どこか遠く虫の声が響く湖畔。
皆が寝静まった夜更けに、ハボリムはひとり水面に身体を沈めていた。
戦いの日々も終盤に差し掛かり、本懐を遂げる時も近い。
リーダーの少年は「敏捷性の強化をしよう!」と最近この湖に駐在していた。
「…しかしまぁ、少々不便だな」
ぷかりと浮かび上がり、愚痴を漏らす。
周囲は忘れているかもしれないが、何しろ盲た身だ。
身を清める事ですら難儀で、醜態を晒さぬよう行動は自然、夜半になる。
ごみ同然に放逐された頃を思えば幾分ましになったとはいえ、
ご婦人も多いこの軍では気を遣う事が多かった。
だが、それでも。
「あら、月見の入浴なんて洒落てるわね」
宿ではなく野営だと、こんなニアミスを犯してしまう。
シェリーは軽い足音で忍び寄り、こちらの動揺もお構いなしに呼びかけてきた。
見つかっては仕方がない。身体を起こし、岸辺の彼女と向き合った。
「今夜は月が出てるのですか?…生憎判らないもので」
「ああ、ごめんなさい。貴方を困らせる為に言った訳じゃないのよ」
「構わないですよ。ところでこんな時間、どうして此処へ?」
「……眠れなくて、ね…」
彼女の声に、自嘲の響きが篭る。
それはいつも強気な彼女の、危うい脆さが表れていた。
「…申し訳なかった。ひとりの所を、こんな先客が邪魔をして」
「ふふ…気にしなくていいわ。眼福に与れたし」
「その……今更なんだが、服を取ってくれないか?私は早々に退散するから」
「どうして?どうぞゆっくりなさって」
「いや、見苦しい姿を晒し続けるのも宜しくないだろう」
「本当にいいのに。…そうだわ」
刹那聞こえる、衣擦れの音。
「ご一緒してもいいかしら…?」
不穏な囁きが耳に突き刺さった。
こんな事で狼狽する程、若くはない。だが彼女の真意は掴みかねた。
何の気負いもなく彼女は服を脱ぎ捨て、静かに水面へ脚を入れる。
「思ったより冷たくないのね。丁度いいわ」
「シェリー」
「月灯りの貴方があまりに気持ちよさそうだったから、私も…」
「……そうか」
「もちろん他の男となら、こんな事しないわ。貴方だって私の身体を拝もうものなら、
すぐにでも石にしてやるんだから」
冗談ともつかない台詞を口にして、徐々に近付いてくる彼女。
微かな波紋が身体を嬲る。冷たい指先が、胸に触れた。
「綺麗ね」
「まさか」
「本当よ。ねえ、どうして髭を伸ばしてるの?折角の美青年が勿体ないわ」
「あまりからかうな。髭は…自分で剃るのも面倒で、不精の末だ」
「その所為で最初見た時、父と同じ位の歳かと思った」
「それは酷いな。モルーバ殿にも、私にも」
小さな苦笑が互いの口から漏れる。
静かな夜に感じるのは、彼女の存在だけ。それは久しく忘れていた、甘く疼くような感覚。
彼女の指が背中へ滑る。冷たく柔らかな身体が絡みつき、思考をあっけなく遮断された。
「……何も言わないのね」
「…言うべき言葉など、私にはない」
「言ってくれるじゃない。でもその素っ気なさが、今は楽だわ」
引き寄せられるまま、口付けをひとつ。
何処にも想いが向いていない、傷の舐め合いのようなぬくもり。
流れてくるのは彼女の唾液と痛み。悩ましい程艶やかなのに、それは酷く虚ろで。
――困るんだ。頼むから無防備にさらけ出さないでくれ。私はそんなに、聖人君子じゃない。
彷徨う腕は拒絶せず、抱き締めもせず。
反応のない木石のような男に、彼女は飽かず唇を求めた。
緩やかに互いの口内を行き来する舌。
駆け引きもなく、熱情もなく。ただざらつきを擦り付け合い、痛みを共有する。
「…ッ、んぁ……。貴方、真面目な顔して質が悪いわ」
「…それは褒めてるのか、貶してるのか?」
「けなしてるに決まってるでしょう。傷心の女を受け留めるでなし、拒むでもなし。
一番罪作りでろくでもないわ」
「耳に痛いな。だが貴女を受け留められる程器が大きくないんでね」
「なら、拒みなさいな」
「拒む程、私は枯れていない」
「本当に最低ね」
「まったくだ」
答えがお気に召さなかったのか、彼女はむっと唸った後首筋に唇をあて強く吸う。
止める間もなく付けられた鈍痛に、跡の鮮やかさが窺い知れた。
慌てて手で抑えるも振り払われ、鎖骨に胸にと次々跡を残していく彼女。
