であったころは、ただの物好きの大学生だった。
しかし、今は目隠ししたまま手探りで二分以内にばらばらのM16を組み上げる事ができるし、走りながら10ヤード離れたマンターゲットの眉間のほぼ同じ場所に二発の弾丸を撃ちこむことができる。
そんなことができる必要があったし、そうなることは自分でも楽しかった。
そして何より、そうなったおかげで、今隣に彼女が居る。
戦乙女の槍 PHASE0 プロローグ sideA
1991年二月二十六日、イラク・クウェート付近0032時
米陸軍第一騎兵師団第一大隊ブラボー中隊
「ブラボー3被弾、走行不能、走行不能、脱出します!」
「アルファ2よりブラボーリーダー!指示を……指示を請う!」
「ライアル少尉は戦死!以降チャーリー小隊はヒコック曹長が指揮する!」
「ベイカー、ベイカー、わあああああ!」
「ブラボーリーダーより大隊本部、攻撃を受けている、敵種別不明、支援を請う、大至急支援を請う!」
突然の襲撃。
被弾し、弾薬に引火して炎を吹き上げるM1A1戦車。擱座して、後部の降車ハッチか
ら大量の兵士を吐き出すM2ブラッドレー歩兵戦闘車。
世界最大最強の軍隊である米軍のなかでも特に精鋭と言われる第一騎兵師団。その精鋭
達でさえ、なすすべなく倒されていく。
「中佐!あれは……敵は一体なんですか!」
「わからん……撃て!とにかく撃ち殺せ!」
指揮通信機能を付与した指揮車仕様のM2ブラッドレーのシートで、指揮官らしい男が
インカムに向かって指揮を飛ばしている。
正体不明の敵。
まさにそれだった。
歩兵戦闘車十二両で構成される一個機械化歩兵中隊、それに戦車一個小隊をともなう混
成機甲部隊を、ろくな対戦車兵器もなしに翻弄している。
こともあろうに、数十年もの昔に廃れた対戦車ライフルの流れを組む、大口径対物ライ
フルで、である。
それだけなら、まだこれほどの苦戦を強いられはしないだろう。
本来定位置で使う重い対物ライフルを、その人影は走りながら、正確に砲塔のターレッ
トや上面、背面など装甲の薄いところを狙って撃ってきている。
ましてやその人影は、体格から行けば、まだ十四、五歳程度にしか見えなかった。
たった一人の子供に合衆国が誇る新鋭兵器が翻弄される、ありえない、いや、あっては
ならない事だった。
重い対物ライフルを抱えているにもかかわらず、人間業とは思えないほどの俊敏な動き
をしている。
いかなる状況下でも名中断を約束する高価なベトロニクス[戦闘車両の火器管制装置]に制御された25ミリ機関砲も、そして歩兵のそれぞれが装備するライフルのいずれも命中弾を得られない。
幾重にも重なる火線を物ともせず、また一両ブラッドレーが擱座した。
だが、弾丸が当たらないのは動きのせいだけではなかった。
確実に命中したはずの弾丸が、着弾直前に逸らされている。見えない何かに弾かれ、あ
るいは逸らされ、小さな人影を捉えることができない。
そして、不幸にもそれに気が付いてしまった兵士たちをパニックに陥れる。
防御陣形を組んで防戦に回ろうとするも、陣形を組み終わる前に懐に飛び込んでくる。
そしてそれがもたらす混乱によって、同士討ちで命を落とすものも少なくなかった。
ブラッドレーの旋回砲塔がモーターのうなりとともに旋回し、25ミリ機関砲が咆哮す
る。
25ミリともなれば、弾丸そのものに炸薬が装填されている。着弾すれば、周囲に殺傷
力のある破片を撒き散らす。
必死に目標を追い掛け、トリガーを絞っていた数人の兵士が一瞬にしてばらばらになっ
た。悲鳴もあげられず、おそらく何が起きたのかさえ把握できなかったろう。
