コンビニで、夜食を買った帰りの事だった。
ここは山の斜面の住宅地。しんと静まりかえった家まで続く緩やかな、しかし長い坂道。そこを上っているとき、ふと顔を上げると坂を上りきったところに、月を背後に少女が立っていた。
年の頃は14・5だろうか。
夜闇を紡いで織ったような色彩の、リボンとレースのフリルをふんだんに使った古風な西洋風の衣装。
月光そのままのような金色の髪に、逆光でもわかるキラキラと輝く蒼い瞳、白磁のような滑らかな肌。
さながらそれは、アンティークドール。
僕と目が合うと、彼女は薔薇色の唇を綻ばせて微笑んだ。思わず僕も微笑み返す。かなりぎこちなくだったけど。
「ねえ、あなた」
彼女が語りかける。水晶の鈴でも振ったような、透き通ったよく通る声だった。
「は、はい。何でしょう」
反射的に、上ずった声で返事をする。なんか、不審人物みたいだ。
「死んで頂戴」
微笑んだまま、少女は坂の上からの5mを一飛びで詰め、僕をそのまま押し倒す。
「え!?」
わけもわからず、僕は少女に押し倒され、そのまま坂道に倒れる。
深い海の様に輝いていた蒼い瞳は、今は血の様に紅く輝く。笑う様に開いた口からは、鋭い銀色の牙が覗いている。
僕より2・3年下の少女の身体は、小さく細い。それなのに僕の身体は、か弱いはずの彼女にしっかり押さえつけられている。
彼女は心を蕩かすような妖しい微笑みを浮かべたまま、僕の首筋に顔を寄せる。微かな吐息が僕をくすぐる。
と、彼女はふと突き立てようとした牙を止めて、腿に当たった固いものに目をやる。僕のアレだ。
突然現われた普通でない相手に、いきなり殺す宣言されて押し倒されてるのに、恥ずかしながら僕はすっかり興奮していた。
「ふうん。生存本能? それとも……?」
少女はルビーの目を細め、落ちついた様子で訝しげに呟く。そして、値踏みするように真正面から僕を見た。
魅力の魅の字は魑魅魍魎の魅。僕はまるで、魂を吸い取られたかのように見詰め返す事しかできなくて、二人でしばらく見詰め合った。
と、少女は大理石の繊細な彫刻のような白い手を僕の眼前に持ってくる。白魚のような指の先では、鋭い爪が月光をはね返し、牙と同じ白銀に輝いていた。
僕は痺れたように、それを見る。何があるのか判ってて理解できて反応もできる。それでも敢えて何もしたくない、そんな奇妙な感じだった。
流れる様に滑らかな動作で、少女の爪が僕の首筋を引っ掻く。一瞬の痺れ、そしてひりつくような僅かな痛み。傷口から熱い血潮が滴るのを感じた。
少女は、鋭い爪の先端を僅かに染める紅を、血色の瞳で見詰める。そしてわずかに出たピンクの舌が蠢き、ゆるりとした動作でその命の滴を、淫靡に妖しく舐め取る。
柔らかな舌が唾液の糸を引きつつ先端から離れると、少女の目付きがは緩み、瞳は焦点を失い、桃色の息をゆっくり一息吐き出す。
それを見ると、僕の部分は一層いきり勃つ。
「ふふ、やっぱり」
少女は覆い被さったまま、確信に満ちた瞳で僕を見下ろす。
彼女は一層妖しい笑みを浮かべた顔を、僕の頬に口付けしそうな程寄せた。
「ねえ。これから貴方のここを切り裂いて……」
くすぐる様に囁きつつ、名刀の輝きを持つ鋭い爪が、僕の喉を軽く突つく。
「貴方の中を流れる、熱くて真っ赤な血潮を……」
僕の顔を撫でる様にして、眼前に繊手を軽やかに舞わせる。
「この手で、触ってみたいの」
この繊細で見事な造型の手が、僕の血に濡れる。穢れなき新雪のごとき純白の肌を、紅い僕の色で染める事ができる。彼女を、僕が染める。
そう考えただけで、僕は爆発寸前まで高まる。
横目でそれを確認すると、少女は身を起こし、膝立ちになって、より高みから僕を見下ろす。その真紅の視線に心臓を射られ、僕の身体は凍りついてしまった。
「そして、ここと……」
少女は大胆にも自らの胸元をはだける。
白く細い喉から続く彼女の胸元は、同じく夜闇の中でもはっきりと浮きあがり、とても眩しい。さらに続く膨らみを見た時、あまりに眩しく神聖で、僕は直視できずに思わず目を下に逸らす。
「ここにも……」
