=─<Chapter 2 『Q.E.D.』 in >───────────────────────‐= 
 
 
 ――【ホテル・アリアンロッド】。 
 アトシャーマという街の中でも比較的中央に所在を構えた、 
 ウサギの国でも数少ない外国人用の宿泊施設である。 
 
 ホテル名がやや安直な事この上ないように思えるかも知れないが、 
 これは経営管理しているのがアリアンロッド家の分家だからという 
 単純な事実に則して付けられたものであり、 
 経営者側にネームバリューを利用しようなどといった他意は存在していない。 
 
 ……というか、ここしかホテルがない。 
 旅館民宿その他を含め、この建物だけがこの国唯一の通常宿泊施設。 
 
 貴人公人のための迎賓館はあるようなのだが、 
 そういった所に泊まるのは各国の王家筋名家筋、または領主様ご一行といった、 
 庶民とは席を並べない貴人麗人、国賓に相当する人間達だけ。 
 …そうしてそんな迎賓館すら、 
 ほとんど使われる機会がなく常にガラガラの年中開店休業状態だ。 
 月単位、年単位で滞在するような長期滞在者には、 
 それはそれでまた王城の方から家賃つきできちんとした住居地が与えられるし、 
 十年ほど前に郊外に開校された魔法大学(※ウサギの国には元々学校や 
 義務教育という概念がない為、これは完全に他国人の留学生専用のもの)も、 
 寮完備でこそあれ余裕を持たせて作ったせいか未だに空き室が目立つ有り様。 
 
 ……何でこんな変な事になってるかというと、 
 やはり言う間でもなく、この国を覆う猛吹雪が一番の原因だとか。 
 前も見えない地獄の猛吹雪地帯を、雪上船や雪上車―― 
 ――ホロ付きソリに乗ってとは言え、片道3日往復5日もかけて行き来したがるのは、 
 やっぱり商いを生業とする人間、交易商人ぐらいなもの。 
 観光客や新婚旅行夫婦、傭兵は元より、先だっての王家や名家の貴人国賓だとて 
 余程の用が無い限り「こんな寒い国来たくない」というのが本音であろう。 
 良くて来るのはウサギの魔法式に魅せられた留学生や、旅芸人一座が関の山。 
 
 文字通りの、『出入りが少ない国』。 
 「わざわざあんな寒い思いまでして」出て行きたがる者も居なけりゃ、 
 入って来たがる者も少ない、微妙に世知辛い国である。 
 
 ……が。 
 でもじゃあそれでもし、国唯一のホテル、国唯一の迎賓館、国唯一の大学寮で 
 訪問者を受け入れきれなくなった場合はどうするのかというと、なんて事はない。 
 王城とか、教会とか、そこらの民家の親切な人達とかが、 
 適宜快く旅人や異邦人を迎え入れて暖と寝床を与えてくれるだけの話である。 
 …なんていうか、国ぐるみでの家族経営臭が拭えない都市国家だが、 
 それがこの国の良い所、暖かさとも言えた。 
 
 
 ……さて、ではそのウサギの国唯一の国公認宿屋、ホテル・アリアンロッド。 
 街の中心部に近い関係で薄っすらと雪を被ったこの建物は、 
 地上四階建て、周囲の建物群と比べても一際大きなレンガ造りの建築物である。 
 約150年前に老朽化によって取り壊された旧迎賓館跡地に、 
 外観をそっくりそのままに内部構造だけを改装して立て直されたというだけあって、 
 その様相は重厚かつ古めかしく、 
 ヒトの世界でいうバロック様式めいた内装は落ち着きと気品を感じさせる。 
 
 一階部分にはフロントやロビー、食堂、大広間といった公用設備が集中しており、 
 奥側には厨房や従業員控え室、洗濯部屋といった「楽屋裏」も伺える。 
 
 地下には恒例の大浴場が広がり、風呂上りに一杯引っ掛けたい者の為の 
 小さいながらも感じのいいBARやカフェ、土産物屋を兼ねた売店が軒を並べる。 
 近年ではネコの商人から売り込まれたらしく、大浴場から出たところには 
 ヒトの世界の卓球台やらあんま椅子までもが置かれていた。 
 …レンガ造りの、それもヒトの世界でいう所のゴシック調な周囲の風景にあって、 
 明らかに和風な卓球台とあんま椅子の存在は浮いてる事この上ないのだが、 
 元々客が少ないせいもあって、ホテル側はあまり気にして無いらしい。 
 …尚、同じネコの商人に同時に『からおけるーむ』の設置も薦められたのだそうだが、 
 さすがに大規模な拡張工事が必要という事で、これには断りを入れたとか。 
 ……賢明な判断である。 
 
 二階から四階に広がるのは客室。 
 『えれべーたー』などというハイテクは当然無いので、移動は全て徒歩になる。 
 …宿泊客はともかく、ベットメイク係には地味に辛いという事は付記しておこう。 
 一人部屋はなく、全て二人部屋か、四人部屋か、八人部屋。 
 ネコの国の高級ホテルのように個室毎のトイレとバスルームこそついていないが、 
 しかし何故かどの部屋の一人用ベットも 
 二人寝れるだけの十分な大きさを持っているのだけはこの国らしい。 
 ちなみに四階の部屋が所謂ロイヤルスイートになっているが、 
 先刻も言ったようスイートに泊まるような人物が全て迎賓館行きだという事もあって、 
 この辺の格の上下が意識される事はそんなになく、 
 せいぜいちょっと贅沢したいネコの成金商人や、自尊心の強いイヌの軍人の 
 見栄とか虚栄なんてものを満たす場合に使われるのが関の山だったりする。 
 
 そして実は四階の上にも更にもう一つ、「最上階」とも呼ぶべきフロアが存在するが、 
 これはもうテラスと鐘楼だけの狭い空間、五階と呼ぶにはとても足りない「尖塔」だ。 
 ……もっとも夜中にここから見えるムーンストーン城の景観は絶品。 
 外気が氷点下に下がる夜中にバスローブ姿でテラスに出るのは自殺行為に等しいが、 
 それでも機会があれば一度は観覧しておく事を個人的にはお奨めしたい。 
 
 以上、実質地上四階、地下一階。 
 客室数100、最大宿泊可能人数520人。 
 少なっ!? 国唯一のホテルなのに収容人数少なっ!?と思う方も多いだろうが、 
 しかしこの少なさで尚、この100年間での満室発生回数は数える程。 
 ……アトシャーマという国の出入国者が、如何に少ないかがこの辺りからも伺えた。 
 
 付け加えるなら、比較的吹雪と寒気も緩んで訪問者が多くなる夏期と違って、 
 秋も深まり冬の気配が次第に迫りつつある今の時期にもなると、 
 宿泊客ゼロの日もそう珍しくは無い。 
 実際猫井TVの第四特派取材班がアトシャーマに滞在していた期間中も、 
 他の宿泊客(それも一組)が居たのは滞在三日目まで、 
 滞在四日目以降はオープンリーチの実質貸切状態に突入していた。 
 
 食堂も貸切。大浴場も貸切。卓球台も貸切。BARも貸切。 
 客室でどんだけ騒いで飛んだり跳ねたりしても誰からも文句は言われない。 
 寂しいというより、これはむしろちょっと嬉しい。 
 さながら気分は王様身分。クルーの約一名も大はしゃぎ。 
 人の出入りがない点も、この辺は評価してもいいかもしれなかった。 
 
 
 
=―<<2-1 : NECOI TV crew : 5th day PM 5:35 >>────────────────= 
 
 
「おー、たいしょー、おっかえりー!!」 
「…だからって本当にベットの上で飛んだり跳ねたりしなくたっていいだろ……」 
 客室に入るや否やの光景に、思わず呆れの声も洩れる。 
 …洩れるが、それでもそれに疲れや眩暈を感じる事がないのは、 
 僕がもう、彼のこのテンションにすっかり慣れてしまったからか。 
 
 溜め息をついて、ホテルに入ると同時に小脇に抱えていたコートを 
 カバンと一緒に床の絨毯の上に置く。 
 …そうしてめいめいベットの上に寝っ転がっている他の二人を見やると、 
「君らも止めればいいだろうに……」 
 素直に同情の声を掛けた。 
 
「…………ん」 
「そんな事言われたってですよ、主任」 
 チロリと口の端から出た赤い舌と、その隣、愚痴るように開かれた鳥のクチバシ。 
 抗議するように僅かに背中の翼が僅かに蠢いて。 
「でもむしろ疲れるだけっつーのは、主任だってよく分かってるですよ?」 
「…………」 
 それもそうだなと思い直して、 
 問題の『止めたところでこっちが疲れるだけの相手』を横目で確認する。 
「ひゃっほー♪」 
 何が楽しいのかは分からないが、 
 とにかく子供みたいにボンボンベットの上で飛び跳ねているネコの青年の姿。 
 
 
 ……いや、青年というよりは最早少年だよな。 
 一般的なネコの男性にしてはかなり低めな170cmそこそこの身長と、 
 ややオレンジがかった赤毛の体毛が合わさって子供っぽい印象を相手に与える、 
 それが彼ことヒース――チーフカメラマン、ヒースクリフの人物像だった。 
 
 こんなのが第四特派取材班の撮影班リーダー、 
 しかも僕と2つしか歳の違わない、御歳63歳なのだというだから信じられないが、 
 だけどネコの寿命というやつは何せ600〜650。 
 …同じネコである局長やキャロの話では、 
 彼みたいな年齢が「三桁」に達していないネコは、たとえ外見は大人であっても 
 まだまだ『ガキンチョでお子様、青二才のぺーぺー』であるらしい。 
 
 実際、彼のメンタル面に関してはそれで間違ってないと僕も思うのだけれど、 
 でもそんな彼が凄腕カメラマンであると同時に魔科学のメカニック。 
 静止映像を取らせても動画映像を取らせても四班の中では右に出る者がなく、 
 テレビカメラを調整し修理する事もできるのも彼だけというのが、 
 何とも凄いと思うと同時に、どこかちぐはぐに感じてしまう部分でもあった。 
 
 
 反対側を見れば、そんな自分の師匠――うん、師匠なのだ、形の上では――を 
 どこか諦めたような悟ったような目で見つめるカメラマン2人。 
 そんな二人に手を伸ばして、 
 
「イェスパー、もし良かったら今日録れた分の『鏡』と『筒』を」 
「………!」 
 頷いて寝転がったまま寝台下のカバンをまさぐるのが、ヘビ族のイェスパー。 
 一般的なヘビ族の印象としてある青色・緑色の鱗は持たず、 
 黄褐色の地肌に黒褐色の斑目の斑紋を持った、 
 如何にも『毒蛇』という印象の非常に恐ろしげな外見の青年だ。 
 瞬き不要のその金色の蛇眼で、小さい子供を泣かしてしまった事は数知れない。 
 
 …でも本当は非常に奥手で繊細な若者だ。冗談ではなく。 
 …ちょっと口下手で表情に乏しいため誤解されやすいが、とても誠実な人柄である。 
 …『うわばみ』が代名詞のヘビのくせに、酒は一口で酔っ払ってしまう下戸。 
 …何故か料理が得意である。冗談ではなく。 
 …本場ヘビの国仕込みのシシカバブーやクスクス料理も絶品だが、 
   彼が本当に得意なのはネコやイヌの国のお菓子作りだ。冗談ではなく。 
 …実際彼の作るマドレーヌやチーズケーキは神品の域である。 
   そこらの評判の悪いケーキ屋なんかよりもよっぽど美味しい。冗談ではなく。 
 …何故か星座やそれにまつわる言い伝えに詳しい。冗談ではなく。 
 …何故か野草の名前や花言葉にも詳しい。冗談ではなく。 
 
