「ガッデム!何で負けるんだ? 確変どうなってんだ、これ。  
ちくしょ、もう一回だ、もう一回!」  
「……やるからには本気でやってくださいよ……。これじゃ何のためにこんなところまで来ているのか分からないです……」  
「……」  
「あやー、やっぱこうなるわけね。」  
 
目も眩む人工灯火が明滅し、この世の物として自然ではありえない音塊が飛び回る。  
この場は、一歩ここのガラス張りの自動ドアから出た時のテンションでは相応しくない場所だ。  
行われているのは饗宴、それも機械による娯楽がこの盛り場の骨子の正体なのである。  
 
一行がこの場、ゲームセンターに入って約半刻――。  
その時分のメンバーの台詞が上記のものである。  
あえてどれが誰のものかを言えば、上から淵辺、四条、高槻、雛坂という順となっている。  
余談ではあるが、半刻とは一時間程度を指すことを追記しておこう。  
 
現在、彼らは10mち離れていないものの、明らかに2グループに分かれている。  
まんまと挑発に乗った四条と淵辺の、前者が後者を蹂躙するだけのパズルゲーム台グループ。  
そして、入店当初のうちはその二人を眺めていたものの、暇なので店内で適当に時間を潰すことにした高槻、雛坂のグループである。  
 
「……分かってるなら止めて欲しいんだけどね、雛坂。何で毎回毎回同じ事を……」  
特に何かをやることもなく手持ち無沙汰な高槻が、左前方に離れた四条と淵辺の対戦台を気にしつつ弾幕シューティングの筐体に齧り付いている雛坂に問いかけた。  
 
「ん? 楽しいからに決まってんじゃない。……っとと。あんただって何だかんだ言いながら……よっ、楽しんでるくせに。ねじくれた精神だわね、と、行けボンバー!!くたばりやがれー!」  
「……雛坂、画面に合わせて体動かしても意味無いよ。それと最後の僕かゲームかどっちに言ったの?」  
「誤ー魔ー化ーさーなーいーの。うりゃあ、落ちろカトンボー!! ほんと素直じゃないわよねー、あんたたち……。あー!死んだー! 当たってない、当たってないでしょ今の!!」  
 
雛坂はジト目+横目で高槻を一瞥。その瞬間ボスに撃墜されたため、ち、と舌を鳴らしつつ休憩することにする。  
舌を鳴らしたのは何も集中力の回復のためのみではなく――すぐ近くに立っている少年に向かう、とある少女の感情への少年自身への苛立ちも含んでいた。  
「……こんな朴念仁のどこがいいのかしらね。」  
空虚で、しかし確実に人を圧迫する店の雑踏にまぎれ、その自己否定すら漂う呟きは高槻には聞こえない。  
差から、雛坂はもう一言だけ、自分を納得させるために言葉にする。  
「……でも。だからこそ、私はおこぼれに預かれてるのよね……」  
雛坂の眼が物憂げな色に満ちていることには気づかない。  
皮肉気に口端を歪める彼女自身も、一人だけ立ち位置の違う高槻も――  
 
「? 何か言ったかな。」  
届いたのは、彼女が何かを口にした気配のみ。  
高槻が彼女を再度視界に捕らえる頃にはすでに、雛坂はその顔を、からかい癖はあるが、気風が良く誰にでも好かれる“雛坂神子”の明るい笑みへと切り替える。  
「んー、別に? 何にも。それよかタキもいつもんとこに行ってきなさいよ。  
退屈でしょ?」  
投げやり気味に告げつつ顎を傾け、雛坂はここに引きずり込むたび高槻が必ず向かうその場所――フライトシミュレータを差した。  
そこに先刻の憂鬱さは微塵も見出せず、故に高槻は彼女への関心をさほど持たずにまったく別のことで気落ちした顔を彼女に返す。  
 
「……手持ちがないんだよ。」  
高槻はそう項垂れがちに言ってポケットをひっくり返す。成程、そこには何も財布のようなものは無い。  
「そのくらい別に貸してあげるわよ。……あれ、古本屋に行ってたのにお金は?」  
懐に手を入れながら、雛坂はふと疑問に思ったことを片眉を下げながら口にした。  
雛坂は変な所で繊細(淵辺に言わせれば神経質)である事は高槻の中で承知の事実であり、胸元に手を入れて硬直する雛坂の石化を解くために、疑問を解消しておく事にする。  
「取り置きを頼みに行っただけだから。明日はもう正月だし、臨時収入が入るまで売らないで欲しいってね。」  
 
