ピピピピピピピピピピピピ。  
いつもよりも一時間早くセットした目覚ましのアラーム音が部屋に鳴り響きます。  
「……ん、うん……」  
目覚めた瞬間、寝ぼけ眼のまま、がばっ! とベッドから身体を起こし、身構えます。  
「……よかった、今日は、いませんでした……」  
きょろきょろと部屋の中を確認した後、ふう。と溜め息をつきます。  
時々ですが、瑞穂ちゃんが朝、いつのまにか部屋にいたりするので、気が抜けないのです。  
「……むっ」  
クローゼットの扉を勢いよく開けて、中を覗きこみます。  
――よかった。今日は本当にいないようです。  
一度、パジャマを脱いでからクローゼットを開けたら中にみいちゃんが居たことがあったので、  
朝はかならず確認するのが習慣になってしまいました。  
それにしても。  
「……昨日の今日だから、いるかと思ったのに……」  
昨日はあんなに怪我の心配してたんだから、朝からやってくるかと思ったのですが。  
「うー、駄目だな。甘えない甘えない。しっかりしないと駄目ですよっ、わたしっ」  
よし。と空元気を出して、制服に着替えるために、勢いよくパジャマを脱ぎ捨てました。  
 
……結局、朝食にもみいちゃんは姿を見せず。  
「――ちょっと痛みますけど、まあ、大丈夫ですよね……」  
靴を履いて、爪先をとんとん。と、三和土に打ち付けてみます。少し痛みますが、歩けないほどではありません。  
でも、学校まではさすがにちょっと辛いので、今日は遠回りになりますが、バスで登校することにして、  
いつもよりも少し早めに家を出ます。  
「いってきまーす、鍵、開けときますねー」  
出勤10分前でアタフタしているおかあさんに声を掛けて、玄関のノブに手を掛けた途端、  
「おっはよーございまーすっ!」  
 
……いきなり、ドアが開いて、そのまま前に引っ張られるようにつんのめりました。  
「っと。……おいおい、朝っぱらから大胆だなァ? まゆ」  
ぼふっと、突っ込んできたわたしを抱きとめて、元凶がそんな事を言ってきやがります。  
「ちょ、ちょっと、みいちゃんっ!? 違いますからっ! 放してくださいっ!」  
うわあ。確かに、まるで、わたしの方からみいちゃんに抱きついていったみたいな格好です。  
慌てて怒鳴ると、へいへい。と言いながら、あっさりと放してくれました。  
……いつもなら、それこそ猫の子でも撫でるみたいに、髪がくしゃくしゃになるほど撫で回されるのですが。  
その思わぬ態度に、少しばかり気勢を削がれてしまいます。  
「……あの。今日、どうしたんですか? 珍しいですよね、みいちゃんが朝ごはん食べに来ないの」  
「つーか、今日がはじめてだな。……自転車借りに行ってた。2ケツできる、荷台のデカいヤツ」  
……自転車?  
「え、な、何ですか、自転車って」  
思わずオウム返しに聞き返すと、なにやら思い切り馬鹿にした眼で見られました。  
「何ですかはねェだろ。足捻ってンだから、歩きでガッコ行くの大変だろうと思って借りてきてやったんだ。  
 ……それとも、何か? 『自転車』ってのが何なのかわかりませーん。とでも言うのか? んー?」  
「そんなわけがありますかっ! わたしをなんだと思ってるんですっ、失礼なっ!」  
むっとして、おもわず怒鳴ってしまいます。  
「あんたたちー! 朝から玄関先を塞がないのー! おかあさん、お仕事に行けないでしょー!」  
お母さんに、怒られてしまいました。  
「ご、ごめんなさいーっ!」  
慌てて外に飛び出します。  
 