「………ん」 
 そんな冗談の塊みたいな青年が、 
 器用にも尻尾に引っ掛けて小さな手提げバックを吊るして寄こす。 
 ベットに突っ伏したままのそんなものぐさな態度は、 
 普段であれば上司として注意の一つもするべきものなのだろうが、 
 でも普段の彼の真面目さを知る僕は敢えてお目こぼしした。 
 …南方の砂漠育ちで変温種族でもあるヘビ族は、基本的に皆寒さが苦手だ。 
 ただでさえこの街の気候は彼には辛いだろうに、 
 重い撮影機材を抱えながら街中を駆け巡るのはさぞかし難儀だったに違いない。 
 
「疲れてるなら夕食まで少し横になるといい。その時になったら起こしてあげるから」 
「…………」 
 尾先の荷物を受け取りがてらにそういうと、 
 やはり相当疲れていたのだろう、微かに身じろぎしてそのまま静かに目を閉じた。 
 ……瞬きをしないヘビでも眠る時は目を瞑るものらしい。 
 彼の班での役割については…… 
 ……いや、これは彼が後で起きている時に、改めて説明させて貰うとしよう。 
 
 
 他方で、未だ飽きもせずボンボン飛び跳ねているヒースをこっそり指差し、 
 ――あれは役に立たないから――と暗に伝えながら、 
「ホウヤもざっと今日の撮影の経過について、気になった事を教えてくれないか」 
「アイアイサーですよ」 
 僕が今日一日の仕事の成果の報告を求めた、その相手がタカ族のホウヤ。 
 故郷の言葉で『鳳也』と書くのが正しいらしいが、 
 大陸共通語(コモン)には対応する表記がないので局内ではホウヤで通している。 
 ……まぁこんな文字に起こすわけでもない会話の中では 
 『鳳也』にしてしまっても構わないから、以後は『鳳也』に改めようか。 
 
 雪のような純白の羽毛に、黄色のクチバシ、トリ特有のつぶらな黒目。 
 彼はタカの中でも、特に白鷹と呼ばれる外見的特長の持ち主らしい。 
 ひょうきんだがやや軽い性格の彼は、カメラマンとしての腕こそ拙いものの、 
 でもコミュニケーション能力の面で圧倒的に欠乏した撮影班メンバーの中にあって、 
 最も高い社交性を備えた、別の意味で非常に貴重な存在だ。 
 …何しろヒースは腕はいいのだが、大人の思慮配慮なんて物とは無縁の性格だし、 
 イェスパーはあの口下手さと容姿のせいでとにかく誤解や警戒をされやすい。 
 
 その点彼は、トリの中でも特に大型で猛禽とも呼ばれるタカでこそあれ、 
 その純白の毛色と軽快な性格……と「話し方」からか相手の警戒心を買いにくい。 
 実際彼の会話交渉能力は、この若さで既に相当な域。 
 ……主に庶民階層の人間や女性相手にしか効果を発揮できず、 
 上流階層の人間やお年寄り相手には逆に反感を与えてしまう欠点を除けば、 
 その口達者さは僕やキャロに勝るとも劣らないレベルだろう。 
 …多少女性関係や女遊びが激しいのも、その副産物と思えばまぁ黙認もできた。 
 
 何より彼には、その翼というカメラマンとしての最大最高の武器がある。 
「っつーわけで、その教会の屋根の上から2,3枚写真を撮っといたですけど…」 
「分かった、僕の方で後でチェックを入れておこう」 
 完全に伸ばした際には左右全長が7mにも達するその羽根での鳥瞰図撮影が、 
 彼のカメラマン本来としての余人には出来ない仕事領域。 
「…まぁそれより、ウサギばっかだと思って安心してたら、前見てなかったチーフが 
往来でイヌの軍人とぶつかってです。障害事件寸前まで行って冷や冷やしたですよ」 
「……す、すまないないつも」 
 ……なのにすっかりヒースやイェスパーが起こしたトラブルの回収解決役の方が 
 本業になってる観が否めないのは、僕としても本当に申し訳ない限り。 
 
 
「聞いたぞヒース? 君はまた進んで危ない橋を渡るようなマネをして……」 
「だってあいつ、オレの事チビって言ったんだぜ!?」 
 嗜めるような口調でそう水を向けると、 
 彼はボン、と大きく飛び跳ねた勢い、中空で器用に胡坐をかいて着地した。 
 いくらベットの上とは言え、 
 そんな曲芸をやっても怪我一つないのは、流石にネコの器用さと言うべきか。 
 
 『チビ』『小さい』と言われるとキレるのは、この赤ネコの昔からの悪い癖だ。 
 それだけだったら微笑ましいのだが、 
 仕事上の取材相手や上司に当たる人物、敬意を持って当たらなければいけない 
 権力者に対してまで、街のゴロツキにキレるのと同じにキレるのが問題で。 
 …他にも配慮の至らない無神経な発言や歯に衣着せぬ物言い、 
 あるいはワガママで時々思いつきでふらっと勝手な行動を取る辺りも地味に厄介。 
 折角取り付けたアポをダメにした回数なんて数え切れず、 
 出入り禁止を食らった回数もまた数知れない。 
 四班の中から出る始末書の半数は、実際彼の問題行動が直接原因だったりする。 
 取材先や上司に当たる相手に、僕も何回頭を下げた事だろう。 
 
 悪い男ではないのだ、むしろ根っこの性格は他人に親切で仲間思い。 
 …たださっきも言ったみたいにどうしても幼い、メンタル面が完全に子供のそれで、 
 良い意味ではそれが純粋無垢、天真爛漫という評価にも繋がるのだが、 
 悪い意味だと純粋ゆえの残酷さ、天真爛漫ゆえの苛立たしさにも繋がっていく。 
 おまけに身内や気に入った相手に対しては陽気で人懐っこいが、 
 気に入らない相手にしてはとことん態度が冷たい、早い話が人見知りが激しい。 
 これで相当プライドも高くて、ケンカを売られてもすぐ買いに走り、 
 ちょっとした皮肉に対しても売り言葉に買い言葉、大喧嘩への発展も珍しくなかった。 
 
 それでも嘘のつけない単純な性格のせいでどこか憎めない、 
 四班の中では(散々皆からおちょりからかわれてオモチャにされてはいるものの) 
 誰からも嫌悪はされずにむしろマスコットとして愛されている彼だったが、 
 でもおそらくは余人には好き嫌いの激しく分かれる性格、 
 嫌いな人からはとことん嫌われる性格なんだろうとは僕もきちんと弁えている。 
 ……『うるさいガキは嫌い』を公言して憚らない子供嫌いなんかとは、 
 多分それこそ犬猿の仲になるんじゃないかな。 
 
「どっちが悪い悪くないとか言う以前に、 
街中で攻撃魔法を使いかけた、その事を僕は非難しているんだよ」 
「…………」 
 そうして実際、彼の扱いは僕にとっても難しい。 
 相手が悪い悪くないの話になれば絶対に彼は譲らないと分かっていたからこそ 
 別の角度から攻めたのだが、 
 やはりヒースはへそを曲げたらしく、ムッとした表情でそっぽを向いてしまった。 
 微かにふくらんでゆらゆらする尻尾の毛先が、彼の不機嫌さを表している。 
「……でも、先に殴って来やがったのはあっちだ」 
 あくまで自分は悪くないと言い張るつもりらしい。 
 …そういう所が子供だというのだが、今それを言っても火に油を注ぐだけか。 
 
 
 うん、アトシャーマ市内では人の殺傷を目的とした魔法の使用は禁じられている。 
 これは何もこの国に限らず、他の国の大都市にあっても同じ事だ。 
 
 魔法というやつは、使う人間と行使する魔法にもよるが、人の密集した住宅地や 
 繁華街において使われた場合、容易に大惨事にも繋がり得る。 
 よって小さな村や町とかならともかく、大陸のほとんどの大都市においては、 
 危険な魔法は「結果の被害の有無」に関わらず、 
 「使っただけ」で厳罰の対象とされてしまうのが通例なんだよね。 
 …現にどっかの街の酒場なんかで酔った勢い、店半壊するくらいの魔法なんか 
 使ってご覧よ、たちまち衛兵に引っ立てられて物凄い罰金取られるから。 
 まぁシュバルツカッツェ辺りならちょっとした小競り合い程度の魔法の応酬、 
 目に見えて派手にやらかしたりしない限りお目こぼししてもらえもするだろうけど、 
 生憎とアトシャーマではそこまで寛容な態度は取られない、 
 元々傷害行為が重罪なだけあって、物凄い勢いで魔法騎士団にしょっぴかれる。 
 
 鳳也に話では、売り言葉に買い言葉、でも口ではネコには勝てないイヌのサガ、 
 最初に手を上げたのがイヌの軍人だったというのは確かに本当の事らしい。 
 ……まぁ現実には、大方ヒースが相手が口喧嘩では劣勢なのに調子に乗って、 
 大人だったら止めるべきところで止めずに必要以上の過剰口撃、  
 切れるべくして相手の堪忍袋の尾を切らしちゃったってのが事実なんだろうけどさ。 
 
 それでカッとなった相手に手を上げられて――でも持ち前のネコの反射神経、 
 咄嗟に半身そらしたせいでモロに横っ面に貰う事は無かったらしいけど、 
 だけどかすったパンチ、それでヒースの方も完全に頭にプッツン来た。 
 
 魔科学のメカニックでもある彼は、魔法に関してもそこそこには通じ、 
 それも彼の赤の体色が関係してか、特に得意なのが破壊のご本家炎の魔法。 
 空気を揺らがせながら右手に炎を生み出しかけたところで――… 
 …――イェスパーと鳳也、あとは荷物持ちでついてった護衛のラウ君に、 
 慌てて取り押さえられて地べたに引きずり倒されたんだそうだ。 
 
 実に懸命な判断。そうして冷静にその当時の光景を想像してみるとゾッとする。 
 仮にもしも魔法の発動まで行っていたら、 
 ちょっと笑えない事態になっていたのは想像するのも難しくはなかったからだ。 
 ……他国派遣の長期取材の為に経費は多めに貰っているが、 
 それでも保釈金を積めるだけの大金までには流石にちょっと届かない。 
 ヒースは減給あるいは降格、上司にあたる僕や局長も始末書の一枚は書かされる、 
 最悪それくらいの事態までは行っていたかもしれないのだ。 
 たかが道端の出会い頭の小競り合いごときで、夢見が悪い事この上なかった。 
 
 結局イェスパーとラウ君がヒースを抑えている間に、 
 鳳也が相手の軍人さんに土下座して謝罪し、何とかその場は収まったらしい。 
 怒り心頭の相手側も、イヌだけにこちらの人の行き交う往来での土下座には 
 面食らったというか度肝を抜かれたらしく、 
 興をそがれた形で取り立ててのワビやオトシマエもなしに済ます事ができた。 
 
