汚れたページによだれが落ちた。  
ひざのうらがガクガクしてしまって、全身が神経になったみたい。  
まだきれいだった新しい大人っぽい下着が、なんだかぐじゅりといっている。  
手が勝手に伸びて大きくなってきた胸をさわってる。  
こんな、漫画みたいに、わたしもいつか、してしまうんだろうか。  
「ん…。ゃだ」  
やだ、なにしてるんだろう、なに考えてるんだろう。  
「や」  
相手は最近、あんまり話してくれなくて、竹刀ばっかり体育館で追っかけてる男の子だ。  
昔はいっぱい遊んでくれて、いらない新聞紙でチャンバラしたりして、  
「あ―…」  
小学校の頃からクラブにも同じく通って、当然みたいに一緒に部活に入って嬉しかったのに――  
幼馴染の男の子を思い出しながら、漫画の中の女の人がされているみたいに、  
勝手に腕がスカートの中にまではいっておっかなびっくり触っていた。  
「やー、や、こんなの、だめなの、に、ぃ……」  
今までみたいに遠慮なく喧嘩したり触ったり、後ろからぎゅーってやったり、したくて。  
ひやかされたのも、それで、いけなかったのかな。  
だから、なんかもう、ひっかくみたいな指が止まらない。  
気持ちがいいのかとかそのはじめてのときは分からなかった。  
「あ、啓ちゃん、けいちゃん、すき、好き…!!あぁっ!も、止まんないよう……!」  
なんかいけないことをしているという感覚だけがあってぐずぐずと半泣きになっていた。  
ただ手が止まらなくて幼馴染の男の子のことばっかり思って、  
初めて私は薄暗い中で長いことかけて自慰を覚えていった。  
 
 
*  
 
肌寒くなった夕暮れに深呼吸して、秘密の入り口から繁みをくぐった。  
深緑のスカートが膝の上で引っかかってほつれないようにそっと外す。  
胸のボタンに引っかかった葉っぱも一緒に払ってから、庭の深い草を踏みしだいて歩いていく。  
目の前には、噂の絶えない迎賓館。  
幼稚園に入る前から、二人だけの遊び場だった幽霊さんのお屋敷だ。  
今日は遊びにきたのではないんだけど。  
「おじゃましまーす」  
天窓と崩れた壁から、西日が交差してロビーを照らしている。  
その光に透けて、半透明の女学生姿が壁を見つめて浮いていて、  
私のほうをふとつまらなそうに見た。  
それは一瞬だけで、すぐ、あ、と眼を見開いていつもの笑顔になってくれる。  
 
「アツキ!」  
時代錯誤の膝下セーラースカートは、いつ見ても玖我山みのりちゃんに最高に似合っていた。  
私が四歳の頃には既に時代遅れだったのだから、  
みのりちゃんがいつから幽霊なのかなんてちょっと想像もつかない。  
手を降ると、階段に浮いたまま手を振り返し相変わらずの挨拶をしてくる。  
「元気ー?今日は啓伍はいないのね、浮気相手と待ち合わせ?」  
「ち、違うよお」  
さらっとありえないことをいうみのりちゃんに近寄っていく。  
埃が舞って落ちていくのが、窓から差し込む淡い夕陽に透けている。  
ふわと階段から降りてきた長い黒髪が、なびいて柔らかに陽を含んだ。  
「あら、じゃ一人遊びね?アツキは啓伍と違ってよくきてくれて嬉しかったのよ。  
 いっつも啓伍の名前呼んでさー、奥でいけない遊びして――」  
「うあひゃああ!だ、だめええ!」  
っててていうか見てたの!?  
しばらく外に遊びに行ってくるからって言ってたのにー!  
あと口を塞ごうとしてもみのりちゃんは幽霊だからむりでした!  
「――もう、あたしですら教えることがないくらい性徴しちゃってお姉さん寂しい」  
『成長』の漢字が違います!  
 
