寒々しさを感じさせる。 本当に人が住んでいるのだろうかと疑いたくなるような静けさだ。 玄関の前に立つと、モルダーは白く塗られた木のドアをドンドンと叩いた。 「ミスター・フリードマン?....いないのかな....ミスター・フリードマン!!」 3回ほどノックを繰り返すと中から錠を外す音が聞こえ、ドアが少しだけ開いた。 「ロバート・フリードマンさんですね? FBIのモルダーとスカリーです。 ちょっとお時間をいただけませんか?」 「何かあったんですか?」 「向かいのウィンストンさんの事でお聞きしたいんです」 「はあ....わかりました」 ギィッときしんだ音を立ててドアが開くと、モルダーの後ろに立っていたスカリーは、目の前に 立つフリードマンの姿を見て小さく息を呑んだ。 モルダーと同じぐらい長身だが、線の細い体は透き通るような青白い肌をしていた。ブラウンの瞳 はボンヤリとした光を宿らせ、元気がないというよりは生気のないような表情だ。スッと通った 鼻筋、形は薄いが鮮やかな赤みを帯びた唇、一つ一つがデリケートな造りの顔立ちだ。瞳と同じ色を したストレートの髪は肩できれいに切り揃えられ、どことなく異国のイメージを漂わせている人物 だった。病気なのだろうか、少し顔色が悪い。 まさに「美しい」という言葉がふさわしい男だが、同時に今にも消えてしまいそうなほど繊細な 雰囲気を持つ彼からスカリーは目が離せなかった。 「スカリー、大丈夫か?」 モルダーが心配そうに相棒の顔を覗き込むと、スカリーはハッと我に帰った。 「え、ええ。ごめんなさい」 そんな彼女を見て、フリードマンはニッコリと笑った。 何なの、この妙な雰囲気は....? 「早速ですがミスター・フリードマン、あなたは向かいに住んでいるエリザベス・ウィンストンと 仲がいいとお聞きしたんですが」 「ええ、それが何か?」 「彼女が今病気にかかっているのはご存知ですか?」 「はい、なんでも原因不明だとかって。お見舞いには行くのですが、気分がすぐれないようで 会えない日が多いですね。彼女、相当悪いんですか?」 落ち着かない表情で、フリードマンはモルダーに尋ねた。 「さっき会ってきましたが、今日は落ち着いているみたいでした。今なら会えると思いますよ」 「そうですか....」 笑顔を作ろうとしているフリードマンだったが、もともと色の悪かった顔から次第に血の気が 引いてきたのがわかった。額には冷や汗をかき、ドアにつかまるようにして必死に立っている。 スカリーは彼に手を貸そうと近寄り、フリードマンの腕をそっと取った。彼の腕は妙に冷たい。 「フリードマンさん? 大丈夫ですか?」 「すみません、今日は少し体調が悪くて....」 浅い息を何度も繰り返している彼を見かねて、スカリーはポーチにあった木製の椅子を 持ってくると、フリードマンを座らせた。 「ありがとう、もう大丈夫ですから」 「もし良かったら診察しましょうか? 私、医者ですから」 「いえ、よくある貧血です。少ししたら良くなりますし、本当に大丈夫です」 うつろな目をして椅子に腰掛ける彼の姿をじっと見つめていたモルダーは、 突然何かを思い出したかのように口を開いた。 「ミスター・フリードマン、よく貧血になるんですか?」 「ええ。最近あまりよく眠れないので、多分寝不足なんでしょう」 「....そうですか。じゃあまた体調の良い時に改めて伺います。行こう、スカリー」 「え、ええ」 このままフリードマンを放っておくのも気が引けたが、すぐ治るから大丈夫だと言い張るので、 渋々モルダーの後を追いかける事にした。 「お大事になさってくださいね」 「ありがとう....ダナ....」 フリードマンはわずかに唇の端を上げて言った。 ....ダナ......待ってたよ.... ------------------------------------------------------------------------------------------ 「スカリー」 「なに?」 「もしかしてそれ、ダナ・スカリーの新しい調査方法かい?」 滞在先のモーテルへ戻る途中に寄ったスーパーで、食料と一緒に買った2本目のトマトジュースに スカリーが手を伸ばしたところだった。 