DISCLAIMER: The characters and situations of the television program "The X-Files"are the creations and property of Chris Carter, Fox Broadcasting, and Ten-Thirteen Productions. No copyright infringement is intended. TITLE   『 within you without you 』 AUTHOR  Ran **** 今回は特別ゲストをお迎え致しました ***** ・FBI本部 カフェテラス 9:30a.m 広い窓から差し込む明るい日差しの中、スーツ姿の男女が思い思いにくつろぐ空間。 スカリーは窓際のテーブルにまっすぐ歩いて、白いカップに入れたコーヒーをわざと乱暴 に置いてため息をついた。 音が出るのもかまわず椅子を引いて座り、後ろにからだをそらして伸びをしてから足を組 むと、“なんてこった”、誰も聞いてないことを確かめて、普段使わない言葉で悪態をつく。 だいたい今日は朝からついてない。 新品のストッキングをでんせんさせ、シリアルにかける牛乳をテーブルにぶちまけた、出 掛ける間際に支払期限がきれた請求書を玄関のラグの下に発見したし、昨日まではなんと もなかった車が急にエンジントラブルを起こしたのだ。 これからまたつまらない身元調査の仕事にかからなければならないというのになんでこん なについてないんだろう。 ただの「運」なんて根拠がなくて信じられないけど、あんまりじゃないの。 「おまけに…」と、スカリーはコーヒーをとりあえず一口飲んで、その煮詰まったような 味に顔をしかめた。 “1970年代にボブソン大学医療センターで手術中に死亡した患者について調べてみてくれ ないか?” 昨日の定時間際、いつものようにたいした理由も説明されないままモルダーに頼まれ、朝 いちから資料室に行ったのが間違いだ。 “じゃぁ、スカリー捜査官のほうがモルダー捜査官に熱をあげてるの?” 資料を探して棚を見てまわっていたスカリーの耳に、突然自分の名前が飛び込んできた。 “え〜? あの二人ってつきあってるのかしら” “そうじゃないんですって、スカリー捜査官のほうはそうしたいのかもしれないけど、 ほら、モルダー捜査官ってあんまり不自由してなさそうじゃない?” スカリーは無意識に棚の陰に滑り込み身体を隠して、声のほうを覗った。 話していたのは、まだ若い女性だ。紺のスーツに違和感があるところを見ると、おそらく 新人の捜査官だろう。 局内で自分たちにいろいろ噂があることは知っていたが、ここまではっきりと聞いたこと はなかったし、自分が彼に“熱をあげてる”と思われているなど、スカリーは夢にも考え たことがなかった。 “モルダー捜査官は変人って噂だけど、とにかくルックスはいいじゃない? 彼と二人で あんな地下のオフィスにいたら、そんな気持ちになるのもわかるけど…” “でも、今は担当を外されて他の人と同じ部屋なんでしょ” “そうよ、でも、すごいんですって、スカリー捜査官のし・せ・ん” 10歳も年下の彼女達に弁解するのも馬鹿馬鹿しく、スカリーはため息ひとつで自分の仕事 に戻ってみたが、既にキャビネのファイルを読む忍耐力は残っていなかった。 (下らないったら…) 4年間物理学を学び、苦労して医学部の過程を終え、父の反対を押しきってFBIに入局し た結果がこれだ。 かつての同級生達が物理学の分野で新しい理論を構築したり、医学の現場で人々の命を救 うことに没頭している時に自分は一体何をしようとしているのだろう…なんだか怒りを通 り越して情けなくなってくる。 そこで、せめて気分転換をしようと思ってやってきたカフェテラスなのに、こんなにまず いコーヒーではすっかり気持ちも萎えるばかりだし、あのオフィスでの仕事を想うと、さ らに気持ちが沈んだ。“いいえ、単なる身元調査ですから…”今日も同じセリフを繰り返 さねばならないのだ。 「ダナ…?」 よく磨かれたガラス越しに晴れ上がった冬の空をぼんやり眺めながら、考えても結論の出 ない思考にとらわれていた彼女は、突然名前を呼ばれ殆ど反射的に振返った。 「すっごい浮かない顔、どうしたのよ?」 ほっそりした輪郭に東洋人独特の黒い瞳、頬にかかる同じ色の髪、しかしその深い色とは 裏腹に彼女がまわりに明るい印象を与えるのはその性格からくるものかもしれない。 「リオじゃない、あなたこそどうしたの?」 スカリーのそれまで沈んでいたグリーンの瞳が輝いた。 リオ・ドバシは3年間という期限付きでラボに研修に来ている日本の科学捜査課に所属し ている捜査官だ。何度かアカデミーで顔を合わせ、法医学について質問を受けたりするう ちにスカリーは聡明で陽気な彼女に好感をもち、いつのまにかすっかり親しくなっていた。 「会議で呼ばれたの。10時からなんだけど、その前にあなたとお茶でも飲もうかと思って 探してたのよ、席にいないからここへ来てみたら、まぁ、どんよりした後ろ姿じゃない?」 リオは遠慮なく言い募って、スカリーの隣の椅子に座った。 「いつもやる気満々なのに…めずらしいわね、どうしたの? ダナ」 からかうような彼女の口調に、“う〜ん”と、スカリーは小さく唸った。 愚痴を言うのは嫌いだが、からだ中に詰まった不満を少し吐き出したい様な気もする。 「もう、うんざりなのよねぇ」 「何が?」 「仕事も最悪、それにとんでもない噂があるらしいし」 XFの担当をはずされたことも、今の仕事の内容も既に承知している彼女に余計な説明は いらない。 まずいとわかっていても、仕方なくスカリーはコーヒーを一口飲み込と、彼女に今朝の資 料室での会話を話してきかせた。 「この私がモルダーに一方的に好意を寄せてるって言うのよ、どう思う?」 最後まで聞いたリオは、けらけらと明るく笑った。 