ヒューズが改札を出ると、その男は軍の公用車を背に立って いた。 かなり上背があるので、立ち姿が見栄えする。 それが第一印象だった。 Welcome to the East, five-star General Hughes! 片手でふざけたイタリックの文字のならんだスケッチブックを 抱えた、くわえ煙草の少尉はもう片方の手できっちりと敬礼の 姿勢を取る。視線が合った。 「ヒューズ中佐でいらっしゃいますね? はじめてお目にかか りますジャン.ハボック少尉であります。お迎えにまいりました」 風にそよぐ金髪の色素は薄く、タイトにセットしていないせい か、手触りがやわらかそうだ。 髪と同じように淡い色の眼球をつつむ瞳は、ものすごい垂れ 目で、長身でがっしりとした体格がかもし出す無骨さをうま く中和している。 噂に聞くより、随分とバランスの取れた人物のようだった。 窓辺のケルベロス ジャン.ハボックの噂は知っていた。 風の噂曰く、とんでもない少尉である(らしい)。 その噂は、以下の内容だ。 上司の前でもくわえ煙草をやめないハボックに、当時の上司は 最終通告を突きつけた。 「君は大総統がいらしゃっても、タバコを離さない気かね?」 「いえ」 ハボックは(やはりその口元にタバコをくわえながら)、けろり と言ったそうな。 「だって、大総統はそうさせるだけの威厳をお持ちですから」 その場の空気は一気に凍ったことは推して知るべし。 それからいろいろな司令部のさまざまな部署をたらいまわし。 人事部泣かせの少尉として、中央でも悪名高い。 それが、ジャン・ハボック少尉だ。 本意は出世を意識せず、こまごまとした仕事もするらしいので、 対照的にどこにいても部下の評判はめっぽういい。 そのアンバランスさが面白くて、ヒューズの記憶に残っていた のだ。 軍人に向かない奴なんだろうな。そう思った。 その少尉が今度は上司のご令嬢と駆け落ちを企て、失敗したらし い。 その評判を聞いて笑っていたヒューズだったが、そうもいかなく なったのは、ハボックの配属先がニューオープティンからイース トシティへ変わったのを知ったときだ。 偏見を持つ気は無い。むしろ興味深い。気は合うんじゃないか、 とも。 しかし、ロイの足でまといになるような馬鹿犬に彼の身辺をうろ つかれのは困るのだ。 「おい大丈夫なのか?」 口慣らしに娘自慢をしたあと、ヒューズは電話口で声をひそめた。 『なにがだ?』 「お前のところの、新しい犬だよ」 『ああ、ハボック少尉のことか?」 「そうだよ。どんなやつだ?」 『仕事はできる。人当たりもいい。タバコをはなさんことだけは噂 通りだな。なんでも、「もう自分の命の一部」らしい』 「お前はどう見る?」 ロイは少し考えた後、こう言った。 『そうだな。天然の分、私やお前よりやり手かもしれん。私たちは むしろタバコに感謝すべきなのだろうと思うこともある。もっとも 本人には秘密だがな』 今日は中央から来客があるらしい。しかも面識のない自分がひとり で迎えに行くのだ。 「ヒューズ中佐、ですか?」 どこかで聞き覚えのある名前だが、思い出せない。ハボックは頭を ひねりつつ、周囲のものにたずねた。 「軍法会議所につとめてらっしゃる大佐のご友人です」 ファルマンは書類から目を上げず、答えた。 「軍法会議所所属の方ですか。俺、迎えに行くんっすよね? どん な方ですか?」 「切れ者よ」 この人にこう言わせるなんて。ハボックはホークアイの即答に、剃 刀のようなするどい眼光の男を思い浮かべる。 「でもやさしくて楽しいひとですよ。ムードメーカーっていうんで しょうか。一緒にいると元気をくれる方です」 手元でなにやら工具をいじっている(多分ほかの部署に頼まれて何か を修繕しているのだろう)フュリーの率直な感想に、見た目はほがら で仕事がえきる男、とハボックの中でイメージが修正された。 「娘の自慢しかできない、髭づらの30男だ。見ればすぐわかる。めがね が哀愁を誘う平凡な奴が軍服を着ている」 扉をあけながらハボックの膨らませたイメージを蹴り崩したのは、ロイ・ マスタングだ。