「姉さん……」
デニムの頭には、軍の事など皆無で、カチュアの姿しかなかった。
カチュアは死んだ。
今の彼に指揮能力がないのは、誰が見ても明らかだった。
モルーバやヴァイスがいくら説得しても無駄であった。
最愛の姉を失ったデニムの悲しみや絶望は、誰よりも大きかった。
唯一人、この女を除いては。
「ハボリム……なんで………どうして貴方まで……」
元・ロスローリアンのコマンド、オズマもまた、最愛の相手を失い
怒りと悲しみで覆われていた。
バーニシア城攻略において、ハボリムは戦死し、カチュアの説得には失敗したのだ。
「オズ…ハボリム…どうして私は2人を失わなくてはならない……」
かつて自らの半身を失ったオズマだったが、当時は、仇討という感情で
任務に没頭することができた。
しかし、ハボリムから全てを聞かされ、仇討よりも
祖国を正しい姿へ導くこと、そして最愛の相手と共に歩むという理想の為に
憎しみを捨てデニムの元へ加わったのだった。
「ハボリムを失った今……私がこの男の元で動く意味があるのだろうか?」
総長やバールゼフォンを見限り、祖国に正しい道を歩ませようという目的はある。
しかし、指揮能力を失った男の率いる軍に、
ましてや愛するオズの仇である集団に留まる必要性はあるのか……?
「………討つか」
オズマは決意した。
指導者が腐った集団に所属し総長を討つよりは
独りローディスに戻った方が遥かに良い。
解放軍を抜ける。やるべきことをやってから。
「オズ…せめて貴方の元へあの男を送るわ」
デニムは昼間少しだけ会議に出ては、後は自室に籠っていた。
チャンスはいくらでもある。
「私はローディスの誇り高き騎士───暗殺など容易いが方法は……」
オズマは常にデニムの様子を伺っていた。
そしてある晩、2人きりになれる機会を見つけた。
深夜、皆が寝静まった頃、デニムは自室から出て外へ向かった。
「姉さん………もう会えないんだね……」
どこへ向かう訳でもなく、ただ、カチュアの事だけを考え足を進めるデニム。
背後から、周囲を伺いつつ忍び寄るオズマ。
「姉さん……僕はもう…どうしたらいいか………」
デニムの顔も、体も、心も、廃人のようになっていた。
「解放軍指導者であるデニム・パウエルに申し上げる!」
デニムの背後から、凛とした口調だがどこか強張った声が聞こえた。
「今をもって、私は軍を抜けさせて頂く」
振り向いたデニムが目にしたのは、かつての敵・オズマだった。
ライム・クリザローで対峙した時のような、いや、それよりも険しい表情であった。
「───そして、我が弟・オズの仇を取るべく、これより決闘を申し込む」
「………?」
デニムには状況が理解できなかった。
抜ける?オズ?決闘?
