「・・・ふぅ」
小さなため息とともに、桜子を背中におぶった杉は足を止めた。
夜の住宅街は閑散としていて、人の姿は見受けられない。
ふと空に目をやると、澄んだ空には満天の星が広がっていた。
静かに吹き抜ける風が、酒のせいで熱もった頬を冷ましていく。
「おい海老塚。次はどっちだ?」
軽く振り向いて背中に呼びかけた。
見るとさっきまで起きていたはずの桜子は再び眠ってしまっている。
耳元に聞こえる微かな呼吸音と上下する肩が熟睡していることを示していた。
月灯りが桜子の睫毛に影を落とす。
それをみつめているうちに、急に伐が悪くなった杉は、あわてて目をそらし再び歩き出す。
「・・・ったく、のん気なもんだな・・・人の気も知らねーで・・・」
桜子の口から巧の名が出たこと。実のところそれ自体に驚きはあまりなかった。
なんとなくではあったが以前から感じていたからだ。
それは口には出すことはおろか、態度にすらろくに表れていなかったものだったけれど、
それでもずっと桜子を見てきた杉には感覚的に伝わっていた。
ただ、やはり実際に桜子自身の口から親友の名前を聞くのは想像した以上の衝撃だ。
閉じた瞳から零れ落ちて頬を伝った涙も、瞼に焼きついたまま離れてくれそうもなかった。
「・・・こっちであってるのか?」
地道に一軒一軒表札を見て回ることに決め、逐一足を止めながら進む。
すぐ近くまで来ている事は確かだが、暗い上に知りもしない場所では家を探すのは一苦労だった。
海老塚という苗字はけして平凡なものではないのでまず間違うことはないだろうが、
それでもなかなか目的地はみつからない。
あきらめて桜子を起こそうかと考えたのと「海老塚」の表札が目に入ったのは、ほぼ同時だった。
いざ着いてしまえばそれはそれで複雑なものがある。
今度の別れはいつものように「また明日」があるものではないということを思うと、
安堵の中にも名残惜しく思う気持ちは確かに存在していた。
「海老塚、着いたぞ」
背負ったまま軽く揺すってみるものの、やはり桜子が目を覚ます気配はなかった。
飲酒している手前あまり気は進まなかったが、家族にあずけるほか選択肢はない。
杉は片手でインターホンを押した。
しばらく待ってみたが反応はない。
少し間を空けてもう一度押してみたが結果は同じだった。
「・・・どうしろってんだよ・・・」
杉は困惑して背中を振り返る。
そんなことは露知らずといった様子の穏やかな寝顔がそこにあった。
まさかこの場に置いて帰るわけにもいくまい。
どうしたものか考えあぐねていると、ふいにチャリ、という金属音が聞こえた。
――鍵か?
少し迷ってから意を決して桜子を背中からおろし、のズボンのポケットに手を伸ばす。
「お前が起きないのが悪いんだからな!」
そっと手を入れ抜き取ると、思ったとおり自宅の鍵らしきものが現れた。
それを片手に、桜子を抱えるようにして玄関へ歩みを進める。
一瞬ためらってから鍵穴にキーを差し込んだ。
カチャリと音を立てて鍵が回る。
誰が見ているわけでもないのに周囲の様子が気になって、杉は手早くドアを閉めた。