ガンポートから外をうかがっていた中佐は、憎々しげにうめいた。
「くそ………」
『少佐!発射の許可を!あのクソッたれにHEATをぶちこんでやりましょう!』
戦車小隊の中尉から、雑音混じりの声が聞こえる。
「許可する、ぶちかましてやれ!」
『了解!』
待っていましたとばかりに答え、無線がとぎれる。
「聞いてのとおりだ、砲塔3時、距離50、弾種HEAT!俯角を取って友軍車両に注意、各車、続け!」
大出力ガスタービンがもたらす高い機動性と、高性能のベトロニクスをもつを持つ第三世代戦車、M1戦車に対生物化学防御強化を施した、M1A1エイブラムス主戦闘戦車の車長シートで、中尉が指示を飛ばす。
弾薬手が砲塔バスケットの後部にあるラックから120ミリ滑腔砲の成形炸薬弾を抱えあげ、砲に装填する。
「照準………くそっ動きが早すぎる!」
「かまわん!直接照準でやれ!」
照準器を覗いていた射手に、中尉が怒鳴る。
「ファイア!」
轟然、25ミリの機関砲とは比較にならない120ミリ滑腔砲が吠える。
超音速でつき進み、標的を粉砕しようとする炎の矢は、人影を辛うじて捉えた。
中尉には覗いていたペリスコープごしに、人影が不意にふっと笑ったように見えた。
だがそれが見間違いなのかどうかは、確かめられなかった。
モンロー効果で装甲を焼ききり、溶解させた装甲材を高熱の飛礫として敵車両の乗員を殺傷するため、時に榴弾の代用とされる。M1が装備する滑腔砲では従来のソフト・ターゲット用の榴弾は発射できない。
高温の炎と燃焼ガスが飛び散り、凶暴な力がすべてを焼き尽くす。
はずだった。
「消えた?」
不毛な岩石砂漠には、成形炸薬弾が穿ったクレーターがあるばかりだった。
ドライバーと中尉が、それぞれハッチから顔を出した。
「粉々にふっとんだんじゃ………」
『デルタ1、上だ!』
無線から飛び込んできた言葉に、とっさに上を仰ぎ見る。
隣で砲塔を振り立てていたM1がその上面装甲を何かに打ち抜かれ、炎に包まれた。
無線機越しに断末魔の悲鳴が聞こえると、その時、目の前に黒い影が降ってきていた。
M1戦車の上面装甲に、降り立つ。
ウェットスーツのように肌にフィットした、漆黒のボディスーツが描きだす体のライン
から、かろうじて少女とわかる。
優に十キロはありそうな、自分の身長ほどもある長いアメリカ製の半自動装填式アンチ・マテリアル・ライフルを携えていた。
せいぜい十五、六歳程度だろうが、槍のように長く、重い対物ライフルを片手でささえている。
長い銀色の髪が、爆風にあおられていた。
「くっ………」
とっさに胸の前に着けているホルスターから、M9自動拳銃を抜くが、構える前に目の前の少女
に蹴り飛ばされる。
自分を見下ろす、無表情な顔と、まるで意志の感じられない瞳。
その瞳は、吸い込まれそうなほど深く澄んだ、瑠璃色の瞳だった。
「中尉!」
南部訛りのドライバーの声で我に返る。
彼もM9を抜いて、数発撃ち込むが、全て弾かれた。
車内に滑り込み、叫んだ。
「砲塔回せ、振り落とすんだ!」
「あいよっ!」
ガンナーの威勢のいい声と同時に、砲塔が旋回をはじめる。
と、同時に激しい衝撃が戦車を襲った。
「おお?」
警告灯が瞬き、急速にガスタービン・エンジンがその回転を落としていく。
「状況知らせ!」
「車長……エンジンが……」
中尉の問いにドライバーが言葉を濁す。
悪夢のような燃費を代償に莫大なパワーをはじき出すガスタービンエンジンは、もはやただの金属塊と化していた。
「く…そお……デルタ1、被弾した、脱出する!」