「いいじゃない、あなたと彼、どうせ相思相愛なんだから」 「あなたまで馬鹿なこと言わないでよ、私とモルダーはただのパートナーですっ」 「ムキになっちゃって、余計あやしいわよ」 「あのね、リオ、彼には好きな人がいるの、前に付き合ってた人が戻ってきたのよ」 「ふ〜ん」 リオは、おもしろそうな顔でスカリーをうかがってニヤリと笑った。 「それで、あなたはピーターと付き合うことにしたわけ?」 「誰ですって?」 「ピーターよ、捜査支援課のピーター・バーンズ」 「ああ…」 しばらく考えて、スカリーは肯いた。 バーンズとスカリーは同時期に入局し、アカデミー時代、何度か同じクラスで顔を合わせ るうちに親しくなった。偶然ジャックとのことを知り、彼と別れた後、落ち込んでいたス カリーを慰めようと冗談を言って笑わせてくれたものだ。レポートや簡単なプロファイリ ングの宿題を口実にお互いの部屋で過ごす機会が増え、記念日を二人で祝った思い出もあ る。 もし、彼に学生結婚で結ばれたという妻がいなければ、二人の運命は違うものになってい たかもしれない。 …気まずくなる出来事があって別れたが、この前、偶然ラボで再会したのだった。 「彼、私と同じ会議に来てて、私があなたを探しに行くって言ったら、“今夜のことで連 絡してほしい”って伝えてくれって言われたの」 「この前、偶然会って、相談したいことがあるって言われただけよ」 実際、その時、スカリーはどこか上の空で“いいわよ”と答え、今日がその約束の日だと いうことすら忘れていたほどだったのである。 「でも…そうね」 そこで、スカリーは一瞬考えた。 あの常に思わせぶりなブルネットの彼女、今朝の資料館での出来事、そして単調な日常、 自分を取り巻く環境に思いをめぐらす。 もしも医学の道に進むなら最年少で教授になれると言われたこの私が、なぜこんな…。 「いいわ、じゃ、今日の6時にエントランスで待ってるって伝えてくれる?」 「エントランスで待ち合わせするのぉ? それこそ噂になるわよ」 今度はリオのほうが目をみはった。 「別にいいじゃないの、私にもモルダー以外の友達がいるって皆にわからせてやるわ」 「やれやれ…」 Rioはそっとため息をついて、横目でスカリーを覗った。 スカリーはピーターと過ごした楽しかった時間を思い出し、なんだか今日一日が乗り切れ そうな気がしていた。 ・10:00 A.M 一方、朝いちばんで呼ばれたカーシュとの会議から解放され、デスクに行ってみたが、め ずらしく相棒がいないので、とりあえず心当たりを探してまわっていたモルダーは、最後 に行き着いたカフェテラスで、席をたつ東洋人らしい女性に笑顔で手を振るスカリーを発 見したところだった。 機嫌が良さそうな横顔になんとなく嬉しくなりながら、まっすぐに大股で近づくと、 「やぁ、スカリー、例の件、調べてくれた?」 開口一番そう尋ねた。 「いいえ、まだよ」 既に彼の気配を目の端に止めていたスカリーはモルダーを見上げて首を振る。 「あなたは朝から何の件だったの?」 朝の出来事から周りの視線が急に気になって、ついついそっけない言い方になったが、モ ルダーはたいして気にした様子もなく、さっきまでリオが掛けていた椅子を引いて座ると 足を組んだ。 「カーシュに呼ばれてオフィスに行ったらさ、内部監査官のアダム・ミラーがいた」 スカリーの眉が上がる。内部監察官とは穏やかではない。 「また何かしたの?」 スカリーの言葉にモルダーは大袈裟に首を横に振って、その後はさすがに周りを気にして 声をひそめた。 「僕じゃないよ、ミラーの話では、局内の人間がマフィアの二代目に情報提供者のリスト を売りたいと持ちかけたらしいんだ。マフィアの家を盗聴していた班からの報告によると、 そいつは慎重な奴で自分の名前はおろか、身元を知られるような会話を残してない、確実 なのは男だということだってさ」 「…だって、モルダー、そのリストってマイクロフィルムで保管されてるんでしょう、膨 大な量じゃない?」 「うん、だからその男はリストがある部屋の鍵の複製を作って、マイクロフィルムのコピ ーをとらなくちゃいけない。鍵のオリジナルは二本、いずれも「複製禁止」の刻印がある が、そのうち一本には万力で絞めたような後が見つかった。これは、最近3人の男が借り 出してる」 「それであなたに何をしろと?」 そこでモルダーは退屈そうに組んだ足をぶらぶらと揺すって見せた。 「僕に与えられた任務は、DC中の鍵屋の中から最近「複製禁止」の鍵をコピーした奴を 探し出すこと、その鍵屋に3人の男の写真をみせて、どいつが頼んだのか確認すること、 報告書の提出は明後日の定時まで」 「どうして監査官が動かないの? なぜ、あなたなのかしら?」 「監査官が動くと目立つから、僕なら変なことを調べてても誰も気にしないから…、僕が その男を見つけたら、その後は監査官が動くんだってさ」 そこで一旦モルダーは言葉をきり、隣の相棒の目を覗き込んだ。 「でも、君は実にかけがえのない6年来のパートナーだ、どんな地道な仕事も手伝ってく れる、だろ?」 二人がじっと見つめ合う。こういう瞬間がスカリーにとって不名誉な噂を呼んでいること に彼女自身も決して気がつかない。 既にモルダーがスカリーの隣に座った瞬間から、他の局員達が遠巻きに様子を覗っている のだ。 「D.Cに鍵の複製を作れる店はどれぐらい?」 視線を動かさずにスカリーが尋ねた。 「スーパーやデパートも含めると約120ヵ所、リストは監査官がくれた。“僕等”はただ、 そのリストに基づいて電話するだけさ」 はぁ〜っと二人は同時に息を吐き出した。なんとも鬱陶しくなる作業だ。 どうして入局して10年以上も経つベテラン捜査官が担当しなければならないのか。 「…その3人の男って?」 モルダーがその質問に答えて上着から取り出した3枚の写真を、隣から覗き込んだスカリ ーは驚きのあまり声をあげそうになった。 