*  
 
時間が経つのはあっという間、光陰矢のごとしというように。  
気温は次の週にまた下がっては上がり、  
終業式の後の春休みがやってきた。  
 
 
『なあー、行こうよ。行こうって』  
『や。やだ。お姉ちゃんにもあそこ、入っちゃいけないって言われたよ。ゆうれいいるんだって』  
『だいじょうぶだって。そんなやつぜんぶやっつけておれたちの基地をつくろうぜ!ガシューン!  
 なんかあったら守ってやっからさ、なー、行こうよ、なー』  
『……えー。んー。啓ちゃんがまもってくれるなら、いってもいいかなぁ。  
 じゃ、わたしおひめさまね。啓ちゃんがまりおね!』  
 
そんな会話をして金網の隙間をくぐったのは十年以上前のことだ。  
行った先にいたのは、小学生の悪ガキ達で花火を盛大にやっていて、  
後始末を俺達に押し付けて散ってしまった。  
火傷しそうになったあっきを守って、重いバケツを転がすように水をぶっかけると、大人びた笑い声がした。  
――びしょぬれの俺たちが幽霊に出会ったのは、あの時だ。  
 
 
最近になってデート用にと通い出したあの迎賓館には、今でもその時の幽霊が住み着いている。  
晩飯後の茶を注ぎながらお袋が話しているのによれば、あそこに、  
廃校寸前のいくつかの中学校を統合して新しい校舎を作る計画が決まったそうだ。  
 
「…は?」  
 
テレビを見ていた視線が固まる。  
――あまりにも突然だった。  
今聞いた話をもう一度お袋が繰り返す。  
 
「でもあそこ、夜中も学生が出入りしたりして危ないみたいだしね。ちょうどいいのかもしれないわね」  
 
チャンネルを親父にいつのまにか、勝手に変えられた。  
一足遅れた晩飯と、酒を喰らっている。  
けどそんなのはどうでもよかった。  
途中まで聞いたところで俺は玄関脇のコートを引っつかんでいた。  
 
 
*  
 
 
亜月の家の戸を何度も叩いたというのに、誰も出てこなかった。  
混乱しすぎて思い当たらなかったのは我ながらくやしい。  
いなくて当たり前だ。  
今日の昼から亜月の姉さんの大学卒業祝いで、明日まで帰ってこないのだ。  
足を返して自宅のガレージに飛び込みサドルからランプを蹴る。。  
夜道を自転車の全速で飛ばして、屋敷に忍び込んだのは夜十一時も過ぎた頃だった。  
 
安物のようなステンドグラス。  
蔦の絡むアーチ型の門は銅製。  
結婚式場として作られかけて取りやめられ、廃墟になった俺たちの秘密基地は夜になると妙な雰囲気があった。  
月の出ていない夜で雲が重く垂れ込めていた。  
春といっても夜はまだまだ気温が低い。  
門の前で息を整えてから、ノブを押して怒鳴りこんだ。  
 
「みのり!みのり、いるか!」  
「……え?うっそ、啓伍?」  
ひょっこりと、シャンデリアから顔を出して逆さになったまま幽霊が俺を探した。  
見つけた途端、首を傾げて笑顔になる。  
「一人で来るなんて珍しいわねー。どしたの?アツキと喧嘩でもした?  
 それとも、もっと別の何かだったかしら。お姉さんになんかお願いでもあるの?」  
 
あくまで彼女は、あっけらかんといつものように俺を迎えてきた。  
くるりと中で反転してからゆっくりと降下し、俺の腰くらいに足先がくる高さで浮いたまま髪に手をやっている。  
 
うっすらと。  
雲がよぎり、月明かりがほんの少し建設途中の屋根の隙間から差し込んできた。  
 
屋敷全体にチョークの跡があった。  
 
測量の後があちこちに見える。  
顔を上げると、みのりは似合わないくらいじっくりこちらを見て笑みを浮かべていた。  
「見られちゃったね。さすが情報が早いか」  
「……ばっか。新聞屋なめんな」  
沈黙が過ぎた。  
妙に顔を見づらくて、逸らしていたのが、あまりにも長いので気になってまた幽霊に視線をうつす。  
……こめかみがひくついた。  
こっちはそんなだったのに、浮かぶセーラー姿がちょっとにやにやしてやがった。  
「うっわー!啓伍ったら、も・し・か・し・て〜。  
 大好きなお姉さんがいなくなるのとか、気になるわけ?さみし?」  
「馬鹿!俺は本気で心配してるんだよ!!」  
やけになって怒鳴りつけるとまたすこし普通の顔になって、ぽつりとみのりは呟いた。  
ほんの少し、雪がとさと崩れるようなさり気無さで宙に浮く手が高度を下げる。  
「……うん。それはごめん。啓伍が寂しくてたまらないのは分かってるから、言わなくて大丈夫よ」  
みのりがこんな風にしおらしいのは珍しかった  
なんか話してることはアレだが。  
ざらつく床が透明の足先につくところまで降りてくる。  
「……だってしょうがないじゃない。もう大分前から、日中にも測量とか、来てたのよ?  
 啓伍もアツキも、学校があったから知らなかったんでしょうけど。  
 あ、結構ね、解体屋の人たち、かっこいいのよー。力仕事してる男は違うわー」  
 
