「アルフォンス。これからのことに不安はないか?」  
「別……に」  
シビュラの問いかけに、俺は考えることもせず言葉を返していた。すべてが虚ろで上の空のようになっている俺は、  
考えることも言葉を発することも億劫になっていた。何もかもを惰性に任せて、俺は今、ここにいる。そういう意味で  
一度乗り込めば目的地まで勝手に運んでくれる、この船という乗り物は実に今の心境に相応しかった。  
 
シビュラの言葉を思い起こすのならば、俺は『何も選ばない』という選択をしたのだろう。あのまま島に留まっていれば、レクトール殺しの  
嫌疑をかけられていた俺は、フェーリス公の元に送られ処刑されたに違いない。だが真実を知る仲間たちや島の人々、そしてシビュラが  
逃げ延びるための手段を用意してくれたのだった。戦いの後のあまりに強い喪失感は、俺から自分の意志で前に進もうとする力を  
奪ってしまっていた。生き延びたいという気力も失い、いっそ死んでしまおうという強い意志も持てなかった俺は、帆に風を受け、  
波間に翻弄されるこの船のように、すべてを周囲にゆだねていた。あの時、もし周りの人間が俺を殺す段取りを整えていたのならば、  
俺はきっと怠惰に彼らの刃を受け入れただろう。  
 
堕天使を打ち倒し、『聖槍』を手にするという目的は果たされた。また、そのことは結果としてオウィス島の内乱を平定し、  
フェーリス公国の反乱の企てを未然に阻止することにもなった。シビュラが言うには、それは教皇猊下への謁見さえ許されるほどの  
功績だという。  
 
けれど、本国に向かう船の中で俺を支配するのは、手柄を得て凱旋する者の誇らしさどころか、敗残兵のような  
虚しさと無力感でしかなかった。栄えある輝かしい前途……そんなものが何の慰めになる?これから、何を  
いくら積み重ねたところで手に入らないものを失ってしまった俺に…。エレ……。  
 
『…いいよ、私が一緒にいてあげる。私の体をあなたにあげる。  
 そうすれば、あなたは消えはしない』  
 
エレ、君のしたことは正しいのだろう。君が自らの消滅に周囲のすべてを道連れにしようとしたあの堕天使を止めたお陰で、  
俺たちの命は救われた。イナンナは、バトラール家の当主としてこの島に尽くすことができることを喜んでいたし、  
エルリックとユフィールは、平凡な親子として幸せに暮らすことができるようになった。アエリアルは、信じるに足る人間もいる、  
と言い残し人魚の聖域に帰っていった。けれど俺は…、俺は永遠に君から置き去りにされてしまったんだよ…。  
 
 
543 名前:導き導かれて2 投稿日:2006/01/30(月) 06:41:28 ID:x6b3tH7s 
こんなことを考えるのはあまりに自分勝手で、共に戦った仲間たちに申し訳ないと思う。…だけどね、エレ、あの時、君と逝くことが  
できたならば、俺はそれで十分だったんだ。レクトールの心を侵し島の人々の運命を弄んだあの堕天使を倒したことで、  
俺の心は半ば満足していた。たとえ、奴が最後の力で俺たちを消滅に巻き込んだとしても、その復活を阻止できたことに変わりはない。  
 
そうなれば、15年という人生の短さを嘆く思いだってあっただろう。けれど、君と一つになれるような至福の感覚を前にしては、  
そんな思いなど掻き消えてしまったはずだ。少なくとも、こんな虚ろさに苛まれることはなかったはずだ。なのに、君は……。  
 
『私…あなたの気持ち…感じる。寂しかったんでしょう?封印の中…ずっと一人で…  
 あなたを一人では行かせないよ』  
 
そして、君がもうどこにもいないこの世界で君が遺した言葉を何度も何度も噛みしめている内に、命を救ってくれた君の真心さえ  
どこか疑うようになってしまっている。残された俺には、君がまるで俺といることよりも、あの堕天使と共にあることを選んだように  
思えてしまうんだ…。まるで、俺なんかよりも奴に惹かれていたようにさえ…。そして、強い孤独を感じていた者同士が  
惹かれ合い、一つになったようにさえ…。エレ、そうだったのかい……?  
 