「なる。……と、はい。とりあえず二千円ばかしでいい?」  
ようやく茶色く古ぼけたがま口を取り出す。  
胸ポケットに入れたとばかり雛坂は思っていたが、実の所それはズボンのポケットから出てきたので必要以上に高槻の眼が痛い。  
……とは言っても、高槻自身にそんな非難は全く浮かんでいないので、単なる被害妄想の類であることに雛坂は気づき、余計にばつが悪くなった。  
それを打ち消すためのからからという笑いをつけ、両替は自分で行えという旨を高槻に伝える。  
了解とばかりに目線だけで肯定を告げる彼を尻目に、伸びをしながら、みし、と体をならして雛坂も立ち上がった。  
 
「どうしたんだい?」  
「ん。そろそろ終わらせないとね、あの二人。」  
指差す先には四条と淵辺。淵辺はどうやら頭に血が登っているようで、むきになって四条に挑み続けているようだ。  
と、四条がこちらのほうに引きつり気味の笑みを向ける。どうやら“へるぷみー”とでも言いたいらしい事は高槻はすぐに感づくが、さてどうすべきか。  
ふと隣を見れば、雛坂は腕を組んで苦笑。  
「ミズキチは一見マイペースに見えて押しに弱いし、セーギは懲りることを知らない……ってか、ああやって格上の相手に挑むこと大好きな“男の子”だし。  
やれやれ、ってとこよね。」  
「……?」  
 
余りにも自然に告げられた雛坂のあきれ台詞ではあったが、少し高槻はそこに引っかかりを覚えた。  
わずか数瞬で、高槻は思考を展開させる。  
押しが弱い、という雛坂の四条観。そこに多少の疑問を抱いたが、彼女にとってはそうなのだろうと思考を強引に自己完結させることにする。  
自分は四条にいつも引っ張りまわされているが、何せ雛坂は天性の皆のリーダーだ。  
四条の生徒会長という肩書きは殆ど飾りで、生徒会の活動の殆どは彼女が決めているといっても過言では無い。  
そのつけが自分独りに回ってくる高槻にとってはもう少し活動を自粛してもらいたいのだが、マイペースな四条よりも人使いが荒いのは確かだ。  
彼女にとっては、高槻を引っ張りまわすに十分な四条のマイペースさすらも十分押しが弱いと感じられるのだろう――と。  
高槻の思考がここまで到達するのにわずかに一秒足らず。  
まあ、どんな考えがあるにせよ、雛坂の行動力なら十分二人を止められるだろう。  
 
「あー……。悪いね。任せたよ。」  
僕が行ってもやることないしなあ、と高槻は自分の分をわきまえて雛坂頼りに。  
「? 何であんたが謝る必要があるのよ。」  
「いや、四条の後始末するのは僕の役割だしさ。」  
歯に衣着せぬ高槻にも先ほどと同じ笑いを見せて、雛坂は  
「んじゃ、任せなさいな。」  
と、高槻のいる場所を離れ、二人に向かっていった。  
 
 
「くそぉ、やらせはせん、やらせはせんぞ!」  
「あの……そろそろ本当に終わりにしたいのですけど……」  
困り顔ながら笑みを絶やさない四条と、台詞の裏腹、心底楽しそうにやはり笑みを浮かべる淵辺。  
……と。淵辺の筐体の上に影が差した。  
影は四条が気づいたと同時に彼女を回りこむように前方へ移動し、その姿が淵辺にまとわりつくように覆いかぶさった。  
「い・い・か・げ・ん・に・しなさいっ!」  
「うおおっ!!」  
いきなり後ろから首を掴まれ、淵辺が軽度のパニックに陥る。  
「ギ……ギブギブギブ! 落ちる! 落ちるって!」  
手の行う動作が“掴む”から“絞める”に変わったため、抜け出そうと淵辺がもがく。  
動きが次第に激しくなってきたのだが、店の中で暴れられても困るため、とりあえず雛坂は手を離すことにした。  
 