その視線を追うかのように、少女は今度は夜色のスカート越しに、自らの陰部に触れる。妖しく、艶めかしく、撫でる様に、自慰をするかのように。
少女の声が、艶を帯び、陶酔の色に染まる。
「塗って、みたいの。貴方の血を」
少女の膨らみを、触れてはならない場所を、僕の血が染める。彼女の神聖な部分を、僕の血が汚す。
それはそれは、僕の命なんかよりも、とてもとても素晴らしい……
不意に少女の手が動いた。そっと、微かに、僅かに、柔らかに、僕のその部分に触れた。
「っっっっっ!!!!!」
彼女の感覚は、ほんの一瞬。しかし僕は、その一瞬で絶頂に至って放ってしまった。
「ふふっ。やっぱり貴方、コワレテいるのね」
少女は、満足げに微笑んだ。
恥辱と混乱と、射精後の脱力感とでぐったりしている僕に、彼女は両肩と胸元をはだけたまま、再度顔を寄せて甘く囁いた。
「貴方、変態でしょ。血を見ると興奮するタチだなんて」
少女は僕の性癖を言い当てる。
そうだ。彼女の言うように、僕には確かに人には言えない性癖がある。それが血液に対する欲情だ。
勿論ただ血液であればいいというわけではない。女性の体内を流れる血、女性の傷口から滴る血、そういったものに欲情するのだ。
実際、自慰をしつつ妄想するのは、血塗れの女性や自分が女性の血に塗れる事。
そもそもは幼い頃のTVの映画で、クリストファー・リーが美女の首筋に噛み付くのを見て、仄かなエロティシズムを感じた事に起因する、アブノーマルな性癖だ。
「ねえ貴方。私の血の下僕になりなさい」
それは唐突で、理不尽で、訳も判らない。でも僕には抗いようのない絶対の命令。
「は、はい」
直感的に、僕は頷く。
「ふふっ。良かった。契約成立ね」
目を細めて、心から嬉しそうに少女が笑う。まるで大輪の花が咲いたような、闇夜を不意に照らす満月のような、そんな笑みだった。
「貴方みたいにコワレテいる人って、血の下僕の素質があるの」
少女のガラス細工を思わせる華奢で冷たい両手が、僕の両頬に当てられる。
「普通の人間だったら、夜の住人になった途端、壊れちゃうわ。だって、人を餌食にする本能が、今まで培ってきた理性を壊しちゃうもの」
真紅に輝く瞳が、僕を真正面から見詰める。
「でも、貴方は違う。貴方は既にコワレテいるもの。コワレテいながら人として生きているもの。
だから貴方は壊れない。夜の住人になっても人のままでいられる。血に飢えたただのケダモノにならない。だからあたしの忠実な下僕になれる」
少女は一息いれて、唇を湿らせる。唇を濡らす舌が酷く艶めかしい。僕は思わず溜息を漏らす。
「……そうね。まだちょっと若過ぎるわね。あと10年くらいは欲しいわね」
僕の顔を見ながらそう呟き、少女は身を起こす。心地よい頬の冷たさと、彼女の顔が離れる事に、僕は一抹の寂しさすら感じていた。
「10年待ちなさい。それから貴方を、血の下僕にしてあげる」
10年って、じゃあそれまでは……。僕は泣きそうな顔になっていたのだろう、彼女が微笑みつつ高らかに宣言する。
「安心なさい。それまで貴方の傍に居てあげる。貴方の心が変わらないよう、監視してあげる。他に心を奪われないよう、支配してあげる」
多幸感で痺れた頭のまま、僕はゆっくりと身体を起こす。少女も立ち上がった。
「本当はね、貴方の血を飲み干して、10年くらい眠るつもりだった。けど、貴方のせいで気が変わったわ」
少女は背すじをのばし、凛とした表情で、名匠の作のような繊細な右手の甲を差し出す。
「さあ、誓いなさい、貴方の言葉で。この私、ダイアナ・ムーンライトへの永遠の忠誠を」
僕は操り人形のようなぎこちない動きでひざまずくと、総てを見通すような揺るぎ無い意思のこもった紅玉の視線を、憧憬と忠誠と愛情のこもった瞳で受けとめる。
「私は、ダイアナ・ムーンライト様に永遠に変わらぬ、絶対の忠誠と愛情を誓います」
夜の世界を睥睨する満ちたる月の立会いのもと、僕は恐る恐るその神聖な手を取り、その甲に口付けし、少女への永久の誓いを立てた。
これが、僕とダイアナとの出会いだった。
<了>