「ほらヒース、君の為に土下座までしてくれた鳳也に何か言う事はないの?」 
 一応タカとかワシって、トリ族のなかでもかなり矜持が高い方だと思ったのだが、 
「……鳳也の土下座なんて今更珍しくもねーもん」 
「そーそー主任、それくらいでいいっすよーです」 
 子供のように拗ねる(一応)師匠と、へらへら笑って鷹揚に手を振るその弟子。 
 猛禽のはずの鳳也がクチバシを地面にこすり付けて平身低頭する光景が、 
 本当に珍しくなく、もう慣れっこの光景になってしまっているのが何とも物悲しい。 
 まぁ反面で、プライドに囚われない分 
 その背中の翼のように自由奔放と評価する事も出来るのだろうけど、 
「…鳳也もあまり甘やかしちゃダメだ」 
 でもそれはそれ、これはこれ。 
 
「ヒース、君ももうチーフ、人の上に立って部下を持つ身なんだから。 
せめてもう少し弟子に苦労を掛けない、上司らしい振る舞いを心がけるべきだろうに」 
 結果的に何事も無かったとは言え、それでもケジメは付けなければ。 
 少しきつい言い方になるのにも構わず、ヒースに強く釘を刺す。 
「…………」 
 だというのに、まだムッとしたままそっぽを向いてこちらを見ようともしない彼に、 
 もう少し強く言わなければいけないのかと口を開きかけて―― 
 
 ――でも気がついた。 
 
 じっと伏せた瞳がやや帯びた水気と、閉じた口の中できつく食いしばられた歯に。 
 
「……素直じゃないなあ」 
「っ! だ、誰が素直じゃないだよ!!」 
 素直じゃないじゃないか実際。 
 一言「すみませんでした」と言えれば済む話なのに、どうしてそれが言えないのか。 
 言葉にしなければ、伝わらない態度や気持ちもある。 
 意地っぱりも過ぎれば笑えない、これだからネコは誤解もされるというのだが。 
 
 チラリと見やった先では、鳳也は慣れっこだと言わんばかりに苦笑している。 
 ……まぁ一応、彼の顔を立てた事にはなったかな。 
 ただ、ますます不貞腐れて、今度ははしゃぎからではなく鬱憤からベットの上で 
 飛び跳ねだそうとするヒースに対して、 
 
「あと、そのベットの修繕代金は君の月給から引いておくからね」 
「は?」 
 想定外の言葉に意表を突かれたのか、やたら間抜けな声を彼が上げた。 
「修繕……って、まだ別にどこも壊れてねーじゃねーか?」 
 ネコはどうにも、短絡的な視点だけに拘りがちで大局的な視野を欠き易い。 
「…掛け布団をはいで、よーく自分の寝台を見てみるんだね」 
 首を傾げて促されるがままに支持に従う、こういう素直さもたまにはあるんだが。 
 
 ――せっかくの貸切状態、またとない機会。 
 ――である以上騒げるだけ騒いで、暴れるだけ暴れておかなければ損である。 
 ……そういう考え方も理解できなくはないのだけれど、 
 でもだからってわざわざ無理をしてまで不必要に暴れてはしゃぐヒースの精神は、 
 どうにも僕には真似ができない。…大体そんな事をするから――… 
 
「……うげ」 
「ベット変えて、とかも無しだからな。…まぁ我慢してそのベットの上で寝るんだね」 
 
 トランポリンのように乱暴に扱われ、スプリングがダメになってしまったのだろう、 
 中央部がべっこりへこんでしまった寝台を呆然と見つめるヒースに、 
 僕は冷酷に死刑宣告をプレゼントしてやった。 
 ……多少寝苦しい思いはするだろうが、まぁこれも身から出た錆というものだ。 
 
 ネコの躾けには、根気がいる。 
 これら一つ一つはあまり明確な効果を表さないが、でも何度も積み重ねる事で、 
 彼もやがては大人で配慮のある行動を取れる大人のネコにもなれるだろう。 
 ……それまでにあと何十年、何百年かかるのか、ちょっと分からないにしてもだ。 
 
 
 
=―<<2-2 : a career woman in : 5th day PM 5:42 >>──────────────‐= 
 
 
 さて、世の中には様々な魔法の品がある。 
 
 中でも景色や風景、一連の動作、その他音、匂い、味、触感などを『記録保存』し、 
 それを『再現再生』可能にしようという試みは、 
 古くから多くの魔法使いがあの手この手で達成しようと研究してきた分野だった。 
 
 絵や文字ではどうしても伝えられる限界というものがある。 
 この風景、この音楽を、もしも『そのままに切り取って自由に持ち運べたら―…』。 
 ……どうやら考える事は昔の人間も今の人間も同じらしく、 
 でもそれは近年ネコの国が開発した【魔洸】の登場、加えてのヒトの科学技術の 
 導入により、ここ数十年で更に大きく進歩とコストダウンが進んだ趣きがあった。 
 【音封石】もそうだが、今僕が弄っている【封景鏡】と【銀筒】も、 
 そんな近年の魔法と科学の融合で生まれた最新品目の一つだったりする。 
 
 
 
 専用の箱のスリットに一枚一枚、布に包まれて入れられている『封景鏡』を、 
 僕はランプの照明の下で、細心の注意を払って丁寧に取り出す。 
 縦8cm、横13cm、厚さ5mm規格のこの鏡板は、 
 でも埃や塵による細かい傷でさえダメージになってしまうデリケートなアイテム。 
 専用の手袋を嵌めた手で縁を持ち、ランプの明かりにかざしてみると、 
 使用済みだという事を示す細かい線や、半透明の濃淡のグラデーションが見えた。 
 本来の風景と左右が反転してしまっているのがご愛嬌だが、 
 これはもう一度転写して色付きで現像する際に、また反転して元に戻る仕組みだ。 
 
 こんな風に『鏡』に『風景』が『封』じられる原理そのものは簡単。 
 対象の景色を鏡に映し込んだ状態で、そこに強烈な魔力を流す事により、 
 ガラスの裏側に糊塗された特別の反射材に映像を焼き刻む。 
 然るべき装置(=撮影機材)でそれを行い、 
 然るべき装置(=現像機材)でそれを絵として再現するのであって、 
 このガラス板自体には取り立てて特別な技術は使われてはいなかった。 
 ……まぁ、魔力透過率の高い高純度のガラスを使って、 
 反射材にも普通に鏡に使うような銀や硝酸銀ではなく魔法金属を使う関係上、 
 この鏡板自体の値段も1枚500センタなんていう半端じゃない物になってるのだが。 
 
 
「……そういえば、キャロは?」 
 ランプの明かりに透かして刻まれた風景をチェックしながらそう訪ねると、 
「あー、副主任なら30分くらい前にこっち来てましたけど、 
主任がまだ帰って来てないの見たら後でまた来る〜って出て行きましたです」 
 答えるのは鳳也。 
 どうやら入れ違いになったらしい。 
 ふむ。 
「…多分女部屋の方にいると思うですけど、なんだったら呼んできま―― 
 
 
「その必要はないわ」 
 
 
 トッ、とパンプスが敷き詰めの赤絨毯を叩く音。 
「……人の部屋に入る時は、ノックくらいしたらどうなんだ?」 
 でも20年来の付き合いの今では驚きもしない。 
 振り向きもせずに一言返し、 
 ただナイスタイミングである事に対しては心の中で喝采をする。 
「あら、ノックが必要なのは男がレディーの部屋に入る時だけでなくて?」 
 彼女の方も勝手知ったるものだ、 
 軽口にもならない軽口に、やはり冗談めかした軽口で返す。 
 多少不遜の色こそ滲むが、しかしこれ位なら「自信に満ちた」の表現で済むレベル。 
 
「ハイ。ラスキ」 
 
 椅子をずらして振り向いた先、ひらひらと手を翻して立っているのが、 
 我らが四班の副主任、僕個人とは20年前に猫井TVに引き抜かれて以来の 
 古株仕事仲間であるキャロことキャロライン女史だ。 
 薄っすらと弧を描き所々跳ねた、ややクリーム色がかった象牙色の短髪。 
 青色の瞳。髪の色とは対象的な褐色の肌。 
 頭髪から突き出た大きなネコ耳に、スカートから伸びた白く長い尻尾。 
 プロポーションも良好で、出る所も出て引っ込む所も引っ込んだ 
 文字通りの『大人の女』といった雰囲気の女性なのだが。 
 
「…………」 
 
 その出で立ちを上から下まで、改めてじっくりと眺めてみれば、 
 色合いを抑えたグレーのスーツにタイトスカート、 
 胸元や袖口から覗く洒落た白のブラウスに、黒のパンティストッキング。 
 やや地味めな印象の服装は、化粧やブローチ、髪留めなどの小物で挽回する、 
 まさに何一つ非の打ち所がないビジネスレディーの装いだとしても、 
 でもそれは場所が場所ならでの話であって。 
 
「……相変わらず、寒くないのかそんな格好で」 
 外出する時はコートを羽織り、今は暖かな屋内だとは言えども、 
 それでもこの北国の街でパンスト一枚、スカート一枚で行動する彼女の姿は、 
 傍から見ていてもただそこにいるだけで寒々しい。 
 彼女ら女性は基本僕ら男のように身体が被毛で覆われていないだけに尚更で、 
 現に彼女に付き添って後ろから部屋に入ってきたティル君は、 
 女性だけど(ADという職位の違いこそあれ)暖かそうな作業服に身を包んでいた。 
 ……というか、それが普通だろう? 
 大体雪道でパンプスやハイヒールなんて、男の僕でさえ分かる非常識さだぞ? 
 
「いい女は寒くてもそんなの我慢なのよ、ラスキ」 
 それなのにそう言って(やっぱり本当は寒いのに)そんなそぶりを見せない、 
 …それが彼女というネコの特徴であり、人物像の基本。 
 
 基本的にネコは「ぐうたら」で「めんどくさがり屋」の種族だと言われてるけど、 
 同時に相当にプライドが高い、我が強い種族だという事も有名だ。 
 そうして彼女はそんなネコの中でも、「ぐうたら」な側面より「プライドが高い」の方の 
 側面が突出して強く出てしまった人物であるらしかった。 
 
 仕事は出来るし、多少サボる事はあってもミスや期限を守れなかった事はない。 
 実に優秀な女性であるのだが、反面でどこかすましたお堅さ、 
 仕事一筋で何でもソツなくこなす『完璧ぶり』が、同族であるはずのネコ達、 
 特に女性社員から「カンジ悪く」見られているようだった。 
 とりわけ彼女のように外見も中身も『優秀優秀』してる女性には、 
 どうしてもほとんどのネコの男も敬遠するか、萎縮して離れて行ってしまうらしくて。 
 浮いた噂や恋人の話題が皆無ってわけじゃないんだけど、 
 それでも僕の記憶にある限り、滅多にない上に三ヶ月以上長続きした覚えもない。 
 
「それに、これが私の勝負服なんですからね」 
 現にそう言って、でも私服勤務も認められている猫井TVの中で、 
 よっぽどの汚れ仕事が無い限りはこの『オフィスレディー』の装いを通しているのも、 
 この美貌とプロポーションの割には彼女に男っ気がない理由でもある。 
 「仕事が恋人、家庭は女の監獄、あと100年は結婚しない」と公言して憚らず、 
 こんな大陸の北の僻地、間にオオカミの国を通るような長期の危険な道中にあって尚、 
 巨大なスーツケースの中に無数の仕事着と化粧品を詰め込んで、 
 遠く離れた旅先でまでこの格好に拘る辺りが、そこら辺をよく表していただろう。 
 意地っ張りというか、どうもこの仕事着に執着しているというか。 
 