「ゲ、ゲホ、ゲ、ゴ、ゴホッ…… いきなり何しやがる!!」  
店の中にこそ響かないが目の前の人間には十分大声と感じられる強さで、淵辺は背後の人間――雛坂に怒鳴った。  
「何かしてんのはセーギのほうでしょうが……  
ほら、ミズキチ困りきってるじゃないの。さっきからもう30分近く経ってんのよ?」  
対する雛坂は、しかし慣れたもの。  
別段怯えることもなく、すまし顔で四条を筐体前から引っ張り出して立たせる。  
「あ、あらあらあら?」  
効果は覿面。即座に、苦笑する四条を目の前に淵辺は怒気を削がれることになった。  
 
「え? あ……、すまん水城。」  
「いえ、たまにはこういうのも悪くないかと思います。  
……とはいっても、やっぱりこの空気には慣れませんね。 もう少し静かなら来るのに抵抗はないんですけど……」  
左手を筐体の上に寝かせ、右手のみで片耳を抑えながら眉を下げた微笑の四条をよそに、淵辺は本気ですまなそうに脇を向いている。  
が、なんとも言えなさそうな顔で雛坂が自分を見ていることに気づき、慌てて視線を下にそらした。  
 
「……そういえば、薪は?」  
四条は自体が一段落してすぐ高槻がいないことに気づく。  
視線を淵辺から雛坂にスライドさせながら、先ほどまで一緒でしたよね、と呟くように雛坂に問うた。  
笑みの割合を少なくして、少しばかり戸惑うような表情の四条に対し、雛坂は別の話題にすり替え、答えを言わない。  
 
「ミズキチってば、本当にタキの事好きなのねぇ……」  
……と、雛坂が言い終わる前に、四条の顔が一気に赤く染まった。  
「え? あ、あ、あ、あの……みみみ神子さん!?  
こ、こんなところで何を、ええと、公序良俗に反することを言うんですかぁっ!  
ふざけないで下さい!」  
……と、四条がよくよく見てみれば、雛坂からは茶化す様子はさほど感じられない。  
四条は一瞬疑問に思うが、同時に今の自分の取り乱した態度に気づき、びくり、と震えた。  
「――――!!」  
小動物がごとく、四条は怯えを見せる。  
そんな四条に対し、雛坂は腰に手を当て苦笑。労わりの意思を込めた、優しげな目つきで四条を見据える。  
 
「だいじょーぶ。あのバカはずっとあっちで自分の世界浸ってるから。  
私たちの前でくらい、少しは気ぃ、抜きなさいな。ね?」  
「……神子さん……」  
潤んだ眼で、長身には相応しくない上目遣いをする。  
「ったく。あんたも疲れる生き方選んでるわよねぇ……」  
雛坂の、中身とは裏腹な包容力ある語調に、四条はようやく平常心を取り戻した。  
にこりと春の花のような笑みで雛坂に答えを返す。落ち着きある口調は、今しがた狼狽していた少女とは似ても似つかない。  
 
「……自分で選んだやり方ですから。それに、こういう性格が私の理想なんですよ。  
……結局、内心自分でどう思っていようと、他の人から私が落ち着いた人格にさえ見えれば、それが私の性格といって差し支えはないのだろうと思いますし。」  
一息。  
「……ほんと、子供っぽい考えですよね。  
大人びた性格を演じていれば、子供じみた自分を露呈しなくてすむ、なんて……」  
眉を下げた四条の笑み。  
そこにどれだけの想いを込めているのかは、四条自身しか知りえない。  
だから、雛坂は何も言えず――ただ、目を瞑るのみ。  
人の絶対量の少なさにもかかわらず、取り繕ったように電子音が鳴り響く騒がしい店内とは裏腹に、沈黙が場を支配しようとしかけたとき――  
 
