――わたしは、昔から回りの顔色をうかがってばかりいる子供でした。  
そのくせ、あまり目端が利くほうではなく、一生懸命すればするほど失敗ばかりで。  
『アンタはさ、考えすぎなんだよ、まゆ。そんな人目ばっか気にしてて疲れねェの?』  
――だから、余計にそんなみいちゃんが眩しかったのです。  
『アンタはアンタ。アタシはアタシだろ。まゆにはまゆの良い所が山ほどあるンだから、胸張ってろよ。  
 ――少なくともアタシはアンタの全部が好きだよ?』  
――本当に、昔から。  
みいちゃんは、わたしの事をずっと守ってくれてました。  
『泣きたきゃちゃんと泣け。悲しいなら悲しいって、悔しいなら悔しいってちゃんと言え。無理すんな、馬鹿』  
辛い事があったときも。  
『――もう二度と手出ししないように、ハナシはつけて来たけどよ、もう、アタシと一緒に居ないほうがいい。  
 また何の拍子にあの手のバカ女が湧いてでるか、わかんねェしさ? まゆがつまんない事に巻き込まれる必要なんて無いんだから』  
女の子だったときから、今も、ずっと。  
 
でも。  
でもね、みいちゃん。  
――わたしは、わたしの事がキライなんですよ。  
わたしはつまらない女です。  
顔立ちも十人並み。チビで、小太りで、胸ばっかり変に大きくて。  
そのくせ妙にプライドが高くて見当違いのヤキモチ焼いて。  
――こんな女が、あなたの事を好きになっていいはずないじゃないですか。  
 
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆  
 
 
――明けて、月曜日。  
「……うー。……アタマ、いたぁ……」  
結局、昨夜は夜遅くまで布団の中でぐずぐずとしていたせいで、目覚めは最悪の気分でした。  
溜め息をついて洗面所へ向かい、身支度を始めます。  
「……おはよーございますー」  
「あらなにー? 今朝はずいぶん早いのねえ、あんた普段はお寝坊なのにー」  
台所に顔を出すと、お母さんにびっくりした顔をされました。  
 
「……図書委員の朝当番なんです。ちょっと、都合がつかない子がいて、代わったんですよ」  
「あらあらあら。もー、そゆこと先に言いなさいようー。おかあさん、まだお弁当とかしてないわようー?」  
言うなり、慌てて炊飯器のふたを開けて、冷蔵庫から梅干とおかかを取り出しておにぎりを握り始めました。  
「時間ないから、おにぎりでもいーい? とりあえず、おみそしると玉子焼きだけ出来てるから、急ぐんならそれ食べちゃいなさいよう。  
 ……まったくもー、昨日も一日中、朝から晩まで出てってると思ったらー。  
 こういうことは、ちゃんと前の日のうちに言っときなさいよう、おかあさんにも都合ってもんがあるのよう?」  
「……ごめんなさーい」  
ぶちぶちと続くおかあさんの文句に首をすくませ、ご飯をよそって食べ始めます。  
 
――土曜日のあの一件があって。  
結局、日曜日はみいちゃんと顔をあわせる気まずさに耐えかね、一日中たかちゃんのおうちに避難していました。  
で、今朝も顔を合わせる前に出て行こう。というわけで、早朝から起きておかあさんに怒られているわけです。  
学校では、学年も校舎も違うので、極力顔を逢わせない方向で行きたいと思っているのですが。  
――まあ、委員会で一緒なわけですし、そもそも、今日の夜にはウチに晩御飯を食べに来るでしょうから、  
絶対に顔を合わせる羽目になるわけです。  
まさか、昨日の今日でまた、たかちゃん家にお世話になるわけにもいきませんし。  
「……が、がんばろう……」  
そうです。せめて、今日の夜までにはなんとか取り繕えるようにしておかないと――。  
 
