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螺旋―欲望の孤島― 第5戦(前編) ポルノ・ディアノVS読子=リードマン
チェシャ/文


 彼女はご機嫌だった。

 何故なら、愛して止まない物が側に満ちていたからである。

 「うふふ…うふふ…う〜ふ〜ふ〜ふ〜ふ〜!」

 聞きようによっては不気味以外何者でもない、それでも幸せな笑い声が自然と漏れる。

 どういう原理か、平坦ではない地面の上をスイスイと進む大きな台車を押しながら、幸福な行進は続く。

 時折止まっては、台車に詰まれた物を見て、涎すら垂らしながら呆けたように幸福感に浸る。

 台車の上にある物は本。それも、並大抵の量ではない。

 そして、容易く手に入るような本ばかりではない。

 歴史上、焚書などの蛮行によって焼き払われたはずの本。

 世界に一冊しかなく、厳重に保管されている本。

 それだけではない、彼女が生きる時代に存在するはずのない、即ち「未来」に出版される本。

 極めつけは、彼女がいる時空・次元には存在しない異世界の本。

 そんな本を幸せそうに運びながら、彼女は何も考えずにただひたすら歩いていた。

 動きにくそうなコート、野暮ったい眼鏡、化粧気はないが、それが逆に魅力的な童顔。

 彼女の名は読子=リードマン。

 大英図書館エージェント"ザ・ペーパー"、紙に愛され、祝福を受ける異能者。

 そして、本無くしては生きていけない史上最強の"愛書狂[ビブリオマニア]"。

 

 選手付けの監視員から、好きな武器を選べと渡されたカタログ、それが彼女の至福の始まりだった。

 本無くしては生きてはいけない彼女が、一切の読書を禁じられた環境の中渡された、命の水のような存在。

 そのカタログ自体が、超一流の読み物であった。

 ありとあらゆる武器、兵器などが写真付きで紹介されていた。

 紹介文が、彼女を泣かせた。簡潔で、詳細で、巧緻で、それだけで完成された読み物として通用していた。

 夢中で読み進むうちに、禁断のページを開いてしまうことになった。

 数多の武器の中に、何故か本の紹介が記されていた。

 区分は『鈍器』及び『投擲用』。甚だ納得できない扱いである。

 だが、読子は喜んだ。一も二もなく、言い放っていた。

 「これを!この『子』たちを用意してください!できるだけたくさん!ううん、できればあるだけ全部!!」

 明らかにトロそうな彼女が、一切の隙もない監視員の手をガッと掴み、瞳をギラギラと輝かせて頼み込んだ。

 その結果、彼女には、大量の本が支給されることになった。

 無論、彼女の最大の望みである『全部』という希望こそ叶えられなかったが…

 台車を押し、本を読めそうで、かつ安全そうな場所を探し、移動を繰り返していた。

 すでにこの世にはいない恋人を復活させられる可能性に心を乱され、異常な緊張感の戦場に昂ぶり、

 そして至上の快楽を与えてくれる本に胸を躍らせ、彼女は歩き続けていた。

 それ故に、悪魔に狙われていることに気がつくことはなかった。

 誇張や比喩ではない、本物の悪魔に…

 

 