 
 ……あまりにも完璧すぎる人間は、やっぱり誰からも好かれない。 
 だから「完璧すぎる、非の打ちどころが無さすぎる、それが彼女の欠点だ」と、 
 ろくに知らない人達は口々にそんな彼女を評してのたまうのだけれど。 
 
 
「んーなやせ我慢ばっかしてっからまだ150ちょいなのに冷え性にもなるんだ―― 
「おだまりっ!!」 
 
 ボソリと呟くヒースと、 
 そんな彼に裂帛の怒号と共に叩きつけられる部屋履きのスリッパ。 
 それはスッコーン!という軽快な音と共に彼の額に命中して、 
 呻き声と共にヒースを大いにのけぞらせた。 
 …そうしてティル君がオロオロしている以外は、 
 この場の誰もがもうそんな光景に眉一つさえ動かさない。 
 いつもの風景なのだ。 
 この二人が犬猿の仲なのは。 
 
「…っ! …ハッ、そんな事言って、どーせ勝負服とか言ってかっこつけながら 
スカートの下にゃ毛糸パンツでも履いてんだろオバハ―― 
「黙んなっつってるだろこのジャリネコが!」 
 
 続いて見事な回転を伴いながら飛んでいったファイルフォルダの角が、 
 これまた見事にさっきと同じ部分をクリーンヒット。 
 恐るべき制球力。 
 これにはヒースもたまらず「でうっ」とか変な悲鳴を上げてベットにひっくり返る。 
 
 完全無欠の才色兼備だなんて付き合いの浅い人間からは揶揄されるけど、 
 それでも彼女にだって欠点らしい欠点がある事を、僕ら四班の人間は知っている。 
 その一つが、このヒースとの夫婦漫才。 
 冷え性だとか毛糸のパンツうんぬんなんてくだりも、 
 命惜しさで直接確認した事こそないものの、 
 あの顔の赤らめっぷりから見るにおそらくは事実だと傍目にも判った。 
 ……「仕事の出来るクールレディ」を自称する彼女は決して認めないだろうが、 
 これで結構、無意識に人見知りする性格だと僕は個人的に目している。 
 
 ネコ特有の、身内とそうでない人間との間の温度差。 
 それさえ周知となれば美貌が美貌だ、 
 男性から言い寄られる回数も増えるに違いないと僕自身思うのだが、 
 いかんせん彼女自身の男性に要求する理想像が高すぎて、 
 結果ああやって彼女の良い鬱憤鬱屈の発散材料になれるのはヒースぐらい。 
 勿体無いなぁと思うのだが、でも今の世の中、 
 女性に対してそういうのを忠告するのも『せくはら』とか言うのになるんだけっけか。 
 ……難しいもんだねホント。 
 
 
「……で、キャロ。ヒースの軽口なんかに付き合えるだけの暇があるなら、 
是非とも主任記者として『筒』の方のダメ出しをお願いしたいんだけど…」 
「ぜーぜー……ん、っと」 
 仕事を頼みたいのは山々だったが、 
 ここで『相変わらず夫婦漫才で仲が良ろしい事で』なんてからかったりしたら 
 ますますキレられて機嫌を損ねてしまうのは間違いない以上、 
 当たり障りのない言葉でうまく彼女の自尊心に火をつけこちらへ気を引く事にする。 
 ウィークポイントを突かれた場合、 
 根本的にこらえ性がなく短気なのは同じネコだからかヒースも彼女も同じだ。 
 危険な爆弾を取り扱うように、オブラートに包んで摘み上げるように。 
 
「…ふぅ。ヒースのバカはともかく、本当にラスキったら真面目よね。 
そんなの今ここでなくても、局に帰ってからまとめてやればいいのに」 
「この街に来るまでの旅程と経費を考えれば、そういう訳にもいかないさ。 
そもそも撮り直しが出来るような距離と日数じゃないんだからな」 
 呆れたように言うキャロ女史だけど、でもこればかりは譲れないというもの。 
 
 イヌの国からオオカミを突っ切り、オオカミの国からウサギの国へ。 
 王都を出立してから汽車で北端の地方中枢都市まで行き、 
 馬車を乗り継ぎながら正規の街道を通って、最後ら辺は雪上車に乗り換えて。 
 取り立ててトラブルもなく最短ルート、それでも24日ここまでかかった。 
 …それでさえ近年の汽車や馬車、そして街道の整備から実現された旅程であり、 
 完全に徒歩のみの旅人なら2ヶ月3ヶ月、下手するともっとかかる距離なのだ。 
 かかった経費だってバカにならないし、何より幾ら旅慣れてるとは言っても 
 好き好んで馬車に20日以上も揺られていたい人間なんかいないだろう。 
 第一僕だって、旅は好きだけど二度手間はごめん。 
 せめて1年の3/4くらいは、揺れてない床の上でぐっすりと寝たい。 
 
「カモシカやヘビの国に行った時は、そんな堅苦しい事言わなかったじゃないのよ」 
「あれは状況が状況だからな。悠長に現地で映像の編集をしてる暇も無ければ、 
多少モノが悪かろうと二度も三度も撮り直ししてられるような状況じゃなかっただろ。 
必要な映像だけ手に入れたら、あとはとっとと撤収する迅速さが必要だったんだよ」 
 大陸には常に夜襲を警戒して寝ずの番も必要な、おちおち眠れたもんじゃない、 
 【銀筒】の編集操作の燐光だけで襲撃対象・矢のいいマトになる土地さえある。 
 撮影用の機材一式自体、デリケートで取り扱いには注意が必要なものの、 
 全部売ったらいいトコ4000〜5000セパタにはなる一財産だから、 
 治安の悪い寒村部や歓楽都市なんかで見せびらかすのも心臓に悪くて。 
 ……滅多にいないのこそ救いだけど、一度なんて『これ』の価値を 
 正確に判ってる奴に執拗に狙われる羽目になり、かなりのピンチに陥りもした。 
 壊れたら元も子もないからこそ相手の攻めにも容赦があっただけで、 
 皆殺しオッケーの本気のカチコミを受けていたら今頃僕らの首は無かっただろう。 
 
 その点この街は、それに比べたら天国のような素晴らしい街だ。 
 現に敵襲や強盗に怯える事なく安心してホテルで眠れるし、 
 街を出歩いてもスリやゴロツキどころか浮浪者や孤児さえ見当たらない。 
 おいしいご飯に大浴場もあって、ランプや魔洸燈も際限なく使い放題できるから、 
 深夜にまで及ぶ編集作業にも気兼ねなく没頭する事ができる。 
 ……うん、世の中にはもっと酷い土地がそれこそごまんと転がってるんだ。 
 素直に恵まれた身の上を感謝して、熱心に仕事にも励まないとな。 
 
「大体、真面目真面目と言われても、僕が局長や支社長に買ってもらってるのは 
ひとえにこの真面目さが一番にだからな」 
 それに、この熱心さこそが僕の一番のお買い得要素。 
 僕は自分が天才肌じゃない、秀才にしかなれないという事はよく理解している。 
 上を見上げてもキリが無いのは、魔導院時代に思い知った良き教訓だ。 
 
 予想の域を突出はしない、だけど予想内の高水準で安定した信頼性のある仕事。 
 ものぐさな人間であればやろうとしない、手間と労苦さえ掛ければ稼げる点数。 
 そんな平凡であっても信頼を裏切らない磐石さが僕に求められた要素であって、 
 だからこそ局長も、僕に『絶対に失敗はできない』大きな仕事を任せてくれるんだ。 
 
「…である以上手を抜く訳にもいかないさ、番組の企画立案や演出のアイデアで 
君らネコには及ばない分、こういうところで有能さを示して見せないとね」 
 猫井という企業は、それでも子供同士のお遊び企業ではない。 
 こんなふざけたメンバー構成でも、それでも僕ら四班が必要とされているのは、 
 各人それぞれが優秀だから、利用価値があるからに他ならなかった。 
 
 優秀であれば他種族でも差別なく、無能であれば同じネコでも切り捨てる。 
 功績に応じて多少の失敗は見逃して貰えるが、度が過ぎれば重役でさえ温情なく、 
 それが今や魔洸家電により【技術の猫井】の名を大陸中において磐石とした、 
 ネコの国の一大企業グループ、猫井グループの基本人事方針だ。 
 他所の人達から見れば「ふざけたお笑い企業にしか見えない」という声もあるけど、 
 ここは本当の意味での無能や不真面目を雇うような、慈善事業の会社じゃない。 
 
 厳しい、正真正銘の実力主義から来る冷酷な審判の連続。 
 ……でも、だからこそやりがいもある、相当の仕事には確かな評価も下される。 
 その『安心』の無さに、不安や恐怖が無いと言えば嘘になるけれど、 
 でもそれにも増してのこの健全さが僕的には好ましい。 
 少なくとも知らない間に身の覚えのない罪を着せられたり、上役の機嫌一つで 
 首の繋がる繋がらないも決まるような私利私欲に塗れきった組織よりは、よっぽど。 
 
 ただキャロの方は僕のそんな張り切りぶりを…… 
 ――彼女は時々僕の事を『局長の犬』呼ばわりさえする。まぁ間違ってないのだが―― 
 ……素直に呆れた目で見ているらしく、 
「毎度毎度、飽きもしないで頑張り屋さんよね。たまには手も抜けばいいのに」 
 ……まぁ、妥当な反応だろう。 
 彼女もやはりネコだからか、仕事で優秀とは言っても僕らイヌみたいに 
 忠誠とか忠義といったものを持ち込みはしないし、今後も持つ気はないらしく。 
 ただ、あくまで「仕事をするのは自分のため」というそんな彼女のドライな視点。 
 たとえ冷たかろうとも、時に熱心さ故の視野狭窄に陥りがちな僕にとって、 
 それがとても貴重なものだという事も理解はしているつもりだ。 
 
 
「自分の手がけた番組のクオリティが高まるのは、記者冥利だと思うんだけどね。 
…それよりキャロ副主任、正直僕一人じゃ手が回らない、頼まれてくれないか?」 
 そうやって助力を乞うてみて。 
 …でも「うーん」と唸って顎に手を当てる、この状態に彼女がなったという事は、 
 それを承諾できない・納得できないという意志の表れだ。 
 
「それ自体は別にいいんだけど……」 
 パチパチ、と蒼色の瞳を瞬かせたあと、 
「…でも先に皆でミーティングして、今日の取材結果を報告し合うのが先じゃない?」 
 彼女が自分の案を述べる。 
 確かにそれも一つのプランではあるが…… 
 
「それは夕食の席で良くないか? 嫌でも全員が顔を合わせるわけだし」 
 ちらり、と完全に寝入ってしまったイェスパーを見やりながら僕も言う。 
 わざわざ今それをしなくても、あと1時間半もすれば必然的に一同その場に会する。 
 何しろ今のこのホテルは僕達だけの貸切に近い状態なのだ、 
 従業員はともかく、会話を他の客に聞かれるような注意を払う必要もないわけで。 
 
