12月も半ばを過ぎて、グッと日の出が遅くなり一年の終わりといった雰囲気がスキャッパーにもやってきた。 
 ロッソムの街全てが見回せる位置に立つ紅朱舘も、この季節はまだまだ寝静まっている時間帯。 
 
 この時間帯に巨大な紅朱舘の中で聞こえる音といえば、各部屋に暖房供給する為のボイラーの音くらいなもの。 
 厳しい冬を乗り越えて行かねばならないスキャッパー地方では、真冬の暖房は欠かすことの出来ない生命維持装置となっている。 
 
 かつての旧紅朱舘では各部屋の薪ストーブや暖炉を各部屋の担当がせっせと燃していたのだが、ヒトの世界から落ちてきたスロゥチ 
ャイム家の執事は鍛冶屋を集め各部屋縦断の蒸気暖房を設置した。 
 そして今は不寝番が交代でボイラーの火を維持し続ける冬場で最も重要な仕事になった。 
 
 その結果、旧紅朱舘は各部屋ごとの温度がバラバラだったのだが、新たに建築された新紅朱舘は、スチーム暖房と床暖房に加え、大 
浴場の湯気を利用した保湿装置の可動で、真冬でも快適に保たれている。 
 
 そんな早朝の紅朱舘、玄関先。 
 館内より一段暖かい風徐室の中で、外の具合を眺めるヒトの青年が一人。 
 窓の外は荒れ狂う吹雪だというのに、外套の襟を立て雪中ブーツを履き外へ出ようとしている。 
 手にはスコップと造花の花束を握りしめ、ジッと外を見ている。 
 
 一瞬のタイミングを見計らった門番が目で合図し僅かに戸を開くと、青年は一目散に外へと駆けていった。 
 腰まである雪を掻き分け肩で息をしながら、紅朱舘の裏にある丘の上へ駆け登っていく。 
 駆けると言うより藻掻き苦しむように丘の上立つ大きな樅の樹へと辿り着いた青年は、手にしたスコップを使って雪を払い始める。 
 腰まである筈の雪を払いのけ、最後は雪面を掘るように進んでいくと小さな墓石が二つ姿を現す。 
 
 「父さん母さん、今年もあと僅かだよ・・・・俺、来年は結婚する・・・・リサを本気で好きになっちゃったみたいだよ・・・・良いよね?」 
 
 そう言うと青年は造花の花束を墓石に供えた。 
 雪の壁を整えてこれ以上雪に埋まらぬよう処置を施すと、青年は墓前で姿勢を整え腹に手を添え慇懃に最敬礼する。 
 
 よし・・・・行くか・・・・。 
 
 青年は既に埋まりつつある足跡を辿って丘を降りていった。 
 それを見守るようにポツンと佇む小さな墓が二つ、今日も紅朱舘を見下ろしている。 
 
 雪だるま一歩前になった青年は紅朱舘の玄関へと辿り着き全身の雪を落とした。 
 いつもより強く吹き荒れている吹雪だが、尖塔の上で鳴り響く青年の母が愛した美しい鐘の音は聞こえてくる。 
 
 ・・・いけね、御館様と奥様を起こさなきゃ。 
 
 そう言って玄関をくぐると、そこには紅朱舘主人のポール公が立っていた。 
 一瞬、青年は青ざめる。 
 
 「ヨシ 早くからご苦労だった。マサミとカナは息災だったか?」 
 「御館様・・・・お陰様で二人とも・・・・」 
 「そうか・・・・うむ、早く着替えろ。食事にする。それからアリスはもう目覚めている」 
 「申し訳ございません」 
 「いや、謝ることはない、後ほど私も行くつもりだったからな、とにかく食事だ」 
 「はい、仰せのままに」 
 
 立ち去ろうとするポール公はふと足を止めて振り返った。 
 
 「そうだ…ヨシ、マサミの日記はどこにある」 
 「父の日記はわたしが保管してます」 
 「そうか、後ほど持ってきてくれ」 
 「かしこまりました」 
 
 先程と同じく慇懃に傅く義人を見てポール公は言った。 
 
 「父親にそっくりだ… さすが親子だな…」 
 
 
 
 紅朱舘の一室、領主一家専用に作られたコンパクトだが豪華な食堂のテーブルを前にスロゥチャイム家の家族が揃った。 
 それぞれ席に着くイヌの貴族の家族達、その後ろにはそれぞれの従者であるヒトが立っている。 
 秋の収穫を王都に輸送したきり帰ってこない長男夫妻と従者は向こうで羽を伸ばしているだろうか。 
 それとも長男が干からびるまで搾り取られて・・・・ 
 
 朝食のメニューがキッチンからワゴンを押して運ばれてくると、それぞれの主人へメニューをサーブするのは従者の仕事だ。 
 音を立てず、主にぶつけぬよう慎重に皿を並べて盛りつけていく。 
 お茶が無くなればカップへお茶を注ぎ、テーブルのトーストが無くなれば新しくパンを焼いてバターを塗る。 
 一連の動きに全く淀みや逡巡が無く、それぞれのヒトの動きが縦横にリンクしていて見ている側ですら気持ちがいいほどだ。 
 ポール公は食事をしながら義人を呼んだ。 
 
 「ヨシ、日記はどうした?」 
 「はい、執務室に用意してございます」 
 「今日は決済執務も少ない筈だが、間違いないか?」 
 「はい、本日のご決済が必要な案件に1級案件はございません」 
 「今日はなにがあるのだ?」 
 「今月の裁判決済と予算消化案件、後は新年の王宮参内に関する奉書です」 
 「しかし…この天気ではな…」 
 「そうですね、年が明けても中央へ報告できるのは遅くなると予測されます」 
 
 ポール公は窓の外を眺め何かを考えた後で食事を続けた。 
 一足先に食事を終えた家族はそれぞれの従者に声を掛けポール公が最後のパンを食べ終えるのを待っていた。 
 
 「うむ、皆待たせたな…ヘンリーは街を見て歩け、天気が悪いので領民が心配だ」 
 「はい父上」 
 「マリアは母さんと主計の管理をせよ、年内分の決算をみるのだ、よいな」 
 「はい、父さま」 
 「アリス、頼むぞ」 
 「えぇ、わかってますわ」 
 
 ポール公が立ち上がって席を外すと皆席を立った、それぞれの従者を連れ各部屋へと戻っていく。 
 スロゥチャイム一家が朝食を摂る前に食事を済ませた従者や紅朱舘のスタッフだが、ヨシはすっかり朝食を食べ損ねていた。 
 ポール公は執務室へ入るとヨシに上着を預け席に着く、ヨシは顔色一つ変えず書類を整え決済のサインをし易いように並べた。 
 
 「ヨシ、中央への報告は後でよい。それより日記だ」 
 「御館様、宜しいのですか?」 
 「サインなどいつでも出来る。早く日記だ」 
 「こちらに・・・・」 
 
 そう言ってヨシは10数冊の日記を順番に並べた。ポール公は並ぶ日記群を眺めて驚く。 
 
 「マサミの奴め わたしが本を読むのが苦手と知っていてこれだけ書きおって」 
 「しかし御館様、約30年に渡る記録では少ないかと存じます、一冊で2年分かと」 
 「ヨシ・・・ 」 
 
 そういってポール公は苦笑いを浮かべ手を振った。 
 
 「えぇい解った解った、今から読むので邪魔をするな、3時間経ったらもう一度来い」 
 「は?」 
 「良いから早く行け!3時間だぞ!あと、誰でも良い、後でお茶を持って来させろ」 
 「お心遣い痛み入ります御館様。では、リサにそう命じておきますので」 
 「うむ、それより、早く一人にしろ」 
 「今日は特別冷えますので膝掛けなどをこちらに用意しておきます…」 
 「うむ」 
 「では 失礼します」 
 
 義人は慇懃に頭を垂れ部屋を出た。 
 ポール公がヨシを部屋から出したのは、食べていない筈の食事をして少し寝てこいと言う配慮だとヨシは理解した。 
 しかし・・・・ 
 
 そそくさと紅朱舘の廊下を歩き大食堂を抜けキッチンへと入る。 
 レストラン開店用の仕込みや、スタッフ賄い飯の洗い物をしているキッチンのイヌに混じって、ヒトの女性が皿を片づけていた。 
 イヌのおばさん達が世間話をしつつ笑いながら、ヒトの女性をからかっている。 
 ヒトの女性は赤くなったり必死に抗弁したり… 
 
 「だからぁ〜 リサは執事長と一緒になるんでしょ」 
 「そんな事は… それに、御館様と奥様がお許しになるか…」 
 「そんな事言ったってねぇ〜この前の夜も下の風呂場で良い雰囲気だったじゃない」 
 
 いつの間にか良い歳になって、若いイヌのスタッフを引き連れる立場になったキックが、エプロンで手を拭きながら再び話題の口火 
を切り他のイヌも喋り出す。 
 
 「ポール様がなんであの薄汚い奴隷商のネコを半殺しにしたのさ」 
 「マサミ様もあんなネコなんか迷う事無くねじり殺しちまえば良いのにねぇ…」 
 「でも、それをしないであんたを買ったのはヨシ君にって思ってるに決まってるよ」 
 「御館様がその気になっていれば今頃あの醜く太ったネコは鍋の中身だったわね」 
 
 なんとも恐ろしい会話が続いているのだけど、実際のイヌの本音はそんな所なのだろう。 
 厳しい環境に封じられたイヌの社会において、恵まれたネコの国の自然環境はそれ自体が嫉妬の対象だ。 
 
 あれだけ恵まれていながら、怠惰にダラダラと生きているネコは、歯痒い存在なのかもしれない。 
 恵まれない国の国民から見れば、恵まれた国の残飯ですら面白くない存在と言えるのだろうか・・・・・。 
 
 「そうなんですか?」 
 
 すっとんきょな声でそう答えるリサは、ネコが鍋の中身になる事より、イヌの凄い本音が包み隠さず出ていることに驚いている。 
 沢山のイヌが居るポジションに放り込まれて早2ヶ月になろうとしているが… 
 それまでは少人数の無口な館女官に囲まれて部屋詰め仕事ばかりだったせいで、イヌは表向きには絶対そんな事を言わないと思って 
いたようだ。 
 
 「先代執事長のマサミ様は奥さん大事にしてたからねぇ〜」 
 「カナさんは明るかったし料理が上手いし、それに器量よしだったしね」 
 「アレをみてポール様はヨシ君にも結婚させたがってるのさ」 
 「だいいち…あんた、ヨシ君のどこが不満なんだね?」 
 
 周囲のイヌ女性が一斉に口を開く。 
 
 「あれでマダラだったら私が押し倒してるわよねぇ」 
 「マダラじゃ無くても押し倒したいけどね」 
 「そうよ、私だってあと30若かったら間違いないね」 
 「背が高いし気が利くし献身的だし、それに…」 
 「うん、そうよね、ヨシ君は笑顔がステキよね」 
 「あ〜もう、なんでヒトなんだろうねぇ、イヌのマダラだったら…」 
 「連れて逃げて!って言ってここから駆け落ちするのに!」 
 
 「え〜 おほん… お取り込み中に失礼します…」 
 
 そう言って義人は出来る限りまじめな顔で話の話に加わった。 
 イヌのおばさま方が一斉にゲラゲラ笑いながら仕事に戻る。 
 
 「悪いけど何か残り物無いかな?朝食まだなんだよ」 
 
 恥ずかしそうな顔をして仕事に戻っていたイヌの女性がリサと呼ばれたヒト女性の背中を押した。 
 
 「ほら!リサ!なにやってるの!!」 
 「え…あ…あの…執事長様… 私の作ったサンドイッチですが… あの…」 
 「ちゃんと言いなさいよ!」 
 
 そう言ってヒューヒューと囃し立てられてリサは、作り置きのサンドイッチを義人に差し出した。 
 
 「もしかして、わざわざ作っておいてくれたの?」 
 
 無言でリサは頷く、義人は笑顔で受け取り一つ頬張った… 
 
 「うん・・・・おいしい・・・・うん・・・・」 
 
 あとは何も言わずモグモグと食べている、それをジッとリサは見ている。 
 そこへすっかりお婆さんになったメルがやってきて、リサの頭をペチンと叩いた。 
 
 「あんた・・・・何見てるんだい?。食事ならお茶だろぉ?気が利かないねぇ。そんなんじゃ嫁失格だよ。ヨシ君のお嫁さんならメイド 
長なんだからね、しっかりしなさい」 
 
 「あ! スイマセン・・・・」 
 
 リサは慌てて走っていってボイラーからお湯を落とすと新しいお茶を落として義人に差し出した。 
 
 「あの・・・・執事長・・・・さま・・・・どうぞ・・・・」 
 「ありがとう あと、執事長はよしてくれよ。ヨシで良いよ」 
 
 そう言ってリサが用意したサンドイッチを瞬殺してしまった義人は、リサが差し出したお茶を美味そうに飲む。 
 その所作の美しさは一服の画のようで、その場のイヌもヒトも手を止めて見入るだけの物が有った。 
 
 「あ・・・・皆さん手を止めてもらっては困りますよ、予定通りなら午後は忙しいです」 
 
 そういって義人が口を開くと、キッチンのイヌ達が再び動き出した。 
 義人はそれを確かめると空になったカップをリサに返してあくびを一つした。 
 
 「う〜ん、ちょっと眠いな・・・・あ、そうだ、リサ、あとで御館様に御茶を」 
 「はい・・・・わかりました。あの、いつごろ・・・・」 
 「次の仕事は?」 
 
 その応えはリサではなくメルが答えた。 
 
 「特にこれと言って無いから 好きにしてなよ」 
 
 そう言うとキッチンのスタッフが皆笑った。 
 義人は父の形見の懐中時計に目をやって時間を確かめる、先ほど部屋を出てから30分近く経っている・・・・ 
 
 「今から御館様にお茶を。で、多分寝てるから静かに入ってひざ掛けを掛けてきて」 
 「はい、わかりました」 
 「その帰りに僕の部屋にもお茶を届けてくれる?」 
 「はい! よろこんで!」 
 「じゃぁ頼んだよ、皆さんご馳走様、どうもありがとう」 
 
 はい・よろこんで…そう言って喜色満面のリサ、それをまたイヌのおばさん達が囃し立てる。 
 その声が聞こえていても聞こえていないフリをしてやる事だって義人の仕事の一部だ。 
 キッチンを出て行った義人はネクタイを緩め自室へと入った。 
 
 ヨシにあてがわれた小さな自分の控え室は、必要最低限の生活道具しかない上に窓も小さく質素な物だ。 
 父マサミの使っていた執事公室は未だにポール公が使う事を許していない。 
 この小さな部屋に、父であり先代執事長であるマサミより引き継いだ、様々な道具を収めるクローゼットと寝台を設置し、ヨシは一 
人で寝起きしている。 
 
 他のヒトやイヌの従者達より上等な物が据え付けられているが、やはりヨシが育ったマサミとカナの部屋とは比べるべくもないよう 
だ。 
 
 服を脱いだ義人は布団にくるまって眠ってしまった。 
 少し寒かったが睡魔には勝てなかった。 
 
 ヨシが出ていったキッチンでリサは新しくお茶を入れるとポットに移しポール公の部屋へと入った。 
 ヨシの予想通りポール公はマサミの残した日記をあけたまま膝に乗せて眠りこけている・・・・ 
 リサは日記をそっと机に上げてひざ掛けをそっと掛ける、すると眠っていたはずのポール公が目を覚ました。 
 寝ぼけ眼だったがすぐに正気を取り戻したようだ。 
 