 長い移動の末、読子は丘の上にある大木の根元に腰を落ち着けていた。

 見晴らしが良く、また仮に敵が襲撃して来ようとも、丘を登る敵よりも早く、丘を下って逃げることが出来る。

 また、丘の上に大木がある以外、遮蔽物がないため、射撃戦になっても有効性はある。

 敵が遠距離から射撃してきたとしても、丘という地形のため、下からの命中は難しく、

 反面、読子は大木に隠れることも可能、そして上から狙い撃ちをすることができる。

 しかし、読子にとっては、戦略よりも重要な点でここを選んだ。

 読書するのに、最適の場所であったからだ。

 大木に背を預け、そよ風に身を撫でられながら、木漏れ日を照明に本を慈しむことが出来る。

 読子は、周囲を注意深く見渡し、殺気や敵意がないことを確認した後、スゥッと大きく息を吸い込んだ。

 軽く目を閉じ、覚悟を決めたように固唾を飲み込む。

 口からフッと呼吸を吐き出し、ゆっくりと目を開ける。

 瞳の先には、自分が今まで押してきた台車。つまり、愛すべき本の山である。

 かすかに震える指を台車に伸ばし、その一番上にあった本に指先が触れる。

 ゾクッと熱い戦慄が背筋を駆け上る。

 「あ…っ!」

 軽い眩暈に襲われ、額に手を当ててバランスを保つ。

 間違いない。彼女の本能が、その本は逸品であると告げている。

 恐る恐るタイトルを覗き込む。

 表紙に書かれた文字は、彼女が見たこともない未知の形だった。

 現存する文字、過去のどんな文明、社会の文字に属するものではないだろう。

 しかし、彼女の指先から脳に、本の意思が伝わる。

 彼は『魔導書』と呼ばれる存在。本を開き、書かれた文字を読むだけで、魔法の使用が可能になる本。

 いい加減に作られた奇本、ペテン紛いの偽書などではない、本物の『魔導書』。

 例え、書いてある文字が読めなくても、読子は『彼』を開き、貪りたかった。

 そっと指をかけ、重い表紙をめくる。

 開かれた最初のページは白紙。読子の心に、軽い失望と、強烈な期待感が込み上げる。

 やや厚めの紙に指を這わせ、ペラッと持ち上げて、一瞬躊躇した後、スッとめくった。

 紙がめくれ、次のページが開かれる瞬間を、瞬きもせずに熱っぽく見守る。

 目に飛び込むであろう文字、イラスト…何が目に映っても、彼女は間違いなく絶頂に達してしまうだろう。

 彼女の瞳が、スローモーションのようにゆっくりと開かれたページに吸い込まれる。

 そして、彼女の目に最初に映ったのは…手だった。

 白くほっそりした女の手。

 あまりに非現実的な光景。本から女の手が生えて来たのである。

 「ひゃあ!?」

 読子は、本から手が生えたということよりも、自分が想像していた物とは余りにも異なる物が眼に映ったことに驚いて尻餅をつく。

 読子の顔があった空間を、女の手がグッと強く握っていた。

 その瞬間、読子の背筋が冷たく凍りつく。

 修羅場を潜り抜けてきた一流のエージェントである読子の勘が告げていた。

 あと一瞬遅ければ、顔を握りつぶされていたという恐怖を…

 尻餅を付いた読子の目の前の台車に詰まれた本の山から、スルスルと女の体が姿を現す。

 矢印のような先端を持つ大きな帽子、大きく鋭い瞳、芸術的に整った、どことなく危険な匂いのする顔立ち、

 乳房―の3分の2―と股間しか隠していない露出過多な不思議なデザインの衣装―というより紐―に、

 ガーダーベルト、そして何よりも圧倒的に盛り上がり、わずかな動きにもユサユサと揺れる乳房。

 そして、背中から生える、蝙蝠に非常に良く似た羽根。

 読子は目を大きく開き、動くことを忘れた。

 その胸の大きさにではない。目の前の女の存在感にである。

 今までであった誰とも、どんな人間とも異なる気配。

 彼女が読書を通して得た知識、いや本能が的確な表現を見つけ出した。

 「あ…悪魔…さん…ですか…?」

 読子のやや緊張感に欠ける問いに、本の山に降臨した彼女は、ゆっくりと読子を見下ろした。

 口許が少しだけ持ち上がる。射抜くような目はそのままに、笑顔が作られていく。

 「ええ…」

 読子を見下ろし、"悪魔"は気だるそうに髪を掻き上げる。

 次に自分の立つ本の山と、地面を交互に視線を送る。

 彼女の脚は長いが、それ以上に本の山は高く、また飛び降りるにしてもバランスが悪い。

 彼女は次に、見上げる読子の瞳に目をやる。

 読子の瞳に浮かぶ感情が容易く彼女に伝わってくる。

 驚愕、興奮、不安、恐怖…そして、何よりも本に対する心配だった。

 彼女の足に踏まれている愛すべき本たちの身柄の安全。それが一番の心配らしい。

