山羊と歌うたい  第三話 
 
 
 
「うーんと、これとこれ、後こっちのが食べられる物で、これが美味しくないので、この物凄い極彩色のが毒、じゃなかった?」 
「お姉ちゃん惜しい!」 
「おし〜い!」 
「メラクだってちゃんと分かってないでしょー」 
「そんなことないもん、サフラねぇちゃんのいじわる!」 
「ああ、ほらほら二人とも喧嘩しないで! ね、私どれが間違えてたのかな?」 
カモシカの国と熊の国の国境を超えて暫くの場所。目下私はいつもの馬車ではなく、ミザールさん家族の馬車で、サフラちゃんと 
メラクくんと一緒に食べられる野草や茸の当てっこに興じていた。 
二人のじゃれ合いが喧嘩に発展しないよう諌めながらも、つい自らの考えに沈んでしまう。 
──私が馬車を移ったのは今日の午前中の事になる。そろそろ熊の国に入る、と言う辺りで、群れの歩みが止められたのだ。 
止めたのは、カモシカの国の通りすがりの国境警備隊(みたいな捉え方で良いのだろうか)の人達。先日の盗賊達は彼らに 
捕縛されたらしい。どうやら、一思いに死んだ方がマシだった様な状態で。 
「カモシカの国の」組織の筈なのに、現れたのはカモシカの人と、ヤギの人だった。理由は説明されたような気もするが、ちゃんと 
聞くことが出来なかった所為か、覚えていない。説明の間中ずっとハダル様に何かにつけて触れられていたからだ。 
馬車を移った理由もそこにある。 
ハダル様に触れられる。腕を柔らかく引き寄せられる、腰をそっと抱き寄せられる、髪を優しく撫でられる。 
されている事は今までのスキンシップと変わりないのに、触れられると体のどこか奥深くが熱っぽく疼く様で落ち着かない。 
ぬるぬると肌の上を滑っていった熱い手を、耳元で囁かれた甘い声を、首筋を優しく辿った唇の感触を、思い出す。 
この前の、あの夜から。あの時はほっとした為か特に意識もしていなかったが、「凄く良い所」で終わってしまって残念だったのは、 
……私の身体も一緒だったらしい。自分がこんなにいやらしい人間だとは思っても見なかった。 
そんな訳で、ハダル様に手を伸ばされる度に挙動不審になりかけて限界が近かった私は、警備隊の人達がハダル様や 
カペラ老と話し合っている間に周りで採取してきた野草の類の当てっこをしよう! と言う姉弟の誘いに乗る事にした。 
ハダル様は笑って応援しながら送り出してくれたが、何だか寂しそうだった。 
 
「バレリアお姉ちゃんどうしたの?」 
「どうしたのー?」 
案外深く考え込んでしまっていたらしい。慌てて笑顔を作り二人に返事をする。 
「ごめんね、ちょっと考え事してたの。それで、どれが惜しかったの?」 
「いっこだけだよ、あのねあのね、これ!」 
私が食用に分類していた狐色の茸は、椎茸に似た形で先日食べられると教わった茸と同じ物だと思ったのだが。 
「これを食べるとねぇ、こわい夢を見て全身がびくびくして口から泡を吹いて最後には死んじゃうんだよー!」 
物凄い内容を高いテンションで言われて一瞬眩暈がした。 
どうやらこちらの世界でも、茸の類が素人には難しいのは同じことらしい。致死毒を持った物を食用の所に入れてしまった時点で、 
惜しいとは言えなくなっている様な気がする。 
凶悪な茸を矯めつ眇めつしていると、横合いから優しい声がかかった。 
「さあさあ、当てっこはそのくらいにしなさいな。バレリア、二人の相手をしてくれて有難うね、疲れたでしょう。これ、お食べなさいな」 
姉弟のお母さんのオリーさんが、獅子の国の産物だと言う干した果物の砂糖漬けを差し出してくれた。一口大の果物を口に入れると、 
砂糖の甘みと果実の酸っぱさが舌に心地良かった。 
「バレリアお姉ちゃん大丈夫?」 
「どうしたの、げんきだしておねえちゃん」 
何時の間にか俯いていた顔を上げると、二人に心配気に覗き込まれていた。オリーさんも案じるような表情で私を見ている。 
……要らない心配をかけてしまった。こんな小さな子達にまで。 
何とかもう一度笑顔を繕って、私はメラクくんの頭を撫でてあげながら返事をした。 
「心配かけて御免なさい、私は大丈夫です」 
 