 「リサ、寝ていたのは内緒だぞ?」 
 「はい・・・・でも執事長様が恐らくお休みになられているからと・・・・」 
 
 ポール公は苦笑いして頭をボリボリと掻いた。 
 
 「さすがマサミの息子だな、全部お見通しと言うわけか」 
 
 ポール公はリサが机に上げた日記をもう一度手にとってページを捲った。 
 思わずリサも並んでいる文字列に目を走らせる。 
 そこには先代執事だった誠実の数奇な生涯が書かれていた。 
 
 「リサ・・・・実はな、アリスとも相談したんだが・・・・、ヨシに嫁がないか?」 
 「執事長さまと・・・・ですか?」 
 「うむ、そうだ。リサはヨシが嫌いか?」 
 「いえ!決してそんな事は・・・・ありません・・・・でも・・・・」 
 「ふむ・・・・では、なんだ?」 
 「執事長さまはみんなから慕われています・・・・それにマリア様も・・・・」 
 
 ポール公はリサの顔をじっと見た。 
 リサの顔がほんのり赤くなってリンゴのようだ。 
 
 「マリアも・・・・そうだろうなぁ・・・・」 
 「はい」 
 「しかし、イヌとヒトでは子を成せぬ故な。遊びでなら兎も角、イヌとヒトでは夫婦になれぬ」 
 「・・・・・・・・そうですね」 
 「それ故・・・・どうだ?アリスもそれを望んでいるだろう。あの日、お前がここへ来た日からアリスはよく言っていたよ」 
 「え?」 
 「いつかマサミの子の妻になるようにしっかり育てないとね・・・・とな。アリスはあれでいてカナにライバル心を持っていたようだ」 
 「そうなんですか・・・・奥様」 
 「あまりに良くできたヒトだった故、アリスはよく言っていたよ。彼女には勝てないって」 
 「そんなことは!」 
 
 リサにとって、もう一人の母親だったアリスの言葉は、リサに重い現実を突きつけたようだ。 
 しかし、ポール公が手に取ったマサミの日記には、カナの体験したことが詳細につづられているのだった。 
 
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 「カナコさん、あなたのお子さんは・・・・残念ですが・・・・」 
 「うそ・・・・うそよ・・・・目を開けて、お願いだから・・・・」 
 
 フロミアの医療センター。 
 ヒトの世界でも医師だったと言うヒトの男は聴診器を耳から外すと、小さな子供を包んでいた布で改めて丁寧に包みなおした。 
 まだほんのりと体温が残っているのだが・・・・少しずつ冷えていくのがカナにも伝わる・・・・ 
 
 「うそよ・・・・パパ・・・・ごめん・・・・ごめんなさい・・・・」 
 
 声を上げて泣き始めたカナの肩にカモシカの女性が手を掛けた。 
 この街でヒトの出産に何度も立ち会っているカモシカの女性は、ヒトが子を産むときの壮絶な光景を何度も目にしている。 
 獣人の出産が比較的軽いのに比べ、ヒトの出産はまさに命がけだ。 
 せっかく生まれてきたと言うのに、生後直死したり育たずに命を落とすヒトの子のなんと多いことか。 
 
 「カナコさん。残念ですが・・・・。その子はどうする?埋葬してあげる?それとも・・・・」 
 
 別の女性スタッフが問いかけるものの、カナはブツブツと何かをしゃべりながら放心状態なのだった。 
 医師のヒトはカモシカの女性に視線を送ってから首を振った。 
 
  今日は無理だ・・・・ 
 
 そんな視線だった。 
 
 カモシカやヒトのスタッフに肩を抱えられてカナは自室へ戻った。 
 小さな部屋の片隅。カナの寝るベットの隣にはヒトの世界と同じベビーベットがある。 
 
 鼓動の止まった我が子を抱え慟哭するカナ。 
 彼女のすすり泣く声は一晩中やむ事がなかった・・・・。 
 
 
 翌朝、心配したカモシカの女性がカナの部屋に入ったとき、カナは我が子を抱えたまま座って眠っていた。 
 泣き疲れて目の周りが真っ赤に腫れ上がっている。 
 
 スタッフとしてフロミアに居る獣人の女性とて、我が子を失えば思いは同じだろう。 
 まして、いきなりこの世界へやってきて産んだ子が先天性疾患を病んでいたとなれば、自責の念は相当強いだろう。 
 
 なんと声を掛けて良い物か逡巡した後、恐る恐る声を掛けてみる。 
 
 「おはよう、カナコさん・・・・、朝ですよ」 
 
 カナはそっと顔を上げた。 
 
 「おはよう御座います。すいませんが雨戸を開けてください、ヒトには暗くて見えません」 
 「え?雨戸は開けてあるわよ?」 
 「いじわるを・・・・しないでください・・・・せめて今日くらいは・・・・お願いですか・・・・ら・・・・」 
 「あなた・・・・」 
 
 スタッフの女性がカナへ寄って行って子供を抱き上げたのだが、カナは半狂乱で声を上げた。 
 
 「子供を返して!」 
 
 スタッフの女性は一歩下がったところでカナに声をかける。 
 
 「カナコさん、立ち上がれる?」 
 「真っ暗じゃ無理に決まってるじゃない!ヒトは獣と違って暗闇では目が見えないのよ!」 
 「カナコさん、あなた失明してるかも?」 
 「嘘よ!それより子供を!」 
 「はい、そっと抱いてあげて」 
 
 カナは子供を抱きかかえるとまた泣き始めた。 
 昨日の夜からブツブツと何かを繰り返し喋っているのだが・・・・ 
 
 「カナコさん、お子さんを抱いたまま一緒にこっちに来て」 
 
 スタッフはカナの肩を抱いたまま建物の外に出た。 
 燦燦と降り注ぐ陽光がカナを照らし、太陽のぬくもりが体を温める。 
 
 「カナコさん・・・・光を感じるかしら?」 
 「うそ・・・・ほんとに?」 
 
 少しずつ冷静になっていったのだが、それでも何か動転して落ち着かないで居る。 
 
 「医務室へ行きましょう」 
 
 スタッフに連れられ行った医務室で眼科医の診断を受けるのだが、どこにも異常は見られないのだった。 
 全く異常が無いと言うことは神経かそれとも精神的なものか、そのどちらかなのだろう。 
 CTスキャナーでも有れば脳を直接調べられるのだが、この世界に神の機械が登場するのは、まだまだ未来の話・・・・。 
 
 自室で精神科医のカウンセリングを受けるカナだが、もはや手を付けようの無い精神状態だった。 
 
 「カナコさん」 
 「私は廃棄処分ですね・・・・」 
 「いえいえ、そんな事は有りません」 
 「気休めは結構です。何も出来ないなら娼館にでも売られるのでしょうか?」 
 「売ってどうしますか?私やあなたのように知識のある人間は重用されます、もう少し自分を評価するべきです」 
 「でもそれは健常者の場合よ。目の見えないヒトなどこの世界では・・・・・」 
 
 それっきり黙ってしまったカナ。 
 僅かに震える肩が落胆の大きさを言い表していた。 
 うな垂れるカナが我が子を抱いて体をゆすりながら、また何かうわごとの様にブツブツと喋っている。 
 
 訝しがるスタッフ達を横目に精神科医は頷くばかりだった。 
 カナの両腕の中。 
 2歳児になる筈の子供はあまりに小さい・・・・。 
 
 赤ちゃんより多少大きい程度にしか成長できなかった体で、必死に病と戦ったのだろう。 
 干からびつつある皮膚の表面がひび割れ始め、やがてミイラになってしまうと予想された。 
 
 「カナコさん、昨日から何を言っているの?」 
 
 スタッフの疑問は当然だろう。 
 その答えは精神科医が答えた。 
 
 「子守唄ですよ、ヒトの世界の子守唄」 
 
 目の見えないはずのカナが僅かに顔を上げた。 
 力なく微笑みながらちょっとだけ声を大きくして歌い始める。 
 
 「ねんねんころりよ・・・・坊やのねんころり・・・・ 
 
 
                             ◇◆◇ 
 
 北風の通る音が響くポール公執務室。 
 椅子に座り口髭を弄るポール公と立って聞いているリサ。 
 
 重い話に言葉は少なかった。 
 
 「精神科医の書いた診断書には精神的な部分の理由が大きいとあったそうだ」 
 
 ポール公は冷え始めてるお茶を飲み干してカップを皿に置いた。 
 空になったカップにリサが再び湯気の立つお茶を注ぎ、ポール公は手にとって手鍋を始める。 
 
 「イヌもそうなのだが、あまりに落胆が大きいと光を失ったり、或いは死んでしまったりする」 
 「落ち込むと死んでしまうのですか?」 
 「あぁ、それは歴史の上にも何度か出てくるよ、全てを失った者が落胆の余り死んでしまうといった話がね」 
 
 驚くリサを横目にポール公は上手そうにお茶を飲むと、再び日記のページを捲った。 
 わざわざ項を改めてマサミが記したもの。 
 それはリサの処置だった。 
 
 「ヒトを繁殖させ、教育し、商品として出荷する。その一連の作業についてフロミアは良くできた施設だ」 
 
 ポール公は恐ろしい事を平気で口にする。 
 リサにとってフロミアとは生まれ故郷であるのだが、それを本人はまだ知らないで居る。 
 
 「そして、この世界で生まれたヒトにとってフロミアは小さなヒトの世界だ」 
 「遠いところにあるヒトの世界のミニチュアなのですね」 
 「そう言うことだな」 
 
 ポール公はひざ掛けを下ろして立ち上がると窓辺へと歩いて行った。 
 窓の外は激しい吹雪になっている。 
 眼下では除雪チームが腰に命綱を巻いて班毎に除雪用のラッセル馬車を走らせていた。 
 
 「ヒトの知識はこの世界にとって貴重なものだ。それ故にフロミアではヒトの世界と同じ教育が施され、フロミア出身のヒトは各国 
の知識階級にとっては、どうしても手に入れたい商品になっているのだよ」 
 
 一歩下がって振り返ったポール公は笑みを浮かべてリサを見た。 
 
 「リサ。お前もあの街出身かもしれないな」 
 「え?・・・・そう言えば御館様。カナさんはその後・・・・」 
 「あぁ、そうだな、続きだ」 
 
 ポール公は再び椅子に腰掛けページを捲った。 
 
 
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 「止まれ!通行証を見せろ!」 
 
 カモシカの国からネコの国と向かう摩天街道の入り口。 
 検問所で待ち構えるカモシカの査察官がチラリと馬車の中を見た。 
 ヒトの女性と付き添いの男性医師。それから、輸送担当の騎士。 
 
 「行き先と目的は?」 
 「行き先はネコの国の先進医療研究センター。目的は失明治療だ」 
 
 通行証を見せた騎士は胸を張ってそう答えた。 
 
 「よろしい、通行を許可する」 
 
 パカパカと馬車が進み始め、揺れる幌の中でカナは再び睡魔と闘い始める。 
 
 
                             ◇◆◇ 
 
 
 明るい光のあふれるフロミアの医療センター。 
 ここに詰めるヒトの医師が何人か集まって協議した結果、ここでは手に負えないと言うことで大病院への搬送が決まった。 
 
 「カナコさん、ネコの国にヒトの世界の知識を活用した先進医療センターがあります。そこへ行きましょう」 
 
 カナを診断していたヒトの意思は唐突にそう言った。 
 驚くカナやカモシカの女性達を他所に、医師達は続けて言った。 
 
 「あそこにはこの街で育てたヒトの医師が何人か居る筈です。ネコの国だけに奴隷扱いでしょうが、ここには無い機材があります」 
 「あの、そこで何を?」 
 「あなたの目が見えない原因を探ります」 
 「でも、目が見えたところで」 
 「忘れましたか?あなたの知識が必要なヒトも居るのですよ?あなたの数学知識はこの世界のヒト随一でしょう」 
 
 数学に関して素晴らしい力を持つカナの頭脳は、カモシカの官僚たちも期待している部分が大きいらしい。 
 効率よく知識の再分配を進めるため、病気を理由にカナから子供を取り上げる話も管理側から出たそうだが・・・・。 
 治療と称し隠密裏に殺してしまうというのは良くある話だそうだ。 
 
 しかし、それでカナがおかしくなってしまっては元も子もない。 
 数学の授業を行う条件として子供の治療を行う事をカナは要求していたのだった。 
 
 その交換条件が崩れ、さらに光を失ってしまった以上、カナを廃棄してしまうに足るだけの理由な筈。 
 しかし、失明治療をネコの国にまで行って行うというのは、まだカナに使い道がある証拠なのだろう。 
 視界の無い世界で連続して馬車に揺られ単調な音を聞かされては、眠くならない方がおかしい。 
 亜麻色の上等な布に包まれた我が子を抱いて、カナは何時まで続くとも分からない旅に出たのだった。 
 
 
 「先生?どれくらいで到着するのですか?」 
 「そうですね良いとこ5日と言うところでしょうか」 
 「この子が生きているうちに連れて行きたかったです・・・・」 
 「カナコさん・・・・申し訳ありません」 
 「いえ、先生が謝る事ではありません。私がちゃんと生んでいれば・・・・」 
 「自分を責めても得られるものは少ないです。それより次の一手を考えましょう。なんせあの街では、使い道を失ったヒトにはあま 
りに辛い仕打ちが待っていますからね・・・・」 
 
 次の一手。 
 それが何を意味するのか、分からない訳ではない。 
 
 フロミアはヒトを繁殖させる為の施設だ。 
 子供を生み育てる事に抵抗は無い。ただ、そこにあるのは見ず知らずの男の子を孕む事への嫌悪感だった。 
 種付けと呼ばれる作業の内容を理解できない歳でもないし、必要性を理解できない訳でもない。 
 しかし、それを行わねば自分が生きて行く事の担保にならない事は嫌でも理解できる。 
 
 でも・・・・・ 
 
 「マサミさん・・・・」 
 
 目を閉じた所で光を感じてないのだから、何も変わりはしないのだが・・・・ 
 それでも、閉じたまぶたの向こうに愛する夫の姿をイメージした。 
 
 「カナコさん。何か言いましたか?」 
 「いえ、独り言です」 
 「そうですか」 
 
 ガラガラと走る馬車の中。 
 御者の椅子に座るカモシカの男が声を上げた。 
 
 「トラの男が乗る馬車だよ・・・・フロミアに納品かな?」 
 
 ヒトの医師が幌から頭を出す。 
 
 「へぇ〜。きっとトラの商人だね。頼んでおいた薬は来たのかなぁ・・・・」 
 
 すれ違う2台の馬車。 
 そこに夫婦が別れて乗っていたのだと知るのは未来の話なのだが・・・・ 
 
 
 
 数日をかけて馬車の揺れに酔いながらも、カナはネコの国の医療センターに到着した。 
 数人のヒトの医師が出てきてカナを出迎えた。 
 
 「カナコさん、先進医療センターにようこそ。ここはヒトの世界の大病院並みに設備がありますよ」 
 
 カモシカの男に手を添えてもらったカナは馬車から降りると頭を下げて挨拶した。 
 
 「お手間を取らせます、よろしくお願いいたします」 
 「さて、早速診断しましょう・・・・あれ?こちらのお子さんは・・・・」 
 「すいません、私の子です、先日・・・・死んでしまったのですが・・・・手放せなくて・・・・すいません」 
 「いえ、大変なご苦労をされていますね。心中お察し申し上げます」 
 
