僕はその提案をすでに知っていた…
これから何を指示されるか…
何をしなければならないかを…
「…従ってくれるな?こうしなければウォルスタに明日はないッ!」
やはりレオナールさんの命令はあまりにも苛烈なものだった。
それは偶然聞いてしまった恐ろしい計画。
”彼らに戦意なき場合バルマムッサに死の嵐を”
同胞の屍山血河による尊い犠牲。
それをもってガルガスタンを倒し、バクラムを屠り、最後にロスローリアンを討つこと。
そしてこのヴァレリア島にウォルスタ人の安住の王国を打ち立てること。
そうだ、そうするために、そのために僕はここに来たんだ…
自由と誇りのために戦うことは当たり前のことだ。
それが人間の誇りというもので、ウォルスタ人らしさというものなんだ。
勿論僕は僕自身の良心の為に悩んだ。
もし彼らが蜂起を拒んだら?
…殺すべきか?それとも逃げるべきなのか?…
彼らに会う直前まで悩みに悩みぬいたんだ!そのことに嘘はない。
結局僕に選択を決めさせたのは彼らのあまりにも惰弱な言葉だった。
ぼくは正直言って彼らに嫌悪感と軽蔑を覚えている。
自分から戦いを止めてしまったら本当にやつらの言うとおりの家畜じゃないか!
僕は彼らのように虫ケラ扱いされることに納得できない…。
だから虐殺するッ!
そう決めた…そう決めたはずだったのに…
「…騎士にあらざる行いをせまってすまない。
だがもはや騎士道でウォルスタを救うことなどできはしない。
きみたちのような若者でも手を汚さなければならないのだ。
それがこの島における我々に与えられた現実なんだッ!
理想を語る余裕などガルガスタンにもバクラムにもないッ!
我らに聖なる父が示すルートは逆らう敵を皆殺しにして、
完全な勝者としてのみ平和を築くことだけなんだッ!
彼らを殺すか、ここで死ぬか。
きみは二つに一つを絶対に選ばなければならないッ!
お願いだッ!ふたりでウォルスタのために、地獄行きの道をともに歩んでくれッ!」
そう僕に呼びかける悲痛な声。
レオナールさんも僕と同じで辛いんだ。
そんなことはわかっている。僕自身がそうだったんだから。
だが結局のところ僕には彼のような覚悟が存在していなかったようだ。
この実行の時になって臆病な僕の手足は竦んで動かない。
悩んだ末の決断をしてもそれがないのは僕が子供だからなのか?
(…仮にあったとしても、侮辱や軽蔑の感情なんかで同胞を殺すことなんかできない…)
僕は…僕は…いったいどうすればいいんだ!
逡巡する僕の様子を見てレオナールさんは顔を覆って天を仰いだ。
そして次の瞬間にはつるぎを鞘から抜き放つ。
それは迷いのない、男の眼だった。
断った瞬間に僕は斬られる、それは間違いない。
なんでこんなことに…
僕の胸に後悔が洪水のように流れ込んできた。
騎士に叙任されて浮かれていたのは間違いない。
この任務はそんな甘い考えで引き受けるようなものではなかった。
…教えてください、ランスロットさん!
僕は本当にこんなことをしてまで”命の責任”を果たさねばならないのですか?