学校には一番乗りに着いたようで、図書館の鍵を職員室から借りてきます。  
他の委員さんはまだ誰も来ていませんでした。  
わたしの他に、あと一人、一年生が当番のはずなのですが。  
「……やれやれ。ま、いいですけどね」  
閉館してる間、ポストに入っていた返却本の手続きを済ませ、棚に戻していくのが朝当番の主な仕事です。  
もう少しして、登校時間になれば、始業前に借りに来る人の貸し出し手続きも始めるのですが、まだそこまでの時間ではありません。  
今朝は、返却されていた本も、そんなに多くはなく、ゆっくりと返却手続きを終え、さて返してこようかしら。と、  
席を立とうとすると、入り口のある廊下のほうから、なにやら足音がこっちに向かってきます。  
さては、もう一人の当番さんがやっと来たかと思い、入り口に向かいました。  
「――遅刻ですよー!」  
ちょっとびっくりさせてやろうと、足音が扉の前まで来たタイミングを見計らって扉を開けて、声をかけます。  
すると。  
そこに、いたのは。  
「――っ!! き、ぁ――っ!?」  
そのまま、おもいっきりバターンっ! と大音響をたてて扉を閉めてしまいます。  
だって。  
だって、そこに、いたのは。  
「……ちょ、お、おいっ!? なんでいきなり閉めるんだよ、まゆこっ!?」  
――いま、いちばん顔をあわせたくない人でした。  
 
なんで。  
なんでなんでなんでぇ――っ!?  
だって、みいちゃん今日当番じゃないはずでしょう――っ!?  
 
「用事で都合がつかないとかで、代わったんだっ! いいから、開けろっ!」  
「あ、あ、ああ。そうなんですか、へー。あ、わ、わたし、ちょっと返却の本戻してきますねー!」  
それだけ言い捨てて、大慌ててで本を持って二階へと走ります。  
確かこれは、一階の棚に戻す本だったと思いますが、今はとにかくみいちゃんから離れる事しか考えられません。  
二階の奥、本棚の間で、思わずへたり込んでしまいました。  
「……ああー。なにを逃げてきてますか、わたしー。……うう、下に降りられないー……」  
頭を抱えて呻きます。  
ほっぺたに手を当てると、ぽかぽかと上気しているのがわかりました。  
たぶん、真っ赤になっているのだと思います。それも、走ったのとは違う意味で。  
「……なんていうか、もー、今までなんとも思わなかったのに……」  
あ、わたし、この人好きなのかも。と意識した途端に、マトモに顔も見れなくなるって言うのは、どうなんでしょうか、我ながら。  
「……い、今わたし、すごく、恥ずかしい人だあー……」  
と、とにかく、いつまでもここでこうしている訳にもいきません。  
ものすごく気まずくてイヤですが、どのみち二人きりなわけですし、一階に行かないと……。  
「――なに、床に座り込んで百面相してんだ? まゆ」  
「ふわあっ!?」  
背後から、いきなり耳元で声が聞こえました。  
「み、みみみ、みいちゃんっ!?」  
い、今、足音どころか気配すらしませんでしたよっ!?  
「おい? 大丈夫か? オマエさん、なんか今日ヘンだぞ?」  
熱でもあるんじゃなかろうな。と、わたしの額に手を伸ばしてきます。  
「い、いえっ! なんでもありませんっ! ありませんよっ!?」  
ずりずりと、おしりを床につけたまま、後ろに逃げます。  
「いやどーみたってヘンだ。なに逃げてんだよ、ちょっと待てって」  
腕をがしりと引っ掴み、顔をぐぐいと寄せてきます。わ、ちょ、ちょっと、近すぎ……!  
もう見返すことも出来ず、眼が泳ぐのを止められません。  
アタマにかーっと血が上り、頬が上気して、眼が潤むのが、自分でもはっきりとわかりました。  
 
