DISCLAIMER// The characters and situations of the television program "The X-Files" are the creations and property of Chris Carter, Fox Broadcasting, and Ten-Thirteen Productions. No copyright infringement is intended. ------------------------------------------------------------------------------------------ −前書き− ・本作品は筆者の個人的な想像の産物である事をおことわりしますと同時に、お読み下さる 皆様には、登場人物の設定に対しての寛大なご理解をお願い申し上げます。 *本作品は『Proof』の第4章(最終章)です。 ------------------------------------------------------------------------------------------ Title: Proof (4/4) Category: Crime Case Spoiler: None Date: 10/24/01 By Amanda ------------------------------------------------------------------------------------------ −前回のあらすじ− エリザベスの首の傷はフリードマンがつけたものだとわかったが、同時にスカリーについての 過去の真相も明らかになった。戸惑うあまり、モルダーに事実を言い出せないでいるスカリー。 そして事件は.... 「答えてママ、私はヴァンパイアなの?」 「そうよ、ダナ。私達はカルンスタイン家の血を引いているの」 ---------------------------------------- 料金を払ってタクシーを降りた途端、グッと歯を食いしばりたくなるような寒さが体に まとわりついてきた。わずか一日離れていただけなのに、この土地の寒さが昨日より厳しく感じる。 落ち葉を巻き上げながら走り去っていくタクシーの姿を視界から消えるまで見送ると、 スカリーは、寒さから身を守るようにコートを体にきつく巻きつけて歩き始めた。 『なんて言えばいい?』 コンコードへ戻ってくるまでに、スカリーの頭の中ではこの言葉だけがグルグルと渦巻いていた。 ありったけの語彙力に総動員をかけてこの疑問に対する答えを作ろうとしたが、うまくいかないまま モーテルにたどり着き、結局、その必死の努力も徒労に終わってしまった。 きっと彼はいろんな事を私に尋ねるに違いない 私は平気でいられるかしら 動揺を最小限に抑えるため、彼が尋ねてきそうな質問をある程度想定し、なんとか心の準備を終えた。 フッと息を吐いて気持ちを落ち着けると、彼女はモルダーの部屋のドアをノックした。 「モルダー?」 ドアを開けると、アイスブルーとヘイゼルの目が早速かち合った。後者の色の瞳を持つモルダーは チラッと相棒に目をやり、「ちょっと待って」と人差し指を立てて合図を送った。 「気づいたのはいつですか?....そうですか....いえ、大丈夫ですよ....わかりました」 彼の言葉を聞く限り、その電話が悪い事態を知らせているような予感がする。通話を終えて受話器を フックに戻すと、モルダーは上体を起こしてスカリーと向き合った。 「ゆっくりと『お帰り』の挨拶をしたいところだけど、エリザベスが行方不明だ」 「なんですって?」 「ウィンストン夫妻から連絡があったんだ、今から行ってくるよ」 急いでコートを羽織ると、モルダーは戸口に向かって足早に進んだ。 「私も行くわ」 「君は休めよ、疲れてるだろう?」 「いえ、大丈夫」 彼のところだ、多分 口にこそしなかったが、二人は同じ推理を立てていた。 ---------------------------------------- 車に乗っている間、二人は一言も口をきかなかった。ただ断続的に唸り続ける車のエンジンと、 たまに伸び過ぎて飛び出した枝葉が車に当たる無気味な音が聞こえてくるだけだ。 『なぜ泣いてた?』 モルダーは、喉まで出掛かっている疑問を口にするのを、いつまでもためらっていた。 何も言わず無表情で助手席に座っているスカリーを前にして、なぜかそれが聞いてはならない 疑問のような気がしたからだ。 もともと彼女が悩みや不満をパートナーであるモルダーに── パートナーだからこそ かもしれないが── こぼす事など、ないと言ってもいい。たとえ聞いたところで 「泣いてなんかないわよ」と、簡単にかわされるのが落ちだと十分に理解していたモルダーは、 とりあえずその質問から離れる事にした。 「昨日の晩、奴の家で何があったのか話してくれないか」 彼女はひとつ小さなため息をつき、前を向いたまま答えた。 「彼に言われたの。『真実を見たければ屋敷に来い』って」 「それで何も言わずに行ったのか」 「私一人で、っていうのが条件だったから」 モルダーの顔を一瞥してから、スカリーは小さくつぶやいた。 