「領主様、こちらの商品などどうでしょうか?」 
 
 冷たい冬の光が柔らかく差し込む紅朱館4階大食堂。 
 地上8階地下2階の10層に及ぶこの巨大な建物は繁栄するスキャッパーの象徴だ。 
 ヒトの世界から来た建築家が設計し、10年を要して築き上げられた城砦は、冬場の経済を支える重要な施設でもあった。 
 
 トラの宝石商は厳しい寒さの中、雪を踏んでカモシカの国からやってきた。 
 どれもみな素晴らしい出来栄えの商品を真紫のビロードマットに並べ一つ一つ自慢げに紹介している。 
 
 「オオカミの国の国営鉱山で掘られた金をカモシカの国で精製しウサギの職人が根気良く仕立てた一品です、融点の違う金属同士で 
デザインを取っております故に少々値が張りますが・・・・他国でもなかなか売れぬものゆえスキャッパーの富を象徴する物になること請 
け合いであろうかと存じますぞ」 
 
 大食堂の大きなテーブルを4つも並べ、盛大に店開きしている商人のリングや宝石は、どれも豪華で繊細で、そして高価だ。 
 数多く並ぶ妖しい煌きの宝石たちを前に、紅朱舘に務める多くの者が、次期領主となるアーサー夫妻のエンゲージリングを選ぶ為、 
あれやこれやと談義している。 
 
 ポール公とアリス婦人の婚礼時、ヒトの執事は何を思ったか領主夫妻のエンゲージリングは領民が選ぶべき、と意見したそうだ。 
 それを領主アリス女侯爵が採用し、それが次期領主夫妻にも受け継がれたのだった。 
 
 エンゲージリングを領民に選ばれるという部分はポール公も嫌がったようだが、それでもなおヒトの執事の案を採用したのは、それ 
なりに思う所があったのだろう。 
 息子達夫婦のためのエンゲージリングを選んでいるはずなのだが、ポール公はアリス夫人の手をとり、まるで我が事の様にじっくり 
とリングを品定めしていた。 
 
 「領主様、こちらも大変よろしいかと存じます。ヒトの世界から来たチタンという金属を加工したものですが、恐ろしく硬い金属で 
して、リングの形にするだけで2年、さらに彫金を施すだけで1年もかかっています。この細い溝に金を流し込むだけでも職人が指を痛 
めるほどの・・・・・」 
 
 「ウンゼイ、そなたの商品は皆実にすばらしい」 
 
 「お褒めに預かり光栄です」 
 
 「しかし、私が探しているのは・・・・ちょっと違うのだ」 
 
 「と、言いますと?領主様、お言葉が良く分かりませぬ」 
 
 ポール公は上着の中からネックレスを取り出した。その先端には金よりも白く輝くリングが光っていた。 
 金よりも青白く、そして光沢にあふれ、冷たくも暖かい光をたたえるリング。 
 一目見ただけで、この世界にはなかなか無いであろう逸品であることがわかる。 
 
 「領主様・・・・これは大変珍しいものを・・・・」 
 
 ウンゼイと呼ばれたトラの宝石商は言葉を失ってシゲシゲ眺めている。 
  
 「この金属はヒトの世界から来たものですな。同じ重さの精霊晶より価値があるでしょう」 
 
 ウンゼイと呼ばれた宝石商はポール公の見せたリングに心奪われていた。 
 しかし、アリス婦人が取り出した同じ金属のリングを見て腰を抜かさんばかりになった。 
 
 「ウンゼイ、私も同じものを持っていますよ。ほら、ちょっと小さいけどね」 
 
 ポール公のリングとアリス夫人のリング。 
 対になった二つのリングが寄り添うように大食堂で光っている。 
 
 「これは・・・・驚きました。その金属をこの目で見るのは生涯でも3度目です。領主様ならびに奥様、どうかそのリング、セットで50 
万セパタ、キャッシュで買い取りますのでこの卑しい宝石商にお売り願えませぬでしょうか?」 
 
 50万セパタといえば大金も大金だ。 
 イヌの国通貨でおよそ2万トゥンといえば、ちょっと…ではなく、かなり立派な家が軽く出来上がる金額といえる。 
 しかし、百戦錬磨の宝石商がそう目利きしたのだ。 
 おそらく、なにかもっと高額で売り抜けるルートがあるのだろう。 
 ネコの国の裕福な貿易商にでも売りつけるつもりだろうか・・・・。 
 シンジケートの強さを垣間見る瞬間でもある。 
 
 「ウンゼイ、そなたの目利きは間違いないぞ。なにせこれはヒトの世界から来た先代執事が指に嵌めていた物だからな」 
 「そう、そしてこっちはその妻の物。つまり執事夫妻のエンゲージリングよ。私達より数段良い物を持っていたわ」 
 
 領主夫妻はそういって目を細め白金に輝く二つのリングを見ていた。 
 そのリングにどれ程のドラマがあるのか。 
 領主夫妻とそれを取り囲む館詰めの者達が皆それを眺めている。 
 
 「おそらく・・・・純プラチナでしょう。ヒトの世界では我々よりも遥かに高い技術で加工が施されていたのですな」 
 
 「そうだな」 
 
 「どうでしょう、お売りいただけませぬか?」 
 
 「いや・・・・」 
 
 そこまで言ってポール公は口ごもった、アリス婦人がじっとその横顔を見ている。 
 その視線に明確なメッセージが込められているのはポール公だって見ずとも解る。 
 何を言いたいのかを考えるまでも無く、その明確な意図を宝石商も理解したようだ。 
 
 「残念です。実に・・・・」 
 
 「すまんな。これは前の執事が次の持ち主を指定して私に預けていったものだ。私は預かっているに過ぎない」 
 
 「そうですか・・・・残念ですが、いたし方ありませぬ。次のオーナーとなった方に改めて商談を持ち掛けさせていただきます」 
 
 「うむ、して、そちらのその・・・・」 
 
 ポール公が指差したリングをトラの娘が取り上げウンゼイへ差し出した。 
 
 「そう、それだ。それを息子達用ではなく妻の為に買いたいのだが」 
 
 「ほほぉ、さすがは領主様。お目が高いですな。これはヒトの世界から来たものです、領主様お預かりの・・・・」 
 
 そこまで言ってウンゼイは顔を上げた。 
 目をパチパチさせながら何かを考えているようだが・・・・・・ 
 
 「領主様お預かりのリング、もしや甥コウゼイよりお買い上げの物でしょうか?」 
 
 「そうだ、その通りだ。しかし・・・・なぜお前がそれを知る?」 
 
 「甥を手伝っている頃に領主様と奥様がお持ちのリングを見たことがあります。それを思い出しました」 
 
 「そうか・・・・では、このリングのエピソードも・・・・ウンゼイ、お前は知っているのか?」 
 
 「えぇ、もちろんですとも。リングの持ち主だったヒトの男も。そして。領主様の武勇伝も・・・ですがね」 
 
 そこまで言って二人とも失笑し始めた。 
 武勇伝というのに含みがあるようだが・・・・ 
 
 「御館様、皆の票を集計しました。こちらです」 
 
 ヨシが館勤めの者達による多数決の結果をまとめてきた、大方予想通りの集計結果といえようデータがそこにある。 
 やはりチタン製のリングに皆の票が集まったようだ。 
 灰色に輝くリングの外周部に溝が彫られ金が流し込まれているそれは、なんとも妖艶な輝きをみせていた。 
 
 「ふむ、なるほど。うむ。ウンゼイ、このリングを二つ、息子夫婦の為に用意するのだ。そしてそっちのリングは妻と私の為に。全 
部でいかほどだ?」 
 
 「そうですな・・・・・、全部で2万セパタ。いかがでしょうか?」 
 
 「ハッハッハ、ずいぶん欲を掻くが・・・それは口止め料も込み故か?」 
 
 「そうですな、ではその様に」 
 
 その場にいた者達が皆笑った。 
 笑わなかったのはポールの背後にいたヨシと、アリスの背後にあってマヤの代わりを務めるリサくらいだ。 
 きっとその場にいた多くのイヌたちが話の中身を知っているのだろう。 
 ポールの従者となったヨシの知らないエピソードがまだまだ有るのかもしれない。 
 
 「うむ。ヨシ、トゥン金貨を用意しろ。800枚だ」 
 
 「はい、ただいま」 
 
 ヨシは皆に一礼すると大食堂を出て行った。 
 背筋を伸ばし胸を張って歩く姿は父親譲りだろう。 
 
 「ウンゼイ、1トゥン25セパタで換金するが・・・・良いな」 
 
 「領主様、ここ数日ですとシュバルツカッツェの証券市場では23セパタが相場ですぞ?」 
 
 「2万セパタの欲を掻いたのだ、それくらい良いではないか」 
 
 「領主様にはかないませぬなぁ」 
 
 そういって再び皆が笑った。 
 皆が浮かべる笑顔を見てアリス婦人は幸せそうな笑顔を浮かべる。 
 長く苦労し続けたヒトの執事を思い出しているのかもしれない。 
 
 「ところで領主様、先ほどのリングはこの先どなたの指へ納まりますかな?」 
 
 「うむ、それは・・・」ポール公がそこまで言ったあたりでアリス婦人が急に言葉をさえぎった。 
 
 「リサ、ちょっと早いけど午後の御茶にしましょう、すぐに用意して。あと、キックに言って何かつまむものを用意させなさい」 
 
 「はい、かしこまりました」 
 
 長らく紫紺のメイド服を着ていたリサは最近になって赤樫色の蝶タイを絞める執事服を着るようになった。 
 マヤがアーサー夫妻の専属となっている関係でアリス婦人の身の回りはリサが受け持つことになっている。 
 全ては領主夫妻の思惑通り・・・・、そうなのかもしれない。 
 
 ヨシとリサが食堂を出た後でポール公はニヤリとしながらアリス夫人に目をやる。 
 
 「さすがだな、気が付かなかったよ」 
 
 「あなたはホントにそう言うところがダメね。マサミに笑われるわよ」 
 
 「そうだな・・・・、で、ウンゼイ。あのリングはなぁ・・・・、今、金貨を取りにやったヒトの執事のものだよ」 
 
 「ほほぉ左様ですか、して、相方は?」 
 
 「今、私が御茶を取りに行かせたヒトの女の子、次の婦長ね。もっとも、まだ予定だけど」 
 
 「では、あの二人で夫婦に」 
 
 「うむ、その通りだ。そう思ってあの女子を過日すでに手に入れてあった。館勤めとして粗相が無いよう妻がしっかり育てたが、今 
ではしっかりし過ぎているようだ」 
 
 「そうですか・・・・流石は慈悲無双のスロゥチャイム夫妻ですな」 
 
 「褒めても多くは払わぬぞ?ウンゼイ」 
 
 「では、社交辞令としてお受け取りください」 
 
 ハッハッハ!と大食堂にいるもの皆が笑った。 
 冬の日差しは随分と傾き光線は赤みを増しつつあった。 
 
 「領主様。あの執事殿に商談を持ちかけてもよろしいですかな?」 
 
 「構わぬが・・・・まだアレにはこのリングを見せてはおらぬ。それ故、商談は来年以降に頼む」 
 
 「心得ました」 
 
 ウンゼイは娘達に命じて商品を撤収し始めた。大きな箱へリングを一つ一つ納め丁寧に梱包している。 
 高価な商品を取り扱う商人故だろうか、トラや獅子といった体と力の強い種族がこの業界は多いようだ。 
 やはり、それなりに命や現金、金品を狙われるケースは多いのだろう。 
 ある程度片付いた頃になってリサがキッチンから帰ってきた。 
 
 「お待ちどうさまでした。御館様、奥様、どうぞ。ウンゼイさまもこちらに」 
 
 「あぁ、ありがとうございます。これはこれは、良い香りですな」 
 
 淹れたてのお茶が良い香りを撒き散らす大食堂へ、こんどはヨシが戻ってきた。 
 
 「ウンゼイ殿、私が2度カウントしていますが、今一度改めてください」 
 
 「若い執事殿、お手間をかけさせ申し訳ないですな」 
 
 ちらりとヨシに視線を送ったウンゼイは、年寄りとは思えぬ素早い手つきで、金貨をカウントし始める。 
 バラバラに積み上げてあった金貨が瞬く間にタワーとなり、800枚の1トゥン金貨はウンゼイの皮袋へと納まった。 
 
 「若い執事殿、トラの年寄りの戯言。笑わずに聞いてくれるかな?」 
 「はい、私で承れることでしたら、何なりと」 
 「私もこの仕事を長くしておりますが、未だに捜し求める物が幾つかあります」 
 「はい」 
 「その一つはヒトの世界から来たリングです。この世界では望むべくも無い高度な技術で設えたリングです」 
 「この世界で作れない・・・・のですか?」 
 
 ウンゼイはゆっくり頷くとお茶を一口啜ってホッと息を吐いた。 
 胃の腑のそこまでしみ込んでいくような香りが大食堂に漂っている。 
 
 「えぇ・・・・、そうです。ヒトの世界では私どもでは想像も付かぬ高度な技術で様々な物を作っていると聞いております」 
 「私はここで生まれたからヒトの世界というものを知りません。ですが、何度かそのような物を見ております」 
 「そうですか。ならば、もし、執事殿のご両親やヒトの知人ご友人などでヒトの世界のリングを手放される時は、ぜひとも我がラム 
ゼン商会へご一報を入れていただきたく存じます。たとえば領主様の・・・おっと」 
 
 そこまで言った時、お茶を飲んでいたポール公は思わずお茶を噴き出した。 
 
 「ゲホゴホ・・・・ウンゼイ、内緒にしておいたのだぞ…」 
 「これは失礼・・・・」 
 「もう遅い・・・・」 
 
 ポール公は憮然としている。 
 隠しておいた宝物を見つけられてしまった子供のようだ。 
 
 「あの・・・・御館様・・・・なんの話でしょうか?話が良く見えないのですが・・・・」 
 
 話が飲み込めずポカンとしているヨシはみなの顔を順番に見るくらいしか出来ない。 
 ポール公の隣に座るアリス夫人はそれを見てカラカラと鈴を転がすような声で笑っている。 
 
