オオカミさんシリーズの頭取さん×アリスさんで、『長ブーツを履いたアニキな猫』の後書きの  
彼氏に二股をかけられて捨てられたアリスさんと慰めた頭取さんの次の日のお話です。  
 
 
 
なんだかとっても懐かしい夢を見ていた、とアリスさんは思った。  
ふわふわとしていた意識が浮かび上がって覚醒を迎えるその手前。薄れていくのは遠い昔の大切な光景。  
――うん、アリスちゃんが望むならいつまでだって一緒にいてあげるし、どんな怖いことがあっても私が―― 優  
 
しい声はそこで途切れた。  
代わりに降ってきたのは、耳に良く馴染んだ、いとこの声。  
「おはよう、アリスちゃん。やっと目が覚めた? 二日酔いは大丈夫?」  
「……りっくん」  
顔を覗きこんでくる頭取の向こう側に、自宅のものとは違う天井が見えて、それが何度か訪れたことのある  
一人暮らしをしている頭取の部屋のものだと思い至って、アリスさんの意識はようやく本当に覚醒をした。  
そして次の瞬間慌てて飛び起きる。  
「ど、どうして私がりっくんの部屋で寝てるんですかっ」  
「覚えてないの?」  
「覚えてなんて……そういえば、私、りっくんを呼び出しましたよね」  
「思い出したみたいだね? アリスちゃん、しこたま飲んで潰れちゃったでしょ?」  
「飲みましたけど……だからって連れ込んだんですか」  
「うーん、連れ込んだって言えば連れ込んだのかも知れないけれど、酔いつぶれたアリスちゃんを家に送るには  
もう時間も遅かったからね? スーツが皺になっちゃ可哀想だから脱がして着替えさせはしたけど、ほとんど  
目を瞑ってやったし、具体的な行為はまだなにもしてないから許してね?」  
そう言われれば自分が見覚えのないパジャマを着ていることにアリスさんは気付く。さすがにブラは  
していたので、頭取さんの言葉に嘘はなさそうです。けれど着替えさせられている様子をリアルに想像して  
しまい、真っ赤になりながらアリスさんは問う。  
「まだってなんですか、まだって」  
「だって僕達、昨晩婚約したじゃない?」  
「こっ、婚約?!」  
 
へらへら笑いながら重大な事実をさらりと告げる頭取に、アリスさんは心底驚愕した叫びを上げた。  
まぁ当たり前ですよね。失恋の愚痴を吐き出す為に酔っ払って呼び出して、なんだかすっごく絡みに絡んで  
酔いつぶれて、目が覚めたら婚約ですよ。色んな過程をすっ飛ばすにも程があります。  
目を白黒させているアリスさんに頭取さんは説明を始める。  
「だってアリスちゃんが言ったんだよ? 『心にもないこと言わないでください! だったらりっくんが  
もらってくれるとでも言うんですか?!』って? 僕は『いいよ?』って言ったよね?」  
「確かに言いましたけど」  
「だから婚約でしょ? それともあれは酔った勢いで水に流しちゃう? って、まぁまずお水でも飲むかい?  
咽喉渇いてるでしょ?」  
頭取さんはあらかじめ用意しておいてくれたのか、少し汗をかいたミネラルウォーターのペットボトルの蓋を  
開けてグラスに注いぐとアリスさんに手渡した。両手でそれを受け取ったアリスさんは無言で口をつける。  
乾いていた咽喉に冷たい水が滑り落ちる感触が気持ちいい。  
少しの間を置いたお陰で、アリスさんは寝起きの混乱から立ち直る。アリスさんが落ち着いたのを見計らって、頭  
 
取さんはベッドサイドに避難させていた眼鏡を手渡してあげた。この辺りの阿吽の呼吸が幼馴染ですね。  
突発的な出来事に弱いアリスさんの性格を知り尽くしています。逆にアリスさんは頭取さんの性格も弱味も  
握っているので、二人の関係は五分五分なんですが。  
渡された眼鏡をすちゃっとかけると、アリスさんは空になったグラスを返して息を大きく吐く。もう大丈夫だと確  
 
認して、相変わらずにこにこしている頭取さんと真正面から向き合う。  
「愚痴に付き合ってくれたのはありがとうございます。お陰でちょっと楽になりました。でも婚約って、  
りっくん、彼女いるじゃないですか」  
「別れたよ?」  
「……いつ?」  
「もう半年近く前? 言ってなかったっけ?」  
「聞いてませんよ」  
「きれいさっぱりとフラれちゃったんだよね? あのね、アリスちゃん。こなったから言うわけじゃないけど、  
聞いてくれる?」  
アリスさんが頷くと、頭取さんの顔から嘘くさい笑みが消える。常は見せない真剣な表情に、アリスさんの  
背筋が思わず伸びてしまったのは仕方がありませんよね。普段の頭取さんってば昼行灯もはなはだしい人な  
わけですから。  
 
