「……ら、あきら。秋良ちゃん、起きて」
控えめに肩を揺さぶられて、俺はうっすらと目を開けた。
見慣れない天井が見える。遠くからちゅんちゅんと鳥の囀る声が聞こえる。
まだはっきりとしない意識のままゆるりと視界を動かすと、心配そうに俺の顔を覗き込んでいる姉の姿があった。
「…………おはよ」
眠さのせいもあり、かなりぶっきらぼうに呟く。
のろのろと上半身を起こし、髪をくしゃくしゃと雑に掻いた。
「あ、う、うん、おはよう。秋良ちゃん、あのね……」
言いにくそうに言葉を濁す姉に、俺は少し苛立つ。
どうも俺の姉は少し気が弱いところがあるらしく、俺に対してあまりはっきり物を言わないことが多い。
「なんだよ、美冬。言いたいことがあんならはっきり――」
言えよ、と言いかけたところで、俺の意識が一気に醒めた。
枕元に置かれた目覚まし時計。
それが指し示している時刻が、俺が起床するべき時刻を既に大幅に過ぎている。
「ちょ、おいっ! なんだよ、美冬、この時間っ!
やべ、遅刻するじゃんか!」
俺は弾かれたように布団から飛び出すと、壁にかけられていた制服を引っ掴んだ。
昨夜、美冬が丁寧にハンガーに通してくれた夏服のシャツ。
その袖を乱暴にハンガーから引き抜きながら、パジャマの上をむしり取るように脱ぎ捨てる。
「あっ、あの、ごめんなさいっ……。私、何度も声はかけたんだけど、
秋良ちゃんすごく気持ち良さそうに寝てて、だから……」
背後からおろおろとした美冬の声が聞こえる。
「あーっ、もう!」
俺はその声を振り切るように大きな声を出すと、上半身裸のまま勢いよく振り返った。
美冬は肩をびくっと震わせて、言葉と動きをぴたりと止める。
目をまあるく見開いて俺の姿を呆然と見つめた美冬は、数秒後、固まったままで、その顔をみるみる真っ赤に染めた。
「……あのな?」
すう、と深呼吸をひとつして気持ちを落ち着ける。
「目覚ましが鳴っても起きなかった俺が悪いんだから。美冬は何も、気にしないでいい。
いいから、もう、あっち行ってろって」
諭すように静かな声で言うと、美冬も落ち着いてくれたようだった。
赤い顔のまま素直にこっくりと頷くと、俺にくるりと背を向けて、襖の向こうの小さな台所に戻っていった。
小さなアパートだ。廊下なんて大層なものはなく、6畳の和室がふたつと台所、すべての部屋が襖で続いている。
俺は慌ただしく着替えながらも、美冬の後ろ姿を覗き見ることができた。
まだ少し落ち込んでいるのかもしれない。
動作が緩慢で、なんとなく俯き加減だ。
美冬みたいな性格ってなんて言うんだろう、と俺はぼんやり考える。
とにかく、気にしぃ、なんだ。やさしくて、面倒見もよくて。
でも……というか、「だから」なのか。起こったことを、自分のせいにしてしまいがちなところがある。両親の事故の時も、そうだった。
俺たちの両親は、つい数週間前に、車の事故で他界してしまった。
強い雨の日で、視界が悪く、ハンドル操作を誤ったのだ。
その日、美冬は彼氏とデートに出掛けていて――その彼氏に下心があったんだかなかったんだか知らないけれど、かなり遅い時間まで引き止められて。
結局真夜中過ぎに、ようやく自宅の最寄り駅に着いたという美冬からの電話を受けた両親は、
ふたりで揃って彼女を迎えに行こうとして――そして、その途中で事故にあったのだ。
そんなことを思い出しているうちに着替えを終えた俺は、バタバタと大きな足音を立てながら急いで玄関に向かった。
美冬は俺とは対照的に、ぱたぱたと小さな足音を立てながら俺の後ろをついてきた。
申し訳程度のたたきでスニーカーを足につっかけている俺に、美冬がおずおずと声をかける。
「あのね、秋良ちゃん、これね。……お弁当、作ってみたんだけど……」
振り向いた俺の手のうえに、きれいに包まれた弁当箱がぽふりと置かれた。
俺はびっくりして、美冬の顔をまじまじと見る。
美冬は表情を少し翳らせて、自嘲的な笑みを浮かべながら言葉を続けた。
「お母さんのみたいに美味しいかはわからないけどね。よかったら食べ――」
美冬の言葉が途中で止まった。
同時に、その頬がかあああっと真っ赤に染まる。
「あっ……あきらちゃ……!」
数秒前の暗い表情は美冬の顔から消えて、今の美冬は目をまんまるく見開いて、驚きと恥ずかしさの入り混じった表情で硬直している。
俺はそれを確かめると、満足して、美冬の頬に口づけていた唇をゆっくり離した。
「サンキュウ、ハニー」
俺は力の限りおどけた笑顔で美冬にウィンクしてみせた。
弁当箱をしっかりと、鞄の底に押し込んで。
「いいか、ひとつ忠告してやる。いつまでもさっきみたいな顔してると……、
……嫁の貰い手が、なくなるぞっ!」
からかうように笑いながら言うが早いが、俺は玄関を飛び出した。
そして、アパートの前から始まる上り坂の天辺に向けて、勢い良く走り出す。
「あっ……秋良ちゃんの、バカーー!!」
まだ夏の暑さの残る生温い風を受けながら走る俺の背中に、美冬の精一杯の悪態が投げられた。
俺は振り向かなかったけれど、その顔はきっと、茹でたての蛸みたいに真っ赤なんだろう。
あいつにしては反応が早い、なんて思ったら、自然と顔が綻んだ。
俺は小脇に抱えていた鞄をしっかりと両手で抱え直すと、地面を蹴る足にいっそう力を込めた。