 数人の医師がカナの手を取って建物へと連れて行った。 
 ネコの国の片隅にある先進医療センター。 
 それはラムゼン商会が入手した高度医療機器を集めたヒト専門の医療機関でもある。 
 利に聡く商才に長けるネコの富豪が開設した、金持ちの主人が奴隷のヒトを治療する為に作った病院だった。 
 
 実際の話として、ここはヒトの世界で言うところのペット病院なのだろう。 
 愛玩商品として流通するヒトの総合医療機関として、この施設は様々に機能していた。 
 
 「カナコさん、まずは脳波を計りましょう。あとはCTスキャンです、ここなら何でもありますよ」 
 
 4人ほどの医師団がその場で編成され様々な検査が始まった。 
 
 「カナコさん、お子さんをお預かりしてもよろしいですか?」 
 「え?でも・・・・」 
 「どこへも持って行ったりはしませんよ。お子さんもお母さんが病気ではきっと心配します」 
 「でも、子供は手元に・・・・」 
 「カナコさん、お子さんをまだ抱いていられるように、私どもで処置を致します。現状では少々・・・・難がありますから」 
 「分かりました、お願いします」 
 
 ずっと抱いていた子供を手放したカナ。 
 何か一つ、物事が前進したような感覚なのだが・・・・ 
 
 半日かけてアレコレ検査した結果、カナの目に関する部分でどこにも異常が無い事が分かった。 
 もはや医療ではどうしようもない。ある程度わかっていた事なのだが、それでも医師団の診断結果は現実なのだった。 
 
 「カナコさん、明日になったらもう一度じっくり視神経を検査しましょう」 
 
 医師団の言葉に現実へと引き戻されたカナ。 
 フロミアから一緒にやってきた医師が丁寧に処理されたカナの子を返した。 
 
 「カナコさん、お子さんの御遺体は防腐処理を施しました。あなたが埋葬するまで、お子さんはそのままの姿です」 
 「ありがとうございます・・・・ありがとうございます・・・・ ごめんね、お母さん、あなたがいないと・・・・」 
 
 幸せそうに眠る子供の遺体を抱えてカナは再び涙を流し始めた。 
 
 「カナコさん、あなたの目に再び光が差し込むよう、私達は全力を尽くしましょう」 
 
 医師団の力強い言葉に励まされたカナは旅先の部屋へと案内された。 
 身の回りの世話役につくカモシカの女性が部屋で待っていた。 
 
 「奴隷であるヒトの手伝いをさせるとは・・・まこともって御迷惑をおかけします」 
 「何を言ってるのよ、気にしないでいいわよ」 
 「恐れ入ります。あと、もう一人この部屋にいらっしゃる方は?」 
 
 驚くカモシカの女性の隣。 
 耳だけをピクピクと動かすネコの男が一人・・・・ 
 
 「よく気が付きましたね。当院の医長を務めるリカルド・レーベンハイトと申します、面倒なんでリコと呼んでください」 
 
 しわがれた年寄りのような声でレーベンハイトは答えた。 
 毛艶の失われつつあるネコの年寄りなのだが、目だけはギラギラと輝いているのだった。 
 
 「ネコの医長さまですか?」 
 「その通りです、カナコさん、あなたの目の医療に興味が湧いて久しぶりに巣穴から出てきました」 
 「私の目でしたらお好きなようにお調べください」 
 「えぇ、そうさせていただきます。そして・・・・私の願いを聞いてくれませんでしょうか?」 
 「はい、なんでしょうか?私に出来る事なら」 
 
 レーベンハイトはゆっくり立ち上がるとカナへ近づいた。 
 大きく優しい手がカナの肩に触れる。 
 
 「私は色事好きなネコですが、これだけは安心してください。私はあなたを犯そうとか手篭めにしようとか、そう言う意思は有りま 
せん。ただね、話し相手になって欲しいのですよ。妻に先立たれ息子や娘達は皆独立しそれぞれの家族と共に暮らしています。ネコの 
長い長い生涯では退屈しきっておりましてなぁ」 
 
 カナは静かに頷いた。 
 
 「私の聞くところに寄れば、ネコの皆さんは600年近い生涯なんだそうですね。さぞかし退屈なのでしょう」 
 「えぇ、その通りです。ご明察ですな」 
 「そんな事は・・・・。それより、私から何を聞きたいのでしょうか?」 
 「ヒトの世界の知識です」 
 「そのような物をどうされるのですか?」 
 「実はね・・・・荒淫の果てに交わる手段を失った私の興味は房事ではなく知識になりました。知らない事を知りたいだけです」 
 「なるほど、かしこまりました。知的好奇心を満たすのですね。私でよければ知る限りの事を」 
 「ありがとう」 
 
 二人の間に契約が成立したかのような印象を与える会話。 
 これが後に大きな意味を持つ事になるのだが・・・・ 
 
 
                             ◇◆◇ 
 
 
 吹雪の音が一段楽した頃、ポール公の部屋のドアが開き、ヨシがやってきた。 
 
 「御館様。おかげさまでさっぱりしました」 
 「おぉ、そうか。お前もここに来て話を聞くか?」 
 「何の話でしょうか?」 
 「お前の母の話だ。マサミが生前に私にもアリスにも言わなかった事を日記に残していたよ」 
 「・・・・そうですか。それでは是非」 
 「うむ。リサ、椅子を用意するのだ。立ちっぱなしでは辛かろう」 
 「かしこまりました」 
 
 リサが椅子を二つ手に持って来た。 
 ヨシと並んで座るのだが。 
 
 「リサ、ずっとここに?」 
 「うん。実はお話が面白くて」 
 「・・・・そっか」 
 
 残念そうなヨシをニヤニヤしながらポール公は眺めた。 
 
 「秘密の逢引を邪魔したかな?」 
 「いっ!いえ!そんな事は!」 
 
 必死で否定するヨシだが、ポール公は笑っている。 
 
 「リサ、お前とヨシにもお茶を入れたらどうだ?」 
 「はい、ではそのように」 
 
 静かに立ち上がって二人分のお茶を注ぎ並べるリサ。 
 一つ一つの動きが優雅で、それで居て無駄が無い。 
 その仕草をヨシは何となく眺めていたのだが・・・・ 
 
 「リサの手つきを見てると母さんを思い出すなぁ・・・・」 
 「え?」 
 
 思わず手を止めるリサ。 
 ちょっと赤くなって恥ずかしがっている。 
 
 「ヨシはリサにカナの幻想を見ているのかもしれんな」 
 「御館様・・・・ヨシさんのお母様は・・・・」 
 
 ポール公は上手そうにお茶を啜ると目を閉じて、記憶の糸を手繰り寄せ始めた。 
 少しずつ記憶の階層を遡って行き、ややあって記憶がたどり着いた先には・・・・・ 
 
 「ちょっと話が急展開するが・・・・まぁ、そう言うもんだと聞けばよい。いいか?」 
 
 話を聞く二人は顔を見合わせた後で頷いた。 
 
 「マサミはコウゼイとルカパヤンを出てネコの国の先進医療センターへと向かったのだが・・・・・・ 
 
 
***********************************************************3*********************************************************** 
 
 
 カモシカの国の摩天街道を走る事3日。 
 コウゼイの馬車がたどり着いたのは、ネコの国の首都から程近い小さな街。 
 
 文明を謳歌するネコの国と言う事も有って、大通りは様々な商店が軒を並べ活気に満ちている。 
 そして、一歩裏通りへと入れば、そこはベットタウンでありミッドタウンであった。 
 吹きぬけていく風は冷たいが、それでも午後の日差しを浴びて小春日和な陽気の日。 
 
 マサミとコウゼイの乗る馬車は、大通りの混雑を避け裏通りへと入り、先端医療センターへ向けて行き足を速めていたのだが・・・・ 
 何気なく周囲を見物していたマサミは路面電車の通り抜ける先に見えた、豪華な邸宅の庭先に釘付けになった。 
 
 「嘘だろ・・・・」 
 
 マサミの虚ろな眼差しの先。うら若きヒトの女性がテラスでお茶を飲んでいる。 
 医療センターのオーナーが住む豪邸の庭先に、瀟洒なテラスが設えられてあった。 
 大切そうに、清潔な大布に包まれた子供を抱えて・・・・・ 
 
 凍りついたようなマサミを見てコウゼイは馬車を止めたのだが、最初はその理由を理解できないで居た。 
 しかし、ブツブツと何かを言うマサミを見ながら、その視線の先に座るヒトの女性を見て、その意味を理解したようだ。 
 
 「おい、マサミ!あの女性(ひと)が・・・・そうなのか?!」 
 
 呆然としていたマサミだったが、力なく頷くと同時に涙を流していた。 
 首に回したネックレスを取り出し、二つのリングを握り締める。 
 
 「はい・・・・そうです・・・・信じられない・・・・」 
 
 そうかそうかと頷いたコウゼイは馬車のブレーキをかけると、幌の中から上等な上着を取り出して袖を通した。 
 
 「マサミ、ちょっと待ってろ」 
 
 コウゼイは馬車を飛び降りてアポ無しの突撃交渉に出向いていった。 
 通用口の戸を叩き、家政婦を呼びつけてあれやこれやと交渉している。 
 
 そこから視線を移せば、ネコの老紳士が楽しそうにカナと談笑しているのだった。 
 建物から家政婦と思しき人が出てきてネコの老紳士の耳元に何かを告げる。 
 ネコの老紳士は立ち上がるとカナに一声かけて建物に入っていった。 
 家政婦はカナのカップに新しいお茶を注ぐと、間を持たすために何か世間話でも始めたようだ。 
 
 しばらくしてコウゼイが戻ってくるなりマサミにそっと囁いた。 
 
 「テラス側から直接入って良いそうだ。さぁ行くぜ!気合入れていけよ!」 
 
 マサミは馬車から降りてテラスへと歩いていく。 
 なにか雲の上でも歩いているかのような、不思議な浮遊感があった。 
 一歩踏み出すと同時に一歩空へと歩みだすかのような錯覚。 
 馬車からテラスへの10mが1kmにも2kmにも感じられた。 
 
 生垣のフェンスに作られた小さな扉を開けてマサミは中へと入る。 
 途端にカモシカの女性の鋭い視線がマサミを貫いた。 
 しかし、今のマサミにはそんな事は大して気にならない事だ。 
 
 視界を失い空中の一点を見つめたまま、カナは子供をあやすように揺すっている。 
 ボディガード兼監視役であろうカモシカの女性は、腰の短剣に手を掛け警戒を強めた。 
 しかし、ほとばしる緊張を解いたのは、館の主たるレーベンハイトの一言だった。 
 
 「カナコさん、あなたにお客さんですよ」 
 「え?私にですか?なぜ?」 
 
 それほど大きくないテラスの先。 
 冷え込みつつある季節となったが、それでもここへ降り注ぐ光にはまだまだ温もりを感じる時間帯。 
 
 いい香りを撒き散らすお茶のカップを置いたカナは、我が子を抱いたまま立ち上がった。 
 
 「恐れ入りますが・・・・どちら様でしょうか?。生憎、私には尋ねて来て頂くような方は一人もいないと思いますが・・・・」 
 
 マサミは声もなく落ち葉を踏んでテラスへと入っていった。 
 レーベンハイトは気を使ったのか、テラスの隅に腰掛けて目を閉じてしまった。 
 
 「あの・・・・」 
 
 カナはまだ相手が誰だか分らないで居る。 
 
 「カナ・・・・随分探したよ・・・・」 
 
 なんと切り出して言いものか・・・・ 
 マサミが何とか口の出来た言葉は、妻の名前だった。 
 
 「うそ・・・・」 
 
 視界を失っているはずのカナだが、そのまぶたは大きく開き、瞳は声の方向を見つめた。 
 何かを必死に言おうとしているのだろうが、唇は震えるばかりで言葉にならない。 
 
 「嘘じゃないよ」 
 
 マサミはテラスの上に上がりカナの肩を抱いた。 
 華奢な肩が僅かに震えている。 
 
 「嘘よ・・・・、そんな筈が・・・・」 
 
 光を失ったまなじりから涙が溢れ出す。 
 冷静を装っていた筈なのだが・・・・ 
 
 「カナ・・・・、やっと見つけた・・・・」 
 「マサミさん・・・・」 
 「カナ・・・・俺の・・・・俺の子だよな?」 
 「ごめんなさい・・・・ごめんなさい・・・・・」 
 
 子供ごとマサミはカナを抱きしめた。 
 力いっぱいギュッと抱きしめたマサミがハラハラと涙を流す。 
 その光景にカモシカの女性もコウゼイも涙している。 
 
 「ごめんね、ごめんね、私達の子が・・・・」 
 「良いんだ、よく頑張ったね、カナ。君が生きていてくれる事が何より嬉しい」 
 「マサミさん・・・・・嘘みたい・・・・」 
 
 マサミはカナの頬にそっとキスした。 
 
 「カナ、今日はクリスマスだ。奇跡には不自由しないさ」 
 「ばか・・・・ダイハード2じゃ無いんだから・・・・。でも、この子はもう・・・・」 
 「あぁ、いいさ。俺の子は生きていようと死んでいようと・・・・一目見られただけで俺は満足だ」 
 「ありがとう・・・・」 
 
 二人の間、防腐処理された子供を抱きしめたせいだろうか・・・・ 
 子供の目から汁が出てきた。 
 それはまるで泣いているかのように・・・・・ 
 
 「さぁ、家に帰ろう。小さな家だが、俺には我が家がある」 
 「うん・・・・・」 
 
 その一言で周りが一斉に色めきたった。 
 家に帰ると言う意味は何か。それによって二人の処遇は大きく変わるのだろう。 
 夫婦である二人だが、夫はイヌの国の貴族の執事であり、妻はフロミアの所有物なのだ。 
 
 「カナコさん、それは・・・・・!」 
 
 カモシカの女性スタッフが駆け寄ろうとしたものの、その肩をコウゼイが引きとめた。 
 女性とは言えカモシカの体躯はそれなりの力を持っているのだが・・・・・ 
 肩の骨を握りつぶしそうな程の握力が、女性の肩を万力のように締め付ける。 
 
 「無粋な事は言いなすんなって。やっと再開した二人じゃねぇか」 
 「そう言うわけには行かないわよ!」 
 
 慌てふためく女性とどっしり構えるコウゼイ。 
 奇妙なコントラストをみせている。 
 
 「せっかくの感動的なシーンなんだ。大目に見ろって」 
 「勝手に出て行ったとなれば私が処分されるし、それに何より・・・・」 
 
 一瞬にやりと笑ったコウゼイだが・・・・ 
 
 「あのなぁ・・・・俺が言ってるのはお願い事じゃねぇ・・・・」 
 
 突然コウゼイの声色が変わって、恐ろしいトラの唸り声になっている。 
 傭兵課業で闘ってきた男の眼差しに、怒気と殺気が混じっていた 
 
 「あんたが困るのはてぇへんだ。面倒だしな。なんなら・・・・」 
 
 コウゼイの懐から巨大な拳銃が姿を現す。 
 
 「ここで脳みそぶちまけて死ぬか?問題事は・・・・はいさようならだぜ?」 
 
 黙って話を聞いていたリコが口を開く。 
 
 「トラの旦那さん。あなたも随分勝手な事を言うね。ここでヒトが居なくなったとあっては私も仕事上の信用に関わります」 
 「おぉ、そうだろうなぁ。ただなぁ、生憎俺はネコの都合は聞かねぇ主義なんだよ」 
 「はっはっは、随分とネコも嫌われたものだな」 
 
