ぽちゃん、ぽちゃん、という音がした。音に合わせ、ずくん、ずくん、と身に響く  
ような痛みを感じた。  
 朦朧とした意識を覚醒させようと、ツヅラオは二、三度、瞬きをした。岩肌露な空  
洞には、ぽつ、ぽつと、道案内のための短い蝋燭が、仄かな灯火を乗せている。頼り  
げのない炎揺れるそのさまに、ふいに心が掻き乱され、ツヅラオは慌てて身を起こそ  
うとして、途端、身が、声にならない悲鳴を上げた。  
 余りの痛みに眉をしかめ、両の眼には涙が浮かんだ。滲んだ目でもって、痛みの元  
凶たる箇所へと目をやると、己の腕が一本、杭で柱に打ち付けてあるのに気がついた。  
 
 そこで、全てを悟った。  
 ぽちゃん、ぽちゃんと音がする。岩肌に溜まった水音だろうか。一定のようで、必  
ずしも一定ではない音と共に、暗い洞窟の向こうから、しゃらん、しゃらん、という、  
衣擦れと、葉の擦れる耳慣れた音が、響いて来た。  
 
 「おお! ツヅラオ! 胸騒ぎがして、来てみれば……。これは、どうしたことで  
おじゃるか!?」  
 緋色の衣を纏い、頭にあかあかとした炎を抱いたその女性は、ツヅラオの姿を認め  
ると、慌ててその元へと駆け寄った。薄暗い洞窟に、光が満ち溢れた。  
 
 「ああ、その白い柔肌を、かように、血に溢れさせ……。わらわが、清めてやろう  
ぞ……」  
 女の言葉に、ツヅラオは僅かに、口を開いた。だがそれはひゅ、という音が洩れた  
だけで、乾いた舌と唇からは声とならず。女はツヅラオの様子などは気にも留めずに、  
打ち付けたら腕から、とろり、とろりと流れる血へと、口付けた。  
 
 水音と、女の僅かな衣擦れと、蝋燭の焼ける香りと、血と、己の、乾いた呼気と。  
 ぴちゃり、ぺしゃり、と、女の舌が、自分の腕を這っていた。腕には痛みからか、  
最早何も感じず、ツヅラオはきゅっと、唇を噛締めると、とん! と、自由な片腕で  
女を、突いた。  
 力ない腕による突きは、最早衝撃というものなどなく、女はツヅラオのそうした様  
子に、おや? と、小首を傾げ、眼は優しく、しかし口角はきゅっと、嘲笑うように  
吊り上げて、ツヅラオの顔を覗き込んだ。  
 ぎろり、と、見返す。  
 
 「ヒミコ、さまを、ぼうとく、するな」  
 掠れる声で、ようやく搾り出したツヅラオの言葉に、ヒミコは大きく口を歪めると、  
つまらなそうに、口元にべったりとついたツヅラオの血を、舐め取った。  
 
 「ふん。何を言うかと思えば、つまらん。大人しくしておれば、御主の憧れてやま  
ぬ、この姿で抱いてやったものを……」  
 くいっとツヅラオの顎に手をかけ、女は一瞥する。ヒミコ、さまは。と、声が漏れた。  
 「わが、とも。  
 おなじ、てん、という、あるじに、つかえる、ほうばい、なのだ……」  
 ぱしっ、と。柳が打つようような音が響いた。頬を打たれた拍子に、唇が切れたの  
か、つ、と、蒼白となったツヅラオの面に、朱色の血が伝った。  
 ツヅラオの友たる姿をした女は、忌々しげにツヅラオを睨みつけ、頬を掴んだ。  
 
 「なれば、この我の側に蹲る、貴様の元へと駆けつけぬのは何故だ? 友なのだろ  
う? 友を見捨てるというのか? 大した友情だ! そして臣下の者を見捨てるとは、  
御主等の仕える天というものも、たかが知れたるものよの!」  
 
 「てん、は、ある。われが、いのり、しんじる、かぎり。われのこころを、てらし、  
つづける……」  
 ぽちゃん。と、水音が、響いた。ふっと、女の頭に抱いていた炎が消えた。洞窟の  
中が、蝋燭の仄かな明かりのみが残された。なれば、と、女が、言った。  
 「信じ続けてみよ。御主の信じる天、とやらをな!」  
 言うと女は、ツヅラオの襟をおもむろに掴み、肌蹴た。  
 
 空洞の中には蝋燭の焼ける匂いと、血の香りに混じり、牝の匂いが重なっていた。  
荒い、息遣いが二つ。一つは捕食者の。一つは、命も絶え絶えとした、被食者の。  
 ツヅラオは腕を一本、縫いつけられたまま、衣は最早衣とならず、胸を覆うサラシ  
は引き裂かれて千千に広がり、その、たわわな胸を露とさせていた。女はぺしゃぺしゃ  
とツヅラオの乳首をなぶると、張り詰めたそれに含み笑いを浮かべ、ぴん、と、指で  
弾いた。ふるん、と揺れる。  
 