それぞれがハッチから這い出すと、先程の少女は別のM1戦車の背後に回り、対物ライフルを持ち上げて、発砲。
強力なリコイルで、少女の体があとじさる。
12.7ミリの大口径対装甲高速弾が背面装甲を貫き、砲塔後部の弾薬庫を遮蔽板ごと貫通し、誘爆させた。車体のハッチから悲鳴を上げながら火だるまになった乗員が飛び出した。
不意に、闇の向こうから腹に響くローター音が聞こえてきた。
「いいぞぉ、騎兵隊の到着だ!」
ローター音を聞き付けた兵士たちが歓声をあげた。闇の中から現われたのは、合衆国陸軍が誇る新鋭攻撃ヘリ、AH−64Aアパッチだった。
『助けにきたぜ、ここか、わけわからんグレムリンが出るってのは?』
開きっぱなしの回線から、攻撃ヘリのパイロットの声が聞こえた。ジョークを飛ばして
はいるものの、声にはいくらか緊張が感じられた。
『さあて、出てきやが……』
言葉は続かなかった。
次の瞬間には、まるで昼のように砂漠が照らされた。ぽっかりと、まるで冗談のように明るい火球が生まれ、落ちてきた。
『振り落とせ、すぐ横に取りついていやがるぞ!』
上空で激しく機体を揺するアパッチの腹が、炎上する戦車の炎に照らしだされた。
『畜生、落ちろ、落ちろぉっ!』
上下左右に揺れるアパッチの電子機器に囲まれた狭苦しい前席で、ガンナーがホルスターからM9を抜いた。
防弾ガラス製のキャノピーの外に取りついている、少女に向かってトリガーを絞ろうとして、目の前にあるはるかに大きな銃口に気が付いた。
それまでコクピット脇に取りついていた少女がコクピット下半分をおおう装甲板を蹴ると、空中で対物ライフルを構え、撃つ。立て続けに三発、コクピットの前席と後席、それにエンジンに撃ちこむ。
レシーバーごしに、ノイズに塗れたパイロットとガンナーの悲鳴が聞こえた。
少女は膝をついて着地のショックを吸収して、砂漠の砂のうえに降り立った。その背後
に、アパッチの残骸が落ちてくる。
「化物め……」
「中尉!」
駆け出しかけた中尉の肩を、ドライバーがつかんだ。
「味方がやられてるのに、ほっとけるか!」
ドライバーが持っていたカービンライフルをひったくると、対物ライフルを撃ちまくる少女に向かって駆け出した。
「くたばれぇっ!」
獣のように叫びながらトリガーを引き絞る。腕の中で戦車兵の護身用に全長を短縮されたM16が暴れた。吐き出された無数の弾丸が、少女に向かって殺到した。
だが、その全てが着弾寸前に何かに弾かれ、一発たりとも少女を捉えはしなかった。
弾倉に入っていた三十発を撃ち切り、まだ熱を持っている銃身に持ちかえると、少女に向かって振りおろす。
距離はもう一メートル弱しかなかった。対物ライフルの銃身の内側に飛び込んでいる。
ソウドオフだ、撃たれる心配はない。
振りおろされたライフルをまるでうるさい虫でも追い払うように払い除けると、今度は長大な対物ライフルで槍のように中尉を薙ぎ払った。
「ふっ……!」
一瞬何が起きたかわからず、息がつまった。
岩石砂漠が中尉をこの上なくやさしく受けとめる。
「くそったれ……」
こめかみの辺りに、ぬるりとした感触が生まれた。どうやら、薙ぎ払われた拍子に切れたらしい。
呪いの言葉を吐きながら、体を起こそうとして目の前に対物ライフルの銃口を見て固まる。
彼女は全長約二メートル、重量二十キロの対物ライフルを、まるで小型拳銃でもかまえるように、片手で支えていた。
そして、変わらぬ無表情と何も映していない虚ろな瑠璃色の瞳。
「さっさと殺れよ、化物め……」
言いながら、タンクヘルメットを脱いで、投げ捨てる。