 「ヨシ、そこに座りなさい。あなたもバカねぇ。上手くやり過ごせば良いのに」 
 「そうは言ってもだな・・・・」 
 
 ヨシはポール公の隣に腰掛けた。向かいではウンゼイがボリボリと頭を掻いている。 
 その場の空気にトラの娘達が凍り付いている… 
 
 「ヨシ・・・・実はな、マサミからお前にと預かっている物があるのだ」 
 
 そう言ってネックレスに通したリングをヨシに手渡した。金よりも白く眩く輝く金属にヨシは見入った。 
 今までこんなに綺麗な光沢の金属を見た事が無いし、あったとしても気に留めていなかっただろう。 
 ヨシのすぐとなりでリサも食い入るように見つめている。その姿にアリス夫人は目を細めていた。 
 
 ウンゼイは一つ息を吐いてお茶を啜った後、なにか搾り出すように語り始める。 
 
 「実は、私どもでそのリングのセットを買い取らしていただきたいと御館様にお願いしたのです。しかし、そのリングは先代執事殿 
とその奥様の指に有った物だと伺いました。そして、先代執事殿が他界される前に、御館様預かりとなり次のオーナーとなる方を指名 
されたのだそうです。卑しい宝石商はそれを買い取りたいのですが・・・・諦めておきましょう。もしお気が変わられましたら、ぜひとも 
当社までご連絡ください」 
 
 ウンゼイの話を聞いていたヨシはリングを見つめてからポール公の方へ向き直った。 
 
 「御館様、これは父の品でしょうか?」 
 
 「そうだ、マサミがカナと結婚したときに買った物だそうだよ。マサミは何よりカナを大切にしていた。主たるアリスより大事にし 
ていたと俺は思う・・・・本当に仲睦まじい夫婦だった。この世界へ来てマサミもカナも本当に苦労したが・・・・その結晶はお前達3人の子 
供とこの紅朱舘だよ。そしてな、そのリングはヨシ、お前が嫁を取るときに渡して欲しいと頼まれた。この世界で生まれたお前にヒト 
の世界で作られたリングを渡してやりたかったのだろうな」 
 
 ポール公はどこか遠くを見ているような目でリングを眺めて感慨に耽っている。 
 
 「でもね」ポール公の話を継いだアリス夫人の言葉はヨシを驚かせるには十分なものだった。 
 
 「マサミにとって一番大事だったカナはね、一度はマサミの手から離れているの。不思議な縁があってね、先にカナのリングだけマ 
サミの手元へ帰ってきたわ。リングが帰ってきたら不思議と妻も帰ってきたの。あれは・・・・本当に不思議な話だったわね」 
 
 「そうなんですか・・・・母さん・・・・父さん・・・・」 
 
 「このリングはお前のものだ、アリスが持っているリングはお前の妻へ渡してやると良い。夫婦の絆の証として・・・・だ」 
 
 柔らかな微笑みを浮かべポール公はリングをジッと眺めている。その隣でアリス夫人もリングを見ている。 
 二人の脳裏にあるのは、いつも寄り添って立っていた執事夫妻の姿なのかもしれない。 
 そんな二人の姿を見てヨシはいつも厳しくそして優しかった母カナと父マサミを思いだした。 
 
 「御館様。このリングにまつわる両親のエピソードをぜひお聞かせください。お願いいたします」 
 
 ポール公はティーカップの中に残るお茶を揺らして香りを楽しんでいた。 
 しかし、ヨシのその言葉を聞き静かに天井を見上げ目を閉じ、そしてゆっくりと口を開いた。 
 
 「あれは・・・・私がアリスと結婚するときの事だ・・・・・・・ 
 
 
**********************************************************1************************************************************ 
 
 
 「なぁマサミ…、俺が選んじゃダメか?」 
 「ダメに決まってるだろ、だいたいお前んとこの家がだな」 
 「あ゙〜それは言うな、頼む!後生だ!」 
 「そう言ったって…、ここまで俺がどんだけ苦労したか・・・・・・」 
 
 初冬の日差しが心地よく舞い降りる紅朱舘の大ホール。 
 館勤めの者達がビッシリと取り囲む中、一番大きなテーブルを4つも並べて宝石商が商品を広げている。 
 来年の春節祭で正式に発表されるレオン家当主ポール卿とスロゥチャイム家当主アリス女侯の結婚にあたり、マサミの発案で館に勤 
める者達や領民らがエンゲージリングを選ぶことになった。 
 
 領民との関係が悪化していたレオン家の人間が領民に配慮していることを知らしめる良い機会と捉えていたのだろう。 
 だが、当のポール卿はイマイチ乗り気でないらしい。 
 やはり一晩掛かって口説き落とした恋女房には自分が選びたかったのかも知れない。 
 
 真夜中の夜這いでマサミに殺され掛けたポールは、何度か本気でこのアリスの従僕と殴り合う内に意気投合する間柄になっていた。 
いずれは主従の関係となるだろうが、少なくとも今現状は同じ女を取り合った仲である。 
男の友情は種族を越えて繋がるのだとポールは本気で思っていた。 
 
 「・・・・で、ポール卿」 
 「俺を卿付けで呼ぶなよ、気持ち悪いから」 
 「あぁすまない・・・・」 
 「アリスもお前もそうだけど、俺も天涯孤独だ。だから友達でいてくれ、頼むから」 
 「あぁそうだな・・・・その通りだ・・・・」 
 
 父を病で失ったアリスとポールは共に相哀れむ部分がある。 
そして異なる世界に飛ばされてきて、妻とも生き別れのマサミは、アリスとポールにとって、放っておけない存在のようだ。 
 
商品を広げるトラの宝石商は、かつて戦場でポールと相まみえた事のある人物らしいのだが、マサミは詳しい事情を知らない。 
ただ、トラの商人が自己紹介の中で言った言葉が妙に気に掛かっているのだった。 
 
 「おぃ、ポール、みんながこれを選んだがぁ・・・・どうでぇ?」 
 「ん?コウゼイ呼んだか」 
 「早く見ろよ」 
 
 コウゼイと呼ばれたトラの商人は、身の丈3m近くにもなる威丈夫だ。 
 カモシカの国で傭兵として働いていた頃、オオカミの国で国境警備の委託を受けていたそうだ。 
 
 その時の小競り合いでポール率いる斥候隊と遭遇し、出会い頭の二人は至近距離でガチのバトルをしたのだという。 
 銃声に驚いて錯乱状態に陥ったオオカミの少年兵が飛び出したとき、コウゼイはその少年兵を抱えて近くの塹壕に飛び込んだ。 
 そして、偶々そこにポール公が陣取っていて、至近距離ゆえ銃ではなく銃剣で斬り合ったらしい・・・・ 
 
 ポールの振り下ろした銃剣はコウゼイの右目上をザックリと切り、それ以来視力が回復していないのだという。 
 コウゼイは切られながらも渾身の右フックを打ち込みポールは吹っ飛ばされたんだとか。 
 その時に後頭部を派手に打ち付け気を失った物の、たいして傷は負わなかったそうだ。 
 ただ、昨晩二人が話をしている中でポールが 
 
 「お前に吹っ飛ばされて頭を打ったら頭がちょっとオカシクなった」 
 
 と言い放っているのを見ると、あの二人の関係はそれなりに盤石なのかも知れない。 
 本気で殴り合ったり殺し合ったりすると、関係が改善したときは案外良い友人になるのだろうか。 
 
 「ポール様、これがいいですよ、ほら綺麗なトラ模様です」 
 
 メルはまるで我が事のように目を輝かせていた、その隣でキックが妖しく輝く宝石達に心奪われ放心状態だった。 
 カイト老は次々とやってくる領民達が選ぶ推薦候補の票を取りまとめ、更に領民が御祝いにと置いていく各種のトゥン硬貨を積み上 
げて勘定していた。 
 
 そんな中やや厚めのサマードレスをまとったアリスが階段から下りてきて、ポールがコウゼイとギリギリの値段交渉をしているやり 
取りを聞いている。 
 
 「いや、だからな、俺にも色々都合ってモンがあんだよ。これを5000セパタで売らねーとネコの国にへぇれねぇんだよ」 
 
 「そりゃお前の都合だ、レオンは貧乏のどん底だしマサミは文無しだ、アリスに金を出させるわけにもいかねぇ、するとだ、ここの 
領民の善意が積み立てられたこの50トゥンが限度だ、それで何とかしてくれ。その代わり未来永劫ここでリングが必要なときはお前か 
ら買うから」 
 
 「そ〜ぉは言ってもだな、あのネコの女王はド腐れで慈悲のカケラもネーぞ。銭が無ぇと解りゃ俺はあそこのイカレな兵隊にバラさ 
れて噂に聞く天才料理人の餌食だぜ。それともなにか?おめぇが一緒に行ってトラ肉丼に化けた俺の味見してくれっか?トラ飯の後は 
おめぇもバラされてイヌ肉丼だぜ?赤イヌはうめぇっていうじゃねーか」 
 
 「んなこと言ったってだな、銭がねぇもんはねぇ」 
 
 ポールとコウゼイの会話は何となくべらんめぃ調の江戸っ子っぽいなぁ…、ふとマサミはそう思った。 
 しかし、それはそれであって、今ここでリングを用意できないのは色んな意味で後々響くことが予想できた。 
 しばらく黙ってマサミは聞いていたのだが・・・・覚悟を決めた。 
 
 「コウゼイ殿、ちょっと宜しいですか?」 
 「おぅ執事さん、改まんなくてもいいぜ、俺っちも気持ちわりぃ、なんぞようかい?」 
 「うん…、これを幾らで買ってくれる?」 
 
 そう言ってマサミは薬指に填めたリングを抜き取った。 
 それを階段で見ていたアリスが思わず叫んだ。 
 
 「マサミ!それを売ってはダメ!」 
 
 「いえいえ、アリス様のリングが用意できないのであればこれも仕方がありません…。それに、この一年、ここを通るヒト商人に聞 
いても行方が知れません、もはやダメでしょう。ならば…」 
 
 ウンゼイはマサミが指から離したリングを手にとってシゲシゲと眺めている… 
 
 「おまえさん・・・・これをどこで?」 
 「ヒトの世界にいた頃、妻と結婚したときに買った物だ」 
 「で、奥さんは?」 
 「一緒にこっちの世界へ落ちた筈だが…行方知れずだよ」 
 
 「悪いことを聞いちまったなぁ。すまねぇ」 
 
 マサミは下を向いて溜め息を一つ付くと顔を上げた。 
 
 「仕方が無いよ・・・・で、幾らだ?」 
 「そうだな・・・・って言ってもだな、こんな金属、今まで見たことがねぇ・・・・」 
 「プラチナって言う金属で、やたら堅い上に安定性が非常に高く、2000℃位まで熱しないと溶けないよ」 
 「2000℃?ホントか?それじゃこの世界じゃ溶かすことすら容易じゃねぇな…」 
 
 コウゼイはしばらく悩んでいたが、突如なにかを思い出したように宝石箱の中をガサガサと探し始めた。 
 
 「もしかしてこりゃぁ、おめぇさんのリングと対になってるんじゃねーか?」 
 
 そう言ってコウゼイが取り出したのはややサイズの小さいプラチナリングだった。 
 それを一目見てマサミは固まった。ポールやアリスやコウゼイの言葉も耳に入っていない。 
 弱々しく延ばした震える手でコウゼイからリングを受け取ると、リング内側に掘られた文字を読んだ・・・・ 
 
 そしてその場に崩れた。 
 
 「マサミ・・・・」 
 
 アリスがゆっくりと近寄ってマサミの肩を抱いた、ポールも蹲りマサミの肩に手を掛ける。 
 コウゼイはその前に座ってうなだれるマサミの顔を見た。 
 
 
 「このリングの内側にはこう書いてあります… 
 
 −我が生涯に於いてマサミを唯一の夫とし生尽きるまで共に生きる事を神に誓う− 
 
 …と。そして私のリングにはこう書いてあります。 
 
 −我が生涯に於いてカナを唯一の妻とし生尽きるまで守ることを神に誓う− 
 
 …と。俺は…俺は…ダメな夫だった…神に誓った事を守れなかった・・・・・カナ、許してくれ…許してくれ…スマナイ…」 
 
 
 そこまで絞り出すように言ってマサミは静かに涙を流した。 
 涙があふれ出てくるのだが、不思議と声を上げて泣く事はなかった。 
 なにか正体が抜けきった抜け殻のような放心状態になっている。 
 
 重苦しい沈黙を破ったのはコウゼイだった。 
 
 「そのリング、出所はわからねぇが・・・・ネコの女王に売りつける算段だった」 
 
 フゥと溜息を一つ吐いてマサミは立ち上がった。 
 自分の指から外したリングと妻のリングを握り締め天井を見上げ何かを呟く。 
 天に向かって許しを請うしか出来ないのかもしれない・・・・ 
 
 「コウゼイさん、この妻のリング、私に売ってください。形見になるかもしれない。出来れば手元に」 
 
 思いがけない一言にコウゼイは心底驚いた。 
 まさかヒトがリングを買い取りたいなどと言うとは思っていなかったのだろう。 
 コウゼイを真正面に見て直球勝負を挑んでくるヒトに気圧されたかのようにコウゼイは唸った。 
 
 「わかったわかった。そう言う事情なら俺も男だ、あんたの願いを聞こうじゃねぇか。てめぇの主の為に女房との契りの証まで手放 
そうとするなんてよ、てぇした孝行執事だぜ。アリスさんもよぉ、これだけの男に抱かれたんなら女を上げるぜ。よし、分った」 
 
 
 そう言うとコウゼイは宝石箱から金のネックレスを取り出した。かなりの丈があるネックレスだ。 
 標準的なサイズのヒトならば首周りに2周巻いてちょうど良いくらいだろう。 
 コウゼイはマサミからリングを二つ受け取り金のネックレスに両方のリングを通した。 
 だらりと下がったネックレスの先端、二つのリングが寄り添う夫婦のようになってぶら下がっている。 
 