「これは、酷いだろう。明日私はどんな顔して歩けと」
「ふふ、いいザマだわ。このまま残すのもヒーリングを頼むのも、どっちも見物ね」
「…質が悪いのは、貴女じゃないか」
「貴方がいけないのよ?そんな無防備に漂ってるから」
彼女の指が脇腹を辿り、舌がちろりと胸を舐める。
「…私なんかに捕まった。悪いけど今夜は、八つ当たりさせてね」
乳首を甘噛みされて、不覚にも息が上がった。灯されてしまった快感は、もう消えそうにない。
「身体を拝んだら、石にするんじゃなかったのか」
「ええ。でも貴方見えないでしょ?」
「見えずとも判るさ。…こうして触れていれば」
彼女を抱き締めると、華奢な肩が微かに震えた。
無防備はどちらだ。身体を、心を、そんな簡単に明け渡すな。
手加減が出来なくなるだろう?もっともそんな気遣いなど、とうに失せてしまっているが。
髪に指を絡め、噛み付くような激しいキスを彼女に。
彼女の躊躇いの声は侵略する舌に潰され、外に響くことはなかった。
暴れる舌を捻じ伏せて、思うがままに蹂躙する。
彼女の吐息はシャシャのように身体に響き、理性を容赦なく削っていく。
綺麗に並んだ歯列を辿り、口蓋に触れ、内壁を余さず暴き立てる。
とめどなく唾液がこぼれ胸を濡らす程になって、ようやく力を緩め彼女を離した。
「……ねぇ、髭を剃る気はないの?」
「特にないな。どうして?」
「キスに邪魔だわ。ちくちくして、口に入ったりするんだもの」
「生憎こんな爺むさい男に言い寄る、物好きな女性はいなくてね」
「あら素敵。私の場合、その皮肉はどこにかかるのかしら?」
つんつんと髭を引っ張る彼女に、思わず笑みがこぼれる。
彼女をまた引き寄せ、額にキスをひとつ落とした。
「一夜の気まぐれとはいえ、物好きに違いはないだろう?貴女は、酔狂でとても素敵な女性だよ」
「それは褒めてるの、けなしてるの?本当に食えない男ね」
「もちろん褒めてるよ。…さぁ、そろそろお喋りは止めよう」
唇は耳の柔らかさを、手は背中の滑らかさを、胸の弾力を確かめる。
あれ程冷たかった身体は水に濡れ、熱を持ち。何処も彼処も、冗談のように手触りが良かった。
濡れ髪を優しく払い首筋に唇を這わす。折れそうな鎖骨を辿り、窪みから胸の膨らみへ。
質量感溢れる双丘は手の中で自在に形を変えながらも、どこか頑なな張りを残している。
口に含めば緩やかに硬度を増す頂き。
丹念に舐め上げる度、彼女の鼓動が高まり切なげな喘ぎが漏れた。
髪をまさぐる細い指が、時折乱れ快楽と催促を知らしめる。
溺れるように顔を埋め貪り喰らう。そして、思い出したように悪戯の刻印を左胸にひとつ。
びくりと震えた後、彼女の手が額を軽く打ち払った。
「どうしてそう悪さをするの」
「服の上からは見えないさ。それにまぁ、先程のささやかな仕返しをね」
「悪い男にはお仕置きするわよ」
「それは怖いな」
彼女の手が脇腹から水面へ沈み、硬く起立する男性器に触れる。
焦らすように幹を撫で上げた後、不意に強く全力で握られた。
「――――ッ!」
突如襲った激痛と快感。
思わず腰が引けると、逃がさないとばかりに彼女の腿が脚を割り袋を柔らかく押しつぶす。
力を緩め艶めかしくうごめく指。擦り上げ握り、先端を押されると、抗えない程の刺激に苛まれた。
「一度、その澄ました顔を崩してみたかったのよ。…いいわ…ゾクゾクする」
「…私だってただの男だ。それより残念だな」
「何が?」
「今日程、貴女の顔を見たいと思ったことは、ない」
「"見えずとも判る"んじゃなかったの?」
「ああ、それでもだ」
唇は再び塞ぎ、互いの胸を密着させ、彼女の尻を掴み後ろから中心を撫で上がる。
薄い襞の奥の肉は指に吸い付き、水とは明らかに違うぬるみを纏わりつかせた。
すぐに流されてしまうそれを何度も絡め、一番敏感な芽へ塗りつける。
何度も震え、徐々に力を失くしていく身体。そしてより熱を帯び、おぼつかなる指。
彼女の手がただそれを握るだけになった頃、唇を離し侵略の許可を請う言葉を囁いた。
「…今更だけど、少し気になるわ。水が、変な感じで」
「貴女も可愛らしい事を言うな。ならば、岸にあがろうか?」
「ん…いいわ。誰に見られてるとも限らないし」
やっぱりちょっと、恥ずかしいじゃない? と耳をくすぐる彼女の言葉。