ヘルメットが転がると同時に、がらん、と大きな音をたてて、対物ライフルが地面に転がった。
見れば、さっきまでの無表情からうって変わり、少女の顔に恐怖が生まれていた。
がちがちと歯のあたる音を立てながら、両の手で頭を抱えて、がたがたと震えている。
「な、なんだ?」
そのままぺたん、と地面に座り込み、小さく泣き声をあげながら、耳を塞いで蹲る。
「や……いやあ……もうやだぁ………」
さっきまでの異様さは既に無く、今は泣きじゃくるただの少女に見えた。
中尉も、他の兵士たちも呆気にとられ、構えていた銃を下ろしたその時、どこからとも無くひゅるひゅると空を切る音がしたと思うと、辺りを濃密な白煙がおおった。
「全周警戒、油断するな!」
中佐がレシーバーに怒鳴り、煙の中でがしゃがしゃと銃器を扱う音が聞こえる。
やがて煙が晴れたあとには対物ライフルが転がるのみで、少女の姿はすでになかった。
「なんだったんだ、一体………」
1999年、十一月、東京
カーテンの間から見える窓の外に、夜明け前の深い青の空が広がっている。
昨夜はレンタルビデオの映画をみていて、そのまま眠り込んでしまったらしい。
右腕が痺れていた。何かがのっている。
半分寝ている頭でのっているものを確かめようとする。
目を開けると、狭苦しいソファベッドの中の、息がかかりそうな目の前に静かに寝息をたてる少女がいた。
毛布をかけてくれたあと、そのまま潜り込んできたらしい。
清楚とか可憐とか、そういう言葉が似合う少女だ。
腰までかかる、つややかで長い黒髪。
ほっそりとした、ふれたら折れてしまいそうな華奢な身体。
大きめのパジャマの袖からのぞく、白い手首が体温を感じようとするかのように、そしてそこにいる事を確かめるかのように添えられている。
右腕を枕に、すうすうと小さく寝息をたてていた。
まるでお伽話にでてくる天使か、女神のようだ。
静かに笑い、顔にかかった髪を除けてやる。
彼女の寝顔は、幸せそうだった。
少し前の彼女にはなかった表情なのだろう。
そう、少し前までは・・・
「………………迷った」
真っ暗な闇の中で立ち止まると、彼はつぶやいた。
アメリカ海兵隊の戦闘装備を身に着け、手にはドイツ製のMP5短機関銃。
だが彼はアメリカ人ではなく、日本人だった。海兵隊員ですらない。
彼はサバゲーマー、詰まる所ただの民間人だった。
携える短機関銃もプラスチックの弾を撃ちだす玩具だ。
ブーニーハットを手の甲で押し上げ、額の汗を拭う。
見上げれば常緑樹の枝葉の間から、宝石箱の中身をぶちまけたような星空が見える。
袖をめくってタイメックスの軍用時計を見た。
終了時間を二十分もすぎている。
彼は決して方向音痴ではなかった。いや、方向感覚は一般人よりすぐれているといっていい。滅多に方向を失うなどということはない。
気を取り直して、薮をこいでいく。連絡用に渡された特定小電力のトランシーバーは何時の間にかバッテリーが切れていた。ベースに連絡を取ることもできない。
元はといえば、下見が不足していたのだ。付いたときには日が傾きはじめていたし、途中でフィールドを拡大するなどという暴挙に出たのだ、迷っても不思議ではない。何せ、「広いところで夜戦がやりたい」などと宣った本人はともかく、彼自身をふくめてメンバーの大半ははここにきたのは初めてだったのだ。
きっと彼のモットーは「行き当たりばったり」か「人生なるようになる」であるに違いない。
「はああ…………」
大きなため息ひとつ。
がさっ。
不意に近くでなにかが動いた。思わず脚を止め、辺りに注意を払う。