 
 
緩やかな弓なりの山道の先に見えるのは、白壁とそこにに嵌め込まれた木製の門。ヤギの国へと登る道ぞいにある、熊の国の 
集落への入り口。そろそろ午後に差し掛かる時刻、思っていたよりは早く着いたような気がする。 
予定としては、この集落で一泊、その後ハダル様はヤギの国に向かい継承儀式、皆はその間熊の国で待機…という事に 
なっているらしい。何故全員で向かわないのかとカペラ老に聞くと、驚いたことに狭いから、だそうだ。国が。 
元々国土、というか土地に対するこだわりが非常に薄かったヤギの民が現在本国としているのは宗教的な聖地といった色合いのほうが 
濃い場所で、普段居るのは族長とヤギの民の中でも旅が辛くなった者、最初から旅暮らしに馴染めなかった人間位で精精数十人、 
民の全てどころか儀式の為に戻ってくる候補者達の群れでも全て受けいれようとすると溢れてしまうんだそうだ。 
 
外門に馬車の列が近づいて行くにつれて、段々緊張してきた。声楽の道を選べなかった自分にとって、群れの皆の様な身内では無い、 
他人の前で歌うのは高校の合唱祭以来になる。しかも今回は有償、仕事だ。私の歌でお金が取れるんだろうか。 
こんな事になると分かっていたらせめて、短大の友人にカラオケに誘われたときに都合をつけて行って置くべきだった……、 
だが後悔しても今更、それこそ後の祭りだろう。ああ、六弦琴もハダル様の馬車に置きっぱなしだし。 
そんな緊張に混乱する思考を一旦棚上げし、幌の前部から顔を出して門の辺りの様子を窺ってみる。 
馬車の一群が入って行っているのが見えた。ヤギが御している、でも見慣れない馬車。 
「おお、あれは……マジョラ様の群れ、だなぁ」 
疑問符が顔に浮いていたのか、ミザールさんが馬車群の正体を教えてくれた。マジョラ「様」と言うことは、次期族長候補の人なのだろう。 
と言うか、もしかしてこの時期にこの辺りに居るヤギの民は恐らくは当然の如く継承儀式関係者でそんな丸分かりの事に思い至ることも 
出来なかったって言うのはもしかしなくても私はどうしようもなく鈍いんだ、こんなのじゃあいずれ皆にも大迷惑をかけて愛想を付かされて 
「バレリア?」 
しまうかもしれない、私の生存能力じゃ保護者も無くこの世界で生きていくのは当然無理だろうから矢張り誰かに飼われると言う事に 
なるんだろうけれどこんな良い扱いなんて到底望めないんだろう、第一ハダル様から離れてしまうのは辛い、もっとちゃんと群れに貢献で 
「お〜い、バレリア?」 
きないと駄目なのかな、いや、群れ全体って言うかハダル様個人にすら今全然貢献できてないしこのままだと君では駄目だとか言われて 
「バレリアー、大丈夫かー?」 
「ひゃぁ!?」 
目の前をひらひらと横切る手に吃驚して正気を取り戻すと、ミザールさんが私の顔を心配そうに覗き込んでいた。 
「何か虚ろな目でぶつぶつ言ってたけど、大丈夫かい? そろそろこちらも門に着くから、停まった時にハダル様の馬車に戻って準備を 
 始めればちょうどいいと思うよ」 
「はい、有難うございます。……醜態をお見せして申し訳ありませんでした」 
「いや、何だか追い詰まっている様子だから心配でね。そんなに緊張しているのかい?」 
「……はい」 
こんなにあがっているのは小学校四年生の学芸会のとき以来かもしれない。 
 