 「これはあんたにやるよ、銭はいらねぇ。その代わり俺の仕事を手伝ってくれ」 
 
 「はい?あの、それでは」 
 
 「い〜んだよ、銭はいらねぇ。貧乏人から剥ぎ取るようなあこぎな真似はしねぇさ。銭ってもんは金持ちからかっぱぐから面しれぇ 
のさ。あんたの女房のリングわな、ネコの女王に最低でも100万セパタで売りつけるつもりでいたんだけどよ。気が変わった。それは 
あんたにやる。だから俺の仕事を手伝え。分りやすく言ってやろうか?俺の片棒を担げってことだ」 
 
 コウゼイはそう言ってニヤリと笑った。 
 片棒を担ぐといえば・・・・・・ 
 
 
**********************************************************2************************************************************ 
 
 
 「コウゼイさん、カモシカの国までどれ位なんですか?」 
 
 「お?さん付けなんざ気持ちわりぃし、なんかケツが痒いぜ、呼び捨てで」 
 
 「そうはいきません、スキャッパーを離れれば私は単なるヒトです」 
 
 「まぁ・・・・そうだけどよぉ」 
 
 イヌの国とカモシカの国を隔てる鋭く嶮しい山並みには何カ所か鞍部があるものの、そこを越えていく峠道は立派な街道とは決して 
言い難く、むしろ、ネコやオオカミの国を経由する、立派な交易街道を使うことの出来ない非合法な物の流通に使われる、裏街道の役 
目を担っている。 
 封鎖されるイヌの国にあってその他の国と比べれば、まだ多少は友好関係の高いカモシカの国へはイヌの国府が発行する旅券で通過 
することが出来る。 
 しかし、旅券とは別にそれなりの金品を賄として用意する方が効率よく通れるのは、裏街道の性なのだろう。 
 カモシカの国もまた比較的恵まれない地域と言うこともあって、イヌの国と同類相哀れむ部分があるのかも知れない。 
 
 街道をポクポクと進む小さな馬車の上、手綱を握るコウゼイと並んで座るマサミは遠くの山並みを眺めていた。 
 
 「これだけスキャッパーから離れたのは初めてです」 
 
 「まぁそうだろうな。この世界じゃ遠くまで旅をするヒトなんてヒト商人の商品か、それでもなきゃ話に聞く蛇の女王とその従者位 
なもんだぜ」 
 
 「蛇の女王?」 
 
 「あぁ、俺も詳しくは知らねぇが、なんでも滅んじまった王国の再建に命掛けてんだとか聞くぜ。たった一人で王国を再建だなんて 
大それてるが・・・・まぁ人それぞれだけどよ、生き方ってもんに一本の筋を通す立派な生き方じゃねぇか。そうは思わねぇか?なぁ」 
 
 「そうですね。目標を立ててそれに忠実に生きる。そして、自分の力だけで進む。誰も頼らず、誰にも媚びを売らない生き方ですよ 
ね。きっと夢があるんですよ、夢は大きなほうが良い。でも、ロックだなぁ」 
 
 「ろっく?なんだそりゃ?」 
 
 「ヒトの世界の音楽の一つです。音楽と言うより・・・・生き方ですね。もっとも、ヒトの世界でもロックとは名ばかりの・・・・中身が何 
もない薄っぺらい歌をカッコだけで歌う勘違いしたヒトは多かったですがね」 
 
 「おりゃぁソレがどんなもんだか良くわかんねーけどよ、でも、薄っぺらい野郎ほど立派なふりをしやがるもんだと思わねぇか?。 
本当に心に響く言葉って奴を吐ける野郎はどこに行ったって誰と話をしたって、相手は納得するはずなんだよ」 
 
 「そうですね。その通りだと思います」 
 
 「だからよ。ポールはいけすかねぇイヌだけど、アイツは表裏がねぇ上に嘘を付けねまっつぐで不器用な野郎だ。だからよ、おれは 
アイツにも惚れてんだよ」 
 
 「あぁ、そうですね。ポール公は立派な人間だ」 
 
 「そしてよぉ、俺はおめぇみてぇなてめぇを勘定に入れねぇで物を考える野郎にも惚れるぜ。いや、おめぇのケツを貸せって話じゃ 
ねぇ。何より自分の主に義理を通すなんて立派じゃねか」 
 
 「余り誉められると恥ずかしいな」 
 
 「ハッハッハ! おぉ、マサミ!見ろよ!峠の茶屋だぜ、一服していくか」 
 
 峠の茶屋と言うより峠のドライブインと言った方が実体に近い店先にコウゼイは馬車を止めた。 
 茶屋の中から馬詰めの小僧が出てきてコウゼイから手綱を受け取る。 
 パッと見では種族がわからなかったけど、コウゼイが言うにはカモシカではなくてもっと高山系の種族らしい。 
 良く分からない種だけど余り気にしないようにして店に入った。 
 
 「よぉ!コウゼイかぁ久しぶりだな、いつの間にヒトなんぞ連れて歩くようになった?羽振りが良いな」 
 
 店主はトラと言うよりヒョウかなにかの、もっとどう猛な肉食獣のイメージだった。 
 そして…、どう見ても堅気の商店主という風ではなくて・・・・ 
 
 「おぉ!ちげぇって。まぁ、連れて歩いてるのは確かだが・・・・」 
 
 「さっきヤマネコのヒト商人が通ったぜ。売るんならチャンスだ。ヒトの男を買い集める物好きが居るそうだからな」 
 
 ゾッとする会話を聞きながらヤギかヒツジ系の立派な角を持った若い娘が用意したお茶を啜る。 
 どうやら乳でお茶を出しているらしく、チャイの味に似ていて不味くは無い。 
 ただ、その娘の無駄に臭い香水と誘うような目つきが・・・・この店の正体を語っているようにも見える。 
 
 「いやいや、売るだなんてとんでもねぇ。これはイヌの国の貴族の持ちもんだ」 
 
 「へぇ〜。あのイヌの国でヒトを囲える貴族がいるとは驚きだな。もう少し締め上げても良さそうだな・・・・もっとも、あんまり締め 
あげちまうと俺も商売にならねぇ・・・・」 
 
 ブツブツ言いながら店主は店の奥に消えていった。 
 その後ろ姿を見ていたマサミにコウゼイは声を掛ける。 
 
 「あんまり気を悪くしねぇでくれ。イヌの国ってのは・・・・」 
 
 「あぁ、わかっていますよ。みんな誤解してるけど、でも、そんな物でしょう」 
 
 コウゼイの立派な体躯がしょぼんと小さくなっている。 
 こういう部分でこのトラの商人は喜怒哀楽をはっきり表現し、その上でズバッと物事を言う部分がある。 
 江戸っ子は皐月の鯉の吹き流し…とでも言うのだろうか。言いたい事を言って腹にためず、そして根に持たない。 
 そんなトラの商人がポールに好かれないわけがない。 
 
 二人してお茶を啜っていたら奥から店主が戻ってきた。 
 
 「コウゼイ、ラムゼンの話は聞いたか?」 
 「ラムゼン?そりゃなんだ?またなんか新しいビジネスか?」 
 「あぁ、ヒトのフッカーだ。ヒトの女が抱けるってんで最近話題だぜ」 
 「へぇ〜、けったいな商い思いついた野郎もいるもんだ、ヒトを抱えるっていやぁ…」 
 
 二人の会話を聞いていたマサミが話に割って入った。 
 
 「すいません、その話、もう少し聞かせていただけませんか?」 
 「お?あんたも男なら興味があるか?そーだよなぁ、ククク…イヌじゃなくてヒトを抱きたいってか?アッハッハ!」 
 「いや、そうじゃねぇんだ。このヒトの男は生き別れの女房さがしてんだよ」 
 
 コウゼイの言葉を聞いて店主の顔から急に笑みが消えた。 
 マサミの目をジッと見ていた店主だが・・・・ 
 
 「ヒトの世界にも男と女がいる以上は同じ商いがあるだろう。もしかしたらあんたの女房は雑巾になってるかも知れねぇぜ。いや、 
ボロボロならまだしも病気やら扱いの悪い客やらで・・・・」 
 
 「・・・・あぁ、解ってる、でも、それでも、生きているなら」 
 
 店主は懐の中から小さな鈴を取りだした。 
 
 「これを持って下の街に行くと良い。行ったらファギーって女を探すんだ。オオカミの女だが目が見えないので音だけを頼りに生き 
ている、この鈴の音を聞けばすぐに判るだろう。そしてあんたの奥さんを探して貰えばいい。あの女はラムゼンのボスに顔が効くから 
な・・・・ただ、安かぁねがな」 
 
 「恐れ入ります」 
 
 「つまんねぇ事を言っちまった罪滅ぼしって訳じゃねぇし俺に罪の意識があるなんて思われたくもねぇ。正直、俺はヒトが嫌いだか 
らな。でもな、俺も女房と生き別れでよ。やっと見つけたときには墓んなかだったぜ。あんたの女房が見つかると良いな、どんな状態 
であれ、生きてることを神に祈ってやるよ。もっとも神がいればの話だがな」 
 
 マサミは深々と頭を下げた。「ご配慮ありがとうございます」 
 
 「コウゼイ。たのんだぜ」 
 
 「あぁ、俺もこの人の男の奥さんを見てみてぇ。マサミ!ボチボチ出掛けるぜ」 
 
 揺れる馬車に収まって峠の坂を下りながらマサミはおもむろに口を開いた。 
 
 「コウゼイさん、先程の茶屋の店主殿は・・・・」 
 
 「あぁ、昔な、イヌとオオカミの小競り合いが下の街であってな。その時に店も家族も全部焼かれちまってな。イヌとオオカミのど 
っちが火を付けたかは今も解ってねぇ。でもな、こんな時オオカミは絶対に非を認めねぇ上にイヌが悪いイヌが悪い、とにかくイヌが 
悪いって大声で言い続けやがる。風が吹くのも空が青いのもイヌが悪いからだ!ってよ」 
 
 手綱を握るコウゼイは遠くを見て溜め息を一つ付いた。 
 その溜め息に何か深い意味があるのだろうけど、マサミにはそれが理解できない。 
 
 「頭がオカシイんじゃねぇか?って思うだろ。でもな、イヌは何を言われてもジッと耐えてるんだ。どんな理不尽な事があっても、 
イヌはいつもジッと耐えてる。俺みてぇなトラやカモシカの奴らはよ、そろそろ良いじゃねぇかってよ、そう思ってんだけどよ。ネコ 
とオオカミだけはバカみてぇに言い続けんだよ。で、事あるごとにオマエラが悪い、だから謝れとにかく謝れ。地べたに頭を打ち付け 
て、血が流れるまで打ち付けて謝れ。謝って謝って謝っておれ達が満足するまで死ぬまで謝り続けろってよ・・・・」 
 
 「中身は多少違いますけど、でも、そうやって言い続けられる辛さだけは私にも良く分かります。同じ様な事がヒトの世界でありま 
した」 
 
 「・・・・そうか。オオカミもネコもな。本当はイヌが怖いんだろうぜ。怖くて怖くて仕方が無いから、ああやって居丈高に言い続けん 
だろうな。でも、いつかネコはイヌにやられるぜ、俺はそう思う。そうして絹糸同盟の柱であるネコが滅んだら、残った国だけでイヌ 
を止めることはどうやっても出来ねぇ。おれ達トラとか南の方の獅子の国みてぇに、イヌより丈夫で力が有ればな、戦のその場その場 
で勝つことは出来ても・・・・」 
 
 「大きな歴史の流れで見れば・・・・って事ですね」 
 
 「そうよ、その通りよ。だからネコもオオカミもイヌが干上がって餓死して滅びるまでネチネチ虐め続けるんだ。手を汚さず確実に 
結果を得る為にな、だからイヌの国には発展する要素が何もねぇ。おめぇも知ってるだろ。イヌの国の中がどうなってるか」 
 
 「えぇ」 
 
 「だからよ・・・・。多分、次にイヌがブチ切れるとき、カモシカとトラはイヌの側に付くだろうな。ネコの奴らのやり方を腹に据えか 
ねてるのは多いってことさ。ネコにもオオカミにも物を言い返せば、途端に経済封鎖でイヌの国は滅んじまう。だからイヌはジッと耐 
えてる。それを見て高飛車に振る舞ってるネコは他の国から嫌われてるのを気が付いてねぇんだろうなぁ・・・・」 
 
 空を見上げてそれっきり黙ってしまったコウゼイ。きっと何か嫌な記憶でも思い出してるのだろう。 
 傭兵稼業で各国を渡り歩いただろうトラの男は、その旅の途中できっと凄惨な場面を幾つも見ているはずだ。 
 あれだけ栄華を誇るネコの国に対して「気にくわねぇ」と言い放てるだけの何かを、このトラは体験してるのかもしれない。 
 
                             ◇◆◇ 
 
 ラムゼンとは街の名前だと思っていたが、麓の街に到着して驚いたのは、カモシカの国にも根を下ろす企業グループの名称だったと 
言う事だ。 
 そして、その実際企業とはとても言えないほどの・・・・ 
 ならず者とチンピラと、そしてマフィアの牛耳る酷い世界、ルカパヤン。 
 考えられる限り全ての非合法な物が手に入る、金と暴力の支配する街。 
  
 イヌの国からカモシカの国へ入るのには嶮しい二つの峠を越えなければならない。 
 その途中、3つの小川が合流してネコの国の海へ注ぐ大河となる辺りにこの小さな宿場町は開けていた。 
 この街から見てイヌの国の側に国境線は敷かれている物の、実際に国境検問の施設があるのはカモシカの国側だ。 
 つまり、この荒みきった街は実質的にはイヌにもカモシカにも影響を受けつつどこにも属さないのだった。 
 コウゼイは慣れた手つきで馬車を走らせ、3階建ての大きな建物の前に止めた。 
 