目だけを動かしていくと、視界の隅に何か白いものがあった。
薮をかきわけてみると、そこにはひとりの少女が倒れていた。
年の頃十六、七といったところか。
裾の短い、薄い色のついた手術衣に身を包んでいた。
予想だにしないことに戸惑いながらもさっと見て重大な怪我がないのを確かめると、傍らに膝を着いて声をかけた。
「おい、大丈夫か……」
少女は声に反応して、小さくうめいた。ただ気を失っているだけのようだ。
月明かりに照らされたその端正な顔立ちは、土で薄汚れてはいるが掛け値なしに美少女といっていいほどの容貌だった。長い髪がほつれて汗でくっついていた。
薮をこいできたせいか、あちこちに小さな切傷、擦り傷があり、なかには血がにじんでいるところもあった。
指先で髪を払ってやると、少女が首になにかを付けているのに気が付いた。
それは合成繊維でできたベルトのようだった。ちょうど喉の部分になにかの金属版が下がっている。 金属版にはなにかが彫られているようだったが、暗くてよくわからない。
何故この娘はこんなところにこんな格好で倒れていたのだろうか。
とうに秋に入り、夜ともなれば薄着では平地でも寒いくらいだ。
だが、疑問の答えを導きだすほどの時間は、与えられなかった。
「FREEZE!」
突然、強烈な明かりで照らされた。
とっさに少女をかばいながら、反射的にMP5を片手で構えてしまう。
光源はふたつ、いずれも短機関銃に取り付けられたフラッシュライトだった。
「Don’move,dorop your weapon,now!」
早口でまくしたてる二人の男は、ただならぬ殺気を放っていた。
「Ha…………」
何事か言おうとした片方の鳩尾に、疾風のごとく駆け寄った人影がAK47の木製ストックをたたき込む。スチールと木材を模したプラスチックで出来たストックはあっさりへし折れた。
言葉を飲み込んで体を折った男の首筋に止めの一撃すると、あっさりAKを手放すと体をひねって回し蹴りを加え、もう一人の手のなかの短機関銃をけりとばす。
短機関銃を蹴り飛ばされた男はサスペンダーに逆向きに着けられたファイティングナイフを抜いて身構える。
「日向ぁ、離脱しろ!」
飛び込んできた人影が叫ぶ。対峙していた男がナイフをふるう。踏み込みが甘い。姿勢を低くして横薙ぎを避け、懐に飛び込む。
そのまま手首をつかんで地面に倒すと、顔面に一撃。ぐしゃっと骨の砕けるいやな音がした。
「急げ、逃げるぞ!」
血塗れの顔を押さえてうめく男の腰のホルスターから自動拳銃を引きぬくと、自分のピストルベルトに挟み込む。転がっている短機関銃を拾い上げ、予備の弾倉を奪い取ると素早く残弾を確認する。
短機関銃を構えたまま固まっている日向の肩をつかんで強く揺すった。
「おい、しっかりしろ、日向!」
「は、はい」
「バカタレ。逃げるぞ」
遠くから声が聞こえはじめた。一人ではなく、多数。
あわてて少女を抱え上げようとしている日向を肩ごしに見やった。
「置いてけ。余計なことに首を突っ込むな」
「置いてけって、そんな……」
驚きを通り越して怒りに代わった。
「このまま残していったら彼女どんな目にあうか………」
無言で奪い取ったベレッタM12Sのボルトをコック、はじき出されたカートリッジを放ってよこす。
「実弾相手にBB弾で戦争したかないんでな。おまえさんのそれじゃ、屁の突っ張りにもならん。行くぞ」
飛んできたそれを片手で受け取ってみると、紛れもない実弾、標準的な拳銃弾である9ミリパラベラムだった。
しばし手のなかの拳銃弾を見つめると、ぐっと握りこんで、言った。
「…………ほっとけませんよ、岡田さん」