 
 
中世のヨーロッパを何となく想起させる町並みの中心にある広場。真ん中辺りに芸を披露する私達、その周辺には見物の熊の国の人達、 
広場の縁には占い師やゲームの胴元等の人達が腰を据えていて、全体を賑やかな雰囲気が包んでいる。 
「大丈夫ですよ、落ち着いてくださいバレリア。その六弦琴はさっき調律したばかりでしょう」 
何時の間にかハダル様が私の隣に来て苦笑していた。 
「ハダル様、ここにいらっしゃって宜しいんですか?」 
確か呪術医としての仕事があると言っていた筈だが。医者、という観点で見ると黒と暗色で構成された服装は無免許天才外科医並みの 
怪しさだけれど、呪術、と頭に付くと途端に納得できるから不思議な物だ。 
どんな怪我や病気もこの間の治療のように呪術で、と言う事なのかと思っていたら一概にそう言う訳でもないらしく、漢方医としての 
側面をも持っているらしい。 
「バレリアが余りに緊張している様子だったから心配になって見に来たんですよ」 
「…………」 
緒止めを無意識の内に捻り上げてしまい、慌てて弦を弾いて音を確認し合わせ直す。この作業ももう四回目だ。 
周りに居るのはよく知っている群れの皆だけではなく、ばたばたしている中さらっと紹介されただけのマジョラ様の群れの人達。 
そんな私達を期待を込めた目で見ているのは、全体的に大柄な感のある女の人達と、灰色熊をプーさんの様な雰囲気にしたら、 
と言った様子の男の人達。しかもヒトの楽師というのを前面に出すためか一人で歌う事になっているのだから緊張しない方が難しい。 
見た限りでは温和そうだし鹿の人なんかも普通に混じっているところを見ると流石に取って食われることは無いだろうが。 
と、顔を手でふわりと包まれた。長い指、大きな掌。見上げて目を合わせると、ハダル様が穏やかに微笑んで話しかけてくれる。 
「何時もの通りのバレリアの歌を聞かせてあげれば良いんですよ。緊張に引き攣っていては綺麗な笑顔も台無しです。 
 さ、笑ってバレリア」 
綺麗云々には異論が残るところだが、何とか口角を吊り上げて笑顔を作るべく努力してみた。 
「大丈夫。応援していますよ、バレリア」 
そう言うとハダル様は立ち去っていった。私の額に一つ、優しいキスを落として。 
 
これだけで幾らでも頑張れる気分になっている私は、間違い無く現金な人間だ。 
 
 
 