珍しく片手に書類を携えている。 「中尉。これが予算の改善案だ。清書後まわしておいてくれ」 「はい。しかし大佐。中佐は結構目鼻立ちはととのってらっしゃいます よ」 突き出された書類を両手で受け取りながら、ホークアイがたしなめた。 「言われてみれば、確かに」 「そうですね、まつげも長いですな」 「そうそう、案外それがコンプレックスゆえの髭かもな」 太い指でかろやかにタイプを打つ手は止めず、ブレダはうなづく。 「あの、俺、さっぱりわかんないんっすけど」 「だったらこれでも持っていけ」 手渡されたのいはスケッチブックだった。綺麗なイタリックでか かれた言葉がならんでいる。色は緑。 「上官命令だ」 そのからかいの言葉を見て、ハボックは片目をつぶる。 「マスタング大佐。こんなもの書いている暇があったら仕事して ください」 ロイ以外のその場全員の気持ちを代弁するホークアイだった。 改札をでてきたマース.ヒューズ氏は、当たり前だが普通の人だっ た。 ハボックにとって一番印象的だったのは、月並みに半分淵なしのデ ザインの眼鏡と髭。 敬礼すると、「ご苦労さん」と人懐っこい顔で笑う。 (ああ、なるほど切れ者だ) 後部座先のドアを開いて固定しながら、ハボックは思った。 (さすが情報部。印象操作がうまい) まず目がいくのは眼鏡と髭。知性と男性性の象徴。そしてあかるく笑 う。ロイ.マスタングのように、誰の目をも奪うハンサムではないが、 気さくな男。どこにいても不思議は無い平凡な姿は、どこいでも溶け 込めるようにだろう。 そして2点に印象形成の材料を絞ることによって、自分の個性と存在 感ををうやむやにする。 しかし。 間近で見る横顔は穏やかなんてものじゃない。これは戦場で人を殺した ことのある目だ。デスクワーク派なんかじゃない軍人の顔だ。 虹彩が猫目石みたいな茶金色だが、瞳孔は濃い緑。 どうみても、肉食獣の目。 (とりあえず品定めはやめてもらえないかな) そんなことを思いながら後部座席のドアを閉めると、自分もまた観察 眼を働かせていることに無自覚な少尉は、運転席に乗りこんだ。 車が動き出すと、上司のご友人は、とりとめのなさそうな(それで いて情報収集にはかかせない)世間話をはじめた。 「仕事はどうだ? こっち来たばかりなんだろう?」 「はい。皆さんよくしていただいてます」 くわえ煙草を咎めない上司もはじめてだし。 信号が赤に変わる。ブレーキを踏みながら、ハボックはミラー越しに ヒューズの顔を見た。 「あの、中佐」 「ん。なんだ?」 「殺気なしに、刃物つきつけるのはやめていただけませんでしょう か?」 「なんだ。気付いてたのか」 「気付きますって、それは」 「いやいや意外に気付かない奴が多くてな。会議所の手洗いでの連れ ション中とか、みんな無防備に笑ってんぞ」 ヒューズはハボックの延髄近くに、かろうじて触れない距離でダガー を握っている。 「さっきの、怒ってらっしゃるんですか?」 「まさか。ロイだろ、あれ。で、上官命令で持たされた」 「その通り」 「それにいいんだ、あれはあれで。ロイが総統になるころは、俺あ れぐらい出世してるし。そういう意味だろうから」 確実な未来を語る声は、偽り無く静かだった。 「お前こそ、少しは怯えろよ」 「理由がありませんので」 「?」 「ここは戦場じゃない。そしてあんたが俺を殺す理由も無い。そうで しょう? 今ここで俺を殺したところで、あんたは軍法会議いき。そ してこの車のシートは全面張替え。時間も金ももったいない。ここは 穏便に収めてください、中佐」 つーか、冗談はやめてくださいよ。ハボックは咥え煙草のまま、交差 点を走る車を見た。 「冗談じゃねぇ。警告だ」 「何にたいするですか?」 ハンドルに肘をつく。ここは交差点は東部で一番待ち時間が長い交差点 なのだ。 「ロイを裏切ってもいい。でも敵には回るな」 「『裏切り』と『敵』の定義がさだかじゃないんでお答えしかねます が」 「わかりやすく言ってやる。