少女が一人、立っていた。
薄く軽やかな衣に身を包みたたずむ姿は、子供らしさの残る表情と対照的である。
それは、影も長く伸びる夕暮れ時の事だった。
紗夢は道端に立つ少女に目を止めた。
歳は幼いのだろうが、どこか達観しているような、不思議な空気を持った少女である。
どこかで感じた雰囲気に覚えが有るのだが、どうも思い出せない。
その少女の視線を追うと、向こうから駆けてくる男に気付いた。
頭1つとび出すその大柄な身体は、人混みの中でも目立つ。
厄介な奴に出くわしてしまった。
普段とは雰囲気の違う、上品な浅黄色の衣服に見を包むその男を呼び止める。
「チョト、闇慈」
店に日本人のことをかぎまわっていた連中が来ていた事を思い出す。
この国で一騒動起こされては自分にも火の粉が降りかかりかねない。
頭が重くなる。
また自分が、何も見ていないとしらを切り通さなければいけないのだろうか。
「話ガ」
「悪ぃ、その話また今度!」
言い放ち、闇慈が目前の少女の手を取り駆け出した。
「待ッ、」
反射的に走り、追いかける。
二人の姿を見失い、曲がり角の先の光景に紗夢は言葉を失った。
その先の宿場街では、一夜の営みを目的とした安宿が、夕闇に軒を連ねていた。
「アンタ最低」
「はぁ?」
翌日店に訪れた闇慈は、突然の罵りに目を白黒させた。
「あな小さナ子」
その後を言いよどむ姿に、何かを悟る。
金や料理の事、そして自身に関わる問題なら、怒鳴りつけてくるはずだ。
「あぁ。その、何だ」
「ウルサイ女の敵」
冷ややかにぶつけられるのは、他人の尊厳を守るための怒りである。
どうも面倒な事になっているらしい。
ここで説明しても引き下がる事は無いだろう、と闇慈が肩をすくめる。
「厄介だねぇ、女の嫉妬ってぇのは」
「誰ガ!?」
声を荒げた紗夢がはっと我に返った。
全身で動揺を表す姿に、目の前の男は笑いをこらえている。
「哀れなダケ。あの子ガ」
「機嫌直せって。美味い物食わせてやるから」
「食べ物に釣られるカ」
素早く背を向け、紗夢は貯蔵室に足を踏み入れる。
「とにかく今日定休日なんだろ?」
「仕込み。これカラ」
「片づいたら店の裏」
軽い調子の声と遠ざかる足音が耳に入る。
見ずとも目に浮かぶ、扇子をひらひらさせている姿が。
「ナラ手伝ってくネ、馬鹿!」
紗夢は根菜の詰まった麻袋をテーブルの上に叩きつけた。
「期待してねぇのかと思えば」
店の裏口に座り込んでいた闇慈が、口笛を軽く鳴らした。
物珍しそうに見ていると、にらみ返される。
華やかにまとめ直された髪と、すそ広がりに柔らかな曲線を描く衣服が揺れる。
「料理人へノ礼儀ヨ」
紗夢が吐き捨てた。
この男は本当に自分の立場がわかっているのだろうか。
紗夢は昨日の、追われるかのような闇慈の様子を思い出す。
今は緊張感のかけらも無く、のんびりと足を進めている。
詳細は不明だが、この男はお尋ね者らしい、と言うことだけは紗夢にも分かる。
どうせどこかで派手に物でも壊してきたところだろうが。
「またく」
背後からつけて来る気配に呆れ、紗夢がため息をつく。
店を出てからずっと、しかも複数だ。
「ナニしでかしたカお前」
「賞金でもかけられたかね?」
問題の、宿が軒を連ねる通りに差し掛かった。
昨日闇慈達が姿をくらませた辺りである。
「振り返んなよ」
小声で闇慈が耳打ちし、走り出した。
駆け込んだ先はほとんど光が差し込まず、薄暗かった。
野良猫くらいしか知らぬのではないか、と言うほどの細い細い小路だ。
紗夢がいぶかしげに闇慈を見る。
「ドコへ?ここカラ」
舗装もされておらず、動くたびに砂ぼこりが舞い上がる。
行き止まりのそこに、建物の隙間から夕日が差し込み、地面を射抜く。
「日本人街って所までね」
闇慈が開いた扇に、差し込む一筋の光を受ける。
軽く扇を振ると、青白い光がこぼれ落ちた。
それは蝶に形を変え、そして上下に揺れながら地面を目指す。
「この国での、な」
溶け込むように蝶が地に沈むと、辺りに光が満ちた。
ねじ曲がる空間に目の前の風景が歪む。
耳の奥に高い音波が終わるとも無く響き、そして薄れてゆく。
おそるおそる紗夢が目を開けると、辺りの様子は一変していた。
異質な光景に周りを見回す。
通りに面して整然と木造の建物が建ち並ぶ様は、見た事も無い光景だった。
細い木を何本も並べた上品な格子が、低い建物の前面を覆う。
オレンジがかった光が、その隙間からほのかに漏れていた。
「コロニーを抜け出した奴等の街だ」
頭上に広がる空の色も、中国のそれとはどこかが違う。
どうやら結界の内部らしい。
「こな、トコロガ、……」
