今でこそ、忍術学園屈指の猛者と謳われる仙蔵にも、非力だった頃がある。2年前、仙蔵が4年生だった時。
新しい学年に上がったばかりの仙蔵は、胸の中に一人の人間を焼き付けることになる。
この学園内で仙蔵のことを知らぬ者はいない。それと言うのも彼の女性とは違う、少年ならではの美しさのためである。
その容貌にはまさに妖しいと言う言葉がよく似合っていた。
艶やかな漆黒の髪、凛とひかれた形の良い眉、白い肌はあでやかな色の唇を引き立たせ、切れ長の目は伏し目がちにこちらを見れば何とも言えない優艶な色気を醸し出した。
いつだったか同級生が「俺達は刀で殺すが、仙蔵は目で殺すねぇ。」と言っていたことがある。
同級生の間では一目置かれる程の技を身につけていた仙蔵であったが、それは多分に己の身を守った結果である。
血気盛んな少年達の集まるこの学園内で、年頃になれば「的」にされる。日中は皆素知らぬ顔をして健康的に走り回っているものの、陽の当たらない場所に入ればそこは弱肉強食の世界だった。
当然この見目形の良い少年は的にされ、両の指では数え切れないほど狙われた。
その度に身に降りかかる火の粉を払い落とし、障害を打ち倒していくうち、他の生徒達よりも強くなっていった。
おかげでここ一年ほど同級生の中で彼にちょっかいを出す者は居なくなっていた。しかし相手が上級生となると話は別である。
仙蔵よりも高度の技術を身につけ、知識も腕力も経験もある。どんぐりの背比べをやっている程度の上級生連中ならば、今の仙蔵には危険な敵ではない。だが技量の抜きん出た奴は仙蔵にとって抗える相手だろうか?
仙蔵は以前から感じ取っていた視線がある。
顔に張り付く蜘蛛の巣の糸のように柔らかく絡みつき、身体の動きを一瞬止められてしまうような視線。この1・2週間でより一層強くなって来ていた。
今までの経験上、仙蔵はなるべく一人にならないように心がけていた。
「伊作、飯か?一緒に行こう。」
「小平太、お使い付き合ってくれないか。」
「もんじ、背中流してやるよ。」
食堂へ行く途中、学園長室へ行くとき、風呂にはいるときも常に親しい友人と一緒にいた。授業中はいいが休み時間、放課後はいつも気を張っていなければならない。
自室に居ても一人の時は気が抜けない。もういい加減神経は疲れ、気も緩んできた。
そんな頃、係を受け持っていた武器庫の在庫調べを言いつけられた。
武器庫は学園内の誰の目でも届く場所にあるが、保管してある武器を敵から守るために壁は厚く、扉は重い堅固な造りをしており、明かり取りの窓は高い位置に一つだけで中は薄暗かった。
「ふぅ、もう暗くなってきたというのにまだ終わらない。」
そろそろ日も沈みかけて薄暗い部屋はますます暗くなってきている。武器の数は多量にあり、今日一日では終わりそうになかった。
「残りは明日に…」
そう言いかけて入り口の方を振り向いたときである。誰かが引き戸に手をかけて立っていた。
「よう、立花。ご苦労だな。在庫調べか?」
逆光で顔はよく見えないが、その大きな体格は見覚えがある。確か6年生の…、
「この前せっかく文を書いたのに、来てくれなかったじゃないか。俺は待ってたんだぜ。」
口元はニヤリと笑うが目は笑っていないのが見て取れた。仙蔵は危険を感じ目で逃げ道を探すが、たった一つの出口は彼によって塞がれている。
「確か待ち合わせ場所は…」
鋭い眼がギラリと仙蔵を見据える。
「ココだったな。」
重い引き戸が閉じられた。
相手がついと一歩前に出る。仙蔵は気押されて一歩引く。
「断りの手紙は出したはずです。」
「届いてないな。」
『コイツは6年生の中でもかなりの強者だ。まともにぶつかり合っては勝てない。』
そう判断した仙蔵は一撃の賭に出た。
体を低くし、持ち前の瞬発力で相手の懐に入り鳩尾を付く。しかし読まれていたかのようにあっさりと透かされ、足下を払われて倒れ込み取り押さえられた。力の差をまざまざと見せつけられる。
「離せ!このバカ!」
仙蔵は怒鳴って相手の頬を目がけ拳を放つ。が、その手もとらえられ床に押さえつけられる。
「上級生に対して口の悪いことだ。」
そのまま唇で唇をふさがれてしまう。
その間にも腰紐はするすると解かれ白い胸が露わになる。仙蔵は涙が出てきた。
怖いのではなく、力の無い非力な自分、他人に汚されてしまう自分に腹が立って情けなくて涙があふれ出してきた。
誰かの視線で、誰かの頭の中で自分は犯され汚されている。
