在りし日。  
 
 はっし!とばかりに箸で箸を掴むという、お行儀のよろしくない食卓上の戦いが  
今まさに火蓋を切ろうとしていた。  
 尖った眼光が交差する。二人の間に目に見えぬ緊張が走った。  
「アオ兄ィ・・・そりゃオレの目刺だ」  
「お前のはもうない。これは俺のだ」  
「違う!アオ兄ィはちゃんとさっき自分の皿に取って食ってたろ、オレちゃーんと  
この目で見てたんだからな!」  
「そりゃ食べるときは皿に取り分けるだろ。十兵衛、それをお前はバクバクバクバク見境もなく!  
ちったあみんなの配分ってもんを考えろよ、兵站は戦の生命線なんだぞ!?」  
「知らね。オレ食べ盛りだもーん」  
「程がある!見てみろこれを!」  
 秀康がパカっと蓋を開けて見せたお櫃の中には、米粒一つ無く、  
空しくしゃもじが一本だけ転がっていた。  
 しかも畳の上には同じように空っぽのお櫃が累々と。  
「これは殆どお前一人で食ったんだろうが!あれか、お前の腹は富士の風穴にでも繋がってるのか?  
それとも頭の後ろにも一つ口をこさえているのか、キリキリ白状しろ!」  
 ちちち、と茜が箸を持ったままの手で人差し指を振り、  
「細かいこと言うなよアオ兄ィ。――――――――オレのお代わり記録は最高三十杯だぜ?」  
「さんじゅっ・・・お前は本当に人の子か!?」  
「もー、あんまりくどいと女にモテねえぞ・・・隙ありっ!!」  
「させるかぁ!」  
 てりゃとりゃおぉっと!当らねーよ!そこだあ!  
 白刃の代わりに激しく箸が乱舞する争いを、双方を除けば唯一同席している男は  
全く止める気配も見せず、一人黙々と自分の膳を食べ進めていた。首に掛けた数珠に墨染め、  
僧形・・・と呼ぶには剃髪もしておらず、三十路を越したとは見えぬ外見に似合わず  
不思議と老成した雰囲気を漂わせる男である。  
 結い上げた髪が全て雪のように真っ白に染まっていることも、そう思わせる要因かも知れない。  
 丁々発止と、しみったれた戦いが――――――結構高度な目にも留まらぬ攻防であるだけに、  
尚更そう見える、なにせ皿の上には目刺がぽつねんとしているだけなのだ―――――――  
眼前で繰り広げられているというのに、平然と一人味噌汁の入った椀を傾けたりしている辺り、  
どうにも彼も普通の神経を持った人間ではないらしい。  
 
 カッ、カカカッ!と鋭い音が宙を切る。苦無でも投げ合っているような音だが、  
箸がかち合っている音である。  
 突っ掛かってきた茜を適当にあしらおうと思っていた秀康だったが、  
予想外に白熱する状況に、十も年の離れた子ども相手に大人気なく本気になり始めていた。  
 暫し手を止めて息詰まるような緊張の中で睨みあい、茜はふてぶてしい笑みを浮かべた。  
赤い鬼ノ眼も爛々と燃えるように輝いている。  
「へへ、やるじゃねえかアオ兄ィ・・・オレと食いもんで争ってここまで互した奴は、  
柳生の荘にもいなかったぜ」  
「お前もな。どこもかしこもまっ平らなチビっ子だと思って甘く見ていた・・・」  
 むかっ。  
「チビって言うんじゃねぇー!」  
 禁句に激昂した茜が、瞬時に頭に血を上らせた。勝った!心の中で快哉を叫ぶ。  
秀康は勝利を確信した。やはりまだ尻の青い子どもだ、この程度の挑発に易々と引っ掛かるとは。  
 先程まで「攻撃こそ最大の防御」を体現した茜の堅固な防御陣が崩れ、  
無闇に突っ込んできた茜の無造作なまでに大きく開いた腕の下の間隙を縫い、  
紫電の如く箸を奔らせる。  
「しまっ・・・!!」  
 茜が愕然と目を見開いても、時既に遅し。秀康の箸には皿の上の程よく焼けた最後の  
目刺の一尾を獲得する栄光の手ごたえが伝わって・・・こなかった。  
 ひょい、とさり気なく、それはもう本当にさり気なく、あまりのさり気なさに  
かえって嫌味を感じるというくらいの何気ない箸捌きで、二人の目の前から得物が  
浚われてしまったのだ。  
 呆然と凝視する二人の視線の先で、横合いから掻っ攫った件の男は  
最後の目刺を丁寧に咀嚼し、徐に頷いた。  
「うむ」  
 咄嗟の出来事に固まったままの二人に、天海は重々しく言い放った。  
「―――――――――二人とも。味噌汁が冷めるぞ」  
「くっ・・・空気読めよこの野郎お!!」  
「空気嫁とは朝から下品な」  
「言ってねえよ!!」  
 絶叫、そして癇癪を起こした茜の拳をスカした余裕の態度で見切ってかわし、  
更にムキーッ!と茜が地団駄を踏んで頭から湯気を立てんばかりになって、  
秀康が暴れる獰猛な小童を羽交い絞めにする。  
 茜はジタバタとがむしゃらに両手両脚を動かし、秀康の腕を振り切ろうとした。  
「殴る、この生臭坊主ぜってー殴る!離せよアオ兄ィー!!」  
「待て、十兵衛!殿中でござる!」  
「ここは旅籠だー!!」  
「お客さーん、困りますよお。下まで響いてんですけど」  
「すまんな亭主。聞き分けのない童が一人いるのだ。ついでに食後の白湯を一杯所望したい」  
「うおおムッカつく!アオ兄ィ、武士の情けだ!せめて一太刀!!」  
「斬る気満々か!?落ち着けって言ってるだろうが・・・しっかしお前本当細っこくて  
棒みたいな体つきだなあ。食った分の飯は一体どこに付くんだか、ってコラ、  
俺の鳩尾狙って肘打ちするな!」  
「お客さぁん」  
「すまんな亭主。ところで白湯はまだかな」  
 朝餉騒動は続く。  
 
終  
 

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