 レーベンハイトは立ち上がるとカナへ近づいていった。 
 
 「カナコさん。ここを出て行きますか?」 
 「あの・・・・」 
 
 返答に困ったカナに代わりマサミが答えた。 
 
 「妻がお世話になり感謝の言葉もございません。ですが、謝意を述べる前に一つだけ言わせてください」 
 「えぇ、どうぞ。伺いましょうか」 
 「妻の名はカナです、カナコでもマナコでもありません」 
 「そうですか、それは失礼した、では、改めてカナさん」 
 
 リコがそこまで行った時カモシカの女性が口を挟んだ。 
 
 「カナでもカナコでも良いけど、勝手に連れて行かないで欲しいんだけ・・・・・」 
 
 最後まで言葉を言いきる前に、カモシカの女性は言葉を飲み込んでしまった。 
 恐ろしく冷たい視線を浴びせるマサミの眼差し。 
 低く喉を鳴らすコウゼイのスカーフェイスが牙を剥いて威嚇している。 
 しかし、もっとも恐ろしいのは、リコの細く線を引いたような目から僅かに見える瞳がこれ以上無い殺気を含んでいた事だ。 
 
 「あなたにはあなたの都合があるでしょうけど、ここは私の家だし、私が客人をどうしようと私の勝手だ」 
 「しかし、そのヒトの女性は!」 
 「だから・・・・なんだと言うのだね?」 
 「え?」 
 
 レーベンハイトは自らの椅子に腰をかけると、カップに残っていたお茶を飲み干した。 
 鼻に乗せていた片眼鏡を外しポケットから取り出したハンケチで綺麗に拭き、再び鼻に乗せる。 
 
 「ここはネコの国で、その中のネコの家に客人として来たヒトの女性について話をしてるのだ。あなたの意向は私には関係ない」 
 
 カモシカの女性は一瞬言葉を詰まらせた。あまりに横暴でエゴ丸出しな話。 
 しかし、言ってる本人はいたって真面目にそれを論じている。 
 
 「ネコは欲望に忠実だ。私は私の求め欲する物の為に如何なる努力をも惜しまないつもりだ」 
 「つまり・・・どうだと言うの?」 
 「簡単な話だ。この女性は継続治療と言う事で私が預かる。それだけだ。あなたにはお引取り願おうか」 
 「なんですって!この・・・・」 
 「泥棒ネコとでも言うのかね?うん?」 
 「・・・・・・・・だからネコは嫌いなのよ」 
 
 レーベンハイトの冷笑はとどまる事を知らなかった。 
 
 「正直だね、結構だ。大いに結構。嫌いで結構だよ。偽善は世を腐らす毒だ。私もはっきり言おう。もはやカモシカの国に用は無い。 
これからカモシカの国にあるネコの投資がドンドン引き上げるだろう、君の国はこれからますますどん底へ落ちていく事になる。そう 
遠くない将来、イヌの国に蹂躙されるんじゃないかね?。まぁいい、カモシカの国で私も大きく儲けたよ。ここの設備も信用もその時 
代に培ったものだ。搾取されるだけの奴隷の国にもはや用はないのだ。とっとと失せたまえ。私はこのトラの旦那に仕えるヒトの男と 
その妻に興味が移ったのだ」 
 
 歯軋りをするカモシカの女性は激昂してテラスを出て行った。 
 流石に唖然とするカナだが、マサミもコウゼイも平然と見送っていた。 
 
 「レーベンハイトさん」 
 
 カナの肩を抱いたままのマサミが口を開いた。 
 
 「御主人、なんですかな?」 
 「先ほどに続き、もう一つ訂正していただきたい」 
 「えぇ、どうぞ」 
 「私の主はル・ガル王政公国南部スキャッパー領主アリス・スロウチャイム女公爵です。私はスロゥチャイム家全権執事です」 
 「それは失礼した。では執事殿、改めてお名前を伺いましょう。私はリカルド・レーベンハイト。けちな街医者の端くれだよ」 
 「けちな街医者とは異な仰せですな。手前、姓はマツダ、名がマサミ。主にも多くのイヌにもマサミと呼ばれております」 
 「では、マサミ殿。そちらのあなたの奥さんを私の従者としたいのだが、いかがですか?」 
 
 マサミはカナの肩をグッと抱きしめてキッパリと言い切った。 
 
 「それはお断りいたします。いかな理由があろうとこの女性は私の妻であり、私がイヌの国の貴族の持ち物である以上は、手前の主 
の了解無しにそのような契約を結ぶ事は主を裏切る事になります。どうしてもと言うのであれば、私はこの場で妻をこの手に書け自ら 
も命を絶ちましょう」 
 
 「ホッホッホ、勇ましい事ですな。しかし、あなたとあなたの妻を夫婦とする証はありますかな?見たところエンゲージリング一つ 
有りはしませんが?」 
 
 カナの表情がフッと曇った。エンゲージリングの行方を知らない故だろう。 
 見えない筈の眼差しをマサミに向けてカナは囁いた。 
 
 「ごめんなさい、この子の為に薬を買おうと思って手放したの・・・・」 
 
 マサミはニヤッと笑うとカナの頬に手を寄せ、顔を近づけて皆にも聞こえるように言った。 
 
 「貴金属は非常時にお金に代えて使うよう買うものだ。それは本来の使い方だよ」 
 「でも・・・・私たちの・・・・・」 
 
 そこから先はレーベンハイトが口を開く。 
 
 「手放したにせよ、なんにせよ、今ここに無いものは無いのですから、それでは証明になりませんな・・・・」 
 
 年老いたネコはニヤリと笑うのだが、それを見たトラの男がニヤリと笑った。 
 
 「あんまり余裕風吹かせねぇ方が良いんじゃねぇのかな。なんせこのヒトの男はよぉ・・・・」 
 「コウゼイさん、それは言いっこ無しですよ。まぁ・・・・」 
 
 マサミは懐から再びネックレスに通した二つのプラチナリングを取り出した。 
 
 「私と妻を結ぶ愛の証をここに」 
 「うそ!」 
 「嘘じゃないさ。俺はあの時、稀代のトリックスター、ガリラヤの湖上を歩く男に誓ったんだぜ?生涯妻を守るとね」 
 
 ネックレスから二つのリングを外すと、自分用のリングをカナに手渡し、妻の為のリングを薬指へと押し込んだ。 
 カナは子供を抱いたまま、マサミの指へエンゲージリングを押し込む。 
 二人の指に同じ輝きのリングが光っている。 
 
 「レーベンハイトさん。これでよろしいかな?」 
 「ハッハッハ!これは恐れ入った。いやいや、ヒトと言う生き物は本当に摩訶不思議で面白い。実に面白い!」 
 
 ネコの老紳士は椅子から立ち上がり二人へと近寄った。 
 マサミとカナの指に光るリングをシゲシゲと眺める。 
 
 「この輝きは素晴らしいですなぁ。うん、よろしい、私は決めたよ。マサミ君、君は妻を連れてイヌの国へ帰りたまえ」 
 「よろしいのですかな?それをすればレーベンハイトさんの信用が・・・・色々と問題では?」 
 「そんな事は大して問題じゃない。ネコにとってカモシカの国にもはや用はないのだ。ただ、あなたの妻の治療はここでしばらく続 
けるのが条件だ。私も興味があるのでね」 
 「えぇ、そう言う事なら良いでしょう。むしろよろしくお願いします」 
 
 視界を失ったカナが自らの指に納まったエンゲージリングを触っている。 
 
 「これをどうやって手に入れたの?」 
 「ここまで一緒に来てくれたトラの宝石商が持っていたんだ。妻のだと言ったらくれたんだよ」 
 「その方はどちらに?」 
 
 テラスの片隅に居たコウゼイが歩いてきてカナの前まで来た。 
 
 「カナさんだな?俺はトラの国で宝石商をしているコウゼイってもんだ。覚えておいて欲しい」 
 「あの・・・・コウゼイさん。わたし、残念ですが目が見えません。お顔を触らせていただいてもよろしいですか?」 
 「あぁ、きたねぇ顔だが好きなだけ触ってくれ」 
 
 カナは我が子を何も言わずにマサミに手渡した。 
 亜麻色の上麻布に包まれた我が子を抱きしめて囁く。 
 
 「息子よ、パパだよ。お前に会いたかった」 
 
 カナはコウゼイの顔に手を伸ばした。 
 柔らかな女性の手がコウゼイの顔を撫でていく。 
 
 「大きなネコと言ってよいのですね。立派な耳をされています。あれ?この傷は・・・・」 
 「あぁ、これか?こりゃぁカナさん。あんたの旦那の主が最近結婚したイヌの貴族と昔戦場で切りあった時に付いたもんですわ」 
 「戦場?」  
 「えぇ、おれっちは傭兵だったんだわ。そんでな、あんたの旦那の主が結婚した夫とガチで大喧嘩したって訳さ」 
 「そうなんですか」 
 
 カナは手探りでマサミの方へ歩いてきた。 
 
 「わたし・・・・」 
 「目が見えないんだろ、知ってるよ。前もって調べが付いていた」 
 「この子の名前をどうしようかと考えていたんだけど・・・・実はまだ名無しなの。あなたが名前を付けてあげて」 
 「カナ・・・・大変だったね。名前か・・・・じっくり考えるよ」 
 「ゔん・・・・」 
 
 マサミに抱きついたカナが泣き始めた。 
 今の今まで必死に繋ぎ止めていた心の糸が切れたのだろうか。堰を切ったように泣きじゃくるカナを抱きしめてマサミが言う。 
 
 「俺は今、イヌの国の一地方を改革している。どん底のイヌの国を変えたいんだよ」 
 「どん底?そんなに酷いの?」 
 「あぁ、多分・・・・江戸時代位の地方農村だろうね、いや、もっと酷いかも知れない。餓死者と凍死者が普通に出る国だ」 
 「酷いね・・・・」 
 「あぁ、だから俺はその国を変えたいんだ。手伝って・・・・くれるよね」 
 「うん。もちろん」 
 
 落ち着きを取り戻したカナを椅子に座らせたマサミに、レーベンハイトは声を掛ける。 
 
 「マサミさん、あなたと奥さんのエンゲージリング、外してまた懐に納めておくべきだな。手癖の悪いネコが指ごと切り落とすかも 
しれんし。リング目当てでヒト掠いにやられるかもしれん」 
 「案外物騒なんですね、ネコの国も」 
 「まぁな、自由の国だから何でもやらかすさ。ネコはね、退屈が嫌いなんだよ」 
 「長い人生、確かにそうかも知れませんな」 
 
 ネコの紳士は再び椅子に腰掛けた。懐から取り出したメモ帳のページをめくり・・・・と思ったらPDAだった。 
 
 「ネコの国は本当に凄いな・・・・PDAがあるのか」 
 「ぴーでぃーえー?それは何かね」 
 「レーベンハイトさんの持ってる機械ですよ。ヒトの世界ではPDAと呼んでます」 
 「あぁこれか。猫井技研の最新型だよ。ちょっと高かったけどなぁ・・・・、あ、あと、私のことはリコと呼びたまえ、面倒だろ?」 
 「分かりました、リコさんで良いですね?」 
 「あぁ、結構だ」 
 
 レーベンハイトの指に生えた爪はまさに猫爪で、ボタンを操作するときはニュッと伸び、画面をタッチするときは指の中に仕舞われ 
るようになっていた。 
 
 「その指と爪は便利ですね」 
 
 マサミはしげしげと眺めて口を開く。 
 
 「ネコはこれで国を大きくした。・・・・よし、決まった。カナさん、明日から細かく検査をします。3日で結果を出しましょう」 
 「よろしくお願いいたします」 
 
 PDAの蓋を閉め懐に収めたレーベンハイトは笑ってカナにそう言った。 
 物の見えないカナではあるが、音を頼りに発言者の方向を見る事は出来るようだ。 
 
 「うむ、で、そちらのトラのかた」 
 「俺に何かようか?」 
 「えぇ、そうですとも。あなたの用事は他にもあるのでしょう?」 
 「まぁ、そんなところだが?」 
 「3日で片付けてください。4日後にカナさんを連れてここを出立します」 
 「ちょいまち、あんたも行くってぇのか?」 
 「それは異な事を。私はカナさんの主治医だが?主治医の権限であのカモシカの女を追い返したのだが、何か変かね?」 
 「他の種族ならともかくよぉ、ネコがル・ガルにへぇったとなりゃぁ問題だぜ」 
 「あぁ、なるほど。でも、それも面白そうですな。駄目なら帰ってきましょう」 
 
 テキパキと物事を進めていくネコの紳士は、全部の予定を決めてから指を鳴らしメイドを呼んだ。 
 
 「皆さんにお茶をもう一杯。それと今夜8時に医者は全員ここに集めるよう指示を出しておきなさい」 
 「はい、旦那様」 
 
 レーベンハイトは空を見上げた。冬が近づくこの地の空は突き抜けるような群青だった。 
 
 
                             ◇◆◇ 
 
 
 吹雪の音はいっそう激しさを増し、ポール公の執務室は温度が下がり始めた。 
 ヨシは部屋の片隅にあるスティームパイプのバルブを緩め窓にはカーテンを引いた。 
 
 「今夜は相当荒れるであろうなぁ・・・・除雪チームの連中が凍傷にならぬと良いが」 
 「御館様、大浴場の掃除を繰り上げ3時から入浴できるようにしましょう、除雪担当の人が暖まれるように」 
 「うむ、そうしよう。ヨシ、すぐに手配しろ」 
 「はい」 
 「あと、リサ」 
 「はい」 
 「今夜のメニューにスープ物を追加するようキックに伝えよ。それから、今宵は水割りではなく湯割りを出すのだ」 
 「かしこまりました」 
 
 ヨシは立ち上がってティーセットを片付け始めたが、ヨシの持った皿をリサが取り上げテキパキと片付ける。 
 
 「これは私がやるから」 
 「・・・・あぁ、分かった、頼む」 
 「うん・・・・」 
 
 日記をそろえ書家に納めたヨシは一礼して部屋を出て行った。 
 リサも部屋の隅まで行ってドアを開け一礼したとき、ポール公は声を掛けた。 
 
 「リサ・・・・」 
 「はい?なんでしょうか?」 
 「いや・・・・すまん、何でもない。キッチンを頼むぞ」 
 「はい」 
 
 一礼して出て行くリサを見ながらポール公の脳裏に、遠き日の若々しいリカナを思い出していた。 
 テキパキと仕事を進めいつも笑顔だったカナの姿。 
 
  −マサミ・・・・ 
  −カナの容姿はマヤに、心はリサに受け継がれたかもしれんな・・・・・ 
 
 窓の外、ラッセル馬車の羽根を広げ大通りを掛けていく鈴の音が響いている。 
 スキャッパーにクリスマスが近づいていた。 
 
 
**********************************************************4************************************************************ 
 
 
 真綿色の雪帽子をかぶった針葉樹が並ぶ山並みは、白と黒の見事なコントラストでどこまでも続いている。 
 一年もあと1週間で終わりになったスキャッパーでは、クリスマスのプレゼントを積んだ馬そりが仕立てられ、ロッソムの町を中心 
にスキャッパー全地域の子供達へ信念のプレゼントを配る手はずになっていた。 
 