音も外さず歌詞も間違えず、何とか一曲歌いきった私に向けられたのは、熱の無い拍手だった。 
失敗したかな、と思っていると、熊の男の人から野次……と言うよりも質問だろうか、大きな声で聞かれた。 
「落ちモノの世界の歌は歌ってくれないのかい?」 
観客の中には思っていたよりヒトの姿も見られたし叶わぬ里心を付けてしまっては、と思ってヤギに伝わっている民謡を選んだのだが、 
そこが期待に添えなかったらしい。ヒトの楽師、という触れ込みであれば当然の事だったかと、内心臍を噛む。 
「俺も久しぶりにヒトの歌聴きたーい!」 
今度は若い男のヒトから声がかかった。 
心配のし過ぎだったのだろう、そもそも他のヒトの事は私が考えるべきことでも無かったのかもしれない。 
後ろに控えて出番を待っているヤギの皆を見ると、ゴーサインを出して来ている。聞かせるのは今回が初めてのマジョラ様の群れの 
人達は、特に熱心に。 
さっきの男のヒトから、もう一度声がかかる。 
「リクエストさせてー! 『勇者王誕生!完璧絶叫(パーフェクトぜっきょう)ヴァージョン』でー!」 
……いやいや。 
「六弦琴一棹でアレに込められている色々な物を再現するのは私には無理です、勇気で補いきれません!」 
「台詞部分は俺が補うから!」 
「そういう問題でもないです!チェンジ!」 
「じゃあ『男と女のラブゲーム』!」 
「デュエット曲じゃ無いですか! 一人で歌うのは流石にちょっと!」 
「大丈夫イケるって!!」 
「いやいや無理無理! もうちょっと現状の戦力で何とかなるようなのでお願いします!何でそんなに選曲が偏ってるんですか!? 
 一人で歌えない曲ばっかりじゃあないですか! 」 
そんな調子のやり取りが暫く続いた。歌を披露しに来ている筈だったのだが、若手お笑いの練習風景の様相を呈しかけている。 
「んー、じゃあイケそうなやつでスカボロぎゅっ」 
何か悪ノリされている気配を感じつつ掛け合いしているとリクエストの途中で異音、主人であろう熊の女の人に絞め落とされていた。 
「うちの馬鹿が迷惑をかけてしまってすまない、コレの事は気にしないで歌って頂戴」 
沈痛な表情で謝られてしまった。 
「えー、ええっと、取り敢えずそのヒトを起こしてあげてください、最後に言い掛けていた曲は歌えますから」 
歌詞とメロディーを頭の中でざっと浚う。そもそもが民謡だから一人でも歌えるし、少し寂しげだが聞いていて耳障りなことも無いだろう。 
先程まではしつこく残っていた緊張も今の問答(むしろ漫才だろうか)でどこかに消え去った。辺りの雰囲気も妙に和んでいる。 
リクエスト主の男性が活を入れて貰って意識を取り戻したのを確認して、演奏を始める。 
「ヒトの、私達の住んでいた国とは違う国の言葉で歌われる歌で、スカボローフェアと言う曲です。お楽しみくだされば幸いです」 
 
「Are you going to Scarborough Fair♪ Parsley, sage, rosemary and thyme♪ 
 Remember me to one who lives there♪ For once she was a true love of mine♪」 
 
 
 