「アルフォンス、聞いているのか?」  
「……ごめん」  
こんな恨み言のような一人思いを繰り返しては、ふと目覚めたように現実に戻る。あれからずっとその繰り返しだった。  
意外なことに、今の俺に対してシビュラは厳しく言うことをしなかった。いつまでも過ぎたことに拘り、感情に囚われている  
俺の弱さを、今回ばかりは不思議と責めたりはしなかった。  
 
「構わぬよ。だが、ここから先はしっかり聞いておけ。いい加減、これからのことについてしっかりと話しておきたいのでな」  
少し呆れたようにシビュラは言う。これからのこと…か。流されるようにしてここにいる今の俺には、やはり積極的に聞く気にはなれないことだ。  
だが、たとえ強く望まなかったにしろ、命を救われてここにいる以上聞いておかなければならない話だった。  
 
「…お前は恐らく、直属の騎士という形で教皇猊下に仕えることになる。教会の復権のため、ゆくゆくは元老院を  
 打ち破る尖兵としてな」  
生まれ育ったフェーリスを離れ、自分の力だけを頼りに生きていきたい。俺が抱いていた漠然とした望み。それがこれから  
叶えられようとしている。教皇猊下の覚えめでたき若き騎士という訳か…。でも、エレに会ってから思い描いていた未来に  
比べれば、そんなもの……。  
 
「騎士である以上、『教皇の手』とは違って日のあたる場所にも出ることもできる。まあフェーリス公との関係を考えれば、  
アルフォンス・レーエルという人間として世に出ることは難しいだろうが、代わりに別の名前と出自が与えられ、いずれは  
何食わぬ顔で神都を闊歩できるようになるだろうよ」  
レーエルか…。この新しい姓には結局なじめなかった。それを捨てることになんて、何のためらいもない。けれど、  
アルフォンスの名を捨てることになるのか…。エレが何度も呼んでくれた、アルフォンスの名を…。エレ、聞いたかい?  
君に置いて行かれた俺は、君が呼んでくれたアルフォンスではなくなってしまうんだよ…。  
 
「…」  
「…シビュラ、ごめん」  
言葉のたびに虚しい一人思いに陥りそうになる俺を、シビュラが強く見据えていた。今度こそ何を言われても仕方がない。  
けれど、彼女の方から先に目をそらすと、優しげにため息をついていた。  
 
「まあいい。…それにしてもアルフォンス、今にして思えばお前を見くびっていたのだな。お前の成長は私の想像など超えていた。  
個人としても、指揮官としても今のお前ほどに戦える騎士は、本国でもそれほど多くはないぞ」  
「…!」  
空洞のようになっていた心に、一瞬だけ、暖かい風が吹き込んで来た。もしかすると、慰めの意味もあるのかもしれない。しかし、  
シビュラがこれほどまでに認めてくれていたことに、俺は感慨深さを覚えずにはいられなかった。  
 
考えてみれば、おかしなものだ。レクトールに期待されることにはどこか重圧を感じていたというのに、俺はシビュラには  
自分から認められたいと思って戦ってきた。命を救われたこととは関係なく、彼女の力になりたいと思っていた。  
そして、彼女の言動や行動の端々に、俺という人間を認めてくれている様子を窺えるたび、それを成長の証のようにさえ感じていた。  
 
「フッ…、高々と持ち上げてから落とすようで悪いのだが、その騎士としての力量だけではこれから行く場所では通用しないのだ。  
今の教会はあまりに力がない。復権が成る日まで、騎士とはいえお前も少なからず『教皇の手』と同じような影の仕事も  
しなければならないだろう。……任務のために、何の恨みもない人間を利用し、陥れ、あるいは命を奪う。お前にその覚悟があるか?」  
「…」  
 
何の覚悟もなくここにいる俺には、耳が痛い話だ。戦いは、嫌と言うほどあの島で経験した。強くなったという確かな実感もある。  
けれどその戦いのほとんどは双方が訓練された者同士で、どちらが殺されても文句は言えない覚悟で臨む、言わば納得ずくの  
殺し合いだった。だが、シビュラの話を聞く限り、ここから先はそれだけでは済まないらしい。人の道から外れた謀略や暗殺の類に  
手を染めなければならないのだろう。あるいは命令があればビリュテの町への焼き討ちのように、民衆へ剣を振るうことも  
しなければならないのだろう。  
 
教皇猊下のため、ローディス教会のためなどという理由で、俺は自分の手を汚すことなどできるのか?そんなことに、  
これから俺は生きる意味を見出せるのか…?  
 