その中の一枚にピーター・バーンズが混じっているのである。 「…ピーター?」 その彼女の様子に気がつかなかったモルダーは、 「ミラーは、こいつが一番怪しいと思ってるらしいよ」 そう言ってピーターを指さす。 「3年前に別居してるし、借金も抱えてる…」 「なんですって?」 スカリーの顔つきが一気に険しくなった。 「彼、別居してるの?」 「あぁ…知ってる奴なのか? スカリー」 モルダーが明らかに落ち着きを無くした相棒の態度に驚き、訳を問いただそうと口を開き かけた時だった。 「あら、フォックス、じゃない?」 隙のないシックなスーツにブルネットの髪、ダイアナはモルダーだけをまっすぐに見詰め て歩いてくる。 「まぁ!」 そして、たった今、スカリーの存在に気がついた様に声をあげ、 「ダナじゃない、何か事件なの?」 わざとらしいほどニッコリ、彼女に微笑んでみせた。 (ふ〜ん…つまりモルダーが私なんかに声をかける理由は“事件”以外に有り得ないって わけね) スカリーは笑顔を返しながら、彼女の言外の意味に心の中で思い切り舌を出した。 「いや、そういうわけでもないんだ」 モルダーがさっと写真を上着に戻して答えてる。 「あら、私には内緒なの、ひどいわ、フォックス」 くねくねとした動きでモルダーを見つめるダイアナを見ていると、午前中の馬鹿馬鹿しさ が募って、スカリーは胃の辺りに不快感を覚え反射的に立ちあがった。 「私はもう行くわ、モルダー。さっきの件、出来るだけ手伝うからリストのコピーをメー ルで送ってくれる?」 そう言ったスカリーは“じゃあね”と小さく手をあげて、くるりと踵を返した。 カフェテラスの出口でスカリーが振返ると、さっきまで自分の座っていた椅子にダイアナ が陣取り、モルダーを相手に喉をのけぞらせて笑っているのが見えた。 「ほらぁ、リオったら、こういうところを見てくれなくちゃ」 無意識にそう独り言を言って彼女は歩き出す。 “ね、やっぱりよ、ファウリー捜査官が来た途端、彼女は不機嫌な顔で出てっちゃったで しょ” 既に別の考えにとらわれ始めたスカリーには、そんな周囲の雑音は届かなかった。 ・ 7:30P.M 「ハーベスト」 ピーターがスカリーを連れていったのは、おしゃれなレストランだった。 まず二人はバーに座り、キールとスコッチを頼む。 高いスツールに座ったピーター・バーンズは、昔の記憶のまま動き出した様に見えた。 チャコールグレーのウールのスーツ、ピンストライプのシャツに小さなドットの紺のタイ。 クセのある深い金褐色の髪の毛、濃いブルーの瞳、意志の強そうな輪郭、少し薄い唇…い や、昔はもっと露骨だった焦りや情熱が影を潜め、代わりに目元の皺と柔らかい笑い方が 加わって、落ち着きと穏やかさを増したかもしれない。 FBIの捜査官というよりは、民事専門の弁護士といった風情だ。 8年前、二人が最後に会った夜、ピーターはスカリーに「妻にもうすぐ子供が生まれる」 と告白したのだった。「君には直接言っておきたかった」とも。 スカリーは「おめでとう」と言った。「それは良かった、楽しみね」と。 それが彼女にとって限界だった。心が気がついてしまって、ただの友人には戻れないと悟 った。なんとなく避けるようになって、そうこうするうちに彼は南部に転属になったのだ。 「久しぶりだね」 「ええ…元気にしてた?」 飲物をゆっくりと楽しみながらも、二人は少しぎこちなく近況を報告しあった。 これまでどんな仕事をしてきたか、今の上司は誰でどんな仕事をしているか、最近読んだ 本や映画やひいきの野球チーム…しばらくそんな他愛無い話で時間を過した。 「それで、話って?」 先に尋ねたのはスカリーのほうだった。 ピーターは一旦視線を伏せ、決心したように彼女に視線を向けて肯く。 「娘のナンシーのことで医学部出身の君に相談したかったんだ」 スカリーの中にわずかな落胆が横切る。 突然の告白など期待していたわけでもないが、いきなり娘の話題だとは思っていなかった。 「ナンシーは、3年ほど前から原因不明の嘔吐と下痢、痙攣発作に悩まされ、入退院を繰 り返している」 だが、すぐにスカリーは医師としての気持ちに切り替える。 嘔吐や下痢に関する知識を頭の中で反復する、“てんかん”ではないのだろうか。 「実は1週間前にも発作を起こして、今はセントラル病院に入院している。あの子が生ま れるまで妻のスーザンが看護婦として勤務していた病院で、こっちへ戻ってからずっとみ てもらっているんだ」 そこで一旦ピーターは言葉をきって、深く疲れたようなため息をついた。 「だが、病状は相変わらずで原因はつかめない…それでラボで君を見たとき、ナンシーと 主治医に会ってもらえたらと思ったんだ」 「ただ…私は現場から離れてるし、小児科はすごく専門的な知識が要求されるところなの、 だから…」 言いかけたスカリーの言葉を彼は遮った。 「もちろん、君は法医学が専門だということは知ってるけど、君なら普通の医者とは違う 角度で見られるんじゃないかと思ってるんだ」 きっと彼は何人もの医師と話し合い、様々な病院を巡ってきたに違いない。 そんな深い苦悩が彼の瞳には刻まれている。 昔はどこか物事を真正面から受け止めないようなところがある人だったのに。 (…ピーターは父親になんだ) 自分をまっすぐに見詰める青い色に、彼女は微笑んだ。 「いいわ、私にできることがあれば、喜んで協力させていただくわ」 スカリーはそう言って、ピーターの腕に優しく手を置いた。 …… pru pru pru …… 彼がその手に自分のを重ねようとしたその瞬間、スカリーの上着の中から電子音が聞こえ た。 “失礼”と詫びて、スカリーは電話の受信ボタンを押すと、 (僕だ) 短く答えたのはモルダーだ。 これから食事を始めようかというタイミングを見透かしたように、どうして電話してくる のやら、なんとも腹立たしい。 