「....ごめんなさい」 「君の気持ちも分かるけど、もし何かあったらどうするつもりだったんだ?」 「........」 「心配したぞ」 モルダーは真面目な表情でポツリとそう言うと、再び運転に専念し始めた。彼が姿を消す度に スカリーは心配のあまり彼を強く責め立てるが、彼はそうはしなかった。ただ優しく諭すように、 威厳のある暖かい声で彼女を丸ごと包み込んだ。小さな娘を心配する父親がそうするように。 スカリーは、立場がいつもとすっかり逆になってしまった事に苦笑せざるをえなかった。 でも、まだ解決したわけじゃない 今回の事件も『私の問題』も 答えはまだフリードマンが握ったままだ しばらく黙り込んだまま時間が過ぎ、スカリーが再び口を開いた。 「モルダー」 歯切れの悪いところを見ると、きっとろくな頼み事じゃないはずだ。一体今度は何を言い出すのかと、 モルダーは内心ハラハラしていた。 「一人で行かせてほしいの、フリードマンのところに」 ほらきた、と、モルダーは少し苛立ちの混ざった口調で反論し始めた。 「なんだよスカリー、昨日の一件でも十分心配したっていうのに、これ以上僕の寿命を縮める つもりか?」 「私は本気よ」 「本気でもなんでも、それは駄目だ。わざわざ君を一人で行かせないといけない理由が どこにあるっていうんだ?」 一族の問題だ、などとは決して言えない。本当の事を話せないという辛い状況に追い込まれた今、 スカリーは、どんな手を使ってでもモルダーを説得しなければならなかった。 「お願いだからやらせてちょうだい」 「駄目だ。いいかスカリー、これは君だけの事件じゃない。僕の事件でもあるんだ」 とうとうモルダーは車を停めてスカリーの方を向いた。頑として理由を話そうとしないスカリーに 対して、どうしようもない怒りがこみ上げてくる。 「一体どういうつもりなんだ? 今回ばかりは君の事が理解できないよ、どうして一人で行動したがる? 何か隠してるのか? 僕に知られたくないような事でもあるのか?」 スカリーは、モルダーの視線から逃げるようにして顔を窓の外に向けた。彼女の理性は、もはや感情を コントロールする術を失いかけていた。これ以上何かを口にすれば、きっと大きな墓穴を掘ってしまうに 違いない。スカリーは、ほんのわずかに残っている冷静さをかき集めてモルダーに最後の抵抗を試みた。 きっと勝ち目はないと知りながら。 「理由は後で説明するわ、だからおねが....」 「いい加減にしろ!!」 モルダーは彼女の両肩を掴んで無理やり視線を合わせ、すごむような低い声で言った。 「わけもわからず君のわがままに付き合うほど、僕はお人好しじゃないぞ。さあ、話すんだ。 同じケースを扱っている僕にだって、知る権利はあるはずだ。違うか?」 「....」 「なあスカリー、僕が電話した時、泣いてたろ。それと何か関係があるんじゃないのか?」 この人に隠し事をしようだなんて 私も愚かな事を考えたものね 無駄だって事ぐらい、始めからわかってたのに 見る見るうちに、スカリーの目には大粒の涙が溜まり始めた。それを見たモルダーはわずかに驚いた ような表情を見せたが、すぐにそれを怒りの中に隠した。 「パートナの僕にも言えない事か? おいスカリー!!」 「パートナーがあなただから言えないのよ!!」 どうしてそんなに私を気づかうの? そんなにされたら、惨めになるだけなのに 大声を張り上げ、肩に置かれたモルダーの両手を乱暴に振り切ると、スカリーの目に溜まっていた 涙の粒が堰を切ったように頬を転がり落ちた。 「そんなに知りたい? なら教えてあげるわ」 荒々しく助手席のドアを開け、スカリーが車から立ち上がったのにつられて、モルダーも車から降りた。 気味が悪いほど青白い色をした月が逆光になり、スカリーの姿が黒いシルエットで彼の目に映った。 「私ね、ヴァンパイアなの」 「....え?」 「すごいでしょ? 人間の生き血を食い物にする怪物なのよ」 「スカリー、何を言いだ....」 「フリードマンと同じ。あなたラッキーよね、こんなお話、大好きでしょ? こんなに身近なところにXファイルがあったなんて、驚きだと思わない?」 スカリーがどんな表情で今の台詞を言ったのか、月の逆光の位置に立っていたモルダーには見えなかった。 しかし、勢いに任せてまくしたてられた彼女の言葉が、寒さで白く見える息と混ざり、モルダーに次々と 襲いかかった事だけは痛いほど感じられた。 「これで満足?」 力ない、かすかな笑い声がスカリーの口から漏れ、彼女はモルダーの肩をかすめて早足で歩いていった。 「待てよスカリー」 モルダーは、振り返らないスカリーを追いかけ、背後から彼女の右腕を取った。 「待てったら」 「放して!!」 スカリーの顔がこちらを向いたかと思うと、次の瞬間には、モルダーは強く体を突き放されていた。 彼女のゾッとするような鋭い視線が、よろめきながら数歩後ずさりするモルダーに注がれる。 「これ以上近づいたら、私に血を抜き取られるわよ」 彼らは互いに見合ったまま微動だにしなかったが、先にスカリーが背を向けて歩き始めた。夜露で湿った 落ち葉を踏む彼女の足音が次第に遠くなっていく。モルダーはその場に立ちすくんだまま、スカリーの 後ろ姿を見つめていた。 