 そんな読子に、彼女は優しく微笑みかける。

 「あ…」

 読子が、悪魔とは思えないその微笑に、安堵の色を浮かべた瞬間…

 ファサッと読子の視界を白い何かが通り過ぎていった。

 本の山は静かに崩れ、彼女を静かに地面に下ろしていた。

 崩れた本は、地面に到達する前に自戒し、ただの紙と化して風に舞う。

 読子の表情は凍りつき、呆然とした顔で、舞い散る紙を見つめていた。

 「あ…あぁ…い…いや…」

 ゆっくりと首を振り、現実を否定しようとする。

 「…悪魔はね…人が嫌がることが大好きなの…」

 読子の頭に、そっと手が乗せられる。

 目の前に立つ自分の姿さえ目に入らないように、本の"死骸"だけを見る読子の髪を2、3度軽く撫で、

 残る片方の手を大きく後ろに引く。

 「本当は…もっと色々と楽しませてあげたいけど…

 残念ながら、忌々しい封印のおかげで、それだけの力は使えない…

 この悪魔大元帥ポルノ・ディアノともあろう私が…屈辱以外何者でもない…だから、この手で…」

 引き手に禍々しい力が集約し、殺気を放った爪が鈍く輝く。

 ポルノと名乗った悪魔の瞳が、異様な輝きを見せる。

 「…シンプルに!」

 焦点の合わない読子の眉間に、手刀をまっすぐに突き立てる。

 「いやあぁぁぁぁぁっっ!!」

 死への恐怖にではなく、本が"惨殺"されたことに拒絶した絶叫が、読子の喉から迸る。

 宙を舞っていた紙切れが、読子の顔とポルノの手刀の間に舞い込む。

 「な…にィッ!?」

 ガツッと固い感触と共に、ポルノの爪がたった一枚の紙切れに止められてしまう。

 それだけではない。紙に突き刺さった爪は、石にでも食い込んだようになかなか引き抜くことが出来ない。

 「たかが紙が…何故…?ひっ!?ぐあぁぁっ!?」

 紙に止められた無防備な腕に激痛が走る。

 白い腕に何かが突き刺さっている。それは無数の紙飛行機だった。

 どこからか飛んで来た紙飛行機は、その翼でポルノの腕を切り裂き、また特攻機と化して突き刺さっていた。

 「なんて残酷な…許しませんっ!」

 読子の瞳に、明らかな怒りが燃え上がる。

 それに呼応するように、二人を包む空間に、怒気を孕んだ空気が満ちていた。

 「この気配…一人じゃない…!?10…100…いや…万単位…馬鹿な!」

 紙に刺さった爪を無理矢理引き抜き、体を地面に投げてその場から退避すると、黒い気炎で腕に刺さる紙飛行機ごと消滅させる。

 血が滴る腕を押さえながら、今度はポルノが読子を見上げていた。

 「今ここには、私と貴女だけしかいません…でも、この怒りは私一人ではありません…これは紙と私の怒りです!」

 無秩序に宙を舞っていたはずの紙が、読子の周りを旋回し、滞空していた。

 ある紙は、読子を守る壁のように、そしてある紙は、触れられることなく自ら姿を変え、紙飛行機と化してポルノに狙いを向ける。

 本のために命を賭ける読子に対し、紙は自らの可能性を無限に引き出し、読子に尽くす。

 紙と相互に気づかれた絶対的な信頼関係による力。

 それが紙使い"ザ・ペーパー"である読子の能力だった。

 「紙使い…ということか…紙…カミ…神…いやな響きだ…虫唾が走る…!」

 ゆらっとポルノが体を起こし、腕を一撫でする。血が流れていた深い傷も一瞬で傷が塞がった。

 「傷が治ったように見えるでしょう?でも、ただ単に傷を塞いだだけ…ダメージは残ってる…

 本当なら、傷なんかつきもしないんだけど…ここでは、薄汚い人間と大差がない…」

 怒りと緊張感が、二人の間に際限なく膨らんでいく。

 「…この屈辱が分かるかァッ!?」

 ポルノの翼が槍のような尖った先端を持つ何本もの触手に姿を変え、読子に襲い掛かる。

 「あなたこそ!!踏みにじられ、散ってしまった本の痛みが分かるんですか!?」

 抑えきれない読子の怒りに呼応した紙飛行機たちが、仲間の無念を晴らすようにポルノに向って飛び立つ。

 「ディテクター・シット!!」

 ポルノが背中から触手を打ち出すように体を丸めると、触手たちは複雑な軌道を描きながら、紙飛行機を迎撃する。

 鉄すら切り裂くであろう紙飛行機でも、ポルノの必殺技を破ることは出来なかった。

 殺到する紙飛行機を弾いた触手は、上下左右から読子を包むように襲い掛かった。

 「その紙で守り抜けるか…それとも、貫かれて死ぬか!」

 読子を守るように配置された紙が触手に立ちはだかるのを見て、ポルノが気合を入れる。

 「紙は私を裏切りません…私が信じている限り!」

