ジャリ……ジャリ……  
 
「ねぇザエボス。落ち着いたら?」  
 
 ジャリ……ジャリ……  
 
「解ってるさ、今更どうにもならない事ぐらい」  
 
 ジャリ……ジャリ……  
 
「歩き回っても疲れるだけよ?」  
 
 ジャリ……ジャリ……  
 
「落ち着いてなんか居られるか!」  
 
 ウロウロと歩き回っていたザエボスが立ち止まったのは正門前の草むらだった。  
 遠くに見えるウェオブリ山のシルエットが赤く染まって見える。  
 
「あの英雄気取りの坊やさえ……」  
「もう……それは言うな…… 枢機卿猊下ですら……  手遅れだ……」  
 
 物心付いた頃より、剣の柄か盾の握りしか持ったことの無いザエボスの無骨な手。  
 その節くれ立った指が美しいセイレーンの髪を撫でていた。  
 
「俺は間違ってるだろうか…… ジルドア、どう思う?正直に答えてくれ」  
「その答えは誰もわからないわ。だって、正しいか間違ってるかを答えられるのは……」  
 
 セイレーンは小脇に抱えていた大きな扇を広げ、その羽にかかれたルーン文字を指でなぞった。  
 その指先の動きが酷く淫猥に見えるのは、自分がきっと追い込まれている証だろう。  
 ザエボスはそんな風に思いながる次の言葉を待っていた。  
 
「きっと、未来の人間だけだから。だから私達は信じた道をしっかり生きるべきじゃない?」  
「……お前はいつも前向きだな。そう言うところが羨ましいよ。俺なんかいつも人を羨んでばかりだ」  
「もっと自分に自信を持つべきよ。あなたはガルガスタン王国の筆頭騎士なのよ?」  
「元、だろ。その筆頭騎士が主を捨てて逃げ出したくなってるよ……」  
 
 武人として恥しくない生き方をしろと育てられたローゼンバッハ家の後取りは、僅かな手勢のみを連れて立てこもっていた。  
 かつての栄光を今に伝えるコリタニ城の尖塔には、その栄華の残り香のようなガルガスタン軍旗がはためいている。  
 
「この城が、我が栄光のガルガスタン最後の希望とはな……」  
「まだ…… 奥の手があるじゃない」  
 
 その言葉にザエボスは天を仰いだ。  
 
「まだ、殺し足りぬ。そう枢機卿は言われていた。愚昧な民衆をまとめ結束させるには信頼か、恐怖か。そう……」  
 
 視線を足元へと落とした大柄な騎士は剣の柄へと手を伸ばす。  
 
「枢機卿猊下はさぞ無念であったろうな」  
「・・・・・・・・・・・・・・・・」  
「この剣はいったい何人の血を吸ったのだろうな」  
「あなたらしくも無いわね」  
「……弱気に見えるか?」  
「えぇ」  
 
 寂しそうに笑った騎士と魔女。  
 そっと歩み寄ったザエボスの太い腕がジルドアを抱き寄せた。  
 
「ジルドア。もう一度ガルガスタンを再興しよう。枢機卿の血を引く子供がまだ居るはずだ。俺たちで」  
 
 見詰め合う男女の視線が絡む。  
 しかし、その魔女は静かに首を振った。  
 
「それは無理よ。だって、あの枢機卿の子孫を……」  
「だから奥の手があるんだろ」  
「もっと殺すようよ」  
「しょせん血塗られた道だ。あの英雄気取りの偽善者とは違うんだ。今更申し開きなどしない」  
「立派な騎士道だ事」  
 
 いたずらっぽく笑ったジルドアは背伸びしてザエボスの首へ手を回しキスした。  
 柔らかな唇の感触を忘れがたいザエボスがもう一度抱き寄せてキスを反す。  
 
「ジルドア。今からお前だけ脱出してくれ」  
「そんな事!」  
「俺みたいな血塗られた男にも未練は有る。ローゼンバッハ家が潰えたら俺は先祖に顔向けが出来ない」  
「じゃぁ」  
「どこかで俺の子を生んで育ててくれないか。そしていつか、もう一度ガルガスタンが再興する日の為に」  
 
 熱く語るザエボスの胸元をするりと離れたジルドアは、数歩下がって草むらに立ち俯いた。  
 
「私の二つ名を知らないあなたじゃないはず」  
「……障碍の」  
 
 再び顔を上げたジルドアがサバサバとした表情だったのはザエボスには意外だった。  
 何を言うかと思っていたのだが、その拍子抜けさに驚く。  
 
「私は障碍のジルドア。私は女じゃないの。私はただの…… セイレーン」  
「お前……」  
 
 大柄の扇を広げたセイレーンはその妖しい光を僅かに放つ扇で口元を隠した。  
 
「魔道を極めようとする者は、皆それぞれに大なり小なり、何かを犠牲にするものよ」  
「じゃぁ、お前の場合は」  
「私は…… 仕方が無かったの。何の取得も無いただの小娘が猊下のお役に立つのならね」  
「だから、その扇か」  
「えぇ。せめて女らしくしろって。これでも何度か寝室へお誘いを頂いたのよ」  
「………知らなかった」  
「でしょ。女には幾つも秘密があるものよ」  
「じゃぁ、あの夜の……  
 