「待つんだ、スカリー!!」 冷たい風が吹きつけ、彼の声はスカリーに届く前にかき消された。 ---------------------------------------- 半ば走るようにして、スカリーは暗く細い道に入り込んだ。ザワザワと木々の揺れる音以外は何も 聞こえない。どうやらモルダーは追ってこないようだ。彼女は乾いた頬に再び涙がこぼれ落ちてくる のをこらえるために立ち止まり、空を仰いだ。 やっぱりこんな気持ちのまま帰ってくるべきじゃなかったわ どうしてこんなに急いで戻ってきてしまったのだろう 彼に嘘はつけない事など、始めから判りきっていたはずなのに 知られたくないのなら、戻らなければ良かったのに 一瞬、こんな時だからこそモルダーに会いたかったのかもしれないという考えが頭をよぎったが、 「愚かしい」という理由をつけると慌てて頭から追い出し、それを置き去りにするかのようにして 彼女は更に小道を進んでいった。 もう逃げられない 逃げる場所がないなら、戦うしかない どうにか悩みを振り払ったちょうどその時、彼女の目の前で道が切れ、フリードマンの屋敷が現れた。 恐いものなど、もうありはしない。後は自分自身をどう納得させるかの問題だ。 戦うしかないんだ 決心を固め、スカリーは拳で玄関のドアを激しく叩いた。 「フリードマン!! ドアを開けて!!」 反応のないドアを、彼女は執拗に叩き続ける。 「早くしなさい、こじ開けるわよ!!」 更に力を入れて叩こうとしたドアが、不意にギーッという不気味な音を立てて開いた。 しかしフリードマンの姿はない。スカリーはホルスターからゆっくりと銃を抜いて両手に構え、 そろりとドアをくぐった。 屋敷の中は電気一つ点いておらず、真っ暗だったが、彼女にとっては外から差し込んでくる月の光 だけで十分だった。家具もほとんど置かれていない殺風景な部屋には、人の体温など少しも 感じられないほど寒々しい空気だけが漂っている。 スカリーは、背中に冷や汗を感じた。開け放しにしたドアから風が流れ込み、床の塵が舞い上がる。 一歩動く度に、板張りの床が湿ったような悲鳴を上げた。 「ダナ....ダナ....」 屋敷の真ん中に位置する大きな階段の上から、可愛らしい声が聞こえた。銃を構えたまま顔を上げると、 手すりにもたれたエリザベスが、二階から楽しそうにスカリーを見下ろしている。 「ダナ....フフフ、恐い顔してる」 エリザベスは、小さな口に手を当ててクスクスと笑っている。 「リズ、私と一緒に家へ帰るのよ」 「あら、ここが私の家よ」 いつもの寝間着姿でキョトンとして答える彼女の目は、焦点が定まっていない。フリードマンに 操られているのは明らかだった。 「ダナったら変な人。ここはあなたの家でもあるのに」 『あなたの家なのに』 エリザベスのその一言は、スカリーに大きなショックを与えた。 「いいえ、違うわリズ。ここはあなたの家でも、私の家でもないのよ」 「だって、お兄ちゃんだって一緒なのに....ねえお兄ちゃん?」 そう言って彼女が向けた視線の先から、フリードマンがコツコツと靴の音を立ててゆっくりと姿を現した。 光沢のある真っ白なガウンを身につけた彼の表情は、月の光を浴びていきいきと輝き、唇の赤い色が より魅力的に見える。 「そうだよリズ、ここは僕達の家だ。ダナも一緒のね」 彼は滑らかに手を持ち上げ、エリザベスの腰にフワリと添えると、「そうだろう、ダナ?」と言いたげに 優雅な微笑みを浮かべてスカリーを見た。彼女は両手でしっかりと銃を持ち直し、フリードマンに狙いを 定めた。 「フリードマン、彼女を放して」 「あなたが自分自身の事について認めたらね」 「確かに、私はあなたと同類かもしれない。でも私は私よ、一緒にしないで」 「あなたも頑固な人だ、よっぽどヴァンパイアがお嫌いのようですね」 涼やかに笑いながら、フリードマンはエリザベスを抱えるようにして階段を降りてきた。同時に スカリーの銃口も、彼からピッタリと狙いを外さずに追い続ける。 「変に動くと撃つわよ」 「過去から目を背けようとする人に、そんな勇気があるとは思えません。違いますか?」 最後の階段を下りると、二人は強く視線を絡めあった。先に目を逸らせた者が敗れると言わんばかりに、 彼らはまばたき一つする事さえも嫌った。スカリーの両手に握られた銃は、まだフリードマンに向いた ままだ。 「やれやれ、一族に銃を向けるとはなんと恥知らずな」 「あなたに立ち向かわない事の方が恥だわ、フリードマン」 「そうですか....」 フッとため息をついたかと思うと、フリードマンはいきなり右手に抱えていたエリザベスをたもとに 引き寄せ、首筋に勢いよく噛み付いた。鋭い牙がズブリと音を立てて首に突き刺さると、エリザベスは 瞳をカッと見開き、そのままドサッと床へ崩れ落ちた。フリードマンの口元には、鮮やかな色をした エリザベスの血が点々とついている。顎をつたって一滴の血が落ち、ガウンの襟に 赤い染みを作った。 「リズ!!」 叫ぶようなスカリーの声が、屋敷に響き渡った。倒れたエリザベスに視線を移したその瞬間、 スカリーの手が揺れて銃口がわずかにフリードマンを逃した。