 そう言って瞳を閉じた読子の周りに、紙がどんどんと集まってくる。

 小規模ながら分厚い紙の殻に包まれた読子の体は、外部からは全く見えなくなっていた。

 「お前を倒して力を取り戻す!!」

 ポルノの触手が、紙の外壁に突き立てられる。予想通り、触手の一撃すら耐えてしまっていた。

 ポルノにだけ与えられた条件がある。それは一人失格にするごとに、力を抑える封印を解除していくという物だった。

 力さえ戻れば、それだけ不安要素がなくなる。

 つまり、後はこの狂った人間のお遊びに飽きるまで付き合い、堕落させ、その後に地獄を見せてやれる。

 それは、悪魔である彼女にとっては、上質な娯楽と言える。

 何よりも、勝てば地獄に戻れるが、負ければ下衆な人間の慰み者として容易く死ねぬまま時を過ごさなければならない。

 そのためには、今ここで出会った"壁"を打ち破って、乗り越えなければならない。

 自分が生き残るために他人を犠牲にすることなど、何の苦痛も迷いもない。

 彼女に今必要な決心は、脆弱な今の自分の力と体で、何としても勝ち抜くための意志であった。

 ポルノの決意を受けたように、触手の先端が変化を始める。

 先端に溝を持ち、螺旋状に回転して、全てを貫く形状…ドリルに。

 ギィィィンと嫌な音を立て、紙でできた防壁に穴を穿っていく。

 本来なら、原子配列変換によって自分の身を、何でも変化させることが可能な彼女だが、今はこの程度が精一杯だった。

 それでも、効果は十分。元々が薄い紙は、一枚一枚がその限界を容易く打ち破られていた。

 触手を通して、徐々に殻が薄くなっていくのが伝わる。そして…

 「チェックメイト…」

 最後の一枚が突き破られ、無数の触手が凶悪に回転するその先端を、あらゆる角度から殻の中に撃ちこんで行く。

 どんな手品師でも、この串刺しのボックスから生還することは出来ない。

 ただし、間抜けにも中に留まっていたのなら…

 「とーーっ!」

 ガサッという音が頭上から聞こえ、続いて間延びした声が距離を詰める。

 ポルノの頭が全てを理解した。最初から殻の中にはいなかっただと。どういう手段でか、樹の上に逃げていたのだと。

 咄嗟に触手を戻そうとするが、殻は触手に貫かれたまま、放そうとしない。

 ガクンと体を引き戻されたポルノの頭に、読子が迫る。

 スパァァァンッ!と甲高い音と共に、ポルノの体が半回転して地面に叩きつけられていた。

 同時に、着地に失敗した読子もバランスを崩して転倒、慌てて起き上がってからポルノに指を突きつける。

 「あなたがやったこと!思い知りなさい!」

 紙を束ね作り上げた俗に言う"ハリセン"で、丸太すら吹き飛ばす痛烈な打撃を見舞う一撃。

 読子の同僚をして『ペーパー・ホームラン』と名づけられた読子最強の打撃技である。

 (もっとも、上から下に叩きつけたのでは、ホームランにはならないが…)

 紙が読子の体を包み、ポルノの視界から姿を消した瞬間、ポルノからは見えない後面から脱出。

 紙が姿を変えたロープに捕まって、一気に樹の上まで引き上げてもらい、隙をうかがっていたのだった。

 「く…ぐ…う…」

 ポルノは何とか手をついて身を起こした。痛みよりも、衝撃で意識がはっきりしない。

 視界はありもしない星と火花でチカチカと眩み、頭の中では甲高い音が反響を続けている。

 「本当に…嫌になる…この脆弱さ…何が出来て…何が出来ないかもはっきりしない…」

 手をつき、何とか四つん這いになって、起き上がろうとする。

 「もう!まだ起き上がってくるですか…?反省しなさい!」

 読子が、手にしたハリセンで、ポルノの尻を引っぱたく。否、張り飛ばす。

 「んあっ!?」

 スパンと強烈な痛みを感じ、また同時にスパンキングをされたような快感に似た感覚を感じる。

 ポルノの体は、軽く飛ばされ、触手が貫いていた殻にぶつかって止まる。

 「悪い子はそこに入っていなさい!!」

 読子がビッと人差し指を向けると、殻がバクッと大きく開き、ポルノの体を飲み込んでいた。

 「これで良し…取りあえずは逃げよう…っと。でも…どうしよう…また新しい本もらえるかしら…?

 でも、あれだけ貴重な本…読んであげることが出来なかったなんて…」

 殻の中から、ドンドンと暴れる音が聞こえるが、しばらくは抜け出せるはずがない。

 読子は、悪魔を出し抜いたことで怒りを治め、悲しみに浸っていた。

 地面に散らばった紙を拾い集め、そこに書かれている文字を読んで、辛うじて自分を慰める。

 「焚書で焼かれたこの世に存在しない本なんて…もう絶対に読めないのにぃ〜!!