いくらパートナーだからと言って、オフィスを出た後にこうも頻繁に電話される筋合いは ないと思うのだが…それもたいていつまらないことだし。 そういう思いはとりあえず言葉に出さず、スカリーは無言で次を待った。 モルダーはそのままの口調で、複製禁止の鍵の複製を頼んだ奴が見つかったので、写真を 見せに行く、君も行くか?と尋ねた。 「あのね」 と、スカリーはゆっくり切り出して、 既に勤務時間は終ってるし、私は今、友人と過ごしているの、そう続けた。 その電話の向こうで“ふ〜ん”とモルダーが答える。 「その鍵屋が見た男は、ピーター・バーンズの特徴と一致するんだ、だから、君が自分で 確認したいかなぁ〜って思っただけさ、ま、じゃ、いいよ」 「待ってよ、モルダーっ」 結局、呼び止めたのは彼女のほうだった。 明日では駄目なの?と尋ねても、時間の無駄だ、と。 あと2時間待ってよ、と頼めば、じゃ、僕が一人で行くよ、と。 何度かそんなやりとりを繰り返した後で、結局スカリーは店の場所を説明し、あと15分 で迎えに行くとモルダーは答えて二人は電話をきった。 “はぁ…” ため息をつくスカリーの隣でバーンズは面白そうに笑っている。 「いろいろ噂には聞いてたけど、とてもいいコンビなんだね」 その言葉にスカリーは更に深いため息をつくのだった。 ・ 8:30P.M 「だから、彼はそんなことをする人じゃないって言ったでしょ」 明るいネオンサインが点る通りを走るフォードの助手席で、スカリーは口を尖らせた。 鍵屋はモルダーの見せた3枚の写真を見て首を横に振ったのだ。 “確かに髪の毛は褐色がかった金色、青い目、30代半ばの男だったがこの男じゃない” 「どうしてそんなことがわかるんだ?」 モルダーも不機嫌そうにハンドルをきる。 「疑う理由がないからよ、あなたがあの人を信じてるのと同じですっ」 「いいか、スカリー、今の奴は家庭もなく、借金を抱えてるんだぞ。おまけに3年前に捜 査上でミスを犯し、一線から外されてる。疑われるだけの理由があるだろう」 「疑われるだけの理由はあの人にもあるわ、あなたがそれを認めようとしないだけでし ょ」 冷たい一瞥の後でスカリーはそれだけ答えると、そのまま窓の外へ目をむけた。 モルダーに言う気はなかったが、その借金はナンシーの病気を直す為に使われた費用だっ た。彼らは遠くの病院まで出掛け、高価な検査を繰り返したのだ。 「じゃぁ、いつナンシーに会えばいい?」と尋ねたスカリーに、バーンズは「明日の朝、 10:00頃に病院に来てくれ」と答えた。 「僕がスーザンを朝食に連れ出す、その間にナンシーの様子を見て、主治医に会ってほし い」 「私がひとりで?」 怪訝そうなスカリーの表情にバーンズは苦笑し、スーザンはとにかく僕の女性関係に敏感 で、僕が君と二人で病室を訪れれば絶対に面倒なことになるのだ、と説明した。 3年ほどまえから急に彼女は嫉妬深くなり、結局、それが原因で二人は気まずくなって別 居に至ったのだ、と。 そして、それをきっかけにスーザンの全ての愛情は異常なほどナンシーに向うことになっ たのだ、と。 今ではスーザンはずっとナンシーの病室に泊まり込み、殆ど片時も離れないのだ、と。 「明日はどうする? 君の車は修理工場じゃないのか?」 結局あれから無言のまま、いつのまにか車は、スカリーのアパートの近くまで来ている。 “そうだった”…ここで彼にピックアップしてくれと頼むのも何とも決まりが悪く 「別にいいわ、タクシーを使うから…」 先ほどの彼の発言に拘っていたスカリーはそう答えてから、“あっ”と思った。 明日は病院に寄ってから行かなければならないのだった…。 「あの…鍵屋のリスト、あと何件残ってるの?」 唐突な問いにモルダーはちょっと考えた。 「さぁ…多分70件ぐらいかなぁ」 「いいわ、じゃぁ、半分は明日手伝う。そのかわりに明日9時頃来てもらえると嬉しいん だけど」 そんな交換条件みたいなこと言わなくてもいいのに…モルダーはスカリーに見えないほう の頬で苦笑した。 でも、それは口に出さないほうが無難らしい。 「いいよ、じゃぁそれで、交渉成立だな」 こういうところがモルダーのいいところだな、とスカリーは思う。 特別な思い入れがない場合は、殆どの物事にあまり拘らないし、自分の気分をコントロー ルしている。もし、彼がネチネチと根に持つタイプならこれほど長い間、パートナーでは いられなかっただろう。 スカリーはピーターについての詳しい話はせず、ただ明日、セントラル病院に行かなけれ ばならないことだけを伝えた。 「OK、じゃぁ、9時に迎えにくるよ」 モルダーはそう約束して、スカリーのアパートの前に車を止めた。 ・ 10:10A.M Central Hospital 一応、スカリーに付き合ってナンシーを見舞った後、ナースステーションの前で医師と話 しをしている彼女から少し離れて、モルダーは自動販売機で買ったコーヒーを飲んでいた。 Dr.カーティスと名乗った医師がナンシーの病状を説明し、彼女にカルテを見せている。 「そう…この検査結果を見る限り、“てんかん”の兆候はないわね」 「ええ、彼女が3年前、両親の不仲をきっかけに発病していることから、一応、精神科医 のセラピーを受けさせ、あとは、通常の鼻腔栄養食を与えています…何しろ嘔吐や下痢が ひどいので、栄養不足から発育が不良になってしまう傾向にありますので」 肯いたスカリーがDr.カーティスにカルテのコピーを頼んだ時だった。 すぐ目の前にあったエレベーターの扉開き、ひとりの女性が飛び出すように出てきた。 “あれ、ピーター・バーンズじゃないか”彼女の連れのほうにモルダーは目をとめる。 「落ち着きなさい、スーザン」 その声でスカリーが振りかえった。 「あなた…ダナ・スカリーね、こんなところで何をしてるの?」 スーザンと呼ばれた女性はあきらかに興奮し、ほとんど叫ぶようにスカリーの腕を掴んだ。 