彼はその隙を突き、素早くスカリーの 手から銃を払い落とすと、右手を彼女の首に巻きつけた。その異様なほどの怪力に、彼女の口から 苦しそうな喘ぎ声が漏れた。 「....は.....なして..」 喋ろうとすると、フリードマンの腕がますます力強く絡みつく。今にもスカリーの気道を塞ぎそうな 勢いで、彼はギリギリと首を締め上げた。 「一族の恥さらしを生かしておくなんて、僕には耐えられませんから」 表情一つ変えず、彼はポケットに隠していた杭を左手に握り締めた。 「ヴァンパイアの処刑方法ぐらいはご存知ですよね?」 フリードマンは、小鳥が歌うような優しい声でスカリーの耳元に囁いた。 「杭を胸に打ち込んで首をはねる....ああ、あなたの体に杭を打ち込むなんて!!」 彼が囁く度に、興奮した荒い息がスカリーの耳に吹きかかる。ヘビのように巻き付いたフリードマンの 腕が邪魔をして呼吸ができない彼女は、次第に意識が遠のいていくのがわかった。彼の残酷な言葉さえ 子守り歌のように心地よく感じる。ついにスカリーは力尽き、ゆっくりと目を閉じた。 ズガーン!! 遠くの方で、大きな音がこだましたような気がした。それと同時に、彼女の体は冷たい床に 突き落とされた。痛みは感じなかったが、体を支えられずに床へ倒れ込んだ事だけはわかる。 ほどなく、すぐ近くでドサッという音が聞こえた。重い荷物を乱暴に降ろしたような音だった。 床に触れた頬にドンドンという振動が伝わる。誰かが歩いているのだろうか。床の冷たさを ぼんやりと感じていた頬に、今度は柔らかく暖かいものが触れた。 スカリー....スカリー!! 誰かが何度も名前を呼んでいる。 スカリー、目を開けろ!! スカリー!! 突然、意識がはっきりと戻った。驚いたように大きく目を開けると、スカリーは激しく咳こんだ。 体内の全細胞が、酸素を求めて必死に空気を吸い込もうとしている。彼女はその要望に応えるかのように 咳をしながら大きく呼吸を続けた。 「スカリー、大丈夫か?」 気がつくと、モルダーの心配そうな顔がスカリーを覗き込んでいた。頬に感じた暖かみは彼の手だった らしい。彼女は無意識に、頬に置かれたモルダーの手を掴んでギュッと握り締めた。 「スカリー?」 少しずつ呼吸が落ち着いてくると、彼女はモルダーの手を握ったまま、疲れたような表情で目を閉じた。 「ええ....大丈夫....」 「バカだな、死ぬつもりだったのか?」 とがめるような言い方だったが、その声をこれほど心強いと感じたのは初めてのような気がした。 スカリーは息を整えて唾を飲み込むと、目を閉じたまま小さな声でモルダーに尋ねた。 「....フリードマンは?」 「そこだ。僕が腹を撃った」 モルダーに抱えられながら体を起こすと、フリードマンが仰向けになって倒れているのが見えた。 白のガウンには赤黒い血が大きく染みを作り、血の滴が床にポタポタと落ちている。スカリーは うっすらと目を開けて倒れているフリードマンをじっと見つめた。瞳は鈍い灰色に変わり、透き通る ように青白かった肌は次第に黒みを帯び始めた。 すると、大きく開け放しになっていたドアから、青とも緑ともつかないような深い色の霧が流れ込んで きた。ひんやりとした霧の粒子は床を這うようにザワザワと動き、フリードマンの体に巻きつき始めた。 「モ....モルダー....?」 「どうなってるんだ?」 モルダーとスカリーは、まるで自らの意志で動いているかのように見える霧から目が離せなかった。 その色は次第に深みを増し、フリードマンの体を完全に包み込むと、竜巻のようにクルクルと動いて 風が巻き起こった。始めは二人の髪をなびかせる程度だったが、次第に風の力は大きくなり、 目を細めて手をかざさなければならないほどの強さになった。 突然、ヒュンと鞭を打ったような音が彼らの耳を通り抜け、それっきり風はピタリと止んだ。激しい風の 音が消えると、まるで時間が止まったように、辺りは静けさを取り戻した。 「今のは....何?」 床に落ちた血と共に、フリードマンの姿は跡形もなく消えていた。 ---------------------------------------- 「フリードマン家の周辺も捜索してみましたが、結局、血痕一つ見つかりませんでした」 次の日の夜、スキナーは、モルダーが書き上げた報告書に目を通していた。いつもの事とは言え、 この手の事件は何年経っても慣れない。白とも黒ともつけ難い捜査結果で結ばれる報告書を部下から 提出される時ほど、超常現象が疎ましいと思う事はなかった。 スキナーは、ロバート・フリードマンに関する報告書を一通り読み終えると、メガネを外し、 左の指で強く眉間をもんだ。 「被害者であるエリザベス・ウィンストンの証言や彼女についた傷、それにフリードマンの姿を 消し去った霧の存在なども考えると....」 「『ロバート・フリードマンは、まぎれもなくヴァンパイアだ』という結論に達したわけだな、 モルダー捜査官?」 スキナーは、ギロリとモルダーに目をやった。 「そうです。霧が彼の姿を消したのはスカリーも目撃しています」 「霧、な....」 「エリザベスは病院に運ばれて、現在ICUで治療中です。極度の貧血とショック状態ですが、命に別状は ないそうです」 一体この先、どれだけの超常現象が私を悩ませるのかと思いながら、スキナーは報告書の最後のページに サインを書き加えた。 