「そ、そそそれは、みのりちゃんがいけないんだからね!  
 聞いてないことまでいろいろ教えたりえっちな本おいといたりするから!!」  
「あら失礼ね。お姉さん幽霊だから本なんて運べません。  
 むかーし忍び込んだ悪いお兄さん達の宝物よ?」  
さらっと笑うみのりちゃんは、ちょっと冷たい半透明の指先で、私の額を小突いた。  
それからすーっと感覚のない冷たさは私の肌をなぞっていく。  
「読んで、発情しちゃったのも、啓伍で想ってたのもアツキでしょ?  
 まーだ中学生だったくせに、え・っ・ち」  
つんつんつんとまたつつかれてもう言い返せなくなる。  
ううう。  
 
そう。  
啓ちゃんは十年ぶりだと思っていたようですが、  
実は私にとってはそう久し振りでもないのでありました。  
ごめんね、啓ちゃん。  
 
*  
 
「それはともかく、本当に成長したと思うのよ。  
 だって初めてここに二人が忍び込んできた頃とか、まだ覚えてるもの」  
こーんな、小さい頃だったわね。  
と膝上くらいに手をかざして、みのりちゃんがなでなでのしぐさをする。  
意識していないのだろうけど妙に色っぽい手つきで私は少し赤くなった。  
並んで座った階段の足元を、うろうろとみつめてみる。  
「そうなんだ。私、もう覚えてないなぁ」  
「そうよ。そうね、ちょっと寂しいな」  
くすりと口元をほころばす薄いシルエットに、少し不思議になった。  
そういえばこの前もちょっと不思議だった。  
みのりちゃんは、あんまり、思い出話をしない。  
自分のこともわたしたちのことも。  
いつ来たって、初めて会ったときみたいに、  
まるで昨日も一昨日も会っていたみたいに、笑って寄ってきてくれたのだ。  
なんでだろう。  
わけもなく寂しくなる。  
薄れていく夕闇を壁の隙間から、幽霊の黒髪越しに見ていた。  
不意にそのきれいな顔がこちらを思いだしたように向いた。  
「ところでアツキ。今日は本当に何しに来たの?」  
「…あッ」  
 
それで思い出した。  
流れにのってほのぼのとお話してる私のばかばかばか!  
自己嫌悪でしばらく下を向いてから、気持ちをぐっと切り替えた。  
私はみのりちゃんに怒りに来たのだった!  
「う、うんとね。この前、啓ちゃんと来て、その……したとき、」  
「セックスしたときね」  
「言わなくていいよ!」  
うわーん意地悪!  
「と、とにかく、その時見てたんだよね?そ…その、してるとこ……それひどい、よぅ…」  
結局最後のほうは蚊が鳴くみたいな声になってしまって、なんか耳まで熱かった。  
口にするのが恥ずかしくて怒りきれない私の弱虫っぷりにがっかりだ。  
ふふふとみのりちゃんが笑った。意地悪そうに。  
「あら、見てたかどうだか、分かったの?」  
ちがう。  
啓ちゃんが言っていただけで証拠はない。  
ないけどみのりちゃんの性格なら見る。  
きっと見てる。  
ううん見てたに違いないっ。  
 
