桜が少しずつ散り始め、日差しがぽかぽかと、暑いくらいになる日も多くなりました。  
四月十日。今日から、新学期の始まりです。  
 
「おう、おはよう。まゆ。今日もいい天気だぞー」  
何故か、私よりも先に食卓に着いている瑞穂ちゃんが、ノンキに声をかけてきます。  
「…おはようございます。今朝も食べに来たんですか…」  
「あー、なにようー。いいじゃないのよう、ごはんくらい別にー。お母さん、そんなイジワルいう子に  
 育てた覚えないわようー?」  
「いいんですよ。俺も、おばさんの料理があまりに美味いので、つい、いつも食べに来てしまって。  
 本当に、毎日申し訳ないです」  
「瑞穂ちゃんは、いい子ねえー。真由子ー、あんまり瑞穂ちゃんいじめたらダメようー?」  
み、みいちゃんの猫っかぶりめ…っ!  
「それじゃ、お母さんもうお仕事行くからー。後片付けしといてようー」  
ウチは両親共働きで、お父さんもお母さんも朝早く出るため、  
朝は私が一番最後になり、後片付けをしてから出て行くのが習慣なのです。  
「はあい。『いってらっしゃい』」  
わたしとみいちゃん。二人同時にお母さんに声をかけて、朝食を食べ始めます。  
「別に、先に食べてても良かったんじゃないですか?」  
「俺が来たときには、もうおじさんもおばさんもとっくに食べ終わってたしな。  
 それに、お前がもう起きる頃だったから」  
それで、わざわざ待ってたんですか。  
特に会話も無く、つけっ放しにしているTVの音と、食器の音だけが響きます。  
お味噌汁を啜りながら、目の前の食卓に着いて、朝っぱらから健啖ぶりを発揮  
している人をこっそりと見やります。  
 
なんというか。  
 
最近、瑞穂ちゃんがこうして、本来の住居である隣よりも、我が家に居る事に違和感を感じなくなって  
 
きている。というのは、いささか問題があるような気がします。  
 
別に、居るのがどうしても嫌。というわけではありませんが、どうも、おとうさんもおかあさんも、  
妙に歓迎しているようなのが、なんとなくしっくり来ないというか。  
まあ、キレイで賢くて性格もハキハキしていた瑞穂ちゃんの事を、昔からおとうさんもおかあさんも気  
に入っていたので、仕方ないのかもしれません。  
それに今、隣の藤井さん家には、瑞穂ちゃんだけしか住んでいないのです。一人暮らしというのはやっ  
ぱり大変だと思います。  
もし今、両親が遠くに行かなくてはならなくなって、わたし一人で家の中を切り回せと言われたら、き  
っと三日で途方にくれると思いますし、ひどく心細いだろうと思います。  
だから、瑞穂ちゃんが春休みの間、こうして朝から晩までほとんど寝るとき以外、我が家で過ごしてい  
た事も、おとうさんが、毎晩、瑞穂ちゃんと楽しそうに話していたり、おかあさんが、ごはんは瑞穂ち  
ゃんの好物ばっかり作っていた事なども、…当然の事だと思います。  
…ええ、おとうさんに「男同士の話だから、お前は入れてやらん」と言われた事も、おかあさんにわた  
しの好物のリクエストを却下された事も、ちっとも怒っていませんとも。  
 
「…なに。腹でも痛いの、まゆ」  
「何ですか急に。別にどこも悪くありませんよ」  
「いや、なんつうか、朝から機嫌悪いなー、オマエ。  
 新しいクラスメートの前でそんなカオすんなよーイジメられるぞー」  
「余計なお世話ですっ!これでも、人前での行動は弁えているつもりですからっ!  
 それより、自分の――、…っ!」  
「…何だ、気にしてくれてたのか」  
 
失言です。  
それも、とんでもなく。  
 
…ウチの学校には、同じ中学校出身の人も数多くいます。  
その中には、女の子だったころの瑞穂ちゃんを見知っている人も多いでしょう。  
たしか、中学のときに瑞穂ちゃんと仲が良かった。というかその、お付き合いしていたのでは?という  
関係の男子もいたはずです。  
そんな人たちと顔を合わすのは、いくらなんでもかなり気まずいのではないか。と思うのです。  
 