「改めて君たち二人の意見を聞きたい。明日の朝9時だ、遅れるな」 「わかりました」 そう言ってモルダーが席を立つと、スキナーは彼を再び呼び止めた。 「モルダー捜査官」 「まだ何か?」 「スカリー捜査官は大丈夫なのか?」 「大丈夫だと言い張ったのを、今日は僕が無理やり休みを取らせたので」 「そうか....」 「それじゃ、失礼します」 ドアが閉まると、スキナーはドッサリと背もたれに体を預け、大きくため息をついた。 やれやれ とんだ仕事だな ---------------------------------------- 「もう落ち着いたわ、本当に大丈夫だから ....うん......うん.....わかった、ありがとう それじゃ、もう遅いし、ゆっくり休んで.......お休みなさい」 今日2回目のマーガレットからの電話を切って、スカリーは床に座り込んだ。頭をソファーに もたせかけると、窓から月の光が差し込んでくるのが見えた。満月にほど近かったが、 わずかに右上が欠けたそれは、奇妙なほど金色の輝きを放っている。 他にも一族の血を引く人間が存在するとすれば 一体どこに身を隠しているのだろう 彼らは知っているのだろうか 自分が特別な血を受け継いでいる事を モルダーはどう思ったのだろう もし彼が一族の一員なら 彼は私に打ち明けただろうか ドンドンドン じっと月を見つめていると、ドアをノックする音が聞こえた。きっとモルダーだろう。なんとなく 顔を合わせにくかったが、こんな夜中にわざわざ様子を見に来てくれたのを邪険に帰してしまうのも 気が引けたので、仕方なくドアを開けた。予想通り、そこには彼が立っていた。 「やあスカリー」 「....どうも」 「調子はどうだい?」 「まあ、なんとか」 二人の間にぎこちない空気が流れているのがわかる。スカリーは、なるべく目を合わさないようにして 心に渦巻く動揺を隠した。 「入ってもいいかな?」 「え、ええ....どうぞ」 体を少しずらしてモルダーを部屋に入れ、スカリーはドアを閉めた。背を向けている彼に目をやると、 スカリーの耳の奥で、ドクンドクンと一定のリズムを刻む音が聞こえ始めた。 彼の心臓の音....? 血が体を巡ってるんだわ 彼の中を 心臓から指の先まで.... モルダーの体の神秘に触れたスカリーの体が反応した。細胞が熱を帯び、頭の中でビーンとしびれる ような波動を感じる。表現するにはあまりにも複雑で難しい心地良さに彼女は体を委ねかけたが、 彼の声で一気に現実へと引き戻された。 「どうした?」 「え? いえ、ちょっと考え事」 「寒いのに、窓も開けっぱなしかい?」 「月がきれいだったから」 白いカーテンが風にゆらゆらと揺れている。月に見られているような気がして何か落ち着かない。 「コーヒーでも入れるわ」 そう言うと、スカリーはキッチンへ歩いていった。 「スキナーは何て?」 「明日の朝いちからミーティング。詳しく話を聞きたいって」 彼女がコーヒーメーカーをセットして棚からカップを2つ持ち出す間、モルダーはその様子を ソファーに座ってじっと見ていた。 見られてる.... スカリーの心臓が一気に鼓動を早めた。 もしかして、彼にも私の音が聞こえてるのかしら 見られているという意識が彼女を辱める。モルダーの視線が体中に鋭く突き刺さり、その痛みが 耐え難いほどの苦しみとなって彼女を一気に飲み込んだ。彼は私の過去をどう思っているのだろう、 そう考えるだけで自分自身の存在が恥ずかしくなる。 今、もし神が私の前に現れたら 私は間違いなく彼に乞うだろう 「今すぐこの場から私を消してほしい」と 二人の間にしばしの沈黙が流れた。コーヒーメーカーから湯が落ちていく、普段なら気にもかけない ような音がいつもより大きく聞こえる。コーヒーが出来上がると、スカリーは美味しそうな匂いを 漂わせながらマグに滑り落とし、その一つをモルダーに手渡した。彼は「ありがとう」と小さく 呟いてそれを受け取った。 「悪かったわね」 「何?」 「報告書。全部任せてしまって」 「気にするなよ、たまにはそれぐらいするさ」 「いつもそれぐらい気遣ってくれたらいいんだけど」 「たまにやるからいいんだよ。頻繁にやってたら、ありがたみが薄れるだろ?」 いたずらっ子のように笑うモルダーに力なく微笑み返し、スカリーは大きく開いた窓に歩み寄って 再び月を見上げた。月の光だけでなく、モルダーの視線にもさらされている今、彼女の心は動揺 などという言葉では現せないほど荒れ狂っていた。 『私、ヴァンパイアなの』 言うまいと決めていた事を口走ってしまったのを、スカリーは心の底から後悔していた。パートナー として長い時間を共にしてきた人間が吸血鬼だなどと、誰が信じると言うのだろう。本人が信じられない と言うのに、ましてや他人が信じるとは思えない。しかし、愚かだと知りつつも心の中でほんのわずかな 希望を持っていたのも確かだった。 彼ならわかってくれるかもしれない、と。 どうやってこの沈黙を破ろうかと考えていると、モルダーが先に口火を切った。 「スカリー」 彼はマグをテーブルに置くと、両肘を膝に置いて手を組んだ。 