ロイの足手まといになるなら、今すぐ消 えろ」 ヒューズは底冷えするような低い声で言った。 ただ従順な駒はいらない。 でも。 盤上をひっくりかえような危険な駒はもっと必要ないのだ。 予備のカードとしてとしてケースの底で眠る分にはいい。 しかし、綿密な計画通りに進んでいるプレイをかき回すだけのワイル ドカードなら、今ここで始末するのが、ヒューズの務め。 ピエロの切り札が必要な事態など、自分がロイのそばにいる以上招き はしない。だから要らぬカードは切り捨てるのみ。 「中佐」 ハンドルに肘をついてダガーとの距離がとれたとはいえ、いまだ射程 距離内にいる少尉は淡々と言葉をつないだ。 「俺はね、こんなに楽しいのって初めてなんです。だから裏切ったり 敵になったりなんてしません。それから、そのときは自分で死にます。 それが男ってもんでしょ」 そんなことしてもあのひとは喜ばないんで、丈夫で長持ちを目指しま すけど。 無防備な首上で金色のえりあしがゆれる。わずかに開いた助手席の窓 の隙間から入る風が、ヒューズの鼻腔にタバコの匂いを届けた。 ヒューズはわずかに眉をしかめた。甘く、青臭い香りだった。 ああ。ヒューズは呼吸をひとつして考えた。 (でもこれぐらいの犬が、ロイにはぴったりなのかもな) マイペースで飄々としているくせに、主のためなら自分に銃口を向け ることを厭わない愚かな犬。 ロイが歩んできた、そしてこれから歩む地獄を静かにあかるく照らす、 あわい金色の毛並み。つねに傍らに寄り添うケルベロス。 足元で眠る姿はロイの気持ちを和らげるだろう。 闇に囚われそうになっても、窓辺で寝そべる犬のうつくしい背中を照 らす光が自分にも降り注いでいることに気付き、ロイは微笑んで窓を 開けるかもしれない。 昼に夜に太陽の日差しを月の光ををうつす毛並みは、ただそこにあるだ けで無償の何かをロイ・マスタングの心にそそぎこむ。 そのやさしい慰めは天然のもので、打算も裏表もないのだ。犬ゆえに。 それは自分や、猛禽の目をもつあの女にはできないことだ。 ヒューズはだまってダガーをしまった。そして今度はすかさず内ポケ ットからあるものを、勢いよく差し出す。 「!」 「これ、俺の愛娘のエリシアちゃん。お近づきの印の一枚だ」 突然の展開についていけないのか、ダガーを突きつけられたときよりも 怯えた目で自分を見る犬の胸ポケットにヒューズは無理やり、愛娘の微 笑む写真を突っこむ。 「どうした? 芸術的な愛らしさに言葉も出ねぇか」 ヒューズは破顔すると、複雑な顔をしている運転手の後ろで、構わず東方 司令部の皆に配る写真を吟味し始めた。 (おいおい) そんなヒューズを背後にハボックはこころの中でため息をつく。 (しかし。愛されてんなぁ、大佐) そして、思い出した。マース.ヒューズ。彼の名前は、士官学校のトロフ ィーに巻きつくリボンで何度も見た。ダーツからナイフ投げ、その他ライ フル以外の飛び道具すべての部門で。 (おお、怖。俺勝てるの銃だけじゃん) そのとき押し付けられた写真がひらりとひざに落ちる。 へちゃむくれ顔の幼児の笑顔は、不思議と可愛い。 この世に対する好奇心と好意にあふれているそのほほえみ。 知らずハボックの口元にも笑みが浮かんだ。 (この人がとったのか) あたらしい一本に火をつけると、信号が変わった。ハボックはそれを咥 えると、ゆったりとアクセルを踏む。ミラーには、満面の笑みを浮かべ るヒューズが映っていた。 Flat SideのKUMAさんに相互記念でいただきました リンクしてもらってその上SSいただけるなんて何て幸せな… 「ヒューとハボで互いにロイを通しての印象と実際の第一印象の話」というのがリクエスト内容でした ただの犬じゃなくて地獄の番犬と評される少尉とか、 相手にダガーを突きつけながら値踏みしたかと思えば愛娘の写真を差し出す中佐とか、 互いに真剣に観察しながらどっかずれた会話とか、 すべてに顔が緩みっぱなしです 素敵なSSをありがとうございました 04.06.21 ← |