「…あの、何かあったら、わたしのクラスに来てくださいね。良かったら、ですけど、お昼も一緒に食  
べましょうか…?」  
「…やさしいな、まゆは」  
少し目を伏せたまま、静かな口調でみいちゃんは言いました。  
やはり、不安だったのでしょう。私が力にならなくては。と思います。  
「いいんですよ。そんな。…あの、部活どうするかもう決めました? わたし、文芸部なんですよ。図  
書委員も引き続きやるつもりですし、良かったら、みいちゃんも、あの」  
「…いいのか? 入ってくるなって言われるかと思った。オマエ俺に対してキツイし」  
「い、言いませんよ、そんなの…」  
顔全体を俯けて、少し震えているようにも見えました。…まさか、泣いて――?  
「あ、あ、あの、みいちゃ――」  
「…そうかそうか。ありがとな、まゆ。是非昼休みにはそっちに行かせてもらうよ――。それだけじゃ  
 なく、放課後も一緒なら話が早い。一日べったりくっついていてもかまわない。そういう事だな?  
 なあ、真由子?」  
 
くつくつくつ。と哂いながら、ゆっくりと顔を上げる藤井君。  
その顔には、陰湿極まる邪悪な笑顔が浮かんでいました。  
 
「だ、騙しましたねーっ!?」  
「騙す? 何を? 人聞きの悪い事を言うんじゃない。――オマエが勝手に勘違いしたんだろう?」  
にやにやと笑いながらそんな事を言ってきやがります。  
むがががが。む、むかつくーっ!  
「オマエもさあ、いいかげん引っかかりすぎだろ。昔っからこのパターンだろ。判れよ」  
「…えーえー、そうですとも。ほんとに! 昔っから! 嘘つきですもんね! あなたは!」  
くそう何より自分に腹が立ちます。もう二度と騙されませんよこんちくしょう。  
「そりゃ違う。俺が嘘つきなんじゃなくて、オマエが極端に単純なんだ。そんなことじゃ、そのうち変  
 な男にカモにされるんじゃねェかと心配だよ俺は」  
 
 
 
最近は、始業式でも午後から授業をするカリキュラムの学校も、進学校ではあるそうですが、  
ウチはそこらへんがのんびりしているようで、今日は授業もなく、お昼までで終わりです。  
結局あの後、瑞穂ちゃんとは一言も口を聞かないまま一緒に登校し、正門前で別れました。  
くう、朝の事を思い返すとまた腹立たしい気持ちになってきます。  
おのれ、今日はもう絶対口をきいてやるもんか。  
 
「…ま、真由ちゃん? どうしたの?」  
「え?」  
はっとして顔を上げると、友達のたかちゃんが心配そうな顔でこちらを覗きこんでいました。  
「あ、いえ、なんでもないですよ?」  
「そう? なんだか、すごく難しい顔してたから、どうしたのかと思っちゃった」  
「…あ――、はは…。そんな顔、してましたか。わたし」  
「うん、してた。…なにか、力になれることがあったら、言ってね?」  
まさか本当のことが言えるはずもありません。  
「い、いえ。別にたいした事じゃないんです。本当にくだらない事で。それより、早いとこ図書館に行  
 きましょう。たかちゃんも今日、先生のとこに顔出すんでしょう」  
 
わたしとたかちゃんは二人とも図書委員なのです。  
ウチの学校の図書館は、付属の短大や小中学校と合同なので、結構大きく、専門の司書の先生もいるく  
らいです。  
で、高等部の図書委員の溜まり場、もとい、活動場所として、図書準備室や会議室なんかは開放されており、  
特に委員会の活動日ではない日でも、司書室にいる先生の所に行ってああだこうだと喋っているのが  
常なのですが。  
…別に、遊んでいるわけではないんですよ? カウンターでの貸し出し手続きや、返却された本を元の  
書架に戻したりとかの仕事もちゃんとしてますし、それになにより、一見雑談のように聞こえる会話の  
中から、図書委員として図書資料の充実を図ったりとか、よりよい図書館にするための具体案なんかも  
でてきたりするんですから。…ホントですって。  
 
で、いつもどおりたかちゃんとわいわい喋りながら図書館へ行くと。  
「おう、遅かったな」  
 
――うわあ。わすれてた。  
 
「あら、原田さん、宮原さん。こんにちは。今年はさっそく委員会に入りたいって一年生が来てくれた  
 のよ。お話してたんだけど、藤井君って原田さんから図書委員会の事を聞いて、来てくれたんですって。  
 本当にありがとう、原田さん。やる気のある一年生をこんなに早く連れてきてくれるなんて、先生、すごく  
 うれしいわ」  
――とても、感激した先生に手をぎゅっと握られます。  
瑞穂ちゃんが、たかちゃんや、その場に集まっていた他の委員会のメンバーと談笑しているのが、  
先生の肩越しに見えました。  
――ああ、なんというか。わたしの場所が日に日に瑞穂ちゃんに侵食されているような気が――。  
 