それこそ知らなかった。  
学校に行っていたから平日昼のここなんて分かりやしなかったのだ。  
 
なんでこんなに痛いんだか分からんかった。  
頭を抱えるように自分の前髪を掴む。  
春先とはいえ吹き込む風はひどく冷たく、頬をこれでもかというほどに冷やしてくれた。  
 
「……なんで黙ってたんだよ」  
「聞かれないから。それに、  
 二人ともきっと、そういう顔をすると思ったからよ。  
 あたしは、別に、構わないのにね。だって死ぬわけじゃないじゃない」  
「…そういう顔ってなんだよ」  
掠れた声で呟くとみのりは眼を伏せたまま声を立てて笑った。  
「泣きそうな顔。アツキの顔も想像つくわね」  
「ばっ、な、泣きそうなわけ…!」  
言葉に詰まって苛立ったので傍の階段に乱暴に腰を落とした。  
古風なセーラー服姿のまま、幽霊がふわりと隣に座る。  
くしゃぐしゃと髪をかきむしる。  
 
くそ。  
 
ほんとに、本当に亜月を連れてからくればよかった。  
 
実は昔からそうだった。  
いくらかっこつけて、亜月の彼氏面をしてみたって結局肝心なところで  
亜月ががーんと前に出て俺を盛りたてて太陽みたいに周りをぶっ飛ばしてしまうのだ。  
 
亜月がいないと俺はただの情けないガキでしかないとこれでも一応知っている。  
せめて亜月の前では、かっこいい姿を見せたいと気張るから少しはましな自分でいられるって寸法だ。  
 
「これでもお姉さんね、あんたたちのそういうところが好きだったのよ」  
 
十年来ずっと下品なことばかり紡いできた声がBGMみたいに耳を通って脳に伝わっていく。  
本来この声がこうであるべき柔らかで軽やかな言葉だった。  
 
「――うん、でもしょうがないわ。あたしも引越しをせざるをえないのね。新しい建物って、苦手だし。  
 啓伍に昔助けてもらったみたいに、火も怖いから、工事中の火花もできれば見たくない。  
 こういう、壊れかけた古い建物の方が好きなの。慣れているの」  
「ここ、結婚式場のために作られたのよね。  
 おぼえている?啓伍、昔こっそり耳打ちしたでしょう。  
 ここでアツキとけっこんしきをあげるんだって。あれ、笑っちゃったわー。ばかよねもう。  
 ま、ここんとこある意味結婚式みたいなことしてたけどね、いつも。先週だって廊下でやってたの見たわよ?  
 ほんと盛んよね、啓伍ってば若さゆえにがむしゃらで、感心しちゃったわ―ていうか思ったより早」  
 
「…おまえ、さ。なんだよ。ここの地縛霊とかじゃないのか?」  
 
遮って聞くとみのりは目を丸くして、んー、と目を閉じた。  
セーラー服の裾を持ち上げるように膝を抱える。  
階段敷きのワインレッドを、白い三つ折りソックスの指先が擦った。  
「違うの。お姉さんには秘密が多いんです」  
意地悪そうに愉快に、にっこりと幽霊は俺に顔を近づけて笑う。  
改めてみると、本当に。  
気がついたら俺達とこいつは同い年くらいになっていた。  
……なんだろう。  
ここに真夜中に、走ってきた理由は、こういうことを話すためじゃなかったんだ。  
ほんとに亜月がいないと俺はよくずれる。  
こんな晩には今すぐにでもあっきに会いたい。  
「みのり」  
 
『お姉さんに何かお願いでもあるの?』  
最初に聞かれたとおりの用件だ。  
馬鹿だから、こんなに話してからでないと、思い出せもしなかった。  
「ねえ。  
 今度、アツキを連れてお別れに来てくれる?  
 未練なんてあんたたちだけだし、そしたらさっさと引越すことにするわ」  
「行くなよ」  
「ありがと」  
「……だから行くなって」  
「そう言ってもらえると嬉しいわ。」  
「だから!おまえがいなくなったらつまんねえんだ。あっきもおまえのこと大好きなんだぞ。  
 おまえだって、俺たちが好きって言ってたじゃねえか!行くなよ!」  
 
まるであの日近所の子を無理矢理引っ張って、  
ここに忍び込んだ時の様な駄々のこね方だと思った。  
でも目の前の幽霊は、あの時みたいに笑ってついてきてくれる幼馴染とは違った別の存在だった。  
すうっと冷たい感触が肩に乗る。  
 
「十年もすっかり忘れてたくせに。ばぁか」  
 
感情のない呟きが染み入るように鼓膜を通る。  
夜風の冷たさを不意に知った。  
 
「いいからアツキを連れてきなさい。  
 あ、流石にいつ人が来るか分からないから、セックスはダメよ。  
 その代わりに、あんたに助けてもらった借りを返すわ。結婚式をしてあげる」  
 
冷たかった半透明の空気が離れる。  
久我山みのりは、セーラー服のまま後ろ手を組んで浮き上がり、華やかに笑ってロビーからすっと消えて行った。  
 
夜に融けるのを追って見上げれば崩れた壁の隙間から、雲がゆっくりと星の合い間をよぎっていた。  
秘密基地の天井は、ただの塗装がはげたコンクリートでしかなかった。  
 
……そっか。  
ここ、壊されちまうんだ。  
 
お気に入りの基地が壊される悔しさに、亜月より一足先に俺は黙って泣いた。  
春めいた冷たい風が、葉を出した木を一生懸命ざわつかせていた。  
 
 
(下)につづく  
 

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