 ヒトの執事が持ち込んだクリスマスを祝う文化は、キリストに対する敬虔な祈りなどではなく、新たに国を支える事になる子供達へ 
甘いお菓子を配って、愛国心と忠誠心を植え付ける事務的な作業をも兼ねていた。 
 
 一年良い子にしてると、領主様が甘いお菓子を盛ってきてくれるよ・・・・。 
 たったそれだけの事ながら、子供達にとっては嬉しいプレゼントなのだろう。 
 かつて、娼館に売られていった子供が幸せそうに食べていたチョコレート。 
 今や、イヌの国の中でもチョコレート消費量がトップなこの地域は、それだけ財をなしているという証拠なのかも知れない。 
 
 クリスマス前夜の紅朱館。 
 翌日の支度に追われるスタッフ達が忙しそうに大ホールを走り回って、大量のお菓子の袋を準備していた。 
 陣頭指揮に当たるヨシは声を嗄らし、大袋に続々とプレゼントができあがっていく。 
 
 「ヨシ、支度は順調か?」 
 
 手伝いに来たのか邪魔しに来たのか微妙なポール公は、忙しく動くヨシを捕まえてそう切り出した。 
 
 「はい、順調です、あと袋3つで完成ですね。今年も例年通りです」 
 
 ヨシは笑顔で答えた。 
 
 「マサミがカナを連れてここへ帰ってきた時、皆に祝儀と言って配ったお菓子が始まりなんだが・・・・」 
 
 ポール公はお菓子の袋を一つ手に取り、鼻先でクンクンと匂いを嗅いだ。 
 
 「うん、良い香りだ。マサミの振る舞いを息子が継ぐのだからな。ヒトは本当にすばらしい」 
 「御館様。これは父が始めたのですか?」 
 「おや?ヨシはマサミから聞かなかったのか?」 
 「はい、初耳です」 
 「そうか・・・・」 
 
 積み上げられた大袋をイヌの兵士が数人掛かりで運び始めた。 
 紅朱館の玄関先、明日の出番を控える馬そりに積み込みを開始したようだ。 
 
 「あのお菓子はな、マサミが妻を連れて戻ってきた時、本来お前の兄になるはずだった子の為に買った菓子を、街の子らに配ったの 
が始まりだ」 
 「本来の兄・・・・。重い病で育たなかった兄の話ですね」 
 「そうだ。そして、マサミはヒトの世界のクリスマスという文化をこの地域に伝えたよ」 
 「本来は神の復活を祝う儀式だったとか」 
 「そうなんだがなぁ。マサミが言うに、イヌがそれを祝う意味はないので、子供達が健やかに育って欲しいと願ったそうだ」 
 
 大ホールを占領していた大袋が姿を消し、馬そりに積み込まれたプレゼントの山が月光を浴びてぼんやり光っている。 
 窓辺に歩いていったポール公は空を見上げた。 
 
 「明日は晴れそうだな。マサミ。今年も子供達はきっと喜ぶぞ・・・・・ 
 
 
                             ◇◆◇ 
 
 
 医療センターを出たマサミとカナは、リコやコウゼイと共にネコの国を離れルカパヤンへと戻ってきた。 
 比較的暖かなこの街ではクリスマスの時期だというのに、通りの屋台ではビールを飲んで大騒ぎ出来るのだった。 
 そして、マサミがこの町で心底驚いた物。 
 それはキラキラ光る電飾の付いた、巨大なクリスマスツリーのおもちゃだった。 
 
 「これ、どうやって光ってるんだ?」 
 
 こっちの世界に来て以来、久しぶりに見た電気の光。 
 それはまさしくヒトの文明の光だ。 
 
 「マサミさん、どうしたの?」 
 「いや、クリスマスツリーがあるんだ。電飾で光ってる」 
 「ホントに?」 
 「あぁ、見せられないのが残念なくらいだ」 
 
 目を輝かせてツリーを見ているマサミの耳に懐かしい音が聞こえてきた。 
 その音の発生源を探してウロウロしていたマサミは小さな小屋の中にそれを見つけた。 
 小さな発電機・・・・。 
 
 「マサミ、こりゃぁどんなからくりなんだ?」 
 「これは電気を起こしているのですよ」 
 「でんき?それって」 
 「雷です。雷の規模をうんと小さくした物です」 
 「ヒトってのは・・・・恐ろしいもんだぜ」 
 
 目を丸くしているコウゼイの隣。 
 マサミはカナの肩を抱いてベンチに腰掛け、キラキラ光るツリーをボーッと眺めているのだった。 
 大通りの喧噪の中。屋台の間にわずかに残った細い通りを馬車がいくつも通り抜けていく。 
 ヒト商人の乗る馬車の後ろ、大きな檻の中で運ばれていくヒトもツリーを眺めていた。 
 
 「あの中でコレを見て泣いているのは直接落ちてきたヒト。呆然と眺めているのはこっちで生まれたヒトでしょうね」 
 「それだけで見分け出来るってのもすげぇな」 
 「いや、だって私も泣きたいくらい懐かしいですもの。自分の居た世界があまりに遠くになってしまって・・・・」 
 「ホームシックって奴か?」 
 「そうですね・・・・。故郷は遠くにありて想うもの。ヒトの世界ではそう言いますが、再び戻れぬ遠い世界です・・・・」 
 
 それきり押し黙ってしまったマサミの姿は心底落胆している風だった。 
 コウゼイもどう言葉を掛けて良いか分からず、すぐ側で売っていたビールを3つ買うとマサミ夫妻に1つずつ押しつけて乾杯した。 
 
 「マサミ、俺もな、実を言うと帰るところがねぇんだよ。山火事で全部燃えちまって村が無くなった。だから傭兵家業って訳さ」 
 「そうなんですか・・・・それは辛いですね」 
 「あぁ、でも・・・・俺にはまだ親族が居るからなぁ・・・」 
 
 肯定も否定もせずマサミは黙ってしまった。 
 コウゼイも迂闊な一言だったと理解したらしく、やはりただ黙っているだけだった。 
 
 「コウゼイさん・・・・もうすぐクリスマスです。それまでにスキャッパーへ帰りましょう」 
 「そうだな、カナさんもこんな逃避行じゃかったりぃだろ?」 
 「あ、いえ、平気です。夫が・・・・居てくれますから」 
 「お〜!見せつけてくれるねぇ〜熱い熱い!」 
 「コウゼイさん?」 
 「じょーだんだよ冗談!はっはっは!」 
 
 三人が見つめる先。 
 キラキラと輝くクリスマスツリーのイルミネーションは、一瞬ここが新宿か原宿かとマサミに勘違いさせるのだった。 
 奇跡の起きる夜を目前にして、マサミは一足早くクリスマスの恩恵を感じていた。 
 
 「夢も希望もなく、ただ生活に押しつぶされそうなイヌの子供達に夢を与えたいですね。何がいいかな」 
 「そうだなぁ・・・・沢山いるからな。どうだ?砂糖菓子でも買って返って一人に一つずつくれてやったらどうだ?」 
 「あぁ、それは良い案です。早速採用ですね。どこかで纏め買いしたいなぁ」 
 「そう言う事もラムゼン商会に任せたほうが早いぜ。あとでオフィスへ寄ろう」 
 「えぇ、そうですね」 
 
 話のまとまった3人の所へリコがやってきた。 
 両腕に袋一杯の雑貨を抱え込んでいる。 
 
 「リコさん、それはどうされるのですか?」 
 「あぁ、コレはですね・・・・」 
 
 小さなゴム製のネコ人形やイヌ人形。振ると音がする赤子用のおもちゃ。どれを見ても子供向けの遊び道具だ。 
 
 「イヌの国へ着いたら子供達に配るのです。見知らぬ所へ溶け込むなら、最初に攻略するのは子供と主婦ですよ」 
 「さすがネコですね。慧眼に恐れ入りました」 
 
 はっはっは!と笑った4人は小さな屋台で晩飯にありついた。 
 コウゼイと旧知らしいトラの男が鍋を振るうその料理は、どう見ても焼きうどんだった。 
 焦げた醤油の香りが漂い、マサミとカナは久しぶりにヒトの世界の味を思い出していた・・・・・・ 
 
 「私の目が治ったらそばを打つわね」 
 「あぁ、頼む。それまでにスキャッパーでそばの作付け指導をするよ」 
 
 屋台の近く。 
 キラキラ光るクリスマスツリーの明かりが目にしみる夜だった。 
 
 
 
                             ◇◆◇ 
 
 良い調子で話をしていたポール公だが、突然大ホールに入ってきたアリス夫人の一撃が腎臓を直撃する。 
 
 「グフッ!」 
 「あなた!なにやってるの!」 
 「おい・・・・今完全に入ったぞ・・・・」 
 「当たり前でしょ?本気で打ち込んだんだから」 
 
 アリス夫人が珍しく怒っている・・・・・ 
 その様子にヨシは軽く引いている・・・・・ 
 
 「ヨシ君、夕食です。すぐに食堂へ」 
 「はい、奥様」 
 「あなたも!、そもそも準備で忙しいのにヨシ君捕まえてエンドレス冒険活劇する事無いでしょうに!」 
 「うぅ・・・・すまんな。ヨシ、食事にしよう」 
 
 わずか1分足らずの寸劇だったが・・・・ 
 大ホールに掲げられたマサミとカナ夫妻の肖像画が、その楽しい光景を目撃しているのだった。 
 
 その夜。 
 領主夫妻寝室の隣にある談話室では、ポール公がヨシとリサに物語の続きを語っていた。 
 
 「結局な、ネコの医療局でもカナの目だけはどうしようもなかった」 
 「そうなんですか・・・・。でも、母は目が見えてましたよ」 
 「あれはな、アリスが王都の研究所へ行ってエリクサーを貰ってきたからなんだ」 
 「エリクサーと言えば・・・・。超貴重品で高級品ですが?」 
 「あぁ、滅多に流通しないが。流れるときは10万トゥンを下ることはない」 
 「しかし、その時代のスキャッパーに10万トゥンの予算は・・・・」 
 「あぁ、無かったよ。全く無かった。しかし、アリスはエリクサーを入手し、カナは光を取り戻した」 
 「奥様はいったい・・・何をしたのでしょうか?」 
 「さぁな、詳しくは本人に聞くと言い。語ってくれれば・・・・だが・・・・」 
 
 ニヤリと笑うポール公の笑みが雄弁に語る事実。 
 おそらく・・・・相当なことをしたに違いない。 
 
 「御館様、実はもう一つお伺いしたいことがあります」 
 「なんだ?」 
 「御館様の武勇伝というのは?」 
 
 ヨシの直球勝負を聞いたポール公がブッと水割りを吹き出してしまった。 
 
 「ヨシ・・・・ゲホッ!ゴホッ!、それは・・・・聞きたいか?」 
 「はい、是非!」 
 「うむ・・・・・・」 
 
 息を整えたポール公がもう一口水割りを飲んでヨシの顔をじっと見た。 
 
 「カナの目の検査を3日ほど行って、通常の医療では回復は出来ないと結論が出た後の事だ」 
 「はい」 
 「マサミはカナと共に、コウゼイやレーベンハイトを連れてネコの国を出た」 
 「はい、それは日中に伺いました」 
 「その後、ルカパヤンで1日過ごし、いよいよ峠を越えてスキャッパーと言うところで事件が起きた」 
 「事件ですか?」 
 「あぁ、そうだ。事件だ」 
 
 ポール公が残っていた水割りをぐっと飲み干してグラスをテーブルにおいた。 
 リサがすかさず水割りをもう一杯作りコースターの上にグラスを戻す。 
 
 「カモシカの国の特殊作戦軍、エグゼクターズがな、カナを奪回するべく動き出した」 
 「エグゼクターズですか?、あの大陸最強と言われた特殊部隊」 
 「大陸最強と言ってもな、それは表向きの話であって・・・・」 
 「表向き・・・・つまり、裏の組織が?」 
 「そうだ、我が国の特殊工作機関やネコの国の情報機関などの方が遙かに洗練された組織だよ」 
 「そうなんですか」 
 「でな、そのエグゼクターズがまた傑作でな・・・・・・・ 
 
 
                             ◇◆◇ 
 
 
 焼きうどんの晩飯にありついた翌朝。一行はラムゼンのオフィスへと向かった。 
 そもそもはスキャッパーの子供達に土産を用意する算段だったのだが、そこで思わぬ話を聞いた。 
 いつぞや話を聞いたキツネの男がオフィスでマサミ達を待っていたのだった。 
 
 「よぉ、女房を見つけたようだな」 
 「あぁ、いつぞやはお世話になりました」 
 「へぇ〜、べっぴんさんじゃねぇか。ウチで働く気はないか?良い金になるぜ」 
 「あの、実は目が・・・・」 
 「見えねぇんだろ?そんなことは気にし無くって良いさ。穴さえ開いてりゃ女は稼げるからよぉ」 
 
 ハハハ!と笑うキツネの男にこれ以上ない冷たい視線が集まる。 
 
 「何だよいきなり・・・・。まぁいいさ。それよりあんたら、いったい何やったんだ?」 
 「何の話ですか?」 
 
 訝しがるマサミに目もくれずキツネの男は窓の外を見ながら言う。 
 
 「しらねぇか?カモシカの王府名でお尋ね者の賞金首になってんぜ、生きたまま捕縛すれば満額払いだそうだ」 
 「はい?」 
 「エグゼクターズがお前さん達を探してんよ。特に奥さん、あんたは100万セパタの賞金だ。相当良い値で売れる筈だった様だな」 
 「賞金首って・・・・こりゃまた派手な話だな」 
 
 賞金が掛かると言うことは、それだけ火急の用件ともいえるのだろう。 
 生死は問わないと言うのではなく生け捕りが要求される賞金首。 
 つまり、それの意味するところは・・・・ 
 
 「まぁ上手く立ち回って逃げた方が良いぜ。ウチのモンが言うにゃここへは夕方にはエグゼクターズがやってくるらしい」 
 「あの・・・・、エグゼクターズとは、どんな組織ですか?」 
 
 なんだ、しらねぇのか・・・・とでも言いたげなキツネの男は、たばこの先端に火を付けると煙を吐き出してから窓にもたれかかる。 
 
 「エグゼクターズはカモシカの国で唯一越境捜査を許される特殊機関だ。表向きは警察組織だが実際は・・・・」 
 「特殊作戦軍という設定でしょうな。ウチの国にも沢山入っていますよ。イヌの国の特殊部隊と共にね」 
 
 意外なところでレーベンハイトは口を開いた。 
 その言葉にキツネもトラも、もちろんヒトも驚く。 
 
 「リコさん、ご存じなんですか?」 
 「知らないと思いますか?怠惰なネコばかりでは無いと思っていただければ結構です」 
 「じゃぁネコは知ってて・・・・やってるってのかよ・・・・」 
 
 コウゼイの驚きは当然だろう。 
 獅子身中の虫と言うが、国家内にそう言う物が入っていて困る事は多いはずだ。 
 しかし・・・・ 
 
 「たとえばの話です。生き物は体内に免疫という防御システムを持っています。体内に入ってくるばい菌や不要の物を攻撃し体を守 
るための物です。しかし、その免疫というシステムの奥深いところは、絶対に全滅させないのです。何故だか分かりますか?」 
 
