「今でもね、バルマムッサの夢を見るのよ」
ときどきだけど、と小さく付け足して、彼女は笑う。
無理やり自らを嘲笑しようとしている、そんなふうに目に映った。
「そのたびに思うの。遺恨を残さずとか、水に流しましょうとか、偉そうに言えるの?
女王なんて器が、資格が、私にはあるの? って」
長い髪が俯き加減の顔にかかる。
目元は隠れてしまい、至近距離でも見えない。
唇は硬く笑んだままだ。
それがどうにも、痛々しい。
「不安なの」
強気な彼女は、本当は脆い。
わがままと気の強さは、不安と寂しさの裏返しにすぎない。
だから弟を、暗黒騎士団を、必要としてくれる誰かを常に渇望していたのだ。
なんと素直なくせに、不器用なのだろう。
そんなことは、とうの昔に知っていたけれど。
だって、いったいどれだけの歳月、この人だけを見つめてきたのか。
きっと彼女は知らない。
「……言ったろ。人は、自分の罪を悔い改めることのできる動物だって」
肩を抱き寄せる。
触れ合う素肌があたたかい。
けれど、女性らしい柔らかな丸みを帯びた身体は、以前に比べて少し痩せてはいないか。
「デニムだってそのために戦争を終わらせて、そしてゼノビアに行ったんじゃないか。
過ちを繰り返さないために、償いのためにな」
「デニム、か……」
ぽつりと弟の名を口にする彼女の、頭をくしゃくしゃと撫でる。
わずかに乱れた髪と、汚れのないベッドのシーツが、月明かりに薄く白く光った。
前髪をかき上げてやり、そのままこちらに顔を向かせる。
やっと目が合った。
「ったく。いい加減に弟離れしたんだから、今度はちゃんと俺を見てくれよ」
「……あら、やだ。寂しかったの?」
ひとつまばたきをして、からかうように笑う彼女。
ようやく、明るい笑顔を取り戻してくれた。
ほっとする。
「悪いかッ」
ずっと好きだったんだから、という言葉は飲み込んだ。
わざと、拗ねたような表情を作ってみせる。
「ま、仕方ねえわな。俺は万年補欠のナンバーツーだし」
「そんなこと……」
どこかの暗黒騎士の言葉を引用して笑うと、彼女は対照的に、困ったように眉尻を下げた。
そんな顔をしてほしかったのではない。
ぽんぽん、と軽く頭を撫でる。
「今まではデニムが一番で、俺が二番だった。これからはお前が一番なんだよ。
民衆を導く役割は、お前のもんになったんだ」
「私に……そんな大役が務まるのかしら」
「大丈夫だって。二番手がいるだろ?」
実際、総大将は性に合わない。
戦争中に小さな組織を率いてみて実感した。
大きな部隊の総指揮を執るよりも、その中の小隊で敵を撹乱したり囮になったり、
本隊を幇助するように立ち回るほうが向いている。
ならば、平和を手にした今の世で、己のすべきことは。
「人を導くのがお前なら、お前がもう二度と道を違えないように見守ってやるのが、
ナンバーツーの俺の役割だ。
国民はお前を頼る。お前は、つらくなったら俺を頼ればいいさ」
あの夜、バルマムッサで彼女らを止めることができなかった。
今度こそは間違えない。間違えさせたくない。
償い、と口にするのは簡単なことで。
けれど、その重さは、細い身ひとつで背負うにはあまりにも過酷な重さで。
倒れてしまう、支えるものが何もなければ。
「お前はこの国の全員を広く、等しく見渡さなきゃならない。
でも、俺はお前だけを見てるから。いつでも支えててやるよ、カチュア」
だから、カチュアと呼ぶ。
女王などではない、その人の名を。
そうすることで、今この瞬間だけは、さまざまな重圧から解き放たれて
ありのままの彼女に戻れるはずだから。
「せめて、こうしてるときくらい、そんな夢のことなんか忘れちまえ。
何もかも忘れて、俺だけ感じて溺れとけ」
愛しい人をぎゅっと抱きしめて、額に口づけを落とす。
鍛え抜いた男の背中に両腕を回してきた彼女が、くすくすと笑った。
「……キザ。似合わないわよ」
「うるせえ」