○承前○  
 
   ―― ウォー!  
 
 
 時ならぬ勝鬨の歓声があがっている。  
 それが何を意味するのか、考える前に結果はわかっていた。  
 
 飛び込んでくるはずのウォルスタ人を待っていた騎士たちが動揺している。  
 先ほどまで剣の柄を握り締め、眦を決し全身に殺気を漲らせていた兵士達。  
 その全てが、警戒から恐怖へと切り替わっていた。  
 
   ―― あいつら強いぞ  
   ―― 勝てるのか?  
   ―― 何人居るんだ?  
 
 陣形を作り待ち構えるのだが、皆浮き足立っている。  
 
   ―― まずい。まずいぞ……  
 
 僅か数歩前に陣取っているテラーナイトが僅かに振り返った。  
 全身くまなく覆うプレートアーマーの、その兜のスリットから見える目が何かを促している。  
 
「諸君!」  
 
 密やかなざわめきに覆われていた城内の大ホールにザエボスの声が響いた。  
 
「うろたえるな!奴らは広場での戦闘で疲れている!傷ついている! 奴らとて無敵ではないのだ!」  
 
 ローゼンバッハ家の家紋が入った剣を頭上に掲げ、さらに声を絞り出す。  
 
「たとえ前衛が傷つき倒れても、まだ我々が居る。我々が倒れても、我らに続くものたちが居る。死を恐れるな!」  
 
 ホールの中にある者の視線がザエボスに集まる。  
 それを気にせずにザエボスは叫び続ける。  
 
「我々は永遠である!我々が倒れてもガルガスタンは滅びない!ガルガスタンがある限り我々は永遠である!」  
 
 ウォォォォォォォォ!!!!!!!!!!!!!!!  
 
 ホールの中の兵士達が叫ぶ。  
 まるで自らの肩に手を回した恐怖を力ずくで振り払うように。  
 
「剣をかざせ! 声を上げろ! ここが奴らの墓場だ! 我々は屍を踏み越えて行くのだ! 薄汚いウォルスタ人を踏みつけろ!」  
 
 恐怖に駆られた騎士や戦士達が大声を上げている。  
 直接の戦闘に加わらぬはずの僧侶ですらも声を上げている。  
 これから死線を踏み越える仲間を励ますために。  
 そして、自分の恐怖を誤魔化すために。  
 
 ガン! ドタン! バタン!  
 
 重々しい音が響き大ホールの扉が開いた。  
 じんわりと滲み出す嫌な汗を乾いた夜の風が入ってきて乾かしてくれる。  
 
「ザエボス!」  
 
   ―― あの小僧だ!  
 
「貴様はゴリアテのデニム! ジルドアを殺ったのは貴様なのか!」  
 
 ジルドアの笑顔が脳裏をよぎる。  
 いつも冷静で、どこか余所余所しくて。  
 でも、あの笑顔を愛していた。  
 
「解放軍に追われている身だとばかり思っていたが、それはバルマムッサのように我々を欺くためだったのか?」  
「人聞きの悪いことを言うなッ。僕は解放軍の人間じゃない!」  
 
 若々しい声だ。年の頃ならまだ15か16か。  
 いや、ウォルスタ人は少し若く見えるはずだから、もう少し年上だろうか。  
 
「私利私欲のために民族紛争を利用する公爵や枢機卿といっしょにするのはやめてくれッ!」  
 
    ―― 若いな……  
 
「他人のために戦うとぬかすかッ!正義ヅラした偽善者めッ!」  
 
 フン!と鼻を鳴らしザエボスは剣を抜いた。  
 磨きぬかれたバルダーソードが鈍く輝いている。  
 ローゼンバッハ家の家紋が入った見事な設えの剣には僅かな血錆びも残っていない。  
 
 ただ、霊感の強いものならば見えるのだろう。  
 存在するだけで周囲に恐怖を撒き散らすテラーナイトの様に。  
 この剣のまわりに漂う恨みつらみの怨念が。  
 
「そう言って、何人の人間を殺した? 貴様の手も血で汚れていよう」  
 
 力のこもった眼差しでグッと睨みつけたザエボス。  
 その死線の強さにデニム・パウエルは僅かだが気圧された。  
 
「所詮、俺も貴様も同じ穴のムジナだ」  
 
 ニヤリと笑い剣を持ち替えたザエボス。  
 その切っ先を床にドンと下ろし、柄の先端へ手を乗せてなおも睨みつける。  
 
    ―― フン!  
 
 忌々しい小僧から目をそらし、その後ろに居る小規模の戦闘集団へと目をやるザエボス。  
 一人ずつ値踏みするかのように見ていたその目に、あの扇を持つ僧侶を見つけた。  
 恐怖の色を微塵もみせないその女は、まるで悪魔でも見るかのようにザエボスを睨み付けている。  
 
    ―― ジルドア……  
 
 
「おっ…… おっ…… おっ…… おまえ 名前は?」  
「……ジルドア」  
 
 コリタニ城下町の街角。  
 士官学校の帰り道、出会い頭にぶつかった女をザエボスは見ていた。  
 
「騎士が女を弾き飛ばしたんなら手ぐらい差し出しなさいよ!」  
「……すまない」  
 
 抱えていた機動戦闘教本や戦闘指揮に関する本を持ち替え、ザエボスは無意識に右手を差し出した。  
 個人戦闘教練の帰り道と言う事で、クタクタになるまで教官に扱かれた一日だった。  
 その上、帰宅するまで重い甲冑を下ろしてはならないとされていた。  
 
 半ば朦朧としていたと言っても良いザエボスの右手。  
 その手には重厚なガントレットがはまったままだ。  
 
「そんな手をつかんだら私の手が痛いでしょ!」  
 
 早叫ぶと同時に蹴り上げたジルドアの足がザエボスの右手を蹴った。  
 
     ―― バシ!  
 