紗夢が背後を振り返ると、青白く光る蝶がふわりと風に落ち、石畳に吸い込まれる。
そしてまたそこに、整然と同じ光景が広がっていた。
「俺達も動き回る時に拠点にしてるんだがね」
この日本人街とやらは、世界各地に点在しているのだと、闇慈が言った。
自由を求め統制を嫌った者達が、細々と、しかし力強く日々を営んでいるのだと。
しばらく歩いた先に、軒先に小菊があしらわれた建物が見えた。
からからと小気味よい音を立てて引き戸を開ける。
中から現れた女性は、闇慈を見ると静かに笑みを浮かべ、奥へと招き入れる。
「こいつも」
闇慈が隣に目配せをする。
何か反論しようとして、紗夢はすぐその視線をまた正面に向けた。
どうやら気安く会話を交わすような雰囲気では無いと悟る。
紗夢の目前には、深い朱の砂壁が広がっていた。
その前の床には板が貼られ、不思議な動線を描いて花が生けられている。
何故自分はこんな場所に座っているのだろうか。
しかも見知らぬ者達の中で。
紗夢は目の端で周りの女達を盗み見た。
ゆったりとした衣服を幅の広い帯で絞めている者もいれば、
身体の線がはっきり出る大陸の衣服に身を包む者もいる。
東洋系の顔立ちは、自分と同じ人種にも見えた。
闇慈は何の為に自分をここに連れて来たのだろうか。
それより、あの男は今どこにいるのか。
前菜、汁椀、生魚、煮物、焼き物、と順に料理が運ばれる。
差し出された見慣れぬ食材に、紗夢は用心深く口をつける。
器は柱と同じ黒漆で塗られ、鈍い金色の文様が彩りを添えていた。
単純な素材ながら深く立ち込める香りは、明らかに中国の料理とは違う。
丁寧に調味されていると言った所か。
談笑するでもなく、まさに純粋に味わうだけの食事というのも、奇妙な物だ。
見慣れた男が現れた。
胡弓の震える弦が、哀愁に満ちた音を奏でる。
重力を感じさせぬ舞の動きが、張り詰める空気に弧を描く。
扇が風を切る。
普段の扇とは違い、そこには華やかな花鳥の絵が描かれている。
時に鋭く、時に柔らかく、ゆるやかに。
艶の有る流れるような仕草には、男女を問わずはっと惹かれる物が有った。
一点を凝視するでも無く、その視線はいずこを向くとも分からない。
緩急の付いた動きを追いかけて、ゆったりとした衣服が揺れる。
どこか懐かしく、暖かみのある鼓の音が拍子を取る。
女達が目を細め、自らの生まれた地に想いを馳せた。
白磁に鮮やかな緑色の茶が、膳の手元に汲まれた。
細工の施された生菓子を盆に乗せ、差し出すその手はひどく華奢である。
ふとその手からその顔に視線を滑らせ、紗夢は我が目を疑った。
それは、昨日闇慈の手を引き、駈けて行ったあの少女だった。
日はとっぷりと暮れ、空は紺を含んだ闇に覆われていた。
人気の無い石畳の路に二人分の足音が響く。
片方は小刻みに、もう片方はゆっくりと。
「何故早く言わなかたカ?本当のコト」
「どうせ自分の目で見ないと納得しねぇだろ、お前さん」
しばらくしのいでいけそうなほどの礼金を手に、闇慈が答えた。
コロニーでの統制された生活を嫌い、祖国を捨て流浪の民となった者達。
それは闇慈だけでは無いようだ。
自由の果てに得た小さな安息は、いつ消えるとも分からないのだと言う。
夜風に乗って、どこからか茶と香の混じる匂いが流れてきた。
軽く残る肌寒さに芽吹きの季節はまだ遠いと感じさせられる。
紗夢にとって、この生活感の無い男がどこから金を工面してくるのかが不思議だった。
「怪シイ肉体労働でもしてるのカト」
呆れたように言う紗夢に、闇慈が苦笑いを浮かべる。
「おいおい、見損なわないでくれねぇかね」
闇慈の手の中から、青味を帯びた光が消えた。
糸が切れたかのように、澄んだ空気に雑多な人の気配が混じる。
広がる石畳はそこには無く、土ほこりの上がる薄暗い小路が目の前に現れた。
軒を連ねる安宿の白々とした光が、細く差し込む。
「俺は舞い手だぜ?」
私達の世界のチャイナタウン→GG世界での日本人街の存在、と言う私的設定なSS。
有ってもおかしく無いんじゃないかなあ。
それと紗夢が怒るのっていつだろう?と言ってた事から。
お金や物は稼げば済むし、料理は自信満々だろうから何言われても「それデ?」で完。
「他の」女の子のプライドを傷つける事には意外に敏感かも、と。礼節は踏まえてそうだし。
実際に茶屋入ってこれたら良かったんですが、あこ、顔パスオンリーで……。
(常連客が紹介した人以外の新規客は入れない)代わりに日本舞踊の経験者の方のサイト漁らせて頂きました。
そして写真は「臥竜」と言う、昇り行く竜をイメージした階段だそうです。
イメージ直撃に感激。→
素材提供:天の欠片様
2004/03/24