 「さて、今日の宿だ。マサミ、いくぜ」 
 
 「はい、そうですね」 
 
 「おっと、ちょっとまて、おめぇ、首にこれを巻いとけ。身分証明書代わりだ」 
 
 それは小さなドッグタグの付いた首輪。 
 いや、この場合は首飾りとでも言っておくべきだろうか。 
 シンプルな皮の首輪ではなく細かい宝石と金糸銀糸に彩られた立派な物だ。 
 
 「きつく巻く必要はねぇ、ただな、ヒトは誰かの持ち物でなければどこへでも連れてって良い事になってるんでな。俺が見てねぇウ 
チにおめぇさんが連れ去られたら、俺はポールに殺される」 
 
 「たしかに・・・・お借りします」 
 
 「いやいや、それはおめぇさんにやるよ。くれてやる。ポールやアリスさんとどっか出掛けるときに使うといいんじゃねぇかな」 
 
 未使用新品と言った風合いの首輪を自分の首に巻くのはちょっと不思議な感覚だった。 
 なにか、完全に自分が誰かの持ち物になったような・・・・人間としての尊厳を上から踏みつぶされるような感覚。 
 でも、マサミが一緒に暮らしていた犬は風呂に入れてやってから体毛を乾かすと首輪を付けろといってきた。 
 テーブルの上に置いてあった首輪を銜えてやってきてマサミの前にポイッとおくとお座りして待っていた。 
 
 犬にとって首輪は飼い主への忠誠の証なのかも知れない。 
 マサミはあの時に犬が何を思っていたのかを少し理解したような気がした。 
 
 「マサミ!いくぜ!」 
 
 コウゼイは商品を抱えて建物に入っていった。 
 マサミは着替えや細々した荷物を持って後に続く。 
 
 「よぉ!コウゼイ、儲かってるな。ヒトを連れて歩くたぁてぇしたもんだ!」 
 
 ホールの片隅にある立ち飲みのカウンターからそんな声が聞こえてくる。 
 コウゼイは苦笑いしながら歩いていくのだが、マサミは軽く会釈して付いていった。 
 
 宿のフロントでチェックインしているコウゼイの所へコウゼイより一回り大きなトラがやってきた。 
 スカーフェイス・・・・片目に大きく傷の入ったトラの大男は左目だけ義眼らしく目の色が違った。 
 
 「よう!良いもん持ってんな。そのヒトのオスを俺に売らねぇか?」 
 
 「誰かと思ったらゲンソウじゃねぇか、久しぶりだな!」 
 
 ハッハッハ!と笑うコウゼイにゲンソウと呼ばれたトラは真顔で商談を持ちかけている。 
 
 「いや、真面目なビジネスだ。俺に売らねぇか?。そん位の歳のヒトの男を探してたんだ。この先にラムゼンの娼館があるんだけど 
よ、そこでメスのヒトの手入れ係とか雑用係を探してんだよ。どうだ?キャッシュで30万払うぞ?」 
 
 「おいおい、30とはえらい金額だな。おめぇこのヒトにそれだけの目利きしたって事はなんか企んでやがるな?」 
 
 「いや、そーじゃぁねぇ。いやな、最初は商売繁盛だったけどよ。今はメスを集めんのがてぇへんなんだよ。そんでな、先週も・・・・ 
何て言ったかなぁ。メスが3匹くらいバタバタ死んじまってよ。あれだ、ヒトの扱い方を知っててそれなりに歳の行ってるヒトの男が 
必要なんだよ」 
 
 「バタバタ死んじまうってのも・・・・ひでぇな。飯はちゃんと食わしてんのか?着るもんは?ヒトは弱いからよ、寝床もキレイにして 
やらねぇと」 
 
 「そっか・・・・今もよ。ウチで一番人気のヒトんメスが病気でな。客を取れねぇから赤字でよぉ。少々値が張っても早急に必要ってわ 
けさ。なんせヒトの飼育なんざやったこともねぇ素人揃いだから」 
 
 ゲンソウとコウゼイの話を聞いていたマサミの表情が一気に険しくなったのをコウゼイは見逃さなかった。 
 
 「コウゼイさん・・・・」 
 
 コウゼイはマサミの表情から何かを読みとったようだ。 
 
 「ゲンソウ、じつぁな。このヒトはある犬の貴族の持ちもんでな。訳あって今は俺の預かりになってる。そんな訳で売るわけにはい 
かねぇんだ。すまねぇが諦めてくれ」 
 
 「どうしてもダメか?」 
 
 「あぁ、これを売っちまったら俺の命がねぇ」 
 
 「命がねぇ?たかがイヌだろ?どうした、おめぇらしくも・・・・それとも何か?イヌっていっても皆殺しのレオン一族みてぇなイヌじ 
ゃ有るまいし・・・・まさか」 
 
 「その、まさかなんだよ。どうしても欲しなら俺を斬り殺すといいぜ、でもな、その後でここがどうなっても・・・・知らねぇけどな」 
 
 「・・・・そうか」 
 
 イヌの悪評は散々聞いていたけど、ポールの、況やレオン一族の悪評をマサミは初めて聞いた。 
 やがて沢山耳にすることになる冷血漢のレオン一家がどれ程の恐怖を近隣諸国へばらまいているのか。 
 まだそれを実感してはいない。 
 
 「ゲンソウ、あのなぁ、実を言うとこのヒトの男は生き別れの女房を探してんだよ。そんでな、俺っちがこうやって連れて歩いてる 
って訳さ。おめぇのその店でカナってヒトの女を扱ってねぇか?」 
 
 「カナ?しらねぇなぁ。第一名前なんて聞いた事なんて一回もねぇ」 
 
 「知らねぇ?」 
 
 「あぁ、それがどうした?くだらねぇ事あれこれ調べてんとバラされるのがオチだぜ。ビジネスはクールにスマートに・・・だろ」 
 
 「しかたねぇ・・・・自力で探すよ。すまねぇがヒトの男は他をあたってくれ」 
 
 「どうしてもダメか?」 
 
 「あぁ、ダメだ」 
 
 「わかったわかった、60出す、黙ってりゃわかんねーよ。どうだ?」 
 
 「銭金の問題じゃねぇ。これは俺のメンツの問題なんだよ。わかったらすっこんでろ」 
 
 声音を変えて目一杯の唸り声を混ぜた最大限の恫喝。コウゼイにとって正念場なのかもしれない。 
 しかし、ゲンソウと呼ばれたトラの男は腰の辺りからとんでも無いサイズの拳銃を突然取り出した。 
 迷う事無くコウゼイの額に突きつけ血走った目で睨んでいる。 
 だが、コウゼイが引き金を引き絞る前、間髪入れずにコウゼイは懐から取りだした負けないサイズの拳銃を取り出した。 
 睨み付けるゲンソウの顎の下あたりに突きつけ頭を持ち上げてしまった。 
 
 「ゲンソウ・・・・俺より早く引けんのか?」 
 「おぉ、あんたの頭にケツの穴もう一個こさえてやんぜ」 
 「おもしれぇ、やってみな、脳味噌ぶちまけて死ね・・・・」 
 
 ドン!ドン! 
 
 コウゼイが言いたい事を言い終える前に銃声が響いた。 
 マサミが振り返るとホテルの入り口にでっぷりと太り角が片方折れてるカモシカの男が立っている。 
 手にした拳銃からは紫煙が燻り、そしてその周りには同じカモシカの若い男が小銃を構えて10人は立っていた・・・・ 
 
 「おい、あんまり俺の手間を増やすんじゃねぇ。そう言う事は俺の見えねぇ所でやるんだな。この街が表向き静かなら俺は暇で毎晩 
美味い酒が飲めるってもんだ、見なかった事にしてやるから物騒なもんをしまいな。それともケツの穴もう一つこさえてやろうか?」 
 
 こういう場合、登場するのは警察と相場が決まっている。 
 それも、マフィアとズボズボの関係になってる腐りきった警察。 
 マサミは軽く眩暈を覚えた・・・・・ 
 
 「誰かと思えばヘルムの旦那じゃありやせんか。いやなに、ホンの洒落ですわ、洒落。なぁコウゼイ」 
 「そです、洒落っすわ、洒落。ゲンソウ、後でじっくり呑もうや」 
 
 ニヤリと笑ったカモシカの男は手にした拳銃をホルスターに収めると振り返った。 
 
 「おまえら署に戻れ」 
 
 若いカモシカの男達はその一言でホテルから出て行った。 
 でっぷりと太った男は、さも面倒だと言わんばかりにツカツカと歩いてきて、ゲンソウの襟倉をグッと掴む。 
 そのままトラの大男をグラグラと揺すりドスの利いた声でボソボソと話し始めた。 
 
 「俺なら良いが・・・・姐御に見つかったら・・・・覚悟しとけよ。最近は荒れ事が嫌いでよ・・・・」 
 
 それだけ言ってカモシカの男は一歩さがる。トラの大男が恐怖に引きつっているようだ。 
 カモシカの男は近くにあった椅子にどっかり座りボーイを呼んだ。 
 
 「おい、ボウズ、酒を持ってこい、ビールなんか持ってくんなよ、あんなのピスと一緒だ」 
 
 不機嫌そうに座っているカモシカの男−ヘルムと呼ばれた男−にマサミは近寄っていった。 
 ボーイが差し出したグラスの中身を一気に飲み干すとボーイに投げつけて人差し指を立てている。 
 もう一杯の指示なんだろうが・・・ 
 
 「恐れ入りますが」 
 
 「ヒトの男が何か用か?」 
 
 「ファギーという女性を捜しています、ご存じ有りませんか?」 
 
 白眼の殆ど無い獣の目がじろっとマサミを睨む。 
 その視線には明らかな・・・・『警告』の意思が込められているのをマサミは読み取った。 
 
 「そいつは俺に聞くんじゃねぇ。俺のギャランティが無くなるからな」 
 
 「はい?あの、おっしゃる意味が良く・・・・」 
 
 ヘルムはボーイの持ってきた2杯目の酒も乱暴に飲み干してから立ち上がった。 
 マサミを見下ろす程の背丈がグッと睨みつけている。。 
 
 「お巡りってのはよ、おイタの過ぎるドアホを捕まえるのが仕事って知ってるか?ファギーの居場所は俺も知りてぇし、仮に知って 
いてもそれは俺の言えるもんじゃねぇ・・・・こっちで生まれたんじゃなくてヒトの世界から落ちてきたんならわかんだろ?、なんせこの 
街はよ・・・・いや、やめておくか・・・・」 
 
 セルムはホテルの入り口へ歩き出した。 
 ロビーの人間が皆その動きを目で追っている。 
 
 「オフィサー!」 
 
 ホテルのフロントに立っていた男が声を掛けた。 
 
 「酒代は署長宛で良いんですかい?」 
 
 出口で前で足を止めた警察署のボスと思しき人物が振り返る。 
 何かを言おうとしたのだが、その直前に遮られた。 
 
 「いや、そいつは俺は払おう」 
 
 コウゼイは財布から紙幣を数枚取り出すとボーイに渡した。 
 
 「釣はお前さんのチップだ、なにも見なかった。そうだな?」 
 
 引きつった笑顔で受け取ったボーイはブルンブルンと首を縦に振るとホテルの奥へ消えていった。 
 
 「セルムの旦那、そのヒトの男は生き別れの女房探してんだ。なんとかなんねーかな」 
 
 コウゼイはやや剣呑な調子でそう言った。 
 その場が凍り付いていくのをマサミは感じていた。 
 
 「コウゼイ・・・・俺はお前が小悪党の頃から知ってるが・・・・いつからそんな慈善家になりやがった?」 
 
 ハッハッハという乾いた笑い声がホテルのロービーに響く。 
 しかし、皆笑いながらも目は真剣だ。 
 
 「慈善・・・・そう見えるか。でもよ、俺にゃ義理って部分のほうがでけぇ。なんか教えてくれ」 
 
 「・・・・・・ボチボチ日が暮れる。日が暮れたら大通りの屋台街へ行って飯でも食え。払いは署につけろ」 
 
 それだけ言ってセルムはホテルを出て行った。引いていた潮が満ちるようにロビーの中を会話が埋めて行く。 
 何となく虚脱感にとらわれたマサミはその場に立ち尽くした。 
 
 「おぅ!マサミ!部屋に行くぜ!」 
 
 コウゼイの言葉で我に帰ったマサミは階段を登りはじめる。 
 まだ耳の奥では屋台街と言う言葉がリフレインしていた。 
 
 
                   ◇◆◇ 
 
 
 山並みに囲まれたこの小さな宿場町が墨を流したような闇に埋まる時間帯。 
 まだ多少は品の良かったこの街の本来の姿・本物の顔がボンヤリと現れてくる。 
 大通りの雑踏はどこからとも無くやってきた屋台食堂に占領され、アチコチでテーブルを広げて店開きしていた。 
 3階の窓から下を眺めるマサミの目に飛び込んでくるもの。 
 それは、民衆のエネルギー。 
 
 視界に入るだけで様々な物が煮て焼いて盛り付けられて、そして売られていた。 
 片腕しかないネコの親父が器用にこねて焼いている小さなお好み焼きみたいなもの。 
 小柄なウサギらしき主人がウサ耳娘に水着の上から透け透けのキャミソールを着せて酒らしきものを売っている。 
 一際大きな屋台では獅子の親父がねじり鉢巻でデカイ鍋を振って何かを炒めていた。 
 キツネの男が売る、どう見てもおでんにしか見えない鍋料理。 
 でっぷりと太ったカモシカの男が焼いているのはクレープだろうか? 
 
