「ットライク!バッターアウト!」
また一つ三橋君がアウトをとった。
私は野球にはあまり詳しくないのだけれど、小さくガッツポーズをつくり田島君達と頷きあう三橋君の様子に、どこか高揚している自分に気付く。
まわりの皆が熱狂するなかで、じっと三橋君を見つめる私に、クラスメイトの一人が声を掛けてきた。
「…さん、今のでツーアウトだよ。次の人がアウトになったらウチの勝ちだね!」
彼女は、野球はよくわからないと言った私に、ときおり声を掛けて状況を説明してくれる。
彼女の説明によると、後攻の学校が勝っている時は、九回の表が終わった時点で試合終了ということらしい。
もうすぐ三橋君の投げる姿が見れなくなる、そう思うとすこし心が乱れた。
話している間にも、幾度か頷いた三橋君は、ちいさく振りかぶってボールを投げる。
相手のバッターは動かず、ボールは小気味よい音をたてて受けとめられた。
相手の高校のピッチャーと比べて、三橋君のボールはそんなに速くないように見える。
それなのに、三橋君はなかなか点をとられない。
そのことを隣の女の子に聞くと、阿部君のリードがいいからじゃないかな、と答えてくれた。
それにしても、狙ったところにそうそう投げられるものだろうかとも思うのだが、声援を送る彼女にさらに問い掛けるのも気がひけて、三橋君の姿に集中する。
教室にいる時と違って、グラウンドの真ん中に立っている三橋君には、どこか凄味のようなものがある。
なんというか、いるべき場所にいる、そんな感じがする。
緩く弧を描いたボールが阿部君に届く前に、キンッという音が聞こえ、皆が息を飲む。
視線を伸ばした先で、田島君が軽く屈んでボールを受けとめている。
必死で走るバッターよりも早く、ボールが一塁に届いた。
審判の声は私達の歓声に打ち消され、大声に驚いたのかビクッと反応した三橋君がオドオドと辺りを見渡すような動きをする。
真っ先に駆け寄ってきた田島君が三橋君の背中を叩き、グラウンドにいる皆が集まっていく。
三橋君はすこし照れたような、でも嬉しそうな顔をして言葉を交わしている。
コロコロと表情を変える教室での三橋君を見ているのはなかなか楽しいのだが、
私は三橋君を見つめる自分の目が、それまでの、楽しむような視線とは違った熱を帯びていることに気付いていた。
これから教室で、三橋君と今までどおり話せるだろうか。
熱狂する観客席で、一人静かにそんなことを考えていた。
翌月曜日、私は普段よりも早く起き、シャワーを浴び、少し長めに鏡の前にいた。
にきびなんて出来ていないだろうか、昨日カットしてもらった髪型は変じゃないだろうか。
部屋に戻り、夜の内に準備しておいた下着を手に取る。
勝負下着なんてつもりはないけれど、昨日買ってきた可愛い下着は、少し派手目で、今の気分にあっている気がした。
身につけて部屋の鏡に向かってポーズをとってみる。
器が替われば中身だって変わるもの。
相談したショップのお姉さんの言葉どおり、なんだか昨日よりも自信ありげで、可愛くみえる。
三橋君のように小さくガッツポーズをつくって気合いを入れてみた。
制服に着替え、コンタクトをはめ、階段を下りていく。
一体どうしたのと驚く両親に、エヘヘッと笑って朝ご飯を平らげる。
ゆっくり食べなさいと怒られたけれど、気にしてはいられない。
今日はお化粧もしなくてはいけない。
もう一度顔を洗って、歯を磨いて、薄くルージュをひく。
十五歳ならこれで十分、と言われたけれど、本当だろうか。
なんとなく不安になったけれど、鏡に映った笑顔は結構可愛かった。
鞄を引っ掴むと元気良くいってきますと言って家を飛び出した。
学校まで十五分、昨日憶えた応援歌を口ずさみながら、さくさくと歩いていく。
覗き込んだグラウンドにはもう野球部の姿はない。
すでに教室に着いているのだろうか。
高揚していた心が、不意に緊張してくる。
なんて声を掛けよう。
声を掛けたら返事してくれるだろうか。
不安に思いながら考えていると、聞き覚えのある声がしてきた。
田島君達だ。
どうやら野球部の皆で話しているらしい。
三橋君もいるだろうか。
爆発しそうな心臓の鼓動を感じながら、思い切って角を曲がる。