ここにいない人間への甘えた問い。
それは目前に聳える恐ろしい人間の怒号が答えだった。
「…デニム・パウエル!ウォルスタの騎士として覚悟を決めるのだッ!今こそ決断すべき時なんだッ!」
レオナールさんは恐ろしい抜き身を今にもこの情けない臆病者目掛けて振り下ろしそうだ。
もう僕に極限の選択に対する一刻の猶予も残っていない。
だがこんな僕に答えなどない、あろうはずがない。
あるのは少しでも時間が戻らないかという非現実的な希望だけだ。
こんな意気地のない僕にできること。
それは脇にいたかけがいのない二人、カチュア姉さんとヴァイスに助けを求めるしかない。
この瞬間に愚かな僕は棄ててはならない”命の責任”を無責任にも放棄してしまったのだ。
それがどんな恐ろしい結末を招くとも知らずに…
ヴァイスはデニムを見ているその他大勢の一人だった。
目の前ではレオナールが剣を突きつけてデニムに虐殺の実行を迫っている。
(”一緒に地獄に落ちよう”だってよ。…笑っちまうぜ、プロポーズのセリフかよ)
足を切るか、手を切るか。
そのような決断はどちらを選んでもケチをつけられるものだ。
指揮官に全てを委ねて、不満があれば文句を言う。
今のヴァイスは彼の大嫌いなずるいウォルスタ人と何の違いもなかった。
はなやかな主演男優の一挙一動にケチをつける評論家のようなものだ。
それだけにデニムが決断に苦悩できるだけ、まだ立派な人間だというのもわかってしまう。
レオナールもそんなデニムだから認めている。
レオナールだけじゃない。
ランスロットもカノープスもみんなデニムばかり見ている。
デニムがゼノビアの聖騎士に言った言葉が思い出される。
”ぼくはこの革命のためなら命を捧げてもいい”
ヴァイスは自分の出自や戦いに何の疑問も持たないデニムがうらやましかった。
彼は振り返って見れば自分に戦う理由など何もないと思った。
彼のゴリアテでのウォルスタ人としての人生に誇りなどこれっぽちもなかったからだ。
ヴァイスはゴリアテで受けた”同胞”の見下した態度や嘲りをいつものように思い出す。
やっぱり、彼に戦う理由などない。
ヴァイスは自分のかなわない男になろうとしていく幼馴染に素直に嫉妬した。
そして少年は心の中で自分を見てくれないレオナールに叫んだ。
(…俺は自分をあいつらを同じ人間だと思ったことはねえよッ。
同胞ならなんで俺の一家に優しくしてくれなかったんだ…
結局、弱いやつは自分よりさらに弱いやつを叩くんだ。
この島はそんな弱い連中ばっかりじゃないか。
そんな連中になんで俺がバカにされなきゃならないんだッ…
俺をバカにした連中はどいつもこいつもみんな死ねッ!
いつまで戦争が続くか誰が勝つかなんて俺の知ったことかッ!
俺は心からウォルスタの為に戦っているわけじゃないッ。
公爵やあんたが必要としているのはデニムじゃないかッ!
決して俺なんかじゃないんだッ
そうだッ!俺なんか、俺なんかッ!…畜生…畜生…ッ…)
ヴァイスは心の中で静かに、そして激しく泣いた。
彼はこの島の人間全てに複雑な思いを抱いていた。
愛したいのに、愛されたいのに、それでも誰にも愛されない。
親ですら愛してくれたとは思っていない。
だがそのことでもう泣くまいと心に決めた。
そんな自分の為に流す涙は父が無残に死んだときに涸れつくしたからだ。
綺麗事を言える優しさと甘さと子供らしさも、
きっとそのとき完全になくしてしまったのだろう。
彼の心を許せる人間はデニムとカチュアだけだった。
以来ヴァイスは価値を求めて無鉄砲に足掻くようになった。
誰かに認めて欲しかった、デニムやカチュアになら尚更認めて欲しかった。
しかしあのときから3人の関係はおかしくなった。
”あなたみたいに、我を通すだけの能無しじゃないのよ”
カチュアの自分に対して言ったことは正しいと思う。
でもあまりにも正しすぎる。
その言葉を受け止められるほどヴァイスは大人ではなかった。
やはりデニムは特別で、自分は必要ない人間なのか?
少なくともカチュアにとってそうだということがわかった。
自分の一人の問題だ。そんなことはわかっている。
でもこの気持ちはどうしようもない。
ヴァイスはカチュアを女なんだと強く思うようになった。
自分より弱い価値のない女、無理やりそう思うことで忘れようとした。
しかし今もずっとデニムへの嫉妬とカチュアを辱めたくなる衝動がヴァイスの中に渦巻いている。
どんな手段でもパウエル姉弟に自分を認めさせたかった。
ヴァイスは狂おしいほど救いが欲しい。
こんな身を焦がすような汚い負の感情と無縁のデニムのようになりたかった。
カチュアに彼女の愛する弟と同じくらい愛される男になりたかった。
どんなヤツにもバカにされないための人間としての価値が欲しかった。
ヴァイスはあまりにも無力で無価値な少年だった。
”力がなければ…”そう彼は思った。
父を殺した男の背中と斧から滴り落ちる血を思い浮かべながら。
レオナールの鏡のようによく磨かれた剣が放つ鈍い輝きを目に入れながら。
デニムがあの剣で血まみれになったらどうしよう…
戦う理由ができるのか、とヴァイスは考えている。
暗い空が、黒い雲が、切るような風が、
少年の心とバルマムッサの人々に冷たい雨を降らそうとしていた。