 あら?あらあら?この子…もしかして…やっぱり・・・他にもないかしら…?」

 読子が手にした紙束から、同じ本の残骸をピックアップする作業に夢中になっていた。

 BGMは、殻の中で暴れる悪魔のドンドンという鈍い音。

 しかし、ある瞬間、それが止んだことに読子は気づかなかった。

 一人でブツブツと呟きながら、書いてある文字を読み、自分の世界に浸っていた。

 ポルノを閉じ込めた紙の殻に、あり得ない物が現れたことにも当然気がつくこともない。

 それまで幾つかの穴しかなかった殻の表面に、金属の筋が現れた。ジッパーである。

 スッと静かに、滑るようにジッパーは開き、ポルノの体を再び外部に解き放った。

 「紙の中から抜け出せるのは、何も紙使いだけじゃないわ…」

 その声に、読書に集中していた読子の意識が、再び戦闘に引き戻される。

 手にした紙束の中の一枚を指に挟み、ヒュッと振り向き様に投げ放つ。

 「ジッパーで異空間と、この次元をリンクさせる能力…」

 ポルノは、自分が出てきた紙の殻から、一枚の紙をビッと剥ぎ取ると、指先でピンッと弾いて、顔の前に持ち上げる。

 ポルノは、読子のような紙の加護は受けておらず、また、手にした紙もすでに硬度を失っている。

 それが、顔に飛来する紙の刃を防ぐことにはなりはしない。

 読子が放った紙は、そんなポルノの行動を嘲笑うように真っ直ぐに、ポルノの前に立ちはだかる紙に突き刺さり、

 そしてその姿を消していた。

 「以前とは比べ物にならないけど…こんな形なら、まだ使うことができるの…」

 ポルノの手にした紙は、あまりにも不自然にジッパーが口を開いていた。

 ゆっくりとどけられた紙の後ろには、傷一つなく、何ら損なわれることのない美貌が健在である。

 紙の刃は、ポルノの元に届くこともなく、隔てられた紙に飲み込まれていた。

 読子の目に、今まで以上の緊張が走る。もう、小細工は通用しない。

 「だから、こんなことも…ね…」

 読子の目を見たポルノが、素早く屈むと何もない地面を拳で殴りつけた。

 一瞬の後、ポルノの体はスルスルと地面に飲み込まれるように消えていた。

 更に、一瞬に満たない時間の後、紙の殻の表面が無数の紙飛行機と化して、ポルノが立っていた場所を貫く。

 つい数瞬前まで地面に立っていた美女の姿は、今はどこにもない。

 恐らく、本の中から現れたのも、この力を使ったのだろう。

 ただ、不気味な気配に、彼女が確実に敵意を持って読子を狙っていることだけが、痛いほどに分かる。

 彼女の言葉が本当で、見た通りなら、地面に潜ったことになる。

 だが、だとしたら、どこから攻めてくるのか?