「……真由子?」  
「や、やだああ――っ!」  
手近にあった本で、思い切り殴りつけてしまいました。  
なんだか、とてもイイ所に入ったらしく、声も立てずに突っ伏して、そのまま瑞穂ちゃんは動かなくなりました。  
「うわあああっ!? ご、ごめんなさいっ! ごめんなさい――っ!?」  
こ、こういうときってどうしたらいいんでしょう、アタマ打ってると揺すったら駄目なんでしたっけええとどうしたらっ!?  
あわあわしていると、うつ伏したままのみいちゃんがひらひらと、手を振りました。  
「……あ、だ、大丈夫ですか……?」  
だいじょうぶ。というように、手を振られます。  
そのまま、指で矢印を作って下を指します…。……下?  
一階から、すいませーん。という声が聞こえました。  
「あ、借りる人、来ちゃってますっ!   
 すいません、みいちゃん、わたし、ちょっと行ってきますっ! すぐ戻りますからっ!」  
慌てて、カウンターに向かいます。  
「すいません、おまたせしましたーっ!」  
よく、朝に顔をあわせる常連さんの同級生でした。  
「あ、ごめんねー、急がしちゃって。……忙しかったの? 顔真っ赤だよ?」  
「え」  
彼女の指摘に、ますます頬が紅潮して、汗が吹き出してくるのを誤魔化しながら、貸し出し手続きを済ませます。  
見ると、一階には始業前貸し出し組さんがもうすでに集まってきており、カウンターの中からは  
しばらく出られそうにありません。  
……みいちゃん、だいじょうぶかなあ?  
 
 
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆  
 
―――図書館二階の奥のフロア。  
まだ人気の無いその場所で、赤くなった顔を押さえて座り込む男が一人。  
「……あの反応って……。  
 ……まさか、そーか? そーなのか?」  
困惑したように呟いて、口元を手で覆う。  
「……もし、そうなら……。イヤ、まだわからんな……。  
 ……そうだな、よし、ちょっと、つついてみるか……?」  
ヤベエちょっと楽しくなってきた。と、声に出さずに呟く。  
 
人気の無い図書館の奥。  
くつくつくつと笑う男が一人―――。  
 
 
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆  
 
 
こそり。と、物陰からマンションの入り口付近を伺います。  
……よし、誰もいませんねー?  
ととと。と、小走りに非常階段へ向かいます。  
うう、情けないなあ。なんだって、自分の家に帰るのにこんなにこそこそしてるのでしょう、わたしときたら。  
……しかも、理由がみいちゃんと顔をあわせづらいから。というのが情けなさに拍車をかけています。  
結局あのあと。  
今日は一日中瑞穂ちゃんから逃げていました。  
放課後の当番も結局たかちゃんに代わってもらっちゃいましたし。  
今からこんなんで、夕飯の時に顔を会わせられるのでしょうか。  
溜め息をつきつつ、階段の踊り場に来ると。  
「おかえりー。早かったなァ」  
「うひあーっ!」  
いきなり顔を出した瑞穂ちゃんに心底仰天し、最後の段を踏み外し、見事に顔からこけました。  
「……うわ。大丈夫か、まゆ」  
「あ、あいたあー…」  
いたたた。モロに強打した膝が痛いです。  
「……普通、手を突いたり身体をひねったりするよな? なんで正面から転ぶよ、オマエさん」  
……ほっといてください。どうせわたしは運動神経切れてますよう。  
 
「どっか痛いとこないか? 足は?」  
や、その、だいじょうぶですだいじょうぶ。だいじょうぶですからさわらな、……いたっ!  
「足首捻ったか? ちょっと待て。…よっと!」  
「ひゃあっ!?」  
身体がふわりと浮き上がり。  
「や、やだ、ちょっと、みいちゃんっ!?」  
抱きかかえられて、瑞穂ちゃんの腕の中に持ち上げられてしまいます。  
……これは、いわゆるその。  
―――お姫様抱っこ。というやつではないでしょうか。  
「おおお、降ろしてっ! 降ろしてくださいっ!?」  
「うわ、こら、暴れんなっ! 落としちまうだろうがっ!」  
「いいです、いいですからっ! こんなトコ、人に見られたら恥ずかしいでしょうっ!?」  
「だったら騒ぐな大人しくしてろアホまゆ。騒いだ方が人がくるぞ?」  
そういって、すたすた歩き出してしまいます。  
「うひゃっ!?」  
「危ないからしっかりつかまってろ。……違う。俺の首に抱きつけ。そっちのほうが安定するから」  
そんなこといわれても。  
そんな大胆な事が出来るはずもなく、みいちゃんの胸の辺りの服をがっちり掴んで、家まで運ばれます。  
うわああ、どうしようどうしようっ。  
意外に広い胸とか。がっちりした腕とか、すぐ近くにある顔なんかをものすごく意識してしまって、心臓がドクドクと暴れまわります。  
うう、こんなにドキドキしてたら、みいちゃんにも聞こえてしまうのではないでしょうか。  
いや、それよりわたし重いですよね。すごく重いですよね。  
みいちゃん、さっきわたしが人に見られたくない。なんていったせいか、家のある4階まで階段を使うつもりみたいですし。  
うう、めんどくさい女だと思われてるだろうなあ……。  
 