 何かを言いかけたザエボスの言葉をかき消すように一人の兵士が階段を駆け上がってきた。  
 
『ザエボス様!』  
 
 無言で視線だけ向けるザエボス。  
 威圧感あるその眼差しに気圧された兵士は跪き報告した。  
 
「あの小僧がやってきました!おそらく数小隊規模の集団です!」  
 
 片方の頬肉だけを持ち上げて卑屈そうに笑みを浮かべたザエボス。  
 ジルドアは口元を隠したまま目だけ笑っていた。  
 
「仇を取るチャンスね。あの坊や、解放軍を放逐されたそうじゃない」  
「まとめて叩き潰すにはちょうど良いな」  
 
 僅かに思案したザエボスは兵士に命じた。  
 
「周辺を固めろ、敗残兵は絶対に逃すな。皆殺しにして見せしめにする。全戦力をここへ揃えろ!」  
「それはだめよ!」  
 
 思わず口を挟んだジルドアが扇をたたんで兵士に命じた。  
 
「ここへは精鋭だけを揃えて。力勝負よ。実力の違いを思い知らせるの。あなたは城内へ突入する連中を切り捨てて」  
「おい、それじゃあ!」  
 
 ジルドアはにやりと笑った。  
 
「私を誰だと思ってるの? 猊下御手ずからこの扇を下賜いただいた魔女よ。あんな坊やに後れを取らないわ」  
「……死なないでくれよ」  
「それは私の言葉よ。有能な騎士の子を養子に取って暮らしましょう。もう一度あのころの様に」  
 
 何も言わず剣を抜き放ったザエボスは剣捧げの姿勢をとった。  
 
「お前の言葉、今の俺には猊下の言葉と同じだ。あの小僧の首を取ってガルガスタンが滅んでいないことを見せてやる」  
 
 ふと気が付けば城内で待機していた兵がゾロゾロと正門前へ集まり始めた。  
 
「命知らずは正門前!腕に覚えのある者は城内広間!首集めは城の周辺を固めろ!かかれ!」  
 
 混乱しつつも統制の取れた動きは国力ある国の軍隊特有なのだろう。  
 あっという間に陣形を整えた兵士達は暗闇の中に現れるはずのウォルスタ人を待ち構えている。  
 
「さぁ、あなたは城内へ」  
 
 囁くようなジルドアの声が妙に色っぽく聞こえる。  
 ザエボスは抜き放っていた剣を鞘へと治めた。  
 
「ジルドア。この戦いが終わったら…… どこか海の見える街で静かに暮らそう」  
「そうね。楽しみにしてるわ」  
 
 そっと歩み寄ってもう一度キスする2人。  
 兵士達は見てみぬ振りを決め込んでいる。  
 
「誇り高きガルガスタン兵士諸君!猊下の恨みを晴らすぞ!薄汚いウォルスタ人どもを皆殺しにしろ!」  
 
 兵を鼓舞するザエボスの声に城の中や外や、そして周辺に居た兵士達が喚声で応えた。  
 正門が勢い良く開き城内の広間が見える。  
 
 悠然と歩いていくザエボス。  
 多くの兵士達の精神的支柱はもはや彼しかいなかった。  
 常に泰然としていた枢機卿はもう居ない。  
 精神的劣勢に立たされた兵士達の為に、ザエボスは有能な指導者としての振る舞いですらも要求されていた。  
 
 常に主の命を忠実にこなす事のみに生きてきた彼にとって、その使命は聊か荷が勝ちすぎていた。  
 多くの者が寄せる期待と信頼。それに応え続けなければならない立場。  
 
 あれほど嫌っていたウォルスタ人のあの英雄気取りの小僧へ、急に妙な親近感を感じたのは気のせいではなかった。  
 
「死なないでね」  
 
 ジルドアの声がザエボスを現実世界へと引き戻す。  
 一瞬の間に頭の中を駆け巡った様々なイメージが有能な騎士であるはずの彼を混乱させる。  
 
「ジルドア。皆殺しだ!」  
 
 冷厳と言い放って城内へ消えていくザエボス。  
 最後に一瞥をくれたジルドアは後姿だった。  
 
 そしてそれが、ザエボス・ローゼンバッハの見たセイレーン・障碍のジルドア、最後の姿だった。  
 
 
 ……たぶん続く  
 

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