 そんな自由な行動範囲が可能なら、どこから来るかは予測など出来ない。

 ギュッとしっかりと紙束を掴んだ読子の周りを、ポルノを射抜きそこなった紙飛行機が守るように滞空する。

 普段ならオロオロしてしまう読子だが、今だけは違う。

 命の危機すら当然の、過酷で危険な任務の時と同じ、一瞬の油断も迷いも許されない。

 何秒も経たない時間が、永遠のように感じられた次の瞬間、読子の足元から殺気が迸る。

 読子が反応し、飛び退く前に紙飛行機の一部が、地面に向ってその身を投げる。

 しかし、殺気を漂わせる足元には、ポルノの姿はない。

 紙飛行機がいくら威力があっても、地面に潜るまでの威力があるはずもなく、深く地面に突き刺さって止まる。

 殺気は消えることはなく、ポルノが健在であることが容易に分かる。

 すると、地面から彼女の手がヌッと生え、小馬鹿にしたように人差し指を左右に振り、軽く握った拳で地面を何度かノックした。

 地面にジッパーが走り、大きくゆっくりと開いた裂け目が口を閉じると、紙飛行機は飲み込まれていった。

 身を守る紙の数は減り、読子に圧し掛かるプレッシャーは徐々に大きくなっていく。

 手にした紙束を握る手に力が入る。今の彼女に唯一の安らぎを与えるのは、手の中の彼らだけだ。

 次の瞬間、読子の背後に爆発的な殺気が現れる。

 同時に、地面が吹き飛び、中から究極的なプロポーションの影が大木を背に見え隠れする。

 宙を舞う土塊の幕の内側から、再び凶悪な触手が読子目掛けて放たれる。

 「さっきからコソコソと…正々堂々としなさぁい!」

 滞空していた紙が幾重にも重なり、その身を盾にして触手の突撃を阻む。

 大部分の触手は、盾となった紙に止められ、生き残った触手も、読子は回避する。

 盾にならなかった紙は、その身を読子の手に委ね、ポルノに向って投じられる。

 読子の意志を乗せた紙は、一枚の鋭く強靭な刃と化し、ポルノに向って真っ直ぐに突き進む。

 土塊を切り裂き、触手を放ったことで隙が生じたポルノは、左右に飛び退くこともできない。

 樹を背にしたポルノには、後退することはできない。いや、できないはずだった。

 「正々堂々?悪魔に言う台詞?」

 ポルノが握った拳を樹の幹に叩きつけると、その姿は樹に飲み込まれて消えていた。

 「あん!またですかぁっ!!」

 再び姿を消したポルノを見て、読子が悔しそうな声を上げる。

 放った紙の刃は、目標を断つこともなく、ザスッと重い音を立て、樹表に突き刺さる。

 「そう…また…でも、これが最後にしたいものだわ…」

 ポルノの気配を探っていた読子の足元が突然割れ、低い声と共に現れた手が読子の足首をしっかりと掴む。

 「え…!?ひゃあぁ!?」

 読子が、自分の足に違和感を感じた瞬間、一瞬で読子の視界に映る光景が一変していた。

 視界には、ポルノの脚。仰ぎ見る空はなくなり、代わりに地面が頭上にあった。

 要するに、読子はポルノに足を掴まれ、逆さまに吊るされていた。

 長い髪は、土で汚れ、眼鏡は危うく外れそうになる。

 それどころか、無駄に長いコートは重力にしたがってまくれ上がる。スカートも同様に。

 やっと視線が捕えたポルノの顔は、冷淡で酷薄で、何の哀れみも持たない冷たい瞳で読子を見下ろしている。

 普通なら、それで全てを諦めてしまうだろう。しかし、彼女は違う。

 「わわ!?スカートが…っ!もう!離してくださぁい!」

 間延びした声で注意を引きつつ、ジタバタと足掻いてみせる。

 そして、一瞬の隙を突き、地面に刺さっていたクシャクシャの紙を掴むと、逆さまの状態でポルノに向って放つ。

 同時に、投げた手でコートとスカートを押さえ、視界を確保し、同時に羞恥から立ち直る。

 その一瞬の間、一方のポルノは、自分に向って放たれた紙への対応を迫られていた。

 叩き落とすには、力を集める時間が足りない。避けるには、読子を離さなければならない。

 一瞬の思考の末、選んだ行動。それは、自分の体を指でなぞり、ジッパーを作り出すことだった。

 小さく口を開けたジッパーは、弾丸と化した紙をスッと飲み込み、そして消えてしまった。

 飲み込まれた紙がどこに行ったかは、ポルノ自身、分からない。確実なのは、攻撃を凌げたということ。

 「ふ…ふふふ…残念ね…」

 失敗したことで、引き攣った、乾いた笑みを浮かべている読子に薄く微笑みながら、ポルノが手を動かす。

 「さあ、どう殺してあげようかしら…?

