んむぅ、何か書かなきゃあかんぽぃので一応。
8歳の小さな女の子がいました。
9月のある日。
バージニアが学校でサンタからもらうクリスマスプレゼントの話をしていた時。
クラスのいじめっ子が、バージニアに向かってこう言いました。
「サンタなんていないよ。そんなの信じてるなんて、馬鹿だなぁ。」
バージニアはそれを聞くととても悲しくなって
学校の先生に聞いてみました。
「先生、サンタクロースって本当にいるの?」
だけど、先生は答えてくれませんでした。
悲しい気持ちのまま学校から帰ったバージニアは
今度はお父さんに聞いてみました。
「ねぇ、お父さん。サンタクロースって本当にいるの?」
だけど、お父さんも答えてくれませんでした。
答えられずに困っているお父さんを見ていたバージニアは
さっきよりもっとずっと悲しくなってきました。
それに気づいたお父さんは、バージニアにこう言いました。
「バージニア。うちではサン新聞を読んでいるだろう?
サン新聞では『なんでもお答えします』と言う投書欄がある。
新聞社の人たちに聞いてみたらどうだろう。
お父さんは、サン新聞の言うことを信じるよ。」と。
それを聞いたバージニアは、早速手紙を書きました。
「記者さまへ。
あたしは8才です。
あたしの友達に『サンタなんていない』って言う子がいます。
お父さんは「サン新聞の言うことが正しいと思うよ」と言いました。
本当のことを教えてください。
サンタクロースはいるんですか?」と。
この手紙は新聞社に届き、社説を専門に書く男性の所へ送られました。
その男性は、ちょっと悩んだ末、返事を書くことにしました。
バージニアが手紙を送ってしばらくたったある日。
返答が『社説』欄に載せられました。
「バージニア、君の友達は間違っています。
えぇ、バージニア。サンタクロースはいるのです。
愛することや、人を許す心や、親切に出来る気持ちがあるのと同じように
サンタクロースを信じないと言うなら、妖精もいないのでしょうか。
クリスマスイブにお父さんに頼んで、煙突すべてを見張らせたら
この世で一番確かなことは、誰にも見えないものなのです。
芝生の上で踊る妖精を見たことはなくても、
赤ちゃんのガラガラなら、壊して音の出る仕組みを調べられます。
サンタクロースがいない?まさか!
1897年9月21日」
皆、疑い屋の病気にかかってしまっているんです。
彼らは、目に見えるものしか信じれなくなっているんでしょう。
心が狭くて、解らないことはないと言うことだ、と信じているのです。
バージニア、大人も子供も心は皆小さいものなのですよ。
この宇宙の中では、私たちなどとてもちっぽけなアリの様で
広い世界を知るには世の中すべてを理解できるような
深い知恵が必要なのですよ。
サンタクロースはいるのですよ。
サンタクロースがいないと言うことは、
君のような可愛い子供がいないくらいに寂しいことです。
子供らしい信じる心も、詩もロマンスもなくなってしまうでしょう。
私たちは、自分が見えるものや感じられるものにしか
楽しみを見出すことが出来なくなってしまうでしょう。
サンタクロースがつかまるかもしれませんよ。
だけどそのときサンタクロースがつかまらなかったとしても
それが何の証拠になるのでしょう。
サンタクロースを見た人はいないけれども、
それはサンタクロースがいないと言うことの証明にはなりません。
妖精がいないと言うことにはならないでしょう?
この世の見えないもの、見ることの出来ないものが
すべて作り事や想像したものとは限らないのですよ。
けれど、世界の目に見えないものをおおっているベールは
どんな力持ちも、開くことは出来ません。
愛や、信じる心や、人のためにつくす気持ちだけがベールを掃って
その向こうの美しさや喜びを見せてくれるのです。
それらはすべて真実のものでしょうか?
バージニア、これほど確かで、これほど変わらないものは
この世の中には、他にないのですよ。
ありがたいことにサンタクロースはちゃんといるのです。
永遠に生き続けているのですよ。
今から1000年も、いや、今から10000年の10倍も
子供たちに喜びを与え続けてくれるのですよ
だけど、今でもこの『社説』はクリスマスのシーズンになると
何処の新聞でも、採り上げるそう・・・。
ふぅ。えぇと、一応補足しますね。
05.12.24
Lonely Heartsのcosa様に贈りました。