空気がよどんでいる。ぼんやりと薄暗い空気のなか夏侯惇は寝台に横たわった人を見ていた。 綺麗に整った顔は血の色を有しておらず唇からはもはや吐息の一つもでない。 それでもなお彼はその人をただ見続けていた。うすい色をしたひとつの眼には何の感情も秘められていないようにみえた。 「…なあ孟徳よ」 ふいに夏侯惇は口を開いた。 「俺よりおまえが先に死ぬなんて、俺は驚いたわ。…おまえは殺しても死ぬことのないような男だったのに」 ただ、淡々と語り続ける。 もうものを言わぬ彼に向かって。 「俺は孟徳のもとにおられて幸せだった」 夏侯惇の脳裏には彼がまだ生きていた頃のことがまるで走馬灯のようにうつしだされていた。 ずっと幼い頃から、ふたりは一緒だった。 彼は年下だったけれど夏侯惇はその才を尊敬していたし、また彼は夏侯惇のことを信頼していた。 戦い、時には勝利の喜びを味わい、時には敗走し、飯を食らい、穏やかな生活を送ることもあったけれど、ふたりでいた日々は動乱に満ちていた。 彼はよく自室に夏侯惇を招いた。ときには彼とふたりで眠ることもあり、時折彼は自らを抱いた。 自分と彼の間には親愛の情を超えた感情がたしかにあった。 「でも孟徳も俺を残して死んでしまった。妙才も、みんな俺を置いて死んで行く」 夏侯惇は拳を握り締めた。爪が手のひらに食い込む。 「もちろん妙才が死んだときも俺は悲しかった。けれどまだそのときは孟徳がいたから、まだ生きれると思った」 けれどもう自らがすがるべき人はもういない。 「俺はこれからどうやって生きれば良いんだ」 亡骸からは答えがなく、ただそれはそこに横たわるだけ。 そこに横たわるのは彼ではない、ただの人の形をした抜け殻なのだ。 亡骸の耳には、夏侯惇の慟哭はもう届かないのだから。