 美味そうな食べ物の匂いと笑い声とタバコの煙と、そして、罵声と怒鳴り声。 
 どこかで喧嘩が始まったようだ。周りの客や地回りのヤクザが喧嘩を止めに入っている。 
 
 「スキャッパーに大きなレストランを作ろう。他所から金を入れてイヌの国に金を落とさせるんだ・・・・」 
 
 マサミはそう独り言を呟いていた。 
 
 「そりゃ良いアイデアだが、スキャッパーにはまともな店を作ってくれよ。ここみたいな街はダメだぜ」 
 
 「えぇ、その通りです。表向きはきれいな街にすれば良い、裏側でもキチンと金が集まるシステムにすれば良い」 
 
 「しかし、作るにしたって・・・・第一そんな資金はどうすんだ?安くはねぇぞ」 
 
 「ネコの国の銀行から金を借りよう、多少金利が高くても良い」 
 
 「なるほど、そりゃ名案だ。そんでネコを呼んで金を落とさせてそれで返済か」 
 
 「流石ですね、ご名答です。イヌの国にネコの国の資金を入れて、返済はネコを客にして金を集めて返す。イヌの国は丸儲け」 
 
 貧しい国で農産物も工業製品も無いイヌの国。 
 第1次産業も第2次産業も無いなら第3次産業で稼げば良い。 
 道のりは遠いが筋道は見えている。 
 段取りを踏んで一歩ずつ進めばいいだろう。 
 
 農地改善計画が進み農産物の増収が見込める今、まずはその第一歩を踏み出すべきだとマサミは考え始めていた。 
 
 「おう!マサミ!飯を食いに行くぜ!なんせセルムの旦那のおごりだからよ。あ!そうだ鈴を忘れんな」 
 
 「鈴ですか?」 
 
 「あったりめぇだろ!セルムの旦那はここの警察署の署長だぜ。それが屋台に行けってんだから理由があるに決まってらぁ」 
 
 マサミは鈴を首に巻いた首輪のフックに取り付けた。 
 何となく自分がネコになった気分なのだが、実際今来ている服では鈴を取りつける場所が無いのだった。 
 歩くたびにチリンチリンと音を立てる鈴が気になったけど、すぐにそれも気にならない程の場所へマサミは降りて行く。 
 圧倒的な喧騒と雑音。 
 その場に居合わせる人々の吐き出すエネルギーが大通りを埋め尽くしている。 
 
 「さて、何を食うか?」 
 
 「とりあえず一往復したいのですが、いいでしょうか?」 
 
 「そうだな、鈴の音に誰か気が付くかも知れねぇ」 
 
 「恐れ入ります」 
 
 ホテルの前から大通りを南へ向かって歩き始めるマサミとコウゼイ。 
 色んな屋台や怪しい風体の男が手を出してくる。 
 
 「ヒトの男!ウチの飯を食ってみろ!美味いぞ!」 
 「ちょいとそこのヒトのだんなさん、ウチには美味い酒がありますぞ・・・」 
 「ヘイ!キッド!、ヒッヒッヒ。草を買わないか?アカがあるぜ・・・ヒッヒッヒ」 
 
 マサミは会釈だけして道を先へと進んで行く。 
 コウゼイは途中のタバコ屋で葉巻を2本買った。 
 
 「マサミ、一本やるわ。こりゃぁ・・・・キクぜ」 
 
 小さなカッターで葉巻のケツを落としてマサミは火をつける。 
 タバコを吸うのは子供の頃のいたずら以来だ・・・・ 
 煙が入ってきてクラクラし始める・・・・やばい。 
 
 「おっと、まだ飛ぶんじゃねぇぞ。お?ガンギマリか?だっせぇなぁ!ハッハッハ!」 
 
 「コウゼイさん・・・・これなに?」 
 
 「ん?レッド・オプだよ。ここらじゃメジャーだぜ。美味い・・・・だろ?」 
 
 昔、大学の仲間と東南アジアへ遊びに行った時、地場のドラッグセラーから買ったマリファナみたいなタバコを思い出した。 
 一緒に行った仲間が言うに、インドで買えるガンジャとかと同じ味らしい。アレと同じ味がした。 
 
 「うわ・・・・・」 
 
 平衡感覚が失われて立っているだけでも大変になる。 
 視界を沢山の星が飛び明るい光には帯が付いた。 
 しかしコウゼイはスタスタと歩いていく、マサミは本能的にそれに付いて行った。 
 
 ひとしきり歩いた二人が見つけた派手なオレンジ色の建物。 
 寝そべって微笑んでいる裸の女が絵に書いてある。 
 その女には・・・・獣の耳が無かった・・・・。 
 
 「おう!マサミ!俺がおごってやるぜ。ちょっと遊んでくか?」 
 
 遊んでく?何を遊ぶんだ?女を買うのか?ここはヒトの売春宿か? 
 クラクラとするマサミの頭に色んな単語が浮かんでは消えていった。 
 
 「そうだな・・・・何か分かるかも」 
 
 「んじゃ決まりだ!行くぜ!」 
 
 コウゼイがそういって歩き始めたとき、マサミの袖を誰かが引っ張った。 
 
 「その鈴は誰に貰った?」 
 
 「はぁ?」 
 
 マサミの素っ頓狂な答えに気が付いてコウゼイは振り返った。 
 
 「お前・・・・ヒトの男だね?獣の臭いがしない。その鈴は誰に貰った?答えろ」 
 
 マサミが振り返ると瞳の無い眼球でマサミを睨む女性が立っていた。 
 周囲にはオオカミやヒョウやそれ以外の獰猛な肉食獣系男性が何人か周りをガードしている。 
 
 「おいアンちゃん・・・・、姐さんの質問に答えな。さもねぇと…」 
 
 どこから見たってあたしは立派なヤクザでございますと言わんばかりの・・・・ライオン・・・・獅子の男が隣で口を開く。 
 しかし、姐さんと呼ばれた女の一言で口をつぐんでしまった。 
 
 「黙れ」「へい」 
 
 その女性は真っ白な眼球の収まる瞳を閉じてポケットからタバコを一本取り出すと、真っ赤なルージュを引いた口に銜えた。 
 漆黒のスーツを来たキツネの男がライターを取り出して火をつける。 
 フーっと煙を吐き出した女性は瞳を閉じたまま横を向いて言った。 
 
 「質問に答えろ」 
 
 「これはイヌの国から来る途中の茶屋に立ち寄ったとき、そこの店主殿よりいただきました」 
 
 「おまえ・・・・名前は?名乗れ。目的はなんだ?この街へ何しに来た」 
 
 「マサミと言います、妻を捜しています。こっちの世界へ落ちてきたときに妻と生き別れになりました。その妻を捜しています」 
 
 「・・・・・・名は?、マサミと言ったな。お前の妻と主は?」 
 
 「妻はカナ・・・です、マツダカナ。主はル・ガル公国スキャッパー領主。スロゥチャイム女公爵です」 
 
 「イヌ・・・・か」 
 
 その女性は口に銜えていたタバコを左手の指に挟み後ろを向いてしまった。 
 
 「その店の男は・・・・元気だったか?」 
 
 「えぇ、少なくとも私にはそう見えました」 
 
 マサミに背中を見せたままの女性は首だけ横を向きマサミの気配を探った。 
 
 「ヒトの男・・・・マサミといったな。今夜は宿に戻っておとなしくしてろ。いいな」 
 
 「あの、ちょっと待ってください。失礼ですがあなたがファギーさんですか?」 
 
 盲目の女性を取り囲む肉食獣の男達が一斉に射抜くような視線をマサミに投げつけた。 
 明らかに・・・・それはあまりにも明らかに示された敵意。 
 
 場の空気を読む・・・・。 
 
 世の中を生きて行く上でもっとも必要な能力の一つであり、これが無いと色々面倒な事になる。 
 ある程度生きていればそんな事は嫌でも身に付くし、また、付かないと世の中で生きていけないだろう。 
 
 しかし、盲目の女性は肯定も否定もしないまま手を広げ周囲を制した。 
 
 「ヒトの男・・・・明日の朝、そこの川に浮いてたく無かったら余計な事は言うな、聞くな。いいな」 
 
 僅かな沈黙の後で女性は歩き始めた。周囲の男達がそれに続く。。 
 目が見えてない筈なのにスタスタと人ごみの中へ消えて行く後姿、マサミは呆然と見送るしか出来なかった。 
 
 「マサミ・・・そこの屋台で飯を喰って帰ろう。今夜はおとなしくしていた方がよさそうだ」 
 
 「そうですね・・・・こっちの世界に来て一番怖い思いをしました。寿命が縮んだ気がします」 
 
 雑踏の中に消えていった盲目の女性とガード達は全く見えなくなった。 
 派手なオレンジ色の建物の前、トラとヒトが立ち尽くす先には見渡す限りの屋台があった。 
 
 
**********************************************************3************************************************************ 
 
 
 どうやって宿へ帰ってきたのか記憶が無いほど飲んだ翌朝。 
 マサミはヒトの世界以来久しぶりの二日酔いで頭がガンガンする朝を迎えた。 
 隣の寝台にはコウゼイが未だ高鼾で寝ている。 
 壁を震わすほどの鼾なのだが熟睡できたのは酒の力だろうか。 
 
 「ゔ〜・・・・・ 頭いてぇ・・・・・・ 気持ち悪い・・・・・・ 寒気がする・・・・・」 
 
 ブツブツと独り言を言いながらマサミはシャワールームへと入った。 
 
 「そうだ、これはきっと風邪だ、風邪に違いない・・・・・・」 
 
 シャワーのお湯が勢いよく出てきて頭からザブザブと被り始める。 
 少しずつ頭の中に掛かったモヤが晴れていき、段々と昨夜の事を思い出し始めていた。 
 
                   ◇◆◇ 
 
 「お前がマサミか?」 
 
 座るのにちょっと勇気が必要だった小汚い屋台で、コウゼイと食事をしていたマサミを、目の細いキツネの男が誰何した。 
 おかゆとおじやの中間と言ってよい不思議な穀類のスープと、白身魚のフライをつまんでいたマサミは席を立ち上がって答えた。 
 
 「はい、そうです、なにか?」 
 
 「まぁ・・・・座りな」 
 
 キツネ男はポケットに手を突っ込んで立ったまま話を続けた。 
 
 「座らないんですか?」 
 
 「この汚い椅子に座ったら俺の服が汚れるだろ?あんたが洗ってくれるのか?」 
 
 キツネの男はそういってニヤリと笑うと、ポケットから数枚の高額セパタ紙幣を取り出して、屋台の親父に押し付けた。 
 
 「今日は店じまいだ。小一時間たったらあんたの大事な店をたたみに来な。それまで貸切だ」 
 
 へい・・・・と短く答えた屋台の親父はどこかへ消えて行った。 
 一体何が始まるのかと訝しがっていたマサミに狐の男が鋭い視線を浴びせる。 
 
 「この街はな、ヒトの世界から落ちてきた一人の男が作り上げた地上の楽園だ。カモシカの国に属してるのはともかく、ここの正義 
は金と力だ。だからお前がタダで情報を得るのは俺達にとってあまり歓迎すべき事じゃない。金さえあれば何でも買えるってもんだが、 
その金を買えるのは情報っていう形の無いものだけだ。しかし、さっきお前に声をかけた姐さんの指示ってな訳でお前は金より価値が 
ある情報をタダで手にいれられる。ありがたく思えよ」 
 
 マサミは言葉無く頷いた。 
 
 「まず、この街にカナってヒトの女が入ってきた事は無い。この街を通ったヒト商人のリストにもカナって女の名前は無い。この街 
のコネクションに繋がってる商人を洗い浚い調べたが、カナって名前の商品が売りに出された事も無い。したがってこの街にゃお前の 
探してるものは一切無い。ラムゼン商会がそれを保障する。それと、これからカナと言う名前の女がここに入ってきたらラムゼン紹介 
が責任もって保護する。しかし、保護するだけでそれをお前が手に入れたければそれなりに金は必要だ。それは覚悟しておけ」 
 
 「そうですか・・・・」 
 
 「あと、この街に入ってきた女にあんたの女房が居たとしても違う名前を名乗っていたら追いかける術が無い。だから、その場合俺 
達は免責と言う事だ。こればかりはどうしようもねぇ。ただな、なんせこの業界は信用第一なもんでな、ヒトを扱うトコは全部あたっ 
た上で、俺達を担ぎやがるバカはこの街にはいないと思うぜ。少なくとも俺たちを敵に回せばどうなるか理解できねぇバカじゃこの街 
で生きて行く事はできねぇ。悪党には悪党の仁義がある。それになウチの若い衆にジンを仕える蛇の女がいるんだが、そいつが言うに 
は間違いなくこの街には来てねぇって事だ」 
 
 マサミは再び立ち上がって深々と頭を下げた。 
 
 「わざわざのお言伝、真にありがたく存じます。どうかあの方へよろしくお伝えください」 
 
 キツネの男はニヤリと笑いポケットからタバコを取り出し火をつけた。 
 紫の煙が漂い金色に輝く狐の体毛にまとわり付いて、何とも言えない凄みのある姿を見せる。 
 ヒトの世界で見た、ヤクザやマフィアといった堅気ではない世界に生きる男達と同じ臭いが、確かにしていた。 
  
 「あぁ、そうだ忘れてた。ウチの占い担当がなぁ、あんたの一番知りたがってる事を見つけたぜ。これは価値があるネタだ、あんた 
買うか?安くしとくぜ」 
 
 「え?」 
 
 「だから・・・・あんたが一番知りたい事を俺達は知っているって事だ。そこまでいえばわかるだろ?あんたの女房の手掛かりだよ。た 
だな、こっから先はビジネスだ。あんたが買うか買わねぇかはあんたの自由だ。どうする?」 
 
 「買うと言ってもどれ程お支払いすればよいか・・・・私が持っているお金はトゥン金貨です。金貨5枚でどうですか?」 
 
 キツネの男は加えていたタバコを足元に投げ捨て踏み消した。 
 マサミの方をポンポンと叩き斜に構えて流し目になる。 
 
 「マサミって言ったな。あんたの旅が無事なのを祈ってやるよ。じゃぁな」 
 
 「あ〜!ちょっと待ってください!わかりました!10枚」 
 
 「寝言なら寝て言え。最低でも20枚がスタートラインだ」 
 
 マサミは椅子にドッカリと腰を下ろした。腕を組んでアレコレ考えているようだが・・・・ 
 
 「20枚も払えません、路銀を考えれば12枚が限度です」 
 
 「話になんねぇな・・・・15枚で勘弁してやる。あとは野宿しろい」 
 
 キツネの男の細い目が僅かに広がり鋭い視線がマサミの瞳に注がれる。 
 全身の毛穴から嫌な汗が吹き出るようなゾワゾワとする感触。 
 それは駆け引きの現場で味わう相手の腹の読みあい。 
 