日向のほうを振り返り、ため息とともにトランシーバーの送信スイッチを押し込む。
「………こちらバル、聞こえるか」
『感度良好。どうぞ』
かすかなノイズ混じりに若い女の声が応えた。
「五分で撤収、準備のできた奴から出発しろ。………それと、コードレッドだ」
言うや否や短機関銃を持ち上げ、少女を抱え上げた日向に向け、片手で短い連射。
銃身に装着されたサプレッサーのおかげで押し殺された銃声は、さらに日向の背後で倒れた男の悲鳴でかき消された。
「走れ!」
日向が暗い山道を走りだすと同時に残弾を一気に後の薮に打ち込む。
減衰されたマズルフラッシュが岡田の横顔に不気味な隈取りを与えた。
日向の知らない、まるで別人のような。
岡田は弾倉を交換しながら日向の後を追った。
先を走る日向は背後の悲鳴を聞きながら、何となく背筋に寒いものを感じてスピードを緩めた。とたんに目の前をなにかが通り過ぎていった。傍らの木の手首ほどの太さの枝が粉砕される。
何の役にも立たないのを承知で銃口を向けようとするが、向きおわる前に手のなかの短機関銃が弾き飛ばされた。
夜の闇の中から、まるで染みだすように人影があらわれた。
その人影は早口の英語で何事か言っていた。
だがそれ以上に、彼の放つ何かが日向を縛る。
「……人違いだ。……ただの学生だよ」」
そう日本語で言った。それだけのことにずいぶん努力を要した。情けないくらいに声が震えている。
「……海兵じゃないのか?何者だ」
流暢な日本語だった。
男は一歩踏み出し、月明かりの下に出る。
三十半ばを過ぎたぐらいか。長身のアングロサクソン系の白人が特徴的な形をしたベルギー製の短機関銃を構えていた。
「まあいい。その娘を置いて消えろ。今なら忘れてくれればいい」
「できるか、そんなこと」
即答した日向に、男はわずかに頬を釣り上げた。
「見上げた心意気だ。だが……」
言いおわる前に、日向の走ってきた方に銃口を転じた。
その先には、岡田が短機関銃を構えていた。
互いが互いを認め、それぞれを殺気が糸となってつなぐ。
わずかな沈黙の後、ほぼ同時に二人は銃を下ろした。
「………生きていたのか」
「………まあな」
遠くで軽い連続した銃声がした。岡田にはそれが軽量弾を使うアサルトライフルの音だとすぐにわかった。続いて爆発音。
不意に男は耳元に手を当て、つけていたインカムの声に、二言三言答え、短く指示を出す。
「どうした?」
随分離れたところから、いくつもの銃声と、それに混じって爆発音が聞こえた。
「海兵が攻めてきた。ここは戦場になる……行け。…若いの、死ぬなよ」
男はあらわれたのと同じように闇に消えていった。
「話はあとだ、離脱する。行け」
岡田が顎で先をしゃくったとき、不意に圧し殺した爆音が響いた。
頭上を、闇色のヘリコプターが無灯火で木々をかすめるような高さで擦過していき、戦闘のただ中へと飛び込んでいった。
「インハンスド・ブラックホーク……米軍が動いてるのか……」
続
どうも、カノンフォーゲルです。
ええと、まあこれは日向と栞のお話です。
「ファイアフライ」の舞台から約3年から5年ぐらい前の話で、予定としては「ファイアフライ」が終わってからやろうかと…思ったのですが、どうにもこの二人は書いてて楽しいのです。
というわけで二正面同時進行という、まことに歴史に学ばないやり方をしていくことになりました。
……いや、こっちは浪人やってた頃書いた話をアレンジしなおしたものですから、何とかなるとは思うんですけどね。
感想などいただけたらうれしいです。
では、また近いうちに。