『何故いつも私なんだ?何故私を奪おうとする?身体は私のモノなのに!』
その刹那である。仙蔵の瞳に反射した一筋の光を相手は見逃さず首だけで振り向いた。
そこにあったのは忍刀。寸分の狂いなく頸動脈にぴたりと当てられている。
「合意の上でのことなら無礼を詫びる。しかしそうでないならば…」
静かに響く低い声は明らかに怒気をはらんでいる。
「合意じゃない!」
否定する仙蔵の鋭い声。
その瞬間、仙蔵を押さえつけていた相手は踵を蹴り上げざまに体を起こし、刀を向ける人間の鳩尾を狙い拳をたたき込む。
声の主は後ろに引きそれを交わすと脇腹から横一文字に刀を入れた。相手はぐっ…と一言だけうめいてその場に倒れた。
一瞬の出来事に仙蔵は瞬きをする間もなかった。
「切…、殺したのか?中在家…」
「峰打ちだ。」
「そう。」
「・・・・。」
ほぅっ、と安堵のため息を付く仙蔵の横で、長次は唐突に倒した相手の着物を剥ぎ始めた。
「…何すんのさ…。」
仙蔵は形の良い眉をひそめて長次に尋ねた。
「コイツ、真っ裸で表の木に吊す。」
無表情のまま平然と答える。
自分の知る中在家は人を寄せ付けず無口で何事に於いても無関心、そんな性格だと思っていた人物が突拍子もないことを含み笑いも漏らさず憮然と言ってのけるさまが仙蔵にはとてもおかしくて、しばらく間を置き笑い出してしまった。
「君がっ、君がそんなこと言うなんて思いも寄らなかったよ。ちょっ・ちょっと待ってて!このテの分野の専門家を呼んでくる!」
仙蔵が走っていこうとするのを長次は片手で制した。
「服は着て行け。」
目線は宙に遣ってつぶやいた。暗い室内では仙蔵の白い胸だけが妙に浮き立って見えた。
「えっ・ああ!」
真っ裸にして木に吊すと言う予想外の言葉に、脱がされた服のことは忘れていた。慌てて袖を通し前を合わせ直す。
長次に指摘されたことで赤面してしまった自分、それを隠すようにもして走っていった。
間も置かずにドヤドヤと騒がしい連中がやってきた。6年生を担いだ長次を見るが早いか、
「おっ!アレか仙蔵!よっしゃぁ、まっかしとけぃ!」
「もんじ!飾り付け担当は俺だろうが!」
「小平太、伊作にはバレてないだろうね。気づかれたら止めが入っちゃうよ。」
それぞれ口にしながら賑やかにやって来る。役割分担はもう出来ているらしく、小平太と文次郎は長次の肩から気を失っている6年生を奪い取ると二人で担ぎ挙げ、意気揚々と「吊しの木」まで駈けていった。
それぞれ手には縄と墨と筆、それに「おしをきセット」と書かれた風呂敷包みも持たれていた。
「行こう、中在家。あいつらにまかせときゃ今学期最高の見せ物が出来上がるよ。」
にこりと微笑んで長次の手を取る。
思わず、長次は仙蔵の目に見入ってしまった。長次の目を見た仙蔵は何かに気が付いた様子だが、また綺麗に微笑み、素知らぬ振りで長次の手を引き、先に駈けていった友を二人で追いかけた。
翌朝早く、校庭にある大きな銀杏の木に吊された笑いと哀愁を誘う最上級生が発見された。
おもしろ半分で集まってくる人混みに紛れて得意満面の小平太と文次郎、クスクス笑う仙蔵、その横には相変わらず無表情の長次もいた。長次は吊された6年生を見て怪訝そうに仙蔵に尋ねた。
「夕べより飾り増えてないか?」
「多分ね。あの二人がアレだけで済ますハズがないよ。」
仙蔵は楽しそうに微笑んでいる。
人混みを離れ長屋に戻ろうとしていた長次を追いかけ、仙蔵は尋ねた。
「ねぇ、中在家・・・聞いてもいいかい?」
「・・・・・。」
長次の目線が仙蔵に降りる。
仙蔵は横目で長次を見上げる。
「あの視線・・・。君だったんだね。」
「・・・・・。」
長次は無表情のまま答えない。
「ねぇ、中在家・・・。武器庫での君、とてもステキだったよ。」
「・・・・・。」
仙蔵の微笑みは朝日と重なってとてもまぶしく見える。
「中在家・・・。これからは長次って呼んでいいかい。」
「・・・・・。」
仙蔵は長次の腕にするりと手を回す。
「長次。君は面には表情を出さないようだけど・・・。」
「・・・・・。」
仙蔵は長次の耳元に口を寄せる。
「君の耳って、表情が隠せないんだね。」
「・・・・・。」
「ねぇ・・・、長次。」
またにこりと微笑んだ。
…fin…
2001/2
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