「聞いてもいいかな」 「....どうぞ」 「あれは本当なのか?」 この長い沈黙の間、どうやって話を切り出そうかと、彼も相当悩んでいた。しかし、あれこれと 思案しても無駄だと悟った彼は、潔く一番シンプルな切り出し方を選んだ。 「君の過去の話は本当なのか?」 こんな事態になってしまった以上、いつかはきちんと話さなくてはならない。彼女はそっと目を伏せ、 モルダーに背を向けたまま大きな深呼吸をした。 「ええ、本当よ」 沈黙が再びスカリーの部屋を襲った。今、彼は何を考えているのだろう? 考えただけで身震いがする。 しばし黙り込んだ後、遠慮がちにモルダーが尋ねた。 「良かったら....話してくれないかな」 それが驚くほど冷静な声音だったので、スカリーには彼の考えている事が全く読めなかった。いつもの ように、ただの好奇心からくる問いかけなのだろうか。もしかしたら、こんなにも長い間よくも僕を 騙してくれたなという責めの表れかもしれないし、または本当に純粋な気持ちで心配してくれているの かもしれない。その謎の答えに確信が持てない彼女はグッと固く口をつぐみ、答えるのを渋った。 「別に今じゃなくてもいいし、嫌ならこれ以上詮索はしない。でも、今後もし僕の協力が必要なら、 遠慮なく言ってくれ。僕は喜んで君のサポートをするつもりだ」 モルダーの言葉が、痛いほど心に染みた。素朴な彼の言葉は、どれだけ奇麗に飾られた慰めよりも 優しさに満ちていた。 「もし邪魔ならこのまま帰るよ」 しばし考える時間をスカリーに与えた後、モルダーはゆっくりと立ち上がった。彼は決して 顔を見せようとしない相棒の小さな背中を見つめた。 「それじゃ....コーヒー、ごちそう様」 スカリーに背を向け、彼は歩き始めた。ドアを開けようと、ノブに置いた手に力を込める。 「待って」 喉の奥から絞り出すような、小さな声が聞こえたような気がした。今のは空耳だったのだろうか? モルダーは手を止め、その場に立ちすくんだ。 「モルダー、待って」 さっきよりもはっきりした声が彼の耳に届いた。 「私は....ヴァンパイア一族の血を引いているの」 背中を向けあったまま、スカリーの告白が始まった。 「図書館で家系を調べたし、ママも....ママもこの事を認めたわ。それに、これまでのいろんな事を 思い返してみると、全て辻褄が合う」 モルダーは、コンコードのモーテルでケガをした時のスカリーの行動を思い出した。あれは彼女が ヴァンパイアであったが故に起こった事なのだろうか。そう考えるうちに、モルダーの指にあの時の スカリーの舌の感触が鮮明に蘇った。 「フリードマンは一目で私の事がわかったの。『自分自身を認めろ』って言われちゃったわ」 フリードマンのもとへ一人で行かせろと言い張った彼女の悲痛な表情の下に隠されていた事実は、 モルダーをも緊張させた。気の落ち着く言葉でもかけてやればいいのだろうが、この場にふさわしい 一言など、誰が知っているというのだろうか。 「モルダー」 「....ああ」 「こんな事、あなたに聞いていいのかどうかわからないけど」 モルダーは振り返った。暗い部屋の中、月の光が相棒の体の輪郭を金色に縁取っているように見える。 彼女は窓のさんに両手をつき、力無くゆっくりと頭を垂れた。 「私、どうすればいいの?」 衝動的に── 言葉のあやではなく、本当に衝動的に── モルダーはスカリーの方へ歩み寄ると、 彼女の背中を抱いた。その拍子に、不安定なバランスで窓に置かれていたコーヒーのマグが床に落ち、 バリンと重い音を立てて割れた。体が触れた瞬間、スカリーが身を強ばらせたのがわかったが、 モルダーは気づかない振りをした。 「君はどうしたいんだ?」 スカリーはしばらく考えた後、困り果てたように苦笑しながら答えた。 「......わからない」 「そうか」 次第にスカリーの体から緊張がほぐれてきた。モルダーは彼女の頭に顎を乗せ、その大きな体で スカリーを暖かく包み込んだ。 「わからなくてもいいんじゃないか?」 彼が話すと、喉の振動を頭に感じる。スカリーはそれに安心感を覚えた。 「過去を知ったからって何が変わるわけでもない。確かに君にとっては世界がひっくり返るような 事かもしれないけど、僕にとって君は一週間前と同じだよ、スカリー。こんな事を言うと 『他人事だからそんな事が言えるんだ』って怒られるかもしれないけど」 この数日間、心の中で巣食っていた黒いものが、消えてなくなっていくような気がした。そして モルダーの言葉は、同時に彼女の凍てついた心も溶かし始めた。溶け出した暗い心はスカリーの涙 となって頬を流れ、彼女のウェストあたりで組んでいたモルダーの手にこぼれ落ちた。 「いつもどおりのダナ・スカリーでいてくれるなら、僕はそれで満足だ」 声を出して泣き出しそうになるのを、スカリーは舌の先を噛んで堪えた。彼女は体の向きを変え、 外の空気で冷たくなった指をモルダーの頬に当てた。 まだ怖じ気づいているけれど これを乗り越えれば 今までどおりに生きていけるかもしれない 「....ありがとう」 彼の体温が優しさと共に伝わってくる。その温かさが指先にジンと染みた。 『....ダナ.....ダナ.........』 