 「勘弁してください、コウゼイさんにも迷惑をかけられません。私の食費を削って13枚。お願いします」 
 
 キツネの男は天を仰いで頭をボリボリと掻いてから深い溜息を一つ吐いた。 
 
 「しかたねぇ・・・・ほれ、先払いだ!とっととよこしな!」 
 
 「いえ、まずは5枚払います、残りは聞いてから・・・、話を聞いてからです」 
 
 キツネの男は心底下卑た笑みを浮かべた。 
 自分の目利きに自信があったのだろうか? 
 マサミの対応が男の想定内であったか、それとも想定外だったのか。 
 情報の代金を刻んでまで多く取ろうとした部分がまずかった・・・・それに気が付いたのかもしれない。 
 
 「足元を見たつもりだったが、足元見られたのはこっちだったか・・・フン!まぁいい」 
 
 二人の駆け引きを見ていたコウゼイは親父の居ない屋台から勝手にグラスを取り出した。 
 キツネの男に酒を注いでグラスを渡し、続いてマサミと自分のグラスにも酒を注ぐ。 
 甘い臭いのするラムのような酒・・・・ 
 
 キツネの男はグッと酒を一口飲んでグラスを置きマサミに視線を送る。 
 
 「あんたの女房は確実に生きている、ただ、近くには居ない。少なくともここから歩いて1週間は掛かるところだ」 
 
 そこまで言ってキツネの男は手を出した。マサミはその手に金貨を5枚乗せた。 
 手にした金貨が本物かどうか確かめたキツネの男はポケットにしまうともう一口酒を含んだ。 
 
 「最初は女のそばに小さな男が居たけどそれはすぐに消えた、死んだか、それともどこかに売られた」 
 
 怪訝な顔になったマサミだが、すぐにその小さな男の意味を理解した。 
 息子だ・・・・ 
 視線を大通りの石畳に落とすと溜息を一つつく。 
 キツネの男は手を出そうとしたが、心底悲痛なマサミの姿に手を出しそびれた。 
 
 「それと、あんたの女房は光の無い世界に居る。地下に押し込められたか、さもなくば自分で降りたか、どっちかだ」 
 
 顔を上げたマサミはキツネの男の手に金貨3枚を乗せた。 
 男はまた少し酒を口に含んで空を仰いだ。 
 真っ暗な空に溜息を一つついて、空を見ながら言った。 
 
 「カモシカの国にフロミアというヒトを繁殖させる為の街がある、そこにあんたの女房の重要な手掛かりがある。しかし、今はもう 
そこには居ない。そこには恐らく半年前まではいたはずだ」 
 
 マサミは金貨6枚を手に取ると、キツネの男の手の上で金貨を落とす体制に入ったままとまった。 
 
 「続きは?」 
 
 「払いが先だ」 
 
 「知らねぇと言われない保障は有りません」 
 
 「価値がねぇと言わねぇ保障もねぇ」 
 
 鋭い視線が絡み合う。男と男の勝負の瞬間。 
 両者共に一瞬も視線を切らないでいる。 
 その集中力は端で見ているコウゼイにですらビリビリと伝わる気迫のようだ。 
 
 「話の結末に自信が無いのであれば聞くだけ野暮と言うもの。払いはここまでです」 
 
 「おっとそりゃぁ話が違うぜ、金貨13枚だから話を切り出したんだが」 
 
 「話を全部聞いて13枚なのですから、全部聞いて無い以上全額払う義務はありません。違いますか?」 
 
 キツネの男はフンと鼻を鳴らしてニヤリと笑う。 
 
 「あんたイヌの執事なんか辞めてウチの一家で交渉担当やらねぇか?高給で優遇されるぜ。ハッハッハ!」 
 
 「それは良い提案ですが、少なくとも私の今の仕事はやりがいを感じています。いずれ機会あれば考えましょう」 
 
 「食えねぇ男だな。まぁいいか、うん、そうだ、いいな。」 
 
 キツネの男は静かに笑うとグラスに残っていた酒を一気に煽り、笑顔を浮かべてマサミを見た。 
 
 「あんたの女房はネコの国にいるよ、しっかり生きてんしまともな仕事にも就いてる。あんたの女房の主はネコの国でもかなりの国 
士のようだ。王族かも知れねぇ。あの国は魔素が濃い上に女王からして最強クラスの魔術使いだ、ウチの組のジン使いも中身まで探る 
にゃちょいと経験が足りねぇ。まぁそんな訳で今現時点で生きてるのだけは間違いねぇし、あんたが間に合えば連れてくる事も可能だ 
ろう」 
 
 キツネの男はタバコをもう一本取り出すと火を付けた。 
 上手そうに煙を吐き出してからマサミに手を出す。 
 
 「さて、約束は守ったぜ。どうだ?」 
 
 「えぇ、私にとっては大変価値のある情報でした。金貨13枚の約束でしたね、感謝を込めて2枚上乗せしましょう、15枚です」 
 
 「良いのか?女房を買い取るにゃ金が掛かるぜ?13枚にしておくべきじゃねぇのか?ん?まぁ、貰えるもんは貰っておくがな」 
 
 「えぇ、価値があるもにはそれ相応の対価が必要なものです。ですから、私にはその価値があったと判断しただけです。あと、大変 
恐縮ですが・・・・ファギーという女性について何でもいいですから教えてください」 
 
 タバコを吸っていたキツネの男はその言葉で動きを止めた。 
 真正面からマサミを見据えて何かを推し量っているようだが・・・・・ 
 
 「ヒトの男。あんたが生きてきた世界でもこの世界でも同じな筈の事柄がいくつかあるはずだ。まず、人に嘘をついちゃなんねぇ、 
それから、触れちゃいけねぇもんには触らねぇ。あと、もうひとつ、知らなくてもいい物は聞かねぇって事だ。わかるか?ファギーっ 
て人の件はこの町じゃふれちゃならねぇ」 
 
 「しかし、私は峠の茶屋のご主人からその名を伺いました、何かしら理由があると・・・・」 
 
 キツネの男の目がさらに細くなってマサミを睨んだ。 
 その気配には殺気すら混じっているようだ。 
 
 「いいか?よく聞け。ファギーって人はな、このルカパヤンの人間にとって触れちゃならねぇ事なんだ。だから諦めろ。俺の話はこ 
こまでだ。どうしても知りてぇなら死ぬ覚悟決めてラムゼン商会のオフィスまで来るといい。ただし、明るいうちだがな・・・・」 
 
 キツネの男は一方的に話を打ち切ってその場を立ち去った。 
 呆然とするマサミの肩に手を置いてコウゼイは酒を注いだ。 
 
 「おぅ・・・・よかったな。生きてるってよ。とにかくフロミアへ急ごうぜ、手がかりを探しによ」 
 
 放心状態のマサミだったがカナの生存を聞いて静かに涙した。 
 止めどなく静かに溢れてくる涙を拭く事すらせずマサミは顔を上げた。 
 
 「ヒトの繁殖施設とは?それはどのようなものかご存知ですか?」 
 
 コウゼイはどう説明したものか分らず言葉に詰まるのだが・・・・ 
 
 「おめぇさん・・・・この世界じゃヒトは奴隷だってわかるよな?」 
 
 マサミは静かに頷く。 
 今まで自分が体験したことを考えれば理解できないほうがおかしい。 
 
 「ヒトは高く売り買いされる商品だし、ヒトを連れて歩くというのはステータスシンボルでもある。おめぇさんの世界にもそう言う 
もんは沢山あったんじゃねぇか?」 
 
 「その通りですね」 
 
 「酷い話だが、ヒトの子供は特に高く売り買いされる。ペド趣味の変態とかキチガイとか、その手の妙な性癖を持つ輩がこの世界に 
居るんだけどな、そいつらは大人には興味がなくて子供じゃないとダメなんだよ。もう人間的に腐りきった底辺みたいな存在だが、そ 
いつらはヒトの子供を買ってきて房事を教え込んだりしてな、要するにおもちゃにするわけさ。恥かしい話だが」 
 
 「いえ、ヒトの世界にもその手の人たちは居ますよ。大人には興味が無くて子供にしか欲情しない存在ですよね、もはや犯罪予備軍 
としか言いようのない・・・・と言うより、ギリギリで最後の一線を踏み越えずに踏みとどまってる人間の屑とか、普通に居ましたよ」 
 
 「そうか・・・・。でな、そういった連中に限ってなぜか金を持ってる。だからヒトの子供は常に高く売れるわけさ」 
 
 「そうですか・・・・・・つまり、そのヒト牧場ではヒトの女性は・・・・・・」 
 
 「あぁ、道具だ。女として商品価値が無くなれば子供を産ませるだけ産ませる。そしてそれが出来なくなったら・・・・・・」 
 
 「いずこの世界でも・・・・一緒ですね」 
 
 「だからよ・・・・早いとこおめぇの女房探しに行こうじゃねぇか。きっとおめぇの女房が待ってんぜ」 
 
 マサミはコウゼイに貰ったネックレスを取り出した。 
 2つのリングがまるでサクランボのように寄り添ってぶら下がっている。 
 
 「加奈子・・・・・・生きていてくれよ・・・・・・」 
 
 「縁起でもねぇ事言うんじゃねぇ!ばかやろー!」 
 
 コウゼイはえらい剣幕で怒鳴るとマサミの頭を小突いた。 
 いや、コウゼイは軽く小突いたつもりなのだが、マサミにとっては突き飛ばされたに等しい威力だ。 
 トラの体躯を持って小突かれると、並のヒトには命の危険があるようだ・・・・が・・・・ 
 
 「おっといけねぇ、女房取り戻すめぇに死ぬんじゃねぇぞ!」 
 
 「そうですね、殺されないよう気をつけます」 
 
 やっと笑顔の戻ったマサミの奥襟をコウゼイはひょいとつまんで引っ張り上げると肩に担いで歩き出した。 
 
 「こっ・・・・コウゼイさん?」 
 
 「おう!俺のおごりだ!一杯やりに行くぞ!朝まで飲むぜ!明日の朝は覚悟しろよ?下痢するまで飲むぞ!ハッハッハ!」 
 
 
                   ◇◆◇ 
 
 
 「ゔ〜 きもぢわるい・・・・」 
 
 シャワーを浴びつつゲーゲーと吐いて少し楽になったマサミだったが・・・・ 
 
 「ま〜さ〜み〜 水もってこ〜い・・・・・バケツで持ってこ〜い・・・・・・」 
 
 ベットルームから死にそうな声での要求があった。 
 あらら・・・・・酔っぱらって虎になるとはよく言うが、トラの二日酔いはどうなんだ? 
 くだらないことを考えつつコウゼイを介抱して様子を見るマサミ。 
 結局、二人がホテルをチェックアウトしたのは午後になってからだった。 
 
 
***********************************************************4*********************************************************** 
 
 
 紅朱舘の大食堂で話し込んでいたポール公とヨシの席がお開きになったのは、夕食時も終わり片づけが始まる頃だった。 
  
 長い長い物語、マサミの経験を聞いたポール公とアリス婦人の記憶。 
 それは、マサミがヨシに終ぞ聞かせなかった自分の青春時代そのものなのだろう。 
 常に厳しく、優しく、そして優雅だった父親の背中を、ヨシは思い出している。 
 
 「まだまだエピソードは続くし、派手に二日酔いしてフロミアへ乗り込んだ後がなぁ・・・・」 
 
 そこまで言ってニヤリと笑うポール公の表情はいたずら好きな子供のようだ。 
 
 「話は長くなる故、続きは今度にしよう」 
 
 ポール公の無情な言葉にがっかりしたヨシだが、ウンゼイとその一行を客室に通し、夜支度を済ませて部屋を後すると、キッチンの 
中にあった残りを適等に皿に盛ってグラスを持ち、ポール公とアリス夫人の寝室へと突撃する。 
 
 コンコン・・・・ 
 
 「御館様、あの・・・・」 
 「そろそろ来る頃だと思ったよ、まぁ入れ」 
 
 寝室の隣にある談話室。 
 コンパクトな部屋に入ってみれば、その中でリサがアリス夫人と話し込んでいた。 
 
 「あれ?リサ、どうしたの?」 
 「あ、いや・・・・、奥様が・・・・あなたも来なさいっておっしゃって」 
 
 ヨシがアリス夫人に目をやれば、そこにはヨシの持ってきたオードブルを笑って摘む夫人がいた。 
 
 「ヨシ、早く座りなさい。続きを聞きたいのでしょ?」 
 「はい、もちろんです」 
 「うむ、えぇっと、どこまで話をしたかな?」 
 「フロミアに入るところだったお思います」 
 「おぉそうだそうだ」 
 
 ポール公は一人嬉々として水割りを作りグラスに注ぐと、グラスの淵を舐めるように飲み始めた。 
 
 「う〜ん・・・・、これを飲むと毎晩1日ずつ寿命が延びる気がするよ。命の水だ」 
 
 ハハハ!と笑って旨そうにウィスキーを舐めつつ、ヨシが用意してきたオードブルをつまんでいる。 
 
 「で、結局はマサミが手伝ったコウゼイの仕事というのは・・・・・・ 
 
 
                   ◇◆◇ 
 
 
 ルカパヤンの街外れ。 
 この街をここまで大きくした最大の功労者たる施設がそこにあった。 
 
 預かり屋。 
 
 ラムゼン一家が命がけで守ってきた巨大な商品預かり施設。 
 金さえ払えばどんな物でも絶対に預かりますと言い切る巨大倉庫群だ。 
 非合法な物であろうとなんであろうと、この施設最大の売りは安全という名の信頼だった。 
 