「いっっっっっっっったぁぁぁ・・・・・!」  
 
 サンダル履きの足でガントレットを蹴れば痛いのは目に見えている。  
 剣やハンマーで殴られても平気なように作られた篭手作りの防具。  
 それを女の足で蹴ればどうなるか、目に見えている。  
 
「だっ! だいじょ……うぶ か?」  
 
 涙目で見上げるジルドアをザエボスはどうして良いかわからず見ている。  
 
「少しは気を使いなさいよ! デリカシーの無い男ね!」  
「すっ すまない 疲れててボーっとしてた」  
 
 ガントレットを外したザエボスがもう一度手を伸ばす。  
 しなやかな皮の手袋まで外したその手にジルドアは手を伸ばし、そして再び引っ込めた。  
 物凄い汗の臭いにジルドアは顔を顰める。  
 
「あなた! 臭いわよ! あっち行って!」  
 
 よっこらしょとばかり立ち上がったジルドアが数歩下がってザエボスを見ている。  
 
    ……わが祈り、イシュタルの灯火となりて……   
 
 どこかで聞いた詠唱だ。  
 そう、これは……  
 
 
    ―― ヒーリング……  
 
 一瞬視界が白くなったかと思うと、全身の筋肉に詰め込まれていた鉛のような疲労感がフッと抜けていった。  
 先ほどまで薄暗いほどだった視界がパッと明るくなり、夕暮れの光に見えるその女が、実はかなりの美人だと言うことに気が付く。  
 
「あなたの為にしたんじゃないからね! 次にどこかの女がぶつかったら 次はその女が死ぬからよ!」  
「え?」  
 
 ふと気が付けば、あれほど肩に食い込んでいた甲冑の重みをザエボスは忘れていた。  
 それどころか、錬闘場から講堂まで走らされて悲鳴を上げていたふくらはぎの筋肉まで痛みが消えている。  
 
「街の治療屋なら50ゴートの料金よ! お礼くらい言ったらどうなの?」  
「申し訳ない。女性と話しをするのは苦手なので気が回らなかった。どうか許されたい」  
「そんな事……」  
「私はザエボス。ザエボス・ローゼンバッハ。あなたの御厚情に感謝する。そして」  
 
 若き騎士は一歩下がって踵を揃え、立派な家紋の入った剣を捧げ腰を折る。  
 
「ご迷惑をおかけした。申し訳ない。どうか許されたい」  
 
 頭を上げたザエボスが見たもの。  
 それはポカーンと口をあけて驚いている女の姿だった。  
 
「あっ あなた…… ローゼンバッハって言えば」  
「いかにも。我がローゼンバッハ家は代々尚武の家系。私も騎士団へ入るため訓練に明け暮れています。ですから、どうか」  
 
 よく見れば、そのぶつかった騎士の着ている甲冑も、手元に見える皮の手袋も、とてもじゃないが平民出の騎士が買える様な代物ではなかった。  
 何より、士官学校に通うような未熟な騎士が、背後にお付の者を2人も連れているわけが無い。  
 
「若様、お時間が」  
「うん、わかってる」  
 
 若い騎士は抱えていた手箱から小さな皮の袋を取り出すと、中から小さな硬貨を取り出した。  
 
「不快な思いをされたでありましょう。これでどこかで冷たいものでも召し上がってください」  
 
 まだポカンと眺めているジルドアへ、ザエボスは硬貨を手渡した。  
 汗の臭いに混じって、どこか芳しい花の香りがしている。  
 
「では失礼する」  
 
 握り締めた右のこぶしを胸にあて、ザエボスはもう一度僅かに頭を下げ立ち去った。  
 まだ幼さが残るジルドアの顔に僅かな紅が見える。  
 偶然出会った男は、ガルガスタンの貴族社会でも屈指の名家。  
 貧しい家に生まれ何の取り柄も無く、ただ口減らしの為に神学校へと放り出された小娘にとっては、それこそ奇跡の出会いだ。  
 
 そして、後にこの出会いが運命であった事を彼女は知る事になるのだが……  
 
 
    ―― お前もあんな目をしていたな  
    ―― これでも俺は運命の出会いだと思っていたんだぜ  
 
 
「おまえのようなヤツがいるからッ!!」  
 
 ややヒステリックに叫ぶ少年の声がホールに響きわたった。  
 理想に燃える少年の眼差しから理性では無く殺意の炎が見える。  
 
「若いな……」  
 
 呟くようにこぼしたザエボスの声は、ウォルスタ人の兵士たちが抜き放った剣の音に掻き消された。  
 誰かが雄たけびと共に切り込んでいく。  
 剣と剣がぶつかり合い、金属の悲鳴が鳴り響く。  
 あるものは炎の魔法を詠唱し、その背後では誰かがマジックエキスのビンを開けていた。  
 
 剣と槍と弓と魔法と、そして、血と汗と魂の削りあい。  
 その光景を何か演劇でも見るかのようにザエボスは眺めていた。  
 
    ―― 仇は撃ってやるぞジルドア  
 
 顎を引きグッとにらみ付けたザエボスの眼差しに、狂気の色が滲み始めていた。  
 

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