「それって、十分大人だろ?」  
「……え?」  
不意に、その空気を吹き飛ばす軽い声が二人の耳に聞こえた。  
その主は、ずっとだんまりを続けていた淵辺正義だった。  
「んー……二人の話に割り込んじゃ悪ぃかと思って黙ってたんだが、ちと言わずには置けなかったんでな……」  
鼻の頭をかいて、淵辺はその先を言い渋る。  
「あ、照れてる。柄でも無い。」  
「うっせ……」  
揶揄するような口調の雛坂に照れ隠しのぞんざいな言葉を投げたが、それをきっかけに淵辺は続きを言い始めた。  
「……ま、大人ってのは一言で言うなら“我慢できる”奴のことだと思うんだよな、俺。  
んで、水城は色々我慢して、それでもなおそうやって自分の理想貫こうとしてる。  
俺からしてみりゃ、そんな水城は中身も外面もおんなじだよ。演じるも何もない、素のままの水城が水城の演じてる水城でな……  
って、何支離滅裂なこと言ってんだ俺。ええとだな、もっと分かりやすく言うと……」  
何度か口をもごもごとさせ、頭をかきむしる。  
うまく言語化できず、もどかしがる淵辺に、しかし四条はくすくすと、口元に手を当てながら満面の笑みで感謝の意を伝えた。  
「……有難う御座います、淵辺さん。」  
10pにも満たないが、しかししっかりと頭を下げる四条と、明後日の方向を向きながらも目端でしっかりと彼女を捕らえている淵辺。  
そんな穏やかなやり取りを見て、雛坂は場違いにも一瞬表情を消した。  
が、すぐににやにや笑いを取り戻し、肩を竦めながら顎で方向を指し示す。  
 
「あーそうそう、あっちよ、ミズキチ。いつものとこ。」  
「……? 何がですか?」  
言いながらも四条は雛坂の示した方向を顔を向ける……と、  
そこには大型の乗り物型の筐体が置いてあるスペース。それだけで四条は雛坂が何を示していたのかすぐに気づいたようである。  
「……成程。そういうわけですね?」  
「ん。そゆこと。」  
二人合わせて顔を見合わせ、頬を緩め合う。  
見れば、そこには黄色い自転車に乗った高槻。彼が必死にそれを漕ぎつつ見つめる先には、空中をふらふら頼りなげに蛇行する人力飛行機を映し出した画面がある。  
四条は柔らかな笑みを見せ、  
「……本当、いつも変わらないんですから。」  
と独り言。  
そのまま淵辺と雛坂のほうを髪をなびかせながら振り向き、告げる。  
「私、少しばかり薪のところに行かせてもらいますね?」  
 
それを聞いた二人はそれぞれの返答を返す。  
淵辺は片手を挙げてウインクをしながら、雛坂は親指を立ててにやつきながら。  
「OK、俺たちゃこの辺りにいるからな。」  
「二人でしっぽり楽しんできなさいよー!」  
雛坂の台詞に顔を赤らめながらも、電子音が鳴り響きランプが明滅する店の奥へと四条は歩み始める。  
と、数メートルも進まないうちに四条は立ち止まり、振り向きながらお返しとばかりに笑みを返す。  
「お二人こそ、蜜月の時間を楽しんでくださいな!」  
言い終えると四条は急いで俯き、早歩きになって高槻のもとへと向かっていった。  
 
 
四条が高槻のもとまで着き、なにやら話し始めるまで硬直する淵辺。今の顔の向きではよく見えないのだが、どうやら雛坂も固まっているらしいということは感じ取れた。  
人を呪わば穴二つ、とはよく言ったものである。  
が、そのままじっとしているのもそれはそれで気まずいものであり、それ故に淵辺はどうにか雛坂に話しかけることにした。  
「……まいったね。蜜月だってよ。全く、俺らそんな柄でもないのになあ……、な、ミコ。」  
たはは、と笑いながら後頭部に淵辺は手を置き、オールバックが崩れないように頭を掻いて返事を待つ。  
……しかし。  
数秒待ったが、雛坂からの返答は返ってこない。  
「……ミコ?」  
肩透かしをくらい、淵辺はすぐ隣にいる小さな影に視線を向けた。  
するとそこには、  
「……柄でもない、か。そう……だよね。」  
俯きながら、無意味に手を絡ませて淵辺を見ようとしない雛坂がいた。  
声には先ほど四条を茶化していたときの張りがなく、その目は緩いウェーブを描いた髪に隠れ、見えない。  
 
「……すまん、ミコ。」  
雛坂の漏らした呟きに、自らの失言が原因と悟った淵辺は取り繕うように謝罪を向けるが、  
「……ね、正義。」  
雛坂はそれを無視し、下を向いたまま語りかけた。  
声色はますます青色を混じらせ、淵辺に対する呼び方も、本名を読み替えたいつもの呼び方ではなくなっている。  
「……やっぱり、私の告白、無理して受け入れる必要なんて……なかったんだよ?」  
じっと、感情を殺して放つ詞。  
「……今ならまだ引き返せるよ。だってさ、正義は、正義が好きなのはさ……」  
雛坂はゆっくりと、淡々と言葉を紡ぐ。  
周りで煩く電子音が鳴っているにもかかわらず、ぼそぼそと呟くような言葉は、ひび割れた岩の上に落ちた水滴のごとく二人の間に染み込んでゆく。  
内部まで行き渡った水は、岩を浸食して破壊へと至らしめる。ならば、言葉が浸食して破壊するものは何か。  
 