 触手で絞め殺されたい?それとも、串刺し?この手で引き裂いてあげようか?」

 読子の足を寄り高く持ち上げ、できるだけ視線が合うようにしながら、ポルノが尋ねる。

 「あのぉ…平和的な解決…というのはないんでしょうかぁ…?」

 精一杯、穏やかな笑顔で読子がポルノに問い掛ける。

 「平和…?そうね…一番平和な死に方は…生きたまま異次元に送ることかしらね?」

 スッと手を動かし、読子のコートに次元の裂け目を作り出そうとする。

 「私としてはぁ…あなたが降伏してくれるのが、一番平和だと思うんですけど…ね!」

 読子は押さえていたコートの裾を蹴り上げ、ポルノの視界を隠す。

 読子の手には、切り札のように握られていた紙束。

 しかし、ポルノにしてみれば、その程度の枚数は、この状況では軽傷の危険でしかなかった。

 例え切られようが、悪魔である彼女は、容易く死ぬことはないし、攻撃された瞬間さえ耐えてしまえば、

 次の瞬間には、読子を肉塊に変えることも容易である。彼女は、悪魔なのだから。

 コートに触れていた手に魔力を集め、読子の体に打ち込むだけ。それで決着のはずだった。

 だが、その一撃が放たれることはなかった。体が動かない。

 読子の足首を掴んだ手は、獲物を離してしまい、ドサッという音と共に読子の体が地面に落ちる。

 拳を振るどころではない。指一本動かすことも叶わない。

 「な…にを…したぁッ!?」

 それだけではなかった。動かない体が苦痛に蝕まれる。

 その感覚は、"聖"という属性の力をその身に受けたと物と同じである。

 何とか動く顔を半ば無理矢理、自分の体に向けてみる。

 視線の先には、巨大な自分の乳房が下半身を隠すようにそびえていた。

 そして、そのいただきの頂点。ほとんど剥き出しの乳房に、一枚の紙が張り付いている。

 「あなたがオイタをした子の中に…こんな物があったんです♪」

 ポンポンと汚れを払いながら起き上がった読子が、身動きが出来ないポルノの顔に、手にした紙束を突きつける。

 「な…?う…ううぅぅ…」

 苦痛に歪んだポルノの美貌が、紙束を近づけただけで、更に苦しそうに歪む。

 「焚書で焼かれた聖書…それも、かなり古い時代の…"力"を持った頃の作品です。

 残念ながら、内容を知るまでの枚数はないんですけど…悪魔さんを降参させるなら十分ですね。」

 たった一枚の聖書の一部でも、読子の力を借りれば、恐ろしい潜在能力を解放する。

 人間相手には、何の効果もなかっただろう。彼女が悪魔であることが、最大の弱点と化していた。

 肉体の外部からの刺すような痛み、内部からの焼け付くような痛み、神経に感じる刻まれるような痛み、

 血液が逆流するような悪寒、内蔵と脳が揺さぶられるような吐き気。

 それらが同時にポルノの体を蝕む。

 直接傷を負うわけでなく、ダメージがあるわけでもない。ただ痛みが襲い掛かる。

 動けない体に、たったそれだけが訪れることが、これほどの苦痛だと思えなかった。

 もがくことも出来ず、耐えがたい苦痛に晒されるポルノを、読子はじっと見つめていた。

 「降参してください。そして、本に謝ってください。」

 死すら覚悟するポルノに、読子の提案は意外すぎた。

 「降参?ふふふ…そんな事をするわけがないだろう。さっさと殺せ…」

 ポルノは、青ざめ、歪んだ顔で悪意に満ちた笑みを浮かべる。

 もし、彼女が力を失っていなければ、それだけで呪い殺すことも可能だっただろう。

 このような無様な敗北と情は、身に降りかかる苦痛より耐えがたいものだった。

 読子は無言のうちに、ポルノの衣服(といっても、ほとんど体を隠す機能はないが)を探り始める。

 「…私は…誰も殺したくなんてありません…

 …コインを奪ってしまえば、あなたは失格になります…

 こんな大会ですから、どうなるかは分かりませんけど…死んでしまうことはないはずです…」

 読子の辛そうな表情を見ながら、ポルノは歪んだ笑みを浮かべ続ける。

 「貴様…貴様…くそっ!…くっ…ふふ…あははは…!末路を知りながら、敗者にそれを強いるか…

 そんなに人の良さそうな顔をして、他人を犠牲にするのは何のため?自分が生き残るため?自分の望みをかなえるため?

 いや…違うわ…貴様の瞳…見たことがある……地獄でね…そう、その瞳は…愛する者を自ら殺めた者のソレだ…

 なるほどね…トロそうな顔をしてはいるが…貴様も十分に悪魔の素質があるよ…

 だけどね…悪魔は私の方だ…人間を騙し、誘い、堕とし、喰らう者…」

 全身を焦がす苦痛のオンパレードの中で、哄笑するポルノに対し、無言で作業を続ける。

 ポルノの発言通り、読子は愛する者を自らの手にかけた苦しみを背負っている。

 この大会に参加したのは、失った愛する者を文字通り甦らせるためである。

 そのために、読子は同情を殺し、淡々とメダルを探す。

 ポルノの服を脱がし、同性でも目を奪われるほどの肉体を外気に晒す。

 身動きできない状態で、同性にとは言え裸身に剥かれるなど、屈辱以外の何者でもない。

 だが、読子は淡々とポルノの体を調べていく。

 「…探し物は見つかった?女が隠す所と言えば…限られているんじゃない…?」

 あくまでもからかうようなポルノの発言に、読子の押し殺した同情が苛立ちに摩り替わる。

 瞳に殺意すら浮かべ、ポルノの瞳を真っ直ぐに睨む。

 「…どこに隠したんですか…?」

 「言うと思う?私を殺すつもりもないくせに?

