「さて、と。これでよし、と……」
部屋の床に、灰を使って何やらややこしい文様を描き終えると、緊張がほぐれたのか、
自分でも気づかないうちに独り言が漏れ出す。
時計を見ると午前2時50分。いわゆる、草木も眠る丑三つ時であると同時に、何だか
上半身裸&下半身黒タイツで踊りたくなるような時刻だが、生憎とそういう趣味は無い。
しかし、電灯があるにも関わらず、蝋燭の明かりのみを頼りに何やらゴソゴソしている時点で、
傍から見るとさぞ異様な光景に映るであろう。
「今度は……これ、を……っと」
手にした古びた本に目を通しながら数本の蝋燭に火をともし、文様のところどころに配置していく。
――そう、すべてのきっかけは、この古びた本だったのだ。
「やってはいけない」
………何だか、大昔に一部の方々に大流行した、とある本を思い出すタイトルで、
僕自身もてっきりその類のパクリ本かと思っていたのだ。
で、中を開けてみると、「悪魔と契約する方法」とか載っていたりしたわけで、早速実践に
移ってみたわけだ。
言っておくがあくまでも、悪魔が実在するかを確認するための召喚儀式であり、
決してタイトルの横に描かれていた、美人な悪魔のイラストに惹かれたわけではない――
本に書かれたとおり、煙草の灰を使って文様は描き終えた。蝋燭も指定した場所に配置した。
あとは、この本に書かれている呪文を読み上げるだけ、だ。
……問題は、この大量の灰を手に入れるために、煙草を何カートン使用したのか、ということ
なのだが気にしてはいけない。これも美女、いや悪魔が実在するのかを見届けるための実験なのだ。
「よし……いくぞ」
ゆっくりと立ち上がると、右手をゆっくりと高く掲げた。手には、やはり本の指示どおりに作った、
紅く光る丸い石を収めた細長い杖がある。
本の中に、赤文字で大仰に「なお、契約が無事完了して悪魔が魔界に帰るまで、
決して魔法陣を破壊してはいけない。もし破壊してしまった場合、怒り狂った悪魔は目の前の
あなたを墓場まで道連れにしてしまうだろう」などと書いてあったのを思い出し、思わず
ゴクリと唾を飲み込んでしまう。
こういう本で、こういう警告というか脅し文句はよくあることなのだが、実際に儀式を行なっていると、
何となく本物っぽく思えてしまうのが、不思議なところだ。
「世に3つの界あり。ひとつは現、ひとつは冥、ひとつは魔。…………」
一瞬頭に浮かんだ、嫌な考えを振り払った僕は、ふたたび本に目を通し、書いてある言葉を
読みあげる。よく考えりゃ、床の文様は西洋文化っぽいのに、何で呼び寄せる言葉は日本語なんだ?
そんなことを考えながら、僕は本の中身を読みあげ続けた。
「………我は命ず、今こそ道を辿りて魔より現へ」
最後の一節を読み終わると同時に、手にしていた杖で空中に星を描く。
もし、この本が正しければ、文様の上に美女が……もとい、悪魔が登場するはずだ。
「……………」
だがしかし、何も起こらない。
何がまずかった?
杖の作り方を間違えたか?
文様の描き方を間違えたか?
読みあげた呪文を間違えたか?
というか、やはりそもそも本の中身がデタラメだったのか?
ドサンッ
などと考えていると、いきなり背後で何かがぶつかったような音が響き渡ると同時に、
文様の上に配置していた蝋燭の明かりが、すべて掻き消えてしまった。
不思議なことに、『文様の真ん中から、外へと向かうように炎が揺らいで消えた』のだ。
そう、まるで文様の真ん中から、外に向かって強風が吹いていたかのように。
だが勿論、屋内で、しかも部屋のど真ん中で、そんな風など吹くわけが無い。
「い、いたたたた………」
突然部屋の中が暗くなったことに動揺していた僕の耳に、誰かの声が届く。振り返ってみると、
さっきまで誰もいなかったはずの場所に、白いチューブトップの上から短めの黒いベストを羽織り、
ベストと同色の肘まで覆う手袋と革製のミニスカート、それにブーツを履いている女の子が、
尻餅をついた姿勢で目に涙をにじませながら、お尻をさすっていた。
よく見ると、Mの字になっている足の間から、白いパンティまで見えたりするのですが。
「…………………」
「あ。…………………………………コ、コホン」
呆気に取られている僕の視線に気づいた女の子が、一瞬動揺したような表情を見せたが、
軽く咳払いをしながら、何事も無かったかのように、ゆっくりと立ち上がった。
「我、魔より現へ道を辿りし者。……汝が、道を作りし者か?」
「え……えっと、は、はい……」
女の子は手を腰に当て、僕に向かってピシリと指を突き出し、そう問いかけてきた。
その姿に、何ともいえない威圧感を感じた僕は、しどろもどろに返事をするのがやっとだった。
「そうか……では汝に問う。己が身を贄として叶わんとする願いとは……」
僕の返事に、腕組みをしながら満足そうに頷いた女の子は、ゆっくりと言葉を続ける。
「いや……帰ってもらっていい?」
そんな女の子の言葉を遮るように、僕は反射的に、つぶやくように口を開いていた。
「………………え?」
聞き取れなかったのか、女の子は目を丸くさせている。
「だから、帰って」
「そ、そそ、そんなあ。だ、だって私、まだ何も、願い事聞いてないですよお?」
たちまち泣きそうな顔になり、その場にへたり込んだかと思うと、情けない声を漏らす女の子。
「だって……ねえ」
女の子の突然の変わりように、半ば呆れ返った僕はボリボリと頭をかきながら、
目の前の女の子と手元の本とを見比べてみる。
確かに服装といい、髪の毛の隙間から覗く羊みたいな角といい、背中から生えている
コウモリみたいな羽といい、スカートの下から伸びている尻尾といい、そっくりだ。
……だがしかし。
「だ、だって、どうしたんですかあ?」
上目遣いにこちらを見上げる女の子。その目は少々潤んでしまっている。
その胸元を見てみると……正直言って、ほとんど膨らみが無い、のだ。というか真っ平ら。
一方で、本の中の悪魔はこちらに向かって、これでもかと言わんばかりの大きな胸を強調させ、
妖しく微笑んでいたのだ。これはどう考えても、誇大広告ではなかろうか?
「お、お願いですよお。黙ってないで、せめて何か、願い事を言ってくださいい……」
僕が黙っているのを見て、何を勘違いしたのか、女の子は消え入るような声とともに、
僕の裾にすがりついてきた。ふたたび女の子の顔を見てみると、堪えきれなくなかったのか、
涙がひとすじ、頬を伝って流れ落ちていた。
よく見ると胸だけでなく、顔だちも少しばかり子供っぽいけれど、十分に可愛いかったりする。
意外と好みのタイプかも。……胸を除けば。
「……。願い事って……何でもいいの?」
そんな女の子の涙を目にして、胸がズキンと痛くなってきた僕は、宥めるように女の子の
頭を撫でながら、問いかけた。
「は、はいいっ!」
思い切り大きく頷き、期待に満ちた目でこちらを見上げる女の子。その表情を目にした時、
僕の胸を、再びズキンとした痛みが襲い掛かると同時に、心臓の鼓動が激しく鳴り響きだした。
「じゃ、じゃあさ……。僕とエッチしてくれる?」
僕はしばし逡巡したのち、自らを落ち着かせるように、心臓の鼓動を抑えるように、
何回か大きく息を吐いてから、出来るだけゆっくりと、『願い事』を口にした。