熊の国の宿。私も本当は群れの皆と一緒にキャンプで休む予定だったのだが、歌の評判が良かったお蔭だろうか。久しぶりに屋根の下 
で休ませて貰える事になった。 
部屋の中に一人きり。落ちてくる前は気にもならなかった、寧ろ安らいでいたはずの静かさに落ち着かなくなっている自分は、大分こちら 
での皆との生活に馴染んでいるのだろうか。 
ベッドの上に大の字で寝転がり、天井を見上げる。 
やはり落ち着かない。キャンプに顔を出したら、友好的な街だからか皆自由に出かけていて人があんまり居なかったし、残っていた 
人達には今日は頑張ったからゆっくり休むなり、遊びに行って来るなり好きな様にしなさい、と言われてしまった。 
枕を抱いて一頻りごろごろしてみる。 
出歩くのは余り得意ではないし、宿の中も一通り探検し同じく投宿していたマジョラ様にも挨拶を済ませたため、する事が何にも無い。 
無尽蔵ではない体力もつい先程のマジョラ様訪問で使い果たしたから、ここから頑張ってもう一度外に出る気にもなれない。 
欠伸が出る。部屋に戻っているよう言われたのは眠たげに見えたからだろうか。 
ノックの音がした。 
街に出ていた人達が部屋を訪ねてくれたのだろうか。名乗られないのが不思議だが、流石に押し込み強盗と言うことも無いだろう。 
控えめな訪いに戸を開けながら返事をする。 
「はーい」 
「無用心ですよ、バレリア」 
叱られてしまった。 
「ハダル様……すみません」 
「いえ、ここでそれ程危険なことも無いでしょうが……。ええと、少し良いですか?」 
珍しくハダル様の歯切れが悪い。 
「何でしょうか」 
「いやその、ちょっと様子を見に来たんですよ」 
「様子ですか?」 
単独宿泊を心配されるほどの年齢では無い、と自分では思うがやはり心配な物なのだろうか。今思い切り無警戒に戸を開いてしまった 
身では子ども扱いしないで下さいとも言えない。 
「ええ、少々気になる事がありまして……おや、バレリア」 
「はい?」 
「酒精──蜂蜜酒の匂いがしますが、酔っているんですか」 
「いえ、大して」 
室内を見回すハダル様。温かみのある内装のそう広くは無い室内に、恐らく今探されているだろう物──酒瓶の類は無い。 
「マジョラ様にご馳走になりました」 
ハダル様は頭を抱えてしまわれました。 
「あのザル……いや、底抜けに付き合ったんですか!?」 
「いえ、それ程大量に飲んだわけではないです。そんなに飲んでないから酔ってません」 
「酔っ払いは大体そう言いますね」 
「本当にお相伴に与っただけですから」 
多分二人で一升位しか飲んでいないだろう、大した量ではない。広場でも一緒だったジャグラーのマルカブさん(マジョラ様の世話役 
なのだそうだ)は途中からちょっと泣いていたが、飲めない人だと言っていたからハブられて寂しかったんだろうか。 
「まあ、別に飲酒を咎めに来た訳ではありませんから良いんですが……」 
やはりちょっとおかしい。いつにないこの逡巡は何なのだろう。 
「取り合えず、中に入っても良いですか」 
 