「どういう事?」 「今回のケースについてを、ヴァンパイアになりきって考えてるとか」 スカリーは、手にしたトマトジュースの缶を見た後、モルダーに視線を移した。 「やめてよ、あなたじゃあるまいし。おいしいから飲んでるだけ」 「そんなの人間の飲むもんじゃないよ。色が毒々しすぎる」 「野菜不足のあなたこそ飲んだ方がいいんじゃないの?」 「おいおいスカリー、カンベンしてくれ」 両手を挙げて椅子から立ち上がったモルダーは、部屋の窓から外を覗いた。自然の多い土地の夜は さすがに冷える。風に吹かれてカサカサと動く落ち葉が見えた。 「それで、モルダー捜査官。どうやら既に今回のケースを推理し終えたような雰囲気ね」 トマトジュースの缶を開け、グラスに流し込みながらスカリーは尋ねた。 「まあそんなところかな」 「おおよその検討はつくけど、一応拝聴しようかしら」 モルダーは待ってましたとばかりに席へ戻り、ガタンと椅子を引いてテーブルに身を乗り出した。 「簡単な事さ。世にも恐ろしい吸血鬼、ロバート・フリードマンが、美しい娘 エリザベス・ウィンストンの血を頂戴した。娘は衰弱し、吸血鬼は生き血を得て 永遠に生き続ける。以上だ」 呆れたような笑い顔を浮かべてスカリーは答えた。 「やっぱりね、そんなとこだろうと思ったわ」 「おや、珍しく意見が一致したのか?」 「そうじゃないわよ、あなたの考えはお見通しだって言ってるの」 モルダーは、テーブルに置いてあったトマトジュースを勢いに任せてガブリと飲むと、 派手にしかめっ面を作った。 「うわっ、まず....」 「だいたい吸血鬼なんて伝承の産物じゃない、絶対に有り得ないわ。それにエリザベスだけど、 あの子はもともと体が弱いの。主治医からカルテを見せてもらったわ。エメットは妊娠35周、 1820gであの子を出産したの。つまり未熟児ね。おまけに未熟児貧血の状態だったのよ」 「スカリー、こんなもんよく飲めるな」 モルダーはテーブルの端に置いていたビールを口に流し込み、トマトジュースの味を消そうと躍起に なっていた。 「ちょっと、聞いてる?」 「....も....もちろん。『未熟児貧血』」 「そう、分娩時に胎盤が早く剥がれてしまったのが原因だそうよ。幸いにも比較的軽度のもの だったから、大事には至らなかったの。でも抵抗力が弱くて、成長してもすぐに風邪をひいたり 病気をしたりで、入院も何度かあったみたい」 「かわいそうにな」 ようやく口の中が落ち着いたのか、彼は椅子にゆったりと身をもたせかけた。 「だから、今回の彼女の体調不良も、何らかの医学的な原因があるって考える方が理にかなってると 思わない? 一度大きな病院で精密検査を受けさせた方がいいと思うわ、町医者じゃなくってね」 「そうだな、とりあえずそうしてみよう。明日ウィンストン夫妻に勧めてみてくれ。医者の君から 助言した方が説得力があるからな」 「わかった」 しばらく二人はそのまま無言で座っていた。外で吹くビュービューという風の音が聞こえてくる。 さっきよりも風の勢いが強くなってきたようだ。もしかしたらひと雨くるかもしれないと思いながら、 スカリーは窓の方をボンヤリと眺めた。 「スカリー、一つ聞きたい事があるんだけど」 「なに?」 「フリードマンは君の知り合いかい?」 唐突なモルダーの質問に、スカリーは思わず声を出して笑ってしまった。 「何それ、どういう意味よ?」 「あいつ、『ダナ』って言ったろ?」 「あなたが最初に言ったんじゃないの?『彼女はパートナーのダナ・スカリー捜査官だ』って」 「いや、僕はただ『モルダーとスカリーです』と言っただけだ」 「変な言いがかりつけないでちょうだい。彼の事なんて知らないし、会った事もないわ。 もし知ってたら、すぐあなたに話してる筈でしょ?」 「その言葉、信じていいんだな?」 当然、彼女の言う事を100%信じていたモルダーだったが、ちょっとばかりスカリーをからかって やろうかと、真剣な表情でじっと彼女の顔を見つめてみた。 「な、何よ....当たり前でしょ?」 どういうつもり? モルダーが30cmと離れていない距離でこちらをじっと見つめている。恥ずかしいやら居心地が悪い やらで、たちまちスカリーの心臓はドキドキと大きく波打ち始めた。 