 ――だからその方が『効率がいい』だろうと、そう僕は考えていたのだけれど。 
 
「やあねぇ。食事中にまで仕事の話してどうするのよ? 
貴方はいいかもしれないけど、料理を食べるのに集中したい子だっているはずよ?」 
 …………。 
「それに貴方と私はダメだとしても、保安部の2人なんかはお酒も飲みたいだろうし…」 
 ……むむむ。 
「こんな素敵なホテルでの食事時くらい、仕事抜きでのおしゃべりだってしたいじゃない? 
だから先にミーティング済ましちゃいましょうって、私はそう言ってるの」 
 …確かに彼女の意見にも一理ある。 
 作業効率ばかりでそちらの視点を欠いていた事を素直に反省し、でも――… 
 
「…だがそうすると、その分君の睡眠時間が削られる事になるが……」 
「あら、楽しい食事もたっぷりの睡眠時間も、どっちも同じくらいのお肌の敵よ」 
 クスクスと笑いながら耳を震めかせて彼女が笑う。 
 手伝ってくれるのは確定らしい以上、 
「…だったら皆が楽しめる方を取れる、それが貴方達イヌの考え方じゃない?」 
 どうやら今回は彼女の思慮の方が、僕より一枚上手だったようだ。 
「……やれやれ、上手いな」 
 溜め息をついて両手を軽く上げ、僕は『降参』の意思表示をした。 
「そこまで言われたら、君の意見を採用しないわけにはいかないじゃないか」 
 
 『守銭奴』『自分勝手』『ワガママ』『残酷』。 
 ネコという種族に対して、色々と悪い評価が多い事ももちろん知っているけど、 
 でもそれでも僕は、彼女達の事を高く評価している。 
 …この余裕のある発想や、仕事であっても楽しむ事を忘れない視点こそ、 
 彼女達ネコならではの素直に賞賛すべき特性だと思うから。 
 
 
「ティル君、部屋にいってラウさんとレティシアさんを呼んできてもらえるかな?」 
「……!! 承ってござる!」 
 茶色、というにはやや薄い、ライトブラウンの髪色をした垂耳の女の子―― 
 ――アシスタントディレクターのテイルナート君(僕と同じイヌ)――が 
 元気よく返事をしてトコトコと部屋から出て行った。 
 『や〜ん、やっぱり可愛いわ〜♪』と危ない表情で身体をくねらせる、 
 可愛いものには目が無いネコが約1名居たりもするが、黙認。 
 
 ……ほどなく、ノックの音。 
 ティル君に連れられて、オオカミの大男と凛々しいカモシカの女性が入ってくる。 
 これで今回のアトシャーマ取材に派遣されたメンバーが 
 全員一堂に顔を合わせた事になるのだが…… 
 
「…………」 
「…………」 
「…………」 
「…………」 
「……狭いわね」 
「……ああ、狭いな」 
 
 いくら広めの四人部屋とは言え、八人は流石に集まりすぎた。 
 しかも内五人がマダラでもない普通の男だ、暑苦しいにもほどがある。 
 
「どっかの誰かさんが一人で三人分くらい空間占拠してるからなー」 
「…………」 
 (悪意はないのだろうが)やや当てつけがましく呟かれたヒースの言葉に、 
 鳳也がバツが悪そうに身じろぎした。 
 ……うん、でも、実際本当に、彼のあの背中の羽根は邪魔だ。 
 トリの中でも比較的大柄な、タカである彼の体躯を支えて空を舞えるだけあって、 
 広げたら論外なのはもちろん、畳んでいても相当に邪魔だあの羽根。 
 邪魔。 
 邪魔。 
 邪魔邪魔邪魔。 
 …皆の視線を見る限り、鳳也には悪いがそれはこの場の全員一致の見解だろう。 
 
 彼が振り返った拍子のあの背中のでっぱりに、コーヒーカップをひっくり返された事、 
 積み上げた書類を崩された事、頭をどつかれて前につんのめらせられた事、 
 第四班の人間であれば、誰もが身に覚えのある苦い思い出だ。 
 ……流石に3人は言いすぎだと思うが、でも2.5人分くらいは確実に幅取っている。 
 まぁ、かといって1.5人分くらいの幅を取っている僕とラウ君にも 
 似たような事は言えるのかもしれなかったけど。 
 
 あまりの居心地の悪さに耐えかねたように僅かに羽根を動かしかけた鳳也に、 
「広げないでね!?」 
「広げるなよ!?」 
 でもキャロとラウ君が声を揃えてめちゃめちゃ真剣な眼差しで釘を刺した。 
 …うん、広げれば左右7m超にもなる大翼だけに、 
 こんな狭い部屋の中でそれをやってしまった場合の惨事は推して測るべし。 
 大空の覇者たる白鳳も、屋内ではただの粗大ゴミ。 
「……ロビーに行こう」 
 まるで鳥かごに入れられた鳥みたいにしょんぼりしている鳳也を見て、 
 たまらず僕はそう提言してしまっていた。 
 結局集まってもらったのも二度手間になったが、 
 だがロクに座る事もできないこのスペースの無さはどうしようもない。 
 脱いだ上着の中から手帳だけを取り出し、 
 入り口にいる側の人間からめいめい部屋の外へと出ようとする列に並び―― 
 
「でも大将、じゃあ『これ』どうすんの?」 
 
 ――そう、『それ』が問題なんだよ。 
 
 
 ヒースが無造作に指差した先。 
 何人かが部屋の外に出て若干広さが生まれた室内、僕は無言でそれを見る。 
 ……まるで抱き枕でも抱えるみたく、 
 くるりと自分の尾を抱きかかえてすーすー寝息を立てるヘビが一匹。 
 ジン使いのイェスパー。 
 
「……なんか可哀想だけど、ここは起こした方が良くないかしら?」 
「いや、寝てていいって言ったのは僕だから……」 
 どうにもさっきから音沙汰がないと思えば、本当に寝入ってしまったらしい。 
 目に毒な黄と黒の斑目ヘビは、だけどあまりにも無警戒。 
 身体を丸めての幸せそうな熟睡ぶりは、どうにも起こすのが躊躇われる。 
 
「…でもこの子の事だから、 
起きて自分が置いてかれたって分かったら絶対ショック受けるわよ?」 
「…………」 
 ああ、でもそうだな、そうだろうな。 
 経験から言って、間違いなく傷つくだろう、そんな事になったら。 
 泣くまではいかないだろうが、相当いじけるはずだ。 
 部屋の隅、タンスや本棚の隙間みたいな狭くてひんやりした所に入っていって、 
 捨てられた子犬(子蛇?)みたいな目でジトッとこっちを見てくるモード。 
 ……あれはちょっとごめんこうむりたい。 
 
「……ティル君」 
「? お呼びでござるか?」 
「悪いけど君はここに残って、イェスパーの傍に居てやってくれないか?」 
 一応、二級記者という肩書きは与えられているものの、 
 でも四班の中でのティル君の仕事というのは、率直な所『雑用全般』というやつだ。 
 だから我ながら妙案だとは思ったのだが。 
 
「…………」 
「………(うっ)」 
 途端にパタン、と。 
 元気よく左右に振られていたティル君の尻尾が力を失い、 
 みるみるその周囲の空気をしょんぼりムードが侵蝕し出す。 
 ……な、なんだ、一体どういう事だ。 
 僕は一体どんな禁句を言ってしまったというんだ。 
 
「…幾ら助手 兼 雑用全般だからって、ティルちゃんも私達四班の仲間じゃないの。 
形だけでも皆と一緒にミーティングに参加したいのが心情ってものよ?」 
 見かねた様子でキャロが横から助け舟を入れてくれる。 
 うん。なるほどそれは分かる。分かるんだが……。 
 
「あー、ティル君、その、なんだね」 
 ごほん、と咳払いをしながら視線を泳がせて言う僕。 
 …キャロ以外の全員がもう既に部屋の外に出て行ってしまっていたのが、 
 この場のせめてもの救いだった。 
「実は今日のミーティングで報告しなければいけない内容というのは、その」 
 本家本元の『捨てられた子犬の視線』で僕を見上げてくるティル君に、 
 「上目遣いというやつは強力だなぁ」とか寝ぼけた事も考えながら、顔を赤くして。 
 
「――年頃の女の子の君には、少々刺激が強い内容でね」 
 
 ――沈黙。 
 数秒、きょとんとした瞳、不思議そうな表情をしていたティル君が、 
 やがてじわじわと顔を赤色に染め上げだす。 
 ああ。 
 だから。 
 だから嫌だったんだんだけどなぁ…。 
 
「…ゆ、夕食の時間帯になったら、イェスパーを起こして食堂まで降りてきて欲しい。 
それまでは自由行動だ、好きにくつろいでいていいから」 
「……が、がってん承知召されい!」 
 呆れたような表情で僕らを眺めるキャロを尻目に、 
 耳まで赤くしながらブンブンと頷くティル君に、僕はそうして待機命令を下した。 
 気まずい空気に追い立てられるように、 
 あとは財布とペンを差した手帳だけを手持ちに部屋を出る。 
 
 
「ねぇ」 
「うん?」 
 もう皆階下に降りてしまった廊下の途中で後ろから声を掛けてきたのは、 
 当然のごとくキャロ。 
「あの子……イェスパーも、ああしてればホント中身相応に可愛いけど…」 
「…ああ、そうだな」 
 抱き枕を抱くように自分の尾を抱いて眠りこけていた彼を思い出す。 
 確か彼はまだ20代前半、 
 ヘビの20代前半と言えばまだまだ少年と青年の境目のような年頃のはず。 
 寝ている時はそれが露骨に出るというか、 
 あの無口さに加えての外見が外見だけに起きてる時は目に見えて来ない、 
 先刻の歳相応のあどけなさに思わず顔もほころんだが。 
「でも幾ら何でも同じ部屋に男1人女1人を残してくるだなんて上司としてどうなの?」 
 ……キャロと来たら、何を言い出すかと思えば。 
「イェスパーはヘビだし、ティル君はイヌだよ?」 
 それこそ自明の理、言い出すだにバカらしい事だと思うのだが。 
 
「…案外時代遅れの考えなのね。ここ数十年、異種族間恋愛が別に珍しい事じゃ 
なくなって来てるのは、『乙女の祈り』時代に散々特集したとばかり思ってたけど」 
「そりゃあ、それは僕も知ってるけど――」 
 
 ――でもそれは、所詮は『そういうもの』じゃないか。 
 「障害のある恋」、「禁じられた愛」……いつの時代も若い子達が好きな言葉。 
 実際そういう恋の方がかえって燃え上がるという事も、 
 雑誌記者時代の取材経験やアンケート経験から経験則として理解している。 
 …でもそれでも、それは『自然本来のあるべき姿』じゃない。 
 子供のできないその関係は、夫婦や恋人というよりもセックスフレンドに近いものだ。 
 実際、避妊や妊娠なんて単語に余計な気を使う事なく思う存分交われるからこそ、 
 これほど異種族間恋愛が増えているんだとも僕は考えていた。 
 つまり、それは、一つの文化、一つの娯楽としての、快楽目的での『ふれあい』で。 
 