取ってもらった部屋は小さめで、置いてある調度はベッドと洗面台に小さな棚、小さなテーブルと椅子が一脚。ハダル様に椅子を使って 
貰おうと思っていたら、ベッドに座った私の横に並んで腰を下ろされた。 
暫し沈黙、いつもと違って居心地が悪いのは口を開こうとしては躊躇うハダル様の所為だろうか。 
落ち着かない気持ちで待っていると、ようやくハダル様がポツリと呟いた。 
「バレリアは、同じヒトの方が良いですか?」 
「え?」 
「一緒に過ごして、一緒に年をとって、子供を生んで……そんな風に隣にいるのが、ヒトの方が良いですか?」 
「……どうしたんですか突然」 
また少し躊躇った後、ハダル様はいつになくゆっくりと言葉を継ぐ。 
「仕事の合間に、バレリアが歌っているのを覘かせて貰ったのですが、……ヒトと話している君が楽しそうにしていると思ったんですよ。 
 僕と居るよりも、……ずっと。だから……」 
楽しそうに見えたのかなあれ。主観的には疲労させられた印象しか残っていないのだけれど。 
ふと思い至った事を聞いてみる。 
「私が『そうだ』と言ったらハダル様はどうされるんですか?」 
「……困ります」 
こんなにしょんぼりしているハダル様を見るのは初めてだった。思っていたよりもずっと愛されていると言うことなんだろうか。 
……嬉しい。 
「私は、ヒトの仲間なんて要りません、ずっとハダル様のお側に置いて頂ければ」 
「本当ですか?」 
「はい、ただ……」 
「ただ?」 
これは聞いておきたい、という事がある。今までずっと気にはなっていたのだけれど、聞けなかった事。 
また暫しの沈黙。やっぱり聞きにくいけど、聞けるチャンスなんて今だけかもしれない。 
「何故私なんですか? ……ハダル様が以前お付き合いしていた人はもっとずっと綺麗な人だったって聞きました」 
思い切り噴きだして咳き込んでいる所を見ると、これはもしかしたら聞かないほうが良かった事だったのだろうか。 
「だ……誰に聞いたんですかそんな事!?」 
「マジョラ様です」 
ハダル様は頭を抱えてしまわれました。 
そう言えば先程も抱えていた所にハダル様とマジョラ様の関係性の一端が垣間見られた様な気がする。 
「で、私のどこが良いんですか? 教えてください。ハダル様の為にその部分を特に大事にしますから」 
運動を欠かさないようにしたりとか、大胸筋を鍛えて形を保てるようにするとか。 
こういう所が良い、というのを本人の口から聞きたいなー、と思ったのだけれど。 
「声、です」 
「え?」 
熱を帯びた灰色の瞳が、真っ直ぐ私に据えられた。 
「その声。君の声は僕が追い求めた理想そのものです。叶うならば他の誰にも聞かせたくない程に。世界中の全てに聞かせて自慢して 
 やりたくなる程に」 
じゃあ美乳がどうとか言うのは何だったんだろう。今まで付き合った女性の総合的な傾向がそうだったから周りにはそう思われていたと 
言うだけだったと言う事か。性的嗜好なんて物は傍から見ててそう簡単に分かる訳でもないのだろう。 
そう言えば、落ちてくる前は時々声を褒められたことがあったと思う。 
「それだけではありませんがね」 
他にもあるんだ。 
「君がずっと僕の側にいてくれるのなら慌てて話すことも無いでしょう。追々ゆっくりと聞かせてあげますよ」 
そこで引っ張るんだ……。 
「さて、疲れているところをすみませんでしたバレリア。僕はそろそろ失礼します」 
「もうお帰りになられてしまうんですか? 何かキャンプの方で用事でも……?」 
小指を捕らえて引きとめた。 
「そう言う訳ではありませんが……」 
「ではもう一度其処にお座りになってください」 
互いの気持ちが通い合った(んじゃないかと思う)今、次は体だと思う。 
マジョラ様に色々と教わったのだ。飲みながらだった所為で記憶は半分ほど怪しいが、まあ実地で何とかなるだろう。 
ハダル様の腿を割って床に膝を着く。 
と、肩を抑えられて制止された。 
「何を……する気ですか」 
「ハダル様は私に触られるの、お嫌ですか?」 
「っ、それは……。でも、経験は無いんでしょう、どうすれば良いのか分かってるんですか?」 
「大丈夫です、マジョラ様に色々教わって来ましたから!」 
エロ話は得意ではないが、私は良く頑張ったとおもう。 
「あんのアマっ……僕がじっくり教える予定だったのにっ……!」 
