「…く………ん、ぅ…」
目の前で曝される、痴態。
「気持ち良いのか?」
呼び掛ける声は、普段の自分のそれとはまるで違う程低く聞こえた。
「ゃ…違っ……あ、ぁ…」
本人は精一杯否定しているつもりだろうが、桜色に染まる肌と、蜜を滴らすソコを見るだけで、それは只の虚勢に過ぎないとわかる。
「ゃ……こんなの、ヤだよぉっ…」
何度この言葉を聞いた事か。
それでも止めない。止められない。
理性が、効かない。
いけないものを見てしまった。
付き合い始めて半年。出会ったのはガキの頃。
惚れたのは、…何時からだったか。
昔からの付き合いだったからか、未だに付き合っているという実感がない。
それでも、コイツを好きだという気持ちに嘘はない。それは十兵衛も同じだろうと、なんとなくではあるが確信している。
勿論、俺にだって欲というものがある。一般的にいう、性欲というものも勿論持ち合わせている。
でも今は、十兵衛を抱こうとは思わない。そういう行為は、俺が学を学び、きちんと就職し、食わしていけるようになってからする事と思っているからだ。
周りの奴は、それを「古臭い」と笑う。確かに、今の時世ならそれは何十年も前の考え方だろう。
単に「周りが経験しているから」とか、「快楽に溺れたいから」等という安直な理由でセックスをするのは、猿と同じだというのが、俺の考えだ。
なにより、『十兵衛を大切にしたい』という思いが1番にある。
例えそれが、恋仲は恋仲でも友達のような関係が良いという、俺の自己満足な願いだったとしても。
それでも、多少なりとも欲に負けてしまうこともあって。
そんな時は、十兵衛の事を考えながら、己の欲を沈めるのだ。
という訳で、十兵衛とは、未だにキスは愚か、手も繋いでいない。
しかし、そんな思いも崩れてしまった。
退屈な学校が終わり、十兵衛が通う学校へと足を運ぶ。
俺の学校と十兵衛の学校は、さほど距離があるわけでもなく、ほんの10分も歩けば着いてしまう。
校門前。そこが、俺達の待ち合わせ場所だ。
そこで待ち合わせ、街へ行くなり家へ帰るなりしている。
コンビニに入り、ひんやりとした空気の中、雑誌コーナーへと足を運ぶ。そこからなら、窓が硝子張りになっている為に十兵衛が出て来たらすぐに顔を合わせることが出来るからだ。
適当に雑誌を選び、ぱらぱらと読む。どれもこれも低俗な物ばかりだ。小さく溜息をついて、窓の外を見る。すると、校門の前で立っている十兵衛が目に入った。
「なんだ、もういたのか」
小さく呟いて、雑誌を閉じる。すると、十兵衛は自分の横にいた男の体を叩き、俺の事を指差しながら嬉しそうに何かを話していた。
声は聞こえないものの、自分以外の男と話している十兵衛を見ただけでムカムカする。
いつから、こんなにガキっぽい感情が生まれたんだろうか。
その時だった。
男が、十兵衛と同じ視線になるように屈む。十兵衛が、なんだ?というように、首を傾けて不思議そうに男を見る。当然、俺の視線も男から離れなくなる。
男は十兵衛の顎を指で挟み、自らの首を傾けると、俺の方からは見えないように顔を重ね合わせた。
何があったのか、わからなかった。
思考が停止する。
あの角度では、何をしているかが明らかだった。
俺がしたくても、出来なかった事。
十兵衛を大事にしたいという、思い。
それが、1人の男の勝手な行動で崩されてしまった。
「………くそッ!!」
突然の事だったせいで、未だに思考が纏まらない。
近くにある雑誌を蹴りあげたい気持ちを必死に押さえてコンビニを出た。
校門に目を移すと既に男はいなくて、十兵衛だけが立ちすくんでいた。
一見見れば普段とは何も変わって見えないものの、ほんのりと赤くなっている頬はさらに俺を苛立たせた。
「おい」
小さく、それでいて低い声で十兵衛に声をかける。
その声に気付いたのか、俺ににっこりと笑いかけてくる。それが嬉しいはずなのに、今は何故か、笑い返す事が出来なかった。
「おぉ、アオ兄ィ!なんだよー、もう来てたなら早く来てくれれば良かっ「今の、誰だ」
言葉を遮り、静かに問う。
腹の中は煮え繰り返っているのに、どうしてこんなにも冷静でいられるのか、不思議だった。…否、こんなのは、“ふり”に過ぎないのだろうが。
「え?…あぁ、友達!そうそうそう、友達なんだ!」
明らかに取って付けた様な答えが、余計に俺を煽った。
『ただの友達が、キスをするのか?』
大声で叫び、出来る事ならばあの男を殴りたかった。殴っても殴り足りない程、十兵衛の唇に触れたあの男の唇が切れて腫れ上がるまで、殴り倒したかった。
だから、俺は十兵衛の体を何も言わず抱き上げて、自分の家を目指して走った。
頭の上から驚きと不満の声があがっても、何も言わないまま。
学校からさほど離れていない、人通りの少ない住宅街。そこが、俺達の家のある場所だ。
十兵衞を抱き抱えたまま、家までの道を行く。自分の家が見えてくると同時に歩調が速くなり、扉を荒々しく開けて家に入る。
駆け足で階段を昇る。振動がいくのか、十兵衞が小さく悲鳴をあげている。
