炎が踊るような緋色の隈取をのせた白い肌。よくよく考えてみれば初めて会ったときから
すでにサクヤは「慈母」アマテラスと呼びかけていたし筆神たちも皆そうだった。もっとよく
思いだしてみればヤツフサなんてあからさまに美女と表現していた覚えがある。
大きすぎない、潤んだ黒い瞳。一閃で草や樹木や岩を斬っては桃やら葡萄やら蜜柑やら
大根やら、たらふく食らっては丸くなってぐうすか寝こけている白毛布が、まさか誰もが賞賛
する見目麗しい女神だなんて誰が考えようか。美しい花をつける樹木が依代であるサクヤな
らばいざ知らず。
胸元に鏡、腰へ太刀、首元へ勾玉を飾り芝のうえへ端座した白い衣の女神。いつもの獣
の姿では無造作という表現になるのだろうが、本来の人型に戻ったとたんそれが一気に「無
防備」になってしまうのは気のせいばかりではないかもしれない。
衣の裾や袖からのぞく華奢な手足。「慈母」だなんて言うから、どれだけ恰幅のいい肝っ
玉なおかんがご登場するのかと思いきや。
「イッスンは胸が小さい女はきらいなのですね」
どこからどう見たって子持ちの想像なんかできない、華奢で美人の女神様が心底傷ついた
顔でうなだれて下さるものだから、なんだか嫌な汗がだらだら流れてくる。
アマ公がこんな美人の女神様だったなんてオイラ聞いてねェよ!となぜか脈絡もなくウシ
ワカに怒鳴りたくなってきた。なぜウシワカが思い浮かんだのかはイッスン当人にもよくわか
らない。
エキビョウから宝帝を開放し、ヒミコに指示されてやってきた海は荒ぶる龍が潜んでいるに
もかかわらず青く澄んで美しかった。青々とした松と白い砂浜、どこにあるともわからぬ竜宮
を探さなければならない使命すらなければ、何日でも滞在してゆっくり体を休めたくなる、そ
んな場所だった。
いつものように何かありそうな樹木の根元や草地を、片っ端から一閃で斬りとばし白菜や
人参やら蜜柑やらに嬉々としてかぶりつくアマテラスを見て、イッスンは盛大にため息をつ
いた。
「お前ほんっと、呑気なもんだよなァ」
口の端からへろりと大根葉が垂れた、どこからどう見たっておまぬけワンコな体裁でアマ
テラスが振りかえる。討伐してきた妖怪も、こんなおまぬけワンコに倒されたと知ったら草葉
の影で大泣きしていそうだ。
「食っちゃあ寝、食っちゃあ寝でそれでもいいのかよお前」
とりあえず口の端から葉が垂れているのは自分でもどうにかせねばと思ったらしく、鼻先を
振ってぱくりと器用に口へいれる。
「これじゃあ大神さまの名が泣いてらあ」
大神、の雷名にアマテラスがさすがに居住まいを正す。それとなく非難されていることもわ
かったのだろう、わうわうと哀れっぽい声をあげる。
「なんだよ、違うってのか?だいたいアマ公、おまえサクヤの姉ちゃんにすっげえ尊敬され
てるみたいだけどよ、ホントーにそんな偉い神様なのかよ?だいたい、偉い神様ってのはこ
んな白毛布みたいのじゃなく人型してるもんなんじゃないのか?」
白毛布、の単語にぴくりと三角の立ち耳が震える。
頭を低く下げて尾を振り上げ、威嚇するような姿勢になったアマテラスにイッスンはさらに
たたみかけた。
「へんッ、今更そんなおっかねえフリしたって怖かねえや!くやしかったら人型にでもなっ
てみろってンだい」
イッスンが勢いのままに一喝したその瞬間、アマテラスの純白の毛並みを飾っていた隈取
が金赤に輝いた。
四肢を踏ん張って一声高く虚空へ咆哮するとしなやかな獣の体が見事な弧を描いて宙を
一転する。萌える草花の軌跡が長くのびて、銀紗をまいたかような光の粒がはじけた。輝き
の鋭さに一瞬目をそむけたイッスンがアマテラスの着地した先に見たものは。
軽やかに砂を踏んで降り立った白い女神だった。
無言でイッスンをにらみつける黒い瞳。
獣の姿の時そのままに、白い肌を彩る深紅の隈取が踊る炎のように見えた。光の帯をまと
う太刀を腰に佩き、ふわふわと首まわりをめぐる極彩色の勾玉、胸元には火を吐く銅鏡を
飾っている。すらりとした肢体には無駄がなく、足は裸足だった。
腰元まで流れる長い髪は月光の輝きをのせていて、金糸の刺繍と緋色の縫い取りがほど
こされた白い衣装は海辺にもうひとつ太陽が顕現したかのような眩しさだった。
そこでようやくイッスンはかつてのアマテラスを知るものが口々に「慈母」という単語を口に
していたことを思い出す。獣の姿をしていることや、普段のアマテラスがそれこそ女性を匂わ
せるような仕草をしないためすっかり頭から抜け落ちていたのだが、たしかに「慈母」と言わ
れるのだからアマテラスの本性が女性だったとしても別におかしな事ではない。
だが、それはそれ、これはこれ、だ。
「あ、……アマ公……?」
唖然としたまま呟くと、白い女神は無言のまま顎をそらした。
「……イッスン」
蜜が滴りそうなつやを浮かべた紅色の唇が動く。容姿が麗しいだけではなく声まで美しい。
「あなたがそこまで言うなら私にも考えがあります」
太刀とは逆の側、紐をまいて帯へ吊るされてある瓢箪の存在にイッスンは我に返った。
途端に冷たい汗がにじみだす。普段どれだけおまぬけな食欲ワンコであろうと、アマテラス
が数多の強力な筆神を従えた神である事実には疑いがないのだ。イッスンを筆一本で瞬く間
に三枚おろしにしてしまう事だってできるし、あまつさえその後直火でバーベキュー、という荒
業だってやってのけることが可能だ。
果たして三枚おろしか直火バーベキューか、はたまた頭から花を咲かせて竜巻で故郷ま
で吹っ飛ばされるか、どんな仕打ちが待ち受けているものかとイッスンは身を硬くする。
ひたりとイッスンを見据えて、アマテラスは低く呟いた。
「もー二度とイッスンの見てるところで筆しらべしないんだから!」
「……」