 その間の人間達が押し黙って聞いている。 
 誰も声を上げては居ない。 
 
 「ばい菌を全滅してしまうと体が油断するのですよ。ですから、体内の雑菌は生かさず殺さず、コントロールするのです」 
 「じゃぁ・・・・ネコの国は・・・・」 
 「えぇ、女王フローラ様以下、ある程度の高級官僚はどこにどんな工作員が居るか、大体は把握してるでしょうね。そして、一定の 
情報を得ることは黙認しますが、知りすぎると抹殺します。工作員を殺すなら女王が直接念動力でもって首をねじり落とすでしょう」 
 「おっかねぇ話だな、くわばらくわばら」 
 
 マサミはふとヒトの世界を思い出した。 
 各国のスパイや工作員が入り交じった祖国の現状を思い出す・・・・ 
 
 「自由と繁栄のネコの国ならではですね。犯罪組織の壊滅よりコントロールに重きを置くのですね」 
 「そう言うことです。ヒトの世界でも似たような物でしょう?」 
 「えぇ、その通りです。犯罪は無くならないし戦争も無くならない。だから出来る限りコントロール出来る様に努力する・・・・」 
 「すばらしいですな」 
 
 何となく話に乗り遅れていたキツネだったが、たばこをもみ消して椅子に座るとテーブルの上の書類に目を通した。 
 
 「ま、話を元に戻すが・・・・お前さん達、どうするんだ?。あわくってイヌの国へ行くにしたって1日掛かるぜ?」 
 「どうしましょうか?」 
 
 考え込むマサミとカナだが、コウゼイはとんでもないことを言い出した。 
 
 「おい、預かり屋に行け。俺が預けよう。その間に俺は応援を呼んでくる」 
 「え?」 
 「良いから行くぜ!おいキツネ野郎、案内しやがれ」 
 「おい!トラ風情がいい気になって・・・」 
 
 喧嘩腰に立ち上がり掛けたキツネの男の首にコウゼイの腕が掛かった。 
 左腕で完全に頸動脈を締め上げ、右手はキツネの男の右手首をねじり上げる。 
 そしてそのままバックマウントのポジションにはいると、500kgを軽く超える背筋力でキツネの男の背骨を曲げ始めた。 
 
 「なんならここでぶち殺してやろうか?、俺はおめぇみてぇなのがこの世に落ちてくる前から戦ってんだぜ?」 
 「てめぇ・・・・ぐぅぁぁぁぁぁぁ!」 
 「二束三文のはした金で大陸中のあっちこっち出向いてぶっ殺したりぶっ殺されたりってよ。傭兵ってのはそう言うモンだ」 
 
 呼吸が出来ずキツネの耳の内側がスーッと白くなって落ちる寸前。 
 コウゼイはパッと両手を解くとキツネの男の後頭部にグーで一発殴りこんだ。 
 
 「今度から相手見て凄むんだな」 
 「てめぇ・・・・」 
 「おう!マサミ!行くぜ!俺が直接案内する」 
 「大丈夫ですかな?チアノーゼ気味ですが?」 
 「うるせぇ!ネコに同情されるなら死んだ方がましだ!」 
 
 一礼して部屋を出て行くマサミとカナ。リコがそれに続いた。 
 部屋の中で苦しそうに息をするキツネの男が閉まったドアを睨み付ける。 
 
 「覚えてやがれ・・・・」 
 
 床を掻き毟って悔しがるキツネの男。 
 その眼差しに狂気の色があった。 
 
 
 ラムゼンのオフィスから程近いルパカヤンの中心部。 
 大きな青い建物の中に預かり屋の本部がある。 
 
 金さえ払えばどんな非合法なものでも確実に預かる事こそ、この仕事の一番重要な部分だ。 
 見た目よりはるかに強靭な作りになっているこの建物は、対戦車砲の一撃を喰っても貫通しないような作りになっていた。 
 
 「マサミ!何があっても逃げ切るんだぜ!いいな!」 
 「あぁ、そうします。やっと取り戻した妻ですし」 
 「カナさんもよ、あきらめて下手なこと考えねぇで・・・」  
 「えぇ、もちろんですとも」 
 
 雑談しながら建物へ入れば立派なたてがみを持つ獅子の男が出迎えた。 
 
 「よぉ!コウゼイ。今日は何を預かれば良い?」 
 「なんだよパンジャじゃねぇか!久しぶりだな。今日はこっちのヒトのツガイを預かってくれ3日だ」 
 「3日だな。えぇっと、あんた達、名前は?」 
 「マサミです。こっちはカナ。よろしくお願いします」 
 「マサミ・・・・カナ・・・・。おいおい、こりゃまた物騒なものを・・・・コウゼイ、こりゃ高くつくぜ?」 
 「おぉ、銭なら気にすんな。それよかケチなこそ泥にやられねぇ用に頼むぜ」 
 「で、こっちのネコの旦那はどうするんだい?」 
 
 コウゼイがレーベンハイトへ視線を送る。 
 
 「ネコの旦那はどうするんだ?自分で預かってもらうか?それともどっかホテルでも借り切るか?」 
 「そうだな・・・・そっちのヒトのツガイと一緒に預かってもらおうか。3人分でいくらだね?」 
 「お?ネコの旦那が払うのか?コウゼイ、どうなんだ?」 
 「おいおいリコさんよ。マサミの分は俺が持つぜ」 
 「あ、コウゼイ殿。御心配なく。これ位はお安い御用だ。そうだな、前金で100万払おう。足りない分は後に清算で良いかな?」 
 
 レーベンハイトはネコの国の中央銀行発行になる小切手を取り出した。 
 
 「なんなら必要分の金額をあなたが書けば良い。どうするね?」 
 「いやいや、ネコってのは金持ちだな。3人分、3日で100万。それで十分だ」 
 「よろしい、ではコウゼイ殿、お願いしますぞ」 
 「なんか調子狂うぜ・・・・まぁ、そんな訳でマサミもカナさんも良い子で待ってろよ!」 
 
 コウゼイの巨体を乗せた六本足の馬が大地を蹴って駆けていった。 
 移動の護衛を付けるべくスキャッパーへ戻っていくコウゼイなのだが、その必要性を感じないほど平穏な街中だった。 
 
 「では、お部屋へ案内しましょう」 
 
 獅子の男が案内してマサミ夫妻とレーベンハイトが部屋へと案内される。 
 
 「ネコの旦那はこっちの部屋だ。ヒトはそっちの部屋。ま、ゆっくりしていってくれ」 
 
 それだけ言い残してパンジャと呼ばれた獅子の男はフロントへ消えていった。 
  
 「リコさん、用があったらお呼びください」 
 「いえいえ、久しぶりの夫婦水入らず。邪魔をするほど野暮ではありません。どうぞごゆっくり」 
 
 マサミはカナを連れて部屋に入るのだが、そこに先客が居た・・・・ 
 
 「あなたがマサミさんですか、で、こちらが奥さんのカナさん」 
 
 そこにいたのは車椅子に乗って優雅にワインをたしなむヒトの老人だった。 
 
 「あの?どちら様でしょうか?」 
 「私ですか?そんな事はどうでも良いじゃないですか。それより、あなた方はなぜケチな賞金稼ぎに追われていますか?」 
 「え?」 
 「あなた達を追っているのはエグゼクターズのフリをした、只の賞金稼ぎですよ」 
 「それをなぜ?」 
 「忘れましたか?ラムゼン商会は情報と信頼を取り扱う商社です。我々の情報収集と分析の能力を甘く見て貰っては困る」 
 「あの・・・・。どちら様でしょうか?どうしてもお伺いしたいのですが」 
 
 老人はワインをもう一口含むと、車椅子を反転させ小さなテーブルの前に移動した。 
 マサミがふと気がついた驚愕の真実。老人の車椅子は電動だった。 
 
 「なぜヒトの世界の物がここにあるのですか?」 
 
 「ラムゼン商会が取り扱う物はヒトの世界の物ばかりです。私たちは誰よりも早く落ち物の所へ行き、根こそぎ回収し、修理し、整 
備し、機能を回復して売りに出します。この町はその前線基地でもある。ここから山に向かって行くと落ち物の特異点があるのですが 
ね、そこへ行きありとあらゆる物を拾って居ます。ヒトや道具類だけでなく、嗜好品、贅沢品、果ては・・・・武器まで」 
 
 小さなテーブルの上。そこにあるのはバイク用のヘルメットが入るほどの木の箱。 
 老人がその箱を開けると・・・・ 
 
 「マサミさん、コレを扱った事はありますか?」 
 
 マサミの眼差しの先にあるもの。 
 イタリア製自動拳銃ベレッタM92F。 
 
 「はい、フィリピンで400発ほど撃った事があります」 
 「ならば安心ですね、分解整備は出来ますか?」 
 「はい、フィリピン軍の士官に手ほどきされました」 
 「ならば・・・・コレを持って行きなさい。アモはこっちに。ホローポイントだが問題ないな」 
 
 呆然と見ているマサミに向かって老人は言う。 
 
 「ボサッと見ている暇が有るならマガジンに弾を詰めたまえ。マガジンは6本だぞ」 
 「6本・・・・96発ですか」 
 「そうだ。まるで爆撃機だろ?」 
 
 マガジンに弾を詰めたマサミはスライドがオープンになっている92Fへマガジンを押し込みスライドを押し込む。 
 セーフティをロックしてテーブルに置いた。 
 
 「うむ、ホルスターが必要だな・・・・2丁分か」 
 「二丁?スペアですか?」 
 「あぁ、そうだが。どうせなら二丁拳銃ってのはどうかね?」 
 「当てる自信がないので良いです」 
 
 老人が用意したホルスターを肩から提げたマサミは、ベレッタをその中へ押し込み、スペアのマガジンをマガジンケースに収めた。 
 ちょっとだけ不安そうなカナがマサミの横で震えている。 
 
 「まるで戦争ね」 
 「大丈夫だよ。自分の身は自分で守らなきゃ」 
 「そうね・・・・」 
 
 窓の下、大層な大剣と槍を構えたカモシカの男達が走り回っている。 
 車椅子の老人は眼下を眺めながら、せせら笑っているのだった。 
 幾人かのカモシカが店の中へ入ってきて「ヒトの夫婦を出せ!」と店員に凄んでいる・・・・・ 
 しかし、いくらなんでも相手が悪い。 
 受付にいる獅子の男に手痛い一撃を食らったのか、血まみれのままつまみ出され、店の前で悪態を吐いていた。 
 
 「大丈夫ですよ。ここへは絶対に入ってきません」 
 「なぜですか?」 
 「入り口を塞いでしまったからです。ここの入り口は今頃本棚の裏だ」 
 「古典的ですね」 
 「えぇ、しかし、この世界の獣人には古典でもなんでもなく、知識と観察力の問題でしょうね」 
 
 ややあってカモシカの男達は何事かを喚きながら建物の前から消えていった。 
 
 「ほらね。所詮は獣の脳みそですよ。あの程度だ」 
 「あの、あなたはもしかしてこの街を作ったと言う・・・・」 
 「この街を作った中の一人です。私だけの力ではありません」 
 「では・・・・」 
  
 「まぁ、わたしの名前はどうでも良いでしょう。それより3日間。ごゆっくりお過ごしください」 
 
 
                             ◇◆◇ 
 
 
 面白おかしく話を続けるポール公の隣にアリス夫人が腰を下ろした。 
 
 「話はどこまで進んだの?」 
 「マサミが必死の脱出をする手前だ」 
 「と言う事は、あなたの武勇伝まであと少しね」 
 
 ハッハッハ!と笑うポール公はグッと水割りを飲み干した。 
 空になったグラスに再びリサが水割りを作る。 
 
 「実はその後、何も起こらなかったんだよ。けちなこそ泥も気が付かなかったんだろうな」 
 「そうなんですか。でも、御館様の武勇伝と言うのは・・・・」 
 「それはな・・・・3日目の午後になって話に出てくるキツネの男が手引きしてな、預かり屋の隠し部屋がばれたのだ」 
 「じゃぁ!」  
 「あぁ、そうだ。マサミはカナを抱きしめて必死に脱出した。窓を蹴破って突入してきたカモシカの男を何人か射殺してな」 
 「え?父が?」 
 「あぁそうだ。カナの為。マサミは修羅になった。後にカナはこう言ったよ。無我夢中って恐ろしいってね」 
 
 手持ち無沙汰そうなアリス夫人にも水割りを作ってリサは手渡した。 
 笑顔で受け取るアリス夫人は一口飲むとポール公を見る。 
 
 「でもね、ポールが駆けつけた時は、結構ヤバイ状況だったようね」 
 「そうだな。結構きわどい状況だったよ」 
 
 
***********************************************************5*********************************************************** 
 
 
 窓を蹴破って飛び込んできたのは全身黒尽くめのカモシカだった。 
 午後の傾いた日差しを浴びて立派な角を持った男が入ってくる。 
 
 マサミは一瞬だけ怯み、そして逡巡した。 
 自己防衛の意識が薄い日本人特有の悪い部分だ。 
 話せば分かる・・・・なんて幻想を抱いているのは、バカか日本人か・・・・ 
 
 マサミは預かったベレッタをホルスターからひき抜いて、カモシカの眉間目掛け引き金を引いた。 
 
 バン!バン!バン! 
 
 ドサリと落ちて崩れるカモシカの男。 
 もはや迷っている暇は無い。マサミは窓辺に立ち、眼下で突入準備をしていたカモシカ達に射撃を浴びせかける。 
 無我夢中でマガジン一本分が空になるまで撃ち、死傷者数名を発生させるとカナの手を握って言った。 
 
 「さて、逃げるよ。ここは危ない」 
 「うん」 
 
 子供を抱えるカナをお姫様だっこで抱えたマサミは廊下に出て階段を駆け下りる。 
 フロントではパンジャが腰ためでブローニングM2を乱射中だった。 
 
 「おっとヒトの旦那、お出掛けかい?」 
 「あぁ、部屋にも外からお客さんが押しかけてきたので、出かけてきますよ」 
 「そりゃ失礼した。さて、そろそろここも片付くだろ。とにかく東へ逃げろ。イヌの国のほうへ」 
 「そうですね。ここはお願いします」 
 「あぁ、後続はここで抑えておくよ」 
 
 何人かのカモシカの男がマスケット銃で撃ちかけて来る所へ、パンジャはベルト給弾のマシンガンを打ちかける。 
 一対複数にも関わらず火力が違いすぎ、カモシカの賞金稼ぎは足止めされている。 
 不運にも弾が当たったカモシカは、痛みを感じる前に次々とユッケになっていた 
 獅子の男の強靭な体躯が、50口径マシンガンの強烈な反動を物ともせず、まさに火を噴くチェーンソーのようだ。 
 
 「なんてパワーだよ。あれで鉄板抱えて動けば戦車だな」 
 「感心してる場合?」 
 「いや、実際そうでもないな・・・・。さて、馬でもいれば良いんだけどね」 
 「馬に乗れるの?」 
 「この世界で習ったよ。生きてく上で必須能力だからね。車みたいなものだよ」 
 
 カナを抱えて必死に駆けるマサミ。 
 しかし、ふと気が付くと後方から砂塵を上げてカモシカの騎士が4騎ほど追ってくる。 
 
 「まちやがれぇ!」 
 「待てと言われて待つバカはいないよなぁ」 
 「同感ね」 
 
 必死に駆けていたにも関わらず、馬とヒトの足ではあまりに速度差がありすぎて追いつかれてしまった。 
 
 「やっと追いついたぜ。ヒトの男、諦めて女房を渡しな!そうすればあんたの命は助けてやろう」 
 「寝言なら寝て言え、このエテ公!」 
 「んだとぉ!」 
 
 騎士の隣。どう見ても堅気には見えないカモシカがいきり立つ。 
 その男の頭にめがけマサミはベレッタを抜き、そして撃った。 
 
 「寝言なら寝て言えって言ってるだろうが!」 
 「やれやれ、男は殺せ!女は生かして連れて行くぞ!」 
 
 カモシカの騎士たちが槍を構えるのだが、その前にマサミはスペアのベレッタも取り出して両手で周囲に射撃を浴びせかけた。 
 バン!バン!バン!バン!バン!バン! 
 