「アルフォンス、お前に覚悟があるならば、その任務に役立つことを教えてやろう。…密偵の心得などを説くつもりはない。  
今すぐ実地で経験させてやれることがあるのだ」   
「…シビュラ、頼む」  
俺をあれほどまで認めてくれたシビュラに、今更覚悟がないなどとは言えるはずもない。それに、これ以外の生き方なんて  
どうせ俺には残されていないのだから、という自暴自棄な思いにも後押しされていた。  
 
「いいだろう…。これは私も少なからず利用してきたし、容貌を考えればお前にとっても悪くない武器になるはずだ」  
…一体、何を教えようというのだろうか?俺の外見と、何か関係のあることなのか…?だいたい、何かを教わったところで、  
魂の抜けたようになっている今の俺に、身につけることができるのかどうかわからない。しかし、だからと言って、俺の目を少しでも  
未来に向けさせようとしてくれるシビュラの気持ちを考えると、適当に聞くような真似だけはしたくなかった。  
 
「では、これからお前に女の抱き方を教える」  
「お…んな?」  
 
あまりに淡々と語られた言葉の意味を理解できず、聞き返してしまう。そして、口にしながらその意味を理解していた。  
女を、抱く…?さっきシビュラは、実地でと言ったけれど……、じゃあまさか俺が…シビュラとそんなことをするというのか!?  
思いもかけない事態に鼓動が一拍ずつ力強くなって、速さも増していく。虚しさが支配していたはずのこの身体が、  
少しずつ熱くなっていくのを感じずにはいられない…。  
 
「シビュラ…、いいよ!俺は…そんな…こと」  
もう呆けたようになどしていられなくなっていた。それを悟られまいと、さっきまでの顔を作ろうとしたところで、  
もはや到底無理なことだった。  
 
「何か思い違いをしているようだな…。必要だから教えると、私はそう言っている」  
「必要…」  
「そうだ。心を許してしまった者には、話すべきでないことすら口にする。愛しいと思う者のためなら、踏み込んではならないと  
わかっている道でさえ平気で突き進む。人とはそういうものだ。影の仕事をするならば、それを利用しない手はあるまい?  
そしてそれだけの関係に至るためには……肌を合わせるということが最も効果的という訳だ」  
「…」  
 
こんなことを平然と言ってのける様を見て、改めて思い知らされる。シビュラはこういう生き方をしてきた人なのだと…。  
任務のためには女の武器を使うことさえ厭わない、手練の密偵なのだと…。しかしそれでも尚、俺はシビュラに対して  
嫌悪感など持つことはできなかった。レクトールが彼女に対して虫唾が走ると言った理由も、確かに理解できなくはない。  
だが、俺の心にある彼女に対する畏敬の念に似た思いは、やはり消えることはなかった。  
 
「ところでアルフォンス、女を抱いたことはあるのか?」  
「ある訳……ないよ」  
士官学校を出て騎士団に所属したばかりの15歳の子供に、そんな機会があるはずがない。島にいる間は  
無我夢中で戦っていたし、第一、俺にはエレがいた。戦いが終わったらエレと……、そう思っていたのに…。  
 
「…ならば、私がいくら言葉で説明したところで実感は湧くまい。それならば、まずは女に奉仕される  
 という気分を味わってみるといい」  
「シ、シビュラ…!」  
彼女は俺の感傷なんか無視して、一方的に話を進めていってしまう。それにしても、奉仕…?シビュラが  
俺に奉仕するっていうのか?何だろう…、その言葉だけで頭の中が掻き乱されて、さっきまで俺を支配していた  
悲しみの感情さえ、溶けるように消え失せてしまう。気が乗らないはずだったじゃないのか?俺は一体、何を  
期待してしまっている?  
 
「さあ、そこに横になれ。後は、すべてを私に任せていればいい」  
「ま、待ってくれシビュラ!言ってくれたっていいだろう。一体、何を…?」  
「私に任せろ、と言ったのが聞こえなかったか!」  
「……わかったよ」  
 
どう反論したところで、俺などとは比べ物にならない過酷な人生を歩んできたシビュラの理屈には、到底勝ち目がない。今まで何度か  
経験したことを思い返すと、俺は言いたいことを仕舞い込んで、大人しく靴を脱ぎ始める。けれど、ほんのわずかな違和感を俺は覚えていた。  
今のシビュラ、少し強引過ぎはしなかったか?いつもなら理詰めで俺を納得させてくれるシビュラが、今度に限ってはまるで  
力ずくで抑えつけたような…。いや、ただの気のせいだろうとは思うけど…。  
 
それはともかく、この従順さにはもう一つ理由があった。何のことはない……、実のところ何をされるかわからないことを  
不安がる気持ちよりも、期待する気持ちの方が、勝ってしまっていたからだった。俺はまるで魔女たちの瞳に操られる者のように、  
緩慢な動作で言われた通りベッドに上がると、そこに身体を横たえていた。  
 
仰向けになった俺に歩み寄り、まるで検分するかのようにシビュラは身体全体を眺めている。その視線を感じているだけで、  
期待と不安が両方とも膨れ上がっていく。これから一体、何をされるのだろうか?  
 
 

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