じーっと睨むと、もうほとんど薄暗くなった中でみのりちゃんが眼を細めた。  
「ふうん。それで、見てたとしたらどうなのよ?もう絶交?」  
風が少し弱くなる。  
隣から、体育座りのまま覗き込む顔はちょっとだけ表情が薄い。  
「ねえアツキ、あたしのことがときどきはちょっと怖いでしょう」  
「うん。幽霊だもん」  
「正直だなぁ。なのに怒ってくるのよね。そういうところ好きよ」  
くすりと笑って黒いスカートがひらりと立ち上がった。  
階段を少し浮いたまま降りていく。  
「ええ、見てたわ、アツキはすっごく可愛かった。  
 あと、啓吾はちょっとがむしゃらすぎると思うわね。猿ねー」  
鮮やかに笑い飛ばす背中を、むずがゆい気分で見つめる。  
みのりちゃんはふと静かになって、顔だけでこちらを見た。  
「…ねえアツキ。あたし、あんたたちが好きなのよ。  
 ガキの頃からいっつも二人くっついていて、来なくなった時は寂しかったの」  
「うん」  
それは私達が地域のクラブに入ったからだ。  
朝は家のお手伝いで放課後はクラブ、  
秘密基地なんて高学年はもう遊ばない年頃だったんだ。  
「だから春に制服見せにアツキがまた一人で来てくれて嬉しかったわ。  
 このまえ二人で来てくれたときは、懐かしくてもう踊り出しそうだったんだから」  
くすくすと肩を揺らし振り返ったみのりちゃんを見つめた。  
意地悪で、悪戯好きで、無責任な強引さで下品だけれど。  
啓ちゃんへの気持ちでどうしていいのかわからなくなったときに相談に来ると、  
みのりちゃんはいつもここでわたしを後押ししてくれていた。  
(半分くらいはえっちなことばかり言ってすぐにどっかに消えてしまっていたとしても。)  
「もう。そういうこというの、ずるいよ」  
そんな風に寂しそうな顔で笑われたら、  
覗き見されても怒れなくなっちゃうっていうものだ。  
 
……も、もちろん怒ってる。  
怒ってるんだけど。  
秘密基地のことをしばらく忘れて道場で新しい友達と遊んでいた私たちは、  
みのりちゃんにもっともっと、ひどいことをしていたんじゃないだろうか?  
「うん、お姉さんはずるいのよー。意地悪にも年季が入ってるの」  
華やかに、幽霊の彼女が笑った。  
降りる歩みが扉の近くに辿り着き、セーラー服の端と髪がなびく。  
うう。  
なんだかごまかされてしまった。  
私は雰囲気に促されるままにそれを追って扉に近付き、お屋敷の外を覗いた。  
いつの間にか、月明かりが淡い満月だった。  
「わ……もうこんなに暗いんだ。さっきまで夕焼けだったのに」  
秋の日は落ちるのが早いって言うけど、本当だ。  
「あんまり遅くなると危ないわよね。帰る?」  
扉の傍で首が傾げられる。  
うん、と頷いた。  
最後に。  
「アツキ。心配要らないわ。杞憂なんだから」  
みのりちゃんはそんなことを笑って叫んで、屋敷の窓から手を振っていた。  
 
 
 
*  
 
 
 
歯があたってしまった。  
「ぁ、わり」  
「ん、啓ちゃんばか……」  
言いかけたところをまたぬるいのがのめりこむ。  
湿った空気が布団の中でちょっと暑い。  
呼吸が混じって歯みがきの味がする。  
啓ちゃんの舌は長めでぬるぬるしているので、押し返したくても  
私の短いのじゃ、ぜんぜん、足りなくてまた攻め込まれちゃうのが悔しい。  
このひととするまで、背中も足の裏みたいに痺れるってことを知らなかった。  
じっとり染みる膝の骨の下まで、甘いのが、ゆっくりゆっくりと溶けていく。  
肉がくっついて腰の奥がすっかりとろけているのに、  
頭のてっぺんから体全体がやっとい追いついてくる。  
「ぁ、んっ、……んー!!」  
二階の奥の畳の部屋で、押入れが足に蹴られてかたんといった。  
帰ってきて、啓ちゃんのうちにいって、今晩は誰もいないって聞いた途端にこんなことをしている。  
今日はなんか変で、おかしくなってしまいそうだ。  
みのりちゃんのうち以来、こんなに気にしないでできる機会は滅多になかったからかもしれない。  
それに今日は。  
さっきのことを思い出して変に恥ずかしくなっていて、裸を見せるのも緊張してしまった。  
今も、啓ちゃんが軽く揺らしただけで身体が震えて唇が離れてしまった。  
はじめて、自分でしてしまった日から、こんな風になるのをどきどきして待っていたなんて。  
私は啓ちゃんが知ってるより多分ずっといやらしいんだと思う。  
そのほうが好きだー、なんて言ってくれるって分かってるんだけど、絶対そんなこと言えない。  
また唇だけで何回もキスして、もう少し浅めに舌先同士でやりとりする。  
下唇をなめたら啓ちゃんが喉の奥で呻いたのが嬉しくて何回も繰り返したら反撃された。  
思わず背中が反ってしまう。  
中に入っているものが大きくなって、動いてくれないのがもどかしくて腰を自分から動かして。  
なのにぐっとお尻を掴まれて止められて泣きそうになってしまった。  
見上げるとにまにまと笑われてなのに、それでもびくびく肩が跳ねてしまう。  
 