「性の乱れ、種族意識の乱れなんて嘆くお年寄りは多いみたいだけどね、 
でも僕はそれが今の若い子達の文化だっていうんなら彼らの流儀を尊重するよ。 
…社内恋愛だって別に禁止されてないし、目くじら立てるほど野暮じゃないさ」 
「……そういう事じゃなくてねぇ」 
 我ながら寛大な良き上司だなぁと思ってウキウキしながら言ったのだが、 
 どういうわけかキャロは頭を抱えて不機嫌そうな表情をしている。 
「大体、貴方だってまだまだ若いでしょうに。何が『若い子達の文化』よ年寄り臭い」 
 ジト目で睨んでくる彼女に、どうしてそこまで不機嫌そうなのかが判らないのだが。 
「さぁね。どっかの誰かさんに引き抜かれて20年、12年前からは一部署の 
リーダーなんか任されてるせいで、すっかり若さも失っちゃったからね」 
 若くして抜擢されたまではいいものの、 
 上司として部下の面倒を見るというのは案外これで大変で。 
 日がなあれこれ忙しく立ち回っている内に、 
 気がつけば『第四班のお父さん』が板につき、若さもどこかに置いてきてしまっていた。 
 それはキャロ――我らが『第四班のお母さん』だって同じはずなのだが、 
 どうにも男女の色恋が絡むと口うるさいというか耳ざとくなるのは、 
 やっぱり『お母さん』であると同時に『井戸端の主婦』でもあるからなのだろうか? 
 ……『おばはん』なんて言った日には、それこそ殺されるのを抜きにしても。 
 
「大体ね、キャロ。もう少し男女の次元でなく部下としての彼らを信頼してあげなよ」 
 まぁ何でも色恋に絡めて男と女を見たがるのは、 
 彼女がネコというより女性だからなんだなと思う事にして。 
「いくら男は皆ケダモノだからってね、あのイェスパーがティル君を襲えると思うかい?」 
 心配性の彼女に、とっておきの信用をぶつけてあげる。 
 
 そうさそうとも、ありえるはずがない。 
 あの二人の部下の性格は、上司としての僕がこの上なく理解し把握している。 
 イェスパーがティル君を襲うのも、ティル君がイェスパーを押し倒すのも、 
 どちらも天と地がひっくり返ったって起こらない、確率万分の一よりも低い可能性だ。 
 
「だから……そうじゃ……なくってねぇ……」 
 まだブツブツ言いながら頭を抱えてるキャロに、 
 僕は彼女がいつもやる様に手をヒラヒラさせて見せながら階段を大股に降りていく。 
「ほらほら、悩んでばっかりいるとお肌に悪いんじゃないのかい、キャロ?」 
 
 
 
「…幾ら相手がイェスパーでもねぇ、襲える襲えないとは別の次元の問題でよ?」 
 聞こえないように愚痴を吐くのが、辛うじて彼女に出来る事。 
 頭の中に浮かぶのは、明茶の髪に垂れ耳が可愛い、イヌの少女の落ち込む姿。 
「好きな男の人に、別の男と二人っきりの状況を何の躊躇いもなく許されて、」 
 部下とか社内恋愛の自由だとかトンチンカンな事を言ってるあたり、 
 相当の重症なのはもうとっくの昔に理解しているけど。 
「落ち込まない女の子なんて居ないでしょうって言ってるのよ、この××××…!」 
 
 
 
=―<<2-3 : Houya Hakuo in : 5th day PM 6:19 >>──────────────――= 
 
 
 技術の猫井。世界の猫井。 
 
 今や戦乱地域であるヘビの国やカモシカの国にさえ尚その名前を轟かせる 
 この世界企業の150年前からの美徳の一つが、 
 有能であれば他種族であっても重役のポストと待遇をもって迎え、 
 無能であればネコであろうと雇用もしなけりゃクビも切る、 
 そんな一切の出自経歴身分を問わない、徹底された実力主義であろう。 
 
 驚くなかれ、猫井グループの全部門を合わせての社員構成比を見た場合、 
 ネコ族の割合は半分どころか2割にも届かず、 
 各部門の重役が一堂に会しての猫井グループ総帥会議のメンバーに至っては、 
 実に過半数がネコ以外の種族で構成されるという壮観な光景が確認できる。 
 
 この他種族の人材を積極的に取り入れる風潮こそが、 
 かつて一介の弱小企業でしかなかった猫井が 
 落ちて来たヒトを奴隷としてではなく技術顧問として迎え入れて以来、 
 ……伝説のヒット商品『コタツ』によって猫井伝説の一歩を踏み始めて以来の、 
 変わる事なく続けられてきた良き風習。 
 
 ……そうしてそんな猫井グループの良き風習は、 
 当然にその一部門に過ぎないネコイテレビ(通称ネコノテ)のイヌの国支社、 
 その一部署においても見受ける事ができるものだった。 
 
 
 
「……というわけなんだ」 
 パタン、と手帳を閉じて主任が報告を締めました。 
 僅かに顔が赤いというか、気まずそうなのは多分気のせいじゃないなーあれは。 
 つまりあれです、この街ってのは。 
「要するに、イイ男にはどんどん女の方から寄って来る街って事ですか?」 
「おおー! いい街じゃん、いい街じゃーん!」 
 俺がそう言うと、隣で手を叩いて師匠が喜び声をあげます。 
 正直師匠みたいなガキんちょに女の子が寄って来るなんて到底思えないんですけど、 
 でも俺みたいなクールホワイトのホークガイにはそれこそ選り取りみどりの―― 
 
「ただし男も寄って来るわよ?」 
「「げっ」」 
 ズバッと言うのは副主任さん。 
 ……さ、流石にちょっとそれは困―― 
 
「ついでに女にも尻穴を狙われるな」 
「「……」」 
 ……ラ、ラウさんまでそういう事言うですか。とほほだなー。 
 
 
 
 …ん? 俺は誰かって? 
 ……ああ、はいはい。 
 チャオ! みんなのアイドル、ホウヤ・ハクオー、白凰鳳也です! 
 ネコイテレビで、師匠の弟子、第四班のカメラマンをしています。 
 よろしくなです。 
 
 ……? 
 しゃべり方がおかしいですか? 
 そうでしょうか? 
 俺の故郷の里では皆こんな風なしゃべり方だったけどなー、 
 でも訛ってるかと聞いたら、主任と副主任は 
 
――『まぁ意思疎通する分には問題無いし、大丈夫よね』 
――『……うん』 
 
 と言ってたんで、多分大丈夫だろって思うんですよ。 
 大丈夫だよなですよね? 
 よし、問題ない。 
 自己紹介終わり! 
 
 
 
「怖い街だなー」 
 率直な感想ですね。ガクブルもします。 
 俺はホモじゃあないんで、男に好きと言われるのは勘弁して欲しいところです。 
 女の子の方も、挿すのは好きだけど挿されるのはやだですよ。 
 
「……ハン、出掛けに聞かされた【例の噂】も、半分は当たりっていうわけか」 
 でも、それでニィッと愉快そうな笑いを浮かべるのは、右手のラウさん。 
 白い銀色の毛並、鋭い目つきの、見た目は超おっかないオオカミの大男さんです。 
 例の噂というのは、やっぱりあれですか。 
 あの『ウサギの街はこんなにおっかない』っていう、冗談みたいな噂ですか。 
 
「ああ、見境なく通りすがりや旅人襲うというのは誇張表現だろうが、 
でも親しい間柄では性に対して奔放だというのは間違いないと思う」 
「男も女も襲われる、の部分は正しいわけね」 
 そう言ってうんうんと頷くのは、正面に座った主任と副主任。 
 
「ついでに言うなら、『前も後ろも上も』の部分も正しかろう」 
 そして女の子なのに、顔色も変えずにそう付け加えるのがレティちゃん。 
 ラウさんと同じく保安部から派遣されてきた護衛要員で、 
 銀灰色の髪と同じ灰色の目が特徴、毅然とした感じのカモシカの女の子です。 
 
 ってか、皆冷静ですねー。 
 ラウさんは笑ってるし、レティちゃんと主任達は実に堂々としたもんです。 
「……つーかこの街ヤバくねぇ?」 
 隣に座った師匠がおっかなびっくりの声を上げるけど、 
 普通はそういうもんじゃねーかですよ。 
 
 「男女分け隔てなく」って言うと聞こえがいい気がするですけど、 
 要するに右も左もホモとレズと両刀使いだらけっつー事ですよね? 
 しかも恋人同士の操とか夫婦同士の操とかにそんな特に拘らないっつー事は、 
 結構簡単に「つまみ食い」やら「セフレ感覚で」も発生しますよね? 
 ……しかも違う種族同士ってのは、 
 避妊の手間や妊娠への不安をなしに気軽に出来るのが最大のウリですから、 
 ウサギじゃない種族の方がむしろ危険って事になるですよね? 
 
 ……メチャクチャ【例の噂】と大差ねーじゃねーかと思うですよ、俺的にはです。 
 
 もちろん、それだけなら俺も嬉しいですよ。男ですから。 
 「おはよう」や「こんにちわ」するのと同じ感覚で仲のいい女の子達と 
 「おやすみなさい」できるってんなら、夢のような街だと思います、この街。 
 桃源郷ですね、そこだけ見れば。 
 
 ……でも洩れなく男もついてくるってなると、ちょっと話は別です。 
 アナル普通で、女の子にもしっかりお尻を犯されちまうってなると、困りました。 
 俺はホモじゃねーんで、男のモノをクチバシやお尻で咥えるのはごめん。 
 女の子に攻められて、お尻にバイブや張り型を突き立てられるのもごめんだです。 
 ホモじゃねーし、ノーマルですよ。 
 女の子は好きだけど、SMプレイとか、拘束プレイとか、アナルプレイとか、 
 多人数プレイとかは流石にちょっといただけません。 
 
 ……ああ、そう言えば。 
 
 昨日だったか、昼の往来の風景を撮るのに店を覗き込みながら通りを歩いてたら、 
 なんか「大人のオモチャ」屋が昼間で大通りなのに堂々と店を構えてるのを 
 発見してちょっとビビッたですが、つまりはそーいう事ですか。 
 裏通りとか路地裏なんかでそーいう店が経営してるのならともかくですけど、 
 ああも臆面もなくあけっぴろげなのは、ナンパ大好きの俺でもちょっと引くですね。 
 ショーウインドウちらっと覗き込んだだけでも、 
 手錠とか、鞭とか、浣腸器とか、ギャグボールとかが普通に飾ってありました。 
 そうして俺の見てるまん前で、 
 どうみても普通のウサギのカップルが普通に談笑しながら入っていくし。 
 ……そういう感覚ですか、ウサギにとってのそういうのは。 
 ノーマル派の俺には、ちょっと真似できないですよ。 
 
「それこそホモやレズに路地裏に引き込まれて襲われちまったらどーすんのよ?」 
 だから俺も師匠のそんな意見には賛成。 
 そうそう、そーです、その通りじゃねーかと俺も思うんですけど、 
 
「……できると思うの? あんなのに?」 
 
 
 意味深な声で副主任が小さく指差したんで見てみると、 
 メイドさん(もちウサ耳ですよ)の格好をしたホテルガールの女の子が、 
 お盆を片手に慌てて物陰に隠れるのが見えました。 
 
 …よく見ると無人のはずのフロントの机からも、なんかウサ耳がはみ出しています。 
 ……隠れ切れていません。 
 
「……コソコソコソコソ、気に入らねぇなぁ」 
「…ま、まぁ、ホテルマンのマナーとしては、僕も確かにどうかと思うが……」 
 苦虫を噛み潰したような表情のラウさんを、 
 自分も微妙に冷や汗をかきながらなだめる主任。 
 