「淫らな肉よのぉ。ツヅラオ。わらわが少し、遊んだだけで、こうじゃ。下の口も、  
こうも蜜で溢れさせおって……」  
 にゅる、と、下肢へと伸びた指先にツヅラオは僅かに足の指先で、反応をみせた。  
他の感覚もあるものの、痛みが勝るのだろう。眉は寄せられ、顔色はただただ、白か  
った。だが、女はそうしたツヅラオの様子などは気にも止めないように、溢れた液  
体を、真子といわず、大腿部までをも塗りつけた。  
 
 「これだけの肉体をして、未だ生娘というところが、なんとも可笑しいものでおじ  
ゃるのぅ。のぉ、ツヅラオ? ……さて、どうやって、ぬしを女にしてやろうかの、  
ツヅラオ。道具を使っても良いが、まぁ、折角じゃ……」  
 くつ、と、女は笑うと、さらり、と身を起こし、するすると、緋色の衣を解いた。  
ツヅラオとは異なり、女性的というよりは、どことなく中性的な、華奢な体つきの下  
半身には、あるべきではない、男根が、そこにはあった。  
 「これで、撞いてくれようぞ!」  
 言うや否、ツヅラオの足を抱え込み、一息に、撞いた。  
 
 ぎち、と、腕の打ちつけられた柱が泣いた。動いてしまった衝撃からか、傷口が広  
がり、新たな血がとろとろとこぼれ、柱を赤く染め上げた。ぎぃ、ぎぃ、と、女の揺  
する調子に合わせ、柱と杭は悲鳴を上げる。とろとろと、血が、こぼれる。  
 ツヅラオは薄く眼を開いたまま、女にその身を揺すられる。隠口からとめどめもな  
く体液が流れていたが、その表情は変わる事無く、怒張した物が引き抜かれ、べしゃ  
りと顔に、身体にかけられたその時までも、声一つとして、上げなかった。  
 女は昂ぶりをぶつけると、荒い息を吐き、ふん。と鼻を鳴らすと、軽く髪を掻き上  
げた。  
 
 目前にある光景は、凄惨。の一言だった。  
 尼僧の衣は裂かれ、柱に縫い付けられた腕からは血が滴り、白濁たる液体が顔に、  
豊満な胸へとかかり、ねっとりとしてこぼれ落ちている。指し抜きを繰り返した下口  
からはこぼこぼと泡がこびりつき、処女の証が、散らばっている。  
 眼はどこか、遠くを見ていた。  
 
 「――気を違えたか。口ばかりだな。くだらぬ」  
 仕上げに心の臓を取り出し、喰らっておこうと、片手に鋭利な爪を表わし、肌に立  
てた。血が滲み、ツヅラオがふっと、こちらを向いた。唇が、僅かに動いた。短い言  
葉は、「愚かだ」と呟いていた。  
 
 「そうだな、くだらぬ慈悲とやらで、我を助けて、このざまだ。愚かといわず、な  
んであろうな。のぉツヅラオ?」  
 言い、くつくつと笑い、さらに爪を差し込む。苦悶する表情を見ようと、女が顔を  
近づけると、まえに。という呟きが、耳に入った。  
 「……まえに、われはいったな。つづらのなか、に、あるもの、を。なかをしって  
いても、おもうのだ」  
 意味が解せず、何を言っているのかと女が眉を寄せていると、ツヅラオは女を見、  
ふっと、諦めるような、悲しむような、穏やかな笑みを浮かべる、残る力を振り絞る  
ように、緩慢な動きで自由な腕を女にまわしそっと、抱いた。慈しむような、抱擁だ  
った。  
 
 知っていても、人は思い、動くのだ。愚かだ。と、ツヅラオは女を抱いたまま、可  
笑しそうに、笑った。  
 「……闇路は、寒かったで、あろうなァ……」  
 そう呟くと同時に、女の背に回されていた、ツヅラオの腕ははさりと落ち、僅かに  
聞こえていた鼓動も、なくなっていた。  
 顔を見つめる。ツヅラオの顔は、血と、白濁たる液体に汚れながらも、穏やかに笑  
んでいた。  
 
 「――すめらぎ、さまっつ! とこのやみの、すめらぎ、さまっつ!」  
 完全にこと切れている尼僧を前に、狐は叫んだ。ふっと、洞窟にある蝋燭の灯火が  
消え、闇が落ちた。狐は爪を立て、尼僧の心の臓を取り出すと、未だ温かいそれを、  
貪り食った。  
 