 
とぼとぼと廊下を歩き、図書館へと向かいます。  
以前は、こうして図書館へと向かうのが毎日楽しみで仕方なかったのですが、今はとても憂鬱です。  
それというのも。  
 
「あ、藤井君、当番じゃ無いんだし、いいよー、ソレ置いといてー!」  
「いや、いいですよ。これ重いですし。ええと、1階4の5と6の3と…、後は全部二階の9の棚と、書庫の本か。  
作者別に並べとけばいいんですよね」  
「ごめんなー、ありがと! 助かるー」  
 
一週間で、すっかり委員会に馴染みきっている瑞穂ちゃんのせいです。  
…いえ、その事は良いんです。仕事振りは真面目で正確ですし、周りとも凄い速さで打ち解けきって、まるで  
ずいぶん前からの仲間みたいになってます。  
 
「終わりました、次なんかあります?」  
「うわ、藤井君すごいな、もう行って来たの!? オレなんか、あんだけの本もって四階まで上がるだけで  
ヘロヘロになるよ」  
「やーねえ、アンタが体力なさすぎなんだって。それは」  
 
こんな風に、皆と仲良くやっているようです。  
その事については、問題ないんです。  
問題なのは。  
 
「――そんでさー、藤井君? 実際のところ、どうなのよう? 原田さんとはさあ?」  
「あー、それアタシも気になるなー。なんつーか、こう、他人が入れないカンジがするのよ? 原田さんと君って」  
「…まあ、長い付き合いですから。それこそ昔はイロイロありましたし…。  
 …ただ、アイツは過去の事にしてしまいたいようなんですけどね…」  
「をををっ!? 何!? やっぱりただの幼馴染みとかじゃないんだ!?」  
「…あ、いや。そうですね、何ていうか――。昔はそれこそ、心も身体も共有してた。っていうか、  
 お互い無しにはいられない関係でしたね――」  
「な に を 嘘八百言い散らしてるんですかあなたはああああああああっ!?」  
「…ひどいな、まゆ。俺たち、何度もひとつのベッドで朝まで過ごした仲だっていうのに」  
「ご、誤解を招くような言い方しないでくださいっ! 二年以上も前の話じゃないですかっ!」  
「…そうだな、お前にはもう終わったことなんだな…。あの14の夏の事は…」  
「なっ! だ、だから、そういう言い方しないでくださいっ!」  
「それにしてもつれないよなあ。一緒に風呂で洗いっこまでしたのにな。俺は、お前の尻の可愛いホクロまで  
 しっかり覚えているのに…。お前には、もう過去のことか…」  
 
――いますぐ、思い出ごとこいつの全てを葬り去ってやる。  
 
「…瑞穂ちゃん、あなたって人は…。…ほんとに。あ な た っ て 人は――っ!」  
激情の命ずるまま。持っていたカバンを振り上げてぶってやろうと追いかけます。  
「まーゆー。だめだぞう、図書館では静かにしないとー」  
「ううううるさいーっ! そもそもあなたが変な話を触れ回るから悪いんでしょうっ!?」  
「すいませーん、先輩方ー。まゆこがうるさいので俺たちちょっと、外に行きますねー」  
「おーう。がんばれよー、藤井君ー。俺たち男子は君の健闘を祈ってるぞー!」  
「原田さーん。女の幸せは、半身を引いて構えるところから始まるのよー!」  
完全に勘違いしている先輩方が声援を送ってきます。  
 
うわああああ。一体どこまでこの手の誤解は浸透しているのか、考えただけで気が滅入ってきます。  
「おや。どうしたよ、まゆこ。急におとなしくなって」  
「…だれの…、…せいだと…」  
ああああ、わたしは平和に過ごしたいだけなのに、なんでこんな事になったのでしょうこの疫病神め。  
「…まあ、これでおおかた、ムシ退治は済んだかな」  
「――? 今なにか、言いました?」  
「うんにゃ、なんでもー。それよりまゆー。俺、ハラ減ったよ。なんか喰って帰ろうぜー」  
にいっと、何の屈託も無い笑顔でそんな事を言われ、怒る気がしおしおと失せていきます。  
「――はあ。そうですね、それじゃどっかに寄りましょうか。何かおごってくださいね、  
 迷惑料として!」  
「へいへい。それじゃ、帰るとするか」  
隣を歩く、背の高い横顔を見上げながら、ひょっとして、これからの2年間も、毎日こんな調子なのでしょうか。と思いました。  
そう考えると、ぞっとするような、どこかわくわくするような、不思議な胸騒ぎがしました。  
これからも、このひとはわたしの日常をおもうさま引っ掻き回すんだろうなあ。  
 
 

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