「おい、まゆ、とっとと行くぞー。ちょっと早めに出たほうがいいだろ。  
 自転車二人乗りで学校までどれくらいかかるか、俺よくわかんねェし」  
ひょい。とわたしの鞄を取り上げて、そのままスタスタと歩き出されてしまいます。  
「うぇ? ちょ、ちょっと、みいちゃん? あの?」  
「何だどうした早く来い。……まさか歩けねェほど痛いとかじゃ無いよな?  
 昨日、おばさんもそんなに酷い捻挫だとは言ってなかったし」  
「いや、大丈夫ですよ、大丈夫です。……あの、わたし、今日はバスで行くつもりだったんですが……」  
と、言うより。  
こうして過保護な送り迎えを避けようと、内緒で一人で行くつもりだったのですが。そのために早起きしたのに。  
『バスで行く』と言えば、わざわざ人の手を借りる必要もありませんし、おかあさんやみいちゃんに心配を  
掛ける事もありません。  
「ですから、あの。わたし、一人でも大丈夫ですし、みいちゃんだって大変なのに、わざわざそんな事、して頂く事は……」  
わたしがそう言う間にも、みいちゃんはわたしの鞄を持ったまま、足を止めてはくれません。  
マンションの前に止めてあった、後ろに頑丈そうな荷台に座布団が括りつけてある自転車の前カゴに  
鞄を放り込んでからやっとわたしを振り返ってくれました。  
「……あのな、真由子。これはな、俺がやりたいからやってんだ。ウダウダ言ってないで、とっとと座れ馬鹿」  
サドルを二、三回平手で叩いて、仕草で『後ろに座れ』と言ってきます。  
「で、ですけど、あの。……やっぱり、いいです。わざわざ自転車まで借りてきて、送ってくださるってことは、あの、  
 本当に感謝してますけど、あの、その、ここから学校までって意外と距離ありますし、それに、学校の前って  
 結構坂道多いじゃないですか。このケガだって、そんな大したケガじゃないですし、そんな大変な事―――」  
「……い・い・か・ら、す・わ・れ。……ったく、オマエ本ッ当、乳は柔らけェくせに頭固いよな」  
 
ぷに。  
こっちに向かって人差し指をひょいと伸ばし、……む、胸をーっ!?  
「んな……っ!? ちょ、ちょっとっ! う、わ、……痛っ!」  
あまりの事に、真っ赤になって後ずさりしようとした途端、足首がズキンと痛み、バランスを崩してしまいます。  
「うっわ、危なっ!」  
転倒しかけた所を、みいちゃんが腕を掴んで支えてくれました。  
「なにやってんだ。ドジめ」と、呆れ果てた顔でそんな事を言ってきます。  
……原因はあなたでしょうがー!  
「みいちゃんーっ! なんで朝っぱらからそう破廉恥な事ばかりしますかあなたって人はー!」  
支えられた状態のまま、頭や肩を平手でバシバシ殴ります。  
……よく考えれば、そこで手を離されたら転んで痛い思いをするのはわたしなのですが。  
その時は、いきなり胸を突付かれた事にびっくりしすぎて、そんな事にまで頭が回っていませんでした。  
「……あ、ヤベ。もう本気で時間ねえわ。とにかく行くぞ、どっちみちその足じゃ辛いだろ」  
言うだけ言うと、こっちの答えも待たずに、ひょい。と、まるで小さい子にでもするように、  
両腋を抱えて持ち上げられて、そのまま自転車の荷台に座らされてしまいました。  
「……強引ですよね」  
悔しいですが、確かに時間もありません。このままバス停まで歩いていっても遅刻確定です。  
「何とでも言え。しっかり掴まってろよ、結構揺れるぞ」  
幸い、座ってる荷台が結構しっかりとしたつくりなので、そこをしっかりと握ります。  
朝の空気の中を学校に向かって走る自転車。  
ぐいぐいと力強くペダルを漕ぐ人の、広い背中が目に入ります。  
 
――ああ、やっぱり、好きだなあ。  
 
ことん。と、背中に頭を預けてしまいそうになって、慌てて引き戻します。  
それは、ただの幼馴染みのわたしがしてはいけない事だと、――そう、思いました。  
 
「――おい、まゆ! 寝てないだろうな! 落ちるなよ! 拾ってやらんぞ!」  
「寝てませんっ! それより、無理はしないでくださいよ。まだ時間、大丈夫ですからー!」  
 
学校までの道程を、幼い頃のように自転車で二人乗り。風に負けじと大声で喋りあいながら走ります。  
 
――本当に、まるで。  
わたしたちが、二人とも。ただのちいさな女の子だったころに戻ったようで。  
でも今は、わたしだけが女になってしまって、みいちゃんは、強くて大きな男の子になってしまいました。  
 
……わたしがあなたを好きだと言ったら、あなたは何と言うでしょう?  
 
その事が、一番恐いと思います。  
みいちゃんは、わたしが小川先輩に失恋した時、慰めてくれました。  
あれから何ヶ月も経っていないのに、わたしがそんな事を考えていると知られたら、尻の軽い女だと思うでしょう。  
……いえ。幻滅されるだけ、好きだということを、受け入れてもらえないだけならば、まだ良いです。  
ずっと、長い間。幼馴染みとして、途中でみいちゃんが少し変わってしまいましたが、それでも親友として仲良く  
過ごしてきたのです。  
 
……ようするに。わたしは、今の状態を壊すのが怖いだけなのです。  
あの夏に、みいちゃんがわたしの前からいなくなったように、またみいちゃんと会えなくなるのが嫌なだけ。  
 
――それなら、黙って今の関係でいたほうがいい。  
触れられなくてもいいから、もう二度と、離れたくない。  
 
……その時は、本気でそう思いました。  
 

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