「男って、結局はみんなのび太君なんですかねぇ」  
 
 何とも小難しい表情でジョッキを置いた間宮の言葉に、貴志は呆れた眼差しを向けた。  
 ざわざわと酔っ払いの喧騒渦巻く呑み屋の一角。  
 チェーン店であるこの店の名物、爆弾コロッケを箸でつつく。大きさもさる事ながら、チェーン店にしては美味い。  
 
「どう思います、先輩?」  
 
 通り掛った店員を呼び止め、本日四杯目の生中を頼んだ間宮は、唐揚げを一つ口の中へと放り込んだ。  
 
「どうって…何がだ」  
「だから、先輩はのび太君ですか?」  
「……訳が分からん」  
 
 店に入ってまだ一時間も経っていないと言うのに、間宮の顔は真っ赤に染まっている。  
 貴志はお気に入りの焼酎の水割りを口にすると、切り分けたコロッケを口にした。  
 
 貴志一也、二十八歳。中小企業の営業部担当。間違っても「タカシ」ではない。念の為。  
 間宮春奈、二十三歳。同じく中小企業の営業部担当。特技は「大人の魅力ビーム」らしいが、どちらかと言うと小動物を彷彿とさせる。  
 
 この四月に入社した間宮の教育係として、半年近くを共に過ごしてきたが、間宮の言う事は相変わらず貴志にとっては要領を得ない。  
 今日も、二ヶ月に渡り苦心していた取引先との契約をようやく結び、お祝いとばかりに二人で飲みに来たのだが。  
 
「もっと詳しく、且つかいつまんで話せ」  
「ですから、男の人って、やっぱりしずかちゃんの方良いんですか?」  
 
 ──益々分からん。  
 
 思わず頭を抱えたくなった貴志だが、代わりに水割りを飲む事で頭痛に耐える。  
 しかし間宮は貴志の様子にも気付かずに、空になったジョッキの縁を指でなぞりながら、子どものように唇を尖らせた。  
 
「ジャイ子ちゃんって、凄いじゃないですか。小学生なのに漫画家で。将来安泰って言うか、有望って言うか。でものび太君は、可愛いしずかちゃんを選ぶでしょ? 見た目なんて、お婆ちゃんになっちゃえば同じなのに」  
 
 ねぇ? と話を振られ、貴志は額に手を遣り考えた。  
 
 先程から摂取しているアルコールのせいで、思考回路は鈍っているが、間宮の言葉は普段から宇宙人の言葉なので、翻訳するのには時間が掛る。  
 しらふの時よりも三割増しの時間を掛けて、言葉の意味を理解した頃、カウンターには生中のジョッキが置かれた。  
 
「女は中身より見た目か、って言いたいのか?」  
「そうです、そうです〜! さっすが先輩」  
 
 にへらっと笑った間宮が箸を持ったまま手を打つ。  
 貴志は深々と溜め息を吐くと、焼き鳥の串に手を伸ばした。  
 
「人それぞれじゃねぇの?」  
「え〜。じゃ、先輩はしずかちゃん派? それともジャイ子ちゃん派?」  
「……ある意味究極の選択だぞ、それ」  
 
 興味深々と言った眼差しを向けられ、貴志は眉間に皺を刻む。  
 毎度の事とは言え、この後輩の考える事は理解不能だ。  
 
「ならお前はのび太派か? それとも将来有望、且つ美形の出来杉派か?」  
 
 何とか話を逸らそうと問掛けると、間宮は至極真面目な表情で首を捻った。  
 
「うーむ……ドラえもんがオプションなら、のび太君の方が良いんですが…」  
 
 ──本気で悩むな、こんな事に。  
 
 脳内でツッコミを入れるが言葉にはせず、貴志は串を皿に置く。  
 水割りを飲み干し、お代わりを頼んでも、間宮はまだブツブツと真剣に考えているようだった。  
 
「どっちでも良いけど、何でンな事思ったんだよ」  
 
 本題に入るまでが長すぎる。  
 しかしそれも、いつもの事と、再びコロッケをつつき始めた貴志だったが、予想に反して間宮は何処か言い難そうにビールを舐めた。  
 
 
「……笑って下さいね」  
「いや、話して貰わん事には笑うも何も──」  
「フラれちゃったんですよ。私」  
「…………はい?」  
 
 思わず語尾が上がる。  
 まじまじと見つめる貴志の視線に気付いているのかいないのか、間宮は唇を尖らせたまま、カウンターにのの字を書いた。  
 
「大学の時から付き合ってた人がいまして。この間、別れ話をされちゃいました」  
「……はぁ」  
「新しい彼女は、そりゃあもう可愛くて。しずかちゃんなんです」  
 
 分かるような分からないような比喩だったが、状況は大体把握した。  
 
 付き合っていた彼に新しい彼女が出来て間宮はフラれた。その彼女を見た間宮は、自分よりも彼女の方が可愛いと思ったのだろう。  
 フラれた理由が何にせよ、外見で負けたと思った間宮は冒頭の台詞を吐き出した訳だ。  
 
 いつに無く気落ちした表情で、間宮はちびりとビールを飲む。  
 取引き先に叱られたり、上司に叱られたり、何度か元気のない間宮を見た事はあるが──そして決まって貴志がフォローに回るのだが──今日の間宮の様子はいつもと違っていた。  
 