軍を放棄するほどカチュアの事しか頭にない彼にとって、
オズマの事情など、考えられるはずも無かった。
「これを取りなさい」
デニムの足元に、新品と思える輝きを放つ剣が突き刺さった。
「オズマ……さん?」
オズマは愛用の鞭を手に取ると、思い切り鳴らした。
その動きは、怒りで満ちていた。
「デニム。お前はもう、指導者失格だ。そんなお前に従う意味などない。
そして…こうなった貴様は……オズの仇でしかない!」
オズマはデニムの足元めがけて、鞭を鳴らした。
「さあ、剣をとりなさい。1人の騎士として、命をかけて貴様を討つ!!」
戦いの事など頭に無いデニムだったが、オズマの気迫を前にして、やや正常心を取り戻す。
「ちょっと待ってください。僕は貴方と戦う訳にはいかないし、それどころじゃない……」
「降伏は認めない。剣を取れ。もしくは、黙ってオズの所へ行け」
オズマの鞭が、デニムの足に当たる寸前の所で鳴った。
「今ここで僕たちが戦ってどうなるんですか?」
「貴様はもう、軍の指導者ではなく、オズの命を奪った仇だ」
オズマは怒りにまかせて鞭をふるった。
デニムのつま先に、痛みが走る。
「ちょっと、やめてください。戦う訳にはいかないし、戦いたくもない!」
「それは貴様の理屈だ。オズを殺しておいて、勝手な事を言うな」
オズマの鞭が、デニムのすねに当たる。
「僕が憎いと言うなら、この命を捧げます。でも、戦乱を終わすまで待ってください」
「私情により責務を放棄する貴様が言う台詞ではないな」
オズマは本気だった。鞭が、デニムの胴体へと飛ぶ。
デニムは、体に走る激痛により、戦場の感覚を思い出した。
「これ以上僕を攻撃するならば、本気で対応させてもらいます」
デニムは足元の剣を手にして構えた。
表情も動作も、指導者としてのデニムに戻っていた。
オズマは再度、デニムへと鞭をふるう。
怒りにまかせたその動きは、激しくもあったが雑であり、デニムは見切った。
鞭を踏みつけてデニムは話す。
「確かに僕は貴方の肉親を奪いました。でも、今はなすべき事がある。
ここで争ってる場合ではないんです。」
「勝手な事を。カチュアの死により、それを放棄したではないか」
デニムの表情が変わった。
(そうだ、姉さんを失ったこの戦いに意味なんて……)
オズマは隙をついて近づき、顔に強烈なビンタをはなった。
口から血を流し倒れるデニム。
オズマは仰向けのデニムに鞭を容赦なくふり降ろす。
デニムの体に激痛が走る。
「…貴方に……貴方に何が分かるんですか!
最愛の姉を洗脳されて自害させられる気持ちなんて………」
デニムはオズマの鞭を手で防ぎながら叫ぶ。
「私だって、最愛の弟を失ったわ」
オズマはデニムを踏みつける。
(泣いている……)
デニムは涙を流していた。
それは、体の痛みによるものではなく、初めて、デニムが心の弱みを人前に晒したからだった。
「僕は…今まで……ヴァレリアの為に戦ってきました……でも…
姉さんの事を思うと………」
「父さんは……カチュアを救ってやれるのはお前だけと言い残したのに………
僕は父さんも姉さんも救う事はできなかった!」
オズマは、涙を流して叫ぶデニムに、どこか心をくすぐられた。
「お前……」
「父さんの望みも、姉さんの幸せも、僕にはどちらも叶えられなかった!!」
デニムはひたすら声をあげて泣いた。
「うっ……うっ……あいつらさえ来なければ………父さんは…」
(そうか…デニムにとって、私は親の仇だったのだな)
オズマは溜息をつく。
「デニム………泣いている場合ではない。
こうしている間にも、総長──タルタロスは、自らの思想の為に
ローディスに、ヴァレリアに犠牲をもたらす」
「本当に父と姉のことを思うならば、どうすればいいか分かるな」
オズマはデニムから足をどかし、語った。
気迫に満ち厳しい口調だったが、怒りではなく優しさのこもった言葉だった。
「はい……僕は…解放軍を率いて………やつらを倒す」
上体を起こし、泣きながら答えるデニム。
「そうだ。お前には、タルタロスと戦うという使命がある。
それが、お前の父の望みでもあり、姉の仇討でもあり、そして
私の最愛の相手の望みでもあった」
(ハボリム………貴方は、この少年に希望を抱いてたのね)
「はい、僕はなんとしてでも、やつらを倒してみせます!!」
強い口調で答えるデニム。
「決闘はタルタロスを倒すまで預けておく」
「はい……」
「それまで、指導者としての責務を果たしなさい」
「はい」
オズマは厳しい口調で語った。
そして、涙を流すデニムの頭に手を添え撫でながら
優しい口調で耳元で囁いた。
「でも、辛かったら、いつでも私の所に来なさい。坊や」