みのりちゃんは間違ってない。  
……ほんとにいやらしいんだ、私。  
「あっき。な、したい?」  
「いじわるばっかりー、もう……」  
小さい声しか出なくて、悔しいのでぎゅっと締め付けてみた。  
中のものはちゃんと反応していて脈打つのが分かるのに、思うように気持ちよくしてもらえない。  
ぎゅっと抱きついても軽く胸をもまれたり首に唇で吸いつかれたりするだけで、  
なかなか一気に上り詰めさせてくれないままだ。  
「してよぅ…啓ちゃん、して」  
負けてしまった。  
首に抱きついてねだると、こんな時いつもしてくれたみたいに。  
幼馴染の恋人は、いつだって笑ってお願いを聞いてくれた。  
 
 
中でどくどくいっている。  
勝手に身体が甘くなって一秒ごとに砂糖漬けみたいになる。  
頭が真白だったのがゆっくりと戻ってきていた。  
「ぁ……あ、でてる…」  
「ん…」  
呟く私に低く答えて、啓ちゃんが強くわたしを抱きしめてくる。  
抱きついた背中は汗をかいていてぬるぬるだった。  
耳元で荒い息が何度も髪を湿らせている。  
やがてぐったりした体重がかかってきて、中に入っていたものが抜けて、  
いつもの、終わったあとのとろとろとした感じに二人で力なく笑った。  
「気持ちよかった?」  
聞かれたのに頷いて身を寄せる。  
肌が温くて気持ちいい。  
肘で腕とか胸とかをぷに、とつつかれたりキスしたりされていた。  
髪をふわふわ撫でられるとちょっとずつ眠くなってくる。  
微睡む前に、ふとみのりちゃんの手を振っていた姿を思い出した。  
 
……うん、でもねみのりちゃん。  
ずっと見てたっていってるけど、幼馴染の私の方がずっとずっと  
啓ちゃんを近くで見ていたからみのりちゃんが知らないことも知ってるんだ。  
「ね」  
腕の中から見上げて初めて口にしてみた。  
「啓ちゃんの初恋ってみのりちゃんだよね」  
「はあ?」  
呟くと啓ちゃんは、なにいってんのおまえーやいてんの?と笑った。  
「ううん」  
答えてくすくす笑う。  
うん。  
啓ちゃんは未だに自分でも気付いていなくて、もうずうっと昔のことで、  
みのりちゃんは  
『啓伍はずっとアツキが好きでしょ?』  
と一度だって本気にしないけれど。  
 
昔私は喧嘩ばかりの啓ちゃんと年上の幽霊お姉さんに、ちょっと嫉妬していたのだ。  
今はそうじゃないからいえること。  
これは誰にも秘密のお話。  
 
頬を頬に摺り寄せ、抱きついてちょっとだけ幸せに浸る。  
かすかなインクのにおいが染み付いた壁と、  
啓ちゃんあったかいにおいがする布団で小さい頃みたいに一緒に裸で寝ている。  
……いやらしくてもいい。  
こんなに近くにいられて一緒に気持ちよくなれるなんてとっても素敵なことなんだから。  
「啓ちゃん、大好き」  
耳元で伝わるように囁いて、今度こそ意識を葛湯のとろみの中にそっと沈めていった。  
 
 
完  
 

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