 つーか注意してみると、そこかしこから誰かの視線を感じるのに気がついたですよ。 
 フロントの下とか、あの曲がり角の影とか柱の影、 
 何故かほんの少しだけ開いてる「従業員専用」とかかれた扉の隙間からも。 
 俺が気がついただけでも4つ、5つの視線があるです。 
 …な、なんだよですかこの国内総暖房都市国家ならぬ国内総家政婦は見た国家。 
 
「…たぶん、珍しいんでしょうねぇ、流石のホテルマンでも『こんな光景』」 
「…追っ払っとくか?」 
 そりゃ、5種族6人。 
 部屋のイェスぱんとティルっちを加えれば6種族8人が一堂に会して 
 仲良く円卓を組んでるわけになるだもんなです。 
 はぁ、と副主任が溜め息をついて、師匠が不機嫌そうに周囲を見渡します。 
 …あー、だからそうやって無意識に右手を腰溜めに構えて掌を浅く広げるのは、 
 魔法の発動体勢に構えるのは止めてくださいってばですよ師匠。 
 悪いネコじゃあねーんですが、直情径行で短絡過ぎんのが師匠の悪い癖でした。 
 
「止めておけ、どうせ無駄だ」 
 そんな師匠の行動を遮ってくれたのは、素直クールのレティちゃん。 
 
「ウサギは恐ろしく耳がいい。壁向こう、10m先の忍び足でさえ聞きつける程にな」 
「イヌもネコも決して耳は悪くないんだけど、そこは正直異常の域よね」 
 それは俺も知っています。ウサギの常識外れの耳の良さ。 
 世界に耳の良い種族は多いです。ネズミだって、ネコだって、イヌだって、 
 物音には敏感、決して耳が悪いわけじゃねーです。 
 …なのに、そんな中でも尚ウサギが『耳が良い』なんて言われるのは、 
 それだけウサギの耳の良さが他と一線を隔して突出してるっつー事の表れ。 
 
「さっきからの我々の会話、おそらく小声のものまで全て向こうに筒抜けだろう」 
 
 ……サラッと吐かれたすごい言葉に、思わずクチバシに手を当ててました。 
 隣を見れば師匠も目をまん丸にして口に手を当ててるです。 
 ……えー? あれ、何言ったですか? 
 ……俺何言ったですか、色々言っちゃったような気がするというか―― 
 
「…いや、むしろ『先刻の部屋での会話内容まで丸聞こえ』と思っていいか。 
何せ今のこのホテルには、他に『雑音』がないのだからな」 
 
 ………… 
 
 
 全員沈黙。 
 師匠に至っては微妙に顔の筋肉を引き攣らヒゲをプルプルさせてやがるです。 
 ……まぁ俺も多分似たような顔してるんだろーなーとは思うですが。 
 
 チラッとフロントの方を見たら、何か顔だけ出したウサギの男の人が 
 意味深な笑顔で指で丸マークを作って寄こしてやがるしです。 
 …えー、てか何その爽やかな笑顔とオッケーサイン!? 
 何ー!?って感じです。 
 しかも何か紙切れを…………あ。 
 あれは俺、目のいいタカだから分かるですよ、ベットの修理代金請求書です、 
 ……請求先は……ヒースクリフ、様。 
 
「…………」 
 きっと師匠にも見えたですね、ウサギさんはニコニコ手を振ってるけど、 
 師匠の方は乾いた笑いを浮かべたまま完全に凍りついちまってました。 
 色々可哀想だけど、これは完璧師匠の自業自得。 
 
「…だから言っただろう」 
 沈黙してしまった皆を見回すようにして、主任が重たい口を開きます。 
 …こういう率先した所は流石リーダーですね、俺も尊敬してるです。 
 
「この街での個人の『羞恥』とか『隠し事』なんてものは、最初から無いに等しいんだ」 
 確かにこれじゃ、お隣夫婦の夜の営みとかも丸聞こえですからね。 
 こっそり不倫や浮気もできねーですし、子供にプロレスごっこを隠すのも無理ですよ。 
「だから情事に対してもあれほど開けっぴろげで積極的、貞操観念も生まれない。 
…そういう文化で、そういう社会なんだ。淫乱とか色狂いとかを抜きにして」 
 色んな地方や種族も見てきたけど、その中でもこれはかなりの特異。 
 …でも生まれた時からそんな環境で育ったら、確かにそうなりもするよなです。 
 ただ、そうじゃない俺らには―― 
 
「…である以上従うしかないだろう。ここは彼らの流儀の下、彼らの腹の中なんだから」 
 
「…………」 
「…………」 
「…………」 
「……開き直るしかねーわな」 
 ――ぼそっと言ったのはラウさん。 
 流石歴戦の傭兵だけあって判断も素早く的確ですけど、 
 うう、やっぱりそうなる、それしかないですか。 
 
「…ま、待てよ! それじゃ最初の襲われるうんぬんの問題が解決しないだ――」 
「それだったら対処法は簡単よ」 
 聞こえてるのにも関わらず、師匠が耐えかねたように机を大きく叩いて叫ぶですが、 
 副主任は意外と冷静に、何でもないって感じでそれをいなしました。 
 
「襲われそうになったなら、目いっぱい拒絶しなさい」 
 指を一本立てて、たったそれだけ。 
 
「自分の貞操が大事なら、これでもかってくらい明確に、キッパリと断る事。 
…それでもう大丈夫なはずよ、相手も素直に諦めて、解放してくれるはず」 
 …でも、たったそれだけでいいのかですか? 
 本当に? 
 世界でも名高い『淫乱』ウサギをそれでホントに止められるのか、 
 果たして大いに疑問なんですが。 
「ああ、そうすれば彼らはウサギだ、それ以上は踏み込んで来ないだろう。 
彼らは他者を傷つける事を、害する事を、種族レベルで忌避するからね」 
「無下に断るのは可哀想だからって曖昧な態度を取ると、かえってダメよ、…OK?」 
 ……うーん。 
 
 
 ……何ていうか、大人だよなって思ったですよ。 
 超クールカッコいいというか。 
 
 いや、種族バラバラなんで見た目でこそ違いが分かんねー、 
 それほど明確に年齢の差が判別できないメンバーだけどですが、 
 でもやっぱり纏う雰囲気が違うっていうか。 
 …ラウさんやレティちゃんにも、独特の傭兵的雰囲気? 
 いかにも修羅場を潜ってきましたな、無言の凄みみたいなのが周囲にあるですが、 
 主任と副主任の周りにも、それとはまた別の凄みがあんですよ。 
 …歴戦の猛者の威圧感や畏怖とは別の、重厚さや安心感っつーかですね。 
 
 やや優男風だけど大柄で長毛なイヌの主任がどっしりと椅子に座ってて、 
 その隣でチャーミングだけど剃刀みたいなネコの副主任が立ってウインクしていると、 
 なんていうかこう、安心できるというか。 
 言ってる事に間違ってる事なんか何もないって、そう信じられる安定感です。 
 二人ともまだまだ若いのに。 
 …俺もいつかはこういう男になりたいと思える、そんなある種の貫禄?ですよ。 
 ……イェスぱんやティルっちはともかく、 
 少なくとも師匠にはちょっと見習って欲しいぜと俺的に思いますです。 
 …師匠にはこれっぽっちもないもんなー、この貫禄感。 
 
「そもそも、そんな風に性に対して奔放なだけあって、この国の性病や伝染病に 
対する衛生対策の他、避妊中絶出産育児に対する心構えなんて相当なものよ?」 
 ほら、ちろりと舌で指先を舐めて、手帳のページを捲る副主任。 
 うわぁー、こいつはカッコイイー、です! 
 やっぱデキる女は何気ない行動までデキる匂いがプンプンするぜーですよ。 
 
「夫婦概念や家族制度、一般レベルで浸透した道徳観念や社会的価値観については 
ラスキが説明してくれたけど、今度はそこら辺について私が報告しましょうか」 
 
 
 
=―<<2-4 : sub-chief Calorine talked : 5th day PM 6:26 >>────────────= 
 
 
 魔力面に関してはネコ以上とも言われるウサギは、 
 しかし体力面に関してはある意味ヒトやネズミ以下とも言える極端な種族でもある。 
 特に病気や不衛生には弱く、また環境的・精神的ストレスにも非常に弱い。 
 
 異常聴覚の元である長い耳は、しかし多湿や騒音に弱くて耳の病気になりやすく、 
 草だけ食べて生きていける消化器官は、けれどそれ故にデリケートで複雑だ。 
 熱を出す、あるいは体調を崩せば、まず十中八九下痢や嘔吐として消化器に来る、 
 セルロースを消化できなくなり、食物を受け付けなくなる事も珍しくはない。 
 
 イヌやネコと比べれて、体格に占める骨の割合も明らかに少なくて骨折もしやすく、 
 なにより『爪と牙で立ち向かう』のではない、 
 『いち早く危険を察知して逃走する』のに特化したその種族レベルの心身は、 
 落ち着く事のできない環境化においては容易に彼らを神経衰弱に追い込む。 
 ウサギが自国からあまり外には出てこない理由の一つや、 
 何かと性行為――他人のぬくもり、身体の触れ合いを求める原因の一つは、 
 この辺りにもあると言う事が出来ただろう。 
 
 そうしてアトシャーマは狭い地域に人口が密集した都市国家。 
 性に対して奔放で複数での交わりが否定されていない分、 
 一度恐ろしい性病や伝染病、悪質の寄生虫に害虫などが入り込んでしまえば、 
 特に対策を取らなかった場合の結果の悲惨さは、火を見るよりも明らかで。 
 
 
 
「この国の伝染病対策の厳しさは、皆身を持って経験したから分かるわよね?」 
 頷くみんな。 
 特にラウ君とレティシアちゃんが苦い顔をしてるけど、それも無理のない話よね。 
 ここまで入国管理の厳しい国は、私もとっさに思いつく限りでは 
 同じく都市国家であるあの海底国家サランティットぐらいしか思い浮かばない。 
 …もう150年以上生きていても、それでも世界は広すぎる。 
 
 ネコや、イヌや、トラみたいな比較的国土が広い国。 
 あるいはヘビやオオカミ、カモシカみたく内乱状態とか小国群立状態とかの国。 
 めいめい好き勝手な人の行き来が多過ぎて、 
 あるいは必ずしも「完全遮断」「完全隔離」が出来ない国では、 
 必然的にそれはどうしても緩くなる。 
 ……疫病持ち込み対策とか、密輸対策、不法入国者対策。 
 国土が、国境が、広すぎあるいは複雑すぎて、洩れるべくして網洩れができる。 
 
 でもそうじゃない島国や都市国家、 
 「河川」「吹雪地帯」「海水」といった【完全遮断】を可能とする壁を持っていて、 
 かつ狭い地域に人口や都市機能を集中させている国々なら、 
 自然、疫病対策とか、密輸対策、不法入国者対策が容易かつ徹底可能で…… 
 
 ……そうしてだからこそ、一度持ち込まれてしまった場合の被害も甚大。 
 
 ネコや、イヌや、トラみたいな国は広い。 
 広いから人口が分散している。 
 分散しているから、疫病や伝染病をその事によってある程度抑える事が可能だ、 
 家と家との間が離れていれば、火事の火が燃え広がらなくて済むように。 
 