……それ故に、淵辺の感情は逆に一気に燃え盛った。  
「馬鹿野郎! んなこと言うな!」  
「だって! ……さっきもさ、楽しそうにしてたでしょ……  
……私は、昔から一緒にいるだけだもん。あんな楽しそうな正義、私と何かしてるとき見たことないもん……」  
感情を押し殺したはずの声は、しかし、震えに満ちている。  
それに気づいた淵辺は、だから無理やり雛坂の肩を掴んで自分のほうを向かせた。  
彼女の四肢は力なく、赤子にそれを行うかのようにたやすく動かすことが出来た。  
そのまま淵辺は雛坂の頭頂部と顎を持ち、くい、と首を上方へと角度を変えさせ、自分も雛坂を見下ろすのではなく、しっかりと目を合わせながら、あやす様に優しげで、しかし真摯な声色で話しかけた。  
「……なあ、ミコ。あいつが別のヤツを見ているからって、その代用品にお前を使ってる、なんて思っているなら大きな間違いだからな。」  
「……。でも、」  
「でもも糞も無い。俺は、おまえと一緒に居ると他の誰よりも落ち着けるから、お前の告白を受けたんだ。  
……それを、疑うのか?」  
 
「……。」  
雛坂は答えない。  
既に淵辺の手は顔から離されている事もあり、再度俯いて目元を隠す。  
「……ミコ。」  
「――く。」  
淵辺の更なる呼びかけに対し、突然、雛坂が体をくの字に折った。それも、痛みか何かをこらえるように。  
よからぬ不安に駆られ、淵辺は雛坂を掴んでがくがくと前後に揺する。  
「ミコ?……ミコ! どうした!?」  
 
「く……あはははははは!こ、こんな簡単にコロッと行くなんて……  
く、クサ……台詞クサ……  
お腹、いた…………あっははははは!!」  
 
腹を押さえ、雛坂は失敗した福笑いのような顔をした人間を見るがごとき笑いを見せる。  
その拍子に上げた顔を淵辺が見れば、そこに浮かんでるのは哄笑の表情。  
はじめ、あっけに取られていた淵辺だが……  
今の状況に気づくと、ふつふつと怒りが湧いてくるのを止めることは能わなかった。  
何しろ自分が常日頃から、内心気にしていることをネタにして笑われたのだ。学校では面倒見がよく、多少では怒らない兄貴分として通っている彼でも我慢に耐えないことはある。  
「……テメ。」  
雛坂に聞こえるか聞こえないくらいの声で呟いた淵辺は、一瞬で顔を染めると同時、眼前でまだ笑い続けている雛坂の頭を両握り拳で挟みつけた。  
「あっはははははは……あ、せ、セーギ、あっははははは、ちょ、痛い、痛いって……  
あっはははは……!ご、ごめ……」  
ぐりぐりと拳をねじ回され、頭を両サイドから万力のように締め付けられながら、いまだに雛坂が笑いを止める様子は無い。  
 
「おーまーえーなー! 悪ぃと思ってんだったらいい加減笑うのやめろっての!!  
……ったく、人の純情弄びやがって。ほら、こういうときはなんて言うんだ? ミコ。」  
「せ、セーギ、私もう謝った謝った! ぷ、く……いた、痛い痛ああ!」  
雛坂の発する声が本当に痛みを帯びてきたため、淵辺はとりあえずそこで許してやることにした。  
腕を組みながら、先ほどまでわざわざ首を傾けて合わせていた視線を上から見下ろす形に変えて睨み付ける。  
「うー…… 酷いなぁもう。ほら、涙出ちゃった。あー、止まらない……」  
「自業自得だ、バカモン。これに懲りたら……」  
……と。怒りを静め、あきれたという意思表示のぞんざいな言葉を投げかけようとした淵辺はしかし、そのことに気づいた。  
 