「どうりでおかしいと思ったわ、あなたが私を朝食に誘うなんて、この3年間で初めての ことじゃないのっ、今度は何を企んでるの? まさかこのオンナと寄りを戻したんじゃな いんでしょうね」 スーザンは音がするほど鋭い視線で振り向き、ピーターを睨み付けた。 「スーザン、落ち着けよ」 ピーターがそんなスーザンの肩に手をかける。 「ダナはただの友人だって、昔も説明しただろう…彼女は医者なんだよ、それでナンシー を…」 “ナンシー…それは逆効果じゃないのか?”聞いていたモルダーが眉を寄せた。 「ナンシーですって?」 彼が思った通り、スーザンの高い声が病院の廊下に響き渡った。 「ナンシーまで私から取り上げるつもりなの?、そんなこと、絶対に許さないわよ」 「違うわ、スーザン、落ち着いて聞いて、私はただ…」 もちろんスカリーの言葉は彼女の耳に届かない。 「許さない、私はあの子の母親なのよ、私は…ピーターの妻なのよっ」 殆ど悲鳴に近い声を上げて、スーザンの腕がスカリーに向って振り上げられる。 「ミセス・バーンズ」 その腕を受け止めたのはモルダーだった。 彼からは普段めったに聞けないような優しい口調で彼女に呼びかけた。 「大丈夫、ダナとあなたのご主人はそういう関係ではありません、それは僕が断言します」 そう言いながら受け止めた彼女の視線を捉えたまま腕をゆっくりと降してやる。 突然見知らぬ男に手をとられ、さすがのスーザンも唖然とモルダーのほうを見つめた。 「彼女が…ダナが愛しているのは僕なんです。だからそんなはずはない。彼女はただ、昔 の友人の為に力になれればと考えただけなんですよ、そうだろう? ダナ」 モルダーはちらりとスカリーの方に視線を送った。 「ええ、もちろんよ、その通りだわ」 その視線の意味をなんとか理解して、スカリーは小さく肯く。 「君が愛してるのは僕だけだろう?」 「ええ…そうよ、もちろん、あなただけよ」 スカリーはどこか釈然としないものを感じたもの、そう答えたほうがこの事態を収拾しや すいことはわかっていた。 スーザンの方は決してリラックスしていなかったが、モルダーの言葉に何とか落ち着きを 取り戻しつつあったのだ。 ここで彼女に本当のことを説明してもしかたがない。 モルダーはゆっくりとスーザンの手を放し、“わかってもらえた?”という表情で彼女の 腕を軽く叩いてからスカリーの肩を抱いた。 「さぁ、ダナ、僕等はそろそろ失礼しよう…」 正直に言えば“ちょっとやりすぎかな”と思うほど顔を近づけて、モルダーはそう続けた。 「どういうことよっ」 病院の駐車場を車へ歩きながら、スカリーは彼の腕を振り払った。 「どうして、私があなたを愛してるのよっ」 「スカリー、まだ窓から彼女が見てるかもしれない」 そうちゃかしてみたものの、相棒の剣幕にちょっとがっかりだ。 やっぱりピーターの前であの芝居はまずかったかもしれない。 この前、彼と出掛けたスカリーに電話した時も“プライベートだ”とさんざん文句を言わ れたばかりだというのに…なぜか、スカリーに関しては学習機能に問題がある。 「だいたい、ああでも言わなきゃ、あの場は大騒ぎだっただろう」 「違うわよ、どうして“わたしのほうが”あなたを愛してるって言わなくちゃいけないか ってことっ」 「えっ?」 モルダーにはスカリーの言う意味がよくわからなかった。 一体何を怒ってる? 「もういいのっ」 スカリーはドアを開けて助手席に滑り込んだ。 だが、パタンという音で外の雑音から隔絶されると、なんだか自分の子どもじみた態度が 急に恥かしくなる。 「いいの、気にしないで。言い過ぎたわ。どうもありがとう、ご親切に」 スカリーは自分の態度を反省して、口調を改めた。 確かにモルダーがいなければ、あの場はもっと大騒ぎになってしまったかもしれないのだ。 モルダーのほうは、隣のシートで唇を尖らせているスカリーをちょっと可愛く思っていた。 いつもの冷徹な横顔ではない。 初めて会った頃を思わせる表情だな、と不思議に思っていた。 ・ 4:30P.M FBI本部 「ご協力、ありがとうござました」 リストの最後の一軒をチェックして、モルダーは受話器を置くとスカリーを振返った。 「だめだ、アタリは一軒もないよ」 「そうね…」 スカリーもぼんやりと肯く。 「私のほうも、さっき終ったわ…結局、鍵は持ち出されなかったのかしら」 「じゃぁ、例の万力の後はどう説明するんだ? それに、あのリストをコピーするに時間 がかかることは事実だし、あのドアは自動ロックになってる。3分以上ロックがかからな いと“異常”とみなされ警備に連絡がいくんだぞ」 「そうね…」スカリーはデスクに置かれたPC越しにモルダーのヘーゼルに瞳を無意識に じっと見つめた。 周りの捜査官達が“あ、ほら、また”という顔をするのに二人とも気がつかない。 ここはもう、地下のオフィスではないのに。 「ねぇ、ナンシーのことはどう思う?」 スカリーはそう言ってため息を吐く。 「3年前、両親のいさかいが目立ってきた頃から発作が始まった、医学的な見地からは異 常はないし、やっぱり精神的な問題かしら」 「う〜ん」今度はモルダーのほうが眉間に皺を寄せた。 「多分きっかけはそうだったんだろうね、あの子は一人っ子だし、その重圧に耐え切れな かったのかもしれない。でも、何年もセラピーを受けてるんだろう?」 「ええ…」 結局、後で病院からFAXしてもらったカルテを見ながら、スカリーが答えた。 「精神科の医師は回復の兆候を認めてるの、本人は早く学校に戻りたがってるし、両親の ことも納得していたそうよ」 「これで患者がスーザン・バーンズのほうであればミュンヒハウゼン症候群なんだろうけ ど」 それはスカリーも同意見だった。 ミュンヒハウゼン症候群は、医療機関の世話になることで得られる安心感の為に、わざと 自分の病気を悪化させる人達のことだ。 しかし、ナンシーがどうやって? 「待てよ…スカリー、スーザンは元看護婦だったんだよな」 「ええ、そうよ、セントラル病院で働いてたわ、だけど…」 そこでスカリーはDr.