 少し冷めたコロッケは油が回って衣がベタつき始めていた。  
 
「と言う訳で、笑い話なんだから笑って下さい」  
 
 貴志の方へと顔を向けた間宮がへらりと笑う。  
 その笑顔は何だか痛々しい。  
 
 新しい水割りがカウンターに置かれたが、貴志はそれには口を付けずに無言でコロッケを咀嚼した。  
 
「先輩?」  
 
 沈黙を続ける貴志の様子に間宮が首を傾げる。  
 
 フォローに回るのは自分の役目。  
 そんな思いがこの半年で身に染み付いてしまっていた。  
 気落ちした表情を見せられたままでは、此方まで調子が狂ってしまう。  
 
「少なくとも、俺はのび太じゃねぇな」  
 
 口の中の物を飲み込んで、ぶっきらぼうに呟く。  
 本心かどうかは自分でも分からないが、間宮に笑顔が戻るならそれでも良い。  
 
「しずかちゃんほど優等生じゃなくて、ジャイ子よりも可愛い子が俺は良い。うん」  
 
 一人結論付けたように頷いた貴志が水割りに口を付ける。  
 間宮はきょとんとした表情で貴志を見つめていたが、やがてにへらっと頬を緩めると、焼き鳥の串に手を伸ばした。  
 
「先輩、なかなかに我が儘な好みなんですねぇ」  
 
 何気に失礼な事を言ってるのだが、その口調は何処か嬉しそうだ。  
 フォローが効いたかと内心安堵の溜め息を吐いた貴志は、ぐびりと水割りを飲んだが。  
 
「でもそれって、私の事ですか?」  
「ぶっ!」  
「うわっ、きったなぁい!」  
 
 無邪気な笑顔で尋ねられ、貴志は思わず水割りを吹き出す。  
 鼻に逆流したアルコールのきつさに涙が浮かびむせかえるが、間宮は眉をしかめると慌てておしぼりでカウンターを拭いた。  
 
「げほっ…何……何つー事を訊くんだ、お前は!」  
「え〜。だってホラ、私って程良く落ちこぼれで、程良く可愛いですよ?」  
 
 甲斐甲斐しくも貴志のワイシャツにまでおしぼりを向ける間宮の顔は、アルコールも手伝ってかへらへらと緩みっぱなし。  
 敢えて具体例を上げなかった己の迂濶さに歯噛みしながら、貴志も自分のおしぼりで口許を拭った。  
 
「絶対違う。断じて違う」  
「またまた〜、照れちゃって」  
「照れてねぇから」  
「でも私、先輩だったら良いですよ」  
「聞けよ、人の話!」  
 
 さらりと物凄い事を言われた気もするが、貴志は敢えて聞き流す。  
 酔っ払った宇宙人の言葉を真面目に受け取ってはいけない。これもこの半年で学んだ事だ。  
 
「俺の好みは大人の女。不二子ちゃんみたいなナイスバディだ」  
「む……手強い…」  
 
 どさくさに紛れてネクタイを緩めようとする間宮の手を引き剥がすと、間宮は眉間に皺を刻んで考え込む。  
 私服姿になると、いまだ高校生に間違われるような容姿の間宮とは程遠い例を上げた貴志は、スンと鼻を啜ってグラスを手にした。  
 
「まぁ、間宮が不二子ちゃんみたいなナイスバディになったら、惚れてやらん事もない」  
「むむ…」  
 
 自分の胸許を見比べる間宮を見遣り、貴志は勝利の笑みで水割りを口にした。  
 
 
 
 二時間後。  
 夜の風が熱った頬に気持良い。  
 
「ごちそーさま、でした!」  
 
 ペコリと頭を下げる間宮だが、足元はフラついていて覚束ない。  
 あれから元彼に対する愚痴を散々聞かされたのだが、その間も間宮のペースは変わらなかった。  
 たぶん明日は使い物にならないだろうし、恐らく記憶もないだろう。  
 
「ちゃんと立て。帰れるか?」  
「だいじょぶですよ〜。電車が運んでくれますっ」  
 
 ビシッとブイサインを出した間宮だが、直ぐにフラフラと右に傾く。  
 溜め息を吐いた貴志は煙草を取り出す手を止めて、間宮の腕を掴んだ。  
 
「ほら、駅まで送ってやるから」  
「あ、送り狼」  
「違うっつの」  
 
 ベチと平手で額を叩くと、間宮は「にゅ」だか「にょ」だか訳の分からぬ声を出して退け反った。  
 しかし直ぐに顔を起こすと、子どものように貴志の腕を掴む。  
 必然的に寄り添う形にはなったが、酔っ払い相手では色気も皆無だ。  
 
「先輩〜」  
「何だよ」  
「私ねぇ、ホントはあんまし、落ち込んでないんです」  
 
 間宮の歩調に併せゆっくりと歩みながら貴志は間宮を見下ろす。  
 貴志の腕にしがみ付いた間宮は、へらへらと笑いながら口を開いた。  
 
「先輩の方が格好良いし優しいし。……フラれても、先輩が居るから平気です」  
 
 ──……酔っ払いめ。  
 
 頭の中でそんな言葉が掠めるが、貴志は何も言わずにコートから煙草を取り出す。  
 本気なのか建前なのか。押し図る事は出来ないが、何と無く緩む頬を自覚しながら煙草を咥えて、貴志は間宮の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。  
 
「そう言うのはしらふの時に言え」  
「うぃ、了解でっす」  
 
 撫でられるがままの間宮は嬉しそうに笑いながら、片手を掲げて敬礼のポーズを取る。  
 
 もしも本心だとしても、それはその時に考えれば良い。  
 そんな事を考えて、貴志は少しだけ、穏やかな気持ちに満たされた。  
 
 
 

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