頭を抱えるためか手が外れたところで、自分の身体をぐっと奥に押しやり、ズボンの上からそっと手を沿え、擦り始める。 
「ずっと、こんな事がしてあげたかったんです、あの時から」 
「バレリア……」 
腰帯を出来うる限り素早く解いてズボンの前を開けるのに恙無く成功したのはマルカブさんから供出させた腰帯で予め練習しておいた 
お蔭だろう。もうあのお二人には足を向けて寝られないなぁ。 
「ハダル様は私に声を上げさせて、それで良いのかも知れないけど、私は良く分からないけど何だか寂しかったんです」 
下穿きの中に手首を差し入れて直接触れ、教わった通りに刺激を与える。 
「だから、私が、ハダル様のこと出来るだけ気持ちよくしてあげます、良いでしょう?」 
「……っ!」 
始めてみるとグロテスクに見えるとかどうとか、と言う話を聞いたことがあるが、そんな感じはしなかった。 
ただ自分には無い器官だからか、不思議な違和感はある。 
きゅうきゅうと力を込め捻りながらながら擦り上げると、手の中で段々と体積を増してくるのが分かった。 
こんなの本当に入るんだろうか。まあ、出産が可能である以上は赤ん坊よりは小さいから大丈夫なんだろう。 
「バレリアっ、やっぱり酔ってるでしょう、っ」 
「大丈夫です、任せてください!」 
と威勢良く啖呵は切ったものの。 
えーと、何だっけ。 
顔色と反応を見ながら先端を撫でろとか指を絡めて扱けとか教わったような覚えが薄っすらあるけれど、顔色も反応も何て言うか、こう 
ぐっとは来ているけれどそれ以上では無い、と言った雰囲気を漂わせているような気がする。 
何が足りないんだろう、実戦経験だろうか。 
そうこうしている内にハダル様は苦笑しながら私の手をそっと押さえた。 
「有難うバレリア、気持ち良かったですよ」 
胸にじわりと満ちる敗北感。これで、負けて終わりなのだろうか? 
いや、まだ、まだ私には出来ることがある筈。 
考えろ。 
思い出せ。 
マジョラ様は何て言っていた? 
──相手の弱点を突くのよバレリア 
マジョラ様の声が、聞こえたような気がした。 
──貴女の最大の武器を生かしなさい 
有難うございますマジョラ様。私はまだまだ戦えます! 
立ち上がろうとするハダル様の方に身体を向けて肩に手をかけ、ベッドから落ちないように気を付けつつ膝立ちをするとハダル様の頭頂 
から側頭あたりに私の顔が来る。先程まで刺激していた部分にも手を伸ばせば何とか届くだろう。 
「ちょっと待っ……!!!」 
「ハダルさまぁ……」 
目の前に来ている耳に、可能な限り甘く囁きかけると、手を添えていただけのハダル様のモノが大きく反応したのが分かった。 
あれだけ頑張った時間よりも今の一言のほうが良かったと言われているのも同然で少しへこたれそうになったが、それ所ではないと気を 
取り直して添えた手をそっと動かし始める。 
「ハダルさま、すきです」 
首を動かして逃げそうになられたので、後頭部に手を回して角の付け根を押さえて抱え込む。 
ぶるぶると振り動かされる耳元に囁き続けると先程までより明らかに反応が激しくなっていて、……これは行ける! 
と、思ったのだけれど。 
「く、ぅっ……! バレリ、アっ、そこまで!!」 
筋力ではどう足掻いても勝てないため、手首を掴まれてひょいと捻り上げられた。 
「何でですか。もう少しだったんじゃないんですか?私の手じゃダメですか」 
「駄目です。何せ君との最初は君の一番奥に、と決めているんですから」 
「そうだったんですか……すいませんでした」 
「……バレリア」 
「はい?」 
「酔ってますね?」 
「全然大丈夫ですよう」 
耳元で聞こえる、抑えた、それでいて熱い声。 
「仕方の無い人だ」 
苦笑とともに、首筋に唇が押し当てられた。ざりざりと湿った感触が耳元へ這い登ってくる。 
舌の表面で舐られるのは少し痛いが、気にもならない。 
「ん〜っ……」 
胸元の止め紐を引っ張ってほどいた手が、そっと服の前を肌蹴る。そのまま執拗に胸を愛撫される、やっぱり胸も好きなんだろう。 
「ふぁっ」 
先端を軽く引っ張られると、知らず悲鳴のような声が漏れる。柔らかく優しい、身体を解すような触れ方は激しく燃え立たせる様な 
動きとは違う心地良さ。 
段々と、ハダル様の声が遠くなって行く……。 
 