 己の胸に押し寄せるこの感覚が何なのか、狐には分からなかった。手負った際に、  
尼僧と床をともにした感覚と、似通うこの感覚は、何なのか。分かってはいけない。  
知ってはいけない。知ってしまっては、自分は最早、闇路を歩けぬ。そう、思った。  
 全てが闇に満ちればいい。と、狐は思った。灯明など必要ない。月の光も、星の光  
さえも差さない、真の闇。何も見える必要など無い。知る必要も、考える必要さえも  
ない。思うが侭に、欲望のままに生きる。そうすれば、このような感覚に、惑わされ  
る、こともない。  
 闇に覆われた空洞の中で、血肉を啜る音が響いていた。光の差さぬその場所で、何  
が起こっているか、見る者は居らず。狐は己の眼から、頬へと伝う暖かい雫を、己の  
喰らう血肉と思った。  
 
 幾本もの、蝋燭が静かに燃える中、一本の灯火がふっと消え、女はすっと、顔を上  
げた。しばし、消えてしまった蝋燭を見つめた後、俯き、眼を伏せると、衣擦れとと  
共に立ち上がる。それと同時にとん、と、拍子木の鳴るような音が背後に響き、来た  
か。と、女は振り向きもせずに、背後の者へと声を掛けた。  
 
 ユーたちは……という、男の声が、りん、と背筋を伸ばした女の背中に、かかった。  
憐れむな。と、女は言った。  
 「わらわも、ツヅラオも、承知のことでおじゃる。ぬしが罪に苛まれることなぞ、  
無いでおじゃるよ」  
 
 バッド……と、なおも言い募る男の言葉に、くるり、女は向き直ると、粋がるな。  
と、硬い声でひとつ、叱責した。  
 
 「わらわは、己を信じておる。今まで生き、荷って来たものより学び取ったものを、  
力を、己の力量を知り、その上でのものを、信じておる。そうして、わらわの友であ  
るツヅラオを、信じておる。ツヅラオが信じてくれたわらわを、信じておる。  
 ウシワカよ。わらわは、女王、ヒミコじゃ。国を治め、民を守らねばならぬ。そう  
して如何様にその力を称えられようと、一個のヒト、でしかない。時には不安に襲わ  
れ、いかに火をくべ、世を照らそうとしても、闇がふいに、押し寄せることあるでお  
じゃるよ。  
 そうした中、わらわの魂の緒をたぐりよせ、一本の命綱の如く、支えてくれたは、  
他ならぬ我が友、ツヅラオであった。ツヅラオは、わらわの言葉を、こころを、信じ  
てくれた。それはわらわを照らす、光明となった」  
 
 ヒミコの言葉にウシワカは答えなかった。叱りを受けた幼子の如く、力無く項垂れ  
たまま、立っていた。  
 「信じてくれる誰かがいる。その灯火でヒトは多少の闇路も、歩めるのでおじゃる。  
それが、日輪の力となるなら、なおのこと」  
 くつくつ、と、榊で口元を隠しながら、ヒミコは笑った。そうして、ウシワカ。と、  
男を呼んだ。  
 
 「悔いてはおらぬ。ツヅラオの魂も、失われたわけではない。きっと、面倒見の良  
いあの者のことじゃ、十分天に昇る資格があるくせに、昇ろうとせず、何やら案内を  
するであろうよ。  
 わらわも、そうじゃな。この肉体が失われても、ただで昇るは癪じゃ。決戦の場に  
駆けつけて、手土産と共に、日輪の化身を応援したいところでおじゃるな」  
 腹が減っては、いくさも出来ぬと言うしな。と、楽しそうに、ヒミコは笑った。  
 
 「ウシワカ。これよりは御主が頼りとなる。愛しいものとの逢瀬に間が空くのは、  
御主とて苦しかろう。じゃが、今しばらくは、わらわの臣下として、この地に生き  
る民を支えて貰うぞ」  
 
 そう、ヒミコが告げると、ウシワカはふぅ、と息を吐いて肩を竦め、冗談めかして  
頭を振った。  
 「……怖いなぁ。ユー、どれだけ、お見通しなんだい?」  
 「さぁて、のぅ。女の前に、嘘や誤魔化しは通用せぬ、とだけ言っておこうかの。  
戯れはここまでじゃ。キリキリ働くが良いでおじゃる!」  
 
 ラジャー、分かったよ。と、ウシワカは笑みを返し、深く深く女王に向かい一礼す  
ると、さっと、光と共にその身を消した。あとに残された女王は、消えてしまった蝋  
燭を、愛しそうに、そっと、撫ぜ、日輪の出でる日を、ただ、祈った。  
 
 
*了*  
 

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