カーティスの言葉を思い出しながらカルテを確認した。 ナンシーの鼻腔栄養食は、スーザンがナースステーションに受け取りに来て、自ら与えて いると言っていたのではなかったか…彼女は元看護婦なので特別にやってもらっているの だ、と。 …スカリーはガタンと勢い良く立ち上がった。 「私、病院に行ってくるわ、ちょっとDr.カーティスに確認したいことがあるの」 「ああ…じゃぁ、僕の車を使ってくれればいい。僕はこっちをもう少し考える」 そう言って車のキーを放り投げ、鍵屋のリストをひらひらさせた。 報告書のタイムリミットはあと1日しかない、ミラー監察官の意地の悪い言い方を思い出 し、モルダーとしては絶対に犯人の目星をつけたいと改めて思う。 “君に無理なら、監査官を動かすしかないがね…”と言ったのだ。 「ありがとう、後で連絡を入れるわ」 スカリーはキーを受け取って、椅子の背から上着を取り上げ、大急ぎで部屋を出ていった。 その後ろ姿を見送ってから、モルダーはもう一度、手元のリストをジッと見つめた。スカ リーには言ってなかったが彼は既にピーターを疑ってはいなかった。 支援課に所属しているとはいえ、ピーターは現役の捜査官だ、FBIがマフィアの自宅を盗 聴していることは知っている…そこに交渉の電話をするはずがないのだ。 そういう意味では管理部のウォーレン・ベリーが一番怪しい…が、ベリーが部屋に入った のは火災報知器の検査の為、時間はたった15分だ。 「15分か…」 その時間で本部に戻ってこれる店は、2.3軒しかない… 「あの、モルダーさん?」 じっとリストを見つけていたモルダーはふいに呼びかけられて顔をあげた。 オフィスの入り口に昨日カフェテラスで見た東洋人の女性が立っている。 印象的だった黒い瞳と黒い髪にモルダーはすぐに思い出し、にっこりと微笑んだ。 「スカリーを探してる?」 「ええ、彼女、出掛けてます?」 リオはそれまで直接モルダーと話したことがなかったが、スカリーから何度も話しを聞い たせいで、とても初対面だとは思えなかった。 なんだか昔からの友人に久しぶりに再会したような気さえする。 「うん、ちょっと出てるんだ…僕は後で会えると思うから伝言だったら伝えておくけど」 「いいえ、いいんです。いつもより元気がなかったから様子を見にきただけなんです」 「あ、彼女、元気なかったよね?、君、何か理由を聞いてる?」 「あ…」 リオは一瞬考えた。 なぁんだ、ダナから鈍感、鈍感って聞いてたのにちゃぁんと気がついてるじゃないの… 「それがダナったら、つまらない噂を気にしてるんですよぉ」 彼の笑顔に誘われて、リオは思わずそう囁いた。 ・ 5:00P.M Central Hospital 午前中の騒ぎを見ていたDr.カーティスはスカリーに提案された通り、病院のカフェテリ アまで降りてくることを快く了解してくれた。 「つまり、母親が娘の鼻腔栄養食に何らかの成分を混入させてると考えてるんですか?」 スカリーの話を聞いたDr.カーティスは信じられないという顔で首を振る。 しかし、世の中に自分の為に自分の子どもを傷つける人間がいることは確かだ。 「そうなの、だからいつものように彼女に鼻腔栄養食をセットしてもらった後、こっそり 正規のものと取り替えてみてほしいの、それで外した栄養食の内容を分析してもらいたい んです」 医師はしばらく考えていたが、最終的にはやってみましょうと肯いた。 いずれにしてもナンシーが自分の病状に苦しんでいることは事実で、それを解消してやれ る可能性があるのなら試してみる価値はある、夕方の栄養食投与は5分前に始まったはず だから、婦長に指示します、そう言ってカーティスは立ち上がった。 「結果は私に直接連絡下さい」 スカリーも立ちあがって名刺を取り出す。 結果がどうあれ、ピーターには自分から伝えたかった。 ・ 6:30P.M Dr.カーティスの動きは速かった。 本部に戻る途中のスカリーに携帯電話で結果を連絡してくれたのだ。 …結果はナトリウムの異常値。クロールやカリウム、カルシウムなどは病院の成分表の通 りだったが、ナトリウムだけがその20倍、448エクイバレント見つかった。 これではナンシーの病状が改善されるはずはない。ナトリウム摂取が過剰になると、高血 圧を起こし、汗、下痢などによって排出しようとするものなのだ。 「ありがとう、Dr.カーティス」スカリーはお礼を言った後で、今後はナンシーに鼻腔栄養 食を与える際、母親を部屋から出すか、必ず看護婦に立ち会わせて欲しいと頼んで電話を きった。 「モルダー」 廊下に立っている彼を見つけて、思わずスカリーは手をあげた。しかし、同時にキャビネ の陰にもたれて立っているダイアナに気がつく。 「どうも、ありがとう、おかげで助かったわ」 スカリーは続けようと思っていた言葉を飲み込んで、持っていた車のキィーをモルダーに 向って高く放った。 「それでどうだった?」 キーを受け取ってモルダーが尋ねる。 「うん…」 オフィスに入りかけていたスカリーは、呼び止められて曖昧に肯いた。 「万事上手くいきそうよ」 「実は僕も当たりをひいたんだ」 「あら、何の話?、フォックス」 穏やかに微笑んで、余裕たっぷりにモルダーだけを見つめるダイアナがスカリーをうんざ りさせる。 この二人に不愉快な想いをさせられるのはまっぴらだ。まぁ…お好きにどうぞ、人目もあ ることだし、ここは早々に退散するに限る。 「私、もう行くわ、デスクの後片付けもしたいし…これからピーターに会って話すつもり。 じゃ、モルダー、ダイアナも…また明日」 スカリーはさっとオフィスに入り、自分のデスクに辿り着くと、メールを確認する為にPC を立ち上げながら受話器を取ってピーター・バーンズの番号をプッシュし始めた。 ・ 8:30P.M 「ハーベスト」 「じゃぁ、ナンシーをあんなにしたのは母親だって言うのか?」 “この間の店で”とピーターが提案し、スカリーも同意して、二人は再び洒落たレストラ ンのバーカウンターに座っていた。 周りの喧騒がBGMにちょうどいい。お互いから視線をはずし、俯きがちに小声で話す彼 らは別れ話をするありふれたカップルだと思われているだろう。 スカリーはDr.カーティスから聞いた事実をそのまま伝えた。 じっと聞き入っていたピーターは、自分の顔を両手で包み込み「どうして?」と小さく絶 句する。 「だって考えてみてピーター、あなたが彼女と別れないのはどうして?」 スカリーは余計な事を言うつもりはなかったが、そんな様子に言葉が口をつく。 「僕らの仲がおかしくなったのは…僕の浮気が原因だったからだ。真剣だったわけじゃな いし、今はもう会ってはいない…ただ、そのせいでスーザンやナンシーを傷つけた、だか ら彼女が納得し、ナンシーの体調が戻るまでは待つつもりだった」 「今でも、彼女が振り向いてほしいのはあなただけなのよ、ピーター。あの病院の騒ぎを 見たでしょう…スーザンはあなたの関心をひきたいの、その結果がナンシーを傷つけてる んだわ、彼女にはどんな優秀な精神科医よりもあなたが必要なのよ」 ピーターは黙って首を横に振って、手の中でもてあそんでいたスコッチのグラスを口に運 び、ためらうようにゆっくりと傾けた。 「その女性は、赤褐色の髪に青い瞳の人だったんだ…ダナ、やっぱり、僕は君が好きだっ た、離れても忘れられなかった。もし、あの時、ナンシーがいなければ、僕は妻と別れて 君を選んだと思う、ずっとそう思いつづけていた。そんな気持ちのままで、これ以上スー ザンを愛することはできないよ」 一気に吐き出された彼の本音の後で…二人の間に重い沈黙が落ちる。 好意を打ち明けられたことよりも、同性として、スカリーはスーザンの悲しみを考えた。 別の女性のことを想い続ける夫と一緒に暮らすうちに、だんだん気持ちをすり減らしてし まったのだろう。 そんな夫など捨ててしまえば良かったのだ、と言うのは簡単だ。だが、彼女はそれが出来 なかったのだから仕方がない、と思う。 むしろ、どうしてぎりぎりに追い詰めるまで何もしてやらなかったのかと、ピーターを非 難したいほどだ。 「君は…」 ピーターの問いかけにスカリーは強く首を横に振った。 「そう言ってもらえて嬉しいけど…今の私にあなたは必要じゃないの、良い友達にはなれ ると思うけど。それよりもピーター、今はスーザンを助けてあげるべきよ。いえ、ナンシ ーを…場合によっては母親と引き離すべきかもしれないわ。よく考えてあげて…あなた達 は家族なんだから」 彼の端正な顔にホッとしたような疲れたような、悲しいような、切ないような、何とも言 えない複雑な表情が浮かぶ。 自分たちが家族なのだということは、多分ピーターが一番わかっているはずだ。 それはわかっていた。それでも、スカリーは言葉にして伝えずにはいられなかったのだ。 スカリーは少しだけ微笑んで、彼の腕に軽く手をかけた後、 「…今からでも病院に行ったほうがいいわ」 それだけ言って、スツールから降りた。 「ダナ、いろいろありがとう」 ピーターはまだ決心がつきかねるように座ったまま、右手をスカリーに差し出した。 今でははっきりとピーターに気持ちがないことが自分でもわかる。これからどう状況が変 わっても、決して変わることがない、そこまで落ち着いてしまったのだ。 昔は愛しいと思ったその手をしっかりと握り返しながら、スカリーはそう確信していた。 一人で店の外へ出た彼女は、ふと思いついて携帯電話を取り出した。 リダイアルボタンを押すと、空で覚えている番号がディスプレイに現れる。 (たまにはいいかしら?) しばらく考えて、結局彼女はスイッチを切った。 (ま、お邪魔しちゃ悪いわね) 少し前に廊下で見たダイアナの笑顔を思い出し、スカリーはタクシーを止めるために手を 上げた。 ・ 9:30P.M スカリーは車を自宅の1ブロック手前で降りた。 冷たい冬の空気の中を、ほんの少しひとりで歩きたい気分だったのだ。 なかなか人生は上手くいかないものだな、と思う。 もし、自分がピーターに好意を持っていれば、彼の愛の告白に応えることが出来ただろう。 「私もあなたをずっと好きだったの、どんな障害も乗り切って二人で幸せになりましょ う」なぁんてハッピーエンドも選択できたのに、結局一人になるほうを選んだ。 「仕方ないわね、また明日から頑張って働かなくちゃ」 そんな独り言を言いながら、カバンから部屋の鍵を取り出そうとしたその瞬間、路肩に止 まっている車のドアがゆっくり開くのを、スカリーは目の端でとらえた。 一瞬にして全身に緊張が走る。鍵を探す振りをしながら、銃をしっかりと握り締めた。 「スカリー?」 しかし、それは聞き覚えのある声。 顔を上げると見覚えのあるシルエットだ。 もしかしたら助手席のドアが開くのではないかと確認してみたが、車には彼ひとりしか乗 っていないらしい。 「モルダー? びっくりするじゃない、何やってるの?」 「君こそなんであんな遠くでタクシーを降りたんだ?」 「別にいいじゃない、で、何やってたの?」 スカリーはモルダーの質問を一蹴した後で、腕を組んで彼を見上げた。 「例の件、やっぱりバーンズは犯人じゃなかった、それを早く知らせたかったんだ」 「だから言ったじゃない、それにそれなら電話をくれれば済むことなのに」 「よく言うよ、この前、さんざん文句を言ってたじゃないか、“就業時間は終わってるの よ、わかってるの?”って、だから電話せずに来てみたんだよ、もちろん、バーンズと一 緒だったら黙って帰るつもりだったけどね」 モルダーが反論する。 言われてみれば確かにそうだ。 それにこれ以上、ここで言い争いでも始めれば警察に通報されかねない。 スカリーは肩をすくめた。 「まぁ、いいわ、何か飲む?」 「いや…」 めずらしくモルダーが言いよどむ。 やっぱり急いでいるのかと、スカリーは少し落胆した。 