わずかに希望が見え始めたその時、小さな声がスカリーの耳元で囁き、彼女はビクリと体を固くした。 「....モルダー?」 「ん?」 「今、何か言った?」 「いや、何も」 『ダナ、ここだよ』 今度は頭の中で声が響いた。ここ数日で聞き慣れたか細い声が、頭の中に話しかけてくる。 彼女の顔は一瞬にしてサッと青白く変わった。 「スカリー、大丈夫か?」 空耳じゃない、確かに私に話しかけている。スカリーは見えない姿に向かって恐る恐る尋ねた。 「....誰?」 『もう忘れたんですか?』 不安が確信に変わると、スカリーはモルダーに背を向け、その両手で頭を抱えこんだ。 「あなた....消えたはずじゃ......」 『せめて一度ぐらいは、生きた人間の味をあなたに楽しんでもらいたくて』 「冗談じゃないわ。私は人間なの、そんな事絶対にいやよ!!」 『まあそう言わずに。ちょうど目の前に美味しそうなご馳走がある事だし』 スカリーの意識の中へ入り込んだフリードマンが、彼女に話しかけているのだ。モルダーは突然の 彼女の奇妙な行動に刹那ひるんだが、すぐに事態を察知した。フリードマンがスカリーの中にいる。 おそらく彼はスカリーを支配しにかかるだろう。モルダーは、背を向けて耳を塞ぐ彼女に大声で 呼びかけた。 「スカリー、奴の声を聞いちゃ駄目だ!! スカリー、スカリー!!」 しかし、彼女にとってその声は、スクランブル信号がかけられたような意味のない雑音にすぎなかった。 フリードマンの強い力が邪魔をして、モルダーが何を言っているのか、はっきり聞き取れない。 スカリーは、次第に体の自由がきかなくなっている事に気づいた。 『ほら、早く』 フリードマンが囁く度に意識が薄れ、意志とは違う別の力に体が反応している。体内で細胞が反乱を 起こしたかのように暴れ始め、血が勢いよく体を駆け巡った。きっと彼は私にモルダーを襲わせよう としているのだ。遠のく意識の中、それだけは理解できた。 それだけはできない 彼を襲うなんて事は 『ダナ、準備はいいですか?』 フリードマンの声に導かれ、スカリーは彼女自身の意に反してモルダーに近づき、彼にスッと手を 伸ばした。 モルダー、逃げて!! 襟首を掴んで強引に引き寄せると、モルダーとスカリーの視線が合わさった。いつもは澄んだ海の ように青い彼女の瞳は、曇り空のような灰色を帯びている。軽く顎を引き、上目遣いにモルダーを 睨みつける仕種が、思わず引き込まれそうになるほどの美しさを放っていた。 『そうだ、その調子』 さらに襟首を引き寄せると、二人の顔はもう少しで触れ合うほどに近づいた。わずかに開いた唇から スカリーの熱くなった吐息が漏れ、モルダーの口元にかかった。 「ス、スカリー....」 彼らの視線と息遣いが絡み合う。ギラギラとした光を宿すスカリーの目を見ているうちに、モルダーの 視界はぼやけ始め、強烈な眠気が襲いかかった。どうしたのだろうかと目を閉じて頭を振ったが、 次第に体が言う事をきかなくなり、足元がふらついた。 くそ、僕もフリードマンの罠に.... そうと気づくにはあまりにも遅すぎた。モルダーはソファーにつまづき、そのまま勢いよく仰向けに 倒れこんだ。スカリーは彼を逃がすまいと、ソファーの上のモルダーを見下ろすようにして彼の 両手首を掴んだ。力までもがフリードマンによってコントロールされているのか、彼女の握力の強さに モルダーは顔をしかめる。 「やめろ、やめろスカリー!!」 ありったけの力を出して抵抗したが、それも無駄な努力だった。うっ血しそうなほど強く握られた 手首は次第にしびれ始め、感覚が薄れてきた。 「スカリー....」 もう......限界だ........ どうにも太刀打ちなどできないと観念した彼は、グッタリと力を抜いた。どれだけの間そうしていた のだろう、止めていた息を吐き出し、酸素を求めて苦しそうに呼吸を繰り返した。 スカリーに殺されるのか 変質者に襲われるよりはよっぽどいい スプーキーにはお似合いの展開ってとこだな なぜかそんな事を考えながら、彼はスカリーを見つめた。獲物に己の力を見せつける時のような 鋭い視線ではあったが、その奥に隠されたダナ・スカリーの澄んだ青い瞳が見えたような気がした。 ああ、スカリーはこんなにきれいな目を持っていたのか。今ごろ気づいた自分に呆れてしまう。 次第に強くなる眠気と瞼の重みを感じながら、彼は苦笑いを浮かべた。 「スカリー....綺麗な目だな」 綺麗な目だな フリードマンによってほぼ完璧に支配されたスカリーの体が、わずかにピクリと反応した。 ほんの少しだけ残されていたスカリーの意識が、その綺麗な瞳から一筋の涙をこぼした。 モルダー、許して もう自分の体さえコントロールできない これが一生背負わなければいけない私の十字架なの スカリーは、指で優しくモルダーの瞼をそっと下ろした。彼がもう何も見られなくなるように。 頭が朦朧とし始めた頃、彼は左の掌に鋭い痛みを感じた。うっすらと目を開けると、天井も、 ソファーの柄も、何もかもが歪んで見える。吐き気がこみ上げるのを堪えていると、先ほど痛みを 感じた掌に、今度は暖かく湿ったものが触れた。それがスカリーの唇だとわかったのは、それから どれほど時間が経った頃だろう。 スカリーの手が、彼の体を下から上へゆっくりと這っていくのがわかった。