本当に、罪作りな女性だ。そんな事を言われて、正気でいる男など何処にいる。
彼女の左腿を高々と抱え込み、切先を入口へとあてがう。
しなやかな腕が首筋に絡みつき、彼女の香りが雄の本能を煽り立てた。
「ッ――――ゃぁあああッ!」
突き入れた瞬間、強く肩を噛み何かを懸命に堪える彼女。
その痛みも、ぬめりを流されひたすらに圧迫する内も、時を止めるのに充分な刺激。
身動ぎ出来ずに、波が収まるのを待って幾刹那。
「……ぁ、凄い…。貴方が、なかで 動いてる…」
彼女の呟きに追い立てられ、淫靡な音を撒き散らし抽出を開始した。
不安定な姿勢で無理やり突き動かす睦みあい。
通常なら潤滑油となる互いの体液も、抜き出す度に洗われ内は軋むようにきつい。
貫き上へ擦りつけると彼女の身体が揺らぎ、離れぬよう必死でしがみ付く腕。
漏れぬよう堪えても出る喘ぎ、暴走する鼓動。
その彼女の全てが、狂おしい位に愛しい。
唇を求めては喰らい付かれ、快感は更に天井知らずになる。
熱くて熔けてしまいそうだ。彼女の唾液は、海水のように飲み干す程に渇きを覚える。
もっと強く、もっと奥へ。もっと、もっと尽きるまで――。
長い長い戯れは、彼女の身体が痙攣し力なく倒れこんだ事で終わりを迎えた。
「…シェリー……?大丈夫か?」
「こんの、ケダモノが…。でもありがとう。今夜は、何も考えずに眠れそう……」
「待てシェリー、まだ寝るな」
「……ぅん…無理…よう……」
「頼むからッ!シェリー!」
頼みも虚しく、腕の中で安らかな寝息を立てる彼女。
仕方なしに彼女を抱き上げ岸辺に戻り、よく判らないローブに苦戦すること数刻。
結局出鱈目な着せ方をしたシェリーを担いでテントに帰ったのは、明けの鶏が鳴き出す頃だった。
出迎えてくれた同室のオリビアの視線が、質量を持って突き刺さる。
「…その…本当に済まない」
「何が、と聞くのも野暮ですね。でもいいんです。姉のこんな穏やかな寝顔、本当に久しぶりだから」
彼女を受け取ると、素早く身支度を整えて寝台に寝かしつける彼女の妹。
その手際の確かさに、改めて頭が下がる思いだった。
「さて、ハボリムさんもいいですか?その姿は、ちょっと艶めき過ぎですよ」
「……そんなに、その…酷いか?」
「ええ。あまりに、目の毒です」
「重ねて申し訳ない。頼んでいいか」
ヒーリングの柔らかな温もりが身体を包む。
情事の後始末を妹にさせるという、なんとも情けない結果でこの夜が終わった。
彼女が本当は"いいんです"と思ってなかったのを、自分のテントに戻るなり思い知った。
既に起きていたミルディンは、軽く息を飲んだ後、「ちょっと」と呼び掛けてくる。
腕を肩に廻し、辺りを憚るように囁く彼。
「貴方も隅に置けないですね…今日はこのマントを使いますか?」
「…その意味を、聞かない方がいいのかな」
「首元にひとつですから、そう目立たないと思いますが…この軍にはうら若い少年や、
何時までも子供の困った人がいますからね」
「……はぁ。自業自得とはいえ、こんな事はもうご免だな」
大人しく見えて、やはり彼女の妹。
姉に不貞を働いた男に、しっかりと報復をしていたのだ。
最初の発見者がミルディンだったのは、せめてもの不幸中の幸い。
これが未だいびきを上げるギルダスや、リーダーの少年だと思うと…胃が痛い。
何故、こんな気苦労を背負ってしまったんだろう。
「さて、今日のトレーニングの的は貴方に決まりですね。石じゃなく剣で思いっきり
挑みますから、覚悟して下さい」
「あまり虐めないでくれ。頼むから」
「果報者にはそれ位で丁度いいでしょう。…ああ、もう朝食ですね。行きますか」
テントを開けると初秋の陽光が暖かく照らしつける。
光を喪い、絶望に叩き落され、復讐だけが残されたこの身。
それでも。
理想を求めて、つたなく足掻く事を。
友と語る、何気ない日常を楽しむ事を。
そして、刹那とはいえ人を愛しむ事を。
そんな人間らしい事が、まだ出来るのを知った。
いや違う。喪っていたのを、この軍が取り戻してくれた。
刻限の時は近い。だが例え達しても、きっとまた、新たに歩んで行けるだろう。
そうして高いびきの騎士を残し、私達は慌しい朝へと踏み出していった。