 「カナ!面白くなってきたな!」 
 
 バン!バン!バン!バン!バン!バン!バン!バン!バン! 
 
 「うるさくてよく聞こえない!」 
 
 バン!バン!バン!バン!バン!カシャン!バン!バン!バン!バン!バン!カシャン! 
 
 「愛してる!って言ったんだよ!」 
 
 4本目と5本目のマガジンを詰めて更に射撃を浴びせるマサミの腰にカナが抱きついた。 
 
 「私も!愛してるよ!」 
 「俺と一緒に死んでくれるか?」 
 「もちろん!」 
 「君は大した女だよ!」 
 
 バン!バン!バン!バン!バン!バン!バン!バン!バン! 
 
 
 「それ!駆け足!逃げ足!ずらかるぞ!」 
 
 最後まで逃げ回っていたカモシカに致命傷の一撃を与え、マサミは再びカナを抱えて走り出す。 
 ハァハァ!と息を切らして駆けていると後方から再び馬が駆けてきた。 
 
 「マサミさ〜ん」 
 
 マサミが足を止めて振り返ればパンジャだった。 
 獅子の立派なたてがみが揺れている。 
 
 「これに乗っていってください。ボスからのプレゼントです」 
 「スイマセン、お借りします」 
 「お気をつけて!」 
 
 カナを馬に乗せマサミも跨った。 
 
 「カナ!つかまってろ!」 
 「オーケー!」 
 
 再び馬で駆け出す二人の背後へカモシカの男達が迫ってくる。 
 砂塵を巻き上げ速度に乗って駆けてくるのは、どう見ても騎士や剣士の類ではなくて・・・・馬賊。 
 堅気の仕事ではありませんと言わんばかりの凶悪な人相ばかりだ。 
 
 速度に乗って駆けていると、後方からシュン!シュン!と音を立てて弾丸が飛んできた。 
 馬上から騎兵銃で撃たれているようだ。 
 
 「おかしいな、先込めのマスケット銃じゃないぞ?ボルトアクションだ」 
 「ねぇ!大丈夫?無理しないで!」 
 「ここで無理しないで、いつするんだよ!ハハハ!楽しいぞ!」 
 
 ルカパヤンからしばらく駆け、草原を横切る一本道の上り坂に差し掛かる。 
 流石に二人乗せた馬は苦しそうで速度が落ちてきた。カモシカの男達は速度を落とさずつめてくる。 
 
 「やっぱ六本足は速いしタフだな」 
 「コスモバルク並み?」 
 「ありゃダメだ、有馬で勝てねぇ。10万やられてるし・・・・・」 
 「バカねぇ」 
 
 後方でパーン!と乾いた音がした直後、馬が前のめりになって崩れた。 
 マサミとカナは前方に放り出され転げる。 
 
 「って、いてぇ!」 
 「マサミさん!」 
 「カナ!大丈夫か!」 
 
 30mほどにまで追いついていたカモシカ達が撃った弾は、マサミの乗っていた馬の足を貫き通したようだ。 
 その場で崩れた馬が白い泡を噴いて痙攣した後、絶命した。 
 
 「いやいや、絶体絶命だね。降参するようだな」 
 「マサミさん・・・・一緒に・・・・」 
 
 ニヤニヤ笑いながら追いついたカモシカの男達。総勢20人と言うところだろうか。 
 
 「さてさて、ヒトのあんちゃんよ。仲間の仇を取らしてもらうぜ?言残す事は有るか?」 
 「そうだな・・・・ジークハイルとでも言っておくか」 
 「なんだそりゃ?」 
 「勝利万歳って意味さ」 
 
 ニヤニヤ笑っていたカモシカの男が持っているのはレミントンのボルトアクションライフルだ。 
 なるほど、これで撃たれりゃ腕さえ良ければ当たるよな・・・・ 
 絶体絶命の窮地と言う事もあって膝が笑うほどに震えている。 
 
 「さて、ヒトのあんちゃんよ。一撃で殺してやるから動くなよ」 
 
 馬賊の頭目と思しき男が視線を切ってボルトを起こした瞬間、マサミはベレッタを再度抜いて引き金を引く。 
 しかし、カモシカの頭目の方が一瞬反応が早く、首の付け根を狙って撃ったのだが咄嗟に引き上げた右腕に握っていた銃に当たって 
しまった。 
 その衝撃でチャンバー部分にひびが入り射撃は不可能になってしまう。 
 
 「おいおい、この銃だって安くねぇんだぜ!糞野郎!」 
 「じゃぁ次は素直に撃たれろ」 
 「てめぇ!」 
 
 頭目が腰から下げた鞭に手を伸ばし、巻き束ねた革の鞭を伸ばしてマサミに打ち据える。 
 
 バシッ! 
 
 「ウグッ!・・・・いてぇぞ!」 
 
 マサミの背中にしなった鞭が入り肉が裂けて血が滲んだようだ。 
 怒り心頭でベレッタを構えるが、カモシカの鞭の方が早く、拳銃を握っていた手首に一撃が入った。 
 
 バシ! 
 
 「あ!」 
 
 手首がだらんと垂れ下がり拳銃が地面に落ちる。瞬間の一撃で脱臼したようだ。 
 激しい痛みが全身を駆け抜け、背筋に寒気が走る。 
 
 「さて、あんちゃん。そっちのメスをこっちによこしな、傷を入れると満額でねぇんでよ。あんたもそっちのメスがズタボロになん 
のを見たくはねぇだろ」 
 
 「随分勝手な言い草だな」 
 「あ゙?なんだよ。俺たちが聖人君子にでも見えるってのか?おもしれぇ冗談だ」 
 
 取り囲んだカモシカ達がいっせいにゲラゲラと笑い出した。 
 はてさて・・・・どうしたものか・・・・ 
 
 「カナ、腰にスペアが入っている。先に行くか?」 
 「うん・・・・後から来て」 
 「あぁ、そうするよ。なんか最後はしまらない人生だったな」 
 「そうでもないよ。私はあなたが来てくれて幸せだよ・・・・」 
 「カナ・・・・ごめんな。心から愛してる」 
 「私も・・・・マサミさん。愛してる」 
 
 カナがマサミの腰からベレッタを抜いてコメカミに銃口を突きつけた。 
 あぁ!と、カモシカの男達が叫び、頭目はやむを得ず鞭でカナの手首を叩く。 
 しかし、引き金を絞りかけていた指が押し込まれ、弾丸は発射されてしまった。 
 幸い、銃口はコメカミをはずれマサミの足元に着弾する。 
 
 カナの手首部分、鞭の当たったところの衣服が破け、皮膚からは血が滲む。 
 
 「おいおい、勝手に死ぬんじゃねぇ」 
 「ごめん、ダメだったみたい」 
 「仕方ねぇな」 
 
 盗賊の頭目がロープを取り出し部下に投げた。 
 
 「おい、そいつらを縛り上げろ。女は馬に乗せろ。男は引きずっていけ」 
 「へい!親分!」 
 「ばかやろう!。人様の前じゃ隊長ってよばねぇか!」 
 
 あっはっはっは!と笑う男達。 
 馬から降りてマサミに足を踏み出した瞬間・・・・・ 
 
 
 「軍団長に歓呼三唱!!!!!!!」 
 
 ラァァァァ!!!!!!!!!!! 
 ラァァァァ!!!!!!!!!!! 
 ラァァァァ!!!!!!!!!!! 
 
 その場にいた物が皆いっせいに丘の上に眼をやる・・・・・ 
 そこに並んでいたのは・・・・・・・・ 
 
 「我らがイヌの友に仇名す敵を滅ぼせぇぇぇぇぇぇぇ!!!」 
 
 ラァァァァ!!!!!!!!!!! 
 ラァァァァ!!!!!!!!!!! 
 ラァァァァ!!!!!!!!!!! 
 
 「騎士の誇りを踏み躙る者に鋼の試練ぉぉぉぉ!!!!!!!」 
 
 ラァァァァ!!!!!!!!!!! 
 ラァァァァ!!!!!!!!!!! 
 ラァァァァ!!!!!!!!!!! 
 
 「法と秩序を裏切る盗賊に死の制裁ぉぉぉぉぉ!!!!!!!」 
 
 ラァァァァ!!!!!!!!!!! 
 ラァァァァ!!!!!!!!!!! 
 ラァァァァ!!!!!!!!!!! 
 
 丘の上に並んでいたのは、イヌの騎兵たち。 
 それも、少なく見積もって500騎はいようかと言う軍勢。 
 その中心にいるのは見覚えのあるトラの大男と・・・・・ 
 
 「我らが領主の所有物を簒奪する者に鉄槌をくだせぇぇぇぇ!!!!!!!」 
 
 ラァァァァ!!!!!!!!!!! 
 ラァァァァ!!!!!!!!!!! 
 ラァァァァ!!!!!!!!!!! 
 
 炎のように赤い胸甲を付けたポールだった。 
 
 「全員抜刀!!!!!」 
 
 騎馬に跨るイヌの騎士たちが皆鯉口を切って抜刀した。 
 陽光を反射しキラキラと光る白刃が見える。 
 
 カモシカの男達に動揺が広がり、少しずつ後ずさりしてるのだが・・・・ 
 
 「我に続けぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!!!!!!!!」 
 
 前足を跳ね上げる馬に跨ったポールは全軍に突撃を命じた。 
 大地を揺るがしてイヌの騎馬団が斜面を駆け下りてくる。 
 それを見たカモシカの男達は、仲間であろうと目上であろうと、全てをかなぐり捨てて我先にと逃げ始める。 
 統制の取れていた先ほどまでの動きとはまるで違う、慌てふためく逃げ足。 
 
 「接敵よぉーーーーーい!! 全軍縦列突げぇーーーーーきぃ!一人も生かして帰すなぁぁぁ!!!!!」 
 
 丘の上から駆け下りてくる六本足の騎馬軍団が最高速に乗ってる状態で、全長2mにも及ぶ馬上槍を抱え突撃してきた。 
 
 
                             ◇◆◇ 
 
 「じゃぁ、御館様は王府に無断で国軍を持ち出して・・・・・」 
 
 流石のヨシもちょっと青くなっている。 
 リサにいたっては言葉を失っていた。 
 
 「いや、国軍を持ち出したのではなく、野戦演習に行っただけだ。王府にもそう報告した」 
 「では、戦闘報告はどうやって・・・・、まさか無かった事に?」 
 「いやいや、言ったとおりだよ。手癖の悪い盗賊がいたので退治したのだが、そこで軽度な戦闘を行ったと報告した」 
 「しかし、それではバレると思いますが?」 
 
 ヨシの疑問はもっともだろう。いくらなんでも嘘を突き通せるほど甘くはあるまい。 
 ポール公はグッとグラスを煽り一気に水割りを飲み込み、ゲップを一つついて酔った眼をヨシに向けた。 
 
 「だからどうした?アリスの持ち物をかっぱらいに来たバカを退治しただけだ」 
 「それで良いんですか?」 
 「あぁ。なぜなら」 
 「なぜなら?」 
 「その時点でカナは・・・・、お前の母はスキャッパーには居ない人物だからな」 
 「あ、そうか」 
 「そうだ。マサミを救出したら女房連れだった。それだけの話だ」 
 
 ハッハッハ!と豪快に笑うポール公はケツをボリボリと掻きながら、グラスの中の氷を口に入れてバリバリと噛み砕きはじめた。 
 この仕草が出ると言う事は、相当酔い始めてると言うことであり、そして、ノリノリモード突入の証拠なのだった。 
 
 
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 「カナ、目を閉じてろ!」 
 「うん!」 
 
 騎馬軍団の洪水は、カナを抱きしめ立つマサミの左右を駆け抜け、カモシカの男達を飲み込んだ・・・・・ 
 目を閉じたマサミとカナの耳に入ってくるもの。それは、恐るべき殺戮の現場に居合わせる者にしか聞こえぬ生々しい音。 
 馬の蹄が大地をえぐる音、幾百もの馬の嘶きが重なり、大音声となって耳を劈く。 
 その中でかすかに耳に入ってくるのは、カモシカの盗賊たちが叫ぶ断末魔の叫び。 
 そして、逃げ遅れいち早く刃の露と消える盗人が仲間に助けを求める声・声・声。 
 
 イヌの騎士達が砂塵と共に駆け抜けたあと、コウゼイが駆け寄ってきて馬から降りた。 
 
 「マサミ!怪我してるな!大丈夫か?」 
 「あぁ、俺は良い。カナの怪我を」 
 「ありゃ、これは・・・・縫うようだな」 
 
 コウゼイはカバンの中からファーストエイドキットを取り出した。 
 痛みに顔を歪ませるカナの傷口を左右から引き合わせ、痛覚緩和魔法がエンチャントされた包帯を巻く。 
 
 「カナさんよぉ、しばらく痛いけど我慢してくれ。ルカパヤンで治療しよう」 
 「はい、でも、主人の背中も心配です」 
 「俺は大丈夫だよ」 
 
 痛みを我慢してカナの頭にマサミは頬を寄せる。 
 
 「カナ・・・・ごめん」 
 「大丈夫、大丈夫。それよりあなたは大丈夫なの?」 
 「あぁ、カナがいれば我慢できる」 
 
 夫婦で心配しあうマサミ達だったが、戦闘が一段落してその場に静寂が帰ってきていた。 
 
 「マサミ、怪我は無いか?」 
 
 返り血を浴びて毛並みを真っ赤に染めたポールが、目をギラギラとさせてやってきた。 
 
 「無い事は無いが、別段どうと言う事はない」 
 「そしてこっちが・・・・カナ・・・・だね?」 
 「あの、すいません。目が見えない物で・・・・」 
 「あぁ、コウゼイから聞いている。私の名はポール。ポール・レオンだ」 
 「ポールさん・・・・」 
 
 ポール公がじっくりと値踏みするように眺める先。 
 イヌの女達よりか細く華奢で、そしてスレンダーなカナ・・・・ヒトの女が立っている。 
 
 「カナ、私は君の夫マサミが主とするイヌの領主アリス・スロゥチャイムと今度結婚する事になったイヌだよ」 
 「・・・・・・それはおめでとうございます。つまり、夫の主人と言う事ですね」 
 「いや、マサミの主はあくまで妻アリスであって、おれは友達だ。マサミ、そうだよな?」 
 「うん、じゃぁそう言う事にしておこう」 
 「なんだよ、つめてぇなぁ〜」 
 「おぃポール、マサミもカナもひでぇ怪我だぜ。ルパカヤンで治療しようぜ」 
 「あぁ、そうしよう」 
 