 建物の中を案内するのは、縦に長い瞳を持つ蛇の男だった。 
 コウゼイがこの施設を借り受けた時は、ウサギの男が案内していたはずだが・・・・ 
 
 ガチャリ「どうぞ」 
 
 蛇の男は部屋の中には入らないでいた。 
 「預かっている物・中身には興味を持ちません」と言うスタンスも様々な"ビジネス"を行う者達にとって安心の要素なのだろう。 
 
 部屋に通されたマサミが見た物は、膨大な量の貴金属だった。 
 およそ考えられる物全てがここにあるのだが・・・・ 
 
 「マサミよぉ、あのな、この中からおめぇさんの持ってるもんと同じリングがあるかどうか探して欲しいって訳だ。整理が出来ねぇ 
訳じゃねぇが・・・・実は俺の目は色が良く見えねぇんだよ。だからな」 
 
 「色弱なんですね、分かりました分かりました。皆まで言わなくとも」 
 
 「そうか・・・・わりぃなぁ・・・・、なんせポールの野郎に言うと、ぜってぃ俺のせいか?そうだろ?って聞いてよ、首つっこんでくんだ 
よ、あの野郎はよ。あいつはそういう奴なんだ」 
 
 「でしょうね」 
 
 「だからおめぇさんの目が必要って訳さ。いっちょ頼むぜ」 
 
 無造作に袋へ放り込まれているリングをテーブルにぶちまけ、マサミは白い手袋をはめてリングを仕分けし始める。 
 金、銀、白金、カラーゴールド。デザインリングやダイヤが乗った物を選別していく。 
 ひとつかみ左手で握り、右手の指でぽいぽいと袋分けして行く作業は6時間にも及んだ。 
 
 「マサミ、飲むものを買ってきたぜ、一服付けろや」 
 「いえ、銀は汗の酸や脂で色が変わります。水分を切って扱うのが常識ですのでしばしお待ちを」 
 
 コウゼイがジーッと見ている先、マサミは瞬きの回数まで減って行くほどに集中して選別をしている。 
 やはり、一番多いのは金のリングだ、次位は銀のリング。白金とプラチナの見分けが付きにくい物は別にして、シャンパンゴールド 
やピンクゴールドのリングが割と多いのは意外だった。 
 
 「コウゼイさん、水を一杯ください」 
 「おう!ちょっと待ってろ!」 
 
 コウゼイが大きなグラスで汲んできた水を飲んでマサミは一息ついた。 
 
 「簡単に分けられる物は分け終わりました。こっちが金、こっちは銀です。そしてこっちは金の合金系」 
 
 マサミが指さす先には大きな袋一杯の貴金属リングがあった。 
 そしてその隣。深い紫のビロードマットが敷かれた小箱の中。白金とプラチナのリングが無造作に放り込まれている。 
 
 「この中に見分けの付きにくいリングを分けました。正直に言って私もプラチナと白金の見分けは出来ません」 
 「どうしたらいい?」 
 「溶かすしかないです。熱してやって先に溶けるのが白金、溶け残るのがプラチナですね」 
 「しかし・・・・・」 
 「えぇ、もったいないですね、白金やカラーゴールドは1000℃で溶けますが・・・・溶かした後が大変だ」 
 「マサミ、何とかならねぇかな?」 
 「ヤスリでこすってヤスリが負けるのはプラチナでしょうけど・・・・・」 
 
 しばらく押し黙っていたが・・・・ 
 
 「マサミ、それ持ってフロミアに行くぞ、あそこに俺の叔父貴が居るんだ、俺の師匠なんで見分けが付くかもしれねぇ」 
 「なるほど、それは良い案ですね、早速行きましょう」 
 
 仕分けが終わり片付けを行っている最中、棚の上から小さな袋が床に落ちた。 
 
 「あれ?」 
 
 マサミはそれを拾い上げると中をのぞく。 
 そこには大量のイヤリングが入っていた。 
 
 「あぁ、なるほど。獣の耳にはイヤリングを付けられないからなぁ」 
 「マサミ、それの使い道は分かるか?」 
 
 コウゼイも疑問だったようだ。 
 マサミは小さな鈴状のイヤリングを取り出し耳にぶら下げた。 
 
 「本来は女性用ですけどね」 
 「あぁ、なるほど・・・・。それは俺たちにはいらねぇや」 
 「これ、良かったらフロミアへ持って行きませんか?ヒトの女性が沢山居るなら何かの役に立つかもしれません」 
 
 ニヤリと笑うコウゼイが鞄にその袋を押し込めた。 
  
 
                   ◇◆◇ 
 
 
 ルカパヤンの街を出たマサミとコウゼイの馬車は、半日掛けてカモシカの国の国境検問所にたどり着いた。 
 カモシカの騎士や剣士が国境の駐屯所で待機しているが、馬車の中を改めるでもなく通行手形を見るでもなくあった。 
 
 「コウゼイさん、国境の検問と言う割には」 
 「まぁ不思議だろうな。カモシカの国はよ、今はかなり荒れてんだ。内戦一歩前っつうのかな。不安定なんだよ」 
 「そうなんですか・・・・」 
 「だからな、あそこの騎士や剣士は検問するのが仕事じゃねぇのさ。なんかあった時に・・・・」 
 「検問所は仕事をしてましたよと言うアリバイ」 
 「その通り。国がどっちに転ぶかわからねぇからな、どっちに行っても良いように上手く生きてんだよ。まっつぐに生きるのだけが 
えれぇって事じゃなくてよ・・・・あいつらにも家族とかいるだろ?死ぬ訳にはいかねぇんだよ」 
 「でしょうね。クーデターだの内乱だのなんて、一握りの存在の権力闘争ですからね」 
 「そうって事よ、大儀なんてもんはケツから出てくるくせぇもんと一緒だ。平和を唱えるアホが率先して争っていやがる」 
 
 やる気なさそうなカモシカの官吏が馬車の幌をペロリと捲って中をちらりと見た。 
 右手でシッシと蝿でも払うかのように行ってよしのサインを出す。 
 コウゼイは馬車を再び出して坂道を降りていった。 
 
 「ここはよ、入るより出る方がてぇへんだ。カモシカの国から持ち出しちゃなんねぇものは色々有るが、一番いけねぇのはヒトだ」 
 「高級品って事ですね」 
 「しかもしゃべりやがる。ヒトの世界の知識や制度や、それにカガクって言うのか?俺みてぇなバカにゃ良くわかんねぇが」 
 「ヒトを利用する訳ですね」 
 「・・・・だな、ようはこの世界の仕組みとかそう言うもんを良く知ってる人はカモシカの国が集めてやがる」 
 
 マサミへチラリと視線を送ったコウゼイだが、何を思ったか視線はそのまま空に向かった。 
 遠くを見つめるようにしているトラの男は何を思うのだろうか・・・・・・ 
 
 「なんせこの世界にはねぇもんをヒトは持ってるからな。スキャッパーだっておめぇが随分良くしたじゃねぇか。ヒトの知恵でカモ 
シカの国を良くしようって腹なんじゃねーのかな」 
 「スキャッパーはまだまだこれからです。道のりは遠いですよ。カモシカの国も良くなると良いですね」 
 「地方ですらこのザマだからな。国を変えようと思えばもっとヒトの頭数がいるって訳さ」 
 「じゃぁ、カモシカの国の政権を争ってる人達にとってヒトの繁殖施設って言うのは」 
 「あぁ、手を出しちゃなんねぇ存在だろうな。なんせどっちが国を取っても貴重な頭脳だ」 
 「じゃぁ、少なくとも・・・・内戦状態に陥っても中は安全でしょうね」 
 「どうかなぁ・・・・、そりゃぁどっちも冷静な場合の話であって、どっちかが吹っ切れてブチっと理性の糸が切れっと・・・・・」 
 
 そこで何が起きるのか。マサミの知識の中にある様々な事が思い起こされた。 
 口を割られないように。情報が外へ漏れないように。 
 死体は口を割らない、死人はしゃべらない。 
 
 ゾクっと震えてマサミは膝を握り締めた。 
 
 「先を急ごうぜ」 
 「えぇ・・・・」 
 「マサミ、おめぇはこっから先、幌の中から出るんじゃねぇ。いいな」 
 「分かりました、なんせ、ヒトの繁殖施設ですからね」 
 
 峠を駆け下り馬車の車輪が回転を止めたのは麓の小さな街だった。 
 ラムゼンの街とは打って変わった明るくて平和な街の雰囲気。 
 ただ、町中に男の姿がほとんど無いのは意外なのだが・・・・ 
 
 「ここはよぉ・・・オオカミの国へ行く白嶺街道とネコの国へ行く摩天街道の両方から一番遠いところって訳さ。言うなれば外からカ 
モシカの国にへぇるのに一番面倒なところへこの裏街道は直接乗り込むわけだ」 
 
 「つまり、カモシカの国の最奥部。逆に言えば内戦一歩前という国の中の最前線って事ですね?」 
 
 「おぅ!察しが良いじゃねぇか。そういうこった。そんでな、俺たちはその一番やばい場所をよりにもよってヒトを積んで移動して 
るわけだ」 
 
 「実にスリリングですね。胃が痛くなりそうだ」 
 
 ガラガラと音を立てて走る馬車が歩みを止めたのは、大きな門と立て札のある交差点だ。 
 
 
    − この先、フロミア・ヒト居住区、許可無く立ち入りを禁ずる。 − 
 
 
 そう書かれた大きな看板が門のアーチに掛けられ、高さ4mはあろうかという大きな鉄製のスライドフェンスが道を閉ざしている。 
 この先に・・・・この世界のヒト収容所がある・・・・ 
 居留区だの繁殖施設だのと言った所で、実際は収容所だろう。 
 マサミの脳裏に浮かんだのは・・・・アウシュビッツ・・・・ 
 
 「コウゼイさん・・・・ちょっと安心しましたよ」 
 「どうしてだ?」 
 「入り口に怖い文句が書いてないです。労働は自由への道・・・・とかね」 
 「はぁ?なに言ってんだ?・・・・ほれ、日暮れ前に目的を果たすとするか・・・・」 
 
 門の前で馬車の舳先を返したコウゼイは、途中何台かの馬車とすれ違いながら、ほど近い集落の中へと入っていった。 
 集落の住人から鋭い視線が浴びせられるなか、悠然と馬を歩かせたコウゼイは、ある店の前へと馬車を止めた。 
 ラムゼンカンパニー貴金属事業部と書かれた小さな看板のある、それほど大きくない建物だ。 
 
 「ここもラムゼングループなんですね?」 
 「あぁ、叔父貴はラムゼンに顔が効く。昔の話らしいが・・・・俺は良くしらねぇけどな。ハハハ!」 
 
 コウゼイは荷物を持って馬車から降りると、周辺の住人達へ愛想笑いを振りまきながら、建物へと吸い込まれていった。 
 ややあって中から色んな声が始まり、笑い声を交えた歓談の声になった。 
 しばらく黙って聞いていたマサミだが、ちょっと心細くなった頃に建物脇の扉が開いてコウゼイが出てきた。 
 
 「おぅ!マサミ!待たせたな。宿へ行くぜ」 
 
 馬車に乗り込むなりコウゼイはマサミへ小さなメモを突き出した。 
 走り書きだがキチンと読める字で書かれたメモには「松田加奈子」と書かれている。 
 
 「加奈子・・・・・」 
 「その字は俺には読めねぇが・・・・マサミ、おめぇさんの女房の字か?」 
 「はい、間違いないと思います。でも、なぜ偽名を・・・・」 
 「なんか理由があんだろうぜ。あ、そうだ、おめぇさんにやった女房のリング。このフロミアで出たもんだそうだ」 
 「え?」 
 「なんでも、息子の薬が必要なんで・・・・どうのこうのと言う理由らしいが叔父貴は良くしらねぇらしい」 
 「息子・・・・生まれたんだろうか・・・・」 
 
 馬車の中で呆然としているマサミの姿にコウゼイは声を詰まらせた。 
 紅朱舘の中でアリスらと共に、スキャッパーに尽くすマサミの姿とは、似ても似付かぬ憔悴しきった姿。 
 人生の絶頂からどん底へ転がり落ちた現実に打ちひしがれている・・・・ 
 
 「こんな事言いたくはねぇが・・・・おめぇの子供じゃねぇかも知れねぇぜ」 
 「いや、落ちた時点で妊娠9ヶ月だったから計算は・・・・・そうでもないか」 
 「9ヶ月?随分なげぇな」 
 「ヒトは妊娠してから生まれるまで十ヶ月と拾日の日数を要します」 
 「そうか・・・・所でおめぇさん、こっちに来てどれくらいだ?」 
 「えぇっと約2年です」 
 
 ゆっくりと馬車を出したコウゼイは押し黙っている。 
 ガラガラと響く車輪の音だけが馬車の中に溢れていた。 
 
 「奥さんはここで約4年過ごしてるそうだ・・・・・」 
 「じゃぁ・・・・落ちた時系列が違うのか・・・・」 
 「まぁ、女房から何を聞いても、おめぇさんは許してやんなよ」 
 「えぇ、もちろんですとも・・・・」 
 
 コウゼイはマサミの方にポンと手を置いた。 
 ガックリとうな垂れる姿が痛々しい。 
 
 「妻は・・・・強姦未遂の被害者なんです・・・・ネコが話に聞く通りの色事好きだったら・・・・妻は・・・・」 
 「マサミ、あまり考えねぇ方がいい。心配事のしすぎは体に毒だ」 
 「しかし・・・・妻は・・・・。くそ!何でこんな事に!なんで・・・・こんな事に・・・・」 
 「俺がこんな事言えた義理じゃねぇが・・・・この世界は酷い世界だ。」 
 「えぇ・・・・」 
 「だからよ、おめぇさん、女房を取り戻したら・・・・抱きしめてやんな。男と女なんて、それで良いんじゃねーのかな。」 
 