なに、その目は? スカリーもまたモルダーから目を離せずにいた。きれいなはしばみ色の瞳、整った彼の顔、ぽってり とした唇。彼をじっと見ているうちに、午後にフリードマンと会った時と同じような奇妙な感覚が 体の内側から湧き上がってきた。 部屋中にぎこちない空気が漂い始めたちょうどその時、モルダーが突然吹き出した。 「おいおいスカリー、冗談よせよ。まるで獲物になった気分だぜ」 「え....?」 「君のその鋭い目付き、やっぱり心がヴァンパイアになりきってる証拠だ」 「失礼ね、そんなんじゃないわよ」 いつもの冷静な口調で答えたスカリーだったが、心中は複雑だった。さっきの感覚は一体なんだった のだろう? 「まあ僕の血で良かったら遠慮なく言ってくれ、無料で進呈するよ」 「モルダー、怒るわよ」 「はいはい、じゃあそろそろ寝るよ」 スカリーをからかってすっかりご機嫌になったモルダーは、大きく伸びながら欠伸をした。 椅子から立ち上がって自分の部屋へ戻ろうと歩き始めた時、足がテーブルに当たってグラリと よろめいた。 「おっと」 体はなんとかバランスを取り戻したが、テーブルに置いてあったグラスが床に落ち、ガシャン という鋭い音を立てて砕け散った。 「ちょっとモルダー、大丈夫?」 「ごめん、調子に乗りすぎたバチが当たったかな」 二人は同時にかがみ込んで、割れたガラスを拾い始めた。 「つっ!!」 突然声を上げて、モルダーは手を引っ込めた。 「くそ、指を切ったみたいだ」 「見せてみて」 スカリーは彼の手を取って引き寄せた。大きな切り傷ではないが、人差し指の先から血が にじみ出ている。指の上で少しずつ大きくなる血の染みを見るうちに、彼女は鮮やかな色をした その赤い染みから目が離せなくなった。 「スカリー、どうした?」 彼女は、そのままモルダーの指をゆっくりと口に含んだ。 「....!!」 口の中で、スカリーの舌が傷口を舐めているのがわかる。恐怖と快感が交互にモルダーを刺激し、 悪寒のようなものがゾクリと彼の背中を走りぬけた。 「ス、スカリー........スカリー!!」 耳元でモルダーの大声が聞こえ、スカリーはハッと我に帰った。モルダーの指の上で彼女の舌の 動きがピタリと止まり、くわえていた指を素早く放した。 私、いったい何を....? 「スカリー?」 「....何?」 「今の、最新の治療法かい?」 スカリーは恥ずかしさのあまり、何と答えていいのか困ってしまった。 「あの....唾つけとくと治りが早いって言うでしょ」 「まあそうだけど」 「......」 「......」 居心地の悪い雰囲気を打ち消そうと、モルダーは必死で場を取り繕おうとした。 「あのさ、血も止まったみたいだし、そろそろ部屋に戻るよ。明日の朝も早いことだし」 「そ、そうね....じゃあ....お休みなさい」 「ああ、お休み」 モルダーは、そそくさと逃げるように部屋を出た。後ろ手にバタンとドアを閉め、そのまま体を もたせかけた。 いきなりどうしたんだよ、スカリー? 指が、絡みつくスカリーの舌の感触をまだ鮮明に覚えている。カッと熱くなった体を 風が冷やしてくれるような気がして、彼はギュッと目をつぶった。 ....to be continued −後書き− お疲れ様でした、Amanda初の事件Ficです。 今回のFicテーマは「能力の限界に挑戦」(笑) これまで、敷居が高くてなかなかまたぐ事ができなかった事件Ficですが、 そろそろ挑戦してみてもいいかな、と思って書き始めた次第です。 これまでとは全く勝手が異なるので、何もかもが緊張の連続。 書き上がる頃には、やつれちゃってるかもしれません(ホンマかい) このFicのアイデアの源となったのは、某ベテランFicライターさんとのメールのやり取りでした。 「吸血鬼って、どっちにでも転べるネタですよね。真面目に書いたら超エロティック、 おちゃらけて書いたら『怪物くん』もビックリなコテコテのコメディ」 コメディは散々書いてきたので、今回はあえて前者を選択してみたってわけです。 うーむ、選択を誤ってなきゃいいんですが....(汗) また長い旅になりそうですが、もし良かったらお付き合いくださいませ。 Amanda