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丞相閣下がみてる
血で血を洗う戦乱の世にも、ひとときの平和がある。 小高い丘の上、二人でとりとめのない話をしながら、夏侯惇は伊珠の秀麗な横顔に見入っていた。 こんなに穏やかな時間はいつ以来だろうか。 戦と屯田と曹操を諌める事の繰り返しで荒んだ心が癒されるようだった。 あたたかな午後、いつしか張り詰めた気も緩み、夏侯惇は睡魔の誘惑と格闘していた。
「伊珠……膝を貸せ」 「えっ」
伊珠が了承する前に揃えた腿の上に頭を横たえた。 柔らかく程好い弾力は枕に丁度よく、夏侯惇はそのまま目を閉じる。
「まぁ……元譲さまったら」
よほど疲れていたのか、夏侯惇はいくらもしないうちに膝の上で寝息をたてていた。 眠りに落ちた情人を慈しむように、伊珠は小さく子守唄を口ずさむ。 穏やかな日差しと優しいそよ風に包まれ、二人きりの午後はゆるやかに過ぎていった。 ・ ・ ・ 「…………む……いかん、寝入ってしまったか……」
夏侯惇が目覚めた時、日は大分傾いていた。 膝枕があまりに心地好く、随分長い事眠り込んでいたようだった。
「元譲さま、よくお休みになられていましたわ」
顔を上げると、いつもの穏やかな笑みを浮かべて伊珠がこちらを見下ろしていたが その表情は妙に強張り、額に冷や汗を浮かべていた。
「おい、伊珠……」 「はうあぁぁぁ!!!」
それまでの甘い空気を吹き飛ばすかのように伊珠は大声を上げ、その場に倒れ込んで 悶え苦しむように細い手で地面を叩いた。 夏侯惇は何事かと驚き、のた打ち回る伊珠の身体を抱き起こしたが、その口から出たのは 拍子抜けするような言葉だった。
「申し訳ありません……あ……足がしびれて……」
自分を起こすまいと辛抱して今まで痺れに耐えていたのか。 頼んでもおらんのに、健気な事をしおって……と夏侯惇は苦笑した。 いきなり背と両膝の裏に手を差し入れられ、伊珠はびくん、と体を震わせた。
「あぁっ……!! 何をなさいますっ、元譲さま!!」 「その足で立つのは辛かろう」
伊珠を抱き上げて連れ帰ろうとした夏侯惇だったが、背負うにせよ両腕で抱えるにせよ どうしても身体を持ち上げるには脚を支えねばならない。 痺れた脚に触れられ、電流が走るような感覚に伊珠は涙目で悲鳴を上げた。
「……ひあぁっ!! ご、後生です、どうかそこだけは……!!」 「おい、大人しくしていろ、暴れるな」 「い、嫌です、いやぁ、お許しくださいっ……!!」 「手こずらせおって……」
暴れる伊珠をどうしてくれようかと夏侯惇が思案していると 散歩にでも来ていたのか、曹操が面白そうにこちらを見ているのに気付いた。 二人の目と目が合い、時が止まる。
「……儂の事なら気にするな、続けるがいい」
曹操のその台詞の意味が分からず、夏侯惇は自分が置かれた状況を顧みた。 身体の下、涙目で荒い息をつく伊珠の乱れた裾から覗く露わになった素足。 どう見ても嫌がる伊珠を無理矢理押し倒しているようにしか見えないこの体勢。 そして脳内で再生される先程のやり取りの内容――
「孟徳うぅぅ――――!! 誤解するな、これは」 「分かっておる、誰にも漏らしはせん、だから心置きなく続けるがいい」 「分かっとらん!! おい待て孟徳、どこに行く!! 孟徳―――!!!」
目を輝かせて去って行く丞相と、誤解を解く余裕もない護衛の間で隻眼の鬼将軍の絶叫が響いた。
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