雛坂の目の中が、ずっと泣き続けていたかのように、真っ赤に染まっていることに。  
少し小突いたくらいでこれ程目が充血することなど――ありえない。  
淵辺はその意味を考えようと顎に手を当てるために手を動かしたが……しかし途中でやめた。  
雛坂は小突かれたために涙をこぼしたと言ったのだ。  
……なら、それが本当なのだろうと淵辺は自分に言い聞かせ――言うべきことを言うことにした。  
「二度とこういうことネタにすんじゃねえ!! ……わかったか!?」  
同時、雛坂の頭に拳骨を落とす。  
まきを割った音に近い小気味いい音が衝突場所から響き、雛坂は、  
「あう〜……、いったぁー……」  
両手で頭を抑え、体育座りのような姿勢でうずくまった。  
心なしか、旅行でしばらくぶりに我が家に帰ってきた時のような、うれしそうな表情で。  
 
 
 
降る雪はいつの間にかやみ、それ故に路上は解けた雪の灰色とアスファルトの灰色という似て異なる2色に埋め尽くされている。  
道の両側もやはり、灰色。古びた武家屋敷の塀は、基部こそ石垣ながらも年月に薄汚れ、今の季節はその石垣すら雪に埋もれ、その精密に組まれた石の頭しか見えることは無い。  
 
――黄昏時のこの時刻、空は一面黄土色に染まり、見通すことは能わない。  
夕日を雪雲が遮り、その黒い己の色に暁の色を混成させているためである。  
 
……もはや日も暮れるこのとき、どこにでも居そうな四人の若人が武家屋敷の一角を目指して歩いていた。  
わずかに先行く二人は腰より長い黒髪を持つ白いコートの女性と、わずかにウェーブを描いたショートカットの少女の二人。  
後ろを歩く者の一人、暮れ行く空を二羽のカラスが北西から南西へと向かうのを何気なく立ち止まって見終えた、丸い眼鏡をかけた苦労人特有の雰囲気を持つ少年が、背中を見せてすぐ先を行く、髪の毛をオールバックにした親しみやすさ漂う男子に話しかける。  
 
「……そういえばさ。さっきみたいな事は止めてほしいんだけどな……」  
ぴたり、と足を止め、その長身の青年――淵辺は首だけで振り返り、そのまま冷や汗を掻きながら絶句。  
「……まさか見てたんじゃねえだろうな。」  
顔の半分以上がこちらを向いているのを確かめ、少年こと高槻はわずかに頷く。  
そして、腰に手を当て、はあ、と一息。  
「……あのさ。二人がそういう関係なのは知ってるし、そのことに文句を言うわけじゃないけどさ……  
公衆の面前であんなふうにいちゃつくのは止めてほしいなあ……」  
「……時々思うんだがな。アレがんなシーンに見えるようなら眼科行け。」  
話しかけられた淵辺は、ポケットに手を突っ込みながら横目を向ける。  
その矛先の高槻は、しかしなぜそんなふうに言われるのかと頭の上にいくつも疑問符を浮かべている。  
……興味あることや義務とか義理とかの厄介事にゃ信じらんねー集中力発揮すんのに、身の回りへの関心はとんと駄目と来たか。  
毀誉褒貶のいずれにも当てはまることを淵辺は内心思うが、別に口に出すことはしない。  
しない、のだが……どうやらすぐ斜め前の雛坂は感づいたらしい、軽く肘打ちで小突かれた。  
 
だがしかし、当事者の高槻は全く理解していない様子である。自分のために雛坂が淵辺に注意してくれたことに気づきもせず、それどころか彼女の肘打ちに対して思ったことは、  
「惚気るのは勝手だけどね……」  
……と、当然見当違いの解釈しか見えていない。  
「そもそもさ、せっかくの年末年始なんだから二人きりで過ごしたい物なんじゃないの?  
わざわざ僕たち呼び出さなくてもさ。少なくとも僕はそうだな。」  
高槻の言に、四条までも首を突っ込んで、そうですねー、とくすくす微笑みながら頷いており、気分を良くした高槻は恥ずかしげもなく理想のパートナー論を訥々と語りだした。  
こうなると高槻は止まらない。普段抑圧されている分、話すときはいくらでも話すのがこの男だ。  
 