 しばらく走っていた馬車が歩みを止めたのは小さなアパートの前だった。 
 コウゼイは馬を厩に連れて行って馬詰めのスタッフに引渡し、世話役の子供達に小遣いを切って世話を頼んでいる。 
 馬車の中からマサミが見れば、それはラムゼン商会の宿舎だった。 
 
 「マサミ、今日の宿だ。あんまり綺麗なトコじゃねぇが、ここでヒトが安全に寝るにゃここしかねぇ」 
 
 マサミは荷物をまとめコウゼイに付いて行く。 
 馬車から出た時点で周囲から鋭い視線が集まるのをマサミは感じた。 
 
 「ビクビクするな。返って怪しまれる」 
 
 そう言いつつもコウゼイは周囲を警戒している。 
 何を警戒しているのか、マサミにも計り損ねているのだが。 
 
 階段を上がり大きなドアについている3つの鍵を開けて中に入ると、トラの男が寝泊りできる大きな部屋になっていた。 
 そして、その奥には鉄製の丈夫な扉で仕切られた部屋が2つ。 
 
 「マサミは左の部屋を使え、俺の声以外じゃ扉を開けるなよ、いいな?」 
 「なぜ、ここまで警戒するのですか?」 
 
 コウゼイはマサミをつれて一緒に部屋に入った。 
 八畳間ほどの広さにベットとトイレと簡易シンクの付いたワンルームマンションのような構造だ。 
 
 「フロミアの周りじゃヒトの流出に神経尖らせてるんだ。ここらの安い賞金稼ぎが商人を襲ってヒトを奪い取ったり、フロミアから 
逃げ出したヒトを捕まえたりしてフロミアへ売りに行くのさ。だから、ラムゼン商会のこのヤサにはこんな設備がある、ほれ、良く見 
ろ、この部屋は中からしか開かねぇつくりになっている」 
 
 その通りで、この部屋には中にしかドアノブや鍵が付いてないのだった。 
 言うなれば、建物の中にもうひとつ建物がある状態。 
 
 「さて、もう一回俺は叔父貴のところへ行って来る。おめぇさんの女房の話をしてくるから待っててくれ」 
 「分りました、申し訳ありませんが、よろしくお願いします」 
 「あぁ、良いか?俺が出たら表のドアの鍵を閉めろ。で、すぐにこの部屋へ飛び込んでこっちの鍵も閉めろ、すぐにだぞ?」 
 「了解です」 
 
 コウゼイに言われたとおり、マサミは素早くドアを閉め施錠し、隔離室に逃げ込んで施錠した。 
 何となく独房のような気もするが、ここにいる限りは安全なのだろうと言う事でおとなしくしている事にした。 
 
 
                   ◇◆◇ 
 
 
 だいぶ酒が回ってきたポール公はいよいよ饒舌に物語をしゃべり続けている。 
 隣で聞いているアリス夫人が合いの手をいれ、ヨシとリサは黙って聞き入っていた。 
 
 「後から俺がコウゼイに聞いたところによれば、ラムゼン商会は当時はヒトも扱う総合商会だったそうだ」 
 「今は扱っていないのでしょうか?」 
 「ウンゼイに聞いた限りではヒトの取り扱いはやめたそうだな、色々と理由はあるが・・・・・」 
 
 ニヤリと笑うポール公の横腹をアリス夫人がつつく。 
 
 「一番の理由はこのヒトの大立ち周りよ」 
 「え?御館様のですか?」 
 「なんせルカパヤンをもう少しで焼き払うところでしたからね」 
 
 アハハ!と笑うアリス夫人に鋭く突っ込まれポール公がタジタジになっている。 
 いよいよ目を輝かして話を聞くヒトの若人二人を前に、ポール公の饒舌は一段ギアを上げて更にヒートアップするのだった。 
 
 
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 「要するに、ラムゼンってのはヒトとそれ関連の商品を扱う事で大きくなったわけだよ」 
 
 コウゼイが連れて来たトラの男・ウンゼイはコウゼイより少々年上で物腰の柔らかい紳士だった。 
 チャキチャキの江戸っ子ぽいコウゼイとは違い、上品な山の手の言葉で話をするトラの紳士はユックリとだが核心に迫って行った。 
 
 「ラムゼンを最初に起こしたのは誰かは私も知りません、しかし、ここ30年ほどで急成長した最大の功労者はあなたと同じヒトです 
よ。フロミアが機能し始めてからと言うもの、ヒトの数が増えるとヒトにしか必要性を感じない物が幾つか出てきました。それを取り 
扱い、納品の業務を行って大きくなっていったのです。そして、珍しい物やヒト世界から落ちてくるヒトではなく物を探し出してフロ 
ミアに納めてきました」 
 
 「あぁ、それ、凄く良く分かります。いまだって・・・・」 
 
 マサミは約3年ぶりに素晴らしく懐かしいものを飲んでいた。 
 コーヒーである。 
 カモシカの国の特産と言うことらしいのだが、イヌの国にはあまり出回っていなかった。 
 イヌの鼻にはコーヒーの香りがきつ過ぎるのだろう。 
 鼻腔をくすぐる焦げた豆の香りにマサミは酔うほどだった。 
 
 「たとえば、カモシカも知らなかったコーヒーメーカーと言うこの機械の使い方もヒトの社会で教えられたものです。そもそも、 
コーヒーのロースト方法や美味しい淹れ方などは全部ヒトの知識です。それ故にフロミアはより一層ヒトの出入りに神経質になってま 
すね」 
 
 「カモシカの国の・・・・主力商品と言うことですね」 
 「そうです、高値で取引される高級商品ですよ。ヒトはね」 
 
 ウンゼイは、トラにとってはやや小さなコーヒーカップを上手に摘んでコーヒーを飲むと、ホッとしたような笑顔を浮かべる。 
 
 「さて、マサミさん。あなたの奥さんはネコの国へと行きました。正確に言うと治療に出されたのです」 
 「治療?」 
 「はい、残念な話ですが・・・・あなたの奥さんがこの世界へ来たときに妊娠されてましたね?」 
 「えぇそうです、私の子です」 
 「妊婦が落ちるケースと言うのは私も始めて聞きまして。最初に見つけたのがラムゼンの納品チームでした。どうしてよいか分から 
ず、そのままフロミアへ直行し、フロミアの出産施設で出産に及んだそうです」 
 「はい、で、どうなったのですか?私の子は」 
 
 ウンゼイはもう一口コーヒーを飲むと、はなの上の乗せていたメガネを取りハンカチで拭きながら遠くを見た。 
 
 「出産は無事に済んだそうです。しかし、この世界に来た時の衝撃か、それとも奥さんのショックか、その理由は定かではありませ 
んが、あなたのお子さんは先天性の障害を持っておられました。心臓疾患と私は聞いています。その治療の為に魔法薬を買いたいと言 
う事であなたの奥様のリングが私のところへ来ました。しかし・・・・お気の毒・・・・ですな」 
 
 「恐れ入ります・・・・」 
 
 「辛い話ですが、続きがあります。あなたのお子さんは2歳まで何とか育ったようです。しかし、心臓疾患と言う事で成長するに従 
い様々な影響が出始めまして・・・・管理側が商品としては・・・・」 
 
 「なるほど、良く分かります。ヒトの世界の話ですが、ヒトは食料にするために牛や豚を飼い育て殺して食べていました、それは生 
き物を栽培するのと同じ事ですよね。その中に先天性疾患がいれば・・・・容赦なく・・・・。ヒトの世界の報いだな」 
 
 うな垂れて小刻みに震えるマサミの肩にコウゼイが手を置いた。 
 
 「仕方がねぇ・・・・で諦めて良い問題じゃねぇ。でも、おめぇさん・・・・短気は起こしちゃなんねぇ」 
 「えぇ、もちろんです。妻が生きているなら・・・・必ずこの手に・・・・」 
 
 ウンゼイは綺麗に拭き上がっためがねをもう一度鼻先に乗せてマサミを見据えた。 
 
 「あなたの奥さんはそのショックで一時的に失明しました。きっと精神的なものなのでしょう。フロミアではショックで失語症に陥 
ったり難聴になったりする女性が多いです。しかし、失明と言うケースは非常に稀なものらしく、あの施設の医療団も手を焼き、ネコ 
の国の高度医療センターへ送られたようですね」 
 
 「しかしまた、なんでそこまでして病気を治そうっていうのでしょうか?お話を伺う限り、失明の時点で妻は・・・・」 
 「あなたの奥さま、ヒトの世界の高度な学問知識をお持ちだったようですね。通常、先天性疾患の子供が生まれたら程なく間引かれ 
てしまいますが、しばらく様子を見たと言う事は、それだけ奥様に期待していた部分があったのでしょう。ですから・・・・」 
 
 ウンゼイはポケットからメモ書きを取り出した。 
 達筆な日本語で書かれたメモだ。久しぶりの日本語文字にマサミは嬉しくなる。 
 
 「私には大体しか読めませんが、フロミアの医療団が書いた医療指示書の写しです。シュバルツカッツェに程近い小さな町の医療セ 
ンターに送られていますね」 
 
 「あの、ちょっとお尋ねします。仮に妻を見つけた場合、どうやった私の手に取り戻せますか?」 
 
 「そうですね、私もこのようなケースは初めてですから・・・・、カモシカの官僚と掛け合うか、力ずくで奪い取るか。さもなくば・・・・ 
逃げるか」 
 
 「どれも余り穏便とは言いがたいですね」 
 「ですねぇ。しかし、一度フロミアに登録してしまうと・・・・正規の手段では難しいですよ」 
 
 しばらく押し黙っていたトラの男達とヒトの男。 
 ややあってウンゼイはふと何かを思い出したように顔を上げた。 
 
 「マサミさん、あなたのお持ちになったこの耳飾。フロミアの女性達に人気沸騰ですよ」 
 「そうですか・・・・。それだけ厳しい所ならば・・・・こんな耳飾一つで気が晴れるのであれば安いものだ」 
 「これを取引材料にしましょう、私に策があります。まずは奥さんを探してください。年明けにはここへ帰って来るはずです」 
 「どうしてですか?」 
 「私には良く分かりませんが、ここでは新年の祝いを盛大に行います。それに合わせ帰って来るはずです」 
 「なるほど。ならばここからですと摩天街道経由ですね。コウゼイさん」 
 「よし、明日から南下を始めよう。どっかではち合うかも知れねぇ」 
 
 柔らかく笑うウンゼイがふと何かを思い出したようにマサミを呼んだ。 
 
 「そうだマサミさん、あなたの持っているリングを見せてもらえますか?」 
 「あ、はい、どうぞ」 
 
 マサミは首からネックレスを外すとウンゼイに手渡した。 
 ウンゼイは感触を確かめるようにじっくりと触っている。 
 
 「ありがとうございます。あなたが選り分けたリングからプラチナだけ抜き取りましょう、明日の朝まで待ってください」 
 「お願いします。コウゼイさん、よかったですね」 
 「あぁ、叔父貴、すまねぇ」 
 「なに、良いって事でだ。それよりコウゼイ、リングは一つで良いのかい?」 
 「あぁ、いいと思う、あのズベ公は一人身だしよ」 
 「これこれ、滅多な事は言うものじゃない。誰かに聞かれたらどうするんだね?」 
 「おっといけねぇ。口が滑った」 
 
 ハハハ!と皆で笑った夜。 
 マサミの心中にずっと重く圧し掛かっていた想いが、ゆっくりと解け始めた夜だった。 
 
 
                   ◇◆◇ 
 
 
 饒舌にしゃべっていた筈のポール公がガクッとうな垂れたのはその直後だった。 
 あ!っと思ったヨシの伸ばした指先から僅か前方の空間。 
 指先を擦ってグラスが床に落ちた。 
 厚い絨毯の上で弾み割れはしなかったが、それでも驚くには十分だった。 
 
 「しゃべり疲れたみたいね」 
 
 アリス夫人はポール公の寝顔をシゲシゲと眺める。 
 御館様と呼ばれ、常に威厳を持ってあるくその重責が、いつの間にか重荷になっていたのかもしれない。 
 久しぶりに若かりし時代の記憶を呼び返し、こころに羽が生えたのだろう。 
 
 「あなた達に語りかけるのは、自分の気を楽にする為でもあるのよね。きっと」 
 
 ヨシはポールの肩を後から抱えるとベットの上に乗せ、両足を揃え布団に納めた。 
 
 「ヨシ・・・・すまんな。ちょっと疲れた。続きは明日だ」 
 
 ボソボソとポール公がしゃべって、そのまま鼾モードに落ちてしまった。 
 
 「そう言う事みたいよ、ヨシもリサも続きを楽しみにしていなさい」 
 
 「はい、お休みなさいませアリス様」 
 「おやすみなさい奥さま」 
 
 ヒトの若者が二人して一礼し寝室を出て行った。 
 
  マサミ、あなたとカナが居たみたいだったわね・・・・ 
  きっと良い夫婦になりますよ、安心していいわよ・・・・ 
 
 その後姿をアリス夫人が微笑みながら見ていた。 
 
 談話室を抜けた二人が並んで階段を下りて行く。 
 
 「リサ、明日の朝の予定は?」 
 「明日はキッチンの早番をやって釜戸の火入れ当番」 
 「そうか、俺は厩当番だから俺も早起きだな」 
 「厩だと大変だね」 
 「うん、寝過ごしたら大変だ・・・・」 
 「明日の朝、起こしに行ってあげようか?」 
 「え?」 
 「奥様に貰った目覚ましを持ってるから」 
 
 ヨシはちょっと考えてから答える。 
 
 「起こしに来て貰うと手間が増えるよ。だから・・・」 
 「だから?」 
 「だから、俺の部屋に来ないか?」 
 「・・・・・・・・うん、行く!」 
 
 そっと出したリサの手をヨシが握っている。 
 二人並んで歩いていくのは、紅朱舘の階段か。 
 それとも長い人生か・・・・・ 
 
 
 第5話 了 
 

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