エ〜ビちゃん、と男声にしてはいやに艶かしい声と背後からのぬくもりに桜子はぎゃあと
奇声をあげた。困った事に恒例になりつつある永田の挨拶の抱擁に桜子は未だ慣れない。
「な、永田くん、どうも」
今日は暁泉学園の柔道部が合同練習のために浜名湖高校に遠征に来る日である。桜子が遅
れて練習に合流し、胴着に着替えて道場に出るやいなや背後から抱きつかれたのが今、
先に準備体操をしていた麻理が羨ましそうにこちらを見てせんぱいずるい、と叫んでいる。
「海老塚ちゃんがいないと、どーも物足りなかったのよぉ」
耳元でからかうように妙な色気を放ちながら永田が笑い桜子は心情を苦笑いに込め応える。
その毎度の事なやりとりに、道場にいる皆さんの視線と叱咤が飛び交う。
「うちの海老塚も一応女なんだから」「永田、あんまりはしゃぐな」「セクハラだぞ」「おま
えオカマなんじゃねえの?」「あーら、どっちにやきもちかしら、あたし?エビちゃん?」「ひー、永田くん息がかかってくすぐったい」「せんぱい、交代しましょうよう」
いやいや、仲良しで賑やかなのは良いのだけれど。
密度の濃い合同練習を終えて、マネージャーが用意したドリンクを保奈美と桜子で手分け
して皆に配る。桜子が暁泉の選手一人一人にお疲れ様です、と手渡していくと
「海老塚ちゃんアタシにもちょーだい」
少し離れた所で永田が胴着の上を脱いで、暑い暑いと手で自分を扇ぎながら桜子を呼んだ。
恋愛というカテゴリーに当てはまるかどうかわからないが誰がどう見ても永田が桜子をお
気に入りに思っているのは明らかである。が鈍い桜子本人には全く伝わっていない。
「どうぞ、永田くん」「はーい、ありがとね」
桜子が差し出したドリンクに手を伸ばして永田は受け取った。指先が触れて手の大きさ、
指の硬さが全然違うな、ああ、自分は男なんだ、とあたりまえの事に感慨を抱きつつ、
隣に腰をおろした桜子を、流れてくる柔らかい風に目を細めながら眺めた。
「永田くんとわたしってさ」
前触れも無く一本に結んである長い永田の髪に桜子が手を伸ばして二人の身体が近づく。
桜子の方から接近されるという珍しい彼女の行動に永田は多少戸惑いつつもそのまま言葉
の続きを待った。
「兄弟というか、姉妹というか、そう、見えそうだよねぇ」
桜子はそう言いながら何故か今までに見たことがないくらいに顔を赤らめて恥らいながら
笑い、己の結ってある髪を持ち上げてみせた。恥ずかしがるベクトルが一般とズレている
様な気がしつつも永田は抱きしめてやりたいようなほっぺたを噛んでやりたいような結構
抑えがたい強烈な衝動に駆られた。簡潔に言うと、彼も微妙に一般とはズレた次元で彼女
の言動に激しく心がときめいた、ということだ。