が、そんな事を気に出来るほど、俺は落ち着いていなかった。
自分の部屋の前に立ち、荒々しく扉を開ける。それと同時に、俵を担ぐように肩に抱き抱えていた十兵衞をベッドへと放った。
「あいたっ!何すんだよ、アオ兄ィ!!」
不満を更に濃くして、俺を睨むように見る。そんな視線を浴びせられても、今の俺には何も感じるものはなかった。
ただ、あるのは怒りと憤り。真っ黒な気持ち。
投げ掛けられる不満等ものともせず、自分からベッドに飛び込み、十兵衞の両腕をがっちりと掴む。
その行動が何を意味するのかわからなかったのだろう、相手の瞳から不満や少しの怒りが消えた。代わりに沸き上がったのは、小さな疑問。
「…アオ兄ィ、なんで怒ってんの?」
俺が普段とは違う事にやっと気付いたらしい十兵衞は、そう問いた。
だから、俺は言った。
「キス、されたか?」
聞いてから、今更何を、と思った。
俺は普段から、自分の目で見た物が正しいと思っている。百聞は一見に如かずとは、まさに俺のような事を言うのだろう。
だから、さっき見た事は現実であり、真実なのだ。自分が普段から信じて違わない事を、俺は今、自ら否定しようとしていた。
そこまでしてでも俺が欲しい言葉は、一つだけだったのだ。
ぎり、と腕を掴む力を強める。まるで、俺の欲している言葉を言え、と強要するように。
しかし、現実は無慈悲だった。
俺の言葉を聞いて、だんだんと十兵衞の頬が朱に染まり始める。それが、答えだった。
―――愕然とした。
そんな訳無いだろ、と言って欲しかった。ばかだなぁ、アオ兄ィは、と。
あの男が十兵衞に口付けた事は、間違いではなかったのだ。
途端に、腹の底から渦巻いていたどす黒い感情が俺を包んだ。
その矛先は、男にでは無く、十兵衞に向いた。
何故拒まなかったのだ、と。
お前はあの男にどうして隙を見せた、と。
理不尽な意見だとはわかっていた。拒まなかったのではない。突然の事故、拒めなかったのだ。そんな事はわかっている。
それでも、吐き出さなくては治まらなかった。
ぎり、と奥歯を噛み締める。
顔が歪んだ事に怯えたのか、十兵衞は俺に不安げな視線を送った。
今は、それすらが演技に見えた。普段は活発な十兵衞が時折見せるか弱さ。それは、男を騙す武器なのだ、と。
俺は、長い間それに躍らされていた、くだらない男に過ぎないのだ、と。
そう思った刹那、俺の手は十兵衞の腕を離していた。
十兵衞の腕に、俺の手の痕がくっきりと残っていた。
相手が開放感に溜息を吐いたのも束の間、俺は制服のネクタイを引き抜き、十兵衞の腕に巻いた。
素早い行動に呆気に取られてしまったのか、十兵衞は成すがままだった。
ネクタイの端を、ベッドに結ぶ。これで、腕を使う事が出来ないだろう。そう思っただけで、ふ、と自然に笑みが浮かんだ。
そこには、普段から生意気な十兵衞を、屈服させる良い機会だと思う自分がいた。
勿論、十兵衞のその生意気で勝ち気な口ぶりや行動は、照れ隠しであったりする事等はわかっていた。同世代特有の、恋人同士の間で起こる、擽ったいような気持ち。相手の事が好きだからこそ起こり得る、優しい感情。
それまでもが、巧みな演技なのだ、と思い認識する自分がいた。
こんな感情を持つ自分は、俺自身知らなかった。
自分は、周りよりも好きな人間の事を考えられると思っていた。
何があっても、十兵衞を好きでいられる、と。
周りの環境に流されて人と付き合うというような愚かな事はしない、と。心から好きな奴とだけ付き合い。そして、相手に触れたい、と。
それがどうだ。自分の考えを覆されれば、暴走する。相手を信頼しなくなる。好意を、忘れる。
所詮、自分は井の中の蛙だったのだ。流行りの歌手が軽々しく口ずさむような愛情程度しか、好きな相手に向けていなかったのだ。
自己嫌悪の感情が、爆発した。
更に強く奥歯を噛み締める。視線をおろおろと様々なところへ動かしながら、十兵衞が俺を見つめている。
―――汚してしまおう、と思った。
今の俺から見れば、不可抗力とはいえ、他の男の体に触れたコイツは既に汚れたも同然だった。
なら、更に汚してしまえば良い。そう思った。
黒は他の色に染まらない。どんな色が混じっても、黒であり続ける。
それならいっそ、黒をもっと深くしてしまえば良いのだ。
この手で、十兵衞を汚すと決めた。
それは自分の都合の良い解釈だ。十兵衞を信じろ。今すぐ戒めを解け。そう叫んだのは、きっと俺の声ではない。言い聞かせるように、繰り返し頭の中で呟いた。
ふぅ、と息を吐く。それを見て、アオ、と十兵衞の唇が動いた。
名前なんて、呼ばせない。今の俺は、十兵衞が知っている俺では無いのだ。
せめて普段から十兵衞が良く言っている、『優しくて恰好良い』という印象の俺のままで汚してやるのが最良だ。
十兵衞の胸元に手をかける。セーラー服の胸で呼吸に合わせて揺れるリボンの下に手をつけると、そのまま薄い布地を引き裂いた。
ビリビリという音が、やたらに耳に心地良かった。
「…………は?」
ぽかんとした十兵衞の顔と、その場に似合わない間抜けな声は、俺の知っている柳生十兵衞茜そのものだった。