 ポールはマサミとカナに馬を一頭あてがうのだが、右手首を脱臼しているマサミは手綱を握れない。 
 
 「マサミ、コウゼイの後ろに乗れ。カナは俺の後ろだ」 
 「ポール。ありがたいけど遠慮しておく」 
 「なんだよ、信用できねぇってか?」 
 「いや・・・・子供がいるんだ」 
 「え?」 
 「死んでるけどね」 
 
 ポールは馬から降りてきてカナが抱える亜麻色の包みの中を見た。 
 息をしていないだけで、まるで眠るように母の抱かれる子供の姿がある・・・・・ 
 
 「マサミ、手を出せ」 
 
 スッと出したマサミの右手をポールが握り、関節に向かってグッと押し込んだ。 
 途端に痺れるような痛みが走り、目の中に星が飛ぶ。 
 
 「いぃぃぃっっっっっっってぇぇぇぇぇ!!!」 
 「どうだ?」 
 「あぁ、入ったと思う」 
 
 上手く力が入らないものの、何とか手首が動いている。 
 マサミは痛みを堪えて笑顔を浮かべた。 
 
 「何とかなりそうだ」 
 
 ポールは部下にカモシカの死体処理を命じた。多くのイヌが手分けし死体を草原に埋めると、馬でその上を何度も走る。 
 まったく跡を残さず証拠も消して、ここでは何も無かったようにしてしまった。 
 恐るべき手際で事後処理が進み、軍勢は隊列を整えてルパカヤンへと入る。 
 
 預かり屋の正面。 
 パンジャはマサミの帰りを待っていた。 
 
 「マサミさん、大丈夫ですかな?」 
 
 並んで立っているレーベンハイトも心配そうだった。 
 
 「なぜネコがここにいる?」 
 
 やや不機嫌なポールだが、マサミは事情を説明する。 
 
 「そう言うわけで、カナさんの主治医となっているのだが・・・・ネコはまずいですかな?」 
 「いや、そう言う事なら問題は・・・・無いとしておこう。ただ、スキャッパーに来ても色々と面倒が多いかもしれんが」 
 「まぁそれは織り込み済みですよ。それに、その方が楽しいしね」 
 「ネコと言うのはよくわからねぇ生き物だな」 
 
 ラムゼン商会から派遣されたウサギの医療団がやってきてマサミとカナの治療を始めるのだが、その場にやってきた医者は公衆の面 
前でカナの服を脱がそうとした。 
 
 「あの、ここで脱がないとダメですか?」 
 「脱がないと治療になりません」 
 
 そのやり取りを聞いていたポールが突然ハッハッハ!と笑って剣を抜いた。 
 
 「騎士団全員回れ右!、こっち側を向いたものは容赦なく切れ!」 
 「ヤー・ボール!」 
 
 ポールの周りを取り囲んでいた騎士と騎兵が皆カナに背中を向け、剣を抜いて周囲に威嚇を始める。 
 その輪の中心。カナのブラウスをゆっくりと脱がしたマサミはカナを正面からギュッと抱きしめる。 
 カナの女性らしい部分を全部マサミが隠し、カナは手首だけ医者に見せるのだった。 
 
 「おしどり夫婦と言いますが、ヒトの夫婦もまた愛に溢れておりますな」 
 「きみきみ。医者は無駄口を叩かずに治療したまえ」 
  
 イヤラシイ目つきでニヤニヤしていたウサギの医者をレーベンハイトが窘める。 
 残念そうにしながらも、手首の傷に回復魔法をかけて傷を再生させた医者は、マサミの背中にも魔法を掛けた。 
 
 「きみ、その魔法で目の視力回復も出来ないかね?」 
 「試してみましょうか?」 
 
 カナの目の上で小さく印を結んだ医者は、高位世界の力を使って、カナの目を回復させるべく力を込めた。 
 
 「いや、ダメだな手応えが無い。多分もっと深いところだと思う。何かが壊れてるのではなく、見る事を放棄してしまったんじゃな 
いのかな?奥さんは」 
 「でも・・・・今は光を感じます。薄っすらとだけど何か見える気がする」 
 「カナ・・・・見えるのか?」 
 「え?あ、いや。はっきりは見えないけど、明るいのか暗いのか位は分かるわよ」 
 
 そんなやり取りをした後、カナに服を着せたマサミ。 
 そこへいつかの夜にマサミの袖を引いたオオカミの女性が現れた。 
 沢山の男達を従えているが、その中に例のキツネの姿があった。 
 
 金色に輝いていたはずのキツネの毛皮は血と泥で汚れ、上等なスーツはボロボロになっていた。 
 
 「マサミと言ったな。おまえをカモシカの賞金稼ぎに売ったアホを捉えた。こいつをどうしようか?」 
 「妻が命を落としていれば直接この手に掛けていた所ですが、幸いにも怪我で済みましたので。あとは皆さん方の都合で」 
 「そうか、わかった。我々には我々のルールがある。それなりの結果になると思う」 
 「えぇ、そうですね。分かっています。どうぞ御随意に」 
 
 オオカミの女性は持っていたダガーでキツネの男の左目を衝き刺し、顔に大きく傷を入れた。 
 
 「イヌの執事とその主よ。これをもって心中よりの謝罪としたい」 
 
 マサミはポールに視線を送る。 
 ポールはその意味を理解した。 
 
 「オオカミの女よ。そなたの詫びを受けよう。騎士の誇りと名誉にかけて、この一件を決着とする」 
 
 一連の出来事を見ていたコウゼイがノッシノッシと歩いてきて、オオカミの女性からダガーを奪った。 
 
 「おいおい、手打ちにするなら両成敗だぜ。元はといえば俺とそっちのキツネとの口論が元だ」 
 「しかし、それならばキツネとトラの喧嘩にすれば良い。ヒトを巻き込みイヌを巻き込み、そしてルパカヤンを巻き込んだ」 
 
 ポールとコウゼイの不思議にかみ合わない会話の意味を、最初マサミは理解できなかった。 
 しかし、その意味するところに気がつくのとほぼ同じ位のタイミングでコウゼイは口を開く。 
 
 「ならば、そっちのキツネの怪我は自分持ちだな。でも、俺にも責任の一端があるのは事実だろ?」 
 「あぁ、それは・・・・そうだろうな」 
 「ならば」 
 
 コウゼイは持っていたダガーで自らの額に傷を入れた。 
 赤い血が流れ額にもう一つの傷跡がついた。 
 
 「これで喧嘩両成敗としたい。おい、キツネ野郎。どうだ?手打ちにするか?」 
 「あぁ、分かった。蟠りも憎しみも水に流そう。しかしまぁ・・・・、トラって奴は義理がてぇんだな」 
 
 隻眼になったキツネの男は驚くやら呆れるやらの反応だ。 
 いまだ血の跡が残るものの、マサミはカナに服を着せた。 
 あまり上等な服とは言いがたいのだが、それでも裸で居るよりはましだろう。 
 
 「カナ・・・・行こうか」 
 「えぇ、あなたの主に会ってみたいわ」 
 「俺と一緒にスキャッパーで暮らしてくれる?」 
 「あなたの主が許すなら・・・・ね」 
 
 カナをギュッと抱きしめて優しくキスをするマサミ。 
 それを見ていたコウゼイがポールに耳打ちする。 
 
 「おい、アリスさんの面倒、お前の責任だぜ?」 
 「あぁ、間違いねぇな・・・・。しばらく荒れそうだぜ」 
 
 
                             ◇◆◇ 
 
 
 いつの間にか再び降り出した雪が窓の外を舞っている。 
 あと数日で新年を迎える紅朱舘は、各所で新年を迎えるための準備を整えていた。 
 
 「マサミがカナを連れてここへ帰ってきたとき、アリスは大喜びでなぁ・・・・」 
 「それはそうよ。だって、マサミがいつもきを抜いたときに見せる寂しそうな表情の理由だもの」 
 
 ニコニコ笑うアリス夫人もグラスをあおって水割りを飲み干した。 
 
 「そりゃぁねぇ・・・・。私はイヌ、マサミはヒト。その間を隔てる溝は大きく深いわよ。そして、マサミが心のそこから愛する女がす 
ぐ近くに着たんだから、心中穏やかじゃないのは当たり前の話よね。でも、それでも私はマサミを愛していたわよ。もちろん、マサミ 
だけでなくて、ポールもそうだしね。ここの町に住むすべての者が私の家族」 
 
 「奥さま・・・・・」 
 
 「マサミとカナがここへ来て、古い紅朱舘の大ホールで皆が見てる前でもう一度リングを交換して。そして誓いのキスをして・・・・。 
そのときカナが言ったの。私の目は少しずつ見えるようになっています。私の顔をちゃんと見えるようになったら、そしたら契約する 
ってね。だから私は早くカナに良くなって欲しくて走り回ってねぇ・・・・」 
 
 「アリス様?、話が上手く繋がりませんが?」 
 
 「何を言ってるの!。カナが私と主従契約を結ぶと言う事は、マサミの重荷を半分持つと言うことでしょ?。夫婦ならばそれは当然 
の事。カナはマサミを必死で愛していたのよ。だから、私は女としてカナを応援したかったの・・・・わかる?」 
 
 「奥さま・・・・・」 
 
 リサは涙ぐんでいた。今の今まで勘違いしていた部分に気がついたのかもしれない。 
 決して負けたのではなく、むしろ応援していたのだと言う事に。 
 
 黙って話を聞いていたヨシは両手の中のリングをじっと見ている。 
 聞いた事の無かった両親の青春時代が、見事な光沢を放つリングの両面に流れて消えるようだった。 
 
 「ねぇリサ。左手を出して」 
 
 リサはわけも分からず手を出した。 
 その手の薬指へヨシはアリス夫人から預かったカナのリングを通す。 
 
 「あぁ、やっぱりピッタリだ」 
 「え?ヨシさん・・・・これ、お母様の」 
 「うん、母さんと父さんからの遺言なんだ。ぼくの妻にそれを渡せと」 
 「ヨシさん・・・・」 
 「リサ、ぼくと結婚しよう」 
 
 リサが本泣き一歩前で涙ぐんでいる。 
 
 「あの・・・・御館様、奥さま。執事長さまからこのように承りました。よろしいでしょう・・・・か・・・・」 
 
 「あぁ、もちろんだとも。リサ、幸せになってくれ。アリス、お前も賛成だろ?」 
 「えぇ、もちろんよ。リサ、これからもスキャッパーをよろしくね」 
 
 リサは言葉にならず何度も頷いて涙を流した。 
 ヨシが握っていた左手を解くと、そこにはマサミのしていた指輪が姿を現す。 
 そっと持ち上げたリサはヨシの薬指にリングを通した。 
 
 「リサ・・・・ありがとう」 
 「うん・・・・これからもよろしくお願いします」 
 「こっちに来て」 
 「なに?」 
 
 ヨシはリサを引き寄せて抱きしめると唇へキスをした。 
 その一部始終をアリスはポールと見ていた。 
 
 「年が明けて冬が一段落したらお披露目ね」 
 「あぁ、そうだな。まずは新年を迎えよう。ヨシ、リサ。頼むぞ」 
 
 自らの指に納まったリングをじっくりと眺めるヨシがふと何かに気がついた。 
 
 「そう言えばアリス様、エリクサーはどうやって入手したのですか?」 
 「え?エリクサー?あぁ、アレは・・・・」 
 
 覚えてるんだけど忘れているかの様なフリをして話をはぐらかせるアリス。しかし・・・・ 
 
 「また今度、ゆっくり話をしましょう。これも長い話よ」 
 
 そういって一方的に話を切られてしまった。 
 
 「さて、明日は早い、もう休みなさい」 
 「はい、御館様、アリス様、お休みなさいませ」 
 「うむ、夫婦仲よくな」 
 「はい」 
 
 二人して席を立つヨシとリサ。 
 ポール公はふと思い出したかのようにポケットをまさぐる・・・・ 
 
 「ヨシ、忘れていたよ、酒が入るとダメだな」 
 
 ポケットから出てきたのは真鍮の鍵だった。 
 よく使い込まれた一番いになる長い鍵。 
 
 「ヨシ、リサ。君たち夫婦の新しい部屋だ。年が明けたら執事公室を使うとよい。それまでは・・・・」 
 
 ポール公がニヤリと笑ってアリス夫人に目をやる。 
 アリス夫人も笑って視線を返してからヨシとリサに目をやった。 
 
 「それまではヨシ君の小さな部屋が二人の愛の巣ね。出る時は綺麗にしておきなさい」 
 「アリス、今ふと思ったんだが・・・・明日の街駆けはヨシとリサにやらせよう。お前達は1頭の馬に乗って街駆けだ。いいな?」 
 「はい」 
 「よろしい、もう寝なさい、明日は・・・・頼むぞ」 
 
 二人はヨシの部屋に入り、小さなベットで折り重なるように寝てしまった。 
 ヨシに抱きついて体を預けるリサの指にプラチナのリングが光る。 
 
 「ヨシさん、本当に私で良いの?」 
 「うん、もちろんだよ。だって、随分前から、俺はリサを好きだったもん」 
 「私も・・・・大好き」 
 
 年末の忙しさが疲れさせていたのか、いつの間にか二人は眠りに落ちた。 
 愛を育む夜の営みは、また次の機会だろうか・・・・・・ 
 これから長い生涯を共にする二人の、幸せな初夜だった。 
 
 
 翌朝。 
 
 巨大な馬そりの御者席にはポール公が座り、手綱を握って出発の合図を待っている。 
 馬車の荷台ではアリス夫人が大きな袋の口を開け中身を確認していた。 
  
 「あなた、準備は良くて?」 
 「あぁ、いつでも出発できるぞ」 
 「じゃぁ出発!」 
 
 馬の首にぶら下げた鈴がシャンシャンと鳴り、プレゼントを積んだ馬そりは雪の上を滑り始めた。 
 そりの後ろ、今年の縦走者はヨシが付いていた。そして、ヨシの後ろにはリサが一緒に乗っている。 
 
 「ヨシ!リサ!街へ行き子供を呼ぶのだ!」 
 「御館様!心得ました!」 
 
 馬を加速させて馬そりを追い越していったヨシが街の中を叫びながら駆け抜けていく。 
 
 − クリスマスのお祝いだよぉ!良い子は出ておいでぇ! 
 
 シャンシャンと鳴る鈴の音が街に響き、家々のドアが開いて小さな子供があちこちからゾロゾロと通りへ出てきた。 
 
 「一人一つずつだからね。おうちに入って食べなさい」 
 
 アリス夫人とポール公が配る小さなお菓子の包み。 
 中身は甘いチョコレートと飴玉だ。 
 
 お菓子を貰った子供達が幸せそうに包みを持って家に入っていく。 
 スキャッパーにクリスマスがやってきた。 
 
 「リサ!俺も子供が欲しい!」 
 「ヨシさん、私もあなたの子供が欲しい」 
 「これからずーっと一緒だね!よろしく!」 
 「私も!」 
 
 粛々と舞う雪の中、二人して馬で駆けて行く姿を見たポール公はアリス夫人に耳打ちする。 
 
 「良い夫婦だな」 
 「えぇ。だってマサミの息子夫婦だもの」 
 
 紅朱舘の第三世代が生まれる数年前の出来事だった。 
 
 
 第6話 了 

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