 ふふふ…まあいいさ…教えてあげる…こ・こ・よ…」

 読子の目の前でポルノの形の良い唇がほころび、顎がゆっくりと開いていく。

 ツッと唾液が淫らに糸を引き、扇情的に、誘うように開けられた口の中、真っ赤な舌の上に、黄金色の輝きがあった。

 読子の目が、唾液をまとい、ぬめり輝くメダルに吸い込まれた瞬間、ポルノの瞳が三日月に歪んだ。

 鈍い音と共に、読子の体がゆっくりと崩れ落ちる。

 「な…カッ…ハッ…う…ぅ…」

 「ふふふ…あははは…アハハハハハッ!!」

 まだ身動きの出来ない状態にも関わらず、ポルノが弾けたように笑い声を上げる。

 読子は脂汗を流し、目を剥いたまま、地面に転がって腹部を押さえて丸まっていた。

 地面には、クシャクシャに丸まった紙屑が転がっている。

 読子には覚えがあった。先ほどポルノに向って放ち、そして体内に消えた紙。

 それがどういうことか、自分の腹部に炸裂していた。

 「裏切られた気分はどう?」

 「そん…な…はずは…っ!紙は私を…っ…裏切りません…っ!なんで…こんなこと…ぐっ!」

 読子のダメージは大きい。まるで鉄球を高速で打ち込まれたようなダメージに、意識が遠のいていく。

 「体にジッパーで異次元を作り、その紙を封じ込めて、ゆっっっくり時間をかけて、体内と異次元をリンクさせて、

 口から放っただけのこと。紙は異次元に入った時点で時間が止まるから、解放されたら、後は予定通り真っ直ぐに…ね。」

 読子の能力以上の、ありえない法則がポルノによって生み出されていた。

 未だに聖書の力で、魔力すら振るえないものの、自らに残された力をゆっくりと集めて利用していた。

 「これで互角…いや…意識がある以上、私の勝ちね…」

 ポルノの視線の先で、読子は意識を失っていた。

 使用者が倒れてもなお残る苦痛に顔を歪めながら、ポルノは辛勝を自嘲するように笑っていた。

 

 

 数秒後、二人の下に仮面の男が近づいてくる。

 「ポルノ選手、危ないところでしたが…判定勝ちといったところです。」

 「動きを封じられた段階で、止めないでくれたおかげで助かったわ…」

 張り付いていた忌々しい紙切れを剥がされ、ようやく苦痛から解放されたポルノが苦々しく吐き捨てた。

 「あなたが何か企んでいたことは、会場のほとんどが察知していたようです。

 ここでは、善人は生き残れません。まして、あなたは本物の悪魔ですから。」

 淡々と語る監視員に促されるまま、勝者の休息場に向うため、読子に背を向ける。

 去り際に、ダメージの具合を診断されながら、今まさに連れ去られようとしている読子をチラッと振り返る。

 「…善人すら狂気に走る…ふふふ…ここは地獄と何も変らない…」

 見るものをゾッとさせるような冷たい、そして美しすぎる笑みを浮かべ、ポルノは翼を広げて飛び去った。

 

 ―後編へ―

 


解説

 大変お待たせをいたしました。本戦の5作目になります。

 今回は、すでに完成していた本戦作品と、今回の「ポルノVS読子」があり、どちらを先に発表するのかで迷ったのですが、

 前者はイレギュラーな作品のため、後者であるこちらの作品の発表となりました。

 

 さて、今回の勝者ポルノ・ディアノですが…

 原作では、体を動かすだけで、D・S以上の魔法を発動させ、原子配列変換で何にでも変身できる始末…

 そんなキャラでは、当然優勝はおろか、世界征服も容易いと判断し、無理矢理弱体化してもらいました。

 「ジッパー」の能力は、原作で簡単な描写があったのですが、多分、ほぼオリジナルと化しています。

 …というか、モロに『スティッキー・フィンガース』です(笑)

 さすがに、ジッパーで何でも切り刻むまではやりませんでしたが…

 「異次元」云々も、明確な定め方はしてません。

 地面に潜った時も、土の中にいたのか、異次元にいたのか…(爆)

 魔法の類なので、気にしないでいただけると助かります。

 

 読子については、キャラが掴みにくかったので、ちょっと自信がないです…

 口調なんかも、割と簡単に変化してますし…性格もコミックス1巻の覚悟の決め方から考えると、

 2巻、3巻の脆さは、いくらドニー(仮)の存在があったとしても、ちょっと納得できない点がありますし…

 最終巻である4巻まで読めば、把握できたのでしょうが…それまでお待たせするわけにも…(汗)

 …ということで、お気に召さない方がいらっしゃるかもしれませんが、ご容赦くださいませ。

 


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