今夜は彼にいてもらいたかった。一人で食事をしたくなかった。 事件の話でも何でも、ただそばにいてくれるだけで良かったのだが、それは叶わないらし い。 「何か食べ物があるところに行かないか? 夕食がまだなんだ」 思わぬ好都合の返事に自分の気持ちなど少しも見せず、いかにも渋々といった様子で、自 分もまだ夕食をとってないし、昨夜作りすぎたノンオイルのトマトソースがあるから、パ スタならご馳走してあげてもいい、とスカリーは申し出た。 もちろんモルダーのほうに断る理由などひとつもなかった。 「奴は結構賢かったよ」 オリーブオイルをフライパンに入れて火にかけるスカリーの後ろで、モルダーはテーブル の端に手をかけて立っていた。 鍵の複製を作った犯人は、やはり管理部のウォーレン・ベリーだった。ベリーは郊外のキ ー・モービルを本部から数ブロック離れたところに呼んだのだ。そして15分間、外へ出て 鍵を作らせた。 「僕も同じように電話で呼んで写真を確認してもらったんだ」 「“複製禁止”の刻印でベリーは怪しまれなかったのかしら?」 熱くなったオリーブオイルに赤唐辛子とニンニクが加えられ、あっという間に食欲をそそ るにおいが台所中に広がる。 「奴はそれが自分の会社の鍵で、従業員達が複製できないように刻印したのだと説明そう だ。まぁ、注意を引くことがわかってたから、郊外の鍵屋を選んだんだろうけどね」 スカリーは隣でゆでているパスタを一本鍋から取り出して茹で具合を確認してから、フラ イパンにトマトソースのストックを加えた。 「キー・モービルねぇ、思いつかなかったわ」 飲みかけの白ワインを冷蔵庫から出してグラスに注ぐ。 「僕もだよ、実はリオがヒントをくれたんだ」 「リオ?」 “リオったら余計なことを言わなかったでしょうね…” トマトソースをかき回して、パスタを移そうとしていたスカリーの背中がほんの一瞬止ま った。 「うん、君が元気がなかったから様子を見にきたそうだよ、いろいろ話しているうちに、 彼女がアパートの鍵をなくした時の話になったんだ。それはまだ、ここに不慣れな時期で、 それも夜中のことだったので、仕方なくオフィスに戻って夜を明かしたそうだ。今だった らすぐキー・モービルに電話するのにって、で、あぁ、その手があったなぁって」 パスタは無事にトマトソースに絡まり、二つの白い皿にきれいに盛られて台所のテーブル の上に置かれた。 そしてモルダーには予想もつかないほどすばやく作られたグリーンアスパラと卵のサラダ が並ぶ。 「それで君のほうはどうだった?」 モルダーは一口白ワインを味見してから、さっそくフォークを取り、くるくると器用に巻 きつけて口に運んだ。 いくらレトルト食品が進化しても絶対にかなわない味が口の中いっぱいに広がって、彼は 久しぶりにおいしいものを食べる幸せを実感する。 スカリーはDr.カーティスの検査結果と、ピーターとの会話を簡単に報告した後で、モル ダーに話す必要があるのかどうか決めきれないままに、スーザンのことを考えると自分は もうかかわらないことになると思うと付け加えた。 「あなたがミュンヒハウゼン症候群を持ち出してくれたおかげだわ」 直接それには答えないモルダーのヘーゼルの瞳がまっすぐに彼女を見つめる。 「本当にそれでいいのか? スカリー」 「ええ」 スカリーは短く答えた。 モルダーは肯いて自分の白ワインのグラスを持ち上げた。 「では、お互いの事件解決に」 「乾杯」 二つのグラスが チン と音をたてた。 ・ 9:30A.M FBI本部 「モルダー!!」 モルダーがベンダーマシーンでコーヒーを買っていると、なかなか見られないぐらい取り 乱した様子でスカリーが駆け寄ってきた。 早速効果が出たんだな… 「どうした? 朝から元気だな、スカリー」 マシーンがゆっくりとコーヒーを落とすのを見ながら、モルダーはのんびりと答えた。 「あなたに確認したいことがあるの」 「どうぞ」 「朝の通勤ラッシュのエレベーターホールでキムの腰に手を回したってほんと?」 「うん」 モルダーがコーヒーを取り出す。 「…それで、“昨日は素敵だったよ、ダナ”って言ったのは?」 「本当だよ」 「あなたねっ」 「それから、君とダナは後姿が似てるんだね、これからは気をつけるよ、ってキムには謝 ったのも本当のことだけど」 「なんでそんなことを…」 「昨日のパスタもサラダも白ワインもすっごくおいしかったからさ」 モルダーは自分の腕時計をわざとらしく確認した。 「さ、10時までにカーシュとミラーに報告書を提出しなくちゃならないんだ」 そう言ってオフィスに戻りかけ、思いついたように振りかえる。 「今夜、空いてるんだろ?」 「はぁ?」 「昨日の夕食のお返しに僕にご馳走させてくれよ」 「あなた、そんなことするとダイアナに振られるわよ」 「きっとそう言うだろうと思っていたよ」 モルダーはこの点に関しては弁解しても無駄だとあきらめていた。 「じゃぁ、6時にエントランスホールで待ってる、遅れるなよ、スカリー」 彼女の忠告にはそれ以上何も答えず、足早にオフィスに戻る相棒をスカリーは唖然と見送 った。 “エントランスホールですって? それじゃ…” モルダーは彼女に背中を向けたまま、実は満足そうにこっそり微笑んだ。 “サンキュー、リオ、君のおかげだよ” The End あとがき 最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。 これはずいぶん前にRIOさんにリクエストをいただいて書いてみたものです。 なんだかメリハリのない話になってしまいました、ごめんなさい。 本当はもっともっと強いスカリーを書きたかったのですが、結局、モルに花を持たせてし まった様な気がしますなぁ。 感想など聞かせていただけるとうれしいです。 From: Ran yoshiyuu@tt.rim.or.jp RIO様:こんなリオさんになってしまいました(汗)