 
 
カーテンから差し込む朝の光に目が覚めたら体が軽かった。馬車に座って机上仕事をしている時間が長い為これが職業病なのだろうと 
諦めていた肩や腰の凝りがすっきりと解れている。 
どう言うことだろう。 
昨日はハダル様にあちこち触られている途中で勿体無くも眠ってしまったのだが、その後一体何があったんだろう。 
取り敢えずお手洗いに行った後、洗面台で顔と残った眠気を洗い意識をはっきりさせる。 
朝食は確か併設されている酒場で取れると言われた、顔を拭いて身なりを整えたら行って見よう。 
と、思っているとノックの音がした。 
朝っぱらから押し込み強盗も無いだろうとは思うが、一応確認。 
「はい、どなたですか?」 
「僕です、バレリア」 
戸を開けると、其処にいたのは布巾を被せたお盆とポットを持ったハダル様だった。 
「失礼、入りますよ。……体調は良さそうですね、二日酔いで苦しんでいるのではないかと思ったのですが」 
「大して飲んでなかったから問題ありません。ハダル様、そのお盆は?」 
「給仕の真似事、と言った所ですか。朝食を一緒に、と思ったので」 
お盆の上にあったのは、綺麗な色に焼かれた木の実入りのしっかりとした質感のパンとバターに蜂蜜の壷だった。 
廊下に置いてあったらしい椅子をハダル様が部屋に入れている間に、お盆の上の物をテーブルに移し、ティーポットからお茶を入れる。 
二人きりで差し向かいの朝食。普段の賑やかさも何時の間にか好きになっていたが、こんな静かな時間も素敵だと思う。 
 
ちぎったパンにバターと蜂蜜を塗りながら、ハダル様に昨日の事を聞いてみた。 
「昨夜は失礼しました、途中で眠ってしまって……。あの後ハダル様はどうされたんですか?」 
「何をしても君が目を覚まさなかったから、君の肩や腰の凝りを解してから戻って寝ました。思ったより疲れを溜めていたんですね、 
 気付いてあげられなくてすみませんでした」 
事も無げにさらっと言われた返答で、体が楽になっていた理由が分かった。 
ご主人様にマッサージさせて自分は寝こけている奴隷。 
最低だ。 
己のあまりのどうしようの無さに先程までは問題の無かった頭が痛みだしてきた。 
私がよっぽど沈んだ表情になっていたのだろう、ハダル様が取り成す様に声をかけてくれた。 
「気にしなくても良いですよ、僕がしたくてした事ですし、君の体調が万全でないと山に登るのは辛くなるだろうと思ったんです。 
 只これからはお酒は控える方向でお願いしたいですね」 
「申し訳ありませんでした、もう飲みません。それよりも登山って、私は留守番じゃなかったんですか?」 
「いえ、現在の族長に顔を見せておきたいし、君は最初から連れて行こうと思っていました。途中まで馬が使えますしヒトの足でもそう 
 辛くは無い道のりだと思います。朝食が終わったらキャンプに戻って動き易く暖かい服装に着替えたほうが良いでしょう」 
連れて行くことには儀式が終わったらすぐ、なんて意味合いもあるのだろう。 
着替えが必要なほど気温が低いのか、それは高地である以上仕方ない事だろう。気になることが無くなった訳ではないので質問を重ねる。 
「宗教的な聖地なのでしょう、私が足を踏み入れて良いんですか?」 
「構いませんよ、そもそもヤギだけが住んでいる訳でもないので」 
どう言う場所なんだろう、まあ、行けば分かるのだろうが。 
「それでですねバレリア」 
「はい」 
つ、と顔を寄せて来られると、頬に血が上ったのが自分でもわかった。 
真剣な表情のハダル様と見詰め合うこと暫し。 
「あ、あの、何ですか?」 
「僕の事好きですか?」 
「はいぃ!?」 
声が裏返ってしまった。顔中の温度が上がる。直球で来られると凄く照れる。 
真っ直ぐ私を見詰めるハダル様と目線を泳がせる私との間に沈黙が落ちる。 
ハダル様はしょんぼりと何やら考え込むと、ふと思い立ったように呟いた。 
「お酒飲みませんか」 
「飲みません。この後キャンプに戻って着替えです」 
「そうですか」 
悄然とした表情のハダル様。 
心を決めると体をテーブルの向かいに差し伸べ、耳元に口を寄せる。 
「あの、えーと、ハダル様」 
「……何ですか?」 
 
こっそりと囁いた(素面では)初めての告白に、ハダル様はとても喜んでくれた。 
 
 
                                                             第三話  終 

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