「アリスちゃんもよく知ってると思うけど、僕は誰かと付き合っても長続きしなかったよね。赤井君や  
大神君なんかは僕が駄目人間だからだって言うし、それは正解なんだと思ってる。でも理由はそれだけじゃ  
なくてね、僕の好きなる人はいつもある人に似てるんだ。好きになった時は意識してなくても、別れた後冷静に  
思い返したら分かることってあるだろ」  
そこまで言って頭取さんは僅かに目を伏せた。意外と長い睫毛が淡く影を落とすのをアリスさんは無言で  
眺める。頭取さんのこんな顔をアリスさんは知っている。傷付いている時だ。  
「僕が付き合った子を通して誰かを見ているのを、彼女達は分かってたんだよね。だからフラれちゃって。  
そりゃそうだよね、心の中に一人の大切なお姫様がいるような男と付き合いたい物好きなんていないから」  
――いつかの約束通りに助けに来ましたよ。お姫様。  
二人の長い付き合いの中で『お姫様』と呼ばれたことが一度だけあったのを、アリスさんは思い出す。  
あの時も頭取さんはアリスさんを助けに来てくれた。昨夜の呼び出しに嫌な顔一つせずに応じてくれたように。  
自嘲的に肩を竦めた頭取さんはアリスさんの目を見ようとしない。そんな頭取さんに焦れて、アリスさんは  
小さな声で呼びかけた。  
「……りっくん」  
「気が付くのに時間がかかった。僕はアリスちゃんと生まれた時からの付き合いで、いとこで幼馴染で、  
親友で、家族みたいで……だからそれ以上の肩書きはいらないと思っていた。そうすればずっと一緒に  
いられるって思っていたから。でも間違いだった」  
頭取さんが何を言おうとしているのか、聡いアリスさんにはもう分かっていた。口を挟まない理由なんて  
たったの一つ。聞きたかったからだ。普段飄々としていて、中々本心を見せてくれない幼馴染が自分を  
どう思っているのかを、アリスさんは長い間ずっと知りたかったんですから。  
伏せていた目を上げて、頭取さんはアリスさんを真っ直ぐに見る。  
「僕は君が好きだよ、アリスちゃん。子供の頃からずっと好きだった」  
薄い唇から放たれたのが、本当はずっと欲しかった言葉だったのだと、アリスさんはやっと気付く。  
高校生の頃からショートカットのままの髪。付かず離れずだった距離。表面上文句を言いながらも、  
ずっと傍にいた理由。全てが一つのものに向かって伸びている。  
 二三度口を開きかけては閉じていたアリスさんは、一度目を瞑ると、意を決して口を開く。  
 
「りっくんは私でいいんですか?」  
「いいよ。アリスちゃんがいい」  
「可愛げがなくっても?」  
「僕には十分可愛いけど?」  
「一人で生きていける強い女だからって、浮気されて捨てられるような女でも?」  
「それは相手に見る目がなかっただけでしょ? 本当はそうじゃないって知ってるし、僕は浮気はしないよ?」  
「じゃぁするなら本気ってことじゃないですか」  
アリスさんは拗ねたように呟いた。わずかに唇が尖っていることに、きっと本人は気付いていません。  
常のクールなお顔からは想像も出来ませんよね。アリスさんが拗ねて唇を尖らせているなんて。  
これはアリスさんの甘え方。頭取さんだけに向けられる、不器用な甘えだ。勿論それを受け止められない  
頭取さんではない。だって頭取さんはやる時はやる男なんですから。  
俯いたアリスさんの視界の端に、頭取さんのシャツが過ぎる。あれ、と思う間もなく、アリスさんは実力行使に  
出た頭取さんにぎゅっと抱き締められてしまう。突発事項に弱いアリスさんが大混乱をしかけたその時。  
「好きだよ、アリスちゃん。」  
優しい声が耳朶を擽った。その声にアリスさんは何故だかひどく落ち着いてしまう。  
「アリスちゃんが望むならいつまでだって一緒にいてあげるし、どんな怖いことがあっても僕が守ってあげる」  
「ほんとに?」  
「ほんとに」  
幼い頃の誓いをもう一度なぞるやり取りに、アリスさんは小さく笑いながら、こんなにも落ち着けるのは  
ここがりっくんの腕の中だからなんですね、と心の中だけで呟いた。  
背中に回されていた腕がうなじを撫でて後頭部に添えられる。少し身体が離れて、頭取さんの唇はまず  
アリスさんの額に触れた。  
「あの時は指きりだったじゃないですか」  
「うん、そうだね? でももういい大人だし?」  
いつのまにか常の口調に戻った頭取さんの目が、優しく優しく細められた。  
唇に吐息がかかる。アリスさんは避けようとはせずに、頭取さんの唇を受け入れる。硝子細工に  
触れるかのような慎重さで、一番最初にキスが唇におりた。生まれた時からの付き合いで、今までずっと  
近くにいたのに、頭取さんの唇がこんなに柔らかいのだとアリスさんは初めて知った。  
 
自分を抱き締める腕も、子供の頃とは違って細いながらもそれなりに筋肉のついた男の人の腕だ。女装もとい  
変装が趣味の頭取さんは男としては華奢な方だし、どちらかといえば中性的に見えるから分からなかった。  
睫毛の触れそうな距離でアリスさんが囁く。  
「だったら、一生傍にいて下さい」  
「約束する。僕が一生、アリスちゃんを守るよ」  
頭取さんの誓いは、二人の唇の間に甘く溶けた。  
 
こうして幼馴染でいとこ同士なアリとキリギリスは遠回りの末にやっと結ばれたのでした。  
って、実際に結ばれるのはもう少し先になりそうですけどね。あ、これって下ネタですよね。  
何はともあれ物語の最後はやっぱりこうでなければいけないのではないでしょうか。  
二人は一生仲良く暮らしましたとさ。めでたしめでたし。  
 
 
 

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