「まーゆこー、鍵ー」  
「はわ、はいっ!」  
言われるがままに鍵を開け、抱きかかえられたまま、リビングのソファーへと運ばれます。  
「救急箱。どこだったっけ?」  
「あ、電話台の下の開きです。その中に全部」  
おー。と返事をして、救急箱を取ってきてもらいます。  
「ちょっと見るぞー」  
戻ってきたと思ったら、そう言うなりこっちの答えも聞かず靴下を脱がされてしまいます。  
「う、や。い、いいですよう、自分で見れますから……」  
「いいからいいから。……まゆ。やっぱ足捻ってるよ、オマエさん」  
確かに、足首を触られると、痛みが強く走ります。  
「そ、そうみたいですね。……あの、シップ、わたし自分で貼りますから……」  
「……いや、他は大丈夫か? 痛む所、ないか?」  
そう言うと、ふくらはぎのあたりを優しく撫でるように触ってきます。  
「……うひゃっ」  
や、は、ちょ、ちょっと……!  
「――どうだ? 痛むか?」  
「あ、あの……、くすぐったい、です」  
――それに、みいちゃんに直接脚に触れられている。と思うと、心臓がバクバクとうるさく、顔が真っ赤に火照ってきます。  
「オイこら、逃げるな」  
そ、そんなこといわれてもー!  
たまらず、横にあったクッションを胸の前に抱えます。  
「――膝とか、腿のほうは大丈夫だろうな? 筋肉傷めたりしてないか?」  
みいちゃんの手が、膝頭をするりと撫で、制服のスカートの裾を少し捲りながら、ふとももの近くまで伸びてきます。  
「……やっ」  
――心臓が耳元に来たみたいにうるさく、血が流れる音がやけに大きく聞こえます。首筋から汗が吹き出し、  
身体全体がお風呂上りの時のように真っ赤に火照るのが自分でもはっきりとわかりました。  
「……み、みい、ちゃん。も、もう――」  
 
やめて。  
さわらないで。  
それいじょう、触られたら。  
わたし。わたし、おかしく――。  
 
悲鳴を上げる直前に、腿を触っていた手がすっと引かれました。  
ほう。と、知らぬ間に詰めていた息をそっとつきます。  
「――足首に、湿布だけ貼っとくぞ。他は大丈夫みたいだしな」  
「……あ。は、はい……。どうも……」  
「後は、おばさん帰ったら診てもらえよ。明日になってもひどく痛むようなら、俺、送り迎えするから」  
「だ、大丈夫ですよ、たぶん。……あの、すいませんでした。さっき」  
重かったでしょう? わたし。  
そういうと、「……別に?」とだけ言って、わたしの髪をくしゃくしゃと乱暴にかき回してきます。  
……たぶん、気にするな。という事なんだろうと思います。  
昔から、みいちゃんが照れくさいのを誤魔化すときに、よくする癖なので。  
 
――みいちゃんが帰った後、クッションを抱えたままソファーに突っ伏します。  
あの様子だと、明日は確実に登下校の送り迎えをされたあげく、下手したら一日中くっついて回られるだろうと  
思います。なんだかんだいって、義理堅いというか、マメというか、私が怪我したのは自分の責任だと思ってそうですし。  
「……やだなあ……」  
あんなちょっと触られただけでもこうなのに。  
一日中くっついてこられたら、持たないんじゃないでしょうか、わたしの心臓……。  
 
 
 

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