熱くなった彼女の手が 触れる度に、モヤモヤとした意識の中でも焼けるような感覚をはっきりと感じ取る事ができる。 いやらしいほど執拗に這い回る彼女の手は、いよいよモルダーの首もとに辿り着いた。 「スカ........リー」 モルダーは、自分がうわ言でスカリーの名前を呼んだような気がした。その時、首に絡み付いた 彼女の手がピタリと動きを止めたが、今度は手よりも熱い息がモルダーの耳に吹き込まれてきた。 「モルダー」 半ば喘ぐようなスカリーの声が耳に転がり込んでくると、モルダーの体の中を熱いものが勢いよく 駆け抜けた。頭がしびれ、興奮のあまり叫び散らしたい衝動に刈られたが、うまく声が出ない。 「あなたの血を....ちょうだい」 震える声で、彼女はそっとモルダーに耳打ちした。左の人差し指で首筋をスッとなでると、彼女は顔を 近づけ、彼の首に口をつけた。 「ああっ....」 スカリーの歯が彼の首に食い込み、痛みと興奮で思わずモルダーの口から声が漏れた。突き立てられた 歯の周りで舌が転がる。心臓は、はちきれそうなほどドクドクと激しく動いている。全神経が 首もとに集中し、えも言われぬ高揚感がモルダーを支配した瞬間、目の前に閃光が走った。自分が 悲鳴をあげたような気がしたが、はっきりとは覚えていない。次第に痛みが遠のくと、彼は真っ暗な 闇の中へと落ちていった。 ---------------------------------------- 彼が目を覚ましたのは、開け放しの窓から吹き込んでくる冷たい風に気づいたからだった。カーテンが 風にユラユラと揺れている。モルダーは窓を閉めようとして体を起こしかけたが、首筋に痛みが走って 再びソファーへ倒れ込んだ。頭もまだクラクラする。モルダーはキュッと目を閉じ、意識を集中させよう とした。 一体どうなったんだろう? 窓の向こうには、薄墨色をした空が見える。もうすぐ夜明けのようだ。昨夜あれだけ見事な金の色を していた月は、既に色褪せたような黄色に変わり、西の空に小さく残っているだけだ。 テーブルに突っ伏すようにしてスカリーが眠っている。テーブルの上には、モルダーが飲み残した コーヒーのマグが、何事もなかったかのように昨夜のまま置かれていた。 彼は左手を目の前にかざした。確かにあの時、ナイフか何かで切られたような痛みが走ったはず だったが、かすり傷一つついていなかった。それは首筋にも同じ事が言えた。そっと触ってみたが、 傷は見つからない。ただ刺されたような痛みだけがシクシクと残っている。 確かスカリーが.... まだ動きの鈍い頭を無理やり働かせ、モルダーは昨夜の出来事を思い出そうとした。 「モルダー?」 いつの間に起きたのか、いつもの青い目をしたスカリーが彼を見ている。フリードマンはどうなった のだろう? モルダーは目を細め、彼女に恐る恐る尋ねた。 「ああ、おはようスカリー。気分はどうだ?」 「....最悪。喉は痛いし、体もだるいわ」 疲れたような声でそう言いながら立ち上がると、彼女は目を閉じ、痛みを振り落とすかのように 軽く頭を振った。見たところ、いつものスカリーとそう変わりはない。フリードマンは消えたようだ。 「モルダー、私....」 うつむいてポツリと呟くと、それっきり彼女は口をつぐんだ。 「何も言うな、もう終わった事だ」 モルダーはソファから立ち上がると、スカリーの肩をポンと叩いた。 「風邪ひくぞ」 そう、もう終わった事だ あとは心にしまうだけ 「....ありがとう」 短く交わす言葉の中で、彼らはそれぞれの思いを感じ取った。 ありがとうモルダー あなたがいてくれて良かった 「シャワーを浴びるわ。朝一番でミーティングだものね」 目を合わせ、唇の端を軽く上げて小さく微笑み合うと、スカリーはベッドルームに姿を消し、 後ろ手にドアを閉めた。 太陽の片鱗が地平線をかすめ、灰色の空が鮮やかな赤を帯び始める。ぼんやりとした白い輪郭を 空に残していた月は、ようやく姿を消した。 再び、彼らの生活は元のリズムを取り戻そうとしていた。朝食を取り、出勤してミーティングを こなした後、次の事件が彼らを待っている。普段と何ら変わらない時の流れ。 冷え込む朝の空気を一つ吸い込み、モルダーは心地よい安堵感に包まれながらゆっくりとソファに腰を 落とすと、ソファの端についた血の染みが見えた。点々と粉をふるい落としたような細かい血の跡を、 瞬きもせずじっと見つめる。 血だ........ モルダーは、ゴクリと唾を飲み込んだ。 The END −後書き− お疲れサマでした。 8月から書き始め、無理にでも(と言わざるを得ないのが悲しいところ・苦笑)完結できた事が 何よりの喜びです。至らない点、お気に召さない個所等も多々あったかと思いますが、 全ては筆者の努力の結果としてご容赦いただければ幸いです。 いつもお世話になっている管理人サマ 私にこのFicを書くきっかけを与えてくださったanneサマ アイデア枯渇で悲鳴を上げていた時に、ステキな感想で私を支えてくれたあっこちゃん 気長にお相手してくださっているAgent Kawanishi そして、このFicに最後までお付き合いくださった全ての方に感謝を込めて.... Amanda