「きょ、今日みたいなのは皆で楽しんだほうが得だろ!?  
俺達ゃ皆で過ごしてるほうが性に合うんだよ!なあミコ!」  
「そうね!こ、こうやって皆で騒いで遊ぶのタキもミズキチも好きでしょ!?楽しかったわね!!」  
この二人にペースを握られると、いつまでも高槻がひたすら演説を続け、四条がイエスウーマンと化すのは分かりきっているので、淵辺達はは無理矢理テンションを高めて話題を変えることにする。  
話を止められた高槻は嫌な顔こそしないが、淵辺と雛坂を哀れむようにみた。  
やるせない気分になりながらも、淵辺と雛坂は古本屋での再現を阻止することに成功して、安堵の息を気づかれないように漏らす。  
 
そんな二人を渋い顔で一瞥した高槻は、何とはなしに苦笑いしている四条と顔を見合わせ、目の前の二人と同じように同時に溜息をついた。  
「……僕と四条はゲームセンターは嫌だって言ってたんだけどね……」  
「あはは……。ま、まあ、そう頻繁に行きたいところではありませんね……」  
 
 
高槻の言葉に彼の気苦労など知る由もない淵辺が、水城はともかくお前はんなこと言ってねーだろ! と無責任かつ的確な突っ込みを心の中だけで言っている時、  
「ま、どっちにしろ時間は潰したほうがよかったでしょ?」  
と雛坂が四条に向かってウインクしながら口を紡いだ。  
 
が、話を振られた四条は、どういうことかといぶかしみながらも微笑むという器用な事をしている。  
しばらく、ん〜、と顎に手を当て考えていた彼女は、しかし降参するように、  
「? すいません、少しばかり事情が飲み込めないのですけど……」  
と、眉をハの字にした笑みで雛坂に問い返した。  
 
あー……、と、あらぬ方を雛坂は向いていたが、ぽりぽりと耳の前を掻きつつ口を中途半端に開けて返答。  
「ほら、妹さん……今年、受験でしょ? 邪魔しちゃまずいかと思ったわけ。」  
 
照れながらの彼女の言動を聞いて、四条は一瞬納得。  
と、それと同時に眉根を下げ、申し訳なさそうな顔を作る。  
「ええと……それはそうなんですが。」  
「ん?」  
「そこまで気にしなくても、別に問題はありませんよ?」  
……と、感謝と謝罪の入り混じった表情の四条。  
ちょっとした理由で、彼女の妹は受験勉強をする必要などないからだ。  
 
「いいっていいって。単に遊びたかっただけってのもあるしね。」  
……と、黙り込んでしまった四条に対し、それをふきとばすように子供のような表情であっけらかんと笑う雛坂。  
彼女に対し、四条はいくつか何かを言おうとしたが……止めておく事にした。  
……もう、数十メートル先に見えているのは、四条の家だ。  
話すことがあれば、ゆっくりとそこで話せばいいだろう。  
だから、四条は小走りで独り玄関に駆け寄った。  
自らの手でかんぬきを外し、ゆっくりと門を押し広げながら、言う。  
「……では、ようこそいらっしゃいました。」  
真面目な顔つきになり、深々と帽子を取りながら頭を下げる。  
上体を持ち上げ、大急ぎで被りなおした時にはすでにいつもの笑み。  
「……さて。楽しい年末を過ごしましょう?」  
 
門の向こうには十数メートル先まで広がる玉砂利敷きの道と、枯山水。  
早く炬燵に入れてくれー、と、両手で体を抱きながら全速力で門を通り抜ける淵辺と、そんな淵辺を、全く、子供なんだから……と微笑ましそうに見つめたあと、首の動きだけで早く来るように、と高槻を促して淵辺を追う雛坂。  
マイペースで歩きつつ、そんな二人を見送る高槻は、ふと辺りが早宵闇に包まれていることに気づいた。  
空気は寒く、古びた電灯の光は黄色みを帯びて彼を照らす。  
また雪が降りそうだな、と彼は思い、……そして、止めていた足を動き出す。  
向かうは先ほどから門の横で白い息をはいている、白い服に黒い長髪の少女。  
待つ必要なんてないのにね、と呆れ顔で告げることを考え、彼は苦笑を漏らす。  
まだ夜は始まったばかり。皆で過ごす年末は、さぞかし楽しいことになるだろう。  
きっと自分が苦労することになるんだろうけど。  
考え、高槻は新雪を踏みしめてゆく。  
……そして。言うべきことを言いながら、傍らの少女と一緒に門の中へと同時に一歩を踏み入れる――――  
 

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