 でもその点、島国は、都市国家はダメね。 
 人口が密集し過ぎてるし、都市機能も分散せずに一箇所に集まり過ぎてる。 
 一度伝染病やテロが『発生してしまった』ら、被害が大きいのは都市国家の方。 
 ……だからこそ『入れない』事が大事になってくる。 
 ……入る直前で遮断できなければ、必ず大きな災いが訪れるから。 
 
 
 
━━≪ 1th day PM 2:35 ≫━━ 
 
『お待ちください』 
 肌を刺すような寒気と、轟々という風の唸り声、止まず荒れ狂う猛吹雪の中。 
 馬車の代わりに乗り換えた、幌付きの大型ソリにのろのろと揺られ、 
 何度も休憩所らしき所で休みながら、目印の魔法の照明塔を辿って二日と半日。 
 ようやくたどり着いた巨大な城門、緑や赤といった白以外の色に安堵して、 
 さあくつろごうと前に歩み出た私達の前に、 
 がちゃんと無慈悲に衛兵の棒(…だと思う。槍ではなかった)が突き出された。 
 ぎょっとして見てみると、何か仮面?を被って表情が見えないばかりか、 
 フードつきの白ローブを頭から被った怪しい感じのウサギが二名(たぶん男)。 
 
『指定印章の提示が無い所を見るに、初入国の通常旅行者とお見受け致しますが』 
『…我々は猫井TVの取材班です。既に書簡での連絡が通っているはずですが』 
 それで雪を被ったフードを降ろして、 
 分厚い防寒具の下から手際よく正規の身分証明書を見せるのはラスキ。 
 (もちろん証明書はイヌの国発行の本物。毎回請求する度高いんだからねこれ) 
 流石こういう時の彼は手馴れていて実に堂々としていたんだけど…… 
 
『ああ、そう言えばお話が来て……ああ、ダメです! いけません!』 
 そこであれだけの外の寒さにも関わらず青々と茂る木々に目を取られて、 
 トコトコと奥へ歩きかけていたヒースが怒られて呼び止められた。 
『あの黄色く色がつけられたレンガ舗装の向こうは、抗菌結界の遮断範囲外です!』 
 抗菌結界という言葉にぎょっとして立ち竦む私達の周りで、 
 でもよく見れば自然な動作で城壁のすぐ傍の大きな白レンガの建物に入って行く 
 他の入国者の人達の姿。 
『…暖かいお飲み物と菓子もご用意しておりますので、まずはこちらへ』 
 別に荒事を起こそうと思ってこの街に来たわけじゃない。 
 ここで変に逆らっても面倒な事にしかならないのが分かってる以上、 
 私達にはその誘導に従うより他になかった。 
 
 
 
━━≪ 1th day PM 2:49 ≫━━ 
 
 これが噂の魔法式か、方々に幾何学模様が刻まれた、とにかく白一色の建物内部。 
 なにやら控え室らしい部屋に丁寧に案内され、 
 荷物と防寒具を預かってもらい、暖かいココアとクッキーまで出してもらう。 
(……意外と対応は紳士的よね) 
 とクッキーを齧りながら背筋を伸ばしてくつろいでいたら。 
 
『ではこれより少し裸になって入浴をしてもらう事になるのですが――』 
 
 全員ではないけど、その場の数人が噎せるかあるいは吹くかした。 
 
『は、裸に?』 
『はい、我々の立会いの下、指示に従って身体を――』 
『た、立ち会うって、てめーらの目の前でかよ!?』 
 例によってヒースが信じられないといった面持ちで無駄に大声をあげるけど、 
 でもこんな時の彼はある意味私達にとっての救世主だ。 
 …叫びたくても叫べない私達の心の叫びを、ものの見事に代弁してくれる。 
 
『本当に申し訳ありませんが、でもこれはアトシャーマ国内に外界の伝染病や 
危険な病、寄生虫などを持ち込ませないための必要不可欠な方策なのです。 
なにとぞご理解の上、ご協力いただけるとありがたい次第で』 
『っておいコラ、俺らはバイキンか!?』 
『いえいえそのような事は』 
 なのに目の前の仮面ローブ(仮)は、 
 ムッとした表情でやや怒りを見せるラウ君に対しても動揺した様子を見せない。 
 オオカミではあるけれども獲物を預かられて丸腰のラウ君と、 
 かたやウサギだけど棒状の武器っぽいものを持ち武装したのが三人という、 
 そんな位置関係を抜きにしてもの、実に余裕で淀みの無い対応。 
『…ですが、ご存知の通り恐ろしい伝染病や寄生虫の中には潜伏期間という、 
保菌者に自覚症状の無い一定期間が存在しているのも事実でして。 
念には念を、全ては万が一を未然に防ぐ為、入国者全員にして貰っている事です』 
『………ぐっ』 
 ……この仮面ローブ、これは何度も同じ場面を経験している。 
 相当この仕事に手馴れているというのが、私にはすぐにピンと来た。 
 
 その後も矢継ぎ早に上がる幾つかの質問に対し、 
『はい、お湯がダメだという方のためには水風呂の方も用意してあります』 
 実に丁寧かつ理路整然とした応答で対応、疑問や不満をさばいていく仮面ローブ。 
『はい、セト教徒の方など、宗教上や慣習上の理由で人前で肌を晒す事が 
できない方には、事前の指示だけで立会い無しという方向でも構いません』 
 無理やりに、とか、強制的に、とかならともかくとして。 
『…いえ、流石に武器や水着を着用したままでのご入浴は、申し訳ないのですが。 
…如何なる危害や侵害行為も加えない事は、レシーラ様と女王様の名に誓って』 
 ここまで下手かつ理性的に出られると、こちらとしても抗うのが難しい。 
 …まさかいい年こいて、『恥ずかしいので絶対にイヤよ!』なんて言えないもの。 
 
『…それと、入浴及び検査の間に脱いだ着用衣類の洗浄消毒および、 
お持ち込み予定の積荷の方に関しても消毒および中身をあらため……』 
『えー!? ダメですダメです、絶対ダメです!!』 
『そうだ! うちの機材はすげー壊れ易くてデリケートなんだかんな!? 
ろくに扱いも知らない野郎にあれこれ触られて、壊されてたまるかよ!』 
 なんだか荷物や服にまで徹底的に検査と消毒が入るらしいと聞いて、 
 ヒース達撮影陣がバタバタとうるさく騒ぎ立てたけど。 
 
『はい、ですからどなたかに同伴してもらえると、こちらとしても大いに助かります』 
 
『……では、僕とヒースが残ろう』 
 呻くように言ったラスキに、ヒース達若い子が思わず何か言いかけて、 
 ……でも腕の一振りだけで黙らせる、ここら辺は流石にイヌね。 
 …まぁ私も、ヒース以外だったら一睨みだけで黙らせる自信はあるけれどさ。 
 ちなみにラウ君達護衛陣は、憮然としてるけど泰然として慣れたもの。 
 色々修羅場も潜っているからかしら、「なるようになれ」的な余裕があったっけ。 
 
『ただ、僕らには貴方がたと違って異性に肌を見せるという事に強い抵抗感が――』 
 ただし流石はラスキ、黙って要求だけを飲むつもりだけはないらしく、 
 条件を飲む代わりの譲歩を―― 
 
『はい、その事については承知しております』 
 
 ――提案しようとして、相手の変わらぬ穏やかな返答に遮られた。 
 
『他種族の方には、羞恥や貞操といった観念が強く存在しているとの点は、 
我々ウサギとてもちろん存じ上げている次第です』 
 思いの外真っ当な返答に、譲歩を突き立てかけたままの姿勢のラスキが 
 ちりちりと恥ずかしそうに耳下の長い毛をいじる。 
 あれは、相手に失礼な事を言ってしまったりでバツが悪い時の彼の癖。 
 でも、誰にもそんなラスキを責められはしないだろう。 
 あの時全員の頭の中には、間違いなく【例の噂】があったはずだから。 
 
『全員一度にであれば時間が早く済み、一人ずつ順番にであれば多少時間は 
多く掛かってしまいますが、おそらくそちら側のご要望は満たされるはずです。 
一人で不安だというのなら、男性全員や女性全員、パートナー同士でという選択も。 
……それと入浴時のこちらの立会人は、やはりどちらも同性の方をお望みで? 
それとも男性も女性も女性人員にの立会いをお望みでしょうか?』 
 
『…ひ、一人ずつ。同性に立ち会ってもらって、でいいかな…?』 
『……あ! せっかくだからオレ女に―― 
 ――鉄拳制裁―― 
『――私はそれでいいわ。皆もそれで構わないわよね?』 
 のたうつ赤猫一匹を無視して、その場の全員に了承を入れる。 
 しぶしぶ、という様子のも何名か居たが、それでも全員それで承服してくれた。 
 
『それでは、持ち込み品の検査に立ち会っていただける方を除いては全員――』 
『……あ、それともう一つ、よければ聞きたいんだが』 
 そうして部屋の外に引率しようと歩き出した仮面ローブのリーダー格に、 
 だけどラスキが食い下がる。 
 
『……もしも僕らがそちらに従うのを拒んだ場合、そちらはどう出ていたのかな?』 
 
 ぴたり、と仮面連中の足取りが止まった。 
 なにせ仮面――(多分あの仮面とローブは伝染病の感染防止のための白衣 
 みたいなものなのだろう)――を付けてるから表情は分からないんだけど、 
 でもどこかしら困ったようにリーダー格の男が右手の長い棒を持てあまして。 
 
『…12代目女王の時代の死斑病の大流行においては、 
当時のアトシャーマ国民の10分の1にあたるウサギが』 
 でもその背後に付き添っていた二名の内、一人が綺麗なソプラノを紡いだ。 
 どうやら女の子だったみたい。 
 
『31代目女王の時代、ネコ風邪の大流行では2万と5000強の国民が犠牲になり、 
罹患区域は王命で結界封鎖、国内全域がパニックに陥る事態ともなりました』 
 …………。 
『そのいずれも、外からの旅人や輸入品を通して持ち込まれた病です』 
 ……あー、なんかあれだわ。こういうのって、 
 別に憎しみも怒りもなく淡々と事実だけ述べられた方が気まずいわね、うん。 
 現にティルちゃんなんて目をパチクリさせて固まっちゃってるし。 
 
『…まぁそういうわけで、ご協力を頂けない場合残念ですが入国を許可するわけには』 
 がりがりとフードの後ろを掻きながらリーダーの仮面ローブが後を繋ぐ。 
『一応この施設内にて逗留するという選択も用意されてるんですけど、 
それも不可なら国外退去ですよ、…そこまで突っぱねる方は滅多に居ませんけどね』 
 まぁ、それも止むなしでしょうね。 
 多少潔癖症気味のきらいはあるけど、国策としては立派なものかしら。 
 
 
 ――そうして連れ出されがてら、 
『……まず自分自身に優しくできない人間が、どうして他人に優しくできますか?』 
 女の仮面ローブに呟かれた言葉が耳に残っている。 
 
『削り与えた肉が病んでいたら、肝心の捧げる我が身が健常でなかったら、 
せっかくの【献身】も十全の内の一、二の効果しか及ばないですもの』 
 
 
 
 
 

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