目の前の男に上機嫌で髪を撫でられながら、しばき倒したい、と吹雪は本気で思った。  
 
 
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飲み過ぎたせいか、常より随分としつこい行為に付き合わされたせいか、  
吹雪が目を覚ましたのは昼もとっくに過ぎてからだった。さらりと肌を  
滑る真っ白いシーツと二日酔いでぐわんぐわん揺れる頭を抱え、不幸な  
ことに昨夜の自分の暴挙をばっちり記憶している吹雪は、あまりの羞恥と  
情けなさでちょっと泣きそうになった。  
お酒の力ってなんて恐ろしいんだろう。いや違う、酔い潰れてあいつに  
絡むなんて自分はなんて馬鹿な真似を。  
穴があったら入りたい。いっそ消えたい。  
 
 
吹雪は元来真面目な質である。父親がいない家庭で育った彼女は、  
成人してからも特に家族と飲み交わす機会もなく、一人晩酌をするよりは  
翌日の講義の予習に励むことを選ぶ人間だった。家にあるアルコールと  
いえば料理酒か消毒薬くらいのもので、もちろん飲酒の習慣などあろう  
はずもない。付き合いであれば酒が入る場所にも抵抗なく参加したが、  
仕切り屋な性格も加わり、誰かと飲みに行くと酔っ払いの介抱に夢中に  
なってまず自分の酒まで手が回らない。そうでなくとも他人が正体を  
失くすかもしれないという思いが常に頭にかかって、酔いが回るまで  
飲むことはほとんどなかった。  
そんな吹雪が昨日、初めて深酒をした。  
千尋と二人きりで特に止めるべき相手がいない状況のせいか量を過ごした  
彼女は、この日まで自分の限界を知らなかったのである。  
 
ほとんど初めてという泥酔状態に、吹雪の脳は発熱時と同じく正常な  
活動を放棄した。普段の自分が聞いたら鳥肌が立つような甘ったるい声を  
出した。こともあろうに自ら千尋に抱き着いた。甘えるように彼の胸元に  
すり寄り、その薄い唇に口付けたときにさえ何の疑問も羞恥も  
沸かなかったのだから、アルコールの力って本当に怖い。  
そしていつも人を食ったような態度の男が珍しくぽかんと間抜け面を  
晒しているのを見て気分をよくした吹雪は、調子に乗って愚か極まりない  
ことを言ってしまったのだ。  
 
 
「この先もする?」  
 
 
その後のことは思い出したくもない。  
 
 
酒で失敗したという話はよく聞くが、まさか自分に起きるとは思っても  
みなかった吹雪である。もしこのことが大和にバレたら潔く死のう。彼に  
平気で男を誘うような破廉恥な女だと思われるなんてとても耐えられない。  
思考が物騒な方向に陥っているところに突然ドアが開き、吹雪は  
飛び上がるほど驚いた。頭の中は軽く恐慌状態である。  
「ああ、起きた?」  
淀みない足取りでベッドに近付く千尋に、パニックのまま体を覆っている  
シーツを胸元に引き寄せる。フェロモン云々は未だに吹雪の感知する  
ところではないが、さすがに裸を見られて平然としていられるほど豪胆でもない。  
「体、大丈夫?」  
ハイお水、と冷たい液体が波打つグラスを渡され、情けなさここに  
極まれりな吹雪に一体何が言えるというのだろうか。  
大丈夫かと問われれば頭は痛いし腰も痛い。喉だってがらがらだし、  
何より全身が怠い。要するに最悪だ。しかし原因は十割方自分にあるので  
千尋を詰るわけにもいかない。むしろ体調が万全なら頼むから昨日の  
ことは忘れてくれと詰め寄りたいくらいには精神的ダメージの方が  
大きかった。あんなのは自分じゃない。  
 
「いやあ、吹雪ちゃんからのあーんな熱烈なお誘いハジメテだったからさ。  
オレもつい頑張っちゃった」  
「……知らない」  
酷い声だ。どうやらあの甘ったるい声は昨日出しきってしまったらしい。  
芋づる式に思い出しそうになった昨晩の記憶に慌てて蓋をして、グラスの水を嘗める。  
「あれ、覚えてないの?飲み過ぎだよ吹雪チャン」  
窘める口調の千尋に無言で返しながら、吹雪は早くも考えることを放棄した。  
もうこの際酔って忘れたことにしよう。自分が口走ったあれやこれや、  
いつになく余裕のなかった千尋は、まとめてなかったことにした方が  
精神衛生上いい気がする。揶揄い甲斐がなければ、きっと千尋もすぐに  
忘れるだろう。  
未だ通常運転には遠い頭が半ば願望じみた結論を出すも、千尋の舌は  
絶好調で回り続けている。吹雪は明らかに酒の残痕ではない頭痛を感じて  
頭を押さえた。  
黙れこのサド男。  
 
「それにしても昨日の吹雪ちゃん、可愛かったよねェ。千尋だいすき、  
な―んて言っちゃってサ」  
「……覚えてないってば」  
「えーそうなの?じゃあもっかい言ってよ」  
「誰が言うか!」  
「じゃあ『あんだめえ吹雪しんじゃう』は?」  
「そ、それは言ってないっ!」  
「――覚えてるんだ?」  
 
 
しまった。  
 
 
ギ、とベッドが鳴いた。腰掛けた千尋の腕が伸び、長い指が吹雪の髪に  
絡む。その胡散臭いほどの笑顔に、こいつは人を追い詰めるとき本当に  
愉しそうだなと吹雪はしみじみ思った。  
「……き、」  
「ん?」  
「きのうは酔ってたし、」  
「うん」  
「ちょっと調子が……わるくて、だから、」  
「うん」  
そんな声出すなこの馬鹿と喚き散らしたい気分だった。わかっている、  
これはやつあたりだ。負け惜しみだ。相変わらず恋愛耐性の低い  
吹雪には、千尋相手に甘やかされている事実がこの上なく恥ずかしいのだ。  
自分が耳まで赤いのがわかる。ちょっと涙まで出てきた。  
「……千尋、」  
「うん?」  
「…………すき」  
「うん、オレも吹雪チャンのこと大好きよ」  
くっくと喉で笑いながら旋毛に口付けられる。いつものように髪を  
梳かれ、吹雪はまともに顔を上げられないまま、しばき倒してやりたい、  
と心の中